chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 第50回記念 高槻まつりのあゆみ

    高槻まつりのあゆみ第一回高槻まつりは「えじゃないか高槻まつり」として、昭和45年(1970年)始まりました。昭和45年は千里丘陵で大阪万博が開かれた年で大阪は万博ブームに沸いていました。毎日、30万人の人が万博会場に行き延6000万人以上の人が来場しました。そのころ高槻市では、昭和40年代に急激に人口が増えてのどかな田園都市から大阪のベッドタウンとして大きく飛躍しました。そんな年に高槻まつりが開催されました。初代会長を務めていただいた池尻正勝さんの呼びかけで現在の城跡公園、市民グランドで「ふるさと意識の高揚」をスローガンに、高槻市内にある各企業、各団体、商工会議所、観光協会、行政、警察署などが中心となって3日間(第1回から第5回まで)開催されていました。その後、第2回から第6回までは、当時の高槻市長の吉田得三さ...第50回記念高槻まつりのあゆみ

  • 平成最後の選挙

    4月1日に新元号「令和」が発表されました。いよいよ平成の時代もあと19日を残すばかりになりました。巷では大阪府知事選挙、府議会選挙、大阪市長選挙、大阪市議選挙が行われました。結果はご存じのように維新の圧勝となりました。これから、高槻市議会選挙が14日の告示で21日投票で始まります。45人の立候補で34人が当選する過酷な選挙が始まります。多くの方が高槻市へのそれぞれの思いを訴えられます。平成最後の選挙

  • 「大塚切れから100年」の講演を聞いて提言

    提言、「大塚切れから100年」で市長の講演を聞かせていただいて、芥川はいまだに氾濫可能性の非常に高い河川であることが分かりました。淀川の安全性は、瀬田の洗堰の整備、桂川水系のダムの整備、木津川水系のダムの整備等で安全性は高まりました。しかし、現状でも淀川が12000m3/秒の水が流れるとき、淀川の水位は高まるので、芥川の排水能力は悪くなってしまい、ひいては、芥川に越水が起こり破堤の危険性が高まります。それではどこが一番危ないかというと、過去に破堤したところとなります。淀川の水位が高くなることによって相対的に芥川の水位が低くなって、逆流してくる可能性があります。そうなると最後は津之江公園のダム効果がどこまで持つかとなります。その時は芥川も1500m3/秒くらいの水が流れ込んでいるはずなので、如是川と合わせて、20...「大塚切れから100年」の講演を聞いて提言

  • 高槻市制75周年記念講演会企画書

    高槻市制75周年記念講演会企画書*目的高槻市制75周年を記念して「高槻市制75年のあゆみ」を市民と共に振り返り、先人の知恵に学び、さらなる市政発展に寄与する。高槻市75年のあゆみ1、発展の基礎づくりの時代~昭和18年から昭和30年代~田園風景の広がるのどかな町から、工場の誘致や市営バスの開業などの基礎づくりの時代。初代市長磯村弥右衛門、二代中井啓吉、三代古田誠一郎、四代坂上安太郎、五代鈴木定次郎の時代2、人口急増期都市基盤の整備進む~昭和40年から昭和50年代~昭和40年代は人口急増し昭和44年に20万人を突破し昭和48年には30万人を突破した。10年間で小学校17校、中学校7校を建設。昭和45年には市役所庁舎を建設した。昭和50年代には高槻駅の橋上化した。北に西武百貨店、南に松坂屋が開店した。六代吉田得三、7...高槻市制75周年記念講演会企画書

  • 大塚切れ100年シンポジュウムの感想

    大塚切れ100年シンポジュウムが文化ホールの中ホールでありました。濱田市長の直々の講演で治水の大切さを教えていただきました。近畿河川整備局の局長の出席もあり、本格的な催しでした。雨が何百ミリも降り続けると河川が氾濫して洪水が起こるという話でした。平成25年の台風で淀川が満水になった話も最近の水害の例として話されていました。2100年には最高気温が40度を超えていくという地球温暖化の話も面白おかしく話されていて、たいそう驚かせられました。確かに水害に備えることはたいへん大事な事柄です。しかし、まずは現状を正しく把握するための河川の関連情報が大切です。どのくらい雨が降ると河川が氾濫するのか、を知りたいのです。「流域面積と河川の排水能力」が重要なんですが、実はそこまでのお話はなかったように思います。一般的には複雑で煩...大塚切れ100年シンポジュウムの感想

