pingupapa さん プロフィール

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pingupapaさん: 続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ハンドル名pingupapa さん
ブログタイトル続・エヌ氏の私設法学部社会学科
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/pingupapa
サイト紹介文無理,矛盾,不条理,不公平,牽強付会,我田引水,頽廃,犯罪,戦争,世間とは斯くも住み難き処なりや?
自由文 法律や社会問題、時事や歴史などを切り口に、自分なりの正論を展開します。

 我が「ディオゲネスの樽」へのご訪問、いつでも歓迎いたします。

 なお、プロフィールに掲げてある写真は、最高裁判所に飾られている、法の女神「テミス」の像です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供30回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2010/09/19 01:56

pingupapa さんのブログ記事

  • 巻6の4 斉の景公の夢を占ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、斉の景公(?-前490)という王が病にかかって、既に10日に及んでいた。 ある夜、景公は、二つの太陽と戦って負ける夢を見た。 そのあくる日、臣下の晏子が来たので、景公は晏子に問うた。「朕は昨夜、二つの太陽と戦って負ける夢を見た。甚だ不吉な夢だ。朕は間もなく死ぬに違いない」と言ったので、晏子は答えて、「その夢を占う博士を召して、占わせてみましょう [続きを読む]
  • 巻6の3 狐、死したる真似をして殺さるる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔ある人が、4人連れで野道を通ったが、道の傍らに狐がいて、草の根を掘って土くれを穿ち、虫を食っていた。 狐が、この4人の者が来るのを見て思ったのは、「俺が逃げずに、このままここにいたならば、この4人の者は俺を殺すにちがいない。また、逃げたとすれば、追ってきて打ち殺すだろう。ここはひとつ死んだふりをして、この4人が行き過ぎた後に、ゆっくりと虫を食 [続きを読む]
  • 巻6の2 狗(いぬ)の化けたるを怪しまぬ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、桂陽の太守に、李叔賢という人がいた。 この人の家では犬を飼っていたが、年をとったためか、常に化けて、いろいろの不思議が起っていた。 ある時、この犬が後ろ脚を立てて、人が歩むように歩いていたので、家人はみな怪しみ恐れて、この犬を殺そうと言うのを、叔賢は、「昔から犬や馬は君子に喩えられる生き物だ。この犬も、人が二本足で歩くのを見て、真似して歩 [続きを読む]
  • 巻6の1 荘子、魚の楽しみを知る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、荘子(前369?-前286?)、字は荘周という人が、友の恵子という者とともに遊んでいたところ、荘子が、魚が水上に出て泳ぐ事の豊かなるのを見て、「これこそ、魚の楽しみだ」と言って感嘆したので、恵子がこれを聞いて、「君は、魚でもないくせに、どうして魚の楽しみが分かるんだい」と言えば、荘子が答えて言うには、「君もまた、私ではないくせに、どうして私が、魚の [続きを読む]
  • 巻5の12 伯夷、叔斉、兄弟の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、孤竹という所に兄弟がいて、兄は伯夷、弟は叔斉といったが、この2人の父は、何を思ったのか、弟の叔斉に国を譲ると遺言して死んでしまった。 しかし叔斉が思うには、 「いかに父の命令だとしても、弟としては、親の跡を取るべきではない」と言って、兄の伯夷に譲ろうとした。しかし伯夷は伯夷で、 「父の命令に背くわけにはいかない」と言って受け付けず、互いに [続きを読む]
  • 巻5の11 儒子、呉王を諌むる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、呉の国が、荊という国を討ち滅ぼそうと計画した時、呉の国の舎人で儒子と言う人が、呉王を諌めよう思ったが、一向に聞き入れられないことを歎き、どうにかして諌めようと思い、毎朝、宮廷に出ては嘆き悲しんでいたところ、呉王は儒子を召して、「どうしてそんなに悲しんでいるのだ」と尋ねれば、儒子が言うには、「私は、園に雀が多く集まっていると聞き、これを獲ろ [続きを読む]
  • 巻5の10 年寄りて智なきは、むく犬に劣る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください むかし、西大寺の錫然上人は、教養も才能もなかったが、年をとって腰が屈み眉も白い容貌は、徳の長じた様子に見えた。 その錫然上人が禁中へ参内した時、西園寺内大臣殿(西園寺実衡1288-1326))が上人を見て、「何と尊いお方だろう」と信仰したのを、日野俊光(1260-1326)卿の三男、権中納言資朝(1290-1332)公がこれを見て、「この上人は、年をとっているだけで、教養も才能 [続きを読む]
