修ちゃん さん プロフィール

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修ちゃんさん: 簾満月のバスの助手席
ハンドル名修ちゃん さん
ブログタイトル簾満月のバスの助手席
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/sudare-m/
サイト紹介文バスや鉄道のことそして生活のこと 通勤に旅行に暮らしに 見たまま思いっ記
自由文JR営業線乗潰しの旅、四国歩き遍路の旅を中心に
生活で毎日見たこと感じたことを投稿しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供155回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2010/04/02 19:33

修ちゃん さんのブログ記事

  • 神奈川宿・台町(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  神奈川宿の台町の坂道には茶店が建ち並び、その向こうには一里塚であろうか、大きな木も描かれている。塚に植えられた榎の木陰で休息をとる旅人の姿が目に浮かぶようだ。そこからは青い神奈川の海を見下ろせる景勝の地であったようで、広重の「東海道五十三次 神奈川台之景」にもそれがはっきりと描かれている。 かつてこの宿場には1300軒もの料亭が有ったと言われているが、現存するのは広重の絵にも描かれた「さくらや」を今 [続きを読む]
  • 最初の試練(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  ここまでの旧東海道は、かつての海岸線近くを行く高低差の少ない比較的楽な道のりであった。ここ神奈川宿に入り宿町の中ほどで道がカギ状に折れ曲がると、そのあたりからは台町と言われる急な上り坂が始まる。 上り始めた坂の両側は、今では新しいビルや高層マンションばかりである。その途中には、門前に日本橋から数えて七つ目にあたる旧一里塚が置かれていたと言う大綱金刀比羅神社が有るが、今その痕跡はどこにも見当たらな [続きを読む]
  • 神奈川宿(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  結局「生麦事件の碑」を見つけられないままキリン横浜ビアビレッジの前で、第一京浜国道に出て、神奈川宿を目指す。日差しがきつくなり気温も上がってきた。国道歩きは暑くておまけに車の騒音で騒がしいし、横切る道路も信号も多く、車や自転車にも気が抜けなくて少しも楽しくない。 京急の神奈川新町駅を過ぎ、神奈川公園のところで国道を右に外れ、宮前商店街の通に入ってきた。どうやらここらあたりからが神奈川宿らしい。こ [続きを読む]
  • 鶴見魚河岸通り(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  再び旧道に戻り下野谷町で第一京浜国道を横切り、その先でJR鶴見線の高架を潜る。右手が国道駅だ。高架下のこの雑然とした雰囲気は昔と変わっていない。ここはいつ見ても懐かし昭和の香りがプンプンとしている。 生麦魚河岸通りに入ってきた。魚など魚介類を扱う店が犇めく通りで、すし屋や料理屋などプロが通う店が多いとされるが、一般の小売りもしてくれるので、単身赴任していたころは酒の肴を求めに何度も足を運んだ通り [続きを読む]
  • 鶴見・よねまんじゅう(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •   市場の一里塚を見てその先で、鶴見川を渡り、懐かしい町に入ってきた。40代前半の頃、単身赴任で3年余を過ごした町・鶴見である。当時住んでいたJR駅西口近くのマンションは?西友だったか京急だったか、よく夕食を調達したストアはまだ残っているのだろうか。時々立ち寄った居酒屋は、食堂は、あの和菓子屋は・・・。 寄り道をしたいところではあるが、残念ながらルートからは外れている。しかし和菓子屋だけは少し足を延 [続きを読む]
  • 川崎宿(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  川崎は人口147万人余り、全国第七位を誇る大都市で、県庁所在地ではない市町での人口は、全国最大だ。多摩川を挟んで東京と、また神奈川の県庁所在地横浜に隣接し、そのベッドタウン的な性格を持つ町だと言う。 六郷大橋からも、幾つも天に向って延びる高層マンションを目にして来たので、そのことはなるほどと実感することが出来る。 旧東海道は六郷川を渡ると橋のたもとで右折し、町中を道なりに突き抜けていく。通には飲食 [続きを読む]
  • 六郷大橋(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  第一京浜国道を進み、そのまま六郷大橋を渡る。ここで多摩川を越えれば東京とはお別れで、神奈川県の川崎市に入って行く。 東海道が整備された折り、この川には徳川家康により大橋が架けられた。これは両国と千住に架けられた橋と共に、江戸の三大大橋と言われるほどの橋であったが、大洪水で流失してしまい、その後は橋を架けられることもなく、200年もの長きにわたって六郷の渡しと呼ばれる渡し舟の時代が続いたそうだ。新た [続きを読む]
