島の医者になって さん プロフィール

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島の医者になってさん: 島の医者になって、た頃もあった
ハンドル名島の医者になって さん
ブログタイトル島の医者になって、た頃もあった
ブログURLhttp://white.ap.teacup.com/simanoisya/
サイト紹介文京都から五島列島の奈留島の医者になって10年以上、また京都に帰ってきましたが。
自由文ブログ名と解離したブログになってしまいました。
奈留島131ヶ所ゴミ箱霊場巡り・奈留島百人一首などのシリーズ物の最新は天皇陵巡り、快調に進行中です!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供100回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2010/04/14 21:33

島の医者になって さんのブログ記事

  • 京の夏の旅1
  •   [画像] 今日はお彼岸の中日、自宅前に最後に残った小さな畑にも彼岸花が咲いています。桜はだんだん北上して地方地方で開花時期が違うのに、彼岸花は奈留島でも600km離れた京都でも、お彼岸になったらきちっと咲いてくる、どんな器官が彼岸花に「お彼岸だぞ」と教えているのでしょうね。  [画像] 初めてかもしれませんが、京都の観光バスに乗りました。定期観光バス特別コース「京の夏の旅=モダン!京の近代建築と市内 [続きを読む]
  •   [画像]  先週の私は4連休でした。 1日は孫の幼稚園敬老参観日、1日は雨の中是枝監督の「三度目の殺人」を観に行きました。映画も行き出すと又行きたくなる、是枝作品も「歩いても歩いても」・「海よりもまだ深く」など観ましたし、先週のTVで「そして父になる」も録画したので又観ます。是枝作品は作品名が考えるようになってるのか、今回の三度目が何なのかが解答みつかりません。台風の一日はさすがに家に居て競馬で [続きを読む]
  • 17−2履中天皇皇子市辺押磐皇子
  •   [画像] 第17代履中天皇は黒比売命(クロヒメノミコト)との間に3人の子をもうけていますが、その長子の市辺之忍歯王(イチノベノオシハミコ)?書紀では市辺押磐皇子?は、本来なら次期天皇になっても良かったし、実際同じ世代で従弟の第20代安康天皇は、市辺押磐皇子に次の天皇を任せようともしていました。   [画像] しかし、安康天皇の弟だった雄略はこれを恨んで、市辺押磐皇子を滋賀県の蚊屋野(カヤノ)に狩に誘い、 [続きを読む]
  • 17-1履中天皇
  •   [画像] 先代の仁徳天皇と磐之媛命との間に産まれた子供は、大江之伊邪本和気命(オホエノイザホワケノミコト)・墨江之中津王(スミノエノナカツミコ)・蝮之水歯別命(タヂヒノミズハワケノミコト)・男浅津間若子宿禰命(ヲアサヅマノワクコノスクネノミコト)の4人です。   [画像] 4人の長男のイザホワケノミコトが、仁徳天皇亡き後まだ難波の宮殿にいた頃、次男のスミノエノナカツミコに宮殿に火を付けられて殺されそうにな [続きを読む]
  • 徳永英明
  •  [画像] 金曜日二人でランチ後、「幼な子われらに生まれ」を観ました。重松清原作、三島有紀子さんという女性監督の作品です。たまたま読んだ週刊朝日の映画批評欄で褒められていたので、行きました。   [画像] 上手に無理なく説明されていて、だんだん家族の今ある位置が解かってくるようになっていて、それなりに面白かったですが、大作映画を観たという感じにはなれません。  [画像] 土曜は午前中は仕事で、その最中に [続きを読む]
  • 伊賀上野
  •   [画像] 9月になった休日、ぶらっとドライブに出かけました。島から戻ると、第2名神が一部開通していたため、近畿の中央の信楽や伊賀に行き易くなっていました。 伊賀上野は芭蕉の生誕地、忍者の里としても有名です。近鉄上野駅前に車を停めて周囲を散策、秋の空は高く、駅前の芭蕉さんも高い空を見上げていました。  [画像] 昔々駅前で食べた伊賀牛が美味しかったので、その店を探しましたが、駅前再開発の為かもうあり [続きを読む]
  • 16−2仁徳天皇皇后磐之媛命
  •   [画像] 葛城のソコビコの娘、石之日売命(イワノヒメノミコト・古事記)・磐之媛命(イワノヒメノミコト・書紀)は、仁徳天皇の大后として4人の子をもうけました。   [画像] 4人の子は後に、17-1履中天皇・18−1反正天皇・19−1允恭天皇になりましたが、唯一次男の墨江之中津王(スミノエノナカツミコ)だけは兄弟間の主権争いの中、裏切った家臣に厠の中で鉾に刺されて死に、天皇になれませんでした。  [画像]  [続きを読む]
  • 16−1仁徳天皇
