列伝 さん プロフィール

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列伝さん: きょうのもののふフォト列伝
ハンドル名列伝 さん
ブログタイトルきょうのもののふフォト列伝
ブログURLhttps://ameblo.jp/yamazakibakufu
サイト紹介文熱く散って逝った源平・南北朝・戦国・幕末のもののふ達の、フォト・レクイエム列伝です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供113回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2010/09/28 22:44

列伝 さんのブログ記事

  • ●奥州平泉に向かう義経一行に出会った「念珠の関」
  • 出羽に来たならばここに寄らねば。「古代の奥羽三関」のうち、念珠(ねず)の関。あれ、こっちがあの義経・勧進帳の本家の関所ということか?? かくして、常陸の勿来の関、磐城の白河の関、 ついに羽前の念珠の関の三関を踏破! やったぁ!おめでとう(自分で自分に言うあたり泣ける) しかしあの勿来の関は、さまざまな歌人・俳人が詠んだのに、ここ念珠の関はあの芭蕉すら句を残していないみたいで残念。なんか感慨 [続きを読む]
  • ●長駆、一路疾走「象潟や 雨に西施が ねむの花」
  • 突如突然思い立って、出羽の象潟(きさかた)へいざ、一路疾走。秋田県、日本海側、にかほ市へ。………ン十年前の高校時代の、かなりはっきりした記憶。古文の授業で芭蕉の俳句、「象潟や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」の解説話を聞いた。その時だけめずらしくまじめに聞いていたらしい。 「へぇ〜、行ってみたいな、象潟なんてところへ」というわけで、ン十年間の秘めたる念願をついに成就・達成!芭蕉が感動した干潟に松の生え [続きを読む]
  • ●「非暴力、無抵抗、不服従!?」そんなのムリに決まってる!
  • 「非武装中立していて、敵が攻めてきたらどうするんですか? みんな殺されるんじゃないですか?」………むか〜し、高校生らとこんな議論を。 「そうかな、みんな殺されるか?」「殺されなくても、捕虜として捕まるんじゃないですか、嫌ですよ!」「じゃぁ、武器を持って戦ったらどうなる?」「そりゃ、………」「敵も死ぬ、味方はもちろん死ぬ、降伏しない限り殺されるだろうな」 「じゃ、戦わずに捕虜になることが非武装中立とい [続きを読む]
  • ●徳川四天王の筆頭!とか、義仲、義経四天王とは誰かが楽しい
  • 井伊直政・榊原康政・酒井忠次、そして本多忠勝の徳川四天王が最も有名な「四天王」というべきか。他には、木曽義仲、源義経に四天王と称される家臣が。また武田信玄・上杉謙信にも四天王または四名臣が。 皆、あるじと肩を並べるほどの音に聞こえた家臣たちだ。「00をいれるべきだ、いや△△だ!」と、それぞれ贔屓での口論が楽しい。しかし天下の覇者・家康を支えた四天王となれば、威張られてもまぁ、仕方なし。 今回、岡崎に [続きを読む]
  • ●本多忠勝、生涯一度の「叛乱」
  • 映画「関ヶ原」では、忠勝役を天乃大介さんが演じていたというのだがよくわからなかった。大河ドラマ「直虎」では高嶋政宏さんが演じている。 でもなんといっても昨年の大河「真田丸」での藤岡弘さんの忠勝が印象的。かつてのテレビドラマ「関ヶ原」は故高松英郎氏が演じ、家康との緊密な主従関係が描かれていた。 残念ながら信州の地に忠勝直接の史跡はない。わずかな足跡を見つけて「戦国史上最強の武将」をまとめました。9/2付 [続きを読む]
  • 「信州往来もののふ列伝」次の巻は本多忠勝、戦国最強の男!
  • 映画「関ヶ原」で燃えていたら、次の巻が迫ってきてしまった。 お抱え絵師・有賀さんは、名槍「蜻蛉切」を携えた忠勝さんをぐぐっと強そうに描いてくれました。映画「関ヶ原」にも忠勝は出ていたらしいが、分からなかったなぁ。 昨年の大河「真田丸」は藤岡弘さんが演じてその名がぐんと知れ渡った本多忠勝、次回「信州往来もののふ列伝 巻102」で登場です。◆本多忠勝(ほんだただかつ 1548〜1610) 戦国〜江戸時代初期 [続きを読む]
  • ●三成に罵倒を浴びせる「石田軍記」でも光も当てていた
  • 「石田三成が主役」などという映画やドラマはほとんどなかっただけに、今回の映画「関ヶ原」は画期的。「せりふ速くよく分からなかった」「なにか急いでいる感じばかりで」「合戦シーン迫力あった」などの感想はさておき、三成さんがおおいに話題になり、注目されれば嬉しいこと。 さて拙著「石田三成の微笑」から引用のラストとして、「評判悪しき三成」の最大の出所、江戸時代中期に著された古書『石田軍記』(作者不詳)につい [続きを読む]
  • ●こんな石田三成だったとしても、だからこそ!
