yuki さん プロフィール

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yukiさん: くぐる鳥居は鬼ばかり
ハンドル名yuki さん
ブログタイトルくぐる鳥居は鬼ばかり
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10
サイト紹介文青森県は津軽を中心に、坂道・神社・歴史的建造物等々を紹介しております。
自由文自由気ままに…
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供406回 / 365日(平均7.8回/週) - 参加 2011/04/15 17:37

yuki さんのブログ記事

  • 堺石 ・ 県境石 (階上町)
  • 小舟渡海岸。なだらかな芝生地と小さな灯台が特徴の海岸です。青森県と岩手県の境であることから、昭和26年より「県境石」が海と陸に置かれました。海にある県境石。「堺」と彫られています。県境に小川。橋。私は今、青森県と岩手県に跨っています。陸の県境石。ひっそりと建っています。「縣境石」「七十八度三十分」「昭和二十六年三月三十日」。少し埋もれていますが、下部に「小舟渡」「角ノ浜」とあります。ブログ村ランキン [続きを読む]
  • 立佞武多の館 (五所川原市)
  • 今年の夏は豪華客船世界一周クルーズに行ったフリをしていたので、青森のお祭りには参加するどころか見ることすらかないませんでした。よって立佞武多の館の写真だけアップしておきます。食べ物付です。ヤッテマレ!ヤッテマレ!!クッテマレ!クッテマレ!!ヤッテマレ!ヤッテマレ!!クッテマレ!クッテマレ!!ヤッテマレ!ヤッテマレ!!クッテマレ!クッテマレ!!ヤッテマレ!ヤッテマレ!!クッテマレ!クッテマレ!!ヤッ [続きを読む]
  • 小船渡台場跡 (階上町)
  • 現在は普通の民家になっているようです…が!表札が「御台場」!しかも家の壁にも「御台場」!でも普通の民家っぽいので…入っていいものなのか…わからず(笑)小船渡台場跡…『江戸時代後期、わが国が幕府の鎖国政策によって太平の夢をむさぼっていた頃、欧米諸国は東洋に勢力を伸ばし始め、日本の周辺をも窺う情勢になっていた。寛政年間に至って、幕府は異国船に対する警戒を強化することとなり、海岸に領地を有する諸藩に領内 [続きを読む]
  • 三陸大津波記念碑 (階上町)
  • 榊海岸の小高い丘の上、小舟渡海岸から追越、大蛇の海岸が眺望できる所に、台座に乗った円筒型の記念碑が立っています。これが三陸大津波記念碑です。案内板より…『昭和8年3月3日の三陸大津波(波高24m)の被災状況が刻まれています。多くの死傷者が出た記憶を忘れず、二度と同じような被害を出すまいと海沿いの丘に建立された記念碑です。』南面に「地震海鳴りほら津波」と刻まれており、裏面には記念碑設立の趣旨が金属板で鋳造 [続きを読む]
  • 斗内稲荷神社 (三戸町)
  • 大きな鳥居です。こちらはかつての鳥居かな。三戸町斗内字田屋。旧村社。御祭神は宇迦之御魂命・天手力男命。境内地447坪、本殿6坪、幣殿3坪、拝殿12坪。創建は不詳ですが、明和4年(1767)、寛政8年(1796)、天保12年(1841)の棟札があり、それぞれ再興や遷宮の記載があります。社殿建立にあたっては、京都より工人が招いたとの所伝があります。斗内稲荷神社所在地一帯は、三戸御給人栗谷川氏の屋敷跡で、稲荷神社も栗谷川の屋 [続きを読む]
  • 巌島神社 (八戸市鮫町)
  • 御祭神は市杵島姫命。祭日4月15日。明治4年の神社調によりますと、当時の祭典は6月7日に行われており、社殿縦1間3尺7寸、横6尺、境内地は海中ノ岩ノ上、縦10間、横5間とあります。又、社殿建立については明治6年村方にて造営。更に明治7年の社寺地詳細帳によりますと、鎮座地は濱通村字中ノ島とあり、廃寺となっています。しかし昭和21年宗教法人法成立に伴い3月21日に届出、現在に至ります。なお、明治以前における由緒は不詳。蕪 [続きを読む]
  • ひげ塚公園 (七戸町)
  • 工藤の功績を顕彰し、工藤家農会の事務所であり、工藤が起居した田家(作業小屋)のあった荒屋平・一の森に、工藤の象徴であった長いひげにちなんで「ひげ塚公園」を設立。公園入口の門柱裏に「此のひげ塚公園用地約七反歩は、荒屋平土地改良区創立初代理事長工藤正六氏が御寄付されたものである。昭和48年11月11日」とあります。七戸町川去。工藤轍郎(くどうてつろう、嘉永2年-昭和2年)は、私財を投げ打って12km離れた熊ノ沢川 [続きを読む]
