ALEX さん プロフィール

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ALEXさん: Boots strap
ハンドル名ALEX さん
ブログタイトルBoots strap
ブログURLhttp://ameblo.jp/polyglotism/
サイト紹介文小さな外国語スクールの代表者が発信する日常的なエッセイ。 好奇心と知性的な笑いを心がけている。
自由文2009年暮れよりはじめて、
どこまで続くかな?

おっ、まだ続いている!

参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供368回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2010/08/06 10:00

ALEX さんのブログ記事

  • 「天下の三不如意」と言うけれど...
  • 「天下三不如意」なる言葉がある。この言葉の出典は『平家物語』。その中で、当時、絶大な権力を持っていた白河法皇が、三つの意の如くならないものとして挙げているモノ。すなわち、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と表現されている。いかに治水をしようと氾濫してしまう賀茂川の水。双六のサイコロの目。そして、山法師とあげているが、すなわち延暦寺。一番言いたいのは、もちろん最後に挙げた影の [続きを読む]
  • ♪ わかばが街に 急に萌え出した〜
  • 街路樹や家々の草木が芽吹いて、まさに若葉が街中に広がっているようなこの頃。爽快感につつまれる反面、寒暖の差や急激な温度の変化に悩まされる時期でもある。こういった季節を「木の芽どき」と表現したりする。これまで、寒気によって抑えられていた菌の働きが、暖かさが増すことで急に活発化し、かつては、伝染病が発生したり大変な時期でもあったようだ。新緑の木々の葉は、英気を養うのにはいいかもしれない。「緑陰緑想」と [続きを読む]
  • ついてる日、ついてない日、一粒万倍日
  • 今日はいつもの時間でアップしたところ、タイミング悪く、アメブロの急遽のメンテナンスが入り、ちょうどアップしたハズの記事がぶっ飛んでしまった。再び、思い起こして書こうとすれど、同じ気持ちでは、やっぱり書けない。♪諦めました〜いつか、その気持ちになった時に、また、そのブログをここでアップすることにして、その代わり、気を取り直して、深夜の気楽な”一杯気分”で、ここしばらくの「すったもんだ」について書くこ [続きを読む]
  • ナポレオンになるよりブランメルになりたい
  • 京都にある禅宗の寺院である龍安寺は、枯山水で有名。白砂を敷き詰め15の石で構成される庭園は、「虎が河を渡る姿」のように言われたり石の構成から「七五三の庭」と呼ばれたりしている。奥まったところには、丸い銅銭のような形をした石の蹲(つくばい)があり、中央部の四角を「口(くち)」とし、それを取り囲むように文字があり、銅銭の文字のようにそれらを読むと、「吾れ唯だ足るを知る」となる。この蹲は、黄門様で知られる水 [続きを読む]
  • バラが咲き乱れる季節になってきた
  • イギリス人のバラ好きは、世界に轟いている。かつて紅いバラを家紋とするランカスター家と白バラを家紋とするヨーク家が争った、いわゆるバラ戦争があったりとバラに関連することで鳴り響いている。そして、いまもイギリスの国章の一部には、バラがあしらわれており、イギリスと言えば「バラ」と言われるほどになっている。 もともと、バラの花の原産地は、中国の雲南省からミヤンマーにかけてだが、このような観賞用に変えたのは [続きを読む]
  • なにげない「鉱物」が世界を変えていく
  • 古代ローマの時代の学者であり要人でもあったプリニウスは、様々な動植物にまつわる話を網羅した『博物誌』を著した人物として知られる。特に、鉱物についての面白い蘊蓄(うんちく)話を幾つも残している。石そのものが移動したり、呼吸したり養分を摂ったりするという超常現象。今読めば、荒唐無稽と思えるものも数多いが、鉱物に対する神秘の感覚は、現代でも受け継がれているようなところがある。たとえば、現代でも宝石の神秘と [続きを読む]
  • 何と言われようと、私は私の道をゆく
  • うまくつくられた映画は、最初の1シーンからその情景の中に入っていけて、要らぬツッコミが入らないまま、最期まで観客を飽きさせずに、感動をもってエンドロールに至るもの。すなわち、できるだけナチュラルに、できるだけ、違和感なく受け容れることが出来るもの。つくられたコンテの如く創作していく。一つの表現で言えば、原因から結果へのプロセスを追って、いかに、知的、観念的、論理的な破綻をきたすことなく構成するか。 [続きを読む]
  • 五感が交錯する、また悦ばしからず哉
