yuki さん プロフィール

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yukiさん: くぐる鳥居は鬼ばかり
ハンドル名yuki さん
ブログタイトルくぐる鳥居は鬼ばかり
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10
サイト紹介文青森県は津軽を中心に、坂道・神社・歴史的建造物等々を紹介しております。
自由文自由気ままに…
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供424回 / 365日(平均8.1回/週) - 参加 2011/04/15 17:37

yuki さんのブログ記事

  • 加茂神社 (青森市田屋敷)
  • 田屋敷と浜館のちょうど境目にあります。社号標紀年銘は昭和10年旧4月16日(濱舘向上會十周年記念。彫られている名前がほぼ千葉)。御祭神は別雷命。貞享4年検地水帳によりますと、雷電堂地が見えます。この雷電宮が当加茂神社です。元和2年千葉左京之介建立。明治6年戸山村砥山神社(斧懸神社)に一時合祀、同8年に復社。境内由緒より…『抑當社者山城國愛宕郡上加茂村鎮坐上賀茂神社即祭神別雷命之分霊奉齋也然而當社之起源者記 [続きを読む]
  • 西木戸神社 (秋田県大館市比内町)
  • 錦神社より東北東3km程離れた場所に鎮座。社殿。向拝。社殿内。小さいながらも歴史深い神社でございます。西木戸神社の由来…『西木戸神社は、奥州藤原家四代伊達次郎泰衡の夫人を祭神とし、八百年間地元の奉仕が続けられている。文治5年(1189)夫人は平泉を逃れて贄の柵を目指す泰衡のあとを追い、比内町八木橋のこの地ですでに四日前泰衡が譜代の郎従河田次郎の変心によって討たれたと聞かされ、従者由兵衛に後事を託して生害を [続きを読む]
  • 錦神社 (秋田県大館市)
  • 二井田字上出向鎮座。錦神社…『奥州平泉(岩手県)の藤原氏四代泰衡は、源頼朝に追われ、エゾ地に逃れようとして、にえの柵、現二井田に家臣河田次郎を頼って立ち寄ったところを、その裏切りにあって殺された(文治5年(1189-9月3日)。地元の人々は、そのことを次のように語り伝えている。河田次郎は、「泰衡をかくまって罪になるより、泰衡を討って頼朝の恩賞を」と考え、主人殺しの罪にならずに泰衡を討つ計画を練った。旧9月3 [続きを読む]
  • 菜の花フェスティバル in よこはま 2017
  • 2017年5月20〜21日に菜の花フェスティバルinよこはま(大豆田特設会場(自然体験ランド自然苑))開催。天気も良く最高でした。菜の花大迷路。とても綺麗ですが、独特な匂いに包まれます…。四方八方、黄色黄色黄色黄色…展望台から見た迷路。上空から見るとこのような感じ。北海道新幹線開通1周年を記念して五稜郭をモチーフにした星マークとのこと。大人が迷うことはありませんが、子ども目線だとまさに迷路。子ども目線写真。子 [続きを読む]
  • 観音神社 (秋田県大館市)
  • 秋田県大館市釈迦内横堰下。近くには祖霊社・唐松神社があります。因みに私の持っている地図では祖霊社・唐松神社の場所に観音神社と記されていました。Googleマップでは観音神社は記されていません。石灯篭一対。扁額。社殿内中央に金色に輝く観音様がありますが、ちょうど冊子で見えません(笑)千手観音っぽい?ちなみに由緒もわかりませんでした。ブログ村ランキング参加中 [続きを読む]
  • 祖霊社 ・ 唐松神社 (秋田県大館市)
