清浄光明 さん プロフィール

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清浄光明さん: 光明の生活
ハンドル名清浄光明 さん
ブログタイトル光明の生活
ブログURLhttp://ameblo.jp/koumyou37/
サイト紹介文「世界は心の現れである」 この光明としての心で普通に暮らしていくことをお伝えしています。
自由文千葉在住のライトワーカーです。
エネルギーワークとスピリチュアル・ヒーリングについて書いて行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供51回 / 157日(平均2.3回/週) - 参加 2010/05/04 22:38

清浄光明 さんのブログ記事

  • 自省と慈悲
  • 現実でもネット上でも、あるいは非難に感じる、または誤解を受けることがあると思います。 無論、物理的または現実的に損害があるならそれに対応する。しかし、心理的な受け取り方としては、私はこう思います。 その時は、まず「そんな見方もあるのだ」と素直に受け取る。たとえ「本性を顕した」「馬脚を見せた」というようなご意見でも、「そうであろう」と思う。そんな感じ方もあるのでしょう。私はそうなご意見があるならそん [続きを読む]
  • 梵網経を読む(7月17日)
  • 今月は東京のお盆です。今月の半月の梵網経読誦は7月17日に拝ませていただきました。 慈雲尊者はこう申されています。 「菩薩は自然体に善業を行われる。相手の身になって相手のことを思いやり、相手が悪いことをしようとすれば自分の子供が水に溺れ火に入るのを見るように驚き悲しむ。 菩薩は身に為すこと、口に言うこと、心に思うこともすべて真実に善にして正しいありさまである。 このように心得て十善業、つまり善業をな [続きを読む]
  • 人間以外の存在の菩薩
  • ある御寺の境内の木に鳥の巣がかかって、親鳥が子鳥を育てていました。何個か巣があって、お寺の木を伐採するときに、巣がある枝に伐採のハサミがかかると親鳥は逃げてしまいます。しかし、ある巣だけは、その枝にノコギリが掛かっても親鳥は子鳥を守って逃げませんでした。 釋に曰く。「この親鳥の行為ー自分の危険を顧みることなく子鳥・巣を守ったーということによって、実は世界はそれをきっかけに(曼荼羅・浄土・法界へ)変 [続きを読む]
  • 大乗の修行者ー理想像を思うー
  • 大乗では仏になることが結果である。それは卑近な例では「甲斐性のある大人」であるというお話をしてきました。その理想像は、出家在家を問わないならば普賢菩薩、在家だけなら維摩居士でしょうか。 理想の条件だけ並べても具体的にイメージできないことがあります。まずはそれを具現化したした人を思うことで、より具体的に結果をイメージできると思います。 大乗はいろいろな話が込み合ってるのであっちの話をするとこっちが立 [続きを読む]
  • ご利益と不思議
  • 御信心をしておりますと、ご利益があるときがあります。または、不思議なことがあったり、いろいろ見聞きして感じることがあるかもしれません。 それ自体は普通にあることです。私自体、こうして道場で御仏飯を頂いて暮らしていること自体、ご本尊様お稲荷様はじめ三宝諸天のお守りのお陰、檀信徒の皆様の御信心ご供養のお陰と思っております。 そのほか、いろいろ不思議な体験をされる場合もあると思います。それも普通のことで [続きを読む]
  • 甲斐性なし
  • 題名は私のことですが(苦笑) 大乗というのは本来は「難行」で、「上根上智」の人が頓教的な法門で速やかに「仏となる」教えです。(注1) 仏になれば人格円満で何でも自由自在のはずです。伝教大師さまも「道心のある人をインドでは菩薩と言い、中国では君子という」と仰っています。それは「甲斐性のある大人になる」ということでしょう。(注2) でも現実の自分は下根劣慧の無知菲才、末代無智の薄地の凡夫、十悪破戒の愚痴 [続きを読む]
  • 大乗に信を起こす3
  • 信を起こすとは色々ある中に、その世界観の中に入るというお話を致しました。大乗の世界観というのは「みんな仏になれる完全性をもっているので、お互い仏になって幸せになろう」というような感じですね。 お互い幸せになるという中、自分の幸せとそのための行為を自利、相手の幸せのための行為を利他といいます。自利と利他は本来同じことですが、実際には①自利を優先する立場と、②利他を優先する立場、があります。 日本仏教 [続きを読む]
  • 信を起こす3−信と唯心への私見ー
