MikS さん プロフィール

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MikSさん: MikSの浅横日記
ハンドル名MikS さん
ブログタイトルMikSの浅横日記
ブログURLhttp://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/
サイト紹介文海外のニュースの紹介&日常の雑感&仕事上の忘備録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供20回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/03/07 16:46

MikS さんのブログ記事

  • ローマの小さな祠(ローマ滞在の雑感4)
  •  ローマの街を歩いていて遭遇した忘れがたいものを紹介しよう。 それは、ローマの街を歩いていてたまたま見つけたのだから、それが何であるかも最初は判らなかった。何となく周囲と不釣り合いな趣きのなか、散文的な建物の散文的な外壁の一角を占める形でひっそりと存在している。それが何であるにせよ、たぶん異国からの訪問者ならば誰もが立ち止まって見入ってしまうものである。  ガラスの向こうに女性像があり、プレートの [続きを読む]
  • スカラ・サンタのイエス像(ローマ滞在の雑感3)
  •  ホテル周辺で書いておきたいことがもう一つある。 実は、早朝の散歩で、最初に私の注意を引いたのは、ラテラノ大聖堂の聖人像ではなく、スカラ・サンタの方だった。大聖堂の向かい側にある小さな教会だが、その綺麗な側壁の画像が注意を惹いたのである。 キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の母エレナは熱心なキリスト教信者であったが、320年イェルサレムに巡した際に、イエス出生の地やゴルゴダの丘を再発見したとさ [続きを読む]
  • ラテラノ大聖堂の立像(ローマ滞在の雑感2)
  •  泊まったホテルからラテラノ大聖堂がごく近かったので、毎朝のように大聖堂の近くに散歩に出かけた。 バルセロナで車を使って数十名の死者を出したテロ事件からまだ日が経っていないせいか、早朝から機関銃を構えたイタリア軍の兵士が目を光らせている。方々に警察の車両も目立った。ここのみならず、コロッセオにもいたし、名所と考えられている所ではどこでもそうであったに違いない。少し緊張感が漂う。私たちは、この旅行中 [続きを読む]
  • ローマ滞在の雑感1
  •  8月末の数日間をローマで過ごした。  短い期間だったので、日本に帰ってみて振り返ると、何か束の間美しい夢を見ていたかのように感じられる。そんな魅惑的な体験をいくつか味わうことができた。 トランジットを含めて、宿に落ち着くまで長い時間を我慢しなければいけない。やはり、ヨーロッパは遠いなぁと改めて感じる。フィウミチーノ空港に着いて、所定の手続きを済ませて、特急に乗り換えてテルミニ駅へ。ここまでは、何 [続きを読む]
  • ローマへ (ティトスの凱旋門 -- 準備編その7) 
  •  3日目の午後にはフォロ・ロマーノに行く予定であるが、私にとっての最大の見所はティトスの凱旋門である。   ティトスの凱旋門 ティトゥスの凱旋門は、現存するローマ市最古の記念門で、ユダヤ戦争の戦勝記念として81年に建立された。高さ15.4m、幅13.5m。ここには歴史がつまっている!! ローマの支配を打破しようとするユダヤ人の一派が、66年6月に宣戦布告して以来激戦が繰り広げられたが、70年8月エルサレム神殿の崩壊、同 [続きを読む]
  • ローマへ (カタコンベの絵画 -- 準備編その6)
  •  そして、ローマ到着二日目はカタコンベをメインに回る予定。カタコンベについてはネット上でも情報が多いとは言えないので、行って良かったという感想が得られるかどうか、あらかじめ予想がつかないという側面がある。かつての地下墓地であるから、けっして気分が晴れるような場所ではない。だから、一か所行けば「もういいよ」となるかもしれない。カタコンベでは写真撮影が禁止されていることも、カタコンベの観光的価値を [続きを読む]
  • ローマへ (サン・クレメンテ聖堂 -- 準備編その4) 
