けん さん プロフィール

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けんさん: ぶらり歴史旅一期一会
ハンドル名けん さん
ブログタイトルぶらり歴史旅一期一会
ブログURLhttp://poreporetraveler.blog96.fc2.com/
サイト紹介文戦国武将にまつわる史跡と近代建築をテーマに全国各地色々巡っているブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供176回 / 365日(平均3.4回/週) - 参加 2010/08/22 16:46

けん さんのブログ記事

  • 松屋常盤(京都市中京区)
  •           京都御所の南側で現在も商いをしている承応年間(1652〜54)創業の老舗で、御所御用だった証である白い暖簾に御用菓子司らしく山城(山城大掾の官位)の旧国名が記されています。代々一子相伝で作られており現当主で16代目。 [続きを読む]
  • 村上開新堂(京都市中京区)
  •               寺町二条にある明治40(1907)年創業の老舗洋菓子店村上開新堂の店舗は昭和初期に建てられた物で表は木造漆喰造りの洋風建築、店の奥側は日本建築という和洋折衷様式。カーブを描いたショーウィンドウなど建てられた当時は相当ハイカラなお店だったことが感じられます。          扉には「をす」の文字。建てられた当時はこういうドアは珍しく開け方が分からない人も多かったのでしょうか。こ [続きを読む]
  • 崇禅寺 細川ガラシャの菩提寺(大阪市淀川区)
  •                     天平年間に行基が創建したと伝わり創建当時は法相宗でしたが室町時代に摂津守護細川重賢により曹洞宗のお寺に改められています。新幹線新大阪駅からも徒歩圏内にあり阪急電車の駅名にもなっているぐらいの大きなお寺で、嘉吉の乱で播磨守護赤松満祐に討たれた足利6代将軍義教の首が安置されたことから彼の菩提寺となり、また細川家の菩提寺でもあったことから関ヶ原の戦い前に石田三成ら [続きを読む]
  • 熊本市新町・古町の歴史的建築物のいま
  • 熊本城から第一高校(熊本古城跡)横を抜けて新町地区へと移動してきました。この界隈は熊本城の旧城下町で空襲の被害を免れたことから古い建物が多く残っていましたが、それだけに地震の被害も大きかった地区。              江戸時代後期創業の薬問屋吉田松花堂。熊本市の都市景観形成重要建造物の指定を受けている西南戦争後に建てられた木造建築の店舗兼主屋や市電からも見える広大な長塀は新町地区のランドマー [続きを読む]
  • 熊本城のいま
  • 桜の名所として知られる熊本城ですが昨年の熊本地震で甚大な被害を受け現在も立ち入り制限箇所が多く、今年は遠巻きに桜を見るという状態でした。         間もなく震災発生から1年になりますが崩壊箇所があまりに多く手つかずのところが多くあります。写真撮影できませんでしたがどこから手を付けたらいいのか分からない、というぐらい崩れたままです。           これらはすべて元は石 [続きを読む]
  • 清学院(堺市堺区)
  •                     現在は堺市の歴史館として一般に開放されている清学院は江戸時代は山伏の修験道場として、明治時代以降は寺子屋清光堂として使われ日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った浄土真宗の僧侶河口慧海もここで学んでいました。門・不動堂・庫裏の3件が国の登録有形文化財に登録されています。 ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固 [続きを読む]
  • 旧鉄砲鍛冶屋敷(堺市堺区)
  •                     鉄砲生産の一大拠点であった堺市に残るこの鉄砲鍛冶屋敷は江戸時代から続く鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、町家建築としても最古の部類に入り堺市の文化財の指定を受けています。内部は非公開ですがすぐ近くに堺鉄砲館があります。          斜め向かい側にある立派なお宅。苗字を見ると堺にある地名と同じ名前だったので元は地侍や国人階層の旧家なのかもしれま [続きを読む]
