中島タロー さん プロフィール

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中島タローさん: 悟りのブログ
ハンドル名中島タロー さん
ブログタイトル悟りのブログ
ブログURLhttp://blog.ap.teacup.com/sosekken/
サイト紹介文個としての私を超える大いなる存在、それは実は二種類あります。太極と無極です。ここでは無極を扱います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供11回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2011/05/31 22:43

中島タロー さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 二種類の大いなる存在「太極」と「無極」?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《真我とは目がキャッチしたものを知覚する主でもある》禅宗には悟りの境地を表す言葉が色々と伝えられていますが、その中でも有名のものの一つに「柳は緑 花は紅(くれない)」というのがありますね。ご存じの方も多いのではないでしょうか。そこに込められている意味は申すまでもなく、悟った人には柳の色は緑に見え [続きを読む]
  • 二種類の大いなる存在「太極」と「無極」?
  • 《「感じることもしない」の真意》「考えることはもとより感じることもしないで例えば夕日を見ている時我々は真我という目で夕日を見ていることになる」、といった話を前回しました。が、ここに言う「感じることもしない」の真意を今回は説明させていただきます。さて私の見たところでは、「感じる」という言葉には少なくとも二つの意味合いがあるようです。例えば、また今回も夕日を例に出させてもらいますが、我々が今夕日を眺め [続きを読む]
  • 二種類の大いなる存在「太極」と「無極」?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《思考も感覚も脇に置くと内なる「無極」・真我が顕在化する》これから“二種類の大いなる存在「太極」と「無極」”というテーマで話をはじめるに当ってまず、それの土台になる部分に触れておきたいと思います。「太極」というのは簡単に申せば万物が一つに繋がっている根源的な領域のことですが、外界においてはそれは [続きを読む]
  • 二種類の大いなる存在「太極」と「無極」?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《“二種類の大いなる存在「太極」と「無極」”連載開始の件》 いつも当ブログにご訪問いただきありがとうございます。 私は当ブログの他にもう一つの悟り系ブログ=「アウトオブスペース系の悟りとは」を管理しているのですが、私の見る限りでは「当ブログの読者・イコール・前出のブログの読者でもある」とは [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?最終回
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《思考を裸眼で見れば「思考は私に起こってない」の意味が分かる》最終回である今回もまた、真我のことを「真我という目」という別名で言い表すことにして話を進めてまいります。真我という目に関する記述の中で、おそらく皆さんの頭が一番こんがらがるのは次の部分ではないでしょうか。?真我という目は心の働きである [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《もう一つの悟り系・自問形メソッド》ラマナマハルシが提唱している「私とは誰か?」と自問し続ける方法というのは、悟りを目的としたあらゆるメソッドの中で最もユニークなものの一つと言えるかも知れません。さて今回は大和田菜穂さんとは関係ないのですが、これまでの話の流れを見て、私が考案した悟り系「自問形メ [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《頭を外すと頭じゃないところで理解できる》私のこれまでの話を読んでこられて、次のように思われた向きもあるかも知りません。無心に物を見ている時目に映っている物を見ている主が真我であることは頭では理解できるが、頭じゃないところでは理解できない。が、そのことが文字通り頭じゃないところで理解しやすくなる [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《全てがストーリーになる視点》 前回用いた「真我という目」という呼び名は真我の別名の一つです。それは、真我には見る(知覚する)働きがあるところから来ています。 今回もまた、その別名を用いながら話を進めてまいりましょう。 前回の話からもお察しいただけると思いますが、我々が今居るこの世界と真我とい [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《真我の知覚の仕方・補足》大和田菜穂さん特集?において私は真我の知覚の仕方について話をしましたが、今回はその話の補足をさせていただきます。その中で私はこんなようなことを申し上げました。「真我は目撃(知覚)対象とピタリと一つになっている」これはこれで合っているのですが、これだけだと真実の半面しか伝 [続きを読む]
  • アウトオブスペース系の悟りという悟りのセカンドネーム
