ヒロブー さん プロフィール

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ヒロブーさん: ビロビロブーのブログ
ハンドル名ヒロブー さん
ブログタイトルビロビロブーのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/hirohirobbb2000
サイト紹介文子育てについて、成功法則について、潜在意識について書いています。海外情報もときどき
自由文ハワイでヒプノセラピストしています。2人娘を持つパパです。子育て中に気付いた事を書いています。また潜在意識の観点から自己啓発系の事も書いています。「子供が育つパパの言葉」エッセイ集をダウンロード可能です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供229回 / 365日(平均4.4回/週) - 参加 2010/04/26 00:26

ヒロブー さんのブログ記事

  • オウム真理教は北朝鮮とつながっていた
  • かつて、オウム真理教による首都機能破壊計画がありました。 平成6年(1994年)6月27日、長野県松本市において死者8名、重軽傷者660人被害を出したサリン事件が発生。(松本サリン事件) 松本サリン事件における土壌と、すでに異臭事案が起きていた上九一色村のサティアンの土壌のサンプリングを、陸上自衛隊化学学校が調べると、同一のサリンであることが判明しました。 人工化学物質であるサリンは、人間の指紋が一 [続きを読む]
  • 元憲兵曹長が河野洋平氏に訴えた慰安婦の実情
  • 今では、従軍慰安婦という言葉が定着しています。 確かに慰安婦制度は実在したけれども、それは従軍ではありませんでし、強制連行もありませんでした。 従軍と名のつく職業は、記者、僧侶、医者、看護婦など社会的にも比較的地位の高い職業の方々でした。 慰安婦(売春婦)という職業の方々に対して、日本軍が正規の軍族として認めることはありませんでした。 最初の慰安所ができたのは、昭和12年に上海においてでした。 昭和1 [続きを読む]
  • なぜ、朝鮮人は日本の法律を守ろうとしないのか?
  • 在日の方々が、日本で犯罪を犯し、刑務所でのお勤めを終えて半島に帰国すると、英雄となります。 なぜでしょうか? 昭和43年(1968年)2月20日、金嬉老(きんきろう)という在日が、静岡県清水市内のキャバレー「みんすく」において、借金返済の取り立てにきた暴力団幹部二人に対して、ライフル銃で射殺。 その後、45キロ離れた寸又峡温泉に車で逃走し、旅館「ふじみ屋」にライフル銃やダイナマイトを持って侵入し、旅館 [続きを読む]
  • 関東大震災の時、日本人は朝鮮人から虐殺やレイプを受けていました。
  • 関東大震災が起きたとき、朝鮮人がたくさん虐殺されたと言われています。しかし、虐殺されたのは実は日本人でした。 大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、関東大震災が発生。この震災により10万人が犠牲になりました。 自警団が組織され、震災の混乱の中、暴徒と化した朝鮮人たちを迎え撃ちました。 なぜ、朝鮮人たちは暴徒となって、日本人を襲撃したのでしょうか? 大正8年(1919年)、韓国皇帝の高宗が [続きを読む]
  • 中国に向けて北朝鮮ミサイル発射か?