  • 秋田県大館市釈迦内長面。祖霊社と唐松神社が並んで鎮座。祖霊社とは仏教における仏壇のようなもので、祖先の霊を祀っています。大変立派な建物です。中にはたくさんの御霊が祀られています。祖霊社の石灯篭一対(昭和38年5月・長面部落一同)。こちらは唐松神社です。扁額。唐松様(神功皇后)は子授け・安産の神様とされています。ブログ村ランキング参加中 [続きを読む]
  • 大野稲荷神社 (青森市)
  • 社号標(昭和12年4月10日)。例祭日は7月10日。稲荷橋(大正15年7月10日)を渡って参道へ。明治37、8年戦役記念標石「村社稲荷神社」、裏面(明治39年12月10日建立・出征軍人名省略・氏子中・本間覃山謹書)。御大典記念碑(昭和3年11月10日)。不明の石。記念碑建立と見えます。二十三夜塔(皇紀2600年記念・昭和15年9月23日)。保食神(昭和12年旧7月17日)。石灯籠一対(昭和57年7月吉日)。参道。石灯籠一対(昭和11年4月10日 [続きを読む]
  • 白山神社 (平内町土屋)
  • 御祭神は白山姫命。元禄15年3月創建(造主逢坂藤左エ門、施主勘兵衛、同十右エ門外村中)。宝暦年間再建(社領正覚院、造主逢坂文次郎外村中)。天保3年3月16日御神体新調及び社殿再建(日光院10世延寿法印代)。明治6年以来浪打部落は当神社の氏子に併合されていましたが、昭和29年に協議円満裡に分離。同31年9月3日本殿新築落成遷座祭執行(宮司佐々木高精、大工頭領小湊の本堂八四郎)。社殿内に由緒がありましたが中には入れま [続きを読む]
  • 元町神明宮 (十和田市)
  • 十和田市元町西1丁目に鎮座。神明宮。元町神明宮…『主祭神:天照皇大神。祭神:八幡大神、春日大神。天明時代元村は、51軒の集落であったと伝えられております。世に云う天明飢饉により死者続出したと云われ、この時、?天原において天照大御神(神宮では天照坐皇大御神と称す)より授けられた八咫鏡を祀られている。伊勢神宮の神託が三本木作助氏の夢にあって餓死者の冥福を祈る為、神明宮を祀り銀杏を植樹されたと語り伝えられ [続きを読む]
  • 川上神社 (青森市富田)
  • 立派な社号標(青森市長千葉元江・昭和39年4月28日)です。参道入口や参道の湾曲からもわかるように、沖館川の畔に鎮座しており、ちょうど富田、千刈、西滝、篠田の境くらいの微妙な位置にあります。現住所は青森市富田ですが、滝村ノ宮と呼ばれていた西滝の川上神社となります。かつての滝村で、貞享4年検地水帳によりますと観音堂地が見えます。地内切島の観音堂は寛文13年の創建で、明治初年の神仏分離によって川上神社と改称さ [続きを読む]
  • 浦田稲荷神社 (平内町茂浦)
  • 茂浦村の支村である浦田の由来は、海岸に田があったことによるとされます。浦田漁港付近に鎮座しております。ちなみに浦田地区には薬師堂もあるといいますが、どこにあるのかわかりませんでした。入口にあった石碑。実は横向きになっています。つまりこういう向きにすれば読み取れます。読みませんでしたが(笑)その裏の石。これは倒れているのかな。不明の石です。社号標台座(稲荷神社新築記念・平成元年旧9月10日)。曲線的に石 [続きを読む]
  • 道の駅しちのへ ・ 鷹山宇一記念美術館
  • 道の駅しちのへのお食事処絵馬で、「馬うま定食」を食べようと思ったのですが、手前にある物産館の「そばコーナー」の香りに釣られて、とろろそば大盛とジェラートを食べました(写真なし)。東京優駿で優勝したヒカルメイジとコマツヒカリの銅像。奥州街道碑。奥州街道図(七戸〜野辺地間)。奥州街道の由来…『徳川幕府は、全国交通網の整備を幕政の重要施策とし、奥州街道を含む五街道を定め、織田信長・豊臣秀吉の設けた三十六 [続きを読む]
