やつむね さん プロフィール

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やつむねさん: 今井町・重要文化財今西家住宅公式ブログ
ハンドル名やつむね さん
ブログタイトル今井町・重要文化財今西家住宅公式ブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/yotto1192/
サイト紹介文町家・民家・町並み・国宝・重要文化財・世界遺産・文化・建築・今井町・橿原市・奈良県・寺内町・自治都市
自由文奈良県にある「今井町」の町並みは有名で世界遺産登録を指定すると言ってきたが町の意見が統一できずに断った経緯があります。しかし、若い人が町から離れてしまったり空き家が増えるなどの問題を抱えています。
この問題に対するには町がかつて織田信長に闘った時のように町の人が一丸となって一つの目標に向かう必要があると思ってブログを開設しましたので一人でも多くの人に閲覧して頂きたいとおもっていましす。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供20回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2010/11/23 17:28

やつむね さんのブログ記事

  • 今井町環濠の意義-こころざし
  •  幕末になると今井町は、重税により衰退に向かい、明治維新の廃藩置県制度によって大名貸付金が凍結し、大名貸しなどの富豪は消滅してしまいました。しかし、今井町は依然南大和の中心地であり、明治初年には奈良県出張所が置かれました。奈良県再設置問題がおこった時もその庁舎の位置について現在の奈良市を外し、今井町に設置しようとする有力な動きがありましたが、実現しませんでした。 明治時代の鉄道開通の際 [続きを読む]
  • 今井町環濠の意義2
  • 今井町において環濠の存在が重要な役目を果たしてきた経緯と環濠の重要性について歴史的背景から説明してまいりたいと思います。 今西家の旧所領地である南西部の現・春日神社から北西部の八幡神社にかけて環濠を深くし、三重の堀にして強固な備えとしたからこそ、織田信長軍の武力に対して半年余りも持ち堪えることが出来ました。(16世紀中頃から後半にかけ、東西450メートル、南北250メートルで2重や3 [続きを読む]
  • 今井町環濠の意義
  • 今井町において環濠の存在が重要な役目を果たしてきた経緯と環濠の重要性について歴史的背景から説明してまいりたいと思います。 今西家の旧所領地である南西部の現・春日神社から北西部の八幡神社にかけて環濠を深くし、三重の堀にして強固な備えとしたからこそ、織田信長軍の武力に対して半年余りも持ち堪えることが出来ました。(16世紀中頃から後半にかけ、東西450メートル、南北250メートルで2重や3 [続きを読む]
  • 亡き父の遺言文
  • 神武天皇に協力し、県主(あがたぬし)の称号を賜わり、十市県主大目の娘を孝霊天皇の皇后として外戚を結び、吉野潜行に際し後醍醐天皇を警護し、戦国期今井庄を城塞都市化して信長軍と闘うも戦いを収め、自治権を許されて栄えた。建国の地かしはらより 悠久の風を! [続きを読む]
  • 武蔵が最も恐れた小野忠明(神子上・御子神典膳)
  • 小野忠明肖像画 先祖は大和の豪族・十市氏で、安房国朝夷郡丸山郷神子上の郷士で里見氏の家来。曽祖父の神子上大藏は里見十人衆頭600石。祖父の神子上庄藏は100石で天文3年(1535年)の犬掛合戦で木曽新吾と相打ちで死亡(『房総里見軍記』『里見九代記』)。父は神子上重(神子上土佐)。母は小野氏。「御子神とは、神の子という意味で、大国主の子である事代主の末裔の十市氏の祖先からか。」 な [続きを読む]
  • やまとの特産品
  • 江戸時代の大和には、多数の名産品が存在しました。奈良盆地での稲作は、畑や田地でも盛んに行なわれていましたが、木綿が高収益を期待できる商品作物として、稲と競合するように作付けされるようになり操綿屋が盛んになりました。また、盛衰してしまった奈良晒(ざらし)は、越後上布に勝るとも劣らない最上の麻製品で南都随一の産業となりました。奈良町を中心に織り出され加工された高級麻織物は、江戸幕府の御用品にも指定されて [続きを読む]
  • 孝霊天皇の鬼退治
  • 第七代孝霊天皇とその家族の皇后の細媛命(十市県主祖大目女)、吉備津彦命(桃太郎?)、倭迹迹日百襲姫命(親魏倭王卑弥呼?)らには伯耆・吉備・讃岐の各所において鬼退治伝説などの足跡が残っています。 2世紀後半に天変地異が起こり国が乱れて、国譲り後も独自の支配を続けていた出雲に不穏な動きを見てとり、大和朝廷は鬼退治の名目で吉備から日野郡に侵入しました。これは、単なる紛争ではなく、砂鉄資源をめぐる出雲と吉備 [続きを読む]