  • 北朝鮮が中国にミサイル発射か? 米国や日本などに挑発を繰り返している北朝鮮ですが、中国向けにもミサイルを配備しているようです。 現在の中国共産党トップ7の中に、張徳江など江沢民派閥が三人います。その江沢民派閥は、共産党の軍隊である人民解放軍のうち北部戦区を掌握しています。 北部戦区とは、かつて満州国があった瀋陽軍区(2016年2月に改編)などの地域を含み、北朝鮮にも隣接しています。 また、この地域に [続きを読む]
  • 中国国民党からの挑発に巻き込まれてしまった日本
  • 東京裁判において、日本軍は、中国を侵略したと決めつけられてしまいました。反省と謝罪をしなさい、賠償金を支払いなさいと、70年以上経過しても繰り返し言われ続けています。 本当に日本は中国を侵略したのでしょうか? 日本は、中国と軍事衝突をしたくありませんでしたが、中国からの挑発行為に引きずりこまれるように、中国との戦闘に巻き込まれてしまったのです。 昭和12年8月29日、北京郊外の通州地区で、その地域を [続きを読む]
  • ベトナム独立戦争に参加した元日本兵たち
  • かつて、日本終戦後もベトナムに残り、ベトナム独立戦争のためにベトナム人とともに戦った、元日本兵たちがいました。 昭和20年(1945年)3月、米英軍の上陸に備えて、フランスによるインドシナ統治機構を解体して、ベトナム、カンボジア、ラオスの3国を独立させて、日本の実質的な軍政下に置きました。(明号作戦) 昭和20年8月15日、日本降伏に伴い日本軍は、北緯16度線の北では中華民国軍に、南ではイギリス軍に [続きを読む]
  • まさかの日は、ある日突然起きてしまいます。
  • 北朝鮮のミサイルの脅威が日に日に増しています。 でも、まさか、日本を直接攻撃してくることはないだろうと、多くの人が思っています。 日本には憲法9条があるし、日米同盟があるからである、というのがその理由です。 しかし、そのまさかの日とは、ある日突然やってきてしまいます。 昭和20年2月4日から11日にかけて、ソ連のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿において、ルーズベルト、スターリン、チャーチルが集まり、会談が [続きを読む]
  • 電磁パルス攻撃なら北朝鮮は今すぐにでも破壊活動ができます。
  • 従来の核兵器による攻撃でしたら、まだ開発に時間がかかるので、その対応策をする時間的猶予がありました。 しかし、はるか上空で核爆発させる、”電磁パルス攻撃”ならできると、9月3日の核実験の際、北朝鮮は明言しました。 電磁パルス攻撃を受けてしまうと、直接人命の被害は起きませんが、PCなどの電子機器は破壊されてしまいますので、 病院などの治療機器や検査機器、道路交通網の制御など、ITに依存している様々な分野で混 [続きを読む]
  • 「英霊の言の葉」 海軍大尉 山下久夫 命
  • 最後の日記海軍大尉 山下久夫 命神風特別攻撃隊第二正統隊昭和20年4月28日 南西諸島方面にて戦死 享年23歳 4月13日袴も母上が縫って大井へ送られたmのを着、肌着も新しいものをつける。軍服は最良の第一種軍装を着よう。 照一の写真も持っている。 ただ、ふる里の皆様のご健康を祈るのみ。今日の12時、発信していく。今晩突っ込むか、また明日か。 お姉様の最後の便り繰り返し読む。ありがとうございました。心より永久 [続きを読む]
  • 第二次朝鮮戦争の危機
  • かつて、北朝鮮の核開発を巡り、第二次朝鮮戦争の危機がありました。 ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党 国際担当書記は、次のように語りました。 「昭和33年(1958年)、平壌にある軍事工場を訪問した時、金日成は核戦争に備えるべきだ、と繰り返し語りました。 すでにその時から核兵器開発計画はあったのです。」 ソ連と核開発競争を繰り広げていた米国は、1960年代末、在韓米軍に核兵器を1000発実践配備していた [続きを読む]
  • 北朝鮮の建国の歴史
  • 北朝鮮の初代統治者である金日成は、朝鮮人民革命軍の司令官として日本帝国軍と戦い、祖国解放を勝ち取ったと言い伝えられています。 実は、金日成は、日本軍との戦闘を経験したことは一度もありませんでした。 金日成は、19歳から抗日ゲリラ活動をしていましたが、ソ連のハバロフスクに逃れ、ソビエト極東軍の88旅団に加わりました。 88旅団は、朝鮮人と中国人による部隊でした。 金日成は、その88旅団の一部隊長にすぎず [続きを読む]
  • 上海で慰安婦を最初に検診した報告書
