私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
金沢を始め、全国各地の「伝統的建造物群保存地区」で、多くの武家屋敷が保存されています。これ等を鑑賞すると、中世の武士や医者などの日常が見えてきます。弘前市にも…
石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」とし…
弘前城の北の郭、通称「亀甲門」前にある「石場家住宅(国の重文)」です。内部へ入ると「司馬さんが当家を訪れたときの写真」が掲示してありました。恐らく、「街道をゆ…
リンゴとフレンチの街・弘前。特に弘前公園付近には、ランチ処が沢山あります。此処「レストラン・ポルトブラン」は、手軽なランチコースから本格的なフルコースまで、豊…
寛政8年(1796)津軽藩第9代藩主:津軽寧親(やすちか)公は、藩校「稽古館」を開校しました。「稽古館」は、その後「弘前漢英学校」に継承されましたが、明治4年…
弘前の「山車」は、藩政時代の「弘前八幡宮祭礼」の際、神輿の露払いとして、各町内会の人々により繰り出されたことが始まりだと言われています。後に、「ねぷた祭」にも…
ルネサンス様式を基調としながら、漆喰の外壁や軒下の蛇腹など、随所に「和の様式」を採り入れた、弘前らしい見事な洋館です。木造3階建てです。 明治39年の建築で、…
「青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館、国指定重文)」です。明治37年に第五十九銀行本店本館として建設され、昭和18年に「青森銀行弘前支店」となりました。昭…
煉瓦造りがとっても好感出来る「弘前昇天教会(県重宝)」です。 明治29年の日本聖公会の宣教開始で、1920年に建てられた教会堂です。設計者は、明治村にある「聖…
「弘前れんが倉庫美術館」は、明治・大正期に建設され弘前の風景を造形してきた「煉瓦倉庫」を「近代産業遺産」として「美術館」に改修したものです。築100年に及ぶ煉…
「旧弘前偕行社」は、旧陸軍第8師団が弘前に設置された際に、「将校たちの社交場」として明治40年に建設された洋館です。 ルネサンス様式を基調とした、東西約50m…
太宰治が、旧制弘前高校時代に下宿していた「太宰治 学びの家(旧藤田家住宅、外観のみ)」です。 太宰(津島修治)は、この家に、昭和2年4月から昭和5年3月まで下…
弘前市民には「弁天さま」と呼ばれ、親しまれている「胸肩神社」です。「胸肩」は同じ水に関係が深い「宗像(大社)」に通じ、御祭神は、「宗像大社」と同じ「宗像三女神…
JR弘前駅前の「アートホテル弘前シティ」客室から岩木山が一望出来る宿ですが、食事も美味しいホテルでした。 「鉄板焼き」ですが、新鮮な帆立やお肉、魚、地元産の野…
高浜虚子門下で青森県出身の増田手古奈ゆかりの「永泉寺」です。「子等のとき 登りしという 花楓」との句が残っています。 その「花楓」。推定樹齢400年といわれる…
「長勝寺構」内にある禅林街33カ寺。黒門から長勝寺までを「上寺通り」と称するに対し、赤門から「宗徳寺」までを「下寺通り」と称しています。 「下寺通り」の最も奥…
昭和31年、「壁の花」で直木賞を受賞した今 宮一の生家「蘭庭院」です。「ダンディーで、ハイカラで、ロマンチックで、そのくせ現実主義文学に、十分に触れている」と…
弘前城追手門の南部「茂森山」一帯を削り、堀と土塁を構築した「長勝寺構」には、曹洞宗の寺院33カ寺が整然と並んでいます。その最も奥まった処にある「長勝寺」です。…
「鳳松院(ほうしょういん)」です。御本尊は「釈迦如来さま」。やはり、立派な山門です。 「種里山」という山号が示すとおり、かつては西津軽郡種里村(現:鯵ヶ沢町)…