  • 昭和32年頃らしい写真(年代不明)

    高槻市の昭和32年の写真ということですが、もう少し古いのではないかと思いますが、はっきりとは言えません。下の線は国道170号線です。まだ二車線で車はすごく少ないようです。この写真に写っているのはよくわかりません。左の斜めの道は八幡町から春日町へ向かう道です。磯村弥右衛門さんの家が見えます。カラーでないのでよくわかりませんが、きれいな田んぼが続いています。島上高校、市民グランド、第一中学校が見えます。170号線沿いの校舎は高槻中学です。おお田園の高槻市の時代です。これで60年前です。人口8万人くらいかな。自動車教習所も大阪瓦斯もましてや、マンダイはありません。高槻市は大いなる田舎だったのです。昭和32年頃らしい写真(年代不明)

  • 昭和16年頃の新京町商店街

    昭和16年頃の写真です。新京町商店街を大阪医大の生徒が文化祭の催しで闊歩しています。ちょうど弊社の前で写真を撮られています。店頭に立っているのは、若き日の父、中川市太郎と思われます。弱冠26歳で開店間もないころのようです。右隣は「いばらきや鞄店」「いばらきや靴店」のようです。今から、77年前です。ついこの間です。昭和16年頃の新京町商店街

  • 京阪バスの乗り場が新しくなりました

    JR高槻駅の南口のバス停が屋根がついて新しくなりました。そこにあった京阪バスの看板です。いすずのボンネットバスがかわいく描かれています。こんなバスが、新京町商店街(高槻センター街)を走っていた記憶があります。昭和30年代後半の話です。京阪バスの乗り場が新しくなりました

  • 「あれから50年」高槻市立第一中学校18期生同窓会

    10月2日に、同級生71名と好田先生の参加を得て、盛大に開催することができました。一部はクラス別のテーブルで会食と会話を楽しみました。二部では二年生時のクラス別に分かれて、コーヒーとケーキで楽しい時を過ごしました。50年の時を隔てて、会話の中身も、健康の話であったり、孫の話であったり、介護の話であったりと、仕事の話は少なかったりと変わってきていました。同じ時代を生きている仲間としての連帯感をあらためて確認しました。来れなかった仲間が2名ほどおられたのですが、会計は1万円ほど余剰が出ましたので、これは、次回の案内状の費用に当てさせていただきます。幹事のみなさんお疲れ様でした。10月23日6時より、反省会並びに慰労会を開催したします。場所は未定です。なお、今回幹事をされていなくても時間の会う方は来ていただいて結構で...「あれから50年」高槻市立第一中学校18期生同窓会

  • 摂津峡キャンプ場デイキャンプ

    「摂津峡キャンプ場で松茸がり」というテーマでデイキャンプをしました。10時に集合して、先ず場内の散策。バーベキューの準備をしながらお昼時間になるのを待ちます。飯盒で4号のご飯とお湯を沸かし、バーベキュー用の炭に火を付けます。食材は昨日、買い集めたお肉と野菜です。10人の大人と3歳の子が一人。全員が元キャンプ場の関係者で30年ぶりの摂津峡です。森の木々は、はるかに大きくなっていて、まったく違う森の様子です。足元には熊笹はほとんど見当たりません。クヌギやコナラは10m以上に高くなっています。そして楢枯れの処分でコナラは大半が切られてい7、8段に積み上げられています。手入れのしない森は人を寄せ付けなくなっています。食事の後、一本の枯れた松を切りました。直径20cm位の松でしたがそれでも年輪は40年くらいありました。よ...摂津峡キャンプ場デイキャンプ

  • 高槻第一中学校の航空写真2015 と1990

    1990年ころの高槻第一中学校周辺です。北側から南に向かって撮った写真です。左がてかっていますがこれはカメラの反射です。北門があって、今の公民館とか、城跡歴史館はまだできていません。市民プールも健在です。こちらは2015年の一中です。これは南側からとっています。上の写真と南北が入れ替わっています。西側に体育館があります。その南側にテニスコートが二面あります。私が入学したのは1963年4月です。市民プールはまだありません。市民会館も建設中でした。第6中学校ができた年で同級生は380人くらいで8クラスでした。一クラス上は18クラスあったんではなかったかと思います。高槻第一中学校の航空写真2015と1990

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、SHUさんをフォローしませんか?

ハンドル名
SHUさん
ブログタイトル
高槻ライオンズクラブ物語
フォロー
高槻ライオンズクラブ物語

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用