  • 海軍が寄港する上海などでは、以前より軍人相手の妓楼がありました。 しかし、南京城陥落(昭和12年12月13日)に伴う混乱のため、暴行防止と性病感染対策のために、日本から上海へ女性たちが送られてきました。 この人たちが、慰安婦としての最初の人たちでした。 昭和13年(1938年)1月2日、上海の小学校にて、日本から送られてきた約100名(邦人20名、朝鮮人80名、いずれも北九州在住者)の身体検査を、陸 [続きを読む]
  • 南京事変の証言 都新聞 小池秋羊記者
  • 南京事変の証言都新聞 小池秋羊記者聞き手 阿羅健一氏 ー南京城に入るのは何日ですか? 小池「13日か14日かはっきりしませんが、多分、13日だったと思います。師団司令部が南京に入るというので、我々も中山門から入りました。すでに第16師団の歩兵は残敵掃討ということで、中山門方面から南京市街地をしらみつぶしにして進んだ後でした。 我々も中山東路を行きましたが、城内はどの家も空き家で、物音一つしない死の大 [続きを読む]
  • 核ミサイルが投下された場合の対処法
  • 昭和20年(1945年)8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が投下されました。 それから70年あまり経過しましたが、また、原子爆弾が投下されてしまうかもしれません。 原子爆弾が投下されるとどうなるのでしょうか? まず、太陽の光よりも眩しい光線が、ピカッと光ります。眩しいので目の前を手でふさぐと、手が透けてレントゲン写真のように骨が見えたそうです。 次に猛烈な爆風と衝撃波が襲いかかり、家屋や橋などの建 [続きを読む]
  • 南京空爆を事前に警告し、被害を最小限にしようとした長谷川中将
  • 昭和12年8月15日から12月12日まで、日本海軍は、南京を空爆しました。 欧米で、この爆撃を批判的に報道をされてしまった、長谷川司令長官。 長谷川司令長官は、南京空爆を事前に警告することで、外交人の被害を、最小限に食い止めようとしました。 昭和12年(1937年)9月20日、上海の日本海軍第三艦隊司令長官の長谷川清海軍中将は、予定されていた南京爆撃について、南京在住の外国人に対して、次のような警告 [続きを読む]
  • インド独立のため、インパール作戦をともに戦ったインド国民軍
  • イギリスの植民地だったマレー半島には、インドから派遣された英インド部隊が駐屯していました。この英インド部隊は将校以外は全員インド人で構成されていましたが、昭和16年12月、日本軍がマレー半島に侵攻したとき、多くのインド兵が捕虜となりました。 このインド人捕虜に対して、特務機関であるF機関の人たちが説得にあたりました。 F機関とは、タイ王国公使館附武官の、田村浩大佐の下に設置された特務機関であり、機関 [続きを読む]
  • 英霊の言の葉「遺児の声」
  • 「遺児の声」 陸軍工兵上等兵 川口熊市 命昭和12年11月20日戦死 長男 川口忠信氏 僕の父は、僕がまだ生まれていない時、中国で戦死しました。 それで、父も、僕の顔を見ず、僕も父の顔を写真でしか知らないのです。 父がいないため、母は大変苦労されました。学校の教員になり、伊賀上野で家を借りて、勤めに出られたりしましたが、やがて郷里の阿波村に帰り、村の小学校に勤めていられたのです。 その頃のことです。丁度 [続きを読む]
  • 南京事変の証言 福岡日日新聞 三苫幹之助記者
  • 南京事変の証言福岡日日新聞 三苫幹之助記者聞き手 阿羅健一氏 昭和12年11月5日、杭州湾敵前上陸戦に参加 ー上陸の時は第18軍師団と一緒だったのですか? 三苫「そうです。薄暗い朝靄をついて銭唐江下流の濁水の遠浅を、胸のあたりまで塩水に浸かり、部隊と共に上がりました。 重たいリュックを背負い、カメラを構えて、できる限り撮りまくったのですが、ずぶ濡れになってしまい、ボケ写真1、2枚がやっと使用に耐えた [続きを読む]
  • 英霊の言の葉 「子供の顔がみたい」
  • 子供の顔がみたい 陸軍兵長 江越国広 命昭和20年5月23日ルソン島にて戦死 享年35歳 「としえよ、葉書有難う。 僕もどんなに逢いたいか。子供の顔もみたい。次の日曜日に面会許可書を頼むはずであったが、遅かった。 すべてはにくい未来だ。 お前もキツイでしょう。しかし、我慢して働いてくれ。父も母もきっと可愛がってくれるでしょう。 国敏もいい子だ。落ち着いた気持ちはきっと良くなると思う。 ああ、一度見たい。 [続きを読む]
  • 英霊の言の葉 「遺骨は、お母さんに抱かれたい」
  • 遺骨は、お母さんに抱かれたい陸軍伍長 河野宗爾 命昭和19年12月16日レイテ島西方海域にて戦死 享年23歳 「ご面会もできず、出発すること、何だか淋しい気持ちです。 ニッコリ笑って戦友に見送られて行きます。生還を期せずして出て行くにあたり、心から今までの御高恩を謝し、母上40年間のご苦労に、何等お報いできなかった事を深くお詫び申し上げます。 今、お別れするに当たり唯一の頼みは、どうか長生きせられて [続きを読む]