  • 「石田三成が主役!」という映画やドラマはほとんどなかっただけに、今回の映画「関ヶ原」は画期的である。大河ドラマには何度か登場するも、まず良い感じの人には描かれず。前回紹介したごとく、文豪・海音寺氏のこの言葉! ………「三成のような人物を同僚や上役に持つことは真ッ平だ。(三成は)媚びへつらう人間だけに好意を持つのだ。同僚や上役として、こんないやらしい人間はなかろう」………「三成は、自信強烈で、感情的な [続きを読む]
  • ●関ヶ原で負けた三成は「悪い人」なのか、いや違う!
  • 石田三成が近江・観音寺で秀吉と出会ったときに見せたという「三碗の才」の逸話。   そして処刑寸前であっても、身体を命を大切にして、柿を食べなかったという話。幼きころ我が胸を強くうった、感動した。 それなのに。 ●「三成のような人物を同僚や上役に持つことは真ッ平だ。媚びへつらう人間だけに好意を持つ。同僚や上役として、こんないやらしい人間はなかろう」●「三成は、頭の切れる優秀な文吏だったのだから、ドライ [続きを読む]
  • ●おのおの方、関ヶ原、いよいよでござる!
  • いよいよ来週ですね! 映画「関ヶ原」!今回はDVDでなく、映画館へ出陣いたす所存。 30年ほど前、同じ司馬遼太郎の小説が原作のTBSドラマ「関ヶ原」をいったい何度観たことか、ダイジェストにして、いったい何度生徒に見せたことだろう。 加藤剛さんの三成の姿がまさに正義の人だった。森繁久弥さんの家康も決してにくくなく、適役だった。 今回の映画ではどんな胸打つシーンがあるのか、楽しみ。 関ヶ原惨敗が決した時、三成はう [続きを読む]
  • ●鎮西城郭紀行Ⅴ 巨大な吉野ヶ里遺跡、そして各地の遺跡も
  • 来た、来た! ついに来たぞ!吉野ケ里遺跡。授業ではよく話した遺跡。見てはいなかったけど。………「いいか、先土器(旧石器)時代といえば、岩宿遺跡。 ▼発見者・相沢忠洋さんの名は永遠!「で、縄文といえば、代表的な遺跡は? 青森の三内丸山…しかし」 「いや、いや信州人ならば、そうではな〜い!」「???」「知っといてくれよ、国宝・縄文のビーナスが出土したすぐ近くの尖石遺跡!有名だ」 ▼縄文のビーナスが出土したのは近 [続きを読む]
  • ●小笠原長時から二木重高へ この7年間の心境の変化
  • 「列伝 巻24 小笠原長時」を書いたのは、7年前。この時、7年後の今回「巻101」として書いた、中塔城主・二木重高のことにもふれている。 だが7年前、二木重高のことを「書く」気持ちはまったくなかった。武田信玄、小笠原長時、諏訪頼重…など、なんとなく「大物」「よく知れた人物」を追っていた、書くつもりでいた。 だがこれからは、書くネタ・素材さえあれば、見つけたら、信玄や謙信、信長、秀吉、家康に、敗れたりしてい [続きを読む]
  • ●次々と信玄の軍門に降った信濃衆よ、なんとかならなかったのか!
