万軍の主ヤハウェ さん プロフィール

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万軍の主ヤハウェさん: 聖書の神、万軍の主ヤハウェ
ハンドル名万軍の主ヤハウェ さん
ブログタイトル聖書の神、万軍の主ヤハウェ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/petero_rom
サイト紹介文わたしは、イエス・キリストの父ヤハウェである。
自由文私は、汝らの上に、ヨハネの黙示録に記されている、火と硫黄の燃える地獄を降らせよう。
この火は、真に正しい者には何の禍ともならない。
しかし、偽る者には、永遠の裁きの地獄となる。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供321回 / 365日(平均6.2回/週) - 参加 2010/04/14 03:43

万軍の主ヤハウェ さんのブログ記事

  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-74
  • 善男子よ、雪山には娑呵と呼ばれる上香薬があると聞きます。人はそれを見つけるだけでも、無量の寿命を得て病苦から解放され、たとえ、四毒であっても傷つけることは出来ないそうです。それに触れるならば、百二十歳まで生きることが出来、それをすりつぶし薬とすれば、自身が生まれた目的を知ることが出来ると聞きます。これが、この薬草の勢力なのです。諸仏菩薩も同じで、それに見えるならば一切煩悩を断ち除くことが出来、四魔 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-73
  • では、法の通り修行するとはどういうことなのかと言えば、布施、持戒、精進、忍辱、禅定、知恵の六波羅蜜を修め、物事の奥に隠れた真実に入ることなのです。また、声聞も縁覚も諸仏も大きく言えば、同じ道にあるのでありこれが般涅槃となるのです。この法とは常楽我浄です。つまり、生まれることもなく、老いることもなく、病にかかることもなく、死ぬこともなく、飢えることもなく、渇くこともなく、苦しむこともなく、悩むことも [続きを読む]
  • 申し訳ないが消すよ
  • 申し訳ないが消すよ いま、わたしは大般涅槃経を翻訳しupしている。実は、今upしているところを翻訳するのは二回目である。どういうことかと言えば、今upしているところから、約一万字程度後のところで意味が分からなくなったのだ。文字の通り普通に訳すと、内容が無茶苦茶になる・・・・これは有り得ない・・・・という文章になってしまうのだ。言葉と、内容が違った場合、どちらを優先すべきか。【依義不依語】であり、必ず内容 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-72
  • また、善知識に親近すれば、徐々に十二部経の甚深の義に到達するようになるのです。この十二部経の甚深の義を聴くのが聴法なのです。つまり、聴法とは大乗方等経典や方等経を聴くのが真の聴法であり、真の聴法とはこの大涅槃経を聴受するとなるのです。大涅槃の仏性の説明を聞けば、如来とは決して滅びるものではないとわかります。如来は決して滅びないのですから、聴法に専心できるのです。この専心聴法が八聖道なのです。この八 [続きを読む]
  • 日本ラエリアンムーブメント御中-2
  • ラエル様、貴殿は本当に預言者なのでしょうか。 貴殿は、創造主の預言者であると語られます。しかし、コーランには《ムハンマドが最後の預言者である》と明記されています。つまり、貴殿は預言者と名乗ることによりコーランは偽典であると、コーランを否定していることになります。 イスラエルとパレスチナの争いは、ユダヤ教とイスラム教の争いと言い換えることが出来ます。聖書が聖典であり、コーランが偽典であるならば、偽典 [続きを読む]
  • 日本ラエリアンムーブメント御中-1
  • 日本ラエリアンムーブメント御中 ラエル様、貴殿は本当にマイトレーヤなのでしょうか。 少し、試させてください。簡単な質問で、真のマイトレーヤ(弥勒菩薩)であるならば、答えるのに苦労するような質問ではありません。 弥勒菩薩(マイトレーヤ)とは仏教による名です。仏教では依法不依人・・・・正しいかどうかは法によるのであり、人によってはならない・・・・と定められています。つまり、自分が仏であるとかマイトレーヤで [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-71
  • 善男子よ、らい病にかかった人に、善知識はこのように語りかけます。『もしその病を治癒したければ須弥山に行きなさい。 なぜならば、須弥山にある甘露のみがその病を治癒できるからです。』その人がその言葉を信じ、須弥山に行きそこにある甘露を服用するならば、その病は癒され安穏となるのです。このらい病にかかった者とは諸々の凡夫です。善知識とは菩薩などです。凡夫がその言葉を信じその言葉のまま行うとは、四無量心を受 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-70