  • ニューサイエンスの申し子と言うべきライアル・ワトソンは動植物など生物学に精通し、『生命潮流』『シークレット・ライフ - 物たちの秘められた生活』などの著書がある。それらは、非常に示唆的な内容を含んでいる。彼は、ロンドン動物園で重責を担ったり、フィールドワークとして世界を回ったりしていた。そういった中で書かれた『未知の贈りもの』と題する著書は、インドネシアの一つの小さな島ヌス・タリアンで過ごした体験が [続きを読む]
  • 『デルフトの眺望』に描かれた「雲」
  • 17世紀のオランダの画家フェルメールの絵画作品に対する愛好家はかなりいる。ことによると、日本全体が彼のファンと思えるほどの熱狂を示したりする。そんな人気画家だが、彼の作品としては30から36程度の作品数しかない。意外に寡作。そんな彼の作品の中でも、やはり気になるのは『デルフトの眺望』。最近は、フェルメールの作品展は人気で、作品がこぞって日本に来ることがあるが、『デルフトの眺望』は、やってこない。『 [続きを読む]
  • 月の見方が変わってこそホンモノ?
  • 「今日は重そうな月が、山の端に昇りかけていた」こんな書き出しを考えたが、重さを量った訳ではないのに「重そうな月」というのは、本来ならば変。月の光を表現するのに「冷たい月の光を浴びて」などもある。「冷たい?」は感覚器官の「触覚」で感じるもの。本来と別の感覚器官で捉えることもある。「甘い光」を投げかけている、などの味覚のような表現もある、「月」は、本来、五感の中の「視覚」でしか捉えられないものだが、上 [続きを読む]
  • 望月の下の桜は、一つの催眠効果
  • スペインのアントニオ・ガウディが設計し、建築が始まってから百年以上経った現在も建設中であるサグラダ・ファミリアは日本人にとって観光の人気スポットになっている。およその、目処がたち2026年には完成の予定とされる。日本人の我々にとっては、百年以上もかけて建設していることに驚くが、ヨーロッパの教会堂の建築ではそれどころか、300年ほどかけたものまである。そんな事を思えば、長いのは間違いないが、それほど [続きを読む]
  • すべては、春の夜の夢のごとし
  • 我々の五感を分析すると視覚と聴覚は遠いものを捉える遠感覚であり、味覚、嗅覚、触覚は近いものを知覚する近感覚。詩的表現もそういった遠近を満足させると広がりを示すことになる。松尾芭蕉の俳句「鐘消えて 花の香は 撞く夕かな」これを解釈すると、今撞いた鐘の音はしだいにかすかになっていき(聴覚)=遠感覚花の香がそれらの音と混じっている(嗅覚)=近感覚夕暮れのとき(視覚)=遠感覚芭蕉は、聴こえてくる鐘の音と、近くで [続きを読む]
  • 天空のたてる音に聴き入る
  • ここしばらく当地では雨また雨の日が続き、青空を望むも虚し、というところだったが、ついに晴れ間。空気も澄んだことだし、夜空の星を拝むことができれば鬱憤も晴れるというもの。『ヴェニスの商人』に夜空を示して語るところが展開する。おすわり、ジェシカ、どうだこの夜空は!まるで床一面に黄金の小皿を散りばめたようだ。君の眼に映るどんな小さな星屑も、みんな天をめぐりながら、天使のように歌を歌っているのだ、あどけな [続きを読む]
  • アラン・ドロン主演の映画 あれこれ
  • 映画俳優アラン・ドロン(Alain Delon)を銀幕で見なくなって久しいが、永遠の二枚目俳優と謳われ、DVD を通じて今なお見ることができる。その彼が、映画デビューとなるきっかけとなるのは、カンヌ映画祭の時に「そのあたりをウロウロ歩いてごらんスカウトの眼に留まるから」と言われ歩いてみると、その如くスカウト。それから間もない1957年に銀幕デビューを果たしている。ヒットとしては1960年の映画『太陽がいっぱい』で [続きを読む]
  • 対立しあうものから調和が生まれる?
  • 本当の意味で「哲学」している哲学者というのは、紀元前500年を前後する頃のギリシャの哲学者・ヘラクレイトスのような気がする。日本では旧石器時代を悠長に歩んでいたような時代に彼は、悩まなくてもよいようなことで悩み、失望しなくてもよいことに失望していた。『暗い哲学者』という異名も”なるほど”と思わされる。彼の考え方の一つに、「対立しあうものや相反するものから調和が生じる」というのがある。対立するものが [続きを読む]
  • 「仁和寺の和尚」と「御室桜」
  • 『徒然草』137段は、「花は盛りに月は隈なきを見るものかは」と始まる。この意味は、「世の人は、満開の桜や澄み切った月ばかりを愛でるようなところがあるが、そればっかりがいいとは限らない」こんな風に、この著者である吉田兼好は、ちょっと斜に構えたタイプ。『徒然草』の基本的なコンセプトとしては、世の中の人が地位、名誉、財産などを求め齷齪(あくせく)していることに対する批判。世の常識というものに対しても懐疑的 [続きを読む]
  • 「桜」は儚(はかな)いからこそ美しい?