  • 天文19(1550)年、小笠原長時の居城・林城が陥落すると、平瀬城(松本市島内)に長時を迎えた平瀬義兼は最後まで武田に抵抗し、長時を落ち延ばせ、城兵二百とともに全滅。そして深志城と目と鼻の先に位置する犬甘城(現在の城山公園・松本市蟻ケ崎)に拠っていた犬甘政徳も4か月間戦い抜き、落城後は二木重高の中塔城へ。 さらに林城落城後2年以上も小岩盛親は、小岩嶽城(安曇野市穂高)で戦い抜きが、無念、城兵五百とともに全滅した。 [続きを読む]
  • ●巻101 二木重高伝 下の巻です
  • 二木重高 下の巻中塔城に立て籠もった長時・重高は武田勢に包囲されたが、城兵は意気盛ん、籠城戦は半年にも及び落ちなかった。その間信玄の降伏勧告をガンとして拒否し続けた長時だった。だがついに城を脱出、越後の上杉謙信を頼った。 城を去るにあたって長時は、これまでの重高の忠節に感謝し、「必ずや復帰する。その時まで武田に仕え待っていてくれ」と言い残したという。 中塔城↓は松本平を東流する黒沢川上流の南、比高4 [続きを読む]
  • ●負けてもまけぬ、小笠原を支えた二木重高
  • 信州の土豪・武将たちは次々と降した信玄。そんな中で、二木重高は自らをよくわきまえて生き抜いたというべきか。信濃守護だった小笠原貞時をささえ、嫡子・貞慶を府中(松本)の城主に盛り上げたのは二木氏だった。その基を築いた二木重高の一代記です。 ◆二木重高(ふたつぎしげたか 16世紀中〜後期) 上の巻 戦国時代の武将。信濃国守護・小笠原長時に仕えた梓川・中塔城主。後に武田信玄、小笠原氏に従う。天文19(1550)年の武 [続きを読む]
  • ●小笠原長時を支え続け、小笠原家を復活させた地元の雄
  • さればでござる! 次回8/5付「信州往来もののふ列伝 巻101」は、地元でもまったくマイナーな武将、二木重高にてござる。我がお抱え絵師・有賀さんは、かくのごとく描いてくれました。 落ち目の小笠原長時を懸命に擁護し続けたなかなか気っ風のいい武将。 信玄と戦った野々宮合戦↓では意気消沈する長時を励まし。 さらに自らの城・中塔城↓に招いて半年以上の籠城戦…。 城を去って越後へ向かうとき、長時は重高に深く感恩したと [続きを読む]
  • ●江藤さんも、大隈さんも政党の設立・発展でがんばった!
  • 吉野ヶ里遺跡へと行く前に…ちょっと。 「おい、日本初の政党内閣って、原敬じゃねえのか」という友人のご指摘が。確かになぁ。 ▲原敬内閣は、閣僚のほとんどが政友会党員だったことから、これを本格的政党内閣としている。盛岡の原敬生家が記念館になっている。 だがやはり高校の日本史となれば、原敬内閣は「日本初の本格的政党内閣」かな。 大隈重信首相、板垣退助内務大臣の憲政党内閣は、わずか数ヶ月の内閣だったとはいえ、 [続きを読む]
  • ●鎮西城郭紀行Ⅳ 佐賀城の鯱門の弾痕
  • 有田の街を後に、一路佐賀城へ。佐賀といえば「大隈重信、江藤新平」のイメージが強い。 城門に江藤新平が決起した佐賀の乱での弾痕が残っていた。 この鯱の門は、乱で焼けずに残った。 石垣もよく残っている。 大河ドラマ「翔ぶがごとく」で隆大介さんが演じた江藤新平のイメージが強い印象を残している。 ……それにしても西郷さんはなぜあの時、江藤さんといっしょに決起しなかったのか。佐賀の乱を嚆矢に、秋月、神風連、萩の [続きを読む]
  • ●鎮西城郭紀行Ⅲ 酒井田柿右衛門、赤絵発想のヒントは?
  • 名護屋城を後にして、有田焼の里、さらに佐賀城へ。おっと、その前に、「おい、あれ、食ってかんきゃいかんぞな〜」「そうだな!」 呼子の港(唐津市)の「烏賊の躍り食い」へ。港の景色を見ながら舌鼓。 そして有田の里へ。 「酒井田柿右衛門は、艱難辛苦の末、ついに陶器に赤の色、あの柿の色を出すことに成功した。その着想は実に ある偶然がヒントだった……」な〜んて、かつてペラペラとしゃべってきたのだが…。 有田の街並み [続きを読む]
  • ●鎮西城郭紀行Ⅱ 名護屋城にて「列伝が 目細めし 海の彼方哉」
  • ここだ、ここ、名護屋城だ!よく整備されている。小学校の遠足なんかには最高、きつい石段もない。 400年前に廃城された後の崩れた石垣がそのまんまという自然の姿がまたいい。 それにしても城郭が広い! 名護屋城がかくも巨大な備えの城とは知らなかった。本丸・二の丸はじめ随所に堅固な石垣が。 朝鮮・明を攻めるだけでなく、攻撃されることも想定して築城したということか。 秀吉は朝鮮に攻め入って、唐へ、さらに天竺をも [続きを読む]
  • ●嘆いて落ち込んでいては「もののふ・列伝」の名がすたる!
  • 我が著「信州往来もののふ列伝」が、「売れない、売れない」などと嘆き落ち込んでいては、「もののふ」たる列伝の名がすたる!  今に、きっと売れる! それより実は、何を隠そう、着々と次回作・続編を準備中。ご期待あれ。 タイトル案は、ジャーン!「続 信州往来もののふ列伝           中南信の巻 三十将星見参!」 ぐぐぐーんと、小説ぽく、史跡紹介多く、写真大きめ…などと思案中。中南信とは、中信濃・南信濃 [続きを読む]