  • 大般涅槃經卷第二十五 北涼天竺三藏曇無讖訳 光明遍照高貴徳王菩薩品第十之五では、善男子よ、菩薩が大涅槃経を修めることにより得られる第七の功徳とはどのようなものなのでしょうか。善男子よ、あなたはどのような法が大般涅槃に近づく因となる法だと思いますか。実は、大涅槃に近づく因に四種があります。もし、難行苦行が大涅槃に近づく因となると思うのなら、それは間違いです。なぜならば、難行苦行は四種の因に近 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-69
  • 善男子よ、大地は人が考える万物を乗せます。また、火はすべてを焼き尽くし、水はすべてを漂わせ、風はすべてを動かし、空はすべてを内に入れることができるのです。これと同じように、涅槃は人々に滅度を得させ、金剛三昧は一切煩悩を滅除するのです。人は滅度を考えなくとも、この金剛三昧に安住するならば、その一念は、十方の無量の世界に遍満する諸仏世界の仏のようになるのです。でも、菩薩は最初からこのようにしようと思っ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-68
  • 善男子よ、香山の中にアナヴァタプタと言う泉があります。その泉からは八味の水が湧きだし、それを呑めば諸々の病苦から解放されると言います。金剛三昧も同じで、八聖道を具足しているのです。これを習い修めれば、諸々の煩悩という治しがたき病を断じることが出来るのです。善男子よ、人は諸天の王である大自在天を供養することにより、一切諸天を供養することになります。金剛三昧も同じで、人が習い修めることによりすべての三 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-67
  • 善男子よ、菩薩が大涅槃経を修める事により具足成就できる第六の功徳とはどのようなものなのでしょうか。これは、菩薩が大涅槃を修める事により、金剛三昧を得られ、その中に安住できるということです。また、その金剛三昧により、一切諸法をことごとく破り、霧散させることも出来るのです。一切諸法を見るとそれらはすべて無常であり、皆、恐怖する心の動きを因縁としているのです。病苦も、盗まれるのではないかという心も、滅ぼ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-66
  • 光明遍照高貴徳王菩薩はお釈迦さまに申し上げました。「お釈迦さまは、『善男子であれ、善女人であれ、布施を修めるならば、この五つの功徳を具足成就できる』とおっしゃったではありませんか。どうして、今それを大涅槃を因とすると言われるのでしょうか。」お釈迦さまは語られました。「善いですね、実に善い。善男子よ、これらではその意味が違うのです。あなたにその違いを解説いたしましょう。布施による得られる功徳は、不定 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-65
  • その時、光明遍照高貴徳王菩薩はお釈迦さまに申し上げました。「お釈迦さまは、『菩薩は大涅槃を修めこの十の功徳を得よ』と仰います。でも、お釈迦さまでも、この世を完全に浄化することはできていません。これはどういうことなのでしょうか。」お釈迦さまは答えられました。「善男子よ、わたしは昔から常にこの十の事を修めているのですよ。また、諸仏世尊は、この十事を必ず修めているのです。世界に不浄が充満していたとしても [続きを読む]
  • 般若心経
  • 摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-64
  • では、菩薩が諸々の縁を知るとはどういうことなのかと言えば、菩薩は物事の見た目の姿は見ません。物事の移り変わりも、その時々に現れる体も見ないのです。物事が生じるのも消え去るのも、今ある姿も変わりゆく姿も見ないのです。それを見ることも、それを見る顔かたちも、その影響を受けるものすらも見ないのです。なぜならば、これらはすべて因縁によるからです。物事ばかりでなく一切法も同じなのです。これが菩薩は諸々の縁を [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-63
  • では余分な業とはどういうものなのかと言えば、一切凡夫の業、一切声聞の業を言います。須陀洹の人は七回生死の業を繰り返しその後悟りに至ります。斯陀含の人は二回生死の業を受ける事により悟りに至ります。阿那含はもう一回生死の業を受け、その後悟りに至るのです。これらが受ける必要がない業であり、これらは菩薩が大涅槃を習い修める事により断ち除くことが出来るのです。では、余分な有とは何かと言えば、阿羅漢は阿羅漢果 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-62
