takechan0312 さん プロフィール

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takechan0312さん: 地球ワーキングトラベラー見聞記
ハンドル名takechan0312 さん
ブログタイトル地球ワーキングトラベラー見聞記
ブログURLhttp://takechan0312.blog112.fc2.com/
サイト紹介文カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持つ私が海外の暮らし方や旅の情報をご案内します。
自由文永住権はどうやって申請するか、それ以外に海外に暮らしてみる方法など、過去の経験を活かしてご案内します。旅行した国はまだ110カ国、女性ひとり旅のコツなども紹介しています。
ただ今オーストラリアにいますが、この夏はまたアメリカに行って働くつもり、ただ今そのための就活中です。
ブログでときどきその状況もお知らせしたいと思っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2010/03/10 12:02

takechan0312 さんのブログ記事

  • 大阪あいりん地区安宿
  • 愛隣地区で泊まった安宿は、一応xxホテルという名前でした。修学旅行で泊まったことあるような、10階建てぐらいの鉄筋の建物でした。夜遅く到着すると方向も分からないので、歩いていた若者のカップルに尋ねました。一見土方で働いているようなその若者は、剃りが入っていてヤーさん風でもあります。水商売ポイ女性と歩いていましたが、人を見た目で判断してはいけませんよね。私だってバーで働いたこともあれば、どうでも良い服 [続きを読む]
  • あいりん地区の安宿に泊まってみた
  • 初日私が大阪で泊まったホテルは、昔のドヤ街と呼ばれるあいりん地区にありました。インターネットで調べていたら、バックパッカーとして利用されているというので、海外からの旅行者として泊まることにしました。私の旅行は基本「貧乏旅行」です。世界中を一人で旅行するためには、ホテルは1泊US50ドルぐらい、日本円なら5000円を目安にしています。先進国ならバックパッカーかユースホステルのドミトリーにしか泊まること [続きを読む]
  • 父に会いに帰ったというのに
  • 私の母親が亡くなったのは2000年12月。ちょうどハワイに移民しようかなと思って、シドニーのアパートを片付けて下見に行っていた頃。ラーメン屋さんの仕事も見つかり、オープンして数日後、母が亡くなったと突然のメールが来ました。その年の7月に日本に行っていたので、母と何年も会っていないということはありませんでした。初めて海外に移民して以来、仕事で帰ったこともあるけど、最低でも2年に一度は日本に行っていま [続きを読む]
  • 父にあうために日本へ
  • 父が入院するとは死が近いということ。でも入院していると看護もしっかりしているので、だんだん元気になって回復しているようですが、出血が止まらない限りは入院と言われたそうです。現在同じ病院に1か月以上入院できないようで、市内の病院から町内の病院に変わりました。そうすると知っている人が入院していたり、看護婦さんも知っている人がいたようです。まだ入院したばかりの頃は、貧血でも食欲はあったようで、病院食に文 [続きを読む]
  • 頑固な父の思い出、、、
  • 父は昔から我慢強い人でした。小さいころの私には「厳しい親父」のイメージしかありません。父と買い物に行ったこともなければ、一緒に遊んだ覚えもありませんからね。忙しくなると農家の手伝いをさせられました。小さくてガリガリだった私には、これが結構な重労働でしたね。木を伐りだしに行ったり、草取りをしたり、農家の仕事は兄でさえ嫌がっていました。いくつか楽しい思い出に残っているのは、まだ土から頭を出していない筍 [続きを読む]
  • 健康が取り柄の父が入院
  • 日本とシドニーはわずか1時間の時差ですが、私も姉も働いているので連絡も難しいです。ましてやシフトでいろんな時間帯に働いている私、姉から連絡があるのは電子メールが多いです。それでも滅多に連絡しない姉なので、メールが入っていると緊張します。その時の件目は「父」でした。私たちの父が入院したという内容でした。私の父は本当に健康な人で、一緒に暮らした間に寝込んだことがありません。60過ぎまで歯医者に行ったこ [続きを読む]
  • ソーシャルメディアをやっているけど
  • 東日本大震災が起きた年の9月に姉からメールが届きました。「連絡がないのは元気な証拠」と言いますが、私の家族は本当にお互いに連絡しません。日本に電話するのも年に一回ぐらいかな?母が生きているときは手紙を書いていました。それが唯一の親孝行だと思っていました。当時はあちこち引っ越ししていたので、国が変わるたびに一応連絡していました。最近は姪や甥達がSMNをやっているので、簡単にどうしているのか分かります。 [続きを読む]
