raoron34 さん プロフィール

  •  
raoron34さん: 昭和一桁高齢の日々を生きる
ハンドル名raoron34 さん
ブログタイトル昭和一桁高齢の日々を生きる
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/hanayuritonokoto
サイト紹介文人生の「残り少ない定期券」所有者として、日々思うことを書き残している。
自由文後期高齢者としての日々の生活記録、現実あり、回憶あり、自分史としての資料構成あり、生きて来て印象に残ったことごとの遺言的記録でもある。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供197回 / 365日(平均3.8回/週) - 参加 2010/06/22 11:39

raoron34 さんのブログ記事

  • 1944  盛り場の灯
  • 先月4月19日に台湾のママさんが、家内の仏前に参って下さって以来、昨土曜日を含めて、もう人生ではさまよう事も無いだろうと思っていたネオンの巷へ4度も出かける事となりました。といっても、大阪南の宗右衛門町に有る、もとママさんが経営していたスナックばかりですが。特に昨日の土曜日は、大証の平成29年度の会員総会(名称は北星会、定年退職者の公的な団体)が天満橋の大阪キャッスルホテルで開催されました。会員総 [続きを読む]
  • 1943      西施紫煙
  • 中国の三大美人といわれる「西施」仮に紫煙はありえたとしても2002年、この頃に出始めた携帯電話と「西施」との組み合わせはありえません。そんな組み合わせで描いたF10号の油彩西施紫煙というタイトルの作品です。具体的モデルなしの全くの独創画面です。古いブロ友様はすでにご覧になられたと思います。ブログはいつの大きめのグリーンの文字を使っていますが、このパソコンでは同じように行かず申し訳ございません!フェイ [続きを読む]
  • 1942 昼食会
  • 今日の昼ごはんは、配達された弁当では無くかなり以前に、地区の民生委員から連絡・案内の有った私の住んで居る街での一人住まいの老人達の昼食会が、いわゆる公民館(名称はももプラザ)で有りました。2階の三つの会議室のカーテンの仕切りを取り払っての会場には、かなり大勢の参加者が先着して居りました。亡妻もこのうちの一つの会議室でのダンス教室に来ていました。8割以上は女性でしたが。男性もいるには居ました。私は初 [続きを読む]
  • 1941 今は昔
  • 自分でも几帳面な堅苦しい絵が多いと思うこれまでの絵の中で、完成した油彩よりも下書きの段階で、亡妻にも味が有ると言われ今は自分でもそう思う絵の写真が有りました下に掲げて置きます。記録の為にも〜〜〜顔も完成した油彩よりも似て描けています。初孫と中孫の幼時期のものです。今や初孫は曾孫を産み、中孫は銀行員です。フェイスブックの方にも掲載します。 [続きを読む]
  • 1940 回顧のつどい
  • 4月16日に来日し、19日に家内の仏前に拝みに来てくれた台湾のママさんが近く帰国するのを前に、彼女が経営していた旧スナックにゆかりの者たちが集って飲もうと言う事になり、昨日午後5時30分から、今も店の名前はそのままの、道頓堀川沿いのビルの5階にある場所に集まりました。皆様歌いたい人の方が多く、専ら聞き役の私も助かりました。歌おうという人の数は、絵を描こうとする人よりは圧倒的に多い気がします・・・お [続きを読む]
  • 1939 シェンフーダーシュエ
  • 本日のタイトルのカタカナでの発音は中国語で神戸大学の意味です。英語なら、KOBE UNIVERSITY と書くところです。そして下の絵は昔 私が描いたF10号の油彩です。フェイスブックに載せましたところ、女性画家からスッゴク好きなえです とのたまわれて、直ぐその気になり 掲載しました。ず〜っと前に一度掲載したと思いますが、当ブログのお得意様の変遷も有り再掲するのも良いように思って載せました。描かれ [続きを読む]
  • 1938 金婚式
  • この絵は、確か金婚式の記念に描いた油彩です。寒かったこの年、2008年(平成20年)の2月7日に、私は急性心筋梗塞で入院し、その後ほどなくステントの追加挿入の為再度入院しました。3月16日の結婚記念日(金婚式)がどうなるか大変気を使いましたが、どうにか京都東山の東山閣に両家親族ほぼ50名を一泊で招いて無事祝う事が出来た事は、本当に良い記念になり嬉しかったです!!メモを紐どいて見ると、私は1958年 [続きを読む]
  • 1937 連休も終わり・・・
  • 黄金週も今日で終わりですねーーー4月29日に家内の三回忌を実施した以外は何一つ普段と変わる事無き85歳のゴールディンウイークでした・・・!85歳といえば精々85歳まで入れる生命保険くらいしかその年齢を聞く事もありません・・・いわばまあ全てが終わっている年齢です。保健と言えば亡妻は何の保険にも入って居ませんでしたが、私は既にかけ終わった日本生命の死亡保険が有ります。いつ死んでも1500万円が子供達の [続きを読む]
  • 1936      何を目指して・・・?
