okado さん プロフィール

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okadoさん: okadoのブログ
ハンドル名okado さん
ブログタイトルokadoのブログ
ブログURLhttp://okadosblog.blogspot.com/
サイト紹介文湘南の歴史・自然・文化・伝説の記録です。
自由文鎌倉を中心とした湘南の歴史・自然・文化・伝説を巡る旅の投稿です。ときには湘南から離れた神社や寺院の記事も投稿しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供1049回 / 365日(平均20.1回/週) - 参加 2010/11/21 16:06

okado さんのブログ記事

  • 源頼朝は河内源氏七代目
  • 鎌倉に武家の都を築いた源頼朝は、清和源氏の一流・河内源氏の七代目。河内源氏の祖は、清和源氏二代目源満仲の三男頼信。頼信が河内国古市郡壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)を本拠地としたことから「河内源氏」と呼ばれます。源頼信墓(羽曳野市・通法寺跡)頼信は1028年(長元元年)に房総半島で起こった平忠常の乱を鎮圧。そこから、河内源氏と坂東武士との結び付きが出来上がりました。壺井八幡宮(羽曳野市)壺井八幡宮 [続きを読む]
  • 熱海:来宮神社の大楠
  • 来宮神社の大楠は本州一の巨樹といわれ、健康長寿・心願成就の御神木。幹を1週すると寿命が1年延命し、心に願いを秘めながら1周すると願い事が叶うのだという。来宮神社http://www8.plala.or.jp/bosatsu/atami-kinomiya.html☆ ☆ ☆ ☆ ☆親族が集まるときに考えてみましょう! [続きを読む]
  • 伊豆山神社
  • 伊豆山神社は、古来、伊豆山権現・走湯権現とも称され、源頼朝や北条政子が崇敬した社。1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆国で挙兵して相模国へ進軍するとき、北条政子は伊豆山権現に匿ってもらいました。手水舎の紅白龍尾は箱根芦ノ湖に、頭が伊豆山の地底にあって、温泉の湧くところは、龍の両眼、耳、鼻、口なのだと伝えられています。また、赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴となっているのだそ [続きを読む]
  • 三嶋大社
  • 8月15日〜17日は三嶋大社の例大祭。1180年治承4年)、源頼朝が挙兵したのは三嶋大社の祭礼の日でした。17日には流鏑馬が奉納されます。三嶋大社http://www8.plala.or.jp/bosatsu/misima-taisha.htm☆ ☆ ☆ ☆ ☆難しい成年後見人の解任!安心して利用するために! [続きを読む]
  • 以仁王の令旨は文覚が頼朝に届けたという噂!〜伝説の八坂不動明王〜
  • 源頼朝が流人生活を送っていた伊豆国。そこには怪僧と呼ばれた文覚も流されてきました。後白河法皇に神護寺再興の訴えを起こしたことで、法皇の怒りを買ってしまったのだそうです。文覚上人荒行像(鎌倉:成就院)文覚は、元は遠藤盛遠といい、北面の武士として朝廷に仕えていました。同僚の渡辺渡の妻・袈裟御前に懸想をし、渡を殺してしまおうとしたところ、誤って袈裟御前を殺してしまい僧になったという人物。☆ ☆ ☆ ☆  [続きを読む]
  • 源頼朝の挙兵〜『吾妻鏡』が語る山木館襲撃〜
  • 1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵!。1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国の蛭ヶ小島に流されてから約20年後のことでした。頼朝の標的は伊豆国の目代・山木兼隆。山木兼隆の墓(伊豆の国市:香山寺)☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻鏡』によると・・・攻めるに当たって北条時政は・・・「今日は三島大社の祭礼。多くの参詣者がいるので牛鍬大通を行くと疑われるので、蛭島通を行くべき」と進言します。しかし、頼朝 [続きを読む]
  • 源頼朝挙兵!
