嵯峨野の青竹 さん プロフィール

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嵯峨野の青竹さん: 今週の話題から
ハンドル名嵯峨野の青竹 さん
ブログタイトル今週の話題から
ブログURLhttp://ameblo.jp/pandausagi37/
サイト紹介文テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
自由文最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」
一つ前号は、「日本国債の格下げ」
もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。

宜しくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供308回 / 365日(平均5.9回/週) - 参加 2011/03/10 14:54

嵯峨野の青竹 さんのブログ記事

  • 初夏の「椿山荘庭園」
  • 京都のように”鑑賞出来る庭園”が少ない東京では、ホテルの庭園も貴重です。梅雨の合間の「椿山荘の庭園」をどうぞ。 電力王/松永翁が愛した茶室「長松亭」です。 「福亀石」です。見るからに”福の亀”ですね。 「三重の塔」を遠望します。 「庚申塔」は、”道標”でもありました。 織田有楽ゆかりの”十三塔”です。 [続きを読む]
  • 講談社野間記念館
  • 東京カテドラル関口教会、椿山荘、永青文庫、関口芭蕉庵、関口フランスパンなどが並ぶ「目白台」地区。「講談社野間記念館」は、この一角にあり、小規模ながら意欲的な「企画展」が嬉しいミニ美術館です。 ひっそりとした環境で、静かに絵画を鑑賞できます。 絵画鑑賞に疲れたら、お庭を見ながら読書も出来ます。 ●7月17日までは「竹内栖鳳と京都画壇展」を公開中です。  伝統を尊びながら進取の気風を抱き続ける京都画 [続きを読む]
  • 白山神社/紫陽花の見納め
  • 今年の「文京区あじさい祭」は18日まででした。この写真は24日のものですが、祭が済んで、殆どの紫陽花は切り取られていました。(富士塚も”閉鎖”されていました。) 神社の創建は天暦年間(10世紀)と言われています。加賀一宮/白山神社(白山比咩神社)から勧請されました。創建当時は本郷にありましたが、明暦元年(1655)に当地に移転してきました。 存在感がある社殿です。 境内には、「松尾大社」もあ [続きを読む]
  • 夏越しの大祓(烏森神社)
  • 6月と12月には、罪や穢れを落とす”祓え”の儀式があり、6月の大祓を「夏越しの祓」、12月の大祓を「年越しの祓」と呼んでいます。 「夏越しの祓」では、多くの神社に”茅草で造った輪”が設置され、”茅の輪くぐり”を行います。 昨日の夕刻の烏森神社です。 段上に”茅の輪”がありますが、凄い行列です。 一方、参道入り口の”茅の輪”は、閑散としています。”茅の輪”をくぐることは出来ますが、廻ることは出来 [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮
  • 社域”約2万6000坪”。年間参拝者数(初詣でを含む)約1020万人。当に鎌倉を代表する寺社です。 創建者は、源 頼義(義家の父)と言われています。11世紀のことです。前9年の役で安倍頼時・貞任父子を討ち、関東に於ける源氏の勢力を確立しました。戦に先立ち、頼義は石清水八幡宮に祈願し、”戦勝の折には、関東に宮を創設する”と約束しました。戦勝に喜んだ頼義は、約束どおり、鶴岡八幡宮を創建しました。(今の由比若宮) [続きを読む]
  • 忠臣/日野俊基を祀る「葛原岡神社」
  • 「鎌倉幕府の滅亡・建武の中興」は一朝一夕に成立したのではありません。「正中の変(1324)」、「元弘の変(1331)」の2度に亘って”討幕計画は露見”し、日野俊基は1度はゆるされたものの、「元弘の変」では鎌倉へ護送のうえ処刑されました。 処刑されたのは1332年ですから、「幕府の滅亡/建武の中興」まで、もう1年でした・・・。 現在では「南朝が正統」とされていますから、忠臣/俊基は、大切に祀られています。 もとも [続きを読む]