  • 忘れじのITALY (弘前市)
  • 弘前市富田町にあった「手作りピザ ITALY(イタリー)」。大きなタバスコ看板が昔からの目印。アットホームな雰囲気の店内。トッピングを自由に選べるピザ他3種と、スパゲティ各種、ピラフやトーストやドライカレーなどがありました。おすすめはハーフミックスピザ&スパゲティ(きのこスパ・ナポリタン・たらこスパ)&サラダのセット(880円)。ランチはさらにドリンクも付きます。カルボナーラ。クラムチャウダー。ブログ村ラン [続きを読む]
  • 大澤神社 ・ 七面神社 (七戸町天間舘大沢)
  • 七面大明神。七面大明神(七面天女)は法華経の護法神。裏には紀年銘「入殖記念昭和21年4月●日(●=注連縄で見えず)」及び数名の名前がありました。鳥居に対して横向きの社殿。額束に大澤神社とありました。中は大変綺麗にされています。中央にはやはり七面大明神とありました。御神木。ブログ村ランキング参加中 [続きを読む]
  • 玉林寺 (秋田県大館市)
  • 曹洞宗鳳凰山玉林寺。本尊は釈迦牟尼仏。秋田三十三観音霊場第31番。浅利氏の菩提寺で古い歴史を持ちます。由緒沿革…『今から約450年前「大永7年西暦1527年」当時比内領主としてこの地方を支配していた豪族浅利與市則頼がその居城、鳳凰山の麓に一宇(寺)を建立し松原補陀寺の九世草庵守瑞禅師を請して開祖とし浅利一族の菩提寺とした。数年後、東館村獨鈷の本城下、和田山に移転し、慶長7年「西暦1602年」現地に再移転した。そ [続きを読む]
  • ハッピーファーム (金子牧場 ・ NAMIKI)
  • 天王つづじ祭りのつつじがまだ見頃では無かったので、急遽ハッピーファーム(金子牧場)のNAMIKIに手作りジェラートを食べに…いえ、菜の花を見に行ってきました。のんびり過ごせる場所です。馬たち。ちなみに盛岡牧場は明治17年頃から洋風牧場として整備されてきた牧場で、一号厩舎の南部曲屋風育成廏舎(明治45年。木造2階建、茅葺、建築面積396?)は、育成厩舎や繁殖廠舎などは外壁が下見板張りのマンサード風鉄板葺屋根で近代 [続きを読む]
  • 天王つつじ祭り2017 (七戸町)
  • 訪れたのはGW後半。見頃はまだまだ先のようで、3分咲きでした。開花状況は新聞を読んで分かっていたんですけど、近くを通ったので訪問してみました。うん…近くで見ると全然まだまだな感じ(笑)でも思っていたよりは咲いてたかな。モコモコ感はありませんね。チューリップはいい感じ。天気は良かったよ。天王神社。久々に再会した狛犬(安政6年)さんにもご挨拶。境内の八重桜は満開でした。そういえば花より団子ばかりで、今 [続きを読む]
  • 二ツ森神社 (七戸町)
  • 七戸町二ツ森家ノ下にあります。元々は1つの丘であったかのように中央は切通しになっており、両端の丘の上にそれぞれ社殿が見えます。1つ目の丘へ上って行きます。社号標は無く、鳥居にも社殿(施錠)にも神社名が無く、神社名すらわかりません(笑)部落名をとってとりあえず二ツ森神社(仮名)としておきました。由緒もわかりませんでした。近くには二ツ森貝塚もあり、歴史深い地であります。石灯籠一対(昭和49年8月吉日)。狛 [続きを読む]
  • 熊野宮 (金精様 / 平内町狩場沢)
