オリバー さん プロフィール

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オリバーさん: オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ハンドル名オリバー さん
ブログタイトルオリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
ブログURLhttp://ogccl.blog10.fc2.com/
サイト紹介文オリーブ園クリスチャン古典ライブラリーの新着メッセージを紹介
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供317回 / 365日(平均6.1回/週) - 参加 2010/12/30 15:56

オリバー さんのブログ記事

  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (7)
  • 永遠に関するビジョン 次に、恵みは永遠の事柄に関するビジョンで魅了・魅惑する。パウロは万物を二つの部類に分けている。見えるものと見えないものである。そして彼は「見えるものには一時的であるという致命的欠点があるが、見えないものには永遠に続くという無限の価値がある」と告げる。これを信じているので、キリストにある新しい人は見えるものを軽んじる。 見えるものは人生の本質ではなく、人生の単なる出来事になる。 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (6)
  • 人生の新しい理想 次に恵みは、新しい高く上げられた諸々の理想の力により、変容的働きをする。人生に関する観念がすっかり変わってしまう。昔の束縛の下では、人生は人が自分のために適切に使える所有物と思われていた。新しい理想の下では、人生は貴いものである。なぜなら、人生を他の人々の幸いのために用いることができるからである。 キリストにある新しい人は、自分の人生の新しい理想として、キリストの犠牲の法則を受け [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (5)
  • 真の自由とは何か しかし、キリスト者の自由は無政府状態――それは自己意志の反乱に他ならない――ではない。むしろ、父なる神と堅く結ばれて、御子なるキリストとしっかりと一つになるべきである。聖霊の優しい支配に全く明け渡して、人の意志が神の意志に融合されるほどでなければならない。そして、神御自身の絶対的に自由な主権的御旨と一つにされなければならない。神は御旨のままになさるが、神の御旨は常に絶対的に正しく [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (4)
  • 恵みと新たな関係についての霊感 次に、恵みは新しくされた生活を偉大な関係の刺激と霊感の下に置く。信者は赦された罪人であるだけでなく、神の子供である。これは新生による。天然的誕生が肉体の領域で実際のものであるのと同じように、新生は霊の領域で実際のものである。信者は神の子である。それは遥か昔の創造という事実によるのではなく、神聖な誕生という直接的・個人的事実による。信者はもはや自分の祖先を神からアダム [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (3)
  • 解放の過程 それは恐れを完全に取り除くことから始まる。信者は「あなたは律法、すなわち、あなたが自分で義なる行いができるかどうかを見るための審査体系の下にあるのではなく、恵み、すなわち、神の内なる働きの体系の下にあります。恵みは、律法が要求したけれども人には決して到達できなかった義を生み出します」と告げられる。 信者は確信する。キリストが自分に永遠の命を与えて下さったこと、自分は決して滅びることはな [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (2)
  • われわれは党派の奴隷である われわれの場合はましなのだろうか?そんなことはほとんどない。理論的には、われわれは政治的に自由である。実際には、われわれは党派、党員集会、実力者の奴隷である。私の政治的信条を形成する権利を党大会の手に渡す瞬間、私はもはや絶対的に自由ではなくなる。道徳や宗教に関する私の意見、私の信念を他の人々から人づてに受け取る時、彼らが今日の人々、宗教改革期の人々、初代教会公会議の人々 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 四.明け渡された生活 (1)
  • 御言葉:「ですから子があなたたちを自由にするなら、あなたたちは確かに自由なのです。」ヨハ八・三六 現在人々の間に最も広まっている一般的な幻想は、自分たちは自由であるという考えである。隷属や束縛に関する非難ほど、迅速かつ熱烈な憤りを引き起こすものはない。自由な人は一人もいない。神に感謝すべきことに、数百万の人が解放の過程の中にあるが、まだ一人として完全には解放されていない。 パウロはローマの隊長に、 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 三.内なる生活の悲劇 (7)
  • 平安と勝利の状態にある ローマ七章から八章に移ると、ローマ七章のこの哀れな人が平安と勝利の状態にあることがわかる。今、彼の証しはいかなるものか?「キリスト・イエスにある命の霊の法則が罪と死の法則から私を解放しました」。 新しい決意、新しい習慣ではないし、いっそう深く自己にしがみつくことや、いっそう祈ることでもない。ローマ七章の苦悩の中にある人が祈らないとでもあなたは思うのか?使徒パウロがローマ七章 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 三.内なる生活の悲劇 (6)
  • とても実際的な問い 「善いことをする意志は私にあるのですが、それをどう行えばいいのかが分かりません」と言うことで、パウロは何を言わんとしているのか? 私は自分のクリスチャン生活の間ずっと、「クリスチャンはローマ七章の中に生きてはならない」という意見を耳にしてきた。やれやれ、彼らの十人中九人がローマ七章に至ってくれればよいのだが。ローマ七章のこの人は霊的事柄に無関心な者ではない。彼は、自分の生活がキ [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 三.内なる生活の悲劇 (4)
  • キリストが人々の前で複製されること これを彼は「善」と呼んでいるのである。それではパウロの意志は、キリストに似た者となること――キリストほど善くはないが、ある程度キリストのように善くなること――に失敗したのだろうか?その通りである。 彼はそれをさらに説明するために、おそらく、あの幸いな人のことを思い浮かべただろう。 彼は山上の垂訓を読んだ。きっと彼はそれを経綸的に正しい場所に置いただろうが、「自分 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 三.内なる生活の悲劇 (3)