  • 巻5の9 荘子、釣りたる魚を捨つる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土に荘子という人がいた。 この人の友に恵子という者がいて、梁の王に仕え、多くの俸禄をもらい富貴な身分であった。 ある時、恵子が大勢の供を連れて、宋の孟諸という沢を通りがかったが、折節、荘子が世を逃れて、この沢に引きこもり、釣糸を垂れていた。 荘子は、友の恵子が、このように富貴の身になっても、なお、欲望の心が大いに深いのを見て、自分が釣った沢山 [続きを読む]
  • 巻5の8 衛の君、貧窮を賑はし給ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、衛という国の王は、冬は、日に当たって上衣を着て、茵(しとね)を重ねた上に座って過ごしていた。 ある時、外に出て遊んでいたところ、道の傍らに薪を背負って、声を上げて泣く者がいたので、衛の王は問うた。「そなたは、どうしてそのように泣くのだ」 薪を背負う者が答えるには、「雪が降り、寒さが甚だしいのに、着るものは薄いものしかないので、この寒さに堪 [続きを読む]
  • 巻5の7 からくり人形を穆王へ献ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、周の穆王(前985-940)という帝が狩に出た時、偃師という腕のいい細工職人がいることを聞き、早速、その細工職人偃師を召して、「そなたは、どのようなことができるのだ」と尋ねれば、偃師が答えるには、「私は、人形作りを得意としております。よろしければ、作って差し上げたいと思います」と言って退いた。 ところがあくる日にまた来て、穆王に会いたいと言うの [続きを読む]
  • 巻5の6伍子胥、衣を掲げて諌むる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、呉の国に伍子胥という者がいた。 呉王の臣下で、王に忠ある者であり、常に、呉王に悪いところがあれば、御諌めを申し上げていたのだが、呉王は少しも聞き入れてくれなかった。 伍子胥は、諌めが用いられない事を歎いて、毎日、出仕を務めて宮中から帰るときに、衣の裾をたくし上げて帰っていた。 群臣はこれを怪しんで、「どういうことなんだ」と問えば、伍子胥が [続きを読む]
  • 巻5の5 愚かなる人を旅の道連れにする事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、愚かな者と賢い者とが、ともに関東へ下ろうとして旅の道連れとなったが、賢い者が言うには、「旅は、互いに何事も遠慮せず、物事を公平に決めるのがよかろう」と言えば、愚かな者も、「そのとおりだ」と同心して、道を進んでいたが、2人ともくたびれてしまったので、賢い者が、「あまりにくたびれたから、馬を借りてたがいに乗ろう。これより先の宿泊地までは六里ほど [続きを読む]
  • 巻5の4 天の墜(おつる)を案ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、杞という国に極めて愚かな人がいて、もし天が崩れ墜ちたなら、どこへ逃げても逃げおおせるものではないから、ついには、天のためにわが身を打ちひしがれる事の悲しさよと、常々これを歎き案じて、寝ることも食べることもできなかった。 ここにまた、他のある人も、同じ事を案じて、先の者と二人で案じていたが、一人の者が悟って言うには、「天というものは、陰の気 [続きを読む]
  • 巻5の3 劉伯倫、酒を好む事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、晋の劉礼は、字(あざな)を伯倫といって、○という所の人であったが、常に志恣(ほしいまま)に行動し、礼儀にも頓着せず、度量は広く、天を屋根とし、地を寝床にしていた。 この人は、常に酒を好んで呑んでいたが、少々、程度が過ぎていた。よそへ行くときも、車に乗って、その車の傍らに、壺に入れた酒を携へ、行く先々で呑んでいた。 また、車の下に下人を一人 [続きを読む]
  • 巻5の2 支伯、位を受けざる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、支伯という人がいて。極めて賢い人であったので、舜は、自分の天下を支伯に譲ろうと申し出たが、支伯が言うには、「私は世を逃れ、静かな風景を愛して、これを楽しむという病があります。私はこの大病を持っているので、天下を治める任には向きません」と言って、どこかへ去ってしまった。 [続きを読む]
  • 巻5の1 白髪を論ずる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、顧悦という人は極めて才智ある人で、簡文帝と同い年であったが、簡文帝よりはるかに頭の髪も白くなっていた。 簡文帝は、これを謗って、「そなたは、何故、朕に先立って、そのように白いのだ」と問えば、顧悦が答えて言うには、「蒲や柳は、常に色青く麗しいものですが、秋が来たなら、たちまち枯れ萎んて、みんな散ってしまいます。松柏は、たとえ秋が来て、霜が白 [続きを読む]
