はんきち さん プロフィール

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はんきちさん: 新・はんきちのつぶやき
ハンドル名はんきち さん
ブログタイトル新・はんきちのつぶやき
ブログURLhttp://hankichi.exblog.jp/
サイト紹介文音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供331回 / 365日(平均6.3回/週) - 参加 2010/06/27 20:56

はんきち さんのブログ記事

  • 煽られると弱いさがの露呈
  • 日曜日は居ても立ってもいられなくなり、神田・岩本町の「ファミリー・バザール」に足を運んだ。前日のテレビ「出没!アド街ック天国」(テレビ東京)で取り上げられていたからだ。→http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20170527/番組で煽られただけで出かけてしまうのは、やはりこういう国民の一員だからなのかなあと、読み終えた本の余韻があたまをかすめた。訪れてみれば、押すな押すなの人の波で、ここはアキバの [続きを読む]
  • 双方を、官軍民すべてを、如何に異常にさせてしまうか
  • 丸谷才一の『星のあひびき』(集英社文庫)を読んでいて、どうしても手に取りたくなったものがあった。『昭和史の大河を往く 〜第七集・本土決戦幻想・オリムピック作戦編、第八集・同・コロネット作戦編〜』(保阪正康、毎日新聞社)。僕の父親は曾て海軍飛行予科習生で、もちろん自ら志願してそこに所属し訓練に明け暮れていた。もしあの戦争が長引けば、僕自身が生まれることもなかったし、もちろんここにこのような事柄を書い [続きを読む]
  • 人生の通奏低音の邂逅
  • 学生時代に薫陶を受けたまま、その後の会社勤めの生活のなかで忘れ去ってしまっていた世界が、いきなり蘇ってきた。柴田翔の30年ぶりの長編小説である。『地蔵千年、花百年』(鳥影社)。小説の主人公、加見直行は戦前に東京で生まれ小学生で終戦を迎え、大きな迷いもなく工学系の大学院を卒業しようとしていた。しかし峡谷の温泉郷で出会った男に誘われ、中南米と思しき国に赴いて日本との貿易事業に携わることになってしまう。初 [続きを読む]
  • 1 on 1 という言葉
  • 「1 on 1」という言葉が経営のなかのひとつのアプローチとして流行っているらしい。人が人にのし掛かるみたいでおっかない響きだが、怖いものみたさで読んでみた。『ヤフーの1 on 1』(本間浩輔、ダイヤモンド社)。意外にもそこで示唆される事柄は自分の弱点そのもので、想定外に呼応した。■1 on 1では、相手に十分に話をしてもらうことが大切である。きちんと相手と向き合って話す。言葉を先取りしたり、途中で遮って自分の考え [続きを読む]
  • 不安定な心が快方に向かう小説
  • 窪美澄さんの小説は、僕にとってはいつも、少しだけ得体の知れない部分があって、その本質は何なのかが掴めぬまま薄絹を隔てて読み進める、というような状態にあった。そしてまた、その中身が分からないだけに、そこには健全なる人を妬んだり、欺こうとする気持ちが隠されてはいまいか、と疑っていた。『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社)は、そんな気持ちを払拭させてくれるものだった。東京に住む家具製作人の壱晴は [続きを読む]
  • 合唱雑誌に興味津々
  • うたと合唱とオペラの雑誌「ハンナ」を知って、そのバックナンバーのひとつを取り寄せてみた(2014年11月号)。特集「いま、バッハを歌う意味」という、ちょっと誘われる見出しがあったからだ。特集の内容は、古楽器、ピリオド奏法の意味合いなどのほか、合唱は発音をしっかり、という記載がある。生半可な取り組みではバッハを歌っていることにはならない、本腰をいれて厳しく対峙するのだということが伝わってくる。そうやって背 [続きを読む]
  • 熱帯雨林のなかの遠い記憶を呼び起こす
  • 今年の太宰治賞の小説は熱帯雨林のなかに咲く月下美人、ウィジャヤクスマにまつわるものだった。『楽園』(夜釣十六、筑摩書房)。主人公は青年であり、亡くなった彼の祖父(戦時中に憲兵をしていた)であるが、青年は祖父に遇おうとして九州の炭鉱廃村に導き寄せられる。そこは擂り鉢の底に落ち込むような地形で彼はそこから逃れられなくなる。「砂の女」の幻影が一瞬垣間見られるそこでは、戦時中の出来事が語られてゆく。青年自 [続きを読む]
  • 読むところは少ないものの故なく魅惑される雑誌