  • サン・クレメンテ聖堂(英語: Basilica of Saint Clement )  この聖堂は教皇クレメンテ1世に捧げられたが、特徴的なのはこの建物が三層構造になっていること。(1)現在の聖堂は1100年の直前に建てられたもの。(2)現在の聖堂に下に4世紀の聖堂があり、それはローマのとある貴族の邸宅を改造したもの。その邸宅は、一世紀に短期間、初期の教会として使われていたようだが、その地下は2世紀にはミトラス教(=秘儀宗教の一種 [続きを読む]
  • ローマへ (サント・ステファノ・ロトンド -- 準備編その3)
  • サント・ステファノ・ロトンド(英語:Santo Stefano Rotondo)  この教会は、教皇シンプリキウス1世(468-483)によって殉教者ステファノスに捧げられた教会だという(もっともステファノスの遺品は何一つないのだという)。それ以前は、外国兵士のための宿舎だったそうだ。円形の教会としては最古のもの(「ロトンド」は「円形」を意味する)。 スタンダールが『ローマ散歩』でこの教会に触れているが、彼がこの教会を訪れ [続きを読む]
  • ローマへ (ラテラノ洗礼堂 -- 準備編その2)
  •   まずは、いわゆる「ラテラノ・コンプレックス」と呼ばれる建物群の中から次のものに注目。  ラテラノ洗礼堂(英語:San Giovanni in Fonte)。 今回、ローマの古い建造物や遺構を紹介するにあたって、主に参考にしたのはマチルダ・ウェッブ著『初期キリスト教時代のローマの教会とカタコンベ(MATILDA WEBB: THE CHURCHES AND CATACOMBS OF EARLY CRISTIAN ROME)』。それによると、 ラテラノ洗礼堂は、4世紀後半にいた [続きを読む]
  • ローマへ (準備編その1)
  •  10数名の学生とともに、ローマに行くことになった。 8月のほぼ最後の一週間をかけて、主にカタコンベ・初期の聖堂からヴァチカンにいたるまでのキリスト教のモニュメントを体感しようという企画である。もっとも、私が興味を抱くのは、キリスト教が公認される以前の遺構に限られる。したがって、カタコンベが最大の焦点になるのだが…ただ、カタコンベ内は撮影禁止であり、なかなかデータという形で残しづらいのが難点ではある [続きを読む]
  • 闘いとしての愛(補足)
  •   以前、「敵を愛せ」についてのキング牧師の講話を少し紹介したが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2017-03-04)、少し補足した方が良いかなと思ったので、今さらながらではあるが補足をしたい。先に紹介した部分の直前の個所である。そこでは、「愛する(love)」と「好き(like)」の違いが説かれているのだが、この部分が非常にわかりやすいのである。愛は、個人的な好き・嫌いのレベルにある感情ではない。愛は個人的 [続きを読む]
  • 悪魔祓いについて(1)
  •  ある必要から、「悪魔祓い(exorcism)」について調べることにした。  すでに二〜三年前から、暇を見つけては間歇的に、「悪魔祓い」や「憑依」を扱った人類学の書物や論文を十数点ほど読んできたのだが、何しろ専門の領域ではないので思い通りには行っていない。いまのところ一番よく理解できたのは、スリランカの悪魔祓いに詳しいブルース・カフェラーという学者の見解であった。それは、彼の見解の卓越さというよりは、文章 [続きを読む]
  • ケルン大聖堂でのイースターの模様
  •   最近になって、世界的に有名な教会のミサの模様がYoutubeにアップされていて、その模様を余すことなく鑑賞できることを知った。権威ある教会といえども、その式典を内密のままにしておくよりも、積極的にPRした方が得策だと判断したのだろうか。  キリスト教の儀式の中で、もっとも根源的(かつ根本的)な儀式はイースターの式典である。そう考えて、イースターが世界各地の教会でどのように挙行されているかを少し調べてみ [続きを読む]
  • 乙な寄り道の場所 ―― 日比谷図書館特別研究室
