権中納言 さん プロフィール

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権中納言さん: 残された石垣を見つけたい
ハンドル名権中納言 さん
ブログタイトル残された石垣を見つけたい
ブログURLhttp://siroato328.blog13.fc2.com/
サイト紹介文城跡めぐりをします。天守・櫓・門・石垣・堀・曲輪・武将など載せたいと思います
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供24回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2010/02/23 19:05

権中納言 さんのブログ記事

  • 近江国 小倉城跡
  • 承暦年間(1077〜1080)清和源氏の後裔、小倉(小椋)景実が近江国愛知郡小椋庄に小倉城を築いたと伝えられています。小倉氏は小倉城を拠点として、愛知・神崎・蒲生の三郡に勢力を拡大していきました。   小倉城跡に残されている遺構は見つけられなかった。小椋庄は昔を味わえる魅力ある集落でした。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • 近江国 高野館跡
  • 高野館は織田信長の八男織田信吉(母は側室お鍋方)が1583年羽柴秀吉から、近江国神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を賜り羽柴武蔵守と名乗って、高野村に館を構えたとされ、これが高野館と考えられています。織田信吉は1600年関ヶ原戦いでは西軍につき、戦後改易となり1615年京都にて死去43歳でした。お鍋方は近江の豪族高畠源十郎の娘で高野城主小倉実房に嫁いで二人の男子を儲けました。夫である実房は、1559年織田信長 [続きを読む]
  • 近江国 百済寺城跡
  • 百済寺は聖徳太子が606年渡来人のために創建したとされている。平安時代に、比叡山延暦寺の勢力下に入り天台宗の寺院となり戦国期には六角氏により城塞化しました。1573年織田信長の近江侵攻により焼き討ちとなりました。曲輪・虎口・空堀・土塁など残るが巨石石垣は、安土城の築城の際持ちだされて現在残っている本堂などの石垣は1650年本堂・山門・仁王門等を復興した時のもののようです。 [続きを読む]
  • 美濃国 氷取城跡
  • 氷取城は、1580年不破広綱が竹鼻城主になったころ支城として築き弟の不破大炊頭に守らせました。不破広綱は不破光治(府中三人衆)の次男で織田信雄に仕えました。1584年羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康が対立し、小牧長久手の戦いが勃発。羽柴秀吉は長久手で大敗すると戦略を変え大軍を持って加賀野井城を落とし、竹鼻城を水攻めで開城させました。その時氷取城も開城させました。残されているものは、地名に城の名があ [続きを読む]
  • 飛騨国 江馬氏下館跡
  •                        主門(館の正門 復元)江馬氏下館は15〜16世紀北飛騨を支配した江馬氏の居館跡です。昭和51年土地改良に伴い、古くから居館跡と言い伝えられた場所の発掘調査が行われ水田の下層より庭園跡・建物跡・堀跡が発見されました。建物配置は室町将軍邸と酷似していて、出土品からは国産陶磁器の他に中国産陶磁器も多数出土しております。金銀銅鉛なども産出し、豊かな財力により、室 [続きを読む]
  • 飛騨国 神岡城跡(東町城)
  • 神岡城は1558年武田信玄の越中侵攻の為武田軍の宿舎拠点として在地領主江馬時盛が築城する。 1582年江馬氏が滅亡 1585年江馬氏を破った三木氏が滅亡金森長近が飛騨の国主になってからその家臣山田小十郎が入城する。この時堀に石垣を多用したと考えられます。1615年一国一城令により廃城となりました。1970年模擬天守が建てられました。遺構として見るものはあまりありませんでしたが戦国の風情が城跡に [続きを読む]
  • 近江国 坂本城跡
  • 坂本城は織田信長が比叡山焼き討ちの後滋賀郡支配の拠点として明智光秀に築城させました。琵琶湖に島状に突き出た水城で南北500m東西400m安土城に次ぐ巨城だったといわれ、大小ふたつの天守が建てられました。山崎の戦いで光秀が亡くなると、丹羽長秀・杉原家次と城主が替わり浅野長政のときに大津城が築かれ廃城となりました。   城の縄張り        本丸跡          中堀跡       [続きを読む]
  • 近江国 膳所城跡
  • 膳所城は1601年徳川家康が関ヶ原の戦いで落城した大津城の代わりに天下普請で築城させました。縄張りは藤堂高虎が担当し、本丸に4重4階の天守湖水を利用した美しい水城でした。初代城主は大津城最後の城主戸田一西で3万石で入城するも1602年死去子の戸田氏鉄が跡を継ぎます。1617年氏鉄が国替えとなり譜代大名の本多氏・菅沼氏・石川氏が入城1651年本多俊次が7万石入城し13代220年間、本多氏が城主を勤め明治維新を迎えました。 [続きを読む]
  • 三河国 西尾城跡
  • 西尾城は1221年三河国の守護に任じられた足利義氏が築城西条城とよばれていました。土着した足利氏はやがて吉良氏と称しこの地を治めました。1560年今川氏に属する牧野成定が入城するも桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、今川氏の勢力が衰え松平元康(徳川家康)は今川氏から独立、西尾城を手に入れます。酒井正親が城主となり、近世西尾城の基礎を作りました。1590年田中吉政が入城、三の丸が拡張されるなど整備されました。16 [続きを読む]
  • 美濃国 福束城跡