  • 佐瀧本店 ・ 別邸 (三戸町)
  • 佐瀧本店(大正14年)。青森県内に現存する最も古い鉄筋コンクリート建築物。鉄筋コンクリート造2階建、建築面積99?。南部地方における鉄筋コンクリート造の先駆け的な建物。近年2階正面が改修され、蔦に覆われたかつてのおもむきが一新されました。塔屋風の屋根飾りを持ち、当時流行したドイツ表現派の影響が見られる構成。設計施工は弘前の堀江組。側面にアーチ門が付設。佐瀧本店は明治19年に創業した主に酒類を扱う雑貨商で、 [続きを読む]
  • 富田稲荷神社 (弘前市)
  • 社号標(明治33年4月10日)。同地区の産土神。鳥居が新しくなりました。石灯篭一対。紀年銘は昭和30年7月10日。富田稲荷神社の創立年は不詳。本殿奉斎神鏡に安政7年正月吉日と銘記あり、安永以前に勧請された神社と考えられます。由緒等は以前の記事も参照ください。以前の記事『富田稲荷神社 (弘前市)』朱塗りの鳥居はすべて新しくなったんですね。石鳥居。狐一対。手水石。社殿。社殿向拝。拝殿内。両側に白狐がおります。社殿 [続きを読む]
  • 毘沙門堂 (三戸町)
  • 六日町に案内板がありますが、鎮座地は六日町裏の川守田村。法泉寺の東隣に南面して鎮座。ちなみに熊原川に架かり六日町と二日町を結ぶ黄金橋には、12世当主南部政行が和歌の恩賞として勅許を得たとの由緒をもって擬宝珠を設けたと伝えます。橋に黄金橋擬宝珠の由来碑があります。『第12代南部政行公が京都在留中の春先、市中に鹿の啼き声がしきりに聞こえたことがあった。鹿の春の啼き声は不吉とのことで時の帝は大層御心を痛めて [続きを読む]
  • 北野神明宮 (十和田市)
  • 十和田市大沢田北野。奥州街道沿い。かつての大沢田村で、天保郷村帳や貞享高辻帳、安政高辻帳等には村名が見えず、仮名付帳に馬洗場村の枝村として記されています。北野神明宮の由緒は不明。御祭神は天照大御神。恐らく開拓時・開拓後の建立と考えられます。蟇股・木鼻。開拓三十年記念碑(青森県知事竹内俊吉書)。裏面碑文…『昭和20年第2次世界大戦終結後の激動時、貧困の究極を打開せんとして別記我等果敢の同志39名は新天地 [続きを読む]
  • 淨應寺 (秋田県大館市)
  • 紅葉をたのしむように晩年を生きたい。浄応寺…『戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結 [続きを読む]
  • 古里八幡宮 (八幡大神宮 / 六戸町折茂)
  • 六戸町折茂今熊。古里公民館近く。杉林の中に一間半四方の八幡宮が鎮座しております。旧参道は社殿脇の東側になり、昔は旧参道側に向かって建立されており、昭和2年建立の鳥居が2基ありました。現在の参道入口には両部鳥居が建立されており、かつての献額には「昭和36年旧2月15日奉納 八幡大神宮 古里村中」とあって、現在の献額には「平成19年11月4日奉納 八幡大神宮 古里村中」とあります。社殿は昭和25年旧12月15日に再建され、 [続きを読む]
  • 銀杏ノ木窪の大銀杏 (階上町)
  • 銀杏ノ木窪の大銀杏。道中にいくつか案内看板があって迷わず辿り着けました。銀杏ノ木窪の大銀杏(階上町指定天然記念物)…『この大銀杏は、町内最古の老木といわれ、樹齢約1000年と推定されている。所在地も「銀杏ノ木窪」であり、この地域のシンボル的な存在として、親しまれてきた。枝からは気根(通称ちち)が多く垂れ下がり地面に達して着根している。その気根が乳房に似ているため、近郷の人々からは「垂乳根(たらちね)の [続きを読む]
  • 法泉寺 (三戸町)
  • 臨済宗妙心寺派。梅嶺山法泉寺。開山は梅嶽西堂和尚であり梅嶺山と称します。開基兵六郎経直。御本尊は釈迦如来。元和元年(もしくは2年)創建。臨済宗妙心寺派、大本山は京都花園妙心寺。残念なことに…大規模な工事中のためほぼ見れませんでした(※訪問日:2017年7月中旬)。山門は南部家が三戸に居城当時の旧三戸城搦手門を南部重直から拝領したもの。薬医門の形式で屋根は唐破風、切妻、鉄板葺、扉には八双金具、乳金具が付け [続きを読む]
  • 大湯環状列石 (秋田県鹿角市)
