cross-section さん プロフィール

  •  
cross-sectionさん: CROSS SECTION*BLOG
ハンドル名cross-section さん
ブログタイトルCROSS SECTION*BLOG
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/cross-section
サイト紹介文コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー、エクササイズなど。アートと身体の宇宙へ!
自由文ダンスアート・ユニット「櫻井郁也/十字舎房」の最新ワークとエッセイ。レッスンとステージ。踊りとシュタイナー思想。踊りと生活、アート・音楽・ポエム・映像。体と心の思索さまざまを。櫻井郁也は、笠井叡・天使館を経て美術の櫻井恵美子と共に創作活動を継続する舞踊家。海外招聘を含む多数の公演の他、オイリュトミー・舞踏などの指導、NHK番組振付など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供278回 / 365日(平均5.3回/週) - 参加 2010/07/09 01:32

cross-section さんのブログ記事

  • 断片・あらたなヒを
  • 「そして、燃やして灰となったものに、あらたなヒを傍らに近づけるように 」という、この言葉をめぐるあれこれを、以前にもたしか書いたと思うのだけれど、なぜか、なにがそうさせるのか、この言葉がやっぱり脳裏をかすめて仕方がない。吉増剛造さんが3.11震災を経て書かれた詩『怪物君、詩乃傍(côtés)で』のなかの言葉。僕にとっては驚愕そのものだったこの長大な詩の、なぜだろう、まずこの言葉がこの文字の列が、ときどきア [続きを読む]
  • レッスン報告:オイリュトミー
  • 詩と踊る、その振付をした。オイリュトミーは視える詩・視える歌とも呼ばれる。20世紀初頭のドイツで創案され主にヨーロッパに拡散した。言葉に踊るカラダ、というものを探す。さがしつつ、文字の発明の前に、音声言語の長い時代があったのではないか。と思う。いや思い出す。文字の言葉とはちがう、目の前に、少なくともその声の届くところに、誰かがいる。また聴く人がいる。人と人がそばにいなければ成立しない。そういうなかで [続きを読む]
  • 断片・5/24
  • カラダ「で」踊るのでなく、カラダ「が」踊るのでなくては、なんて、よく、そのようなことを考えてしまう。思いを身体であらわすとか、思いからうごく、というのばかりでは、何かカラダという存在に申し訳なくて、もちろんもの思うからこその始まりがあるのだけれど、思う、というそれとは別の次元で、身体そのまるごとが堆積してきた何か感情というのか、骨や心臓に眠れる声、というようなものは、ないのだろうか、なんて、ふと考 [続きを読む]
  • 5/23(火)自由参加クラス「踊り入門」(西荻窪)やります
  • 明日はフリークラスの開催日です。お待ちしております。西荻ほびっと村学校舞踏 クラスイノチとカタチ/踊り入門by 櫻井郁也ここから、ダンスが始まる。ここから、ダンスを始める。お手本をなぞるのでなく、自由に動いたり話し合ったりしながら、想像力や感性を身体に結びつけてゆく稽古です。体をほぐし、共に踊り、対話しながら、「カラダ」「ココロ」「オドリ」についての理解を深めます。体のほぐし方、姿勢、音楽や言葉との関 [続きを読む]
  • 櫻井郁也ダンスソロ・7月公演サイトオープン!
  • HP更新のご案内です。櫻井郁也ダンスソロ新作公演(2017年7月29〜30日)公式webサイト:Stage informationをオープンいたしました。・作品の紹介・くわしい公演案内・チケット予約・アーティストメッセージなど、ぜひご覧ください。また、制作プロセスのご報告や稽古を進めながらのコメントなども、随時このブログにて掲載させていただきます。みなさま、今回の公演も、なにとぞよろしくお願いいたします。??櫻井郁也/十字舎房H [続きを読む]
  • 断片・5/19
  • 動物や樹木が何だかうらやましいのは、それらが、ありのままにある、ことをひたすら受け入れて、とにかくウソというものをつかない、つこうともしない、からかもしれないなあと思います。彼らはからだだけで生きているのだから、もっとこうナリタイとか考えないで、いのちのままにしているのだろう。いくら知恵が働いても金を蓄えても、ひともまた有限であるから病気も衰えも結局は受け入れざるを得ないのだが、それが少しコワイか [続きを読む]
  • 櫻井郁也ダンス公演(7月公演・まもなく正式告知)
  • 十字舎房:制作部からのご案内です。ダンサー櫻井郁也の次回公演は「7月29〜30日の二日間」の開催です。ただいま、5月20日前後をめどに公式ホームページ(下記)ほかにて、「くわしいご案内」および「チケット予約」の受付を開始する予定にて、作業を進めております。ぜひご注目ください。(十字舎房:制作部)Stage information:SAKURAI IKUYA DANCE SOLO 2017Saturday 29th July and Sunday 30th July 2017, We will be held th [続きを読む]
