みーおでん さん プロフィール

  •  
みーおでんさん: みーおでんの好きなもの
ハンドル名みーおでん さん
ブログタイトルみーおでんの好きなもの
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/mikka0711
サイト紹介文毎日の中からたくさんのハッピーを見つけていきたいと思っています。最近は史跡めぐりにはまっています。
自由文史跡めぐり、読書日記、映画、旅行、グルメ、今日のハッピーを
記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/05/13 21:11

みーおでん さんのブログ記事

  • 堂崎の渡し場跡の碑
  • 堂崎の渡し場跡の碑  山陽道はここで終わり、関門海峡を渡って九州へと続いていました。いつのころか堂崎の渡し場と呼ばれていた公式の船着場がこの地にあって 江戸時代には旅人の往来手形を改める津口の船番所も置かれていました。  慶応元年(1865)閏5月1日、薩長同盟周旋のため龍馬が下関に来た際、堂崎の渡しから上陸した。津口番所での人別検査を無事通過して、外浜町の伊勢屋小四郎方に泊った。 [続きを読む]
  • 旧下関英国領事館 下関市唐戸町
  • 旧下関英国領事館 下関市唐戸町 幕末の元治元年(1864)、英・仏・蘭・米国の4ヶ国連合艦隊が下関を砲撃した「下関戦争」の際、英国指揮艦ユーリアラス号に通訳として乗り込んでいたアーネスト・サトウは、後に英国駐日公使となり、下関に領事館が必要なことを報告し、明治34年(1901)に当地に開設されました。 赤レンガづくりのこの建物は明治39年(1906)に建てられたもので、設計者は長崎の英国領事館の建築を担当した [続きを読む]
  • 末広稲荷神社 下関市赤間町
  • 末広稲荷神社 下関市赤間町 平安時代の大同4年(809)倉稲魂神を祀った、赤間関最古の神社で古来商家の崇敬が篤く、赤間関の繁栄と守護神として信仰されてきました。 北前船で賑わった下関には、遊郭街として稲荷町、裏町がありました。幕末・維新の頃には高杉晋作、伊藤博文ら志士たちもこの界隈を往来していたそうです。現在街並みは変わり、わずかに稲荷神社が往時を偲ばせてくれます。 高杉晋作の愛人だったおう [続きを読む]
  • 大坂屋跡 下関市赤間町
  • 大坂屋跡 下関市赤間町 私達が宿泊した東京第一ホテル下関さんは、大坂屋さんの跡地に建設されています。  ホテルのホームページにあった紹介より。 「赤間関稲荷町」は、天和二(一六八二)年に刊行された西鶴の『好色一代男』に登場するのだから、元禄時代にはもう日本じゅうにその名を知られていた。現在下関市赤間町の一部が稲荷町にあたる地域で、町名となったお稲荷さんもそこに健在だ。 稲荷町は源平合戦 [続きを読む]
  • 入江和作邸跡 下関市赤間町
  • 入江和作邸跡 下関市赤間町 「奈良屋」と称して酢の醸造業を営んだ豪商入江家屋敷跡。当主の入江和作は、高杉晋作や奇兵隊などの活動を物心両面から支えた一人でした。勤皇の志士たちの信頼も厚く、慶応元年(1865)5月、薩長同盟締結に向けて下関を訪れた坂本龍馬が最初に訪ねた先が同家でした。 入江和作1833(天保4)年、豊前国企救郡(現福岡県北九州市)で生まれ、入江家の養子となりました。入江家は下関の西ノ端( [続きを読む]
  • お知らせです。
  • お知らせです。今年も私のブログに訪問して下さった皆様ありがとうございました。健忘録のブログですが、その史跡巡りの記事さえ投稿出来なくなってきました。新しいカメラで撮影していた写真の容量が大きくてアップするのに時間がかかります。パソコンやネット環境の限界もあるようです。忘れてしまわないように題名だけでもアップすることにしました。ファン登録して下さっている方には新着記事としてたくさん出てくると思います [続きを読む]
  • 今年もありがとうございました。
  • 今年もありがとうございました。今年は私にとってとても充実した良い年になりました。年始に受けた試験に合格し、11月に受けた試験にも合格しました。来年もまたその続きの試験に挑戦します。史跡巡りにも行けました。そして来年からは、私のかねてからの目標の集大成とも言えることに挑戦することにしました。挑戦しなかったら将来ずっと後悔すると思うからです。人生の転機になると思います。今年はその準備を進めてきました。ブ [続きを読む]
  • 土佐堀川 古川智映子
  • 土佐堀川 古川智映子 宮本輝氏絶賛! ! 「読んでいて溜息をつくほどのひとりの女性の一念の凄さ、そして鬼気迫る行動力! 」近代日本の夜明け未だ女性が社会の表舞台に躍り出る気配もない商都大坂に溌剌たる女性がいた! 常に全力、七転八起を超える九転十起のがんばりで、大坂の豪商加島屋を切り盛りし、命の重さに想いを馳せ大同生命を興す。女性教育にも心血を注ぎ、日本女子大学の創立にも関わったさっそうたる女性の一代記 [続きを読む]
