pingupapa さん プロフィール

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pingupapaさん: 続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ハンドル名pingupapa さん
ブログタイトル続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/pingupapa
サイト紹介文無理,矛盾,不条理,不公平,牽強付会,我田引水,頽廃,犯罪,戦争,世間とは斯くも住み難き処なりや?
自由文 法律や社会問題、時事や歴史などを切り口に、自分なりの正論を展開します。

 我が「ディオゲネスの樽」へのご訪問、いつでも歓迎いたします。

 なお、プロフィールに掲げてある写真は、最高裁判所に飾られている、法の女神「テミス」の像です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2010/09/19 01:56

pingupapa さんのブログ記事

  • あちらこちら
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください「あみだ坊」という僧は、度重なる悪所狂いがバレてしまい、ついに寺を追い出され、仕方なく高熊油平と名を変えて、怪しげな神道の講釈をして、世を渡っていた。 ある時、門弟と打ち連れ祇園へ参ったが、ある僧に行き合い、「おや、あみだ坊。久しぶりですな。姿を変えられていたので、見違えました」と挨拶して帰ったのを、門弟が「あれは、どなたでござります」と問えば、 [続きを読む]
  • 調法な禁酒
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 心の合う友と話し合うほど、良い楽しみはない。とりどりの話をしている半ばに、一人が言うには、「俺はこの三年間、酒を呑むまいと願をかけたが、どうしても我慢ができず、一杯呑みたい」と言う。友の中でも知恵のある男が言うには、「呑みつけた酒だから、呑まずにはいられまい。三年の禁酒を六年にして、夜ばかり禁酒にして、昼は呑め」と言う。それに応えて、「いやいや [続きを読む]
  • 当世は裏の裏
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 時々の風俗ほど、おかしなものはない。 近頃は、小袖の、表はそれほどでもないが、裏に模様を付けることが流行って、人の目が届かないところに念を入れるのが、当世風というものらしい。 ある刺繍屋へ、よい家の腰元らしい女が、造りのいい草履を持って来て、「この草履の裏に、当世の流行り模様を、縫って下され」と言う。 亭主は合点がいかず、「草履の表ならば模様を [続きを読む]
  • 七福神の寄合
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 七福神が寄り合って宴会を開こうと、料理の献立を相談した。 焼物の鯛は恵比寿さんが用意し、米は大黒天、肴の伊勢海老は毘沙門天が持ってきて、座敷での三味線は弁財天にあてがった。 さあさあ布袋さんにも何か役をあてがおうと言えば、「そのお料理が出来ましたならば、食べまして、腹を膨らす役を勤めましょう」と言われた。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> [続きを読む]
  • 巻6の11 桐の葉を以って、弟を封ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、成王(?-前626)という王が、弟の叔虞という人と共に遊んだとき、唐土には、国の王を決めるときに、珠を作って王の印として与える習慣があったので、成王は弟の叔虞に向かって、戯れに桐の葉を切って珠を作り、「お前にこれを授けて、この国の王に任ずる」と言った。 後日、家来の史佚という者が、「吉日を選んで、弟君の叔虞様を王に即位させましょう」と言う。成王 [続きを読む]
  • 巻6の10 釼を水中へ落とす事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、楚国に愚かな人がいた。 ある時、舟に乗っていて、腰に差した釼を、誤って水の中へ落としてしまった。そこで、この者は知恵を働かせて、落とした場所が後で分かるよう、舟に印をつけて、「この印のところから水の中へ落とした。これを頼りに探せばいいのだ」と言った。 しかし、舟は水の流れるにまかせて進むが、釼は落ちた所に留まっているから、舟に印をつけたと [続きを読む]
  • 巻6の9 介子、推綿上山にて、焼け死する事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、晋の文公(前696-前628)という人は、晋の献公(?-前651)の本婦人の子であったが、献公が驪姫(?-前651)という妾を寵愛していたので、驪姫は、本婦人の子である文公をひどく憎んでいた。 そしてついに献公へ讒言をして、文公を殺そうとしたので、文公は恐れて他国へ逃げた。その時に、共に付き従って逃げ去った者は、狐偃、趙衰、顛○、魏犨、介子推、以上5人であった [続きを読む]
