raoron34 さん プロフィール

  •  
raoron34さん: 昭和一桁高齢の日々を生きる
ハンドル名raoron34 さん
ブログタイトル昭和一桁高齢の日々を生きる
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/hanayuritonokoto
サイト紹介文人生の「残り少ない定期券」所有者として、日々思うことを書き残している。
自由文後期高齢者としての日々の生活記録、現実あり、回憶あり、自分史としての資料構成あり、生きて来て印象に残ったことごとの遺言的記録でもある。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供193回 / 365日(平均3.7回/週) - 参加 2010/06/22 11:39

raoron34 さんのブログ記事

  • 2003 台湾絡み
  • 八月末に五人のグループで訪ねた台湾その旅行先での写真が同行した大証の友人から贈られて来ました。今回の訪台は、家内亡き後の最高の外遊でしたーーー!ただの一つも悪い想い出は無く、どの部分を思い出しても楽しい事ばかりでした。この機会を与えて下さった神と友人に大感謝です。最初の二枚を除いては、皆違う場所です。食べている場所が多くなるのは致し方ありませんねぇ〜〜〜!最後の一枚が、五人様御一行です。それ以外の [続きを読む]
  • 2002 二日続いて・・・
  • 先週、金・土 15日16日と呑む日が続きました。金曜日は、大証OB有志の定例会土曜日は、元尼崎市立産業高等学校教員の同窓会が有りました。定例会の方は定例の場所、旧台湾のママさんの店 「蘭」 にて。同窓会は、これまたいつもの場所、尼崎市塚口の愛蓮という中華料理店でした。毎月の定例会の方は、これから毎回写真を撮って皆がどの様に年を取って行ったかの記念にしょうという話になりました。金曜日あい変わらずの  [続きを読む]
  • 2001 迷いましたが・・・
  • 暦の方は土曜日を含めて三連休ですが、私のブログの方は、何もないのに三連休はおかしいので2000を越えた第一号は、何にしようかと実際のところ迷って居りました。有難いブロ友様から、三日も更新が無いのは何か有ったのかと御心配を頂きました。当地も丁度台風の進路に含まれておりましたもので。この年になりますと、そんな優しいご配慮を頂くと本当に心に沁みます〜〜〜!そこで丁度、本日描いていた絵が有りましたので自画 [続きを読む]
  • 2000 更新二千回記念
  • 昔、昭和15年でしたか皇紀二千六百年を祝った事が有ります。小学生の時「紀元は2600年〜〜〜」と唄った記憶が有ります。このうだつの上がらないブログも本日、2000回目の記事を書くことになりました!この間、コメントを頂かなかった日は一日も無く、おかげでやる気が続きました。さて記念記事には何を取り上げようかと考えましたところ、私には、ままころもちさん無しの人生は考えられません!彼女に先立たれて事は、天 [続きを読む]
  • 1999 そこまで生きられれば・・・
  • 2018年の四月そこまで生きられれば少しは楽しみが有る事が分かりました。あと7か月程です・・・!それくらい大丈夫だと、若い皆様は思われるでしょうが日々やっとの思いで生き延びている感じの私にとっては半年以上という事は途方も無く長い日々なのです〜〜〜・・・生きて居たら、そして健康を損なわなければ毎日することは、どっさりあります。でも、少し体調を崩すと、何処も痛くない事、しんどくない事、だけを願ってしま [続きを読む]
  • 1998        JUNKOさん
  • 旧パソコンが作動しましたので、そちらを使用しての投稿となります。特にどなたかを申し上げなくても、常連の皆様にはおわかりかな〜〜〜?と勝手に判断致しております。日頃から美しい方なんですが先日枚方でお会いした時はまた格別でしたので描いて見たくなりました!短いコメントですが、なにとぞよろしく。 [続きを読む]
  • 1997 自慢する・・・?!