  • この時期になると、ひとは桜の開花を心待ちにする。桜は寒い季節が終わりを告げる花の象徴でもあり、薄いピンクの桜が野山に咲く姿は、やはり美しい。青い空に下に咲く桜ほど取り合わせの良いものはない。「花は儚(はかな)いからこそ美しい」と言ったりする。青空の下、暖かい日を浴びながら、はらはらと散る桜は、見事なほどに美しく感じる。また『風姿花伝』の中、世阿弥の言葉として、「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つ [続きを読む]
  • 如月(きさらぎ)の望月の花宴(はなのえん)
  • 『源氏物語』「花宴(はなのえん)」(八帖)には、紫宸殿で開かれた花見の様子が描かれている。これが書かれた紀元千年頃には、もうすでに華やかな花宴が開かれており、そこを舞台にして物語が展開する。光源氏は頭中将らとその花宴に出て舞や詩を披露する。そして、源氏はその夜、おぼろ月夜に誘われ、そぞろ歩いて弘徽殿あたりに行くと歌を詠む姫君に出逢う。お互いの気持ちが高ぶり、一夜の契りを結ぶという話。そして、お互い誰 [続きを読む]
  • 春は眠くなる。猫はネズミを捕る事を忘れ
  • ここ数日になって漸く春らしくなってきた。4月1日は当地のお山の雪の写真をアップしたが、今は、桜もほころび心が浮き立つような陽気が降り注いでいる。こういった季節に良く言われる言葉、「春眠暁を覚えず」。これは、唐の時代の孟浩然の詩の一節にあるもの。たしかに、春は、寒さが和らいだ安心感からなのか、早く目覚めることなく、日中なども、やたらと眠気が差してくるところがある。つい、うたた寝、ということになったり [続きを読む]
  • 闇の奥に潜む、恐ろしいばかりの生命力
  • 「闇」という言葉は「病(や)み」からきているという。今でこそ、我々の生活の中に暗闇を感じることはなくなったが、かつての世界は、「夜の闇」は恐怖そのものだった。昔は「鼻をつままれてもわからない真っ暗闇」という表現があった。これは、「誰かが鼻をつまめるほど近づいても気づかないほどの闇」という意味となる。夜などは、そんな闇との戦いが展開していた。『源氏物語』「夕顔」「葵」「明石」などは、闇の中に「物の怪( [続きを読む]
  • 男と女の出逢い。そして、デジャヴュ
  • 「不可能」という花言葉を持っていた花と言えば「青い薔薇(ばら)」。もともとバラには青い色素がなく、交配では決して誕生しなところから、青いバラは、21世紀の初頭まではその名のごとく「不可能」だった。それを遺伝子組換え技術で誕生させたニュースが駆け巡ったのは、今世紀初頭となる2004年。誕生した、バラの正式名称は"SUNTORY blue rose APPLAUSE" 。この名称の最初には、日本のウィスキーメーカーの名が冠されてい [続きを読む]
  • 春の嵐は、まだまだ続きそうだ
  • 諺(ことわざ) というものは教訓的に使われるが、全く相反するものが多い。よくあるもので言えば、「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。「鉄は熱いうちに打て」に対して「急いてはコトをし損じる」などがある。状況に合わせ、臨機応変に都合のいいことわざを引っ張り出して来れるようになっているものらしい。なんでも見境なく行動してしまう人のことを「直情径行(ちょくじょうけいこう)」の性格と言ったり [続きを読む]
  • 今日、「わたし、髪を切りました...」
  • 女性が髪を切ると決まって交わされる言葉。「失恋?」親しい友人なら、そんな言葉が交わされる。冗談半分で言ったつもりの言葉だったが、「失恋?」という言葉を言われた女性は、つとめて明るく振る舞って短くなった髪の毛先を指で探りながら、軽く微笑んで言葉を返す。「ううん、ちょっとした気分転換よ...」だけども、明るく笑ったハズのその眼から一筋の涙が頬をつたい、その瞬間、口惜しさがこみ上げてきたのか、表情が歪み、 [続きを読む]
  • 桜のない「さくらまつり」主役は何者?
  • 今日は、当地では「桜まつり」なるものが開催された。ところで、桜は?残念ながら、今年はまだ、つぼみ。この「まつり」は市が主宰するところから、少なくとも半年前からこの日が指定される。これがお役所仕事。相手は桜。桜の開花ほど当てにならないものはない。「〜のない〜なんて...」というテレビCM があったが、桜のない「さくらまつり」なんて...といったところ。いつも、土日を開催日に宛てている、こればかりは代えられな [続きを読む]
  • 柳が芽吹き、花は紅(くれない)に咲く春
  • 歌い継がれているJAZZのヒット曲に"Willow Weep for Me" というのがある。エラ・フィッツジェラルドなどが切々と歌うとサマになる曲。日本語のタイトルとしては「柳よ泣いておくれ」となるが、意味に忠実に訳すと「柳よ、私のために哭(な)いておくれ」となる。柳に語りかけ、恋人との別離を詠ったもの。この作詞者であるアン・ロネルが、師匠であるガーシュインに捧ぐとして1932年に発表されたもの。これを聞く度に素朴な疑問 [続きを読む]