  • 雑誌はあまり買わない。しかし知人の店が紹介されたということで、思わず買い求めた。『ハンナ』(株式会社ハンナ刊)。歌・合唱・オペラの雑誌だ。ページを繰っていく。ひとつひとつに驚愕する。濃いのである。歌の世界は広い。世界のどこまでも繋がる感がする。記事は全てがこれについてのものだ。こんにゃく座のことも出ている。ちょっとおっかない。アナログ時代の名歌手の特集もある。イタオペファンだったら堪らない。羽生結弦 [続きを読む]
  • 春の祭りはストラヴィンスキー
  • 『春の祭典』といえば学生時代に聴き込んだブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団のものと決まっていると思っていた。だから東京フィルハーモニーが渋谷でその曲含めて演奏会をすると教わったときにも、「いえ僕は遠慮します」とやんわりと断っていた。ところがその演奏会のチケットが、奇遇にも家人ルートで手に入り、然してままよ、と流れに任せて足を運んだ。プログラムの後半が、件の曲。初めて生演奏で聴いたそれは、怒髪天を [続きを読む]
  • 自家製タバスコに恍惚
  • 五月なのに連日28℃。今日は30℃を超えると天気予報が言っていてげんなりとする気分。それを払拭して元気をつけるべく朝からカレーライスを食ることにした。「タバスコあるよ」の言葉に、「うーん、そう・・・」と気のない返事をする。「自家製だよ」という言葉に驚いた。「自家製?」「そうそう、このあいだ庭に出来た唐辛子をそのまま干して、だいぶん干乾びたところで酢に浸して・・・」「おー、垂らしてみたい」冷蔵庫から出て [続きを読む]
  • 朝に読むと心身にわるい本
  • 吉田健一の『酒談義』(中公文庫)を読んでいるが、こころがずんずんとのめり込んでいく。身体までもが持って行かれそうになる。朝から読むと心身に悪い本とはこのことで、だから早く夕方になり宵になって盃を傾けたくなる。それほどまでに素晴らしい。 [続きを読む]
  • 「しな」にどきんとし、待ちわびる
  • 新幹線やら特急列車やらで移動すると、ときおり音声で車内アナウンスが流れてくる。最近の放送は合成なのか録音なのか、聞いただけではわからなくて、もちろんそのどちらでもよいのだけれども緊張する。「しな」が入った語り口だからなのだ。実に美しく、そして突然そのなかに、なに食わぬかたちで「しな」が織り交ざってくるのだ。その余韻。うっとりしてしまう自分に恥じるのだけれど、それはさっさと引っ込められて静寂に戻され [続きを読む]
  • 品川の広場に、心弛む
  • つかの間のひとときを、品川の広場で過ごした。そこは、かつては東京湾のなかにあり、明治になってから、浄水場として使われていたのだけれど、最近は公園化されまたオフィスビルに臨まれている。つかの間の時間、そこを覗いてみれば、アイスクリームのコマーシャル撮影の半ばで、その、弛い空気に癒された。 [続きを読む]
  • 曇天に渡る河に聴くもの
  • 曇天のもとに渡る河の水面は鏡のようになっていて、その底には竜のような何物かが潜んでいそうにも見えた。こんな日に聴くのはバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ。少々心身が気だるく重いなか自然に選ぶのは、やはりカール・ズスケによるもの。何の衒いも無く、ただそこにある、という感じの自然さに満ちていて、最もリラックスして聴いていられるのが好きだ。 [続きを読む]
  • 鞍馬なのか、平均台なのか?
  • 夏に備えての買い物をした。買いたいものは一応整えられたのだけれど、現代の家電製品のバラエティーには度肝を抜かれた。メーカーというものは何社もあるわけだけれど、それぞれが何種類もの製品をラインナップ展開していて、昨年モデル、今年の最新式モデルが目白押しに並べられている。省エネ度まで念入りに記載されていて親切なのだけれど、数字があると却ってそれにとらわれて思考にバイアスがかかっていく。販売促進員の言葉 [続きを読む]
  • 化け物が出ぬように埋めたのではないか?
  • 京滋地方が銅鐸のメッカの一つとは知らなかった。そしてまた、小中学生の頃は銅鐸の用途使途は不明であると教わったことが最早違うことにも驚いた。いま訪ねてみると、「鐘である」、とはっきりと記されていて、さらにレプリカが吊り下げられ「どうぞご自由に叩いて鳴らして下さい」と、木の棒が備えられている。ところでこれらの銅鐸は山中に丁寧に埋められていたそうで、僕はこれは、夜中に鐘を鳴らす輩を退け、化け物が出ぬよう [続きを読む]
  • 化け物が出ぬように埋めたのではないか?