  • 「信には二種類ある。一つには解信。二つには仰信である。」と言います。解信とは教えを理解してから信じる。仰信とは教えを理解していないが、尊いものだとして仰いで信じることです。 聖道門では解信が勝、浄土門では仰信が勝とされると思います。 信じるというと教えを信じるわけですが、教えにはその宗教・宗派の世界観が示されています。だから「教えを信じる」というのは「その示された世界観を理解してその世界観の中に入 [続きを読む]
  • 梵網経を読む(7月1日分)
  • 昨日は梵網経を読む日でした。拝ませていただきました。 梵網経は戒律を説いた御経です。顕教の解説で信を起こすことを説いていましたが、仏を信じていると言っておきながら、自分の己義を構えて自分のしたいようにして無慚愧というのでは、信じていると言ったこと自体嘘じゃないかろうか、ということになってしまいます。 ではお前さんそんなに如法に生きておるのかい、と言われれば、これはまことに申し訳ない状態です。破戒十 [続きを読む]
  • 大乗に信を起こす2−「大乗」というテクニカルタームの特殊使用例ー
  • 普通、大乗というときは一切衆生が救われる、仏となることを説いた教えという感じの意味です。 しかし、特殊な使用例として、「我々の(世間と出世間)すべてを納めて生じる真理としての心」を指す場合もあります。 まあ、光明というかリクパというか本覚というか自性清浄心というか、何があっても汚されない心の本質みたいなアレですね。全部そこから生じて収まるから「大乗」というのだ、と。 ます、そのような自性清浄心が私と [続きを読む]
  • 大乗に信を起こす1
  • 声聞・独覚・菩薩の三乗に人天の二乗、それに佛乗(一乗)を足しての五乗と六乗(三乗に佛乗を足すとなれば四乗)と諸乗を分別してきました。 御縁ですから、どの方法論と結果(乗)でも結果が出ればいいとは思いますが(注1)「日域大乗相応地」と言われるくらいで、せっかく聖徳太子も「和」と仰って頂いているわけですから、大乗(菩薩乗・佛乗)に信を起こしてみんなで幸せになる方向で話を考えていきます。 まあ日本で仏教学 [続きを読む]
  • 道と結果を考える5−菩薩乗ー
  • 小乗二乗の次は大乗の菩薩乗です。三乗の他に佛乗を立てて四乗にしたり、合わせたり開いたり色々ありますが、いまは菩薩乗で大乗一般の話をします。(注1) 菩薩になる人は、仏となるのが結果です。仏陀になって自分の利益と他人の利益を円満に成就することができる境地を目指します。現世の現実的な面で例えると、大きな器の人間になる、「大人」になる、と言えるでしょうか。 さて、その方法論となりますと、これが私は浅学菲 [続きを読む]
  • 道と結果を考える4−二乗の涅槃ー
  • 声聞乗と独覚乗は最後に「無」になると書きました。これはきれいに言うと「無余涅槃に入る」ということです。 法身偈においてこう説かれます。 「諸法従縁生 如来説是因 是法従縁滅 是大沙門説」 つまり、原因があれば結果が生まれる。生まれたものは滅する、ということです。原因があるから、つまり生まれてくる何か業因があるから生まれてくる。『生まれてくる業因(原因)が無ければ生まれてこない』ということです。原因が [続きを読む]
  • 道と結果を考える3−二乗作佛・会三帰一?−
  • 人天乗の次は小乗の二乗、声聞乗と独覚乗です。二乗は煩悩を滅することで輪廻する原因をなくして灰身滅智する、つまりざっくり話「無」に帰っちゃうのを目的にします。自分ひとりはちゃんときれいに身を保って、無に帰って終わり。 大乗の立場だと自分だけ苦しみのない世界に入って慈悲がなくてケシカランとか、いや実は縁のある人は慈悲を起こして大乗に転入するとかいいますが、私的な感想だと「べつにそれはそれでありじゃね? [続きを読む]
  • 終活(死に支度)1ー経帷子ー
  • 嵯峨、清凉寺釈迦堂の経帷子が届きました。 寄る年波には勝てないものです。だんだん足が上がらなくなり、歩けるはずと思っていた距離がつらくなる。出歩くのも億劫になってくる。 「病を得ては往生が近づいたのを喜ぶ」と申されたのは法然上人です。「久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、 いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候」は親鸞聖人、「あながちに病患をよろこぶこころ、さらにもつておこらず。あさ [続きを読む]
  • 道と結果を考える2−人天乗ー
  • 来世のこととかはあまり考えない。ともかくこの世で幸せになることをだけを考える。または来世は地獄落ちは免れて、また人間や天界に生まれて普通に幸せになりたいと願う。 ここら辺は人乗や天乗の範囲だと思います。以上のような趣旨の自己啓発やスピリチュアルとかもここに入れてしまえるかもしれません。また、西洋魔術、仙道、古神道なんかもここに入れてしまえると思います。仏教の立場だとキリスト教などもここでしょう。先 [続きを読む]
