yichintang さん プロフィール

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yichintangさん: いーちんたん−−北京ときどき歴史随筆
ハンドル名yichintang さん
ブログタイトルいーちんたん−−北京ときどき歴史随筆
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/yichintang
サイト紹介文胡同や清朝のマニアックな世界へ。北京をめぐる歴史や日常を綴る。
自由文カテゴリーごとにまとめて読んでください。
胡同物語、アパート内装の顛末、西安旅行などをアップしました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供238回 / 365日(平均4.6回/週) - 参加 2011/05/27 12:48

yichintang さんのブログ記事

  • 楠(タブノキ)物語3、「楠木」は、クスノキかタブノキか
  • さて。澹泊敬誠殿である。創建は康煕五十年(一七一一)だが、乾隆十九年(一七五四)に「総楠木造り」に改築された。紫禁城を始め、中原の宮殿建築は原色の派手な色彩で塗られるが、「楠木」はそれだけで富の象徴のため、一切の色彩を塗らず、木の素材をそのまま生かした造りとなっている。日本人の目には、その渋い色の暗さが重厚に映り、どことなく親近感を覚える。楠木造りは、今後我らが和珅青年にも深い因縁ができる要素とな [続きを読む]
  • 楠(タブノキ)物語1、始まりは承徳の澹泊敬誠
  • 半月も空いてしまいました(汗)。アップする記事もやや迷走気味です(汗汗)。和[王申]くんストーリーを少し中断し、ちょっと木の話をしたいと思います。和[王申]くんの運命にものちに絡んでくる楠(タブノキ)のお話です。まず始まりは、承徳の秘書山荘より。************************************承徳は遊牧帝国のハーンである清朝皇帝のもう一つの顔にとって「夏都」である。夏と冬で統治 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語65、公主らの短命
  • ――これはいっそ、月月の反応も見た方がいいのではないか。英廉は心を決めた。年端も行かぬうら若い娘に自分で判断させるなどはろくなことにならないというのが、この時代の多くの大人の見方であったろう。それでも本人に幸せになってもらうには、自分で気に入ってもらうしかないと英廉は考えるのだった。自らの決定の責任を取るという決心が本人になければ、二人の関係にも前向きに向き合えないだろう。他人から押し付けられた結 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語64、英廉の思案
  • 英廉は孫娘の顔を見ながら、考えあぐねていた。――はてさて。勝手に決めてしまっていいものか……。この時代、上流階級の結婚に自由恋愛による結婚などあるはずはなく、お見合いさえもない。結婚式当日に二人は初めて顔を合わせるのだ。結婚式には花嫁が赤い布を顔からすっぽり覆い、花婿はそれを持ち上げる細い棒を渡される。式が済んで新婚の部屋「洞房(トンファン)」に入って二人きりになった後、その棒で布を持ち上げ、花婿 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語63、英廉の書斎にて
  • 英廉のもとに、孫娘の月謡がご機嫌伺いにやってきた。「爺爺(イエイエ)」あどけなさの残る声に英廉は書き物の手をとめ、顔を上げた。Y頭(ヤートウ、女中)がお盆にお茶を運んでくる。お盆には湯のみ一つと宜興(イーシン)産のふっくらと丸みをおびた紫砂壷(ズーシャーフー、素焼きのきゅうす)一つとが載せられていた。湯飲みは下に受け皿がつき、本体は取っ手がなくふたがついている。白地に石榴(ざくろ)が枝にたわわになっている [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語62、外祖父に金の無心
  • 嘉謨(ジヤーモー)は和珅の生母の父、外祖父に当たる。最初の頃はさまざまな人に無心した和珅だが、そのうち誰も貸してくれなくなり、最近は専らこの景気のいい外祖父におねだりしていた。河道道員といえば、景気がいいと相場が決まっている。当時、科挙に落第して意気消沈し路銀も使い果たした秀才や挙人らは、知り合いの官僚に紹介状を書いてもらい、道員を訪ねて行ったものである。すると、少なくとも数百両の「路銀」を包んでく [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語61、外祖父は江南河道の河庫道員、嘉謨(ジヤーモー)
  • 和珅の家奴である劉全が、使いに出ていた。神妙な顔をして腰かけて待機している。 江南河道の河庫道員、嘉謨(ジヤーモー)の家では、使用人たちがひそひそと眉をひそめて、さざなみのようにささやきが広がっていた。そんな屋敷の雰囲気を敏感に感じつつ、劉全は余計に胸を反り返らせて座りなおした。「何? 善保(シャンバオ)の使いがまた来たのか?」「へえ。」と書状を盆に載せて執事が差し出した。嘉謨(ジヤーモー)がうめき声を [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語60、清代版「農村下放運動」