  • 「善」とは何か? これがわれわれの前にある問題である。しかし、少しのあいだ立ち止まって「善」というこのささやかな言葉について考えない限り、われわれは決してパウロが何を言わんとしているのかを理解できない。 パウロがしようと思ってもできないこの善とは何か?われわれは幾つかの事柄をただちに排除することができる。彼がここで述べているのは道徳規範、誠実さ、優しさ、高潔さ、夫・親・友人としての人同士の関係にお [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 三.内なる生活の悲劇 (1)
  • 御言葉:「善いことをする意志は私にあるのですが、それをどう行えばいいのかが分かりません。」ロマ七・一八 これが内なる生活の悲劇である。キリスト教倫理を前にして人の意志が破綻してしまうのである。達成されざる理想に関する責め苦である。 弱々しい願いが敗北するのは何でもない。しかし、意志の力を神が命じておられることの側にすべて注ぎ込んで、それでも、その意志が破綻するのを見い出すことは、熱心な魂にとって、 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 二.分与された命 (5)
  • クリスチャン生活の方法 この地上におけるクリスチャン生活に関する二つの理論が、今も昔も、平均的信仰の尺度である。 第一に、教えや規則による生活。 ここに大きな真理がある。聖書は義に関する偉大な指導書であり、人間生活に関する神の御心の偉大な啓示である。いかなる内なる光も、この神の啓示に取って代わることはできない。それは道徳的に完全であり、完成している。しかしそれには、何の力も与えないという致命的欠点 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 二.分与された命 (4)
  • 内側に生きておられるキリストを外側に生かし出すべきこと 神は肉――利己的な人――に何も期待しておられない。神の勘定では、われわれの古い人はキリストと共に十字架に付けられた。この古い人は一文字から成る一つの恐ろしい言葉――罪――によって要約される。罪の諸々の行いは、罪であるところの或る性質から発する。 一つの偉大な輝かしい節により、聖霊は使徒パウロを通して、使徒の実際の経験の観点から、この新しい命の [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 二.分与された命 (3)
  • この新しい命はキリストの命である 単なる存在の無限性は「永遠の」命ではない。永遠は「永遠から永遠まで」である。「初めに神と共におられ(中略)神であった」方だけが、永遠の御霊を通して、永遠の命を授けることができる。 そして、この分与された命は彼御自身の命である。「私はぶどうの木であり、あなたたちはその枝々です」。 枝々を伴うこのぶどうの木は、命の一体性の何という象徴であることか。枝には独立した命の源 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 二.分与された命 (2)
  •  バプテスマのヨハネの務めにも、「今や斧が木の根元に置かれている」という驚くべきメッセージが含まれていた。 古いアダム族の木についてこれ以上実験を重ねるべきではなかったし、何世紀にもわたる検査を経ても野生の実しか結べなかった株から実を得ようとするべきでもなかった。「その木を良くせよ」が新しい合言葉であり、それを可能ならしめる唯一の方法は、その木に新しい命と性質を与えることだった。「肉から生まれるも [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 二.分与された命 (1)
  • 御言葉:「私が来たのは彼らが命を持つためであり、また、彼らがそれをいっそう豊かに持つためです。」ヨハ一〇・一〇 これがイエス・キリストのメッセージの新たな調べだった。そのほとんどは、無理解な耳の上に落ちた。いわゆる福音伝道が十九世紀の間なされてきたが、その大部分は依然として理解されないままである。―キリストは山上の垂訓のような道徳の教師であることは理解されている。―彼がわれわれの諸々の罪のために死 [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 一.内なる生活(7)
  • これではない二つの事柄 これは肉と死の全き根絶、自己の消滅ではないし、罪なき完全でもない。自己は忌み嫌われ、信頼を失い、嫌悪され、無に帰された。しかし、この経験の特徴は、年齢や経綸がいかなるものであれ、大いに均一であるため、成就された結果と、それによってもたらされた諸々の段階の両方を、述べることは困難ではない。 一.この至高の経験の中には、魂に対する神御自身の啓示が含まれる。 それは神に関する何ら [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 一.内なる生活(6)
  • これは稀な経験ではない この経験を解釈することにより、それはヨブだけに臨んだのではなく、神に大いに用いられたすべての人にも臨んだことがわかる。環境は異なるが本質は同じである――神について理解し、自己の力は無力になり、新しい力と祝福を与えられるのである。  ――ヨシュアは抜き身の剣を持つ人の足元に倒れた(ヨシ五・一三〜一五)。 ――イザヤは「私はわざわいだ」(イザ六・五〜八)と叫んで、清めと再委託を [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 一.内なる生活(5)
  • 新しい、より高い水準の奉仕 その後、極めて驚くべきことが起きた。自分自身を忌み嫌うこの人を神は擁護して回復されたのである。 「主はテマン人エリパズに言われた、『わたしの怒りはあなたとあなたの二人の友に向かって燃える。あなたたちは、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである』。」 その次に、御存知のように、神はヨブを祭司として、彼を通してでない限り、この三人の非難に満ち [続きを読む]
  • 「キリスト・イエスにある新しい生活」 一.内なる生活(4)
  • 自己の完全な崩壊 然り、問題はあなた自身なのである。今や、この謎は明らかである。 問題はヨブが行ったことでは全くなく、ヨブが何者であるのかだったのである。ヨブ自身が間違っていたのである。彼は神の前で自分を裁いたことが一度もなかった。彼は自分自身の内に死という判決を持っていなかった。それを説明するヨブ記の章は二九章である。二十五の節の中に人称代名詞が四十八回現れる。 彼は善人だった。しかし、彼はそれ [続きを読む]