修ちゃん さん プロフィール

  •  
修ちゃんさん: 簾満月のバスの助手席
ハンドル名修ちゃん さん
ブログタイトル簾満月のバスの助手席
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/sudare-m/
サイト紹介文バスや鉄道のことそして生活のこと 通勤に旅行に暮らしに 見たまま思いっ記
自由文JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅を中心に
生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供157回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2010/04/02 19:33

修ちゃん さんのブログ記事

  • 日本国道路元標(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  広重描く「日本橋朝之景」では橋の袂に高札場が見受けられるが、丁度そのあたりになるのであろうか、現在の高札場になっている。 木や花が植えられ、数々のモニュメントが並び、重厚な瓦屋根の高札には橋の謂れや歴史などが刻まれている。そんな中に江戸幕府最後の将軍・慶喜の筆による「にほんばし」と刻まれた橋柱などもあり、それらを眺め、説明文を呼んでいると時間がどんどん過ぎていく。 今回の旅はこの橋を見に来たわけ [続きを読む]
  • お江戸日本橋(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  その「東海道」の出発点が、当時の日本の中心お江戸の「日本橋」であった。江戸幕府は整備した五街道(東海道、日光道、奥州道、中山道、甲州道)の起点を全てここに定めている。 その当時から重要な水運の航路であった日本橋川と交差する地に、橋が架けられたのは慶長8年(1603年)のことだ。川岸には高札場が有り魚河岸が有り、当時の町の中心であるばかりでなく、経済活動の中心的な場所であったらしい。 広重が描く有名な [続きを読む]
  • 旧東海道(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  関ヶ原の合戦で勝利し江戸に幕府を開いた徳川家康は、その翌年東海道に伝馬制を制定した。これは宿場ごとに人馬を置きそれを交代しながら引継ぎ、幕府の公用のための書状や荷物などを目的地まで円滑に運ぶための制度であったが、その整備には20年以上を要したと言われている。 江戸・日本橋から、京・三条大橋までの間に五十三の宿駅を定めた。しかしこの道の成立当初は、各地に関所を設け、川に橋を架けることを禁じたり、あえ [続きを読む]
  • 東京駅(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  久しぶりの東京である。鉄道の乗り潰し旅では何度も訪れている東京ではあるが、乗換に利用するだけで、中々降りる機会には恵まれてはいなかったので久々と言うことだ。 現役時代には東京駅で下車しても、殆どが八重洲口に降り立って用向きに真っ直ぐで、滅多に丸の内口に出ることは無かった。この日も新幹線を降り、一旦は八重洲口に向かいかけたものの、途中で踵を返してみた。駅舎が綺麗になったとの、随分前の報道を俄かに思 [続きを読む]
  • 阪和線から桜島線(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  和歌山からは阪和線で天王寺に向かうが、ここからは大阪環状線に乗り入れる紀州路快速が出ているので、ことさら阪和線を意識することは無い。阪和線は、和歌山と大阪の天王寺を結ぶ路線で、63.0Kmを36の駅で結んでいる。 阪和線の途中駅日根野は、関西国際空港への玄関口で、ここからは11.1Kmの関西空港線が接続している。日根野を出ると次がりんくうタウン駅で、南海電鉄の空港線も乗り入れている。 空港は大阪湾の沖合5?の [続きを読む]
  • 終点・和歌山(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)(2017年05月10日)
  •  紀伊田辺から出る電車の多くは御坊行だが、中には和歌山まで行くものもある。御坊では0番線で、紀州鉄道と接続する。この鉄道、営業キロ数が僅か2.7キロと言うミニ鉄道で、駅の数は5つ、平均時速は20キロと言う市内電車並みの速度で、終点の西御坊までを約8分で結んでいる。 古い鉄道地図で調べると、かつては更に数百メートルほど先の、日高川が太平洋に流れ込む河口辺りの港に終着駅が有ったようだが、廃止になっているJR [続きを読む]
  • 紀伊田辺(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  串本を出た列車は、西から少しずつ北に向きを変えながら、やはり海岸線に沿って進む。紀伊半島が海に落ち込む辺りだけに沿線は急こう配区間が有り、トンネルが多く、小さな曲りを幾つも繰り返しながら進む。 70分ほどで到着する途中の白浜は、「アドベンチャーワールド」や、南紀白浜温泉が知られた人気の地である。且つては東の熱海、西の別府と並んで新婚旅行の人気地として知られた時期もあった。 その先で、車窓に賑やかな [続きを読む]