  • 年季の入った北京っ子の――砍大山(カンターシャン、大風呂敷を広げる)を外地の人は軽蔑もすれば、崇拝もする。上海人などは「口ばっかりでいざ仕事させたら事務処理能力なし」と言って一刀両断、馬鹿にする。しかし首都として全国の物産、文化、情報が集まり、親戚一族にも官僚や軍人が多く、全土を駆け回っているので情報量はずば抜けている。さらに暇に任せて凝った芸術の知識を披露され「砍大山」(カンターシャン)されれば、 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語59、旗人の生計
  • ――支配階級といっても、不安定なものよ。少年の家庭の事情を聞くにつれ、英廉は一人ごちた。八旗の構成員というのは、特権階級のようでありながら、実は制約も多い。その点、江戸時代の武士階級にきわめてよく似ている。清代、満州族を含めた旗人には、軍人になるか官僚となるかという二つの職業しか許されていなかった。国を防衛するか、政治を動かす立場になるか、二つに一つである。農業、商業などを含めて、他の職業には一切 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語58、天山北路での屯田
  • 河西回廊は両方を山脈に挟まれているため、その雪解け水が谷に流れ込んで地下にたまり、ちょうどいい具合にオアシス都市が点在する。蘭州からこれを武威、張掖、酒泉、嘉峪関、安西、ハミ、トルファンと一つ一つ渡っていくと、大軍が比較的楽に天山山脈の雪解け水で潤うウルムチにたどり着ける。これがタリム盆地の入り口だ。ここを押さえれば、天山山脈を越えた北にあるジュンガリアも南のタリム盆地のウィグル族居住区も押さえる [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語57、新たなる国土、新疆
  • 確かにこの時期、和珅の一家にとってウミタイは大事な親族であった。働き手を失った家庭では、その経済力に頼るところが大きかったであろう。しかしウミタイはこの時期、首都には数年も戻っていない。新しく清朝の領地になった新疆地区の経営に借り出されていたのである。乾隆二十四年(一七五七)、現在の新疆ウィグル自治区に当たる、いわゆるシルクロード地方がすっぽりと清朝の手に納まった。この地域は、元々モンゴルの一派、 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語56、ウミタイはウルムチ勤務
  • 「父親が死んでしまうと、後に残されたのが、なさぬ仲のこの伍弥泰(ウミタイ)大人のお嬢さんでございますよ」ねずみ男の解説は続く。「しかし大きな声ではいえませんが、嫡母としてこの方はどうも婦女道には反しまするな」珍しく公正な意見を口にすると、ネズミ男がため息をついた。――なるほど。そういうことか。三等軽車尉の家柄でありながら、周りの少年たちのいじめの理由になるような貧しい格好をさせているとは、確かに誉め [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語55、嫡男でありながら和[王申]は
  • 「それが善保(シャンボー)は立派な嫡男、弟も同母弟で生母は正妻ですよ」ネズミ男がもったいぶっていう。英廉は意外そうに相槌を打った。「ほお。それなのになぜ」大方、どこの家にでもある愛憎図だろうと見当をつけつつ、また思いは自分の身の上に飛んだ。 中流以上の家庭では、どこでも見られる妻妾や異母兄弟同士のいがみ合い。英廉と母は少なくとも家庭の中では敗者の立場に置かれ、そのみじめさをいやというほど味わってき [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語54、嫡庶のちがい
  • 雍正帝は皇位簒奪者ではないか、と言われているが、それを可能にしたのも、息子の弘暦(後の乾隆帝)との共同作業であった嫌いがある。祖父帝(康熙帝)の晩年、あまたいる皇子らの皇位継承争いは、熾烈だった。優秀な皇孫を持つことは大きな点数稼ぎになるため、雍正帝はこの息子の聡明さを全面的に押し出したのである。元来、弘暦(乾隆帝)は嫡男でも長男でもない。弘暦は雍正帝の五男、上三人の兄が相次いで夭折したので、実質 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語53、乾隆帝の生い立ち
  • 今上(乾隆帝)のご生母様は「格格」(ゴーゴ)上がりという。「格格」の満州語の元の意味は「お姐さん」、清末には皇族や貴族の「令嬢」という極上の尊称になった。西太后が養女にしたしかるべき家柄の令嬢たちは皆「格格」と呼ばれた。ところがその百年前の乾隆年間は、どうもそうではなかったらしい。主人の子供を身ごもった、あまり大きな声では出自を言えない身分から昇格した女性を「格格」という曖昧な敬称で呼んだ。言葉と [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語52、ねずみ男の育ちのよさ