  • 青春交響の塔 下関市あるかぽーと5番
  • 青春交響の塔 下関市あるかぽーと5番  維新発祥の地・下関のシンボルとして平成15年(2003)に完成したモニュメント。新時代を共に夢見た高杉晋作と坂本龍馬の友情が二本の石柱で表現されています。 山口県出身で、新東京タワーのデザイン監修も務めた澄川喜一氏による制作です。 海を見渡せる場所に建っていて、高杉晋作さんと坂本龍馬さんが二人で海を見ているような姿が想像出来ました。 ランキングに参加 [続きを読む]
  • 大歳神社 下関市竹崎町
  • 大歳神社 下関市竹崎町  寿永4年(1184 )平家追討の任を受けた源義経は、壇之浦の合戦を前にして、自分の守護神である富士山の浅間大神の助けを請うため、平家の陣地である彦島に近い有明山(欄外参照)の山麓に、富士川の合戦以来 担いできた「富士の小松」を植えて篝火を焚き、7日7夜の斎戒を修めて戦勝祈願をしました。 そして翌年の文治2年(1185) その由緒により、付近の漁民が竹崎町の守護神とし [続きを読む]
  • 白石正一郎旧宅跡 下関市竹崎町
  • 白石正一郎旧宅跡 下関市竹崎町 文化9年(1812年)、長門国赤間関竹崎に萬問屋(荷受問屋)小倉屋を営んでいた白石卯兵衛・艶子の長男(8代目)として生まれた。米、たばこ、反物、酒、茶、塩、木材等を扱い、ほかに質屋を営み酒もつくった。もともと下関は西国交通の要衝であったため、長州藩など多くの藩から仕事を受けて、資金は豊富であった。鈴木重胤から国学を学び、重胤の門下生を通じ西郷隆盛が正一郎を訪ね親しくな [続きを読む]
  • 天五(てんご)に平五(へいご)・十兵衛横町 大阪市中央区今橋
  • 天五(てんご)に平五(へいご)・十兵衛横町(じゅうべえよこちょう)  大阪市中央区今橋一丁目5 開平小学校前江戸時代、経済制度の発展に伴い、今日の銀行的業務の必要が生じ両替商が生まれてきた。大坂では寛永5年(1628)天王寺屋五兵衛が始めたのが最初という。寛文10年(1670)には幕府により十人両替が誕生した。ここにはその中でも最大手の天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の2軒が、道を挟んで店を構えていたこと [続きを読む]
  • 高杉晋作終焉の地 下関市新地町
  • 高杉晋作終焉の地 高杉晋作(号・東行)は天保十年(一八三九)八月二十日、萩藩士高杉小忠太の嫡男として萩城下に生まれ、萩校明倫館に学ぶ傍ら、松下村塾で吉田松陰に師事し尊攘思想を養いました。 文久三年(一八六三)六月、攘夷の決行で外国艦に砲撃された下関を防備するため来関し、直ちに奇兵隊を結成しました。奇兵隊は「志」があれば庶民でも入隊を許した画期的な軍隊でした。元治元年(一八六四)八月、下関戦争の戦後 [続きを読む]
  • 萩藩新地会所跡 下関市上新地町
  •   厳島神社参道横に碑が建立されています。藩政改革を唱える高杉晋作は、元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で挙兵し、萩本藩の出先である新地会所を襲撃しました。これを契機に藩内の倒幕派は勢いを取り戻し、長州藩は一気に明治維新へと突き進んで行くようになりました。  ランキングに参加しています。 して頂けるとありがたいです。→ブログ村 [続きを読む]
  • 厳島神社 下関市上新地町
  •  平家一門が安芸の厳島神社の分霊を守護神として、安徳天皇の御座船に祀っていましたが、壇ノ浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったことにはじまると言われています。 高杉晋作は、1866年(慶応2年)の四境戦争に挑むに当たり、本神社において戦勝祈願を行ったといわれている。小倉口の戦いでは、長州軍は奇兵隊・報国隊の2隊を先鋒とし戦い、同年8月1日、幕軍総帥小笠原壱岐守が [続きを読む]
  • 高杉晋作療養の地 下関桜山町
  •   高杉晋作は小倉戦争で、長州軍を指揮して幕府軍と戦いましたが、この戦いで持病の結核が悪化し、桜山神社の近くに小さな家を建てて、野村望東尼(のむらもとに)、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。  結核のため、隔離して療養していたのでしょう。現在はいいお薬がありますが、昔は風邪などでもこじらせると命を落としていたのだと思います。私たちは有難い時代に生きているのだなとここに来て感じ [続きを読む]
  • 櫻山神社 下関市上新地町
