(有)サカタ志田工務店のビジネスブログ さん プロフィール

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(有)サカタ志田工務店のビジネスブログさん: (有)サカタ志田工務店の志田信明です。
ハンドル名(有)サカタ志田工務店のビジネスブログ さん
ブログタイトル(有)サカタ志田工務店の志田信明です。
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/goo1227_1994
サイト紹介文(有)サカタ志田工務店志田信明。酒田の備忘録で亀ヶ崎地域の祭り・歴史を掲載、庄内&酒田の風景写真投稿
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2010/03/19 22:41

(有)サカタ志田工務店のビジネスブログ さんのブログ記事

  • 46.最上川の曳き船
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ46.最上川の曳き船 東風の強い日の、最上川の曳き船風景。要所要所で舟曳き人を雇って行く。(昭和20年)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 45.最上川の洪水で流木を拾う
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ45.最上川の洪水で流木を拾う 昭和20年から10年間に大水5回を数える。大木や雑木、丸太などが次々と流れてくる。蛇、ガマ蛙、ネズミは、流木にしがみ付いていた。流木は乾かして焚き物にした。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチ [続きを読む]
  • 44.最上川の洪水で鉄塔倒れる
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ44.最上川の洪水で鉄塔倒れる 昭和19年の洪水で、千河原、沢新田、新堀の堤防が破れ、遊摺部揚水場対岸の鉄塔が倒れた。左の村は丸沼。村の年寄りに聞いた話では、新堀村道1メートル、新渡利村道1.5メートル増水。村人は堤防や屋根上に逃れ、梁上で寝起きしたという。中央の緑の横線は最上川堤防。遠くの山は金峰山。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 43.明治33年頃の下瀬島
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ43.明治33年頃の下瀬島 島の周囲は約4キロメートル。明治18年に開拓が始まった。明治33年、住宅8戸、牛舎、稲荷神社が建った。大正10年、堤防工事のため、新造成地(堤町)に移住した。川向うは砂くずれ。左の船が出羽大橋の位置。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちし [続きを読む]
  • 42、.昭和の初期。
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ42、.昭和の初期。左側2軒が菓子店で、店の向かい側に「休み石」が2個置かれていた。今は、若竹町2丁目になっている。家の後方は現在の若竹町。右側は旧最上川堤防。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  [続きを読む]
  • 41.明治26年(1893)頃から、この島に人々が住み始めている
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ41.明治26年(1893)頃から、この島に人々が住み始めている。大綱小屋、渡し船小屋、八ツ目小屋、稲荷神社、住宅が建ち、鵜渡川原の漁業基地になった。小川の所に子供が見える。昭和7年、この位置に最上川堤防が出来た。左上は、赤川と飯森山。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待 [続きを読む]
  • 40.最上川沈床造り
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ40.最上川沈床造り 明治19年(1886)頃から、最上川右岸に1番から9番まで、国営の沈床造りが始まった。この工事のとき、若い女性人夫が運搬していた石で左薬指を切断した。この人から当時の様子を聞いてこの絵を描いた。沈床→堤防・護岸工事などの基礎や根固めとして水底に沈める、粗(そだ)や丸太で枠を組んで割り石を詰めたもの。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 39.明治4年(1871)、最上川の通船自由になる
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ39.明治4年(1871)、最上川の通船自由になる。5年、中村太助が鉄船に塩を積み、米沢まで販売する。12年、大洪水で水深6.3メートル、酒田で18軒流される。8、9、13、14年洪水。18年、国営の最上川改修工事はじまる。中央の細い横線は、最上川堤防ができる位置を示した。すぐ下の横線は国道、縦線は出羽大橋の位置を示した。赤丸印は小中島、赤三角は山居 [続きを読む]
  • 38.明治中頃若原町公園近くの古川に造られた水門
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ38.明治中頃若原町公園近くの古川に造られた水門で、遊摺部の揚水場から送られてくる権漑(ごんがい)用水の水量を調節するための水門である。夏は子供達の「あぶり」場、秋はカニ捕り場で、思い出の深い場所になる。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキング [続きを読む]
  • 37.(年月不詳)権吉沼南側堤防付近が破れて
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ37.(年月不詳)権吉沼南側堤防付近が破れて、水深4メートル余り、延べ数百隻の船に石を積み、投石して締切った工事である。工事の日は西風に想定し、川上と川下の舟から投石している様子である。上の赤水は赤川、左上は金峰山。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。 [続きを読む]
  • 36.昭和19年の最上川大洪水
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ36.最上川4.5メートル増水、濡米37,000俵、家族は梁上に寝起きし、老若は城内に避難した。上の絵は、亀ヶ崎4丁目付近を船で避難する様子と、下の絵は千石町付近を海に流れて行く風景である。昭和19年の最上川大洪水を、新堀村、新渡利村で老人に聞き、天和の洪水と比較して描いた。新渡利村通りの水深1.5メートルである。(想像図)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 36.最上川4.5メートル増水
