清浄光明 さん プロフィール

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清浄光明さん: 光明の生活
ハンドル名清浄光明 さん
ブログタイトル光明の生活
ブログURLhttps://ameblo.jp/koumyou37/
サイト紹介文「世界は心の現れである」 この光明としての心で普通に暮らしていくことをお伝えしています。
自由文千葉在住のライトワーカーです。
エネルギーワークとスピリチュアル・ヒーリングについて書いて行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供82回 / 215日(平均2.7回/週) - 参加 2010/05/04 22:38

清浄光明 さんのブログ記事

  • 伏見稲荷大社の火焚祭
  • 今年は11月8日だそうです。ご案内を頂きました。 今年もそんな時期ですねえ。お火焚き来るとほとんど一年終わったような気がしますなあ。その前にお彼岸来ますけども。 年が明けたら赤坂(豊川別院)行かないと。義理は果たされねばならないのですね。 私は仏部系統専門で天部神祇系統は全然知らないのですが、慈雲尊者は神道は「赤心」だと申されたそうです。 『観経』には一者至誠心といい、『維摩経』には直心是道場、と説 [続きを読む]
  • 仏性が顕れてくるといわれても
  • 本覚はやはり性起っぽいですねえ。性具は性具でいいわけですが。 性具なものが性起なんですかねえ。「顕れてくる」わけですが。 玉城 康四郎先生が「ダンマの顕現」いってましたが、拝むということは、法がこの因縁所成の肉体の上に顕れてくる。 引っかかりがあると変な屈折起こしますから、我は捨ててきれいな鏡のような心の上に光を受ければ、キラキラ輝きますよと言えば遮情門。 屈折したら七色だね!虹できれいだ!と見れば表 [続きを読む]
  • 梵網経を読む(9月16日)
  • 今月も『梵網経』を読誦させていただきました。慈雲尊者は『十善法語』でこう申されています。「一切衆生に対して、自分の子供に対するように接する。このようなこと(心理状態や行動のあり様)を不殺生戒というのである。 親子の関係に例えるのは、世間では一般的に親子関係は親しい関係の喩とされているからである。 実は一切衆生の思い(心念念慮)を自分の心とすることである。(法界の中で)自他の区別は本来ないのであって [続きを読む]
  • 参考5(『光記』本頌第三句の解釈1)
  • 【本文】四中初・二至悲是不害者。釋第三句。四中慈・悲體是無瞋。正理云。性雖無別。然慈能治殺有情瞋。歡行相轉。悲能對治惱有情瞋。行相轉。是謂差別 問若悲無瞋爲體能治瞋者。何故前説悲能治害 (T第41巻433ページA段)【訓読】「四の中、初と二の」より「悲は是れ不害なり」に至るまでとは。第三句を釋すなり。四の中に慈と悲との體は是れ無瞋なり。『正理』に云く。性は無別なりと雖も。然るに慈は能く有情の瞋を治し [続きを読む]
  • 参考4(『光記』本頌第二句の解釈の続き)
  • 【本文】不淨與捨至斯有何別者。問」  毘婆沙説至捨能對治者。答。毘婆沙説。欲貪有二。一色。色謂顯・形。二婬。婬謂婬欲。若不淨觀能 治色貪。由觀不淨色貪不起。若捨無量能治婬貪由觀平等婬貪不起 論主解云。理實不淨觀能治婬貪。由觀不淨婬貪不起餘親友貪捨能對治。由觀平等怨親。貪不起 (T第41巻433ページA段)【訓読】「不淨と捨とは」より「斯に何の別ありや」に至るまでとは。 問う。 「毘婆沙に説く」より「捨 [続きを読む]
  • 四無量心4−四無量心の体ー
  • 【本文】四中初二體是無瞋。理實應言悲是不害。喜則喜受。捨即無貪。若并眷屬五蘊爲體。若捨無貪性如何能治瞋。此所治瞋貪所引故。理實應用二法爲體。(T第29巻150ページB段よりC段) 【訓読】四の中、初の二の體は是れ無瞋なり。理、實には應に言うべし。悲は是れ不害なり、と。 喜は則ち喜受なり。捨は即ち無貪なり。若し眷屬を并さば五蘊を體となす。 若し捨は無貪を性とせば、如何が能く瞋を治す。 此の所治の瞋は貪の引 [続きを読む]
  • 参考3(『光記』本頌第二句の解釈まで)
  • 【本文】論曰至感無量果故者。釋初句。標名擧數。及與列名釋名 言無量者無量有情爲所縁故。從境爲名 引無量福故。從等流果爲名 感無量果故。從異熟果爲名」此何縁故唯有四種者。釋第二句。此即問也」  對治四種多行障故者。答。由治四障故唯四種」  何謂四障者。問」  謂諸瞋害至建立慈等者。答。不欣慰以嫉爲體。正理云。如契經説。慈能斷瞋。悲能斷害。喜斷不欣慰。捨斷欲・貪・瞋。(T第41巻433ページA段)【訓読】「 [続きを読む]