  • 軍艦・エルトゥールルの悲劇(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  潮岬半島から平成11年に架けられたループ橋とアーチ橋の二本の橋を渡り、紀伊大島に入る。海を臨むことが殆ど無い、島の中央部を貫いている道を東に向かうとそこが樫野埼だ。ここには日本最古の石造り灯台である樫野埼灯台が建っている。 この辺りは黒潮が岬にぶつかることにより、海蝕が進む崖や岩礁が入り組んだ、複雑で厳しい海岸線となっている。近くの海金剛は「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれている。 そん [続きを読む]
  • 本州最南端・潮岬(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  紀伊山地から延びた陸地が、半島となって太平洋に突き出し、海に激しく落ち込む潮岬半島の突端が潮岬である。本州最南端の地で、東京都の八丈島とほぼ同じ緯度に位置している。ここは、台風の進路予想などではお馴染みの場所だ。「台風〇号は、潮岬の沖合〇キロ付近を、北北東に向けて・・」などと良く耳にする。 その岬の先端には「望楼の芝」と呼ばれる広大な芝生広場が広がっている。むかし日清戦争を受けて海軍が造った物見 [続きを読む]
  • 橋杭岩(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  「ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ巡航船・・・♪」列車が串本駅に到着する少し前、車窓左手にはその大島が見えて来る。それは正式には紀伊大島と言うらしい。東西約8Km、南北約2.5Km、周囲が28kmほどで、島に住む人口も2000人を数えると言う和歌山県下では最大の島である。 かつてはその島に向け、フェリーや巡航船が頻繁に行き来していたそうで、就航した当初は20分ほどを要したらしい。離島振興策により島に念願の橋 [続きを読む]
  • ここは 串本(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  紀伊勝浦を出た電車は、鯨の町・我が国の捕鯨発祥の地として知られた太地(たいじ)に向かう。捕鯨の歴史は古く、すでに鎌倉時代から行われていたようで、事業として盛んに行われるようになるのは江戸時代の初期らしい。当時は船団を組んで、マッコウクジラやセミクジラなどを手突きの銛で獲る突捕漁であったと言う。 近年になって、国内では最後と言われるイルカの追い込み漁が、当地においては伝統的漁法、連綿と続く文化であ [続きを読む]
  • マグロの町(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  那智勝浦の港周辺に広がる広場の横には、無料で利用が出来る足湯「海乃湯」や「鮪乃湯」なども有る。この広場では、毎週日曜日の朝、生マグロや海産物、農産物などを販売する「にぎわい広場」が開催される。 その目の前にある漁港の市場では、南紀勝浦温泉の宿泊者に限り、市場での競り体験ができるらしい。一般客向けには早朝に、魚市場2階の観覧フロアから、はえ縄漁で捉えた近海マグロのセリ風景を見学することが出来る。ま [続きを読む]
  • 紀伊勝浦(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  那智から紀伊勝浦までは二駅、5分ほどで到着する。JR東海の特急「ワイドビュー南紀」の多くが、ここまで乗り入れていて、関西圏方面への接続駅に成っている。その関西圏からは特急「くろしお」が乗り入れている。 大正元年12月に開業した駅は、元々「勝浦」と呼ばれていた。しかしその1年後に開業した千葉県を走る外房線の勝浦駅と区別するために、昭和9年7月にこちらには「紀伊」が付けられ「紀伊勝浦」と変更になっている。 [続きを読む]
  • 那智青岸渡寺(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  お土産屋さんなどが建ち並ぶ473段の石段参道の分かれ道で、左に取れば、「熊野那智大社」に行き、右に取れば仁王門を潜ってその境内のすぐ隣に立つ「那智青岸渡寺」に行き着く。 共に熊野信仰の中心的な古社で、古くから多くの参拝者を集めてきた。元々ここは神仏習合の修験道場で、明治の分離令が出た後も、仏殿が残りその後今日の寺として復興された歴史を秘めている。一重杮葺き入母屋造りの本堂は、豊臣秀吉が再建したと伝 [続きを読む]
  • 那智熊野大社(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  多少息が上がり始めるころ、ようやく石段を登りきると、そこには那智山スカイラインに通じる道路の脇に設けられた駐車場があった。ここからはさらにお土産屋さんなどが建ち並ぶ473段の石段参道が待っていて、そこから先を見上げれば、木立の隙間から赤い社殿が望まれる。 それを登りつめ、朱塗りの鳥居をくぐると境内へと入り込む。そこには「熊野速玉大社」「熊野本宮大社」と並ぶ熊野三山の一つ、熊野信仰の中心地である「熊 [続きを読む]
  • 苔むした色の古道(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  まるで坂道への入り口門のように両側に聳え立つ夫婦杉を過ぎると、杉や楠が鬱蒼と茂る木立の中に、苔むした石段道が緩やかに登っていく。 那智山を目指す熊野道は、都より凡そ80里、往復すると一か月を要したと言われている。その最後の難関がこの大門坂で、参詣道はその距離650m、石段は267段、標高差100mほどの道だ。 雨の多い地域に有って、参道を守るために石畳が敷かれたと言われているが、山深い地にこれだけの道をよ [続きを読む]