  • 秋田県鹿角市十和田大湯万座にある縄文時代後期の大型の配石遺跡。国指定特別史跡。大湯環状列石の遺跡内には案内板や解説板がありません。4000年前からここにある環状列石をその目で見て、空気を肌で感じてもらいたいとのことで、あえて設置していないようです。なお、遺跡の隣接地にある大湯ストーンサークル館では、解説や出土した土器などの展示をしていますので、まずは大湯ストーンサークル館で学んでから遺跡を歩くのがいい [続きを読む]
  • 東道旌表碑 (十和田市)
  • 雪中行軍案内者顕彰碑。裏面碑文…『明治三十五年一月二十七日烈寒ニ際シ歩兵第三十一聯隊福島大尉一小隊引率シ秋田縣ヲ経テ十和田湖迂回法量ヨリ熊之沢ニ至リ更ニ八甲田ノ嶮ヲ越エントス依ッテ彼等七士道案内トシテ拔擢サレ決死之レニ應ジ苦寒ヲ冒シ暴風雪ト闘ヘ先道ニ晝夜全ク不眠不食九死ニ一生ヲ得テ漸ク三日目青森市ニ着ス若シ彼等ノ献身的奉仕ナカランニハ或ハ同隊も彼ノ第五聯隊凍死軍ト同一運命ニ陷リシナラン噫其ノ勇實ニ [続きを読む]
  • 法量神社 (横浜町有畑)
  • 神社前は菜の花。法量とは南部方面では法領・法霊のことで、おかみ神です。おかみの音は「リョウ」であり同じで、津軽では宝竜の字をあてます。おかみ神は水や雨を司る神。巨木に囲まれています。社殿。由緒等は調べていません。邦内郷村志によりますと既に八幡社と共に法量権現の名が見えます。社殿内。祠が2つあります。正面神額の横には、大きな切株に「大川目高倉神社」(昭和5年旧7月15日)と書かれているものが掲げられてい [続きを読む]
  • 稲生神社 (平内町稲生)
  • 稲生漁港付近に鎮座。菅江真澄が訪れてその稲生からの景色や風情を楽しんでいます。ちなみに私は海水浴を楽しんでいます。御祭神は須佐男之命。正保3年開創(造主豊嶋孫次郎外村中)。延享、天明、寛政年中再建、文政6年再建(日光院延寿法印(10世))。明治4年再建(日光院延正法印佐々木和仲(12代))。明治8年村社。大正10年修築(社掌佐々木要(13代))。昭和29年4月に夏泊半島一円に害虫の発生で樹木に大被害あり、当神社 [続きを読む]
  • 若宮八幡宮 (七戸町大池)
  • 一の鳥居の注連縄。何がぶら下がっているんでしょう。一つは短剣に見えますが。参道。この高台は大池館遺跡となっています。七戸町史に『大池の八幡宮は若宮八幡宮である。三間に四聞の入母屋つくりのトタン葺で、正面の扉・羽目板は硝子の格子戸になっている。』とあるので若宮八幡宮なのかな。また、同じく七戸町史には『(前略)昭和の初めまでは杉山の中の薄暗い参道らしい坂道を上ると、その先が北口の旧国道に出られる畑道と [続きを読む]
  • 法量農村公園 (十和田市)
  • 面白い公園だったので紹介します。三本木原開拓の歴史…『三本木原台地は、十和田市を中心に、三沢市、十和田湖町、六戸町、下田町、百石町の2市4町にまたがった広い台地です。この地域は気象条件がとてもきびしく、作物の実らない土地でした。そこで、安政2年(1855)、新渡戸傅がこの三本木原台地へ水路を通す工事をはじめました。奥入瀬川(相坂川)を堰上げて、「稲生川頭首工」から取水された水は、安政6年(1859)、初めて三 [続きを読む]
  • 鳥居石 ・ 枋木馬頭観音堂 (東北町)
  • 上北郡東北町枋木(こぼのき)。グーグルマップを見ると現在の位置には何もありません。近年建て直されたのかも知れません。社殿内の棟札に平成28年9月25日とあるので、その日付で建て直されたのかも。ちょっと見えにくいのですが烏帽子直垂姿の騎馬武者像。昭和21年に奉納。枋木馬頭観音堂の近くには鳥居石があります。正面には「奉納明治29年4月19日馬頭神社」と彫られています。裏面には「枋木村 村井岩造 野辺地村 石工宗吉」 [続きを読む]
  • 田子ガーリックステーキごはん (田子町ガーリックセンター)
  • にんにくの首都、田子町ガーリックセンター。たっこ王子。販売機までニンニクです。タッコーラは無かったけど。田子ガーリックステーキごはんを注文。オープンの11時をちょっと過ぎたくらいに到着したのですが、私が注文した直後には売り切れとなっていました。ちなみに訪れたのは土曜日。ご予約をおすすめします。テーブル上の調味料もすべてニンニク入りでした。配膳されるまでガリステごはんの食べ方5か条を熟読します。中々細 [続きを読む]