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大阪・豊中の歴史や文化を自分の目で見て紹介していきます。

大阪・豊中の歴史や文化を自分の目で見て紹介していきます。 豊中市以外にお住まいの方にご覧いただいて、訪れてみたいと思われるまちになればと思います。

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住所
豊中市
出身
豊中市
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2010/01/28

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  • 春日大社南郷目代今西氏屋敷は「城」だった!?

    大阪は豊中市にある春日大社南郷目代今西氏屋敷の2014年一般公開に訪れました。公開は毎年秋に1日限定で行われています。奈良の今西家と区別するために摂津今西氏とも呼ばれ、現当主は53代目なのだそうです。 この地域は古くは摂津国垂水西牧(たるみのにしまき)と呼ばれ1062年の頃は平安貴族である藤原氏の荘園であったことが記録にあるそうです。その後ほどなく藤原氏が没落し鎌倉幕府成立前の頃には春日社の荘園となり、…

  • 千里川のカワセミ

    豊中を流れる千里川、上流の北緑丘団地のあたりは地域の方の努力により自然環境が保たれている。 野鳥や魚などもここにはたくさん生息しています。 先日散歩しているとカワセミがいたので写真を撮りました。 豊中のこんな市街地を流れる川にカワセミがいるとは何とも再発見です。

  • 麻田藩 現存する庄屋屋敷「村司家住宅主屋」

    このブログにHNりすさんという麻田藩の庄屋、村司家の子孫の方よりコメントをいただき、そこから村司家分家の邸宅が現存していることを知りました。 そこからHPなどで調べていくとそのお宅は文化庁の登録有形文化財の指定を受けておら…

  • 麻田藩と多田銀山のつながり

    現在の国道176号と並行して、あるいは重なりながら、豊中市域を南北に貫くのが能勢街道です。かつては池田・能勢と大阪を結ぶ主要幹線道路でした。多田(川西市)の銀山に通じていたので「銀山街道」とも呼ばれていました。 その銀山が元麻田藩領の兵庫県河辺郡猪名川町の多田銀山です。

  • まだあった麻田藩 陣屋門! 池田・正光寺

    麻田藩陣屋の遺構はもうないと思っていましたが、まだありました! 地元の図書館の資料室で地域史資料を読みあさっていたら、見つけたので早速行ってきました。 場所は池田市住吉にある「正光寺(しょうこうじ)」というお寺です。 訪ねたところ門が閉まっていたのですが、住職さんに中に入れていただき、お話をしていただくことができました。

  • 麻田藩主が住職になったお寺 三田・方広寺

    麻田藩二代藩主の青木重兼は年老いて家督を譲ってから、所領であった三田に大覚山方広寺を建立し、自ら二代目の住職となり77歳の天寿を全うします。 今日はこの大覚山方広寺に行ってきました。豊中からは距離にして約50km離れており車でも1時間半は掛かります。

  • お寺の住職になった麻田藩二代藩主!?

    麻田藩の二代藩主は青木重兼(あおきしげかね)といいます。 重兼は、子どものいない初代藩主青木一重のところに、一重の弟で麻田支藩の代官であった青木可直の長男が、養子になり家督を継いだ方です。重兼は麻田藩青木家14代の中でも際だって有能な方だったようで、色んな史実に登場しています。 幕府の指示を受け多田院を始め多くの寺社の再興に力を注ぎ、青…

  • 江戸時代の豊中における領主たち

    江戸時代における豊中の領主は麻田藩の青木氏だけではありません。 むしろ麻田藩は豊中のほんの一部であり、豊中市エリアは幕府直轄の天領が大半を占め、複数の大名によって細かくその所領が分けられていたのです。 1.麻田藩 青木氏 2.半原藩(岡部藩) 安部氏・・・埼玉県深谷市 3.飯野藩 保科氏・・・千葉県富津市 4.淀藩 稲葉氏・・・京都府京都市伏見区 5.三卿 一橋氏 6.代官 斉藤氏 旗本…

  • 豊中に麻田藩の名残は残っているか!?

    今回は豊中に「麻田」の匂いが残っているか周辺を訪ね歩いてみました。 麻田藩は明治維新後、麻田県となりその後大阪府と兵庫県に編入されました。 その後町村制施行が行われましたが麻田村として名前は残りました。 付近では明治43年に阪急電鉄の駅として蛍池(当時は螢池)ができました。場所的に駅名は麻田駅もしくは刀根山駅が適当だと思いますが、阪急創業者の小林一三氏が「駅名が麻田では面白くない」とのことで…

  • 二代藩主になれなかった青木正重

    麻田藩初代藩主青木一重には子どもがおりませんでしたので、妹の息子を養子にし名前を青木正重としました。 正重は病弱ですぐに廃嫡されたという記述もありますが実はそうではないようです。 秀吉の四国征伐により一重が伊予の国(今の愛媛県)の一部を飛び領地として得た際には、正重が代官として赴任していました。そして一重が大阪冬の陣の和議の遣いとして京都で拘束されてしまい夏の陣に参戦できなかった際には、正重が…

  • 麻田藩主 青木家の家紋

    青木家の家紋は表紋が「富士に霞」、裏紋として「三つ盛洲浜紋」が使われています。 <…

  • 豊中を領地とした戦国大名 麻田藩主 青木氏

    豊中市というまちは大阪市のベッドタウンです。古くは千里ニュータウンという日本最初の大規模開発されたまちで多くの方に知られることとなりましたが、そのまちの歴史というと「マチカネワニ」という約40万年前の化石のこと、あるいは古墳群、また高校野球発祥の地であることくらいしか知られていないように思います。 江戸時代250年以上14代にわたって豊中の蛍池に藩庁(陣屋)をおいた麻田藩や青木氏については、市民のほ…

  • 麻田藩の惣社 池田 亀の森住吉神社

    歴史は古いそうですが荒木村重の乱の際に焼失してしまったものを、麻田藩青木氏が再建したと言われています。 江戸時代には麻田藩の惣社となっていて、藩主の命により五穀豊穣・雨乞などの神事が執り行われていたそうです。宮ノ前・石橋・玉坂・中之島・東市場・井口堂・野・産所・麻田の豊嶋郷9村の氏神でもありました。

  • 麻田藩主邸 表玄関 報恩寺

    麻田藩主邸の表玄関が移築されている報恩寺にまた出掛けてきました。 豊中 麻田藩主邸 表玄関(報恩寺) posted by

  • 麻田藩陣屋跡 平尾役場 代官所屋敷跡

    箕面市に麻田藩ゆかりの陣屋跡があるということで訪ねてみました。 場所は箕面市箕面2-6。住宅地の細い路地を上っていくと宝持山の中腹に屋敷山稲荷が現在はあります。

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