  • 福束城は1414年土岐氏家臣福束蔵人十郎益行が築城する。1428年丸毛光慶が居城し、北伊勢との船運を取り仕切るなど丸毛家は代々福束を領し、土岐家・斎藤家・織田家に仕え豊臣政権時は2万石を領する小大名でした。1600年関ヶ原の戦い前哨戦で、城主であった丸毛兼利は西軍に加わり東軍に付いた今尾城主市橋長勝・松の木城主徳永寿昌と戦いますが城は落城し、丸毛兼利は大垣城へと敗走しました。戦後、加賀国の前田利常に仕え、福束 [続きを読む]
  • 美濃国 牧村城跡
  • 牧村城は地頭であった牧村家の居城で戦国時代斎藤家家臣牧村政倫が城主でした。牧村政倫は稲葉一鉄の娘を正室としており1567年一鉄とともに信長の家臣となる。牧村家は一鉄の庶長子である重通の子利貞を養子に向かい入れます。牧村利貞は利休七哲の一人に数えられる茶人でもあり秀吉から1590年伊勢国岩出城2万石をあたえられています。その頃牧村城は廃城となりました。尾張国守護代岩倉の織田家家老山内盛豊の子で山内一豊は父兄 [続きを読む]
  • 美濃国 鵜沼城跡
  • 鵜沼城は永享年間(1429年〜1440年)に大沢利治が築城する。1564年織田信長は木下藤吉郎に鵜沼城と伊木山城の攻略を命じる。鵜沼城主大沢次郎左衛門は始め強く抵抗するも調略により開城する。信長はさんざん苦しめられた次郎左衛門を許す事ができず殺害を企てるが、藤吉郎の計らいで逃がされたといわれる。  次郎左衛門は信長の死後、柴田勝豊から北近江浅井郡の地を与えられる。  その後豊臣秀次に仕え2600石を知行したが、秀 [続きを読む]
  • 尾張国 松倉城跡
  • 尾張国松倉城は坪内頼定が築城 4代坪内利定は織田信長に直属し、桶狭間の戦いに従軍し功をあげる。美濃攻略の際は川並衆を纏め上げ、木下藤吉郎の墨俣築城に木曽山中より木材を松倉にて陸揚げ加工し再び川に流し墨俣に送る重要な役割を果たしました。播磨国平定戦で秀吉が利定の軍功を他人の軍功と身誤った事で織田信長の死後、秀吉と不仲になる。小牧長久手の戦いでは、秀吉側の池田恒興に攻められ松倉城を脱 [続きを読む]
  • 美濃国 吉田城跡(北方城跡)
  • 吉田城の築城年代はわかりませんが、土岐斉藤軍記に1567年安八郡三津屋北方城主吉田きゅうぞうの名前があり城主の名が城跡の名前になったようです。現在慈渓寺の山門前に城祉碑が建っています。寺の北側に土塁の一部が残り寺の回りは堀跡のような感じを受けました。とても良い昔感が漂っていました。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • 美濃国 美江寺城跡
  • 美江寺城は、美濃国守護土岐頼芸の家臣和田将監高行の居城斉藤道三は守護追放、反目する和田家の居城美江寺城を落としました。残されているものはありませんが、学校の隅に歴史観ある城址碑がありました。近辺は江戸時代の中山道美江寺宿で、むかしを想像できる雰囲気でした。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • 近江国 安土城跡
  • 安土城は織田信長が天正四年(1576年)築城に着手        黒金門跡天主は五層六階地下一階で五階は八角形の夢殿最上階は望楼で金色内部は狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配し世界に類の無い木造高層建築でした。天正七年(1579年)天主ほぼ完成にて信長が移り住む天正九年(1581年)完成しました。天正十年(1582年)6月2日本能寺の変で信長自刃その直後6月15日安土城も落城しました。    城祉碑   [続きを読む]
  • 美濃国 関城跡
  • 関城は1528年長井長引が築城したと伝わっています。1565年織田信長が犬山から堂洞城に侵攻したとき関城には斉藤家重臣の長井道利が城主で近隣の堂洞城主岸信周、加治田城主佐藤忠能と共同戦線を張っていたが、佐藤忠能が信長に内応した為堂洞城は落城し、長井道利は関城から退却を余儀なくされる。その後信長はこの刀鍛冶の町を直轄支配し廃城となりました。安桜山(標高150m)の山頂には南北10m東西30mの主郭南斜面は急峻 [続きを読む]
  • 山城国 勝龍寺城跡
  • 1457年山城守護畠山義就が、郡代役所として築城する。1566年三好三人衆の1人岩成友通が城主になる。1568年織田信長の上洛、大軍の前に落城する。1571年細川藤孝が城主になり、二重の堀に囲まれた堅固な城に改修する。1578年嫡男細川忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が、この城で結婚する。1581年細川藤孝は丹後に転封、京都所司代村井貞勝の家臣が入城する。1582年本能寺の変、山崎の戦い後、廃城となる。江戸時代に入り1 [続きを読む]
  • 山城国 淀城跡
  • 1623年将軍徳川秀忠は、伏見城廃城にともない松平定綱に命じて、淀城築城を行いました。伏見城にある建築群を移す予定が伏見城天守は、急遽二条城に移されることとなり淀城には、徳川家康が築いた二条城天守が移されました。天守台石垣より小さかった為四隅に二層櫓の小天守を張り出させて置き白壁で周囲を覆いました。京の南を固める要として、五層五階の大天守と石垣上には35基の櫓が構えられました。1633年永井尚政が10万石で [続きを読む]
  • 山城国 二条城跡(徳川将軍家)
  • 二の丸御殿と庭園二条城は、1603年将軍徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として、二の丸に相当する個所が築城され1626年三代将軍徳川家光の時、本丸に本丸御殿と五層五階の天守が構えられ完成しました。1867年十五代将軍徳川慶喜の大政奉還により二条城は、朝廷のものとなり、1884年には離宮となる。二の丸御殿の破風板は、葵の家紋から十六弁菊花紋に取りかえられました。1939年京都市に [続きを読む]