弘前城下町/禅林街。長勝寺構の中に、曹洞宗の寺院が33カ寺も集中しています。 まずは、「京徳寺」です。享禄3年(1530)に五本松(現:青森市浪岡)にて創建さ…
弘前城下町の「禅林街」です。 弘前城の西南部の防衛のために津軽一円から集められた「曹洞宗寺院33カ寺」が「長勝寺構」の中に整然と並んでいます。寺町は何処の城下…
津軽氏は戦国時代の末期に南部氏から独立を果たしましたが、以来、南部氏とは犬猿の仲となりました。津軽氏、南部氏共に壮大な「弘前城」そして「盛岡城」を築城しました…
弘前城の東門を出ると、文化センター前に、津軽藩祖:津軽為信の像が建っています。雄々しい姿です。 津軽の地は、もともと南部氏の支配地でした。当時の大浦為信は南部…
東日本では唯一の現存天守(江戸時代の建築物)を有する「弘前城」です。よく「現存12天守」といわれますが、中部地方では、松本、犬山。四国以外の西日本で、姫路、彦…
弘前城の城地は、東西約800m、南北約1Km。東と西に、土淵川と岩木川が流れ、西から南にかけては急崖、東側は緩やかな洪積台地で、3重の堀を巡らせる平山城です。…
弘前城にも近い「藤田記念庭園」です。水と緑が溢れ、四季折々の風景を愉しむことが出来る庭園です。津軽人の心のふるさと、岩木山も一望で出来ます。 「藤田記念庭園」…
GW前後の桜の時期には大勢の観光客が訪れる「史跡/弘前城」ですが、その時期以外は静かです。 弘前城は、津軽統一を完遂した津軽為信により慶長8年(1603)に計…
【弘前・函館シリーズ】に入ります。 津軽は、津軽藩祖・津軽為信が登場する前は、南部家の植民地でした。例えば、南部藩のお手伝い普請の指示が出れば、たとえ農繁期で…
江戸時代に富山城下町の東の境とされた「鼬(いたち)川」という清流があります。富山の水の豊かさを象徴する川です。ただ、普段は清流である鼬川も、いったん荒れると多…
「西町電停」を東へ、堤町通り2丁目。地元商店街発行の地図に「晴れた日は、立山連峰が良く見える絶景ポイント」と書かれた辺りですが、まだ遠い? 「日本一小さい神社…
JR富山駅から「富岩環水公園」を横ぎると「富山県美術館」があります。「県産素材に包まれながら五感で楽しむ美術館」を標榜しています。 日本を代表する建築家・内藤…
「富山大和」の直ぐ北、「総曲輪(そうがわ)」と呼ばれるエリアですが、東西本願寺の「富山別院」が並んでいます。西にあるのが「真宗大谷派富山別院」そして東にあるの…
水の豊かさを実感する「富岩運河環水公園」と「キュイジーヌ フランセーズ ラ・シャンス」
JR富山駅から徒歩で10分ほど。富山の水の豊かさを象徴するような「富岩運河環水公園」があります。立山連峰を臨む展望塔やレストランもあり、多くの観光客や地元のひ…
JR富山駅前の再開発ビル「マルート」4階の「とやま鮨 海富山」。交通の便が至便で美味しいので、何度かリピートしました。去る1月17日にディナーを掲載しましたの…
岩瀬に寄港していた「北前船」。廻船問屋は日本海と瀬戸内を帆船で回遊し、米・魚肥・昆布・原綿・藍玉・生薬などを仕入れては、運送と販売を併せて一貫経営して、冨を蓄…
岩瀬の「大町新川通り(旧北国街道)」沿いにある「森家住宅(国の重要文化財に指定)」です。 北前船廻船問屋として莫大な富を得た豪商の家屋です。3年の歳月をかけて…
「岩瀬諏訪神社」から前面道路を渡り1筋入ると「岩瀬山巒昌寺(らんしょうじ)」があります。寺号は難しい字ですが、山号は「岩瀬山」と地名を背負っています。地元の崇…
「岩瀬橋」を渡ると右手に「岩瀬諏訪神社」が鎮座しています。地元の鎮守社で、毎年5月に「岩瀬曳山車祭」が行われます。「ケンカ曳山祭り」として有名です。 北前船の…