  • 道と結果を考える1
  • 仏さまに信を起こしたのちはどのように行動したらよいかということです。信を起こすのは安心ですから、次は起行ということです。別の言い方では、土台と道と結果を考えるということでしょうか。 それは総論でざっくりとは、良いことをして、悪いことをせず、自分の心を清めるということです。私は本覺論のうえで自性清浄心を立てますので、自分の本来清浄な心、本覚の光明を知って安住することでもあると考えます。(注1)(注2) [続きを読む]
  • 梵網経を読む(6月15日)
  • 本日は御大師様の誕生日でもあります。さきほど『梵網経』とともに、大師寶号をお唱え致しました。 ご聖教ご注釈を見ると、聖者は寝ていても起きていても、常に故意に悪いことをしない、と書いてあります。 また、反省心がない、無慚愧というのは悪い心の状態ではいつも一緒におこる心理作用であるともあります。つまり、「悪いことしても、それを消すだけの良いことをすれば問題ない」とやった当人がはじめから確信犯 [続きを読む]
  • 信を起こす2
  • 御信心は仏教に限りません。他の宗教の御信心の場合もあるでしょう。 九顕十密の解釈の意味や、外金剛部まで曼荼羅のうちであることを考える、「世間相常住」のこと、本覚のこと、三教一致の考えなどを考えれば、各々の道でまた得るところがあるので、「いいんじゃね?」という気がしなくもないです。 しかしここでは廃立の意味からも、仏教を立ててほかのことは考えません。 前に書き込みしていたことを取り敢え [続きを読む]
  • 信を起こす1
  • 無常だ、人間に生まれることは貴重だ、物事は成立条件が変われば結果が違う、偶然はないと延々と説いても、信じていただけなければ無意味です。 以上のこともそうですが、仏の教え、三宝に対するご信心がなければ結局、御釈迦様に実際にお会いしても教えが心に入らないでしょう。 「或いは佛に値うありといえども、而して三塗を免がれず。善星、提婆、遮多、居迦離等是れなり。」(注1)と言われる所以です。 何か [続きを読む]
  • 因果を信じる
  • 因果、因縁というとおどろおどろしいように思えますが、本来は「直接原因と間接原因」位の意味です。すべてのことは相互に依存性のあるなか、一時的にその状態を成立させている、ということです。これは空性の説明にも関わってきます。一つの物でも全体とは全体を構成する部分からなっていて、「それ自体で成立している」ということはない、ということです。偶然ということはなく、物事が成立するのはそれだけの原因があるのだ、 [続きを読む]
  • いぼを取る
  • いぼというか、黒子(ほくろ)なんですが。右目の目と眉毛の間に黒子があって、結構目立ってたんです。 先日、師僧の所に行きましたら鍋をごちそうになりました。おいしゅうございましたが、その鍋を突っついてたらお師僧さんが「そのいぼ?人相学的に悪いわ。取んさいや」と仰ったので、さくっと皮膚科に行って取ってもらいました。 「オヤジさんに言われて身を切ります」うん、なんか、ゾクゾクしますね(笑) [続きを読む]
  • 恩を思う1
  • 人の褌で相撲を取ったり、乗っ取ったり、そんな話が多い娑婆は玄奘三蔵が「堪忍世界」(注1)と訳したように、世知辛い場所。「堪え忍ぶ」所です。 その世知辛い中に、よくしてもらったことを忘れすにいる。「恩を思う」わけです。「感謝の心を知る」「ありがとうを知る」とも言えます。 恩を思うとか感謝とか言いますと古臭いようですが、実は「恩を思い出す=自分が愛情を受けたことを思い出す」ことです。愛情を受け [続きを読む]
  • 懺悔・慚愧・六根清浄2
  • 説戒において十善戒を護持することを書き込みました。 しかし、実際の生活でなかなか戒を護持することは難しいかもしれません。商売上の駆け引きはあるいは「綺語」「妄語」かもしれません。人の陰口は「悪口」かもしれません。許可がないのに取るのは「偸盗」です。虫も殺せば「殺生」です。 破戒や造悪の実際の対治対応は懺悔になります。『涅槃経』にこう説かれています。 「諸佛世尊、常に説是の言を説きたも [続きを読む]
  • 懺悔・慚愧・六根清浄1
  • 説戒のなかで、「十善戒はハードルが高い」というご意見を頂きました。 実際、持戒は聖道門の基礎です。御大師様も『三学録』に説一切有部系統の律を学ぶことを説かれ、『梵網経開題』にこう説いておられます。(注1)「十重の戒品は悪業を除き、四十八軽は染塵を離る」と。 では、お前はやっておるのかい、と言われると。全然守れておりません。お恥ずかしい限りであります。 個人的に、戒を憶念することをは以下 [続きを読む]