  • 京滋地方が銅鐸のメッカの一つとは知らなかった。そしてまた、小中学生の頃は銅鐸の用途使途は不明であると教わったことが最早違うことにも驚いた。いま訪ねてみると、「鐘である」、とはっきりと記されていて、さらにレプリカが吊り下げられ「どうぞご自由に叩いて鳴らして下さい」と、木の棒が備えられている。なるほど、鐘ですか。しかしこれらの銅鐸は、どれもが山中にしっかりと整えられて埋められていたそう。僕はこれは、夜 [続きを読む]
  • 日本の文学史ではじめての事件に想う
  • 西に向かう車中で、丸谷さんの『別れの挨拶』(集英社文庫)を読み続けた。そのなかに「幸福の文学」という章があり、それは吉田さんの『酒肴酒』を評したものだった。曰く、“この本には、うまい料理を食べたりうまい酒を飲んだりするのが幸福だといふことが書いてある。これは日本の文学史上はじめての事件だつた。”それよりまえの日本の文学では食べ物について、その喜びについて、これほど深く書いたものはなかったというのだ。 [続きを読む]
  • あのころからのベトナム料理
  • アメリカに仕事で訪れるごとに、中華系の開発センター長が連れていってくれたレストランのことを思い出した。それはベトナム料理の店で、その国の食べ物を口にしたのもそれが初めてだった。生春巻というものを奇妙に思いながら怖々と食し、パクチーの香り高さに面食らった。肉や野菜の南方系の味付けにも陶酔し、青菜というものがこんなに旨いのだとも知ったのもあのころのだった。ゆっくりと濾してゆくベトナムコーヒーには、もは [続きを読む]
  • 曇天を突き抜け響け、賛美歌よ
  • 柔らかなる五月雨のなか、今日もみちのくに向かう。曇天に似合うのはバッハのオルゲルビュッヒュライン・BWV599-644。出だしの曲がやはり一番好きだけれども、それに続く曲の数々にも自然と寡黙になる。曇天を突き抜け響け、賛美歌よ。・599「おいでください、異邦人の救い主」・601「主キリスト、神のひとり子」・608「喜びの声をあげて 」・639「わたしはあなたに呼びかけます」・・・・・ [続きを読む]
  • みみずくはずっと見ていた
  • 『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子、村上春樹、新潮社)をようやっと読んだ。「私」のことも、騎士団長のことも、雨田画家のことも、免色さんのことも、秋川まりえのことも、みみずくは、ずっと見ていたのだと思った。川上さんは、次のように言っている。“人はいつだってたくさん死んでいるけれども、本当はすごいことで、その内部で何が起きているかってことは誰も体験したことがないんですね。死んだ人は教えてくれないか [続きを読む]
  • 『月の満ち欠け』の世界に誘い込まれそうになる
  • 佐藤正午の新しい小説『月の満ち欠け』(岩波書店)を読了。人は死んでもその魂や記憶は次の世代に繋がっていく、ということを恋愛の中に織り込んで物語っていく作品だった。子供の頃、絵本「ふしぎなえ」(安野光雅)の世界に虜になっていて、日を置かずに何度も眺めていた。また、母親が使っていた三面鏡の左右の鏡を並行にしてその間に頭を突っ込んで、どこまでも続く自分の顔の行く末をいつまでも見ているのが好きだった。そう [続きを読む]
  • クレーの絵のこと
  • 丸谷才一の『別れの挨拶』を読みはじめ、始めの章「英国人はなぜ皇太子を小説に書かないか」で、日本人の小説家が採る技法についての次のような一節に拘泥されてしまう。“たとへば谷崎潤一郎『細雪』の主人公は何かの会社の役員らしいことになつてゐて、そのくせ、一日中、書斎にこもつてばかりゐて、まるで作者その人のやうである。そして吉行淳之介『砂の上の植物群』の主人公が化粧品のセールスマンだといふのは、宿帳に書いた [続きを読む]
  • 豊島たづみのこと
  • 同年代の友人と歓談していて、ふとしたことから彼が豊島たづみのファンであることを知った。豊島たづみ・・・・。学生時代、ひとつ上の先輩から薦められて聴いたことを思い出し、そして買い求めたLPが手元にあることも思い出した。およそ35年ぶりに針を落としてみる。けだるさ、アンニュイを伴いながら、しかしその遣る瀬なさをなんとか乗り越えていこうとする一縷の明るさ。暑い五月の夕暮れに、一筋の涼風が吹き過ぎていった。■ [続きを読む]
  • 初めての亀戸天神
  • 学生時代の10年間、毎日の往復通り過ぎて一度も降りたことがなかったその駅に初めて降りた。亀戸だ。そしてこれまた初めて亀戸天神を詣でた。花には無頓着な僕でさえ、これは美しいと絶句したのが藤の花で、それが重なるように垂れ落ちている藤棚の様は本当に素晴らしかった。下町情緒豊かな界隈にもそぞろ心は晴れ渡った。 [続きを読む]