  • 月蔵寺 大野道犬の墓(堺市堺区)
  •          明応4(1495)年に京都頂妙寺の末寺として創建された日蓮宗の寺院で天文12(1543)年に現在地へ移転、妙国寺の中本山として現在の寺名に改称しています。         境内の大きな楠は堺市の指定保存樹木に指定されています。         大野治胤(道犬斎)の墓『真田丸』にも登場した大野修理亮治長・大野主馬首治房兄弟の弟とされます(大蔵卿局の3男)。大坂夏の陣では堺に進出し街を焼き討ちした [続きを読む]
  • 慈光寺 伊東義祐の墓(堺市堺区)
  •          本願寺蓮如上人に深く帰依した楠木正成のひ孫に当たる楠木太郎左衛門正吉(楠木正勝の子)が出家し圓二坊賢知の法号を授けられ文明5(1473)年に開いた浄土真宗本願寺派の寺院で(創建は文明7年説も)、圓二坊は蓮如の教化を多いに援け紺屋道場と称された格式の高いお寺で最盛期には全国各地に二百を超える末寺を抱えていました。          本堂          伊東義祐の墓従三位下修理太夫 大 [続きを読む]
  • 福成寺(堺市堺区)
  •           天文7(1538)年に京都清涼寺を再興した円誉堯淳上人が清涼寺より釈迦尼仏を移し本尊としたことに始まる浄土宗知恩院派のお寺で、墓所には大坂冬の陣で大阪城砲撃に使われた大筒を製作した堺の鉄砲年寄芝辻理右衛門入道道逸の墓があります。           ★当ブログのまとめサイトなどへの無断転載・使用は一切固く禁止しております。にほんブログ村当ブログを補完するFacebookページを始めました。よ [続きを読む]
  • 本受寺 西ルイスの菩提寺(堺市堺区)
  •                     寛正2(1461)年に本覚院日陽が創建した日蓮宗のお寺で、元大村家家臣で後に朱印船貿易家に転身した西宗真(西ルイス)など西家の菩提寺です。西家は大村家では700石取りといいますから重臣といっていいでしょう、その地位を捨てて文禄年間(1592〜96)に一族とともにマニラへ移住しそこを拠点に日本と貿易を始めます。その貿易活動に興味を持った家康に駿府で謁見し海外事情を話し朱印状を [続きを読む]
  • かん袋(堺市堺区)
  •           元徳元(1329)年創業という堺屈指の老舗で、豊臣秀吉の時代の当主和泉屋徳左衛門が他の堺の商人納屋衆ともども献金の礼に秀吉に城に呼ばれた際に天守閣の瓦を一枚一枚職人たちが運び上げている光景を見た徳左衛門は餅造りで鍛えた腕力を活かし作業に参加、瓦を一枚ずつ屋根へ放り投げその瓦が春風に煽られて紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がる光景を見た秀吉が「かん袋(紙袋)が散る様に似ている」 [続きを読む]
  • 少林寺(堺市堺区)
  •          臨済宗大徳寺の塔頭黄梅院の末寺で元徳2(1330)年に小林修理亮義繁開基で挑源宗悟によって創建されています。かつてはかなり広大な寺域を誇っていましたが信長に寺域の多くを没収され衰退、その後秀吉の時代になると小さいながらも境内竹木の伐採禁止など名刹の扱いを受けることになります。         白蔵主稲荷明神寺の鎮守社で現在も狂言や歌舞伎で演じられる『釣狐』はここ少林寺の塔頭耕雲庵の住持 [続きを読む]
  • 臨江寺(堺市堺区)
  •                      承応元(1652)年に茶人としても高名な堺の豪商今井宗久の曾孫今井兼続開基、南宗寺13世住職清厳宗渭が隠居所として入山開山した臨済宗大徳寺派の寺院で元は南宗寺の塔頭でした。武野紹鴎や今井宗久ら今井一族の墓や曽我十郎・五郎兄弟の供養塔と曽我稲荷社、女性の守り神として崇められた乳守明神社など境内には史跡が多く存在しています。また萩の寺の異名があるぐらい萩の花の名所とし [続きを読む]
  • 南宗寺(堺市堺区)
  •           大永6(1526)年に京都大徳寺76世古嶽宗亘が堺南庄舳松の小さな庵を南宗庵と改称したのを始まりで、弘治3(1557)年に三好長慶が父元長の菩提を弔うため深く帰依していた大徳寺90世大林宗套を招いて庵を移転させ現在の南宗寺へ改称しています。その後松永久秀の堺乱入や大坂夏の陣の戦火に遭い焼失しますが、12世住職となった沢庵宗彭が再興に尽力し元和(1619)年に現在地に再建しています。          [続きを読む]