  • 下の写真は、末孫の中学校の卒業式の時のものです。掲載理由は私のデザインした校章が、国旗以外に四か所も表示されているからです。一つは日の丸と並んで、一つは垂れ幕に一つは演台の覆いに今一つは校旗にこれほど私のデザインが勢揃いした写真は他にはありませんーーー私の人生に晴れがましいことは先ずありませんがあえて言えば、こんなところでしょうか・・・?!古いパソコンの雲行きが怪しくなりましたので、今後はウインド [続きを読む]
  • 1996 到達日の記録
  • 私にとっては、当然未踏の、86歳に成った日の記録写真を下に載せて置きます。皆様も86歳に成られた時の写真と比較する事が出来ます様に・・・朝8時に朝食を摂ってから、晩6時に家に到着するまで、きっちり10時間飲食一切なしで走り回った感じです。インパール作戦に従軍した日本兵もこうだったか?! と思うくらいの疲労を携えて・・・人間、水を飲まなくても10時間は持つものであることを実証しました。行った事が無い [続きを読む]
  • 1995 86歳
  • 不肖私、明日から86歳に成ります。齢を取ると月日の経つのが早く感じると言われますが私にとっては、85歳は大変長かった様に感じます。理由は分かりませんが、特に長く何時に成ったら86歳に成るのだろう・・・とさへ感じて居ました。 毎日毎日85歳を意識して生きて居ました。83歳は家内を失った年なので、特に印象的でした。それに比べると84歳の印象は薄く、何か大きなことが有ったかな・・・?と思うほどでした。敢 [続きを読む]
  • 1994 関連写真等
  • 9月に入りましたね〜〜〜此の月中に私は86歳となります。父親の85歳を越える事になります。私には母親の記憶する28日と戸籍上の5日の二つの誕生日が有ります。いずれにしても、酷暑から解放されて、涼風の吹く良い月ですーーー旅行の二日目で、今回の旅の大きな目的は終了しましたのであとは時系列で雑件の報告を写真をそえて行います。三連泊した天成大飯店=コスモスホテルの入り口とロビーです。16階の此の部屋に泊ま [続きを読む]
  • 1993  第二天(二日目)
  • 第二天(ディアルティン)二日目は、ホテルで朝食のあと今回の旅の主目的で有った、台湾のママさんの家を訪ねました。天成大飯店=コスモスホテルの前まで来て貰ったママの知り合いという運転手さんの車で、台北からはかなりの距離をまっしぐらに西へ向かい台湾省桃園県平鎮市に辿りつきました。平鎮市は結構立派な地方都市で、ママさんのお母さん(92歳で車椅子を使用)及び父親違いの姉妹達とお手伝いさん(お母さんの身の回り [続きを読む]
  • 1992 関空から
  • 人の旅行記等は、余程の名手の手にならない限り読んでも興味を引く物ではありません。ましてや今回の台湾旅行の様に、主たる目的が個人の家を訪ねる事に在る場合は、なおさらだと思います。したがって単なる記録としてここに綴る事と致します。今回の主たる旅行目的は、台湾のママさんの家が有る台湾省桃園県平鎮市に彼女の92歳の母親、日本語は喋れるが耳が遠くなり右足が不自由で車いすを使っている人に会う事が主な目的でした [続きを読む]
  • 1991 五人で台湾へ
  • 明日、関空11時10分発のエバー航空BR177便にて台湾へ行きます。一行は先日事前にお会いした、男性3人女性2人のグループです。皆さん元台湾人のママさんが経営していたスナック 「蘭」のお客様です。私はママさんの実家を訪ねるのは初めてですが同行の大証の友人は行った事が有るそうです。出発後11食の内、ホテル朝食3回と機内食2回を除く6食は個人で美味しいものを食べようと言う事になって居ます。ママさんも別途 [続きを読む]
  • 1990  生き過ぎ ?
  • 今、私は85歳、口で言うのは簡単ですが日本人の男性の平均寿命を越えているのです〜〜〜平均寿命の中には、不健康・息絶え絶えの人も含まれているのですからまあさし当たっては何の不自由も無い私は健康寿命の人としては、長生きの方だと解釈しています。よくぞまあ、この短い足で85年も生きながらえてきたと感じます・・・終戦後の外地で一年、放浪生活を経験するなど飢餓や生命の危険を潜り抜けて来ました。ここまで生きてき [続きを読む]
  • 1989 古き想い出
  • 私はディズニーランドを訪ねたのは一回だけです。それで、十分に満足しております〜〜〜家内と次女一家と5人で大阪から夜,車で出かけました。早すぎて早朝にランド内のホテルに着きホテルが開くまで、駐車場内の車の中で待機していました。朝の開場から夜のパレードまで、隈なく見て回りました。私としては思い残す事のない由縁です。こうして古い想い出を映像で辿れるのは有難い事です。皆の若かりし頃の姿を目の当たりにするこ [続きを読む]
  • 1988  あいも変わらず・・・
  • 昨日は相変わらず、例の店で大証OBの仲間と旧交を温めて来ました。何時も見える唯一の女性メンバー春ちゃんが来月までだめで、10月の例会まで来られないとの事で少し寂しかったです・・・!9月は第三金曜日と決まりましたが、例会でも毎回参加者が少しずつ組変わるのも年齢からも致し方ないのでしょうが・・・私が最年長者で、あとは15歳くらいまで、70台が主体です。昨18日は、前もって開催が決まって居ましたので似顔 [続きを読む]