「岩瀬」つまり「富山港」です。 平成18年にJR富山港線が廃止となり、代わりに新しい都市交通体系として「富山ライトレール(愛称:ポートラム)」が開通しました。…
美味しい魚があり、野菜も新鮮。美味しいお寿司はふんだんにあるので、イタリアンも美味しいはず。富山の人気イタリアンへ出掛けました。 「きときと」は、富山独特の表…
「高岡鋳物発祥の地碑」の直ぐ隣りに「高岡市鋳物資料館」があります。 此処では、高岡鋳物の歴史と伝統を紹介しています。 400年にわたる鋳物産業の歴史を背景に、…
山町筋から少し歩くと、千保川を越えたあたりに、「重要伝統的建造物群保存地区/金屋町」があります。 前田利長が高岡城築城にあたり、産業振興のために鋳物師を呼び寄…
高峰公園の西側にある「大法寺(日蓮宗)」です。 当寺は、享徳3年(1454)に京都本圀寺の栄昌院日能上人により創建されました。そして10世の日行のとき慶長10…
タカジアスターゼ・アドレナリンを発明・発見「高峰譲吉」生誕地
「高岡御車山会館」の直ぐ近くに、タカジアスターゼ・アドレナリンを発明・発見し世界の医学・薬学界に貢献した「高峰譲吉の生誕地」があります。譲吉は1歳まで、此処で…
山町筋を更に進みます。富山銀行本店のはす向かいに「高岡御車山会館」があります。1年中「高岡御車山祭」を味わえる、とても贅沢なプレミアム・スポットです。 「高岡…
「土蔵造りの町並み(山町筋)」の真ん中あたりに「室崎琴月生誕の家(室崎家)」が残されています。琴月は、大正10年に「夕日」を作曲しました。「夕日」は♬ギンギン…
「滝の白糸文学碑」から、もう1筋奥へ。土蔵造りの町並みが現れます。「山町筋」です。明治後期の高岡大火の後に建てられた土蔵造りの旧家が立ち並びます。「重要伝統的…
電停通り(片原町)へ出ると、「滝の白糸の文学碑」があります。泉鏡花の名作「義血侠血(後に川上音二郎により浅草座で上演された際に「滝の白糸」)」の冒頭場面。 秀…
高岡関野神社から高岡大仏へ通じる通り(商店街)を「御旅屋通り」と言いますが、その謂れは、此の「高岡御旅屋」です。江戸時代の初期、加賀藩では、藩主の鷹狩、民情視…
柔和なお顔が特徴です。青銅製の「阿弥陀如来坐像」は、奈良、鎌倉と並ぶ「日本三大仏のひとつ」に数えられます。高岡は、日本有数の鋳物技術を有する都市で、全国の青銅…
奈良時代前の創祀とされ、越中国内唯一の「名神大社」である「射水神社」です。 「名神(みょうじん)大社」とは、律令制下において、「名神祭」の対象となる神々(名神…
加賀藩前田家第2代:前田利長が隠居城として、高山右近に命じて築城させた「高岡古城」です。利長没後、「一国一城令」に従って廃城とされ、天守閣や櫓があるわけではあ…
高岡駅前にある「大伴家持」像です。 家持は「万葉集」に最多の歌を残し、編者のひとりとも言われています。風景と情感を調和させた繊細な歌風で、代表的な万葉歌人です…
時の名匠が約20年の歳月をかけ完成させた「国宝:高岡山瑞龍寺」(2)
加賀藩前田家第2代藩主:前田利長は、秀吉没後の徳川家台頭の風雲期に、母の芳春院(松)を江戸へ人質に出す一方、加賀藩主の地位を弟の利常に譲り、自らは高岡城にて隠…
時の名匠が約20年の歳月をかけて完成させた「国宝:高岡山瑞龍寺」(1)
最近、「勝興寺」が国宝に指定されましたが、永い間、富山県唯一の国宝建築物として高みにあり続けました。「国宝:高岡山瑞龍寺(曹洞宗)」。加賀藩第2代藩主:前田利…
高岡といえば、この人。加賀前田家第2代:前田利長公です。この像は、国宝:瑞龍寺の参道に立っています。 利長公は隠居後、富山城へ入城しました。ところが、慶長14…