  • 今日は子供の日ですね〜〜〜昔は端午の節句でした。つまり、男の子のお祝い日でした。私には男の子が居りません。後にも先にも娘二人ですーーーしたがって特にお祝いした記憶はありません・・・精々粽を食べたくらいです。私はj自分で親孝行だったとは全然思いません。じゃあ子供に良くしたか、と言われるとそれもありません・・・まあ家族関係で優等生だったとは夢思いません〜〜〜子供の日の感想がこれですから、推して知るべき [続きを読む]
  • 1935        WHO IS ?
  • 本日5月3日憲法記念日に合わせて連休に敢えて逆らって、ここ三年以上やって居ないブログ更新の三日連続更新をしてみたくなりました。この辺の天邪鬼ぶり、変人ぶりは、知る人ぞ知るでしょうか・・・?!遊び心が85歳にしては旺盛だと思って頂ければありがたいです。まあ余命もそう長くは無い、と今日も実感しておりますので御容赦の程をーーー左右の写真は、このようなスペースでどのくらいのものが表現できるかを知るために実 [続きを読む]
  • 1934 ふりむけば日本海
  • 二年前の母の日、5月10日に家内を失いました・・・先刻、歌謡チャリティショーで、五木ひろしさんの 「ふりむけば日本海の」歌を聴き胸が痛くなりました。日本海を背にした家内の姿が目に浮かんだのです・・・日本海の向こう側には、いま一つ心うかぬ国々が控えていますが、日本海という言葉には、太平洋側とは全く違った詩情を感じます・・・北海道を除いて、私共夫婦は、日本海側の全ての府県を廻りました。なかでも特に印象 [続きを読む]
  • 1933 さつき
  • このブログにおいで下さるビジターの皆様の中にメーデーに関係のある方はいらっしゃるのかな〜〜〜?さつきの初めには、世界的にメーデーが行われるようですね。私は今でこそ働かずに食べて行けておりますが、当然資産階級では無く、65歳までは勤労階級、労働者でした。だから労働者の祭典は関係ありでした。大学を出て就職したら、中学校では自動的に日教組所属でした。高校に転属すると、これまた文句なしに、兵高教祖に組み入 [続きを読む]
  • 1932    三回忌
  • 1932年4月29日は亡妻の誕生日でした。今回は1932回目のブログの更新となります。生きて居れば85歳に成った筈の昨日家内の第三回忌を浄念寺で執り行いました。57年2か月と10日、連れ添った、百年の豊作女房への感謝を込めた三回忌は無事に手厚く済ませることが出来ました。不思議な何とも言えぬ達成感、満足感・安堵感を覚えました。ままころもちさん!何とか三回忌が終わったよーーーと、遺影に語りかけました。 [続きを読む]
  •  1931       F10号 油彩    
  • このブログの更新番号もNO.1931となりました。私は1931年の9月生まれなので、当年とって満85歳です。そこで10年前に描いた自画像        「後期高齢者の自画像」を下に掲げて、この10年を懐かしく振り返りました。77歳の時に心筋梗塞で入院手術、心臓にはステントが2〜3本入って居ますが、今のところは一応五体満足です。活動に支障は無く治療が必要な死に至る病も抱えておりません・・・。いずれは避けられな [続きを読む]
  • 1930 我が国と桜
  • 今日は、BSプレミアムのTV放送で、午后7時半から9時まで再放送 東北さくら旅 副題 北国の桜と人の物語 という番組を見て居ました。地元大阪の造幣局のさくらの通り抜けも有名ですが、さくらの国のさくらの名所といわれる吉野の桜も遠くは有りません。でも、さくらはやはり南よりも北に行くほど桜への喜びが違う事を感じました。東京も大阪も入学式の頃に開く印象が強かったのですが時季は遅れても東北の桜はやっとくる春 [続きを読む]
  • 1929 一生
  • 普通、労働者はこんな言い方をすると、昔、歌ったことのある「頑張ろう!突き上げる空に〜〜〜国の内外(うちそと)の拳が有る〜〜〜」などという労働歌の歌詞も懐かしく蘇って来ますが・・・。高校教員時代には動員割り当てで、勤評反対闘争に尼崎市から和歌山県まで行かされた事も有ります。さて本題に戻りますが、普通の一般のサラリーマンは一生遊んでくらせたらなぁ〜〜〜なんて事を考えます。働かざる者、食うべからず! で [続きを読む]
  • 1928 飲み会