  • 谷戸の奥に潜む「海蔵寺」(扇ケ谷)
  • 緑溢れる境内、谷戸の奥に潜む”鎌倉らしい寺”です。 海蔵寺。 鎌倉幕府の滅亡と同時に焼失し、一度は荒廃しましたが、応永元年(1394)に「鎌倉公方/足利氏満」の命により”上杉氏定”が再建しました。 萩やカイドウ、サザンカなど、”花の寺”として、親しまれています。 鎌倉”十井”の一「底脱の井」です。 安達泰盛の娘/千代能が、この井戸で水を汲もうとした所、”桶の底”が抜けた。そこで「千代能が戴く” [続きを読む]
  • 徳川家との縁が深い「薬王寺」
  • 徳川家との縁が深く、寺紋に”三葉葵”が使われています。つまり”格式が高い”寺とされています。また、江戸時代に制作された「日蓮大聖人座像」や「徳川忠長公供養塔」が見処とされています。 「大乗山薬王寺」。 もとは「夜光山梅嶺寺」と真言宗の寺院でした。しかし、日像上人が宗論の末、日蓮宗に改宗させたといわれています。(別説あり) 日蓮宗は鎌倉以降の宗派ですから、宗派拡大のために他宗を改変させるケースが [続きを読む]
  • 悲話を今に伝える「岩船地蔵堂」
  • 海蔵寺へ至る途中の”横須賀線沿い”にある「岩船地蔵堂」です。 頼朝の長女/大姫を供養する地蔵堂で、平成13年に再建されました。 大姫は治承2年頃の生まれ、頼朝が未だ伊豆で”流人生活”を送っていた時期に、政子との間に最初に生まれた娘でした。 寿永2年(1183)に、上洛した木曽義仲は頼朝に「長男/義高」を人質に差し出しました。そして頼朝は、我が長女/大姫と義高を夫婦とすることとしました。未だ、11歳と5?6歳の” [続きを読む]
  • 「十六夜日記」ゆかりの「浄光明寺」
  • 泉ケ谷に位置するので「泉谷山浄光明寺」といいます。現在は、真言宗泉涌寺派に属しています。 創建は建長3年(1251)。6代執権北条長時を開基とし、僧真阿を開山とするといわれています。真阿は”法然”の弟子筋の人で、従って、当初は”浄土宗”でした。 なお、北条長時は、此処で亡くなり、長時の子孫の菩提寺となりました。建武の新政後も、後醍醐天皇も当寺領を安堵し、子息の成良親王を鎌倉へ下向させ、当寺は、親王の祈願 [続きを読む]
  • 小田原城/紫陽花&花菖蒲まつり
  • 小田原城の「紫陽花と花菖蒲」が見頃を迎えています。(「あじさい花菖蒲まつり」は今週末まで) この間は、ライトアップが20時までに延長され、コンサートやオープンガーデン、”アート now 2017”などの催しが開催されます。 会場は「本丸東堀・花菖蒲園」です。 堀に架かる「常盤木橋」です。 常盤木橋から見下ろすと、こんな感じです。 紫陽花は、レンズを通すとこんな色になりますが、実際は、もっと濃いブルーです。 花菖蒲と紫陽花 [続きを読む]
  • 平 清盛の栄華を偲ぶ「若一神社」
  • 「若一(にゃくいち)神社」。 主なご利益:「開運出世」。御祭神:「若一(にゃくいち)王子」です。 ”平 清盛公西八条殿鎮守社”。かねてより、一度、訪問したかった神社ですが、少しルートを外れているために、今回、初参拝です。 東海道線を京都から1駅下り、「西大路」駅下車すぐです。 清盛が熊野参詣の際、「土の中に隠れている”御神体”を探せ」とお告げがありました。自邸に戻り邸内を探索 [続きを読む]
  • 相模守護/扇谷上杉氏居館跡
  • 室町幕府において、関東エリアの統治までは京都で直截行えず、足利家の”次男”系を鎌倉に派遣し現地で統治させることとしました。(鎌倉公方。のち古河公方。) そして「鎌倉公方」の補佐役として「関東管領」をおき、上杉氏を任命しましたが、「関東管領の任命権」を幕府としたため、”鎌倉公方と関東管領”は”しっくりこない”関係が続きました。 遂に、応永23年(1416)には、関東管領/上杉禅秀は、鎌倉公方/足利 [続きを読む]
  • 岩窟不動尊(鎌倉)
  • 壽福寺から源氏山への途上にある「岩窟不動尊」です。鎌倉らしい立地です。 伏見稲荷などでも見かける「重軽石(おもかるいし)」です。 持ち上げてみて、「思ったより軽ければ、願いが叶い」、「思ったより重く感じれば、身の丈以上の願いだった」との判断とします。 [続きを読む]
  • 壽福寺