  • 参道の木々の根元に石がたくさんあります。本殿の裏手から入る参道でした。鳥居をくぐるとすぐ右手に恵比寿堂があります。恵比寿堂。恵比寿堂内。恵比寿同の横にある不明の石。その石の前にも3基の石塔が立てられていましたが、特に文字などは見えませんでした。恵比寿堂を過ぎると右手に小祠が2つあります。左の小祠は稲荷堂。布に包まれており、わかりにくいのですが、右の祠は金勢(金精)様の祠。立派な木製男根(高さ約1m×直 [続きを読む]
  • 津軽藩関所跡 ・ 天満宮 (平内町狩場沢)
  • 奥州街道沿い。奥州街道駅路図(狩場沢〜土屋)…『文禄4年(1595)「津軽と南部の境は狩場沢をもってする」旨の仕置きが、太閤秀吉により為された。現存する四ツ森塚の中間を流れる二本股川(通称・双股川)がその境とされ、400有余年を経た現在でも、平内町と野辺地町の境界となっている。明暦2年(1656)黒石津軽家初代信英公は、黒石・平内及び上野国大舘(群馬県)を合わせた5千石を本家弘前津軽家より分知された。以来、平内 [続きを読む]
  • 藩境塚 ・ 馬門御番所 (平内町 ・ 野辺地町)
  • 奥州街道。平内町と野辺地町の中間にある県史跡津軽南部藩境塚標柱。その横には菅江真澄句碑(平成4年3月平内町商工会建立)…「あら波のよるきしこほれさしながらにでらで花のかけやうつさん」平内は蝦夷語の「ピラナイ」が語源とされています。「ピラ」は山と山の間、「ナイ」は河川という意味で、山と山の間の川が流れる土地という語義があります。鎌倉から南北朝の末までは南部領糠部郡に属していましたが永享年間に津軽田舎郡 [続きを読む]
  • 大堤神明社 (秋田県北秋田市綴子)
  • 綴子大堤。「享保郡邑記」に大堤邑20軒と見えます。「寛政村附帳」以後、幕末まで綴子村枝郷大堤村として存続。綴子村本郷集落の東方1km、羽州街道が横断する山麓沿いに大堤の集落があり、集落背後に用水源をなす大堤があります。堤脇の中野岱は縄文晩期の遺跡。平成28年、台風による倒木し、社殿向拝に直撃したとのことで修繕中です。建立年及び由緒等不明。太平山(慶應4年1月吉日建立)。小さな石も太平山。大堤神明社建築記念 [続きを読む]
  • 愛宕神社など (北秋田市綴子)
  • 秋田県北秋田市綴子東館。明治天皇御巡幸御小憩所。忠魂碑。綴子肝煎屋敷本陣跡。綴子肝煎屋敷本陣跡(北秋田市指定史跡・昭和53年2月1日)標柱。綴子肝煎屋敷本陣跡…『綴子の本郷上町地区は、かって八幡平と称された綴子古館のあったところであるが、永禄2年(1559)、綴子川右岸の小丘陵地「刑部岱」から集落を移して村づくりをしたのがその始まりである。村の旧家高橋八郎兵衛家は、慶長8年(1603)より明治4年まで代々肝煎を [続きを読む]
  • 清水川八幡宮 (平内町)
  • 平内町清水川梨ノ木の八幡宮。社号標(平成4年12月吉日)。狛犬一対。万治2年(1659)の薬師堂。元禄元年(1688)八幡宮創立。御祭神は応神天皇。嘉永元年に御堂・神楽殿を再建。明治6年村社。石灯篭一対。手水舎。参道は左にカーブします。狛犬一対。ちょっとした橋があり、その両端には古い石灯篭があります。紀年銘慶應4年4月8日。清水川八幡宮新築造営記念碑(竣工平成2年12月吉日(御大典年))。社殿前に一対の御神馬。御神 [続きを読む]
  • 國一蒼前神社 (六戸町)
  • 上北郡六戸町犬落瀬下久保。七百の馬頭観世音神社の1kmほど西方の鬱蒼とした森の中に鎮座。鳥居の額束には國一蒼前開運神社(奉納昭和54年10月吉日・下田重次郎)とありました。南部藩領国随一の名馬「邦一」を祀った神社で、かつては小祠でした。昭和28年9月に改築されて2間四方の切妻屋根の社殿となりました。邦一は六ヶ所村倉内に鎮座する七鞍蒼前の血を引く栗毛の種馬で、3歳の春にして既に5歳馬に勝る体格だったそうです。し [続きを読む]