  • 巻4の16 株(くいぜ)を守る事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、宋の国に、ある人が田を耕していて、その田の中に株があったのだが、兎がどこからともなく走って来て、かの株に行き当たり、首を打って死んでしまった。かの人は喜び、その兎を取った。 その後かの人は、鍬を捨て、田も耕さずに、また兎が来て、この株に行き当って死ぬことがあれば、他人に取られてなるものかと、ひたすら、その株を守り続けたそうだ。 この話のよ [続きを読む]
  • 巻4の15 満奮、風を恐るる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、満奮という人は、常に風を恐れ嫌う人であった。 ある時、晋の武帝の、御前の北窓に座っていたところ、その前に、瑠璃で作った屏風を立ててあり、その色が麗しく、輝きも一際美しく見えたのだが、満奮はこれを見て、殊の外寒そうな様子をしていたので、武帝はこれを御覧になって、「どうして、汝は寒そうにしているのだ」と問えば、満奮が言うには、「私は呉牛に似て [続きを読む]
  • 巻4の14 酒瓶を兄弟にする事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、後魏の時、元○という人がいて、生まれつき弁舌巧みであったが、背は低く、頭は禿げていて、常に酒を好んで呑んでいた。 周文帝は、この元○を重宝していた。 ある時、周文帝は戯れに、御殿の内に酒瓶十あまりを据え置き、各々の瓶に酒を十斛あまりずつ入れ、瓶のうえに帽子を着せて、元○を召してこれを見せた。 すると元○が、このあまたの瓶を見て、喜び勇んで [続きを読む]
  • 巻4の13 晏子、景公を笑ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、斉の景公が牛山に遊んで、北の方を見渡し、自分の国を思いやっていたところ、涙を流し始めて、「悲しいなあ。我が国の民は、竈を賑わし(十分に食物がある)、市では商売が盛んで、野にはいつでも五穀が熟している。まことに、これほど豊かな国を打ち捨てて、いつかは死ななければならない事の悲しさよ。人間、誰しも死んでしまうものだから、朕もまた、ここを去って [続きを読む]
  • 巻4の12 馬援、梁松を拝せざる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、後漢の馬援は字(あざな)を文渕といい、扶風茂陵という所の人であった。 馬援が病気の時、梁松という人が見舞いに来て、馬援が伏している床(ベッド)の下で拝礼をしたのだが、馬援は、あえて拝礼をし返すことはなかった。 さて、梁松が帰った後、周りの者が問うて、「梁松は今、当代の帝の婿であり、位の貴い人です。ですから、公卿の位の人といえども、この人を [続きを読む]
  • 巻4の11 法師にならんとて、芸を習ふ事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 昔、ある者が子に向かって、「お前は僧になり、学問をして因果の道理を弁え、寺の長老ともなって、談義説法して世を渡るような人になれ」と言ったので、子は、親の教えのままに僧になろうと、つらつら考えていたが、「私が僧になっても、輿車があるような裕福な家からばかり招かれるとは限らない。もし、馬などで迎えに来られたとき、日頃、乗りつけていないために、落馬な [続きを読む]
  • 巻4の10 三たび所作を変ゆる事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、鄭という国に、卑しく貧しい者がいて、家業などもなかったので、生活の術も知らなかった。 そこで、ある人について、傘を張る事を習い始め、三年間、精を出し勤めて、ようやく習得した。 ところがこの時、天下は大いに旱(ひでり)となり、傘を買う者など一人もなかったので、三年間の苦労は、みな、無駄になってしまった。 このまま傘職人でいても仕方がないと、 [続きを読む]
  • 不覚!!−徒然草
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください<問題1> 次の書き出しで始まる作品の、題名と作者名を答えなさい。「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」<答> 題名:徒然草 作者:吉田兼好 中学校の、国語の時間を思い出した方も多いでしょう。懐かしいですね。 はるか昔に習った古典の美しい日本語は、自分の [続きを読む]
  • 巻4の9 銅(あかがね)臭き三公の事
  • ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください 唐土、後漢の崔烈(?-192)という人は、涿郡の安平という所の人であったが、北州という所で名顕し、人に重んぜられ、九卿の位になった。 さて、漢の塞帝の時には、銭を取って官位を売買することもあったが、公卿より下のは、それぞれの位によって、価格に高下があった。だから、とある者は、銭を先に払って早く官位に就き、貧しい者は官位に就いた後に銭を貯め、利息をつけ [続きを読む]