  • 湊焼津塩家(堺市堺区)
  •            船待神社の記事でも少し触れましたが、司馬遼太郎氏の『街道をゆく』で堺市内の紀州街道を歩く記述があるのですがそれがこの界隈になります。堺市中心部の紀州街道は阪堺電車も走る大きな通りですが御陵前で脇道へ入っていきます(記事下に貼った地図で確認できるかと思います)           司馬遼太郎氏一行は阪堺電車御陵前付近で母娘らしき女性二人に道を尋ねたところ 「そうだす。阪本のほね [続きを読む]
  • 船待神社(堺市堺区)
  •          創建当時は塩穴天神社という神社でしたが、昌泰4(901)年に京より大宰府へ左遷される途中の菅原道真が道明寺にいた伯母に別れを告げた帰途船を待つ間、菅原氏の祖神天穂日命を祀っていた当社に参拝し松の木を植え出発したと伝わります。その後長保3(1002)年に道真の子孫である菅原為紀がこの地に来て道真の残した旧跡を種々調査し官に願い出て天穂日命の社に道真を合祀し現在の船待天神社へ改称しています。 [続きを読む]
  • 亀山御坊本徳寺(兵庫県姫路市)
  •           本願寺八世蓮如上人が西国布教の拠点として播磨英賀に御堂衆のひとり下間空誉を派遣し御堂を開かせたことに始まる浄土真宗本願寺派の寺院で、英賀御堂として一向宗の一大拠点となりますが天正8(1580)年に織田信長の播磨攻略の司令官である羽柴秀吉の懐柔策で現在の亀山へ移されています。その後、慶長7(1602)年の本願寺分裂により元和4(1618)年に本徳寺も分裂し大谷派(東本願寺)は姫路城下の船場に本 [続きを読む]
  • 山陽電車亀山駅(兵庫県姫路市)
  •           大正12(1923)年に亀山御坊駅として開業し、昭和19年に電鉄亀山駅に、平成3年に現在の亀山駅へ改称されています。駅改札を降りてすぐの場所に開業当初の駅名の由来となった亀山御坊本徳寺があります。駅舎は近年地下・高架化による建て替えなどで個性を失っている山陽の駅には珍しい少し薄汚れた感じが何とも味わいのあるモルタル造りの倉庫のような建物が特徴的だったのですが、最近1階部分の窓を取り払い2 [続きを読む]
  • 【閉店】太田屋半右衛門(岐阜県笠松町)
  • 全国各地の和菓子関連の情報収集などで大変お世話になっている和三坊主さんのサイト『和菓子礼讃』内の和菓子屋リストの中、岐阜県の項目に笠松菓子工業組合が作る笠松志古羅ん(しこらん)というお菓子が紹介されています。この志古羅んは秀吉が命名したという伝統あるお菓子ですが、製造していた太田屋半右衛門が2010年に閉店してしまったためにこのブログでは記事にしていなかったのですが、私が以前開設していたブログで記事に [続きを読む]
  • 鯛福茶庵(名古屋市中区)
  •          大須観音から数分歩いた門前町通りに天然もの(一丁焼き)のたい焼きを売るお店があると聞いて名古屋に行った際に寄ってみました。鯛福茶庵というお店で母体は澤屋という団子やお好み焼きなど粉もんを販売するお店。元は和菓子屋で創業は天保年間、古い木造建築のお店には甘味処も併設されています。          澤屋さんは愛知県内に複数の店舗を構えていますが、天然もののたい焼きを焼いているのは大 [続きを読む]
  • 若鯱家(愛知県名古屋市)
  • 今回から少しの間下書きのまま放置していた記事を順次アップしていきます。脈絡なく全国各地あちらこちらへ唐突に飛びますがご了解下さい。         ちゅるちゅるうまうまのフレーズで名古屋ではお馴染み若鯱家。カレーうどん大好きな私がこのお店を始めて知ったきっかけは10年以上前にたまたまサ○クスで見つけた日清製のカップうどんでしたが、これがまずまず美味かったので名古屋へ行ったら一度実際の店にも入ってみよ [続きを読む]
  • 菊水楼(奈良県奈良市)
  •          奈良で最も格調高い料亭が春日大社一の鳥居の前にある菊水楼。奈良公園や奈良国立博物館などへ向かう途中に必ずその横は通るのですがまったく自分とは縁がない。まぁ奈良出身の人でも結婚式などでしか行くことがないと言ってましたので私には縁がなくても致し方ないでしょうか(笑) 菊水楼で国登録文化財に登録されている建物は写真の正門・庭門・本館・旧本館の4件です。春日大社一の鳥居に突き当たる三条通に [続きを読む]