  • 四無量心3−四無量心と四障ー
  • 【本文】論曰。無量有四。一慈二悲三喜四捨。言無量者。無量有情爲所縁故。引無量福故。感無量果故。此何縁故唯有四種。對治四種多行障故。何謂四障。謂諸瞋害不欣慰欲貪瞋。治此如次建立慈等。不淨與捨倶治欲貪。斯有何別。毘婆沙説。欲貪有二。一色二婬。不淨與捨如次能治。理實不淨能治婬貪。餘親友貪捨能對治。(T第29巻150ページB段) 【訓読】論じて曰く。無量に四あり。一には慈、二には悲、三には喜、四には捨なり。 [続きを読む]
  • 師ヴィルーパの伝記5−秘法の成就・本尊御影向ー
  • 師は目の前が真っ白になってもあまり慌てませんでした。 本尊にお掛けしているタンカ(掛け軸)のダキニ様に「フリダヤ(心臓)、フリダヤw血の滴るやつでw」と思いながら般若心経を上げていると、だんだん目の前がぼやけて真っ白になって、光に溶けていくような感じには度々なっていたからです。 学僧系統は「不思議を求めない・関わらない」「何かあっても無視・スルー推奨」と教え込まれますから、それもあって無意識にスル [続きを読む]
  • 師ヴィルーパの伝記4
  • 師は数珠を引き千切って密壇に叩きつけて大の字に寝っ転がった後、しばらくゴロゴロしていました。天井を見つめてボーッとしたりもしました。 もうね。呆然としますわな。いくら「験を求めるのはご利益信心」って言ってもねえ。ともかくしばらくボーっとしていましたが、だんだん落ち着いてきて正気に戻ってきました。 ふと「悟りの状態に安住し、安住し続けるとはどういうことか」という問いが浮かびました。 その問いが頭に浮 [続きを読む]
  • 師ヴィルーパの伝記3
  • 二度目の一千万遍念誦も最後、結願座になりました。 「行法専念のところ、結願の座にあい当たれり。本尊界会を始め奉り、諸尊聖衆、曼荼羅の本位に還着したもうべきものなり、、、」 師は柄香炉をもって青ざめた引きつった顔をして結願作法を修しておられました。 何か魔障があったわけではありません。 何もなかったのです。 何も感じることがなかった。学僧と言うものは、小僧の時から「不思議を求めてはいけない」と教わるもの [続きを読む]
  • 師ヴィルーパの伝記2
  • 師ヴィルーパは東方のデーバパーラ王の地、トリプラでお生まれになりました。 昔々、南インドに所属の学生、お坊さんが千人いるような大きな学問寺、仏教の大学のお寺がありました。(注1) 師ヴィルーパはそこのお寺のお坊さんでした。つまり学者よりなのですが、学者なら修行しないで実践無視した論理倒れのことに夢中になったり、ちょっと左寄りのことを言ったり、先学を取りあえず否定して「仏教に非ず!(キリッ)」とした [続きを読む]
  • 師ヴィルーパの伝記1
  • (上記は酒屋と「夜が明けたら飲み代を払う」という話のもと、朝日が上がらないように止めている様子) もう仏像は積極的に増やさないと思ってたのですが、ヴィルーパ尊者の仏像をお迎えしてしまいました。 師ヴィルーパは後期密教で『成就者』と言われる方です。インドなどにおいて法を成就し解脱などを遂げた方々が「悉地(成就)を得た者」として『成就者』と言われます。 そのような成就者の伝記をまとめたものに『八十四人 [続きを読む]
  • 秘鍵大師様ご巡錫のお迎え・御参詣と御朱印
  • 先日、秘鍵大師さまをお迎えして法要を行いました。その前の日に篤信の方がいらっしゃって、大覚寺で秘鍵大師様とお会いできなかったので、大覚寺の戊戌のHPより関東教区の寺院を調べられて、当山にお参りに来られた方がいらっしゃいました。御朱印を求められたので、浄書させていただきました。また参詣後にお礼のメールも頂きました。 御大師様の御徳の広いこと、御信者様の篤信のこと、ステキなことと思います。 [続きを読む]
  • 参考2(光記該当部分。本頌の配当まで2)
  • 【本文】就頌前中。一總結生下。二別起頌文 此即總結生下」  諸功徳中先辨無量者。此即別起頌文」  頌曰至人起定成三者。就此頌中。初句標名擧數。次一句顯唯有四。次兩句出體。次三句明行相。次一句明所縁。次兩句明所依。次一句明不斷惑。後一句明處及成」   【訓読】頌の前の中に就いて。 一には總じて生の下を結し。二には別して頌文を起こす。 此れ即ち總じて生の下を結す。 「諸の功徳中に先づ無量を弁ず」とは。此ち [続きを読む]
  • 秘鍵大師様お迎え・平成二十九年度盂蘭盆会施餓鬼法要
