トロロヅキ さん プロフィール

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トロロヅキさん: 安芸の夜長の暇語り
ハンドル名トロロヅキ さん
ブログタイトル安芸の夜長の暇語り
ブログURLhttp://tororoduki.blog92.fc2.com/
サイト紹介文安芸の歴史について戦国時代は毛利元就から幕末の浅野長勲まで。主に毛利元就の春霞集の訳を扱っています。
自由文神楽や郷土情報番組など割と自由に書き綴ってるブログです。興味がある方はどうぞ!!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供40回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2010/12/30 19:51

トロロヅキ さんのブログ記事

  • 父・毛利元就危篤につき
  • 墓前祭があったので、この間見た書状を。吉川家文書1209号書き下し文「先書に申す如く候、上の御煩い今度了簡に及ばず事に候、 御下の儀、いかが候はん哉。 勝事にて候、御心遣い申す事無き候、 元春御下向の事は、某許の趣によるへき候条 爰許より相定められ候て仰せられずの由、 輝元仰せられ候、其口又上口所々正体無く罷り成り候々 此の表の儀も分もなき体たるへき候 御相談折節ため隆家、信直、貞俊、道良御参上候 [続きを読む]
  • 西園寺公望、毛利元就贈正一位承認書
  • 元就さんの生前の階位は従五位下からスタートし、正親町天皇の即位に献金したことで従四位下になります。大江氏は源平藤橘から洩れている家で、数の少なさもあってかあまり政治的な活躍をしていません。そのため、辛うじて堂上家に名を連ねていても所属は最下層の半家。位を貰えたとしても従三位が限度。毛利家は武家なので公家の大江よりも上の位を得ることはできません。なので、従四位下の位だけでは感謝しきれないと正親町天皇 [続きを読む]
  • 「小早川隆景と名島城・博多」感想
  • 隆景講座、第2回は九州での隆景の動向について主に名島城を軸にお話がありました。講師は福岡市埋蔵文化財センターの大庭康時さん。九州で大庭さん!と思ったんですが御出身は静岡・・・。残念ながらあの大庭さんのご子孫関係ではなさそうでしたが前回が四国、今回は九州と時系列的に繋がっているお話だったので大変面白かったです。考古学的な観点からすれば隆景が博多に入ったのは中世というよりも近世への過渡期。また、隆景の [続きを読む]
  • 2017年歴史講座まとめ(毛利氏や戦国関係、安芸中心)
  • 歴史講座が次から次へと押し寄せてくるのでここらでちょいと表を作っとこうと思います。ようはうちの備忘録です。気になるのをピックアップしたのですがすでに重なっているので多分全部は無理。7月1日(土)  「志道広良・道良父子と毛利元就の戦国時代史」   広島大学 岸田先生   白木公民館    13:30から16:30   申し込み:要 (6月30日まで)7月2日(日) 「安芸高田の山城調査最前線〜松尾 [続きを読む]
  • 小早川隆景展:感想
  • 三原で開かれている隆景展に行きました。三原にあるものだけではなく、ゆかりの地から色々と出てきていますし、今回初出品のものなどもあったので、かなり見ごたえがありました。特に徳寿丸時代の書状。きちんと徳寿って書いてあります初見だったのでじっくり見たんですが、何と言うか、一文字一文字とても丁寧に書かれていてゆっくり書いたせいか所々筆先が揺れてます・・・・。右筆にしては丁寧過ぎて、ひょっとしてこれ徳寿の自 [続きを読む]
  • 隆景講座「小早川隆景の伊予支配」感想
  • 三原で開かれた平成29年度の第一回の隆景講座に行って参りました。今年が築城450年ということで今年度は最後の講演会・・・・。どうせなら吉田の博物館のように毎年開いて欲しいなあと思います。隆景さんはぼちぼち人気が出ているようで、京都の黄梅院のついったーは隆景の名前が入ってからりついーとが伸びているのでこういう講座も継続して頂ければと思います。で、今回の先生は藤田達生先生。三重大学教育学部の先生で荘園 [続きを読む]
  • 関ヶ原で空弁当その3「関ヶ原と酒と空弁当」
  • 続いて小西さんとこの陣へかんとり〜ろ〜ど♪と歌いたくなるような綺麗な景色ですがこの道の先には幟がはためき陣所に続いています。辿りついたのは小西さんの陣所。小西行長も首謀者として処刑された方。そしてそのまた奥に大谷さんとこの陣所が見えてるはずです。意外と遠いなあ・・・・。多分田んぼを避けて陣を張ったからぽつんぽつんとなったんでしょうが、街道から一直線に来る相手に対し包囲網的な布陣・・・。東軍の魚鱗に [続きを読む]