  • 一通り善保(ジャンボー、のちの和珅、本名)の悪口をいうと、ネズミ男の口調がやや変わった。にやりと口の端を吊り上げ、またもや大仰に英廉の耳元に小声でささやいた。「それが聞いてみると、やはり家庭に問題があったのですよ」さっきまでさんざん大声でがなり散らしておいて今更ひそひそ声になったところでどういう意味があるのか、と英廉はまた一人苦笑した。「実はですね。連中の騒ぎの起こしようがあまりにもひどいので、父 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語51、和[王申]たちの喧嘩
  • 「ですから、最初からおかしいと思ったんですよ。」さも大事なことをいうように大げさに声を落として、李峰が英廉の耳元につぶやいた。「あの学校から来て、こんな子もいるんだ、と。 あれじゃあ……うちの倅の方がよっぽどましな格好ですよ。 けけけ」ネズミ男は下卑た笑いを浮かべ、元から細いきつね目がさらに細くなって一本線となって眼球を隠した。「まあそんな具合なんで、子供は残酷ですからね。自分と異質な相手を攻撃す [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語50、名門ムクン
  • 「ムクンだってニウフル氏といえば、今上の皇太后陛下と同じ一族」李峰の説明は続く。ムクンは満州語で姓をいう。どちらかといえば、満州の中の「部族」というニュアンスに近い。始祖ヌルハチにより満州が統一されていく際、満州族は部族ごとに征服されたり、投降した。従って早くからアイシンギョロ家(皇帝の一族)の同盟者になった部族は建国後も地位が高く、最後まで抵抗した部族や遅い時期に降伏した部族は冷遇されるという格 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語49、和[王申]の家庭事情
  • 話しているうちに李峰は、さらに興奮してくる。声がどんどん大きくなるこの部下をたしなめる間合いもないので、せめて少年たちに聞こえないように、と英廉は自分から足早に教室の前を離れた。李峰は仕方なしにその後を慌てて追って離れる。「あまりに周りと揉め事ばかり起こすんで、これは家長にいうべき問題だろう、と父兄に連絡を取ろうとしたんですが」「ほお。それで、どうだった」そこまでいうと、李峰はそのネズミ顔の貧相な [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語48、和[王申]との初体面
  • 英廉は案内の李峰がちらりと目配せする方を見た。一目でどの少年かわかった。大きな目に屈折した光をたたえた少年だった。北方のツングース種らしく肌は抜けるように白かったが、二重の大きな目がやや異民族との混血を思わせ、きりりと太い印象的な眉毛がその上に居座る。ツングース種の満州族は体毛が薄く、ひげや眉毛もあるかなきかの如き薄さ、胸毛もすね毛もつるつるなのが一般的だということは、前にも述べた。二重の大きな瞳 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語47、いびきと主人
  • 劉全の豪胆ないびきが部屋に響き渡り、皆が息を呑んだ。ねずみ男の血の気がすーっと絵画的に引けていくのが、振り返って見ずとも英廉には気配で感じられた。――ほほお。大した腹の座り具合だ。内務符大臣が視察に来たという場面に出くわし、そのときにうそだか本当だか知らないが豪快ないびきをかけるというのも、やろうと思っても並みの肝っ玉の人間にできるものではない。 そういう相手の「呑み方」というのは、年齢も目上目下 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語46、供の控室にて
  • 咸安宮官学は三つの四合院を重ねた「三進院」作りであった。正門から入った「一進院」は、正面の南向き三間には孔子さまが鎮座まします祭祀堂である。中国の伝統では、学問を身に着けるとは、儒教的な礼節を身に着けることであり、学生たちは勉強に入る前に孔子像に跪いた後、授業に入った。  東西の部屋は、それぞれ先生らの控え室であったり、供の者の控え室であった。学生は十歳から入学するため、城内各地から馬に乗って通学 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語45、学校での回想
  • 英廉は、動揺する孫娘を見やりながら、昼間の咸安宮官学での出来事を思い出していた。「英大人」「英大人」英廉が学校の正門をくぐろうとすると、侍衛らが次々と声をかける。中庭に入ったところで、門の並びの部屋から人が飛び出してきた。「英大人、これはまた突然のお越しで……」振り返ると、李峰がねずみのように細く釣りあがった目に愛想笑いをこめて立ってる。学校には内務府から事務官が四人派遣されており、彼はその責任者 [続きを読む]
  • 和[王申]少年物語44、外八旗に嫁に行く
  • 侍女の麗梅(リーメイ)は、厨房で仕入れた使用人たちの噂話をひっきりなしにまくし立てていた。しかし月瑶は上の空でそれを受け流し、まだ酸味が強くない中途半端な刺激の酸菜湯(スアンツアイタン=白菜の漬物スープ)を機械的に杓子(シャオズ=スプーン)で口に運んでいた。 脳裏を往来していたのは、数日前に祖父の英廉が言い出したことだ。朝、請安(チンアン=ご機嫌伺い)に祖父を訪ね、そのまま堂でお茶をいただいていたと [続きを読む]