  • 1987 人の顔
  • 江戸時代、奉行所でお奉行様が、お白洲の罪人に「おもてを上げい〜〜〜!」 という場面は皆様時代劇でお馴染みかと思います。もし、この面が「のっぺらぼう」であれば、それは怪談になります。つまり、われわれ人間は、好ましいか否かは問わず否応なしに「おもて」である顔を持って生きています。大方の場合、人は持って生まれた自分の顔に満足はしていないと思います。まったく不満が無い方も居られるでしょうが、少数派だと思い [続きを読む]
  • 1986        土岐のJUNKOさん
  • 我がブロ友、土岐のJUNKO様についてはこれまで何回か描かせて頂きました。最初は歌唱の初舞台に立たれた時だったと記憶します。そしてこれまでは、全てメガネを掛けて居られた映像が多いと思います。先週の祝日、ご夫妻に初めてお目にかかりました事は既にご報告致しました。その時は終日メガネは掛けて居られず、写真の上とはまた別人の趣きが有りました。女性の方が普通はメガネを掛けたがらない理由が分かった様に思いまし [続きを読む]
  • 1985 ブロ友様から
  • 先の8月11日は、休日として制定されてから二度目の「山の日」でした。何の祭日かも知らぬまま、来阪下さった岐阜のブロ友様ご夫妻と奈良県でほぼ終日を楽しく過ごしました。このブロ友様からメールで何枚かの写真を送って頂きました。ブログ掲載用に写真を加工する為、メールからピクチュアに写真を取り入れる方法が直ぐに思いつかずパソコンの神様の様な、古参のブロ友様にお尋ねしたところ即答頂き、此処に掲げる事が出来まし [続きを読む]
  • 1984 ブロ友様ご夫妻と
  • 8月11日の祝日、山の日とも意識しないままほぼ一日を岐阜県にお住いのブロ友様ご夫妻と行動を共にしました。ご夫妻は御夫婦で歌手永井裕子さんの追っかけをなさっておられます。全国どこへでも、彼女が出演されている所へは、車を駆って出かけられます。今回はたまたま奈良県の大和高田市の弁天座で永井裕子さんの公演が有るとかでもしよければとのお誘いでしたので、私も喜んで参加させて頂きました。カーナビで我が家の横の公 [続きを読む]
  • 1983 努力の結果or好きこそものの
  • 末孫から、次女の所へ送られて来た賞状を昨晩見せて貰いました。部活・部活で帰宅もままならぬ日頃の努力が形となった様に感じました。ハードな医学部二年生の勉学の中に在ってよくぞ頑張ったものだと感心しました。私は体育系の賞状など縁が遠かったのですが次女は高校の時に陸上部で貰ったような記憶が有ります。両親共運動に無縁だった私と違い末孫は両親共運動が好きで、その影響もあると思います。まあ、何にしても結構な事だ [続きを読む]
  • 1982 末孫
  • 長い間、末孫に逢って居ません〜〜〜!!両親は今日、和歌山まで様子見に出かけました。県立医大の二年生になった後、一回だけ撮った写真を基に、超別嬪に描いて見ました。これで、超別嬪?と身内から文句が出るとは思えない仕上がりです。描いたあとに絵の写真を撮った後、サインが無いのに気が着きました・・・そして、別の明るそうな窓側で写真を撮りました。いつも南側の窓で写真を撮ると時間の関係もありますがなぜか青っぽく [続きを読む]
  • 1981 新しい人々との出会い
  • 昨日は、以前から台湾へ共に行く大証の友人との打ち合わせの約束が有り、午後6時前に旧台湾のママさんの店へ向かいました。同じく台湾へ同行する皆様との、事前の顔つなぎという事でした。皆様が揃ったら電話が有るという事で、5階の店で呑んで待機して居ました。下の写真のMORIBE RUMIちゃんとはこの春以来すっかり御馴染みになりました。皆様も覚えられたかと存じます・・・一時間ほどすると電話がかかり、同行の三 [続きを読む]
  • 1980 舞鶴
  • 8月一日に舞鶴へ日帰りで旅行しました。旅と言っても日帰りですから、正にミニ・プチと言ったところでしょう。ところで皆様は舞鶴へ行ってみたいと思いますか・・・?引き揚げ者でもない限り、あまり動機は起こらないと思いますが。私は昭和21年7月末ごろに、リバティ型の貨物船に乗ってこの美しい名前の港の沖へ停泊しました。しかし、上陸前の検疫検査で、コレラに罹患して者が発見されたとかで、上陸することが出来ず、長崎 [続きを読む]
  • 1979   8月
  • 八月は私にとっては一年の内一番思い入れの深い月です。なんといっても外地で終戦を迎えましたから・・・!それも、最も多感な14歳の時でしたから〜〜〜ロシアは永遠に好きになれません、中国も八路軍時代の素朴さが無くなり今の状況では不快感の方が勝ります・・・あれから72年が経ちました。九月の初旬になると私も86歳に成ります。日本人男性の平均寿命を上回って居ます。女性の方が平均寿命が長いのに、家内は先立ってし [続きを読む]