  • 第一京浜国道(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  鈴ヶ森の刑場跡を見て、京急線の大森海岸駅の手前で国道15号線、所謂第一京浜国道に出てきた。さすがに東京と横浜を結ぶ幹線道路である。この国道は、旧東海道の神奈川宿辺りまでのルートがほぼ重なるため、しばしばこうして車の喧騒を聞きながら歩くことになる。 大森の海水浴場は、明治24年八幡海岸に開設されたのが最初と言う。当時の海岸線はこの国道近辺まで来ていたそうだから、明治34年に出来た京急の大森海岸駅(当時の [続きを読む]
  • 鈴ヶ森の刑場(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  お仕置き場、鈴ヶ森の刑場が人通りの多い街道沿いにつくられたのは、浪人などによる犯罪が増加傾向にあったことから、刑を見せしめにするためと言う。ここでは明治に入り廃止されるまでのおよそ220年の間に、10万とも、20万人とも言われる処刑が行われたらしいが、これらを証明する記録は残されていないそうだ。 国道の拡幅で当時の姿を留めないと言う敷地内には、墓標や供養碑、祠・石仏、石柱、井戸や供花台、「火炙台」や「 [続きを読む]
  • 涙橋(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  北品川宿を抜け、南品川宿との境を流れる目黒川に架かる品川橋を渡る。江戸時代には境橋と呼ばれていたそうだ。当時このあたりでは農民が自作の野菜や山菜などの青物を持ち寄って売りさばいていた。そんな青物横丁から鮫洲の商店街を進む。更にその先で、立合川が海にそそぐ河口近くに架かる浜川橋を渡る。今は何の変哲もない町中の普通の橋である。 橋を渡れば左手にしながわ区民公園があり、その向こうには大井競馬場が有る。 [続きを読む]
  • 品川宿(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  東京ディズニーランドが出来てまだ間のない頃、そこで終日遊んだあと、子供たちを連れ泊まった宿がこの駅前に有った高輪プリンスホテルである。 当時のことは早や記憶も薄らいで何となく思い浮かぶ程度だが、周囲には随分と高層ビルが増え、街がきれいになり、ホテルも建て替わっているようで、そんな変貌し過ぎた姿にはあまり懐かしさも感じられない。 八ツ山橋を越え、山手線、東海道新幹線、京急線を越えれば、品川宿である [続きを読む]
  • 弥次・喜多の旅立ち(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  「お江戸日本橋 七つ立ち・・・♪」昔の旅人は、今で言う午前4時ころ、まだ夜も明けやらぬ暗い中、提灯に明かりを灯し、日本橋を渡り、東海道を歩き始めたそうだ。そこから高輪の大木戸までは6キロ余り、ゆっくり歩いても二時間足らずの距離だ。 東海道五十三次歩きを思い立ち、何かの参考にでもなればと出発前、改めて十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」を読み直してみた。主人公・弥次さん喜多さんもてっきりそうしたものと思 [続きを読む]
  • 高輪の大木戸跡(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  右手に「東京タワー」が見え隠れし始めている。大門の交差点からは、芝増上寺であろうか、瓦屋根を被った山門らしき建物が窺えるが、行きかう車や、駐車中の配送車両などに隠されて良く見えない。 その先で金杉橋を渡る。左手奥を流れる芝浦運河に通じる古川らしいが、殆ど高速道路が覆いかぶさっていて、陽が当たらないし、魚も住めないだろうなどと、川がかわいそうに思えてくる。そんな川にも漁船や釣り船に交じって、提灯を [続きを読む]
  • 新橋(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  京橋、銀座を抜け、新橋に掛かる辺りで「銀座柳の碑」を見る。さすがにこのあたりまで来ると、銀座の喧騒は無くなり、人の流れの雰囲気は今までのそれとは少し変わり、妙な落ち着きが感じられる。 高速道路を潜り、新橋駅を見てその先で新幹線のガードを潜る。不思議なことに、あちこちで「新橋」と言う文字を目にすると、知らず知らず鉄道唱歌を口ずさんでいた。『汽笛一声新橋を・・・』が、どうも歩調にはよく合うようだ。  [続きを読む]
  • 中央通り(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  橋の袂の交番前で、国道1号線の道路標識を確認し、中央通りを歩き始める。とは言え1号線はその先の交差点で右に逸れてしまうので、そこからは国道15号線と呼ばれる幹線道を行くことになる。 日本を代表する通りである。テレビや新聞・雑誌などでお目にかかる企業や銀行、商店、飲食店、老舗のデパートなどが軒ならぬ巨大なビルを並べていて、さしずめそのビルの谷間を歩くイメージだ。  そんな中京橋に差し掛かると「警察博物 [続きを読む]
  • 日本国道路元標(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  広重描く「日本橋朝之景」では橋の袂に高札場が見受けられるが、丁度そのあたりになるのであろうか、現在の高札場になっている。 木や花が植えられ、数々のモニュメントが並び、重厚な瓦屋根の高札には橋の謂れや歴史などが刻まれている。そんな中に江戸幕府最後の将軍・慶喜の筆による「にほんばし」と刻まれた橋柱などもあり、それらを眺め、説明文を呼んでいると時間がどんどん過ぎていく。 今回の旅はこの橋を見に来たわけ [続きを読む]