お寺巡りの後は、お寿司です。北陸4県(越=高志の国)福井、金沢、富山、新潟。何れも東京から見れば、お寿司が美味しい町ですが、富山のお寿司は群を抜いているような…
「清源寺」の筋向かいに2寺がありました。まずは「大雲寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そして、水掛地蔵(浄行菩薩)さまがいらっしゃる「本証寺」です。水掛地蔵…
光厳寺から少し西へ行くと、入り口に「力強い仁王像」が見えました。「清源寺(曹洞宗)」です。 くっきりした山門で、見過ごしは出来ません。参拝させて戴くことに。 …
富山の市街地に突然に三重塔が現れ、びっくりしました。「春日山光厳寺(曹洞宗)」。富山藩前田家の菩提寺で、当然に、7寺のひとつに選定されています。能登の総持寺の…
円隆寺の西隣にある「浄禅寺(時宗)」です。県内唯一の時宗寺院とのことで、当然ですが、「合寺事件」では7寺院に選定されました。 ご本尊は、「歯吹の阿弥陀如来像(…
富山藩前田家初代:前田利次以降、代々、富山藩前田家の祈願所とされてきた「正覚山円隆寺(天台宗)」です。創建は寛文6年(1666)です。 古来より婦女子の参詣が…
まずは「真興寺(真言宗)」です。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の真言宗寺院は、古義・新義派を問わず、此の「真興寺」に合寺されました。 そして、…
妙国寺のはす向かいにある「真称寺(浄土真宗本願寺派)」です。 そしてその奥には「来迎寺(浄土宗)」が。明治3年の「合寺事件」では、旧富山藩内の浄土宗寺院が、西…
その隣には「応声寺(浄土真宗本願寺派)」があります。 そして「妙国寺(日蓮宗)」。 富山に反魂丹の製法を伝えた「万代常閑」と全国に販路開拓をした売薬行商人の…
富山寺町(梅沢町)を更に進みます。 「妙伝寺(日蓮宗)」です。長谷川等伯筆の掛け軸「鬼子母神十羅刹女像」が見つかったとされているお寺です。 次に「守長山本陽…
「大乗山蓮華寺(臨済宗国泰寺派)」です。なお明治3年の「合寺事件」では、臨済宗寺院と曹洞宗寺院が「光厳寺」に合寺されました。 御本尊は「釈迦如来」。 元享年間…
大法寺の少し東、もう1筋南に「補陀山海岸寺(曹洞宗)」があります。佐々成政の祈願所として栄えましたが、成政没後の寛政15年(1638)加賀藩3代藩主前田利常の…
元日早々の大地震には驚きました。被害を受けられた方々には、心からお見舞い申し上げます。年末・年始で中断したおりました「富山・高岡シリーズ」を再開させていただき…
新年おめでとうございます。本年も、宜しくお願いします。 今年は、「エスカーレ ホテルモントレ銀座店」のフレンチから。 ●前菜 プティオードブル5種の盛り合わ…
毎年恒例の「干支人形」です。東京国際フォーラムで展示中です。 今年は良い年だった方も、イマイチだった方も どうか、良い新年をお迎え下さい。 1年間。どうもあ…
イルミネーションも、コロナ禍前よりも随分と大人しいものになりました。静かな歳末です。 今年の丸ビルのイルミネーションのテーマは、ディズニーとの協賛で「ウィッシ…
年末・年始の1週間は、東京の様子から掲載します。 まずは、今年3月にグランドオープンした「東京ミッドタウン八重洲」の庭園から。秋も深まり暮れゆく東京駅前です。…
富山城址公園から県庁側へ向かうと、旧神通川の舟橋跡があり、「松川遊覧船」が発着し「常夜灯」が残されています。 約100年前までは、現在の富山市街地は神通川の川…
富山城址公園内にある巨大な像は、富山藩第2代藩主:前田正甫(まさとし)公のもの。富山藩は石高10万石でしたが、越中国内の滋味良き土地は金沢本藩が抑えていたため…