  • 神々の棲む谷「ふすまじの竜王山」
  • 龍王山城北城龍王山城南城  先祖の戦国武将歌人といわれた十市遠忠公の大和一の面積を誇る中世城郭・龍王山城より大和盆地から大阪湾や明石大橋までも一望できます。 十市遠忠は三条西実隆ら公家とも頻繁に交際し、和歌、連歌、書をたしなみ文化人としても名を馳せ、龍王山城北城付近で自然石を組み合わせた枯山水の庭園遺構も見つかっています。 また、茶道にも通じ能阿弥の影響を受けた書院台子の茶儀を重んじ、嫡 [続きを読む]
  • 戦国歌人"十市遠忠"
  • 「明わたる 天のかぐ山そらかけてとをちの里の 梅の下風」(群書類従 十市遠忠)十市遠忠は、十市新左衛門遠治の子。中原朝臣も称す。十市氏は興福寺大乗院方の土豪であったが、父遠治の時代に所領を拡大した。天文二年(1533)頃、遠忠が家督を継ぐと、木沢長政や筒井氏と争い、龍王山城に拠って一大勢力を築いた。官職は兵部少輔に進む。天文十四年三月十六日、四十九歳で没。墓は天理市の長岳寺にある。堂上派の和歌を学 [続きを読む]
  • 富士山の名の由来について
  • 富士山の名が以前には妊娠を表す"孕み(ハラミ)ヤマ"と呼ばれていて、正に国を生んだ元という敬意を表す名前でした。孝霊天皇が念願のハラミヤマ登山を行幸された折に、田子の浦人(たごのうらびと)が孝霊天皇に藤の花を捧げ、新しい山の名を織り込んだ秀歌を詠まれました。噴火(なか)口は歴(ふ)り  中(なか)は湧きつつ  このヤマト共鎮(ともしず)まりの  この山よこれハラミ山 一降り(ひとふり) 咲けよ 藤蔓(ふじ [続きを読む]
  • 三笠宮崇仁親王殿下ご薨去
  • 本日、昭和天皇の弟宮であられる、三笠宮崇仁親王殿下が薨去なさいました。御年100歳でございました。心から哀悼の意を表します。大和先住豪族の末裔の今西家へ是非との事で、お立ち寄りいただきました。子孫の我々よりも磯城彦についてのご博識がお深いのに驚き恐縮したのを昨日の事のように憶えております。 [続きを読む]
  • 橘を植樹
  • 神紋が橘の廣瀬大社樋口宮司から橘の実生の苗木を分けていただき、朔(ついたち)の本日大安の佳き日に植樹しました。官幣大社・廣瀬大社は、日本書紀に記されているように天武天皇が風を司る龍田風神と一対の社として. 龍田・廣瀬両社を併せ祀られました。十市家より南北朝時代に饒速日命(ニギハヤヒ)の末裔である廣瀬大社樋口宮司家に養子へいき、川井を名乗り河合城を築きました。なお、橘街道プロジェクトを展開して橘の縁を広 [続きを読む]
  • 軒下の腰板交換
  • 雨などにより痛みが激しかったので、軒下の腰板を交換していただきました。 住居も人間も予防医学の観点が大事で、家を長く大切に使うことは、何にもましてそこに住む者の愛情であると思います。 #kashihara #nara #japan #今井町 [続きを読む]
  • 海石榴市(つばいち)の恵比寿さん
  • 本日、三輪坐恵比寿神社の初市大祭の残り福にあやかりに家族で詣りました。日本で最初に開かれた市場は、海石榴市(つばいち)と呼ばれる市で、三輪山の南麓の金屋という崇神天皇の都、磯城瑞籬宮跡があったところで初瀬川の川べりに物々交換の市として開かれました。かつては「つばきち」と呼ばれていましたが、今はつばいちと読んでいます。この地には、椿の林が茂って、霊木として尊ばれ、ここで商取り引きをすれば、誤魔化そう [続きを読む]
  • 興福寺の威厳①
  • 古来より、人々は天地雷鳴などの自然現象や神憑りによって神からのお告げ(ご神託)をうけとった。三笠山(若草山)の南、春日大社の東に、春日山と総称される山々がある。現在、春日山原始林と呼ばれる照葉樹林におおわれた地域である。この春日山の木々が何千本という単位で夏にもかかわらずいっせいに枯れるという事が、中世に幾たびかあった。嘉元二(1304)年、鎌倉幕府は敢えて大和には守護を置かずに地頭のみを置いたが、興 [続きを読む]
  • おん祭り
  • 今年880回目の「春日若宮おん祭り」をお迎えした。鎌倉時代になると他の諸国では幕府によって守護や地頭がおかれたが、大和には敢えておかなかった。幕府もまた興福寺の支配権を事実上認めていた証しである。興福寺が大和に対して強い力を振るうようになったのは、さまざまな理由があるが、その中でも最も重要なものとして、大和の武士団を一つに束ねまとめるために「春日若宮おん祭り」をはじめたことである。おん祭りは、興福 [続きを読む]