江戸幕末・明治維新期の二本松藩に関するブログです。人物・出来事やテーマは広く。
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幕末・明治維新期の二本松藩というと、多くの場合、慶応4年(=明治元年)8月までの東北戦争(戊辰戦争)で「どのように戦ったのか」という戦闘行為の経緯と結果...
『幕末の京都守備受命と重役の京都滞留 その2』で、1863年(文久3年)の京都守備後に45,000両の御用金(=臨時税)を徴収したと書きましたが、これは今...
1865年(慶応元年)10月、再び二本松藩は京都守備に就くことになります。 人員は前回(1863年)同様の1,000人程度であり、朔平門(御所北側正面...
幕府は1863年(文久3年)4月、10万石以上の諸侯3藩で京都を守備すること、その期間は最長100日とするという命令を出しました。 1863年の...
幕末の京都屋敷の所在等についてはこれまで3回にわたり見てきましたが、安土桃山時代~江戸時代中期にかけてはどうだったのか少し調べてみました。 丹羽長重...
大阪に二本松藩の蔵屋敷があったのかどうか、興味があります。 大阪に蔵屋敷を設けたところは主に西国大名とのことです。 吉田祥三郎編『聴潮館叢録 別巻...
幕末期の京都屋敷所在地については既に見たとおりですが、江戸中期には『本阿弥辻子南側』(京都辞典)にあったようです。 本阿弥辻子という地名は現在どこにもな...
1868年の戦争後の家臣住居の移動については、昨日「それを命じられたと言うことが正しいのでしょうが」と書きましたが、この事情については『二本松藩史』の長国...
前年に『二本松破れ』(先祖日記表記)、二本松では1869年の正月を全く新しい政治・社会・経済情勢で迎えることになります。 ・・・・・・戊辰戦争自体は、ま...
明治初年の京都屋敷について、手許の日記の旧暦明治2年1月29日(現在の暦では3月11日(日))に次の記述があります。 『霞ヶ関屋敷地被下候処空地ニ...
慶応四年戊辰二月再刻 書肆文叢堂竹原好兵衛版 改正京町御絵図細見大成を基にした幕末京絵図に従って、二本松藩の京都屋敷跡を見てきました。 上京区神明町の1...
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