  • 熊野古道・大門坂(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  田辺から海沿いに紀伊勝浦を経て、那智を結ぶ「熊野古道」の一つ大辺路は、「熊野三所大神社」の辺りで終点となり、ここから中辺路、或は伊勢路へと引き継がれる。その中辺路の一部とされ、ここから那智山に至る熊野古道「大門坂」が、この付近には残されている。 「熊野三所大神社」と「補陀落山寺」を背に、那智川に沿った県道を山に向かい5キロほど行くと無料の大門坂駐車場が有る。車で訪ねるならここが拠点となるが、那智 [続きを読む]
  • 補陀落渡海信仰(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  那智駅前から世界遺産・熊野古道巡りのスタートとなるのが、道の駅の前を走る国道42号線の向こうに見えている。こんもりとした森に佇む「熊野三所大神社」と「補陀落山寺」だ。熊野詣でが「蟻の熊野詣」と言われるほど盛んであった頃は、丁度この辺りが中辺路・大辺路・伊勢路の分岐地であったらしい。 当時は「浜の宮王子社」と呼ばれていて、那智山を参拝する前にこの那智の浜(補陀落浜)で心身を清める潮垢離を行った場所と [続きを読む]
  • 名駅舎・那智 (JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  新宮から15分も乗ると那智に到着する。駅の前には太平洋が広がり、海岸は那智海水浴場(ブルービーチ那智)でホームからも良く見える。ここは無人駅ながら、名駅舎として知られている、開業百周年を迎えた駅だ。 朱塗り柱に白壁が映え、黒瓦葺きの神社風建築は那智大社などを模したものだ。この駅舎は真正面から見るよりも、石碑が建つあたりの、やや斜めから屋根の重なりを眺める方が、より美しさが際立って見える。 そのビュ [続きを読む]
  • 世界遺産「熊野古道」(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  2004年ユネスコの世界遺産に登録された「熊野古道」とは、古代から中世にかけて信仰が高まった熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通ずる参詣街道の総称である。 そのルートは幾つも有り、その内の田辺から本宮に向かう中辺路は、最も多くの参詣者が歩いたと言われている。このほかにも田辺から海岸沿いに那智・新宮に向かう大辺路や、高野山から熊野本宮に向かう小辺路が知られている。 又日本人にとっ [続きを読む]
  • 新宮 (JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  尾鷲を出て、厳しい地勢のリアス式海岸を幾つかのトンネルで抜けると熊野市で、ここから先はいよいよ太平洋の海岸線が近づき車窓を楽しませてくれる。 三重県の最南端、紀宝町はウミガメが産卵に来るまちとして知られている。町内を貫く国道42号線には道の駅があり、ここにウミガメ公園が併設されている。地元の産物のほか、ウミガメグッズなども販売され、水槽では悠々と泳ぐウミガメを間近に見ることが出来る。 その先で三重 [続きを読む]
  • 雨の町・尾鷲(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  紀伊長島を過ぎると、太平洋・熊野灘はいよいよ車窓に近くなる。しかしこの辺りの海岸線は、小さな半島が幾つも海に突き出す厳しい地勢のリアス式海岸で、列車はそんな半島の付け根を貫く、幾つものトンネルで駆け抜けて行くので思う存分に・・と言うわけには中々いかない。 それでもトンネルを抜けるたびに目前には碧い海が、広く大きく飛び込んでくる。そこには白砂の美しい海岸があり、はたまた奇岩怪石が聳え立つ、荒磯であ [続きを読む]
  • 赤い道路橋(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  この長島神社の社叢(しゃそう)は、スギやクスノキのほかイヌマキ、スダジイ、ヤマモモなど暖地性の植物群が三重県の天然記念物の指定を受けているそうだ。 そこから暫く走ると海に出る。歩きなら駅から二三十分と言ったところである。 そこに漁協の卸売市場が有ったが、もうすでに取引が終わった刻限で人影もなく閑散としていた。海辺には喫茶店や食事処などの他、何軒かの魚介類を販売する店も並んでいるたが、観光客らしき [続きを読む]
  • 紀伊長島(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  紀勢本線は、多気で参宮線と別れると伊勢の国を離れ、いよいよ紀伊の国を目指す。その国境に立ち塞がるのは、25‰の勾配で待ち構える荷坂峠だ。しかし列車は、1914mの荷坂などの大小トンネルを幾つも潜り抜けながら難なく超えていく。軽快にそれを抜けると目の前に太平洋・熊野灘が広がり、今度は急坂を一気に駆け下りその先で紀伊長島に到着する。 亀山や多気から出る下り列車の多くは新宮まで行くが、格別に理由が有るわけで [続きを読む]
  • おかげ横丁(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  「おはらい町」の再生は、伊勢が最もにぎわった江戸から明治の時代の風情を再現しようとするもので、切妻・入母屋瓦葺の木造建屋が、妻入りで建ち並ぶ町並みの復元であった。 通りに面したコンビニですら、その仕様に合わせる徹底ぶりには驚かされる。神宮の正殿などが平入で建てられていることから、それと同じでは畏れ多い事から妻入りとした伊勢特有の景観であると言う。 更に61回目の式年遷宮に合わせ、おはらい町に隣接し [続きを読む]