富山市は文化・芸術面にも力を入れており、富山城址公園内にも、奇麗な城郭様式建築の美術館があります。「富山市佐藤記念美術館」です。 昭和32年に、佐藤工業㈱会長…
どの城下町もそうであるように、富山城も県庁の近くにあります。ただし現在は本丸と西の丸、二の丸の跡を残すのみで、最盛期の5分の1の広さです。 富山城は16世紀の…
地上70m。富山市役所の展望塔です。 立山連峰や富山湾、富山城、市街地などが一望出来ます。お薦めのポジションから見えた「立山連峰」です。 富山市民が自慢される…
かつての暴れ川「神通川」は明治30年代に北部へ直流に付け替えられ、市街地を流れる廃川部は今は「松川=約2.6Km」となっています。現松川(江戸時代は神通川)と…
富山の薬で有名な「越中反魂丹」などを取り揃えています。 昭和11年。初代池田実が現在地に「和漢薬種問屋」として創業しました。「越中反魂丹」などの和漢薬は、動物…
「藤居山富山寺(ふせんじ、真言宗)」。真言宗の古刹で、市内最古の寺院と言われています。「富山と言う地名」は、此の寺の寺号から生まれました。神亀元年(724)僧…
寛文16年(1639)に加賀前田家3代藩主の前田利常の3男前田利次が富山藩10万石を「分藩」され、「富山藩祖」として富山城を修復し入城しました。以後、13代に…
「富山梅沢町界隈寺院めぐり」というパンフレットに沿って寺院巡りを行うが、その前に、ランチを。 金沢の寿司もネタは富山湾で採れた魚介だし、新潟の寿司も富山にはか…
初夏に開催される山王祭は大勢のひとで賑わい、富山藩の「総産土神」として篤く信仰されてきた「日枝神社」です。 長く越中国新川郡に鎮座し、広壮な社殿・社地を備えて…
「かがやき」に乗ると(東京駅から)僅か2時間強。本当に富山は身近な観光地です。そして高岡も、「あいの風とやま鉄道」に乗ると富山から20分ほど。富山と高岡は、岡…
現在の山口文化を創始したのは、中世の大内氏です。大内氏は、市の中心を流れる「一の坂川」を鴨川に見立て、京洛に倣った街造りを行いました。 山口の盛夏を彩る「山口…
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私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
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幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
金沢を始め、全国各地の「伝統的建造物群保存地区」で、多くの武家屋敷が保存されています。これ等を鑑賞すると、中世の武士や医者などの日常が見えてきます。弘前市にも…
石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」とし…
弘前城の北の郭、通称「亀甲門」前にある「石場家住宅(国の重文)」です。内部へ入ると「司馬さんが当家を訪れたときの写真」が掲示してありました。恐らく、「街道をゆ…
リンゴとフレンチの街・弘前。特に弘前公園付近には、ランチ処が沢山あります。此処「レストラン・ポルトブラン」は、手軽なランチコースから本格的なフルコースまで、豊…
寛政8年(1796)津軽藩第9代藩主:津軽寧親(やすちか)公は、藩校「稽古館」を開校しました。「稽古館」は、その後「弘前漢英学校」に継承されましたが、明治4年…
弘前の「山車」は、藩政時代の「弘前八幡宮祭礼」の際、神輿の露払いとして、各町内会の人々により繰り出されたことが始まりだと言われています。後に、「ねぷた祭」にも…
明治32年鴎外37歳のとき、陸軍第12師団軍医部長として、小倉勤務を命じられました。鴎外は小倉で、アンデルセンの「即興詩人」の翻訳を完成させ、講義、講演会、地…