  •   家に帰りたくないとき、家に帰ってもしようがないとき、どこに行くか?    男性ならば、バーや飲み屋に行く人が多いのだろうが、私にはついにそういう習慣が根づくことはなかった。酒は好きなんだけどね。人が(たくさん)いる場所が好きではないし、そういう場所に一人で行くことも、一人でいることも好きではないのである。  20代の頃は、サウナのあるカプセルホテルをたまに使った。その頃は独身だったから、家に帰って [続きを読む]
  • ニーチェとトルストイのイエス像
  •  しばらく論文の執筆に没頭していて更新ができなかった。 ニーチェのイエス像について書いていたのである。ニーチェが読んだルナンやトルストイやドストエフスキーなどを読み比べることをしていた。その一部を紹介しよう。ルナンの『イエスの生涯』はニーチェにとっては「安っぽい物語り」にしか映らなかった。その点を論じた後で、トルストイとニーチェの関連性に触れる箇所である。 ここら辺は、クリスマスも終わった後の昨年 [続きを読む]
  • マルコ 2:1-3
  •  「マルコによる福音書」を、一応、ギリシア語原文から学習しようと思い立った。このブログを利用すれば、少しは地道な努力を続けられるかなと期待しつつ。 古典ギリシア語は、大学の二年時に、初級文法の授業を受けて、その時は良い成績だったものの、それ以降、まとまった時間を見つけることができず(あるいは、そういうことを口実にして)、まったく努力を怠っていた。ときたま、そろそろ力を入れてみようかなという思いが散 [続きを読む]
  • ニーチェとイエス
  •   ニーチェが激しいキリスト教批判をしたということは今さら言うまでもないが、その一方で、ニーチェがイエスだけを特別扱いしたということはあまり話題にされることはない。たとえば、『アンチクリスト』の第39節は次のように記している。「つき詰めていえば、キリスト者はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架にかけられて死んだのだ」。しかし、こうした発言は散発的であり、その他の圧倒的な反キリスト教的批判の数 [続きを読む]
  • ニーチェの道徳・政治哲学(その7) 
  • スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第7回目。この箇所で興味深いのは、ニーチェの反−リアリズム(反−実在論)がニーチェ自身の価値判断にも適用されなければならないという当然の理由から、ニーチェの道徳自体も何らかの事実を反映したものではないということである。つまり、これまでも頻繁に使われた「高次」と「低次」などの概念も客観的事実を言い表して [続きを読む]
  • ニーチェの道徳・政治哲学(その6) 
  •   スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第6回目。   ここでは、ニーチェの哲学についてのリアリズム的(実在論的)理解に基づいた解釈が取り上げられ、その批判が展開される。ニーチェとリアリズム(実在論)と聞くと何か水と油のような印象をもつ人もいるだろうが(私もそうである)、晩年の「私はあらゆるものに力への意志を見出した」というニーチェの言葉をそ [続きを読む]
  • ニーチェの道徳・政治哲学(その5)
  •   スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第5回目。ここでは、ニーチェの理論の積極的な側面を、別の伝統的な倫理学理論と類比的に理解できないだろうか、という試みがいろいろ紹介されている。実際、別の「徳倫理」をあつかった書物でもニーチェに言及するものがあったように思われる。そういうことが、流行っているのだろうか?  この長い一節でとりわけ私が [続きを読む]
  • ニーチェの道徳・政治哲学(その4)
  •  スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第4回目。 万人に均一の道徳律を説く道徳理論の有害性は、筆者によると、「高次の人間(higher men)」が凡庸な人間の価値観に無理やり従わざるをえなくなるような文化的空気を創り出してしまうために、「高次の人間」の出現が阻まれるという点に求められるという。 まあ、特に目新しい点はないが、判りやすさを狙ってい [続きを読む]