  • シドニーから来ると暑いワイキキです。
  • 暑いよ、暑いよ!!。この二日間、ハワイの暑さにめげています。日本の夏から来たら、涼しいと感じるかもしれませんが、冬のシドニーからきたら、暑いですよ。気温はシドニーの夏とあまり変わらないかもしれませんが、シドニーに比べて湿気が多い、まるでゴールドコーストいう感じです。アラスカに行く前に暖まろうと来たけど、冬から来るとちょっと辛いですね。さらにダイヤモンドヘッドなんかに登ったので、それで軽い熱中症にな [続きを読む]
  • 17年ぶりのハワイだけど
  • 本日無事にハワイに到着しました。シドニーが冬だったので、その暑さに体がついていけません。それでも滞在が短いので、頑張ってダイヤモンドヘッドに登りました。ワイキキからバスで15分位、そこからまたトレイルの下まで、20分位歩きました。これがツアーならすぐ近くまで来れます。登って景色は良かったけど、ちょっとがっかりした部分もあります。ダイヤモンドヘッドは、ワイキキから眺めるのが最高です。それにしても暑か [続きを読む]
  • 今年の旅行計画
  • 皆さんがこの記事を読まれる頃は、無事にハワイに到着しているかと思います。これからジェットスターに乗ってハワイのホノルル空港に向かいます。今年もアラスカに行こうと決めたのは3月頃、それからいろいろと探しましたが、今年は日本語ガイドとして採用されました。アンカレッジを中心に9月中旬まで、ガイドして働かせていただきます。その後十数年ぶりにヨーロッパに行きます。友達と連絡をとってなるべく会いたいけど、行き [続きを読む]
  • 今日アラスカに向けて出発します
  • 毎日暑い日が続いていると思いますが、如何お過ごしでしょうか?毎日ブログ訪問ありがとうございます。去年の今頃はカナダ旅行を目前に、ウキウキしながら「旅行成功」を願っていました。友人仲間とのカナダグループ旅行。友人とのアメリカドライブ旅行。そして30年ぶりのメキシコ旅行といくつかに分かれた旅行になりました。そして今日から今年の旅行にでます。最初はもっと早く出るつもりでいましたが、結局今日まで伸びたのに [続きを読む]
  • 被災地を訪ねてみたいと思っています
  • これから私の記事に出てきますが、この年私は日本に行くことになりました。日本に行くには目的がありましたが、この年は要件が要件だったので、あまり旅行することもできませんでした。日本に行くとまだ被災地の話題が、たまにニュースで流れていました。オーストラリアでは地震の報道は遠ざかり、福島原発に関する話題ばかりでした。もしその時心に余裕があったら、被災地を訪ねてみたい希望もありましたが、多分その年に現地を見 [続きを読む]
  • 唯一「原子爆弾」で被災した国なのに、、、
  • 広島や長崎に旅行した時に、必ず核が落とされた場所に行きました。特に広島の平和公園にある資料館に行くと、原爆当時の資料を見ることができます。遠い記憶でハッキリと覚えていませんが、古い写真はあまりにも生々しくて、正視できる自信がありませんでした。その衝撃はポルポトがいたカンボジアや、ポーランドのアウシュビッツで体験した、ものと同じく「信じられない物」でした。福島原発の爆発による被ばくは、広島や長崎に落 [続きを読む]
  • 原子力発電所は必要ですか?
  • 日本の原子力発電所の数は43基、アメリカ、フランスに次いで世界第3位、アメリカが日本の25倍以上、フランスでも1.5倍ありますから、面積当たりでは日本の数が多くなります。アメリカは太平洋岸では地震が多いですが、フランスではM6以上の地震は、あまり聞いたことありませんよね。それに比べて地震国大国「日本」にこれだけの原発があるのは怖い話です。それぞれ「お国の事情」もあるのでしょうが、原発に頼らなくても賄 [続きを読む]
  • No more Hiroshima, No more Fukushima
  • 東大日本震災の被災地救援活動や福島原発で被災した人達の救援活動は、このシドニーのみならず、オーストラリア各地で行われました。私のドイツ時代からの友達で、シドニーでレイキ活動をしているAmiさんも、当時仲間たちといろんな活動をしていました。私は仕事にかまけて何もしませんでしたが、ささやかな寄金だけさせてもらいました。オーストラリア各地では、原子力に反対する運動が盛んです。以前は「No more Hisoshima」でし [続きを読む]
  • 福島原発の爆発
  • 東日本大地震の被害だけでなく、その後発生した津波によって過去の歴史にないほどの大被害になりました。しかしこの地震を世界的に有名にしたのは、「福島第一原子力発電所」の事故によります。最初の数日は地震の被災の報道が圧倒的でしたが、「福島原発の爆発」が報道されると、日に日に「福島」という言葉が、こちらのニュースでも大きく取り上げられ、世界中を「放射能の脅威」で振るわせることになりました。外国企業は東京在 [続きを読む]