  •  [画像] 第15代応神天皇から色々あって(15-1・15−2・15−3・15−4参照)、結局第16代天皇になったのは、仲姫命の産んだ大雀命(古事記)・大鷦鷯尊(日本書紀)の仁徳天皇(ニントク)です。鳥の名前のせいか、仁徳天皇陵の外濠に鳥を見ました。  [画像] 古事記は神話の上巻、神武天皇からの中巻、そしてこの16代仁徳天皇からの下巻の3巻から出来ています。これは仁徳天皇の頃から始まる河内王朝が、今までの天 [続きを読む]
  • 萬亀楼
  •  [画像] ちょっと敷居が高く、払った値段もイタリア料理店よりもちょびっと高い、京都の老舗萬亀楼で食事する機会がありました。 萬亀楼はいつもは往診で走ってる西陣の狭い道沿いにある店で、式包丁で有名ですが、今回は家族で食事のみ。 [画像] 京都の町中ですが、立派な庭がたくさんあって、それぞれが夏の庭にしつらえてありました。  [画像] 奥の部屋に通される途中の広間の床の間の壁は、全てすだれがかかっていたの [続きを読む]
  • 15−4応神天皇皇子菟道稚郎子
  •   [画像] 第15代応神天皇が京都の宇治市木幡(コハタ)で、みめ麗しい乙女のミヤヌシヤバハエヒメと出会い、早速合体して産まれたのが、古事記では宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、日本書紀では菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)です。  [画像] 日本書紀では、大鷦鷯命と位を譲りあって、天下に空位時代が3年続いたので、これを憂慮して自らが命を絶って、大鷦鷯命(仁徳天皇)に位を譲ったそうです。  [画像] 宇治川の [続きを読む]
  • 15−3応神天皇皇子大山守命
  •   [画像] 第15代応神天皇の最初の妻、また従姉妹の3姉妹の長女であった高城入姫命(タカギノイリヒメノミコト)は5人の子をもうけています。5人の内の一人が、今回の大山守命(オホヤマモリノミコト)です。  [画像] 応神天皇は沢山の妻達との間に26〜28人の子供がいますが、長子相続制度なら一応大山守命が一番の世継ぎになります。しかし父の応神天皇は、たくさんの子供の内年下のウジノワキイラツコを愛していたので [続きを読む]
  • 15-2応神天皇皇后仲姫命
  •  [画像] 第15代応神天皇には10人の妻がいましたが、その皇后であった仲姫命(ナカツヒメノミコト)の墓は、前回紹介した夫の応神天皇陵から歩いてすぐの、かなり近くにありました。それでも応神天皇陵は大阪府羽曳野市ですが、こちらは民家が近くに迫る藤井寺市になります。  [画像] 第12代景行天皇の孫である品陀真若王(ホムダノマワカノミコ)の王女であった仲姫命は、同母姉の高城入姫命(タカギノイリヒメノミコト)と同 [続きを読む]
  • 五山の送り火
  •  [画像] 我が家は五山の送り火の「妙」の目の前にあります。昨年島から帰って久しぶりの送り火は、大雨で妙の火も付きが悪かったです。 今年も雨かなと思ってましたが、絶好の天候になりました。  [画像] 妙は綺麗に点火しました!町内の人たちも皆安心されたと思います。我が家は松ケ崎では新参者ですので、火床には行けません。  [画像] ロフトの窓から、お客さんにも観てもらいました。ゆっくり座って、涼しく観ること [続きを読む]
  • 15−1応神天皇
  •  [画像] 大阪府内などの陵墓を管理しているのは、大阪府羽曳野市にある、この宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所です。ここで管理されている天皇陵の陵印は、ここでもらえますので、駐車場もある事務所前に車を停めさせてもらい、陵印を押しました(15年前に来た時より親切な対応です)。そして、目の前の応神天皇陵や、近くの皇后陵などにも参拝しました。   [画像] 第15代応神天皇(オウジン)は第14代仲哀天皇の第4子とし [続きを読む]
  • マンホールの蓋
  •  [画像] 先日、百舌鳥古市古墳群が世界遺産登録の推薦候補地に選ばれました。私も今まさに、天皇陵巡りでこれら古墳群を巡っているところです。 7月の暑い日、堺市の仁徳天皇陵の周りを、頭を垂れてふらふらと歩いていたら、このマンホールの蓋が目にとまりました。ボケた頭で、「ごりょう」と読んでしまい、さすがにこの辺りの町名は「御陵」かと、一人納得。  [画像] しばらく歩くと、写真では見にくいかもしれませんが、 [続きを読む]
  • 14−2仲哀天皇皇后 神功皇后
  •   [画像] 息長帯比売命(オキナガタラシヒメ)は第14代仲哀天皇の2番目の妻ですが、古事記では大后(オオキサキ)として特別扱いで、夫の仲哀天皇より長い記述がある、戦前の人なら誰でも知っている神功皇后(ジングウ)です。  [画像] さて、その神功皇后が夫の仲哀天皇と一緒に筑紫の香椎の宮にいる時、神懸かりとなって夫と意見の対立がありました。その後、突然夫の仲哀天皇の死によって、自分の意見が通り(神の意志と言う [続きを読む]