小倉「京町銀天街」にある「湖月堂本店」です。明治28年創業の老舗。地元のリピータで人気の喫茶室があり、開店前には行列が出来ます。ただ、中は広いので、それほどは…
清張は、明治42年、今の小倉北区に生まれました。昭和25年に、朝日新聞西部本社に勤務する傍ら書いた「西郷札」が週刊朝日の懸賞に入選し、昭和28年には、第28回…
JR九州ステーションホテル小倉内の「八くら」です。 「銘々皿 華会席」を戴きました。季節は暑さの残る10月初旬です。 (先付け)白和え、(お造り)鯛の薄造り、…
小倉の中心街「魚町銀天街」から脇へ入ると、「鳥町食堂街」があります。小倉らしい路地裏のアーケード街です。 戦後すぐの闇市から生まれ、小倉の台所として、庶民の胃…
江戸時代、九州の諸大名は、主要街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道など)を経て小倉/常盤橋へ。常盤橋付近の本陣で宿泊し、門司往還をへて門司の大里湊へ出…
JR小倉駅前ロータリに、「森鴎外京町住居跡碑」が建てられています。 鴎外は、第12師団軍医部長として、明治32年6月から明治35年3月まで小倉に住まいしました…
伊能忠敬は、寛政12年(1800)55歳のときに土地測量を始め、「日本全国の測量と地図の作成」を成し遂げました。 九州では、此処「小倉の常盤橋」から、測量を始…
今も木橋です。九州五街道の起点だった「常盤橋」。九州諸藩の大名は、参勤交代時、此の橋付近の本陣で一泊し、翌日、小倉城門司口から門司の大里湊へ旅立ちました。 細…
小倉城下「常盤橋」は九州五街道の起点で、小倉が、「九州の咽喉地」と言われる所以です。九州五街道のひとつ「中津街道」を扼する小倉城「中津口御門」に有名な「大石」…
小倉城内にある「武蔵と小次郎」像です。 武蔵は、まだ若く精悍な印象の像です。 小次郎も、若い。 武蔵は、自らが編み出した「二刀流」剣法を試すべく、13歳で武者…
池泉回遊式庭園と本格的木造建築の書院造りが楽しめる「小倉城庭園」です。 此処は、小倉の細川時代には「家老の長岡佐渡の屋敷地」であり、小笠原氏の治世下では、藩主…
関門海峡に面した小倉は、「海陸の要衝」として、古くから枢要な地でした。此の地の中心に建築された「小倉城」は、外様の大藩:毛利家を押さえる一方、九州全般に通じる…
北九州の各街道は、小倉を起点としています。 まずは「長崎街道」。黒崎→飯塚→内野→佐賀→長崎。「唐津街道」。若松→芦屋→赤間→博多→唐津。「中津街道」。小倉→…
小倉へ入ります。 小倉は北九州の中心地。江戸時代は、「常盤橋」に九州・五街道の起点があり(江戸で言えば日本橋)、九州エリアの諸大名は、常盤橋周辺の本陣で休泊し…
門司港レトロ地区の中心にある「プレミアホテル門司港」内のイタリアンレストラン「Portone」です。 関門海峡の海の幸、地元産の新鮮な野菜、自家製の手造り生パ…
「カモンワーフ」の敷地内に、「堂崎の渡し場」跡があります。 山陽道は、此処で終点。関門海峡を渡り、九州へ入りました。江戸時代には、旅人の往来手形を改める「改め…
唐戸に鎮座する「亀山八幡宮」です。 貞観元年(859)創建と伝わる古社で、「関の氏神」と呼ばれています。 境内には、林芙美子文学碑、世界最大の「ふくの像」、亀…
「壇ノ浦の戦い」に平家が敗れ、ときの安徳帝は僅か8歳で崩御されました。そして、赤間関の「阿弥陀寺」に奉葬されました。建久2年に、ときの朝廷は、御陵の上に「御影…
唐戸にある「旧下関英国領事館」は、現存する最古の領事館です。 当時の駐日英国公使「アーネスト・サトウ」が英国本国へ意見具申し、明治34年、赤間町にて開設されま…