  • では、菩薩が滅除すべき余分なものとは何なのでしょうか。これには三種があります。第一が煩悩による報いであり、第二が余分な業であり、第三が余分な有なのです。善男子よ、煩悩による報いとはどういうものかと言えば、もし衆生が貪欲に親近し、それを習い修めれば、この報いは地獄に堕ちる事となります。その地獄より抜け出すと、次に畜生となります。畜生とは、鴨、スズメ、鷲、ミミズクなどの鳥類、魚や亀などの水辺の生き物、 [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-61
  • また、善男子よ、菩薩は仏の悟りを得るために大涅槃微妙の経典を修め、衆生を二枚舌から離そうとします。これが、常に和合し共に正法を説くことを願うという善根となるのです。この誓願の因縁力により仏となり、その国土の一切衆生が共に和合し、法の要を論ずるようになったのが、仏国土なのです。また、善男子よ、菩薩は仏の悟りを得るために大涅槃微妙の経典を修め、衆生を悪口から遠く離すように導き、すべての人々が悪口を言わ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-60
  • では清浄な仏国土とはどういうものでしょうか。菩薩は仏の悟りを得るために、大涅槃微妙の経典を習い修め、衆生を殺害の心より離すように導きます。これは、一切の衆生が諸々の衆生の寿命を延ばす事を願うと言う善根なのです。これが大勢力となって、大神通力を得、この誓願の因縁により、未来に於いて仏となるのです。その国土にある一切衆生が長い寿命を得て、大勢力となり神通力を得るようになったのが清浄な仏国土なのです。ま [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-59
  • では、自分の事を自分で決めるとはどういうことなのかと言えば、『わたしのこの身こそ、未来に於いて仏となるための器に他ならない』とし、心をそこから変えず、小さくしないと言うことです。声聞や縁覚になろうとはせず、魔の心にも、楽を求める心も、生死にこだわることもせず、常に衆生に慈悲心を持ち続けるのです。これが菩薩が自身のことを決めると言うことなのです。必ず来世に於いて仏となると決める。このことのために菩薩 [続きを読む]
  • 副島隆彦さま-2
  • 北朝鮮・朝鮮半島関係  北朝鮮が核兵器やICBMを開発したとしても、それを使うことはおそらく出来ないでしょう。これは、朝鮮半島も儒教思想ゆえに物事を上下関係だけで見るからです。朝鮮半島は最悪の条件で儒教を国教としてきたのです。儒教では、人民には立ち去る権利が保障されるのですが、三方が海、残る一方向が山という条件の場所で一国しかない状態の国で、立ち去っても良いと言われても、立ち去りようがないのです。この [続きを読む]
  • 副島隆彦さま-1
  • 副島隆彦さま 貴殿の本を数冊読ませていただきました。疑問点が数か所あります。お答えいただければ幸いです。 欧米関係 まず、第一に、アメリカやイスラエルなどを諸悪の根源としていらっしゃるのはわかります。しかし、そのアメリカやイスラエルを諸悪の根源状態からどのように善い状態にしていけば良いのかとは論じていらっしゃらない。悪から離れたとしても、その悪を悪のままで残しておかれるおつもりか??? 今、悪であ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-58
  • また、善男子よ、菩薩が大涅槃を修めれば第四功徳も成就具足できます。この第四の功徳には十があります。第一は、深く根をおろしそこから離れない。第二は、自分自身のことを自分で決める事が出来る。第三は、幸不幸は観なくなる。第四は、清浄なる仏土を修める事が出来る。第五は、余分なものがなくなる。第六は、業縁を断ち除くことが出来る。第七は、清浄の身を修める事が出来る。第八は、諸々の縁を知る。第九は、諸々の怨敵よ [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-57
  • また、善男子よ、菩薩がこの大涅槃微妙の経典を修めれば、他のものたちの心の動きも知ることが出来ます。ここが、声聞・縁覚の知恵との違いでもあります。確かに、声聞・縁覚も一念の知恵によって他者の心の動きを知る時もあります。でも、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)にある人の心の動きを知ることは出来ないのです。菩薩は、このような六道にある人の心の動きも読み解くことが出来るのです。これが昔知らなかったことを [続きを読む]
  • 大般涅槃経 光明遍照高貴徳王菩薩品 第十-56
  • 菩薩が持つこのような認識が、昔見えなかったものが今見えると言うことなのです。もし人々がこのような色相を持つならば、大乗と小乗の本質的な違いが分かり、その人の衣に触れただけでもこの人がどのような善根や悪根を持つのか分かるようになるのです。これが、昔知らなかったものを今知ると言うことなのです。そして、ひと目見る事により昔知らなかったことを今知るようになると言うことも、昔見えなかったことが今見えると言う [続きを読む]