  •  櫻山神社略記 文久3年(1863年)10月、東行高杉晋作の発議により、殉国の志士の神霊を祀る招魂場を築くことになり、12月騎兵隊が下関に転陣したため、候補地を下関に求めました。文久4年:元治元年(1864年)正月23日、長州藩政府と協議し、新地岡の原、通称桜山を斎場に選びました。同年3月29日、来関中の、三条実美卿等五卿方、視察され社殿の必要性をときました。慶応元年(1865年)8月3日、招魂場落成。明治5年(1872年)8 [続きを読む]
  • 巌流島 下関市彦島船島
  •  巖流島(がんりゅうじま)は山口県下関市にある、関門海峡に浮かぶ島(無人島)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、住所は「下関市大字彦島字船島」となっている。 宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされることで著名となっている。決闘が行われたとされる当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「巖流」(「岩流」とも)を名乗ったことから巖流島と呼ばれるようになった。   巌 [続きを読む]
  • 唐戸市場 山口県下関市唐戸町
  •  今回は阪急旅行さんのフリープランで行きました。のぞみで新大阪から小倉へ行きました。 小倉城 小倉からレンタカーで下関へ向かいます。30分位で唐戸市場へ着きました。唐戸市場は土日、祝日は一般の方へ向けて、お寿司を販売するお店がたくさん出るそうです。シルバーウィークとあって凄い人出でした。 お寿司などを自分で選んで買うようでしたが、大阪人の私から見て、お得感があまりないなと・・・。そ [続きを読む]
  • 明治神宮 東京都渋谷区代々木神園町
  •  明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を集める。 明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮である。面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代 [続きを読む]
  • 下関へ行ってきました。
  •  幕末史跡めぐりの旅、今年は下関になりました。また、フリープランでレンタカーを使いました。とても思い出に残る旅になりました。 少しずつ記録していきたいと思っています。  そして、新しい目標が出来ました。 私が年頭に掲げた目標の試験は、来年の1月に行われることになりそうです。その目標のため、自分なりに、準備をしてきました。  ところが、まだ決まってはいないのですが、現在の [続きを読む]
  • あさが来た
  •  朝ドラを久しぶりに楽しみにしています。大坂にあった豪商加島屋さん(現在の大同生命)を立て直した女性、広岡浅子さんのお話です。 幕末の動乱によって経営危機を迎えた加島屋さんをどうやって立て直したのか、また女子教育の発展に尽力された浅子さんの人生も楽しみです。 幕末の大坂を商人の立場から見ることが出来そうだなとも思っています。 加島屋さんは幕末時に新選組にも多額のお金を貸していたそう [続きを読む]
  • 千駄ヶ谷徳川邸跡  東京都渋谷区千駄ヶ谷
  •  篤姫の終の棲家。10万坪を超える敷地を有したが、質素な平屋建ての家でつつましく暮らした。篤姫の窮状を見かねた薩摩藩が援助を申し出たが、固辞。僅かな生活費の中から元大奥の人たちのために惜しみなくお金を使い、49歳で亡くなったときは現在の価値にして6万円ほどしか持ち金がなかったという。  江戸城が無血開城された後、篤姫は、徳川一ツ橋邸、青山紀州邸、尾州下屋敷戸山邸、旧相良邸、と転居を余儀なく [続きを読む]
  • 薩摩藩田町藩邸跡 東京都港区芝5-33-1
  •  江戸開城 西郷南州 勝海舟 会見之地 円形の石に「江戸開城 西郷南州 勝海舟 会見之地 西郷吉之助書」と大書されています。ここが2回目の会見場所でした。石碑の後ろ面には「慶応四年三月十四日 此地薩摩邸に於いて 西郷 勝両雄会見し 江戸城開城の円満解決を図り 百万の民を戦火より救ひたるは其の功誠に大なり 平和を愛する吾町民深く感銘し 以て之を奉賛す」と記されています。昭和29年4月に地元・本 [続きを読む]
  • 芝さつまの道 東京都港区芝
  • 芝さつまの道 薩摩屋敷跡は約22,000坪の敷地であったそうで、他に日比谷周辺・田町駅周辺や高輪付近、そして渋谷にも屋敷はあったそうです。 現在、三井住友信託ビルとセレスティンホテルの間が、薩摩屋敷跡を偲ぶ「芝さつまの道」として整備されています。 江戸時代の地図も掲示されていました。綺麗に整備されたお洒落な歩道でした。藩邸から発掘された石垣が椅子として利用されています。当時を想像して座ってみ [続きを読む]