修ちゃん さん プロフィール

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修ちゃんさん: 簾満月のバスの助手席
ハンドル名修ちゃん さん
ブログタイトル簾満月のバスの助手席
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/sudare-m/
サイト紹介文バスや鉄道のことそして生活のこと 通勤に旅行に暮らしに 見たまま思いっ記
自由文JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅を中心に
生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供155回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2010/04/02 19:33

修ちゃん さんのブログ記事

  • 高千穂神社(高千穂ドライブ旅)
  •  町の中心地に鎮座する高千穂神社は、今から約1800年前に創設されたと伝えられる、高千穂八十八社の総社である。大鳥居を潜り石段を上がると境内にご神木の夫婦杉が聳えている。ここでは神楽の始まりとされる、笹ふり神楽の奉納が毎年旧暦の12月に行われていると言う。 この日、JA直営のレストランで早めの夕食を終え、夜7時前に神社に来て見ると、既に神楽の開演を待つ観光客が、日没後の寒さに震えながら何人か待っていた。こ [続きを読む]
  • 神々の里・神話の里(高千穂ドライブ旅)
  •  神話の里と言われる「高千穂町」には町中の至るところで神々と神話にまつわるモニュメントを目にすることが出来る。そこには伝承を伝える説明板も掲げられているので、そんなもので神話への造詣を深めてみるのもこの町の楽しみ方だ。そのためには車で回るよりも、ゆっくりと歩いて回る方がこの町にはふさわしいのかもしれない。 昔から神話は、神楽としてこの地に残されていて、はっきりとした文献ではその起源を西暦1313年と伝 [続きを読む]
  • 高千穂のブランド牛(高千穂ドライブ旅)
  •  少し古い資料だが、高千穂町企画観光課が発表した平成24年の観光統計を見ると、一年間に同町を訪れた観光客数は、前年より2.4万人余り増え、137.3万人ほどで3年ぶりの増加で有ったと言う。その内、宿泊数を見るとこれも前年と比べ増えていて、13.5万人ほどである。この数字から見ると凡そ10人に一人が泊り客と言うことに成る。 観光パンフレットによると、「高千穂町」にはホテルや旅館、民宿など合わせて30軒余りが紹介されて [続きを読む]
  • 高千穂峡(高千穂ドライブ旅)
  •  30万年前から大噴火を何度も繰り返した阿蘇山の、9万年前の噴火では、その噴出物は九州の半部を覆い、火砕流台地と言われる平原を形成したと推定されている。 ここ高千穂町を代表す観光地である高千穂峡は、その噴火の折り噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れだし、その後急速に冷却され固結したものが更に浸食によって形成されたV字渓谷である。 地図で見ると解るように、阿蘇から高千穂までは直線距離で30キロほど [続きを読む]
  • 槵觸(くしふる)神社(高千穂ドライブ旅)
  •  かつて高千穂郷には500余りの神社があったと言われている。今「高千穂」を、神々の里と言う謂れである。 町の観光パンフレットを見ると、天岩戸神社をはじめ、高千穂神社、槵觸(くしふる)神社、荒立神社、秋元神社など多くの神社が観光スポットとして取り上げられている。又周辺のガイドマップにもこれらの他に、幾つかの神社の所在地が記されていて、そうした神社の多くには、神々にまつわる伝説が残され、そのことが「高 [続きを読む]
  • 天岩戸神社・東本宮(高千穂ドライブ旅)
  •  天安河原宮を参拝のあと、入り口付近にある茶店に入って休憩した。雨が降るからか、山の中で川が近いせいか、この時期にしては異常な寒さを感じる日で、茶店で出されたシイタケ茶の暖かさが身に染みて美味い。 女店主が、「東本宮はお参りされましたか?ここまで来られたのだから是非お参りをして」と勧めてくれた、東本宮に向かってみる。 先ほどお参りした天岩戸神社は「西本宮」と言われる社で、岩戸川を挟んだ対岸に「東本 [続きを読む]
  • 天安河原宮(高千穂ドライブ旅)
  •  太陽神であるアマテラスオオミカミが、スサノオノミコトの行状に怒り、天岩戸にお隠れになり磐戸を閉め籠ったため、その支配する高天原も葦原の中つ国(日本の国)も暗闇に包まれてしまった。 しかもその後、疫病が流行り、不作が続くなど、さまざまな災いが起こったので、八百万の神々は困ってしまい、皆が寄り集まって対応を協議したと神話は伝えている。その神々が寄り集まって協議したとされる場所が天安河原である。 天岩 [続きを読む]
  • 天岩戸神社(高千穂ドライブ旅)