  • 大和田菜穂さん特集も?まできたところで一つの結び目をつくることができたと感じています。特集はまだこの後も続きますが、今回はちょっと話題を変えて、当ブログの姉妹ブログであるアメブロに関するお知らせをさせていただきます。ご存じの方はご存じかと思いますが、そのアメブロのタイトルが今月より従来の「悟りん坊ばんざい!!」から「もーひとつの悟り・アウトオブスペース系の悟り」に変更されました。このタイトルに含ま [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《いかなる体験も悟りではないと言い得る根拠》 これまでの私の話から既に類推できておられる向きもあるでしょうが、我々が瞑想中にする体験(経験)もまた全て、真我によって知覚されて(目撃されて)います。 つまり我々が瞑想中に何らかの体験をした場合、その中身に関わらず常に、それを知覚・目撃している真我 [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《真我の知覚の仕方》心を脇に置くことによって顕在化する真我には我々の目に映る物や思考などを見る働きがある、ということがこれまでの話からお分かりいただけたと思います。そう言えばよく考えてみると、いや、考えてみるまでもなくと言うべきか……、大和田菜穂さんて真我のその見る働きのことについては、お話しの [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《思考は私に起こっているのではないと言い得るポジション》真我は心でも体でもない第三の存在であると同時に、我々が無心に物を見ている時目に映っている物を見ている主でもある、ということが前回の話からお分かりいただけたと思います。我々が無心に物を見ている時というのは、心でも体でもない第三の存在である真我 [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《ソレは知られ得ないものであると言われる理由》前回私が皆さんに投げかけた問いは次のようなものでした。「我々が無心に物を見ている時、目に映る物を見ている主は誰なのか?」前回の記事において私はそれを明らかにしませんでしたが、記事を最後まで読まれた方は少なくとも、その回答が心以外の何ものかであるという [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《私が居ないなら何もできるはずがないという彼女への批判は的外れ》大和田菜穂さんとそのこととどう関係あるの? と思われそうですが、まずはこんな話から始めさせてもらいます。これまでの私の話を読んでこられた方であれば、次のように申し上げても納得していただけるはずです。いや……、たとえこれまでの私の話を [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《理解すべきものが何も無い中にある何か》前回私はこんなことを申し上げました。我々は息を止めることによって思考・イメージ・感覚といった心の働きを抑えることができるので、その意味において、「息を止めること」もまた「心を脇に置く方法」たり得る。「心を脇に置く」と「真我を顕在化させる(体現する)」はイコ [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《「探求を終わらせること」と「息を止めること」とはある意味お仲間》前回の追加記事のタイトルは、次のようなものでした。「真我の一側面を体現する(顕在化させる)」=「心を脇に置く」=「真我(の全側面)を体現する」この中の「真我の一側面を体現する」=「心を脇に置く」という部分は、次のように解釈すること [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《探求を終わらせることも一つの手ではあるが》 前回は大和田菜穂さんのことから少し横道にそれた感がありますけれども、あの話からもお分かりいただけるように、真我を顕在化させたかったら我々はもっぱら、心を脇に置くことだけをすればいいわけです。真我のことは一切忘れて構いません。 というより真我に心を [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《経験や経験者が存在するかのごとき幻想を作り出しているのは心》 悟りが経験たり得ないのは、悟りの起こる場所が「経験の外側の領域」だからだとも言えます。 そんなものがあるということを、あなたはご存じだったでしょうか。 「経験の外側の領域」なんていうと多くの人たちは現実世界に生きている自分らとは [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村    ↑ (ご支援の一押ししていただけると嬉しいです) 《必殺の三段論法》 体験(経験)に属するものは何であれ、つまり例えば神秘体験であろうが、超常体験であろうが、至高体験であろうが、何かを感じたり体感したり思い出したりする体験であろうが、何かに気づくという体験であろうが、一つの例外もなく悟りに該当しない、というようなことを私は過去に一度か二度 [続きを読む]
  • 大和田菜穂さん特集?
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)《彼女の破壊力の及ぶ範囲はとんでもなく大きい》当ブログのコメント欄を通して大和田菜穂さんのことを知りまして、それ以来色々と彼女が発している悟りに関するメッセージや、それに対する人々の反応などに触れてきました。その中で感じたこと、考えたことなどをこれから何回かに分けてアドリブで書いて行こうと思いま [続きを読む]
  • 一読者からのご質問にお答えした後での書き足し
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)『垂直の次元』に関するご質問への回答(その一)『垂直の次元』に関するご質問への回答(その二)以上二つの記事の中でお話ししたことの補足をさせていただきます。 我々が今身を置いているこの空間は前後、左右、上下の三方向への広がりを持った三次元空間ですが、「真我は垂直の次元に在り(当ブログでは「垂直の次 [続きを読む]
  • 『垂直の次元』に関するご質問への回答(その二)
  • [にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ]にほんブログ村   ↑(ご支援の一押ししていただけると嬉しいです)【前回の私の答えに対する質問者様からのお返事】……最初の質問にだけお答えさせていただきます。《※ここに言う最初の質問とはこれです》⇒「我々は片目をつむっていたら、眼に映る景色の三次元の広がりを認識できないでしょうか?」できません。できないからこそ、このような質問をさせていただいた次第です。 私は [続きを読む]
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