定成寛 さん プロフィール

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定成寛さん: サダナリデラックスブログ「サダログ」
ハンドル名定成寛 さん
ブログタイトルサダナリデラックスブログ「サダログ」
ブログURLhttp://sadanari.blog16.fc2.com/
サイト紹介文ジャズとロックと愉快な映画で、くつろぎのひとときをお過ごしください。
自由文1990年代末にジャズとロックと映画のWeb"サダナリ・デラックス"を運営していた、元・電線会社社員サダナリです。現在は独立、起業して、フリーライターと技術・経営コンサルタント。相変わらずの音楽や映画と日々雑感。10年振りに復活した、ブログ版サダナリ・デラックス"サダログ"です。
著書『二十一世紀ジャズ読本』(ブックマン社)、『新入社員「こんな時どうする?」』(日労研)ほか。連載多数。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供8回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2010/04/02 22:38

定成寛 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 第74回−テクノ御三家−その3・プラスチックスナンバーの記憶
  • 1980〜81年当時、プラスチックスの曲は自室で、ラジカセで聴いていた。中学3年だった80年はモノラル(SONY スカイセンサー5950)で、81年4月以降は高校入学祝いで買って貰ったステレオラジカセ(SONY METAL365)で。時間は深夜が多かったように思う。なぜか夜明け以降、4時、5時台の記憶が多い。既に夜は明けているが周囲は何の物音もせず、地球上にひとりだけ取り残されてしまったような状況で、延々とプラスチックスを聴いていた [続きを読む]
  • 第73回−テクノ御三家−その2・プラスチックスの特別さ
  • 中西俊夫の早すぎる死去をきっかけに書き始めたテクノ御三家について。「プラスチックス派、ヒカシュー派、Pモデル派に分かれる。そしてそれが、幼いながらもその人の趣味や性格を表し、ひいてはその将来までも…」というお話しの第二回。1979〜80年のテクノポップ大流行まで、パンクが最も進んだ音楽だと思って聴いていたので、パンクとマシンを完璧にミックスしたP-MODELにもシビれた(中学生のナケナシの小遣いで「ヘルス・エ [続きを読む]
  • 第72回−テクノ御三家−その1
  • プラスチックスの中西俊夫が亡くなってしまった。2017年2月25日、満61歳没。食道癌であった。昨年9月に既にステージⅢであると公表。治療のためのクラウドファンディングやチャリティシングルの制作、ライブイベントなどが繰り広げられていたが、発見からわずか半年で逝去。人間とはこんなにもあっけないものか。2009年6月に再婚した今村早里との間に生まれた男の子が、まだ幼くて…それを思うとやりきれない気すらしてくる。プラ [続きを読む]
  • 第71回−ニッポンのテレビジョン
  • アメリカ大統領選でのトランプ勝利後、NYトランプタワー前でレディ・ガガが掲げた「Love trumps hate.」−「愛は憎しみに勝る」を日本のテレビ局が「トランプは嫌い」と誤訳。「どう読めばそうなるんだ?」と日本中を唖然とさせたことは記憶に新しい。あのとき私は、「なんだか昔も似たような話があったなぁ…」と思った。2002年頃だったと思う。フジテレビで高校生のアカペラ・グループを応援する企画があり、優勝グループがニュ [続きを読む]
  • 第70回−年末に観るほっこり映画・その2
  • うううむ…「年末に観るほっこり映画・その1」というタイトルで11月に前回を書き、12月に「その2」をと考えていたが、さすがに年末は忙しく見事に年が明けてしまった。その2なしで次のテーマに進むのもヨロシクないので、簡単にもう1本採り上げる。「年末年始に観るほっこり映画」というのはちょっと強引か?!仕事納めのあと、2008年の12月30日頃に観たのがミシェル・ゴンドリーの『僕らのミライへ逆回転』だ。この映画、その年の10 [続きを読む]
  • 第69回−年末に観るほっこり映画・その1
  • 「新年会をやりましょう」と知人にメールし、いつにしようかと思っていたらもう11月も20日を過ぎた。一体どうなっているのだろう?!さて、子供が生まれる前、まだ夫婦二人で気ままに暮らしていた頃のこと、毎年年末になるとミニシアター系のちょっとした佳作映画を観に行っていた。選択方法はふたつあり、「なぜか年末にはほっこりした佳作が封切られる」という公開に合わせたものと、「数カ月前に封切られていたが見逃していた。ど [続きを読む]
  • 第68回−記憶の曖昧さと天国と地獄
  • 2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士の逸話で、大学院時代に仲間と観た映画で「登場人物が赤い服を着ていた」、「いや青だった」と議論になり、確認するためにもう一度観に行ったところ白黒映画だったというのがある。人間の記憶とはかくも不確かなものか、という実例だが、実は我が家にもよく似た話がある。両親も私も、黒澤明の現代劇の傑作『天国と地獄』(昭和38年・東宝)の大ファンなのだが、この映画のとても重 [続きを読む]
  • 第67回−冨田勲・賛−その4「本当の魅力」
  • 冨田勲のシンセサイザー音楽について、3回にわたって書いて来た。しかし私たち日本人にとって、冨田勲が忘れられない音楽家である理由は、シンセよりもなによりも、その作曲とアレンジにある。あまり語られないが、これに尽きる。つい先日、テレビ朝日の「題名のない音楽会」で冨田の特集をやっていたが、アレンジが酷すぎて途中で早送りしてしまった。まず「リボンの騎士」がシャッフルではなかった。あの曲はジャズのブルース進 [続きを読む]