  •  何時降り出してもおかしくない曇り空から、雨が一粒、二粒と落ちてきた。カーナビに導かれ、丁度天岩戸神社の駐車場に向かう坂を降り始めた時だ。 国道325号線から国道218号線で高千穂の町に入り、馬門で県道7号線に入る。曲がりくねった県道は、左程広くは無いが、行きかう車も少なく、走りやすい。凡そ6キロの道のりは、長閑な山里の風情で何とも癒される。 岩戸集落の中心街を抜け、右折すると正面に門前の商店があり、そ [続きを読む]
  • いきなりだんごとかかし(高千穂ドライブ旅)
  •  宮地を後に国道265号から国道325号に入り、高森峠をトンネルで抜け、奥阿蘇と言われる地域に入り、途中奥阿蘇物産館に立ち寄ってみた。 嬉しいことにここには熊本名物、「いきなりだんご」が店先に並んでいた。「いきなりだんご」と言うのは、サツマイモを輪切りにしたものと小豆餡を、餅生地で包み蒸したこの地方の郷土菓子である。突然の来客でも、時間を必要とせず手軽に家庭で作れると言うのが、名前の由来らしい。 以前九 [続きを読む]
  • 水基の町(高千穂ドライブ旅)
  •  阿蘇神社の門前には、どこか懐かしい雰囲気の良い町並みが残されている。阿蘇の風を受け、濃い緑を感じながら小鳥たちのさえずりを聞き、通りをゆっくりと歩くと、あちこちから水のこぼれる心地よい音が聞こえてくる。ここは水が出る基(水基)、水基巡りが楽しめる町としても知られている。 車で通り抜けてしまえばほんの瞬間だが、やはりここでは車を降りて、ゆっくり時間をかけて歩き、見て、楽しみたい、そんな町の通である [続きを読む]
  • 阿蘇神社(高千穂ドライブ旅)
  •  飯田高原を経て途中から県道11号線を走り、豊肥本線の宮地駅にやってきた。以前鉄道でこの地に来たときはここから歩いて肥後一宮・阿蘇神社を訪ねている。駅からは1.5Kmほど離れていて、20分余りを要したと覚えている。 阿蘇神社は阿蘇の国造りの主など十二神を祀る、肥後の一宮として古代から重要な位置を占めてきた古社である。 三つの神殿と楼門、脇門は天保から嘉永年間にかけて、細川藩が十数年に及んで、巨額の費用を [続きを読む]
  • 熊本地震(高千穂ドライブ旅)
  •  何時ものことながら旅行から帰って暫くは、その思い出に耽っていると言う訳でもないが、何もせず悪戯に時を過ごしている。そしてある日突然「あっ、まとめなきゃ」と思い立ち、やたら撮りまくって来た写真を取捨整理し、持ち帰ったパンフレットや入場券などをスキャナーで取り込んで保存する。昔から身についた習性だ。 それらを時系列的に眺め、己の記憶と照らし合わせながら、ようやくパソコンに向かいブログの記事を書き始め [続きを読む]
  • 九重“夢”大吊り橋(高千穂ドライブ旅)
  •  久しぶりのドライブで、山陽道から関門橋を渡り、九州道、大分道と乗り継いで、九重ICで高速を降りた。この日は、「高千穂」を目指す道すがら、ここから国道210号線を経て県道40号線に入り、少し寄り道をする。 重く鈍よりとした曇が低く垂れ込め、昼前だと言うのに辺りが夕方のように薄暗い陰鬱な日であったが、雨が落ちてくることは無かった。そんな天候とは裏腹に、沿道の山々では所々で木々が既に紅葉をはじめ、緑の中に赤 [続きを読む]
  • もう一つの「高千穂」(高千穂ドライブ旅)
  •  天照大神が統治する高天原から、その命を受けたニニギノミコト(天孫)が下りてきて(天降り)、日本国を治めるようになった。 その子孫が歴代天皇で、「日本書紀」では、神武天皇が2月11日に即位したと伝え、その日は国民の祝日の一つである建国記念の日となっている。一昔前は、紀元節と言われた日である。 その紀元節世代の人々の多くは、この天孫降臨を「日向の高千穂」、宮崎県南部に位置する高原町の「高千穂の峰」だと [続きを読む]
  • 二つの「高千穂」(高千穂ドライブ旅)
  •  宮崎県には「高千穂」が二か所ある。一つは県の南部(日向)、鹿児島と県境を接する霧島連峰の第二峰、標高1573mの「高千穂の峰」であり、その中腹には「高千穂河原」もある。 四十数年前の大晦日、当時霧島神宮前にあった霧島高原Y.H.に泊まったことがあったが、その日は「ペアレントと共に、宿泊者全員で年越しを祝った」と自身の旅の記録には書き残している。 深夜3時に宿を出て、約3時間の徒歩行で「高千穂河原」を目指 [続きを読む]
  • パワースポット(高千穂ドライブ旅)
  •  近頃矢鱈と「パワースポット」と言う言葉を耳にする。これは霊的な特別な力(パワー)が溢れ大地のエネルギーが頂ける場所のことで、昔から地球上には数多く存在しているとされてきた。 国内でも古くは「熊野詣で」や「お伊勢参り」、霊峰と敬われてきた「富士登山」等が知られているようで、それらは神聖な霊地として昔から信仰の対象とされた場所である。 しかし最近では信仰とは係わりも無く、「パワースポット」をスタンプ [続きを読む]
  • 武蔵の国境(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  地蔵尊が鎮座しているこのあたりが、武蔵と相模の国境付近に当たっていた。かつてはここにはそれを示す木製の傍示杭(ぼうじぐい)立てられていた。国の境に木杭が建てられていたことがこの地の地名の謂れとなっている。今日では「武蔵国境の木」と書かれた角柱のモニュメントがその代役を務めている。 またこの地は、境木立場の跡である。立場と言うのは宿場と宿場の間に、馬子や人足などの休息のために設けられた場所で、ここ [続きを読む]