  • 蛭ヶ小島(伊豆の国市)1159年(平治元年)12月に起こった平治の乱に父源義朝とともに出陣した源頼朝。しかし、平清盛に敗れ、翌1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国へ流されました。流された場所は蛭ヶ小島だったといいます。伊豆国での頼朝は、所領を持つこと、家来を持つこと、伊豆国の外へ出ることなどが禁止されていたようですが、乳母たちの援助によって、生活には困らなかったようですし、乗馬や狩猟は自由だっ [続きを読む]
  • 板橋地蔵尊大祭と箱根の金銀の地蔵尊
  • 8月23日、24日は小田原市板橋の旧東海道沿いにある延命子育地蔵菩薩(板橋地蔵尊)の大祭。この日に参ると亡くなった身内と瓜二つの顔の人に出会えるのだとか・・・。地蔵堂では、地蔵尊に蝋燭の供養を行ってもらえます。上の写真の柱に「おろー」と書かれていますが蝋燭のこと。※初日の23日には旧東海道沿いに多くの露店が並びます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆〜箱根の金銀の地蔵尊〜板橋地蔵尊は、ものと箱根の白銀山に祀られ、 [続きを読む]
  • 繋がる3つの寺院〜平等院・無量光院・永福寺〜
  • 平等院鳳凰堂平等院鳳凰堂は、1053年(天喜元年)に関白藤原頼通によって建立されました。中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の4棟からなる建築物でいずれも国宝に指定されています。無量光院(復元図)無量光院は奥州平泉にあった寺院。藤原秀衡が悉く平等院鳳凰堂を模して創建した寺院だっと伝えられています。永福寺(復元図)永福寺は鎌倉にあった寺院。源頼朝が奥州平泉の寺院を模して創建しました。中心と [続きを読む]
  • 2017玉縄首塚まつり(予定)
  • 玉縄首塚玉縄首塚は、1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉を襲撃した際の戦死者の首が葬られた所。毎年8月には、首塚を供養する「玉縄首塚まつり」が行われています。今年は8月19日(土)。玉縄首塚まつり18:00〜奉納提灯・ぼんぼり点灯18:30〜墓前祭19:00〜川施餓鬼法要※灯籠流しは行われません。柏尾川の対岸にはたくさんの露店が出ます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆夏休み鎌倉計画!☆ ☆ ☆ ☆ ☆難 [続きを読む]
  • 以仁王と源頼政の挙兵
  • 1159年(平治元年)に起こった平治の乱。この戦いで、源義朝をはじめとする有力な源氏武士が滅亡。勝利した平清盛は武士の第一人者となりました。1167年(仁安2年)には、武士としては初めての太政大臣に昇り、全盛期を築き上げていきましたが、後白河法皇との間に亀裂が入るなど、次第に平氏政権がゆらぎ始めます。1179年(治承3年)11月、クーデターによって後白河法皇を幽閉。翌1180年(治承4年)2月には [続きを読む]
  • 青蓮寺の鎖大師開帳
  • 青蓮寺の本尊「木造弘法大師坐像」は「鎖大師」と呼ばれています。手足が動くように作られていることからそう呼ばれるようになったのだそうです。かつては鶴岡八幡宮の等覚院に置かれていましたが、明治の神仏分離によって青蓮寺に移されました。鎌倉独特の裸形彫刻で絹の衣を纏っています。鎖大師開帳http://www8.plala.or.jp/bosatsu/gyoji-maturi/kusaridaisi.htm8月16日は「鎖大師」の開帳日。午前11時頃から午後4時頃ま [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮の放生会
  • 「放生会」とは、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもの。魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すという儀式です。源頼朝は1187年(文治3年)8月15日、鶴岡八幡宮で放生会を催しました。源平池(放生池)に鯉などを放ち、善業を積むという意味合いが込められていたといいます。源平池『吾妻鏡』には、源範頼、平賀義信、加賀美遠光、安田義定、源廣綱、小山朝政、千葉常胤、三浦義澄、八田知家 [続きを読む]
  • 鎌倉朝参り「覚園寺の黒地蔵縁日」2017/08/10
  • 覚園寺は、二代執権北条義時の建てた大倉薬師堂をその前身とする寺院。源実朝の暗殺にかかわる伝説が残された寺でもあります(参考:大倉薬師堂と戌神将伝説)。愛染堂☆☆☆☆☆〜黒地蔵縁日〜8月10日は、地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼(獄卒)に代わって火を炊いたため「黒くすすけている」という伝説が残されている地蔵菩薩(黒地蔵)の縁日。「参拝者の思いや願いを死者のもとへ届けてくれるという日」といわ [続きを読む]