  • 関ヶ原で空弁当その2「石田三成・島津義弘陣所跡」
  • 三成さんの陣所には馬防柵を復元したものが据えてありました。さすがは実質大将。本当はもっと下の原っぱにないと意味がないんですがね。と武将隊の福島正則さんが教えてくれました。で、少し小高くなっている丘をとことこ登ると石田三成陣所跡。この郭の南からは関ヶ原を展望することができます。最初は優勢だった西軍ですが南宮山に陣取っている毛利・吉川や長曽我部などは動かず、小早川秀秋が東軍に旗幟鮮明すると近くに居た他 [続きを読む]
  • 関ヶ原で空弁当その1「関ヶ原は原っぱだった」
  • 朝一のみどりの窓口で「広島から関ヶ原まで切符一枚」と発注し、行ってきました関ヶ原。本日は晴天なり。本当に雲ひとつない青空で気持ち良かったです。今年は出掛ける日が晴れることが多くて何だか嬉しいです。雨予報の宮島も結局くもりで、青空を時折真上に展開することができましたし、うん。関ヶ原は本当に「原」でした。ただッ広い!丘の小高いところではためく指しものもよく見えます。丸餅は黒田さんとこ。黒田長政が竹中さ [続きを読む]
  • 「吉川元春とその時代」展:感想
  • お天気が良いので岩国に行ってきました。お目当ては吉川史料館で開かれている「吉川元春とその時代」展会期は3月16日〜6月18日なのですが行ける時にれっつらごーと行ってきました。天気がいいのでお城も見えます。土曜の雨と風で桜も散ったのかなと思ったのですが花の咲く時期がソメイヨシノよりも遅いしだれ桜はまだ咲いていました。散った後の赤と緑と薄紅が混じるのもなかなか風情があって私は好きです。散策をちらっとし [続きを読む]
  • 宮島・桜めぐり〜清盛の経塚から豊国神社まで〜
  • 多宝塔から桜の谷間をぐるっとまわると切りとおしに出ました。ついでなので切りとおしの先の清盛の経塚へ。丁度展望台のようになっており景色が一望できました。多宝塔も見えます。ズーム!とっても綺麗だったのでしばらく休憩して今度は大聖院まで歩きました。途中、滝の小路で古い石垣と桜を見かけました。苔むす石垣と桜の木。この組み合わせが好きです。大聖院を上がると食堂が開かれていたので六角うどんなるものを食べました [続きを読む]
  • 宮島・桜めぐり〜多宝塔〜
  • 宮島八景というのがありまして桜は大元浦と詠まれているのですが大元浦までちょっと遠いのでたちまち多宝塔へ。細い道の上に桜の木が生えています。本当はこの奥に樹齢数百年の大きな楠木があったのですがこれも残念ながら枯れて切り株だけ残っています・・・。階段の途中から見た厳島神社。谷間にも桜がたくさん。多宝塔が見えました!階段の両側も桜並木が続きます。多宝塔到着。皆さんお花見されてました。この多宝塔の丘から見 [続きを読む]
  • 宮島・桜めぐり〜厳島神社編〜
  • 桜が咲いたので宮島へ行ってきました。新調したカメラでばしばし景色を撮ってきました。人で混雑するフェリーを降りるとさっそく桜が!神社周辺よりも山際に桜が多いのですがまずはきちんと参拝をと一路神社へ。ううん、大分潮が引いています。宮島に行く時には潮汐表をみて出掛けます。宮島観光協会のHPで調べれるのですがあいにく、中潮・14時干潮・・・。どうせなら満潮の宮島も見たかったのですが雨の予報が曇りになっただ [続きを読む]
  • 元就関連史跡ウォークラリー
  • あ、行ってきました「わくわく元就ウォークラリー」元就さん関連の史跡を巡ってポイントゲットすれば豪華賞品がもらえる!因みに優勝賞品は高級和牛「元就牛」他にもお米とかお酒とか・・・・。ちょうどお米もないからお米でもいいな〜。あ、でもどうせなら元就牛がいいな〜・・・・。と配られたウォークラリーマップ。写真をヒントに関連場所を巡るもの。ああ、ここかと地図と参考資料片手にすぐわかりましたが、明らかに歴史より [続きを読む]
  • 益田の毛利元就饗応膳
  • 今回、試食できたのは饗応膳のほんの一部です。大内さんが将軍御成りの食事を出した献立数に比べると少ないのですがそれでも7献35菜3汁にもなる豪華なものだったようです。全てを復元するには今では捕獲できないものも含まれているので難しいのですが、レプリカの展示がありました。まずは初献手前の土器(かわらけ)にはお酒とそれから御湯漬けが入っていたそうです。例のお年寄りには固くてよう食べれんと言われたアレ・・・ [続きを読む]
  • 歴食サミット於益田・「毛利元就饗応膳」感想