  • 鎌倉五山第三位。 「亀谷山(きこくざん)壽福寺」。山号は、扇ガ谷の旧称でもあり、鶴岡との対比でもあります。亀谷山には源 義朝の邸宅がありました。 正治2年(1200)、北条政子が建立しました。 政子は”栄西”を招聘し、此の地に当寺を開きました。 ”栄西”は「興禅護国論」を著わすなど、既に高名な禅僧でしたが、比叡山からの”法難”を避けるため鎌倉へ下向しました。 &nbs [続きを読む]
  • 清閑亭(旧黒田侯爵別邸)
  • 明治の頃、小田原は、全国屈指の”別荘地”でした。 現在の小田原城址公園にあった「御用邸」を始め、山縣有朋邸(現:古稀庵/あいおいニッセイ同和損保研修所)、田中光顕別邸(現:小田原文学館)、電力王/松永安左衛門邸(現:松永記念館)、伊藤博文/滄浪閣、安田善次郎別邸、森 有礼/藤館、益田 孝/掃雲台などがありました。 多くが、関東大震災などで倒壊したなかで、この「清閑亭/旧黒田長成伯爵別邸」は、今 [続きを読む]
  • 報徳二宮神社(小田原)
  • 二宮尊徳翁を祀る神社です。明治27年に、小田原城二の丸に建てられました。緑豊かなエリアです。 かつては、”勤勉な日本人”を象徴する人物でした・・・。 此方は、成人の尊徳さんです。 此方は、少年の”金次郎さん像”。かつては、全国の小学校に建てられた銅像です。 平成25年の”伊勢神宮の式年遷宮”の際の「古材」を拝領したとされる鳥居です。 &n [続きを読む]
  • 小田原城
  • 江戸時代は”草津”と並ぶ”東海道の要衝”、”大宿場町”でした。そして戦国時代末期は、春日山と並ぶ大”城下町”。京、堺、直江津と並ぶ”大都市”でした。 15世紀前半以降、「上杉禅秀の乱」の戦功で”大森氏”が小田原城を得て整備。15世紀後半?16世紀にかけて、北条氏が小田原城を得て、”大城郭”としました。あの上杉謙信の猛攻にも”籠城戦”で耐えました。今でも市街地から郊外を歩くと”石垣跡”や”空堀 [続きを読む]
  • 北条氏政・氏照墓所
  • 戦国時代、関東一円を支配していていた北条氏ですが、秀吉軍20万人の大軍に攻められて、あえなく降伏しました。 北条氏第4代領主/氏政と弟氏照の”墓所”が、小田原駅前にあり、未だに小田原の人達は、”善政”を敷いていた北条氏の冥福を祈っています。 北条氏は始祖/早雲公以来、氏綱・氏康・氏政と実力者が続き、4代目氏政のときに版図は最大になりました。しかし、戦国時代は急速に終焉期を迎え、秀吉率いる [続きを読む]
  • 御感の藤(小田原城)
  • 小田原城に「御感(ぎょかん)の藤」と呼ばれる名木があります。 もともとは小田原城主/大久保候愛玩の藤ですが、大正天皇が皇太子のときに、「実に見事な藤である」と感嘆されたことから、「御感の藤」と呼ばれるようになりました。 樹齢200年ともいわれる古木ですが、今年も、見事な花実をつけました。 実に壮観です。 「御感の藤」の前地は、”二宮尊徳/修学の地”と [続きを読む]
  • ういろう(小田原)
  • ”薬屋”ですが”和菓子の「ういろう」”も売っています。小田原/箱根口の「ういろう(外郎)」です。まるでお城のような造りです。 小田原を平定した伊勢宗瑞(北条早雲)は、京都から外郎家5代目/外郎宇野藤右衛門定治を招聘し、朝廷との外交役としました。 外郎家は中国で約1000年、日本で600年以上続いている名門で、”医術と占い”に技術があったと言われています。 家伝の「霊宝丹」は、朝廷に珍重さ [続きを読む]
  • 旧島崎藤村邸(大磯)
  • 「若菜集」、「破戒」、「春」などで有名な文豪/島崎藤村の”終の住み家”が大磯(東海道線の線路際、やや判り難い場所ですが…)にあります。 ♪♪未だ上げ初めし前髪の 林檎のほほに 見えしとき♪♪(初恋)、あるいは、「椰子の実」「千曲川旅情の歌」でも馴染みがあります。 藤村は此の家を「静の草屋」と呼び、線路際から路地を少し入った処ですが、静かにひっそりと暮らしていました。麹町にも住居があり [続きを読む]
  • 鴫立庵(日本三大俳諧道場の一)
  • 落柿舎(嵯峨野)、無名庵(近江)と共に”日本三大俳諧道場”に数えられる「鴫立庵(大磯)」です。 寛文4年(1664)に小田原の”崇雪”が、西行の歌に因んで建てた草庵が基になっています。今でも「俳諧道場」として使用されています。 ●法虎堂  堂の中には”有髪僧体”の”虎御前”19歳の木像が安 [続きを読む]