  • 鎌倉朝参り「杉本寺の四万六千日」2017/08/10
  • 杉本寺は坂東観音巡礼1番。仁王門苔の石段観音堂本尊は、行基・慈覚・恵心の三体の十一面観音像。源頼朝は、三尊を内陣に安置させて秘仏とし、内陣前に運慶作の十一面観音像を寄進したのだと伝えられています。御影行基作の観音さまは、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれていました。大覚禅師(蘭渓道隆)が祈願して収まったようですが、その際に、袈裟で観音さまを覆ったことから「覆面観音」と [続きを読む]
  • 鎌倉朝参り「安養院の四万六千日」2017/08/10
  • 安養院は坂東観音巡礼第3番。本尊は千手観音。源頼朝に仕えた田代信綱の観音像を胎内に納めた仏像であることから「田代観音」と呼ばれています。その胎内の観音像・・・京都・清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を伝えた僧として知られる東大寺の奝然(ちょうねん)が宋から持ち帰ったものなのだとか・・・仏足跡人丸塚源頼朝の暗殺を企てた平景清の娘・人丸姫の供養塚。良弁尊観の宝篋印塔徳治3年銘(1308年)があり、鎌倉最古 [続きを読む]
  • 鎌倉朝参り「長谷寺の四万六千日」2017/08/10
  • 納札塚長谷寺は坂東観音巡礼第4番。観音堂本尊は十一面観音像。開山の徳道の願いによって、クスノキの霊木から彫り上げられた二体のうちの一体。かんのんね阿弥陀堂本尊の阿弥陀如来は、源頼朝が42歳の厄除けのために造立したという伝承があるもの。かきがら稲荷徳道の願いによって彫られた二体の観音像。一体は奈良の長谷寺に安置されましたが、もう一体は有縁の地で人々を救うようにと、行基によって海に投げ入れられたのだと [続きを読む]
  • 三代将軍源実朝
  • 源実朝を祀る白旗神社(鶴岡八幡宮)源実朝は、源頼朝と北条政子の次男。鎌倉幕府三代将軍。実朝は、頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年(建久3年)の8月9日に誕生しました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆『吾妻鏡』によれば・・・1192年(建久3年)4月2日、政子が懐妊し、安産祈願としての「着帯の儀」が執り行われました。帯は平賀義信の妻が用意し、頼朝自らが帯を締めたといいます。7月8日、出産間近となった政子は、産 [続きを読む]
  • 源頼朝を助けた清水寺の観音さま
  • 『吾妻鏡』によれば・・・源頼朝が3歳のとき、乳母が清水寺に14日間の参籠をして、頼朝の将来を熱心に願掛けしたところ、夢のお告げがあって、忽然として二寸の銀の正観音像を得たのだとか・・・その観音像が頼朝の守り本尊。清水寺〜源氏再興挙兵と観音さま〜源頼朝配流地1180年(治承4年)、伊豆に流されていた源頼朝は、後白河法皇の皇子・以仁王の平家打倒の令旨を受け取ります。そして、挙兵の日を8月17日と定めま [続きを読む]
  • 荏柄天神社のかっぱ筆塚と絵筆塚
  • かっぱ筆塚かっぱ筆塚は、1971年(昭和46年)、漫画家清水崑が愛用した筆を供養するために建てたものです。 筆を担いだ河童の絵が彫られています。清水崑の河童は、黄桜酒造のキャラクターとして採用されました。絵筆塚絵筆塚は、清水崑の遺志を継いだ横山隆一らが1989年(平成元年)に建立しました。筆の形をした塚の側面には、横山隆一をはじめとする漫画家154人の河童の絵が飾られています。絵柄天神社http://www8 [続きを読む]
  • 伝説の琴弾松〜鎌倉:琴弾橋〜
  • 琴弾橋は、小町を流れる滑川に架けられた橋。二代将軍源頼家の嫡男一幡の館があった小御所山には、風がわたると琴を弾くような音がしたという「琴弾の松」があったと伝えられています。その松にちなんで付けられたのがこの橋の名。滑川かつては、明王院門前の二ツ橋には「ゆるぎの松」、材木座の音松稲荷大明神には「音松」があって、「琴弾の松」と一直線上にあったのだか・・・。琴弾橋http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043k [続きを読む]
  • 源頼朝墓〜持仏堂に葬られた頼朝〜
  • 鎌倉に武家の都を創った源頼朝は、1199年(建久10年)1月13日に亡くなりました。自らが建てた持仏堂に葬られたのだそうです。持仏堂は1189年(文治5年)に建てられ、本尊は京都の清水寺から賜った2寸銀の正(聖)観音像でした。文覚に命じて京都で描かせた阿弥陀三尊像や、平治の乱で頼朝が帯びていたという源氏重代の太刀「髭切」(ひげきり)も納められていたのだといいます。頼朝の一周忌には北条政子が自らの髪 [続きを読む]