  • オーストラリアから救済支援の手
  • 日本で地震が発生する前にクライストチャーチで地震があったとき、日本人の被災者が多かったということもあり、あの小さな街にたくさんの日本人メディアが訪れました。日本から派遣できないような報道会社は、シドニーで報道番組を制作している会社に、急遽取材を頼んだようです。私の友人たちもすぐに飛んでいきました。日本語でニュースを聞くことによって、日本に住んでいる人たちも、被災にあった日本人がどうなっていたのか、 [続きを読む]
  • オーストラリア人の目で被災を見る
  • オーストラリアの朝の報道番組「Today」の司会者を務めるカールは、その日に成田に飛び、翌日には現地に到着していました。オーストラリアは人口が少ないですが、近いということもあり日本に住んでいる人もいます。日本語が話せないオーストラリア人にとって、災害が発生した日本で、今何が起こっているのか、こちらのニュースだけでは情報が入りません。オーストラリアのメディアが現地入りすることにより、こちらにも必要な情報 [続きを読む]
  • 津波の実況中継を見ながら
  • マグニチュード9で日本周辺では「観測史上最大の地震」となった2011年3月の東日本大震災の映像は、ものすごく衝撃的なものでした。地震によって大きな津波が発生していました。しかし何とか地震を切り抜けた住民の中には、普段と同じような生活をしている人もいました。海岸線から大きな津波が押し寄せているというのに、普段と同じように道路を歩いている人、昨日と同じように車を運転している人そこには毎日繰り返されてい [続きを読む]
  • 東北で地震が発生したとき
  • クライストチャーチで地震が発生してから、わずか3週間もしないうちに。今度は宮城県沖で地震が発生しました。その日私は仕事の日でした。金曜日というのでルンルンですが、翌日が私の誕生日なので、ちょっと高いワインを買って帰りました。帰宅するといつのもようにシャワーを浴びて、夕食を作りながら、ニュースを見ます。夏は日本との間に2時間の時差があるので、午後5時のニュースをつけると、「緊急ニュース、日本で地震が [続きを読む]
  • 大聖堂はその後どうなったか?
  • クライストチャーチの地震から6年大聖堂は解体され、再建が始まっていたとこの記事を書くまでは思っていました。地震のことが少しずつ忘れられるに連れて、この大聖堂がその後どうなったのか、オーストラリアのニュースで報道されることはなく、再建されるのを楽しみにしていました。ところが地元クライストチャーチでは、今までの教会の方を維持したい修復再建派と教会を解体して新しく建てたい派の間でどちらでするか膠着状態が [続きを読む]
  • 市の象徴「クライストチャーチ大聖堂」
  • 2011年2月に発生した地震で、塔が壊れたクライストチャーチ大聖堂、さらなる6月の地震によって、ステンドグラスの窓や西側の壁など、75%以上が破壊してしまいました。最初は修復する予定だった大聖堂も、修復費用があまりにも高くつくと、内部がまだ危険な状態であること、今後も地震が起きる可能性があること、などを考慮して修復再建を断念して解体することに決まりました。そして2013年8月に大聖堂後に日本人建築 [続きを読む]
  • 日本人の被害者が多かったのは
  • 2月に発生したクライストチャーチの地震は、前年9月の地震よりもMは低かったものの、死者185名という大惨事になりました。この中には28人の日本人が含まれています。1988年に竣工した6階建てのCTVビルは、地元のテレビ局が入居していました。前年の地震で複数の亀裂が入っていましたが、年末から始まった隣のビルの解体工事の衝撃で、この亀裂がさらに拡大したそうです。ニュージーランドの大学が冬期休暇中だったので [続きを読む]
  • クライストチャーチで地震発生
  • 2011年が明けても、私の生活は同じでした。今年もアラスカに戻るかどうか思案していましたが、そんなにアラスカの生活が魅力的でもなかったので、オーストラリアで何とか暮らすことにしました。いつもの朝のテレビ番組を見ていると、ニュージーランドで地震という話題が入ってきました。ニュージーランドはオーストラリアのお隣ですが、日本に似て島国で火山が多い国です。ということは地震も日本に似て発生していました。私が [続きを読む]
  • 私のシドニーエスニックツアー
  • 旅行計画する人は大好きです。自分に分かることなら応対しますが、問い合わせがはっきりしない質問にはお答えできない時もあります。そうやって何度か応対しているうちに、「シドニーで時間があったら会いましょう」という話になり、会うことになりました。その日私は午後3時までの仕事だったので、市内まで行くとちょっと時間が足りません。そこで待ち合わせ場所まで来てもらいました。最初に案内したのはトルコ人街「オーバン」 [続きを読む]