  • お江戸日本橋(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  その「東海道」の出発点が、当時の日本の中心お江戸の「日本橋」であった。江戸幕府は整備した五街道(東海道、日光道、奥州道、中山道、甲州道)の起点を全てここに定めている。 その当時から重要な水運の航路であった日本橋川と交差する地に、橋が架けられたのは慶長8年(1603年)のことだ。川岸には高札場が有り魚河岸が有り、当時の町の中心であるばかりでなく、経済活動の中心的な場所であったらしい。 広重が描く有名な [続きを読む]
  • 旧東海道(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  関ヶ原の合戦で勝利し江戸に幕府を開いた徳川家康は、その翌年東海道に伝馬制を制定した。これは宿場ごとに人馬を置きそれを交代しながら引継ぎ、幕府の公用のための書状や荷物などを目的地まで円滑に運ぶための制度であったが、その整備には20年以上を要したと言われている。 江戸・日本橋から、京・三条大橋までの間に五十三の宿駅を定めた。しかしこの道の成立当初は、各地に関所を設け、川に橋を架けることを禁じたり、あえ [続きを読む]
  • 東京駅(東海道歩き旅・武蔵の国)
  •  久しぶりの東京である。鉄道の乗り潰し旅では何度も訪れている東京ではあるが、乗換に利用するだけで、中々降りる機会には恵まれてはいなかったので久々と言うことだ。 現役時代には東京駅で下車しても、殆どが八重洲口に降り立って用向きに真っ直ぐで、滅多に丸の内口に出ることは無かった。この日も新幹線を降り、一旦は八重洲口に向かいかけたものの、途中で踵を返してみた。駅舎が綺麗になったとの、随分前の報道を俄かに思 [続きを読む]
  • 阪和線から桜島線(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  和歌山からは阪和線で天王寺に向かうが、ここからは大阪環状線に乗り入れる紀州路快速が出ているので、ことさら阪和線を意識することは無い。阪和線は、和歌山と大阪の天王寺を結ぶ路線で、63.0Kmを36の駅で結んでいる。 阪和線の途中駅日根野は、関西国際空港への玄関口で、ここからは11.1Kmの関西空港線が接続している。日根野を出ると次がりんくうタウン駅で、南海電鉄の空港線も乗り入れている。 空港は大阪湾の沖合5?の [続きを読む]
  • 終点・和歌山(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)(2017年05月10日)
  •  紀伊田辺から出る電車の多くは御坊行だが、中には和歌山まで行くものもある。御坊では0番線で、紀州鉄道と接続する。この鉄道、営業キロ数が僅か2.7キロと言うミニ鉄道で、駅の数は5つ、平均時速は20キロと言う市内電車並みの速度で、終点の西御坊までを約8分で結んでいる。 古い鉄道地図で調べると、かつては更に数百メートルほど先の、日高川が太平洋に流れ込む河口辺りの港に終着駅が有ったようだが、廃止になっているJR [続きを読む]
  • 紀伊田辺(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  串本を出た列車は、西から少しずつ北に向きを変えながら、やはり海岸線に沿って進む。紀伊半島が海に落ち込む辺りだけに沿線は急こう配区間が有り、トンネルが多く、小さな曲りを幾つも繰り返しながら進む。 70分ほどで到着する途中の白浜は、「アドベンチャーワールド」や、南紀白浜温泉が知られた人気の地である。且つては東の熱海、西の別府と並んで新婚旅行の人気地として知られた時期もあった。 その先で、車窓に賑やかな [続きを読む]
  • 軍艦・エルトゥールルの悲劇(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  潮岬半島から平成11年に架けられたループ橋とアーチ橋の二本の橋を渡り、紀伊大島に入る。海を臨むことが殆ど無い、島の中央部を貫いている道を東に向かうとそこが樫野埼だ。ここには日本最古の石造り灯台である樫野埼灯台が建っている。 この辺りは黒潮が岬にぶつかることにより、海蝕が進む崖や岩礁が入り組んだ、複雑で厳しい海岸線となっている。近くの海金剛は「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれている。 そん [続きを読む]
  • 本州最南端・潮岬(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  紀伊山地から延びた陸地が、半島となって太平洋に突き出し、海に激しく落ち込む潮岬半島の突端が潮岬である。本州最南端の地で、東京都の八丈島とほぼ同じ緯度に位置している。ここは、台風の進路予想などではお馴染みの場所だ。「台風〇号は、潮岬の沖合〇キロ付近を、北北東に向けて・・」などと良く耳にする。 その岬の先端には「望楼の芝」と呼ばれる広大な芝生広場が広がっている。むかし日清戦争を受けて海軍が造った物見 [続きを読む]
  • 橋杭岩(JR乗り潰しの旅・紀勢本線)
  •  「ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ巡航船・・・♪」列車が串本駅に到着する少し前、車窓左手にはその大島が見えて来る。それは正式には紀伊大島と言うらしい。東西約8Km、南北約2.5Km、周囲が28kmほどで、島に住む人口も2000人を数えると言う和歌山県下では最大の島である。 かつてはその島に向け、フェリーや巡航船が頻繁に行き来していたそうで、就航した当初は20分ほどを要したらしい。離島振興策により島に念願の橋 [続きを読む]