  • 第66回−冨田勲・賛−その3「口笛吹き」
  • 前回、トミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたと書き、まずは有名な(?)「パピプペ親父」を紹介した。ふざけた内容のようだが、この度のトミタ逝去のあと「パピプペ親父」の文字をネット上のあちこちで目撃した。やはりみんな、気にしていたのだ。そして第二回。「口笛吹き」について触れる。これはもう、天国の音色だ。以下若干専門 [続きを読む]
  • 第65回−冨田勲・賛−その2
  • 冨田勲のシンセサイザー音楽は日本だけではなく世界的にも「トミタサウンド」と呼ばれるが、そのトミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたようだ。それはまるで手塚治虫の漫画に登場するヒゲオヤジやヒョウタンツギのような存在で…と書きかけたら、なんとその両者を比較するWebページが存在した! 驚いた!!さて、トミタサウンドの常連 [続きを読む]
  • 第64回−冨田勲・賛−その1
  • 冨田勲氏が亡くなった。初めて聴いたのが1977年、小学校6年生の時だ。以来40年近く。数々のアルバムを聴き、シンセサイザー音楽だけではなく映画やテレビでの優れた楽曲にも驚き、そして憧れだったトミタ風の「シンセサイザー・スタジオ」を高校・大学時代に自室に持ち…どれほどの影響を受けたかわからず、ごく最近も『タモリ倶楽部』での飄々とした姿(話の内容が実にタモリ倶楽部的で見事にハマッていた)に感動してしまったの [続きを読む]
  • 第63回−映画に対する初期的衝動
  • やたらと難しいタイトルですが、内容はたいしたことはありません(苦笑)。今でこそ映画本や映画評の執筆を生業にしているが、実は世に言う「映画少年」的な学生時代を送ったわけではなかった…ような、それなりに送ったような、かなり微妙なところである。ともかくラジオから流れる音楽が好きで好きで好きで、小学校の高学年から深夜放送を聴きまくり、ロクに睡眠も取らずに「宵っ張り」を超えるほど(朝まで)聴きまくり、両親 [続きを読む]
  • 第62回−フェイク・エスニック1989−後編
  • エスニック・ミュージック全盛の1980年代末、ワタシは正統派を聴かずにフェイクなものばかりを愛していたというお話し。前編の3ムスタファズ3に続いて、後編はブレイブ・コンボについて。1979年に米国・テキサスで結成されいまだ現役ながら日本語版Wikiもないこのベテラン・バンド(苦笑)、ジャンルは「パンク・ポルカ」だ。パンク、ニューウェイヴの嵐が世界中に吹き荒れていた1979年、テキサスのカール・フィンチ青年(当時28 [続きを読む]
  • 第61回−フェイク・エスニック1989−前編
  • 1980年代の終わり、88〜89年頃、全世界的に"ワールド・ミュージック"の大ブームがあった。どのエリアの音楽が流行ったかというと「全世界」。例えばアフリカからはサリフ・ケイタ(マリ)やユッスー・ンドゥール(セネガル)が、イスラエルからはオフラ・ハザが(←マジで最高だから聴いた方がイイ!!)、インドネシアからは"ダンドゥットの女王"エルフィ・スカエシが日本に紹介され大人気に。他にもシンガポールのディック・リー [続きを読む]
  • 第60回−映画評の正確さと誘惑
  • 今年の4月頃、アカデミー賞で話題となった『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と『セッション』という2本の映画をめぐって、日本のネットで色々な論争が起こった。『バードマン』超絶賛派&『セッション』糾弾派、『セッション』絶賛派、二作比較評論派などなど。ミュージシャンや音楽評論家、映画評論家が参戦(?)して熱い論争が繰り広げられたが、本稿はその対立が主題ではない。『バードマン』のカメラワ [続きを読む]
  • 第59回−10年刻み
  • 「1980年代の中の1960年代」という文章を4回書いたがなんとなく飽きてしまったので、前回で終了。4回を通じて言いたかったのは「テクノだニューウェイヴだと言われていた'80年代は、実はかなりの部分がその20年前、'60年代のリヴァイヴァルで成り立っていた」ということだ。それでは続く'90年代はどうだったかというと、面白いことにここでもこの「20年前リヴァイヴァル」は認められたように思う。先日、深夜のツイッターで'90年 [続きを読む]
  • 第58回−1980年代の中の1960年代−若大将も復活
  • 「1980年代の中の1960年代」4回目。前回、「クレージー映画と植木等が1980年代に突如復活」と書いたが、実はこの時期、同じ東宝の若大将シリーズも復活していた。なんだったんだろうあれは?!私は当時中学生だったが、これもまたうっすらと覚えている。まず1970年代の後半に、なぜか大学生の間で若大将シリーズのオールナイト上映が話題になった。1975年から79年頃のことだ。当時の大学生と言えば1950年代後半生まれ。加山雄三の [続きを読む]
  • 第57回−1980年代の中の1960年代−植木等の復活
  • 「1980年代の中の1960年代」3回目。1965年生まれで中学入学が1978年4月、高校卒業が1984年3月だった私だが、考えてみれば(時間的には)'60年代というのはそれほど遠い存在ではなかった…とはいうものの、カルチャー的にはずいぶんかけ離れたものになっていたが。その時間軸とコンテンツのギャップが、私のアタマの中に今日に至るまでずいぶんと不思議な印象を残している。植木等を主役に据えてクレージー・キャッツが助演した東 [続きを読む]
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