  • 巻6の8 原穀、祖父(おほぢ)を山へ捨つる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、どこの出身かは分からないが、原穀という人がいて、年は若かったが、才智は類がないほど人に優れていた。 その頃、原穀の祖父は、年を取って体も弱り、立つことも不自由になってしまったので、父母は困り果て、祖父を山へ捨てようと言い出した。原穀はまだ15歳であったが、涙を流し、父母を諌めたが聞き入れられず、手輿を作って祖父を乗せ、父子で遠い奥山の高い [続きを読む]
  • 巻6の7 餅をくはんとて、無言をする事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、濱田という所に、きわめて愚かな夫婦がいた。 隣から餅を三つ贈られたので、夫婦は各々一つずつ食べて、残るひとつを「おれが食う」「わたしが食べる」と争っていたが、夫が言うには、「それならば、今から無言を始めて、無言を破った者を負けにして、無言を続けて勝った者が食べることにしよう」と言えば、妻も、「そうしましょう」 と言って、無言競べを始めたが、 [続きを読む]
  • 継続は力なり
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください↓今回は、この文章の続きです「天然の奇人・和蘭人の化物」 江戸の雰囲気を味わいたくて古文書解読の勉強を始め、1年少し経って、楷書に近く、平仮名の多い文書なら何とか読めるようになったのが、駄文の頃です。 しかしまだまだ、草書で、しかも平仮名が使われていない和漢文(注参照)の文書は半分も読めなかったのですが、いつかは読めるようになりたいと、引き続き勉 [続きを読む]
  • 巻6の6 日なたを君に献ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、宋の国に農夫がいた。家は貧しく、常に薄い衣を着て、辛うじて冬を越していた。 が、ようやく春にもなり、田に行って仕事をしていたところ、日が背中に当たって暖かくなったので、農夫は喜んで、「さてさて、太陽というのは重宝なものだ。こんなに人を暖かにするものは、またとあるまい」と思って、綿布の暖かな衣服がある事さえ知らなかった。 その農夫が妻に語る [続きを読む]
  • 巻6の5 斉の閔王の后、頸に宿瘤ある事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、斉の閔王の后は、頸に大きな宿瘤があったので、その名を宿瘤(しゅくりゅう)といい、もとは卑しい民の娘であった。 その昔、閔王が東郭に遊んだ時、その地方の民百姓は、閔王の御出ましということで、皆、出て見ていたが、宿瘤は蚕の世話をするため桑の葉を採っていて、王を見に行こうとはしなかった。閔王が不審に思って、「朕が地方へ遊びに出れば、民百姓はみな [続きを読む]
  • 巻6の4 斉の景公の夢を占ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、斉の景公(?-前490)という王が病にかかって、既に10日に及んでいた。 ある夜、景公は、二つの太陽と戦って負ける夢を見た。 そのあくる日、臣下の晏子が来たので、景公は晏子に問うた。「朕は昨夜、二つの太陽と戦って負ける夢を見た。甚だ不吉な夢だ。朕は間もなく死ぬに違いない」と言ったので、晏子は答えて、「その夢を占う博士を召して、占わせてみましょう [続きを読む]
  • 巻6の3 狐、死したる真似をして殺さるる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔ある人が、4人連れで野道を通ったが、道の傍らに狐がいて、草の根を掘って土くれを穿ち、虫を食っていた。 狐が、この4人の者が来るのを見て思ったのは、「俺が逃げずに、このままここにいたならば、この4人の者は俺を殺すにちがいない。また、逃げたとすれば、追ってきて打ち殺すだろう。ここはひとつ死んだふりをして、この4人が行き過ぎた後に、ゆっくりと虫を食 [続きを読む]
  • 巻6の2 狗(いぬ)の化けたるを怪しまぬ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、桂陽の太守に、李叔賢という人がいた。 この人の家では犬を飼っていたが、年をとったためか、常に化けて、いろいろの不思議が起っていた。 ある時、この犬が後ろ脚を立てて、人が歩むように歩いていたので、家人はみな怪しみ恐れて、この犬を殺そうと言うのを、叔賢は、「昔から犬や馬は君子に喩えられる生き物だ。この犬も、人が二本足で歩くのを見て、真似して歩 [続きを読む]
  • 巻6の1 荘子、魚の楽しみを知る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、荘子(前369?-前286?)、字は荘周という人が、友の恵子という者とともに遊んでいたところ、荘子が、魚が水上に出て泳ぐ事の豊かなるのを見て、「これこそ、魚の楽しみだ」と言って感嘆したので、恵子がこれを聞いて、「君は、魚でもないくせに、どうして魚の楽しみが分かるんだい」と言えば、荘子が答えて言うには、「君もまた、私ではないくせに、どうして私が、魚の [続きを読む]