  • 境木の地蔵尊(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  境木中学校前のバス停で旧街道は右に曲がる。ここを左に160mほど取れば、街道で行き倒れた人馬を葬ったと言う跡に、供養の投げ込み塚の碑が立っている。 旧街道の権太坂もここまで来ると上りもあと僅かで、ほぼ平坦に見える道を暫く進む。やがて前方に緑濃い森のようなところが見えてくる。標高で言えば72mほどのサミットで、そこが武蔵の国と相模の国の境である。 ここには地元の信仰が厚いと言う地蔵尊が鎮座している。又 [続きを読む]
  • 坂とスカート(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  上り坂は本当に苦手である。すぐに息が上がってしまう。前屈みでゆっくり、ゆっくり、一歩また一歩と進めていると、女子高生が二人談笑しながら軽快な足取りで追い越していった。すぐ下に県立の高等学校が有ったので、そこの学生であろうか。 前に出たとたん「見ないで!!」とでも言っているかのように、しきりに短いスカートの裾を後ろ手で押さえている。「そんなつもりはないぞ〜」と叫びたいところだが、女子高生の後ろを追 [続きを読む]
  • 権太坂(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  神奈川宿の台町で最初の上り坂を経験した旅人には、保土ヶ谷宿を出ると、本格的なさらに厳しい坂登りが待っている。権太坂である。正月の箱根駅伝では、最初の難所であり、勝負所としてその名を知られている。とは言え、駅伝の走路と旧街道は全く別なルートである。 神奈川・台町の坂が20mほどの標高であったのに比べれば、ここは70mを越える高さまでのぼり、さらに焼餅坂、品濃坂などの上り下りを繰り返す。 岩崎ガードの辺 [続きを読む]
  • 街道の松並木(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  再び旧街道に戻り、東海道本線を越えると、その先で国道1号線に突き当る。街道はここで直角に右に曲がり、そんな道路の向こう角に保土ヶ谷本陣跡がある。本陣はその土地の最も有力な名主や庄屋が務めているが、この刈部家も代々小田原北条氏家臣の家柄だそうだ。 本陣が混雑した際、その代役をなすのが脇本陣である。この宿場には藤屋・水屋・大金子屋の三軒が控えていて、消防署のあるあたりが跡地らしいが何れも昔の建物は残 [続きを読む]
  • 程ヶ谷宿番所(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  その横に「程ヶ谷宿 番所」と書かれた木札を掲げ、軒下に「宿場通り」の暖簾を下げる施設が有った。丁度昼時でもあり、近くのコンビニで買い込んだお弁当を、その前に置かれた木製の椅子を借りて頂こうかと声をかけると、中ではかつて妙齢のご婦人方数人が談笑中で「それならここを使って」と室内に場所を空けてくれた。 話を聞くとここは、宿場を散策する人々の案内やトイレを提供する施設だそうで、ボランティアが交代で詰め [続きを読む]
  • 保土ヶ谷宿(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  相鉄の天王町駅から、天王町商店街を抜けると、ここらあたりが保土ヶ谷宿の始まりである。保土ヶ谷税務署の近くに助郷会所跡、問屋場跡、高札場跡の標柱が立っている。 問屋場とは公儀御用の書状や荷物、人足や馬の手配、大名の宿泊の世話などを担う、宿場の中では最も重要な施設のことで、主にその町の有力者がその任に当たったと言う。 また宿場で用意された人馬が足りない場合の、所謂応援動員が助郷と言われるもので、それ [続きを読む]
  • 洪福寺松原商店街(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  西口ランプのところで首都高速を越え、「有るもンだナァ・・・」と、ここ南軽井沢でその地名に感心しながらその町中を抜ける。公園では「軽井沢」の住人であろうか、お年寄りたちが何かゲームを楽しんでいる。 途中右手に「浅間神社」の鳥居が立っていた。その足元に「この上に浅間保育園有り」と書かれた看板が建てられている。見れば小高い丘に向かい石段の参道が伸びている。こりゃ・・・大変だ。毎日の送り迎えで足腰が鍛え [続きを読む]
  • 神奈川宿・台町(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  神奈川宿の台町の坂道には茶店が建ち並び、その向こうには一里塚であろうか、大きな木も描かれている。塚に植えられた榎の木陰で休息をとる旅人の姿が目に浮かぶようだ。そこからは青い神奈川の海を見下ろせる景勝の地であったようで、広重の「東海道五十三次 神奈川台之景」にもそれがはっきりと描かれている。 かつてこの宿場には1300軒もの料亭が有ったと言われているが、現存するのは広重の絵にも描かれた「さくらや」を今 [続きを読む]