  • 本日14時より当山において秘鍵大師様お迎え・平成二十九年度盂蘭盆会施餓鬼法要を厳修致しました。 昨日はわざわざ秘鍵大師さまにお参りに来られた方もおられ、また本日は御大師様へ御花代ご寄進の方もいらっしゃっいましたので、ご回向いたしました。 夕方に密蔵寺さまが御大師様をお迎えに来られ、無事に御大師様は次へご巡錫になられました。 以上で本年当山お盆一連の行事は終了です。 お疲れ様でした! 大本山大覚寺 戊 [続きを読む]
  • 秘鍵大師様ご巡錫のお迎え
  • 大覚寺では来年、嵯峨帝をはじめ歴帝御書写の写経の封を開いてご供養する「勅封般若心経1200年戊戌開封法会」がございます。 そのお待ち受け法要の一環として、普通の弘法大師像ではなく「秘鍵大師」像を作りして、所属寺院で順番にご奉祀しているところです。 当寺にも御大師様が来てくださいました。(上記画像は仏前安置の様子) この御大師様は、嵯峨天皇さまの御代に疫病が流行った際に、御大師様が嵯峨帝に写経をお勧めし [続きを読む]
  • 梵網経を読む(8月17日)ー受戒の別ー
  • 一般仏教学として、授戒を受けると仏教徒になります。キリスト教では洗礼がありありますが、仏教だと同じような意味のあるのは受戒です。 戒と律は本来意味が違い、戒は自誓的な側面が強く、律は本来、仏教教団運営のための規則の側面が強いです。 仏教徒は「四衆」または細分化して「七衆」と言われる種類があります。①比丘(男性出家者)②比丘尼(女性出家者)③優婆塞(在家男性信者)④優婆夷(女性在家信者)が四衆です。 [続きを読む]
  • 参考1(光記該当部分。本頌該当部分の前まで1)
  • 【本文】倶舍論記卷第二十九沙門釋光述   分別定品第八之二如是已説至所起功徳者。此下大文第二明能依功徳。就中。一明四無量。二明八解脱。三明八勝處。四明十遍處。五明得依身。六明起定縁(T第41巻433頁A段) 【訓読】『倶舍論記』「卷第二十九」 沙門。釋の光。述す。    《分別定品》第八の二是の如く已に至る所の起す功徳を説くとは。此の下の大文第二に能依の功徳を明かす。就中。一には四無量を明かし。二には八解 [続きを読む]
  • [コピー]【鬼灯・酸漿】お盆のほおずきのお話【盂蘭盆会再掲】
  • ほおずきは原産地は東南アジアだそうですが、日本でも普通に植わっています。 毎年7月9日10日は東京浅草の浅草寺(浅草観音)でほおずき市(四万六千日)が行われます。 お盆にはよくホオズキを飾ります(飾らない地方もあります)。 これは、お盆に提灯(ちょうちん)・灯篭等を飾りますね。 これら(ホオズキ・提灯・灯篭)に共通している事は、「明かりが灯り(ほおずきなら赤いから)目印になり」「中が空洞」と言う事です。 [続きを読む]
  • 四無量心2−本頌ー
  • 【本文】頌曰無量有四種 對治瞋等故    慈悲無瞋性 喜喜捨無貪    此行相如次 與樂及拔苦    欣慰有情等 縁欲界有情    喜初二靜慮 餘六或五十    不能斷諸惑 人起定成三(T第29巻150ページB段) 【訓読】頌に曰く。無量に四種あり。 瞋等を對治する故に    慈と悲は無瞋を性とす。 喜は喜なり。捨は無貪なり。    此の行相は次の如し。 樂を與うると。及び苦を拔くと。    欣慰す [続きを読む]
  • 四無量心1ー倶舎論所説の件ー
  • 発心は四無量心と書きました。しかし四無量心も『?舎』と『順正理』では違いますし、さらに『金剛界法』等に出てくる密教の四無量心はまた内容が違います。ここでは参考として『?舎論』の四無量心を説いて一応の解説といたします。 【本文】阿毘達磨倶舍論卷第二十九尊者世親造三藏法師玄奘奉  詔譯 分別定品第八之二如是已説所依止定。當辯依定所起功徳。諸功徳中先辯無量。(T第29巻150ページB段) 【訓読】『阿毘達 [続きを読む]
  • 師に仕える2−独学の場合ー
  • 伝統に則れば、師に仕えずに修道を行うことはできません。密教は無論ですし、顕教でも師に仕える功徳と必要が説かれます。(注1) しかし実際に師を訪ねることは難しいかもしれません。その場合どうするのか。 まずは、独学では修道はできないことは前提で忘れない。よき師に会えるように常々祈る。菩提寺(お墓があるお寺)などがある場合は、菩提寺の住職に相談する。そこから自分の家の宗派の受戒会や帰敬式の案内をもらえる場 [続きを読む]
  • 師に仕える1
  • 発心し、帰依の心も起こしたら、今度は師を訪ねます。 勉強は一人でするものですが、修道は師について行わねばなりません。若し一人で行うというのであればこれは独覚乗であって大乗の摂ではありません。四生百劫に灰身滅智して無余涅槃に入る道です。また正しい師につく、戒脈血脈のある師に就かなければ正しい仏弟子になることができません。 正しい先生の弟子になると、その先生の先生、先生の先生の先生と遡っていくと最後に [続きを読む]