  • 歴食サミットというものが出来ておりまして去年は発祥地・山口で大内御膳が食べられたのですが今回は益田、毛利元就を益田氏がもてなした時の再現料理を食べんがため益田まで行ってきました。匹見峡まではよく行くのですが、益田までとなると遠いので高速バスで行きました。・・・益田行きの高速バスで加計や千代田に行くこともできるんですね。じゃけ〜、予約いらんのかあと納得しました。ていうか、途中で津和野市通るので、市内 [続きを読む]
  • 永禄聞書「毛利元就の謀」
  • 私が毛利元就を好きになった、惚れたきっかけはその戦略の手際良さです。丁度、碁を習い始めた頃でした。最初はどんな地も殺したくなくて必死に打って石を助けようとしていました。でも、アテられた1目を助けようと石を置けばおくほど、大石が取られて投了。そういうことを繰り返すうちに、盤面の全ての石を救う事は無理で、諦めなければいけないこともあると学びました。株の世界でも何でも人は損をすればするほど損を取り戻そう [続きを読む]
  • 「大友ぶっつぶそうぜ!」戦国時代の島津と毛利
  • 島津家久が「八木の渡しで迷子になった!!」といいながらも天正前期のどんぱちしている時に安芸の国内を徒歩で旅行してる話や隆景が有馬温泉で休養中に島津家宛てに「有馬なう。秀長殿と一緒に湯治中。」と手紙を書いていたり、九州平定の仕置きでは島津との交渉は恵瓊と隆景があたっていたりと意外と島津と毛利は仲が深そうだなあと思ってちょいと調べました。が、国デジの大日本古文書家分けの公開になくて東編のデーターベース [続きを読む]
  • まって呉〜瀬戸内海は美しい〜
  • とりあえず、何も言わずに見てほしいのです。呉市の広報を・・・・・。いや、衝撃過ぎてまって呉!!状態でした。母方はしかたなく呉市に吸収合併された広なのでえええ!!呉?呉?と何と言うかライバルのアイツが何かとんでもないことしやがった!!という広の血が騒ぐんですが・・・。いえ、呉からすれば広なんてライバル視すらされないのわかってんですけど広とすれば呉は好騎手と思ってんですよ!!なので聞いた初日から頭ん中 [続きを読む]
  • 吉川家文書収録毛利元就和歌短冊2首
  • 元就さんの和歌が何故か吉川家文書に入っていたので何かの足しにと。吉川家文書1271号「山里に きくらむ物を ほととぎす うちねぬ空に 待ぞ詫びぬる」吉川家文書1370号「おも影にたたすはなににしたはまし 花ちるあとのみねのしら雲」ううん、何でこの2首だけ吉川家文書にあるのか?広家が詠んだ歌に「百年の 花の春待つ 八重桜」という歌があったので「身はひとつ 駆けて野山の 花の春」の歌があるなら不思議で [続きを読む]
  • 「息子から遊ぼうって誘われたんじゃ、ええじゃろ〜!」by毛利元就
  • 元春と元就その2吉川家文書1162号毛利元就自筆書状書き下し文「追って御状拝見候 1 狩りのこと、14日に相定め候、御合力頼り申し候   御辛労乍御自身御立ち候て、てまなどの事   態々仰せ付けられて給うべく候々 1 別してまた狩りなど仰せつけられ、   彼預かるべき御合力由申し候の處   御懇承り候、尚以て祝着候々 1 隆景参られるべく候事、御斟酌の通り尤も候   然りと雖も、さのみさのみ御馳走 [続きを読む]
  • 父さんへの贈り物・吉川元春の場合
  • 割と親子で贈り物をしあっている毛利のやりとりです。吉川家文書1173号書き下し文「元春    御返  元就 猶々、快然の至り候々 鮭給い候、則ち賞翫申すべく候 御懇意祝着申し候々 明日面以て猶御礼申すべく候」私訳「元春へ 病気がよくなり、本当に良かったです。 鮭をくれたので、さっそく賞翫しましたよ。 お心遣いありがとう。 明日、直接あった時にもまた御礼を申します。」・・・・。鮭?あ、やっぱり鮭取れ [続きを読む]
  • 「安国寺こと瑶甫恵瓊 恵瓊は大名になったのか」感想
  • 次の学習指導要領の改訂で強調されているのは「深い学び」であり、自身が興味関心を持って問題解決することで理解を深め、生涯学習へと繋げる・・・。っていうのはさておいて、現在、様々な大学で地域連携や生涯学習プログラムの一環として公開講座が開かれています。この間、比治山大学で開かれた、「安国寺こと瑶甫恵瓊 恵瓊は大名になったのか」という公開講座も、比治山大学で地域と協力して行っている「不動院と安国寺恵瓊に [続きを読む]
  • 「毛利興元とその時代」感想
  • 11月23日、そう、いい兄さんの日です。この記念すべき?日に吉田歴史民俗博物館主催で「没後500年記念講演会 毛利興元 〜あなたの知らない元就の兄 500年の時を超えて甦る〜」が催され、吉田に行って参りました。会場に付くと、友達の友達の友達の・・・と知り合いが知り合いをよんで周りに座っていったら結構な人数になりまして、人のつながりとはすごいなあと思いました。それと、今回の主役・興元さんは戦国時代で [続きを読む]