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ36.最上川4.5メートル増水、濡米37,000俵、家族は梁上に寝起きし、老若は城内に避難した。上の絵は、亀ヶ崎4丁目付近を船で避難する様子と、下の絵は千石町付近を海に流れて行く風景である。昭和19年の最上川大洪水を、新堀村、新渡利村で老人に聞き、天和の洪水と比較して描いた。新渡利村通りの水深1.5メートルである。(想像図)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 35.元禄元年(1688)、酒田から最上川を上った荷物
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ35.元禄元年(1688)、酒田から最上川を上った荷物(塩、水、油、にしん、まぐろ、瀬戸物、茶等)は、大石田で最上船に積み換えた。元禄2年、芭蕉は赤川(右下の○印)を下って酒田に着く。7年、最上川の船路は、山形、村山を商圏とする。6年、13年は大洪水。15年、最上船5人乗り92隻、他に268隻の通船があった。(酒田市史年表)赤い丸印が丸の橋で、右の道は [続きを読む]
  • 34.新川を掘った
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ34.最上川は、洪水のたびに城内や米蔵に大被害を与えていた。洪水を除くために、郡代高力忠兵衛が、広野谷地の赤川河口から大宮村(上の赤丸印)まで新川を掘った。(川幅40メートル、長さ3000メートル)絵は、そのときの工事を下総国印旛沼開削工事絵図を参考にして描いた。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます [続きを読む]
  • 33.移り変わりの図
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ33.明治22年(1947)、鵜渡川原村が調査した最上川河状の移り変わりの図(甲、乙、丙、丁)。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆↓日々 [続きを読む]
  • 32.東禅寺沼 
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ32.東禅寺沼 文正元年(1466)、旧河状甲、乙の川が大洪水のときに出来た沼である。この洪水で東禅寺城は壊れ、その後、酒田東高校の場所に移城し、亀ヶ崎城(1603)と改名した。城主は志村伊豆守。明治12年の洪水で沼は2倍(4町歩)に広がり、出水多く、水は青々として気味が悪く、大正10年の耕地整理で埋められた。場所は現在の東北電力亀ヶ崎変電所の北側付近 [続きを読む]
  • 31.草地に矢場
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ31.慶長4年、東禅寺城代志田義秀が作った。嘉永元年(1849)庄内藩は堀の手前の草地に矢場を作り、川原は鉄砲の練習場にした。この年、外国船が飛島の沖で2、3発砲している。明治21年に堀を埋め、ここを村の墓地にした。赤い鳥居は、上と下の笹神様(諏訪神社)である。最上川の向こう側に、赤川と金峰山が見える。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今 [続きを読む]
  • 30.大正10年、東禅寺沼
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ30.大正10年、東禅寺沼埋立工事の時、台地から出土した物。木製金箔掛仏(高さ12センチ)一体、銀製かんざし1個、墓石、5輪塔、天平時代の細かい土器片などがある。他に保管されているものは、丸の橋脚、門柱頭(?)がある。門柱頭は、亀ヶ崎の3寺院と民家数軒にしか残っていない。最上家ゆかりの印ではないかと思う。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 29.松原街道
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ29.松原街道 亀ヶ崎城城主志村伊豆守は、亀ヶ崎から四ッ興屋に至る陸路に10間置きに松を植え、一里塚を設けた。これが松原街道で道の北側が大町村、南側が松原台地である。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*) [続きを読む]
  • 28.馬で塩を運ぶ
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ28.馬で塩を運ぶ 慶長6年(1601)最上の将、志村伊豆守が東禅寺城主となり、亀ヶ崎から清川対岸の荒興屋もで陸路を整備し、荒興屋に船場を作った。これは年貢塩を運ぶためと言われている。最上義光の時代、川北浜通り塩窯28個、慶長8年、年貢塩2斗入り95俵を運んでいる。松の木を植える以前の風景。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問 [続きを読む]
  • 27.丸の橋
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ27.丸の橋 慶長4年(1599)東禅寺城代志田義秀は、関ヶ原の風雲急なるに備えて、鵜渡川原は東南を幅9メートルの堀と、高さ1.8メートルの堤防で囲み、東側に長さ9メートル幅3.6メートルの橋を作って城を固めた。これが丸の橋であり、亀ヶ崎5丁目に石碑がある。右は十一面観音堂。中央の遠くの森に亀ヶ崎城。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪 [続きを読む]
  • 26.沈床でグンゾを釣る
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ26.沈床でグンゾを釣る  グンゾという魚はハゼに似て腹に吸盤があり、全身真っ黒である。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆↓日々 [続きを読む]
  • 25.最上川に鯨が来た
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ25.最上川に鯨が来た昭和4年頃、学校に居た時突然鐘が鳴りだしたが、どこにも煙は見えない。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆↓日々 [続きを読む]
  • 24.土手下のコンクリート製水路逆水門
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ24.土手下のコンクリート製水路逆水門から西谷地(千石町)の田んぼに水を引くために、明治33年頃に作った水路である。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ [続きを読む]
  • 23.砂くずれで遊ぶ
  • 鵜渡川原の油絵は少年の日の思い出  にほんブログ23.砂くずれで遊ぶ現在の九木原公園北側に大きな砂くずれが出来ていた。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今回も、訪問いただいて誠にありがとうございます!またのご訪問を心からお待ちしております。ランキングに参加していますポチッと(*^_^*)  にほんブログ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆↓日々撮った写真を紹介し [続きを読む]