  • 私がこの齢になっても定例的に参加している会合が有ります。            北星会大阪証券取引所の退職者の組織する会です。半ば公的なもので、会社からの補助が出ます。            産友会尼崎市立尼崎産業高等学校で教員を勤めた事のある人々の自治的な組織です。渾身的にこの会をリードされていた先生が、過年お亡くなりになりましたが幹事の方々が何とか引き継ぎ、新入りの幹事さんも含めて活動を続けて [続きを読む]
  • 1927       台湾から仏前に
  • 此処二年余り、来日していなかった、台湾のママさんが16日の日曜日に来阪し、昨19日に家内の仏前にお参りしたいとの連絡が有りました。18の火曜日に恒例の支援に来てくれた長女と共に、お客さんが来ると言うので、いつもより更に念入りに掃除して貰いました。来宅時間を明示されていなかったので、昼前に準備すれば良い位に思っていましたが、何と朝の8時過ぎにTAXIに乗ってやってきました。私は小さな一口海苔巻を二つ [続きを読む]
  • 1926 uturinoyoimono
  • どなたもそうでしょうが、自分で気に入った自分の写真はそう無いものです。タイトルはローマ字でぼやかして置きました・・・。知人(既に故人ですが)の描いた大きな絵の前でとって貰った写真です。珍しく良く写っているので、ブログの上に残して置きたくなりました。ケーブルテレビで歌番組を見ておりましたら千昌夫さんの歌詞 「遠くで祈ろう幸せを〜〜〜」 が聞こえて来ました。なんだか天国から家内がそう言ってくれているよ [続きを読む]
  • 1925 昨日の桜
  • 家内が亡くなってからは、なぜか桜を見ても気分が晴れず、あまり撮る気は無かったのですが、今年の桜は、大変遅く、そして散るのも遅い様で、昨日何と無く二階の窓から見ましたら、未だ咲いている様でしたので家の北側の横の公園まで行って撮影しました。末孫が生まれて初めて滑った滑り台が未だあります。幼い頃一人でセミ取りをしていた桜の木も未だありました。一人で捕りたいのに、親切な叔父さんが手伝って下さるので困ると嘆 [続きを読む]
  • 1924  変調・・・?
  • とうとう脳がおかしくなったのか・・・?なんと! このブログ、長い間、 呼吸の様に隔日更新を続けていました。なのに昨日、意識していたのに更新していませんでした!予告してあらかじめ理由を示さずに、一回とばしてしまいました・・・初めての事で、今見て、我ながら驚きました〜〜〜ブロ友様の中で、一日おきの更新だと理解されていらっしゃるお方がおられて、お訪ね下さったのではーーー! と思うと本当に申し訳ございませ [続きを読む]
  • 1924 メインイベント
  • 周りに人の気配の乏しくなった85歳の孤老にとっては、新しい事の始まる四月も、私自身には何一つめぼしいことは有りませんでした。でも、末孫と曾孫には新しい変化がございました。県立医大の二年生になった末孫は和歌山市内の大学の近くのマンションに転居して専ら勉学に備える事となりました。生まれて初めて親元を離れ、後五年間自炊生活を送る事となります。      (4月3日の1920号に関連記事を掲載致しておりま [続きを読む]
  • 1923     次女
  • 85歳の末期高齢者の描く次女の図先年、長女の絵は同じような鉛筆画で描いてブログに載せました。今回は不公平にならぬよう、拙筆はそのまま次女の絵を描いて見ました。同じ姉妹でありながら、ここまで違うかというくらい対照的な二人です。妹の方が背も高く、気性は激しく、いつも姉より下の感じは無く姉は温和で先を越されても、別に気にもせずそれなりに仲良くやって居ます。共通点は、二人共気働きが良く、私の世話については [続きを読む]
  • 1922 夏姿・冬姿
  • この写真は四国の祖谷の桂橋に行った時のものです。大型の観光バスでは近くまで行けないので、小型のマイクロバスに分乗して、辿りつきました。一応橋を渡って周辺を観光しました。家内と参加したツァーです。なお、下の写真は大歩危小歩危でのものです。下の写真は、確か奥飛騨辺りだったと思うのですが良く覚えて居ません・・・寒さが身にしみた事だけを覚えて居ます。東北への旅も何度かしました。これは何処へ行った時のものか [続きを読む]
  • 1921   奈良へ一日
  • 昨4日の火曜日、全くの久しぶりに奈良を訪ねました。「四季会」=旧尼崎産業高等学校第四回卒業生の同窓会の行事でした。私はその高校では一期下の第五回卒業生の担任でしたが、縁あってこの会に招かれ、他の3人の旧教員と共に、途中からですが、しばしば行事に参加させて貰って居ります!次回は第15回目に当たるとかで、記念行事をやりたいとの話でした。昨日は二次会まで、御付き合いして、親交の度を深めました。教員以外は [続きを読む]