  • うごめきつつ
  • 夏の新作公演、目下の状態は最初の節目。稽古といっても色々あるが、「あら通し」というところまで来た。構想をいったんぜんぶ動きにして中断なく踊り切ってみる。そして検証し、題名の模索など言葉にもしてゆく。また踊る。それを繰り返して方向をさだめてゆく。ひとの「だめ」も入れるから、ちょっとした山場になる。この方向で、となったら、またしばらく独りの稽古に帰す。以下は、そんななかでの日記から。●踊りながら、知覚 [続きを読む]
  • 平等院のふたつの像
  • よく思い出す像がふたつ、宇治の平等院にあります。宇治は好きで子どもの頃からよく行ったのですが、平等院の鳳凰堂もいつのまにか整備・復元され、昔のひなびた姿を思えば何となく残念もあるけれど、かわりに、いまの鮮やかな姿には別の力が宿ったのか、すがすがしい気持ちになりますし、また、庭にあるミュージアムも昔は無かったが、これがなかなかのもので、ここに、実に不思議な魅力を感じる像がふたつ、安置されています。ひ [続きを読む]
  • ジョナサン・デミ監督の
  • ジョナサン・デミ監督が4月末に亡くなった、というのを知りました。見逃していた『レイチェルの結婚』を初めて観ました。眼の映画、耳の映画、というか。最初から最後までホームビデオ仕立てのこの映画を観ていると、画面だの演技だのいろいろな全てが見事に自然で、それゆえ、いま誰かを見ている、いま誰かの声をきいている、という感覚が強まります。いまの表情、見てよかったのかしら、とか、生身の人のそばにいるような感じさ [続きを読む]
  • photo・5/12
  • 花というのは、すごいなあと溜息をします。それは、光とか闇とかいうものや、色というようなものが、存在から溢れているのが個々の花の形になっているのか、など思い巡っしまいます。なんの根拠などありませんが、ただ、、、。 [続きを読む]
  • 断片・過去の
  • この未明のなかで一歩をあるく・・・。その足跡は、見知らぬイノリに向かっていて、遠い誰かにつながっている。_____________________________________※過去の稽古日記からの一文(昨日の掲載写真のころ)。 [続きを読む]
  • フリークラス「踊り入門」(西荻窪)
  • 次回のフリークラスです。お待ちしております。西荻ほびっと村学校舞踏 クラスイノチとカタチ/踊り入門by 櫻井郁也ここから、ダンスが始まる。ここから、ダンスを始める。お手本をなぞるのでなく、自由に動いたり話し合ったりしながら、想像力や感性を身体に結びつけてゆく稽古です。体をほぐし、共に踊り、対話しながら、「カラダ」「ココロ」「オドリ」についての理解を深めます。体のほぐし方、姿勢、音楽や言葉との関わり、エ [続きを読む]
  • 断片・5/8
  • 緑。遠さ、近さ。ひしめきながら外側に向かってゆくものがピンクには住んでいるとすれば、緑の中には、より激しく混乱するもの、というか、ぶつかり合いや分解や溶解が、渾然として、過去とか未来を生みだそうとしているように思えてくる。遠ざかるものと近づいてくるものが、こすれあっているようにも感じる。緑。不思議の色。 [続きを読む]
  • 断片・5/5
  • もう緑の季節になったけれど、まだ記憶には桜がある。あの花は、いや、あの色は、もしかしたら身体の根深いところに血を通わせ直すような力をもっているのだろうか。あらわれと喪失が一つになったような、あの色。ピンクの色は植物の精の色ではないか、そしてそれは赤ちゃんの肌の色でもあるのではないか、という、志村ふくみ先生の言葉がある。また、この言葉に重なる、もう一つの言葉がある。色は光の受苦、というこれはゲーテだ [続きを読む]
  • バベルの塔、都美館で
  • 前回に掲載した写真は都美術館の廊下。ご推察の通り「バベルの塔」展を観たときのものです。ブリューゲルとヒエロニムス・ボッシュが軸になっている展示。かなり混雑していたから疲れはしましたけれど、この二人の画家に接するのには、案外と人混みのなかで接するのも面白く感じました。絵のなかにざわめく様々な声の幻覚と、私の眼球が属するこの現実のざわめきが、ごちゃまぜになり、なぜか不思議と想像力が膨らんでゆくのです。 [続きを読む]
  • 断片・5/2
  • からだ、と言っても僕らの生体とは違う、しかし確かにそれも「からだ」と実感せざるを得ない経験を、僕は時折、彫刻から、もらう。彫刻はもちろん創作物だが、それを虚構に感じないものに、ときに出会う。佐藤忠良氏の彫刻に、もしかしたらこのブロンズには本当に心が入り込んであるのかもしれない、と、怖くなったことがあった。そして、その彫刻は夜中の夢にも出てきたことが、あった。いったい、何がどうなって金属があのように [続きを読む]
  • 断片・4/29
  • たとえば舞踊家の、ニジンスキーは写真の中でさえ、なぜあれほどに恐怖や陶酔を呼び出してしまうのだろうか。ひとつのニクタイが首を傾ける、だけで世界全部が傾いて壊れてゆくように感覚されてしまう、のは、なぜか。「肉体を殺すのでなく、知性を殺したい。」という彼の一言はとても印象に残っている。たとえば女優の、サラ・ベルナールはなぜ棺桶で寝ていたのだろう。睡眠というのを、単なる自然の摂理だけでなく、毎夜毎朝、意 [続きを読む]