  • 巻5の12 伯夷、叔斉、兄弟の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、孤竹という所に兄弟がいて、兄は伯夷、弟は叔斉といったが、この2人の父は、何を思ったのか、弟の叔斉に国を譲ると遺言して死んでしまった。 しかし叔斉が思うには、 「いかに父の命令だとしても、弟としては、親の跡を取るべきではない」と言って、兄の伯夷に譲ろうとした。しかし伯夷は伯夷で、 「父の命令に背くわけにはいかない」と言って受け付けず、互いに [続きを読む]
  • 巻5の11 儒子、呉王を諌むる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、呉の国が、荊という国を討ち滅ぼそうと計画した時、呉の国の舎人で儒子と言う人が、呉王を諌めよう思ったが、一向に聞き入れられないことを歎き、どうにかして諌めようと思い、毎朝、宮廷に出ては嘆き悲しんでいたところ、呉王は儒子を召して、「どうしてそんなに悲しんでいるのだ」と尋ねれば、儒子が言うには、「私は、園に雀が多く集まっていると聞き、これを獲ろ [続きを読む]
  • 巻5の10 年寄りて智なきは、むく犬に劣る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください むかし、西大寺の錫然上人は、教養も才能もなかったが、年をとって腰が屈み眉も白い容貌は、徳の長じた様子に見えた。 その錫然上人が禁中へ参内した時、西園寺内大臣殿(西園寺実衡1288-1326))が上人を見て、「何と尊いお方だろう」と信仰したのを、日野俊光(1260-1326)卿の三男、権中納言資朝(1290-1332)公がこれを見て、「この上人は、年をとっているだけで、教養も才能 [続きを読む]
  • 巻5の9 荘子、釣りたる魚を捨つる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土に荘子という人がいた。 この人の友に恵子という者がいて、梁の王に仕え、多くの俸禄をもらい富貴な身分であった。 ある時、恵子が大勢の供を連れて、宋の孟諸という沢を通りがかったが、折節、荘子が世を逃れて、この沢に引きこもり、釣糸を垂れていた。 荘子は、友の恵子が、このように富貴の身になっても、なお、欲望の心が大いに深いのを見て、自分が釣った沢山 [続きを読む]
  • 巻5の8 衛の君、貧窮を賑はし給ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、衛という国の王は、冬は、日に当たって上衣を着て、茵(しとね)を重ねた上に座って過ごしていた。 ある時、外に出て遊んでいたところ、道の傍らに薪を背負って、声を上げて泣く者がいたので、衛の王は問うた。「そなたは、どうしてそのように泣くのだ」 薪を背負う者が答えるには、「雪が降り、寒さが甚だしいのに、着るものは薄いものしかないので、この寒さに堪 [続きを読む]
  • 巻5の7 からくり人形を穆王へ献ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、周の穆王(前985-940)という帝が狩に出た時、偃師という腕のいい細工職人がいることを聞き、早速、その細工職人偃師を召して、「そなたは、どのようなことができるのだ」と尋ねれば、偃師が答えるには、「私は、人形作りを得意としております。よろしければ、作って差し上げたいと思います」と言って退いた。 ところがあくる日にまた来て、穆王に会いたいと言うの [続きを読む]
  • 巻5の6伍子胥、衣を掲げて諌むる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、呉の国に伍子胥という者がいた。 呉王の臣下で、王に忠ある者であり、常に、呉王に悪いところがあれば、御諌めを申し上げていたのだが、呉王は少しも聞き入れてくれなかった。 伍子胥は、諌めが用いられない事を歎いて、毎日、出仕を務めて宮中から帰るときに、衣の裾をたくし上げて帰っていた。 群臣はこれを怪しんで、「どういうことなんだ」と問えば、伍子胥が [続きを読む]
  • 巻5の5 愚かなる人を旅の道連れにする事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、愚かな者と賢い者とが、ともに関東へ下ろうとして旅の道連れとなったが、賢い者が言うには、「旅は、互いに何事も遠慮せず、物事を公平に決めるのがよかろう」と言えば、愚かな者も、「そのとおりだ」と同心して、道を進んでいたが、2人ともくたびれてしまったので、賢い者が、「あまりにくたびれたから、馬を借りてたがいに乗ろう。これより先の宿泊地までは六里ほど [続きを読む]
  • 巻5の4 天の墜(おつる)を案ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、杞という国に極めて愚かな人がいて、もし天が崩れ墜ちたなら、どこへ逃げても逃げおおせるものではないから、ついには、天のためにわが身を打ちひしがれる事の悲しさよと、常々これを歎き案じて、寝ることも食べることもできなかった。 ここにまた、他のある人も、同じ事を案じて、先の者と二人で案じていたが、一人の者が悟って言うには、「天というものは、陰の気 [続きを読む]