  • 14−1仲哀天皇
  •   [画像] 日本武尊は女性にもてたそうで、死んでからも哀しむ女性が多かったそうですが、6人の妻に6人の子供がいました。日本武尊の最初の妻は、祖父にあたる第11代垂仁天皇の末娘で自分の叔母にあたるフタジノイリビメノミコト、書紀では両道入姫命(フタジノイリヒメノミコト)で、その間に産まれたのが帯中津日子命(タラシナガツヒコノミコト)、すなわち今回の第14代仲哀天皇(チュウアイ)です。  [画像] 叔父の第13 [続きを読む]
  • 13−1成務天皇
  •  [画像] 奈良平城京跡の北にある丘は、大きな前方後円墳がたくさん並んでいて、佐紀盾列古墳群(サキタテナミコフングン)を形成しています。このうち、三つの丘を切り分けて作ったといわれている密集した三つの古墳、一つは12-2垂仁天皇皇后日葉酢媛命の陵、一つは時代が進んで46-1・48-1の孝謙・称徳天皇の陵、そして今回の13−1成務天皇(セイム)の陵である佐紀石塚山古墳です。  [画像] 散歩するには絶好のロケ [続きを読む]
  • 菊水鉾茶会
  •  [画像] 暑い京都、7月16日(日)祇園祭の宵山見物に、昼間ですが行きました。四条通の函谷鉾。  [画像]室町通りの菊水鉾。  [画像] 菊水鉾のご神体の稚児人形「菊丸」です、巡行の日は鉾の前に飾られます。 菊水鉾は、私の小学生の頃?、いずれにしろ戦後に再建されたまだ新しい鉾です。   [画像] 菊水鉾の町内には、昔金剛能楽堂があって、そこには「菊水の井戸」という名水が湧いていたそうです。その為か、祇園祭 [続きを読む]
  • 金沢旅行3
  •  [画像] 2日目の金沢は大雨、元々この旅は金沢21世紀美術館などに行きたかったので、雨でもいいのですが、ちょっと降りすぎです。隣の兼六園も行ってみようかと思っていましたが、これは濡れるだけなのでやめました。  [画像] 金沢21世紀美術館常設の現代美術、水の底にも下から入れる「プール」も有名です。底から見る水面も雨が打っていました。  [画像] この「プール」、残念ながら雨のため、上からはのぞけません [続きを読む]
  • 金沢旅行2
  •  [画像] 三カ所の道の駅・高速のSA・ケーキ屋・東尋坊の六ケ所でトイレに行きながら、7時間ゆっくりドライブして着いたのは、金沢郊外車で30分ほどの湯涌温泉。以前ここに白雲楼ホテルと言う、東洋一を誇っていたホテルがあって、私は昔から一度は湯涌温泉の白雲楼ホテルに泊まりたいと思っていました。しかし、ホテルは倒産していて、1998年(平成10年)には消滅していますので、泊まったのは小さな旅館。   [画像] [続きを読む]
  • 金沢旅行1
  •  [画像] ちょっと前の、いつもの日帰りではなく、少し足を延ばして金沢までの一泊旅行です。 ゆっくり行こうと、久しぶりに越前海岸をドライブしました。礫岩が風と波の浸食作用でくりぬかれた洞穴、呼鳥門(コチョウモン)も久しぶりです。この洞穴、高さ15?・幅30?あるそうです。  [画像] すぐ近くにトンネルが出来ていましたが、確か以前来た時は、国道がこの洞穴の中を通っていて、車で抜けたような気がします。トン [続きを読む]
  • 12−3景行天皇皇子 日本武尊の4番外
  •   [画像] 以前熱田神宮に行った時に、その横にもう一つの日本武尊の白鳥御陵を見つけてしまいました。熱田神宮駅から少し歩いて、白鳥古墳と本居宣長歌碑の道標が目印です。   [画像] 民家の間の狭い道を通って行くと、6世紀初めころの全長74?の前方後円墳が、かなり削られたまま残っていました。  伊吹山で亡くなった日本武尊は、その地能褒野から奈良の琴弾原、そして大阪古市の白鳥陵にと、次々白鳥になって飛んで [続きを読む]
  • 12−3景行天皇皇子 日本武尊の3
  •   [画像] 九州の熊襲退治から帰るやいなや、日本武尊は父景行天皇の命で、東国の蝦夷征伐に旅立ちました。前回書いたように、伊勢で叔母に愚痴を述べていましたが、尾張ではちゃっかりミヤズヒメをナンパして、結婚の約束もしています。 相模の国では、国造(クニノミヤツコ)に誘いだされた日本武尊は、野原で火に囲まれた時、叔母に貰った草那芸剣(クサナギノタチ)で草を薙ぎ払い、貰った嚢から火打石を取りだして向火を付けて [続きを読む]
  • 12−3景行天皇皇子 日本武尊の2
  •  [画像] 三重県亀山の能褒野墓に葬られた日本武尊(ヤマトタケル)は、八尋もある大きな白鳥になって大和の方向に飛んでいって、ここ奈良県御所市の琴弾原(コトヒキノハラ)に留まったそうです。 民家の間の道にある看板に沿って左に曲がります。   [画像] この民家の塀沿いの坂道を上がった所が、白鳥陵(シラトリノミササギ)と書いてあった二つ目の墓、日本武尊琴引原白鳥陵でした。  [画像] 今までの陵や墓と違って、ここ [続きを読む]