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イキイキと生きる! https://blog.goo.ne.jp/hiroyuki-mori051201/

「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、イキイキと毎日を生きましょう。私は縄文小説も楽しんでます!

東京生まれ。7才のときに米国アラスカで暮らす経験をもつ。外資系コンピュータ会社に勤め、52歳で円満退職。その後、生き甲斐の心理学を学び特定非営利活動法人CULLカリタスカウンセリング学会理事兼講師。縄文小説を2017年に上梓し縄文文化の研究もしている。

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八王子市
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新宿区
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2011/07/25

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  • 縄文時代の人たちとの接し方 (5/10 縄文時代をどう解釈するか)

    文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューし...縄文時代の人たちとの接し方(5/10縄文時代をどう解釈するか)

  • 自分を知るために縄文を学ぶ・・・(4/10 縄文時代をどう解釈するか)

    U先生から比較宗教学や文化人類学の影響を受けた臨床心理学の「生き甲斐の心理学」を学び続け、NPOに所属しその普及活動もさせていただいている。そんなことでU先生の「生き甲斐の心理学」のテキストは何回も読み返しているが、奥が深いので読むたびに何か発見がある。今日も何か新鮮な一文を見つけて感動してしまった。それは、人は自分の本音がなかなかつかめないということ。学術用語で自己覚知の話である。生きていくと、利害得失や倫理観、プライド・・・そんなことにこころを奪われ、自分の本音が見えなくなる。本音とは深い意味がここではあり、生命体の核心にある知恵とも言えるかもしれない。それは真善美にも通じ、人生でぶつかる問題解決への道でもあろう。そして、この本音が見えない時(もやもやする時)に助けてくれるもの、それについてテキスト7...自分を知るために縄文を学ぶ・・・(4/10縄文時代をどう解釈するか)

  • 心の地層をたどる旅 (3/10 縄文時代をどう解釈するか)

    のんびりと谷川と渓谷の地層を見ながら温泉に入る。千葉県房総半島の真ん中あたりの養老渓谷周辺に縄文も楽しみながら素敵な小旅行をしてきた。今回はこの地層について語っていきたい。地層に大いに興味を持ち始めたのは若狭の福井県年稿博物館に行ってからだ。水月湖の底をボーリングして7万年分の堆積物(地層)を主な展示物とする年稿博物館。その年稿の美しさに気づいたのはMさんのお陰もあるが、地層もまったく同じである。地層は考古学では遺跡の調査報告書には必ずと言っていいほど記載されていて、昔は飛ばして読んだものだが、最近は丁寧に読むようになった。小学生のころ庭に穴を掘ったりした経験なども繋がってきているようである。今興味を持っている多摩境の小山白山公園の245遺跡や周辺の粘土採掘場遺跡あたりの地層・・・今は綺麗に整地され写真で...心の地層をたどる旅(3/10縄文時代をどう解釈するか)

  • 明るい縄文短編小説でも書こうか・・(2/10 縄文時代をどう解釈するか)

    人生は不思議な巡り合いで紡がれていくようである。昨年はWebマガジンに「縄文時代の愛と魂」お題で、小説ではなくある研究会での講演内容を骨格にエッセイ(自分なりに学術的基盤もつくる意味があったが)を毎月投稿し始めた。その活動もあり、当初の第2段の小説はだいぶ遅れてしまった。ただ、縄文時代の人々がどういうアイデンティティをもっていたかについては、かなり自分なりに理解できたところがある。私は幼児洗礼を授かったカトリック信徒であるが、日本文化においては井上洋治神父などの研究はあるものの、今だ根無し草のような感じを持っていて、それゆえ日本の原型の縄文時代に憧れを持ったところがあった。人類は20万年前にアフリカで誕生し、6−7万年前にアフリカを出立して世界に散らばったという説は、遺伝子科学の進展でほぼ定説化されている...明るい縄文短編小説でも書こうか・・(2/10縄文時代をどう解釈するか)

  • 変化がある辰年のような時代を生き抜くには・・(1/10 縄文時代をどう解釈するか)

    今年は元旦に能登半島地震と航空機事故があり、いつもと違う正月を迎えた。新年会で「辰年は大きな変化がある年」そんな挨拶に耳を澄ませたことも。人は大きな変化のある時に悩み、時に自分で背負いきれなくなり心の病に陥ることが多い。元旦の事件のように運命的な事件に巻き込まれるとき。あるいは人生の大きな節目のとき、そして今日お話ししたい異文化に遭遇したとき。こうした時はかつての自分なりの常識がなりたたず、途方に暮れてしまうことも多い。その中でこころの健康を保ち生き抜くには、心のオアシスを見つけ育てていくことかもしれない。戦ってばかりいると人間は意外に簡単に参ってしまう。心のオアシスはこうした時には、殆ど見えにくいが確実にあるはずだ。ちょっとした他者の善意にほっとするとき、普段ではなんだそんなものとネガティブにとらえてい...変化がある辰年のような時代を生き抜くには・・(1/10縄文時代をどう解釈するか)

  • 縄文時代の自我を超え出る愛の文化(10/10 縄文世界を感じる時)

    昨年は縄文時代に一番触れた一年だった。それは土器片であったり、写真のような縄文のランドスケープだったりである。その中でつくづく感じたことは、縄文時代の祖先達の熱い信仰であった。何時の時代もそうであるが人が大切にするのは、信仰の対象である。祈りを捧げる対象である。そして、そこには真善美が集中して現れるように思う。古代ギリシャの人々は人間の姿は神の似姿という信仰ゆえに、美しい彫刻が作られた。日本の仏像や神像、神社・仏閣も信仰の対象として心をうつものが作られたのだと思う。ところで、縄文時代はどうだろうか。日本だけでなく世界の美術館でもひっぱりだこなのは土偶が一番だ。しかし、私は縄文時代の土偶だけでなく土器も当時の人の信仰の対象であったのではないかと秘かに思っている。火炎土器や水煙紋土器、勝坂土器をはじめ縄文土器...縄文時代の自我を超え出る愛の文化(10/10縄文世界を感じる時)

  • 良き新年を産む!(9/10 縄文世界を感じる時)

    一か月近く体調不良で外出もほとんどせず暮らしていた。気持ちは50歳台だがやはり体力は70歳台(入りかけだが)。いろいろ思い知らされた。しかし、自分の身体についていろいろ観察した経験は大きかった。食べるとは何か、排泄とは何か。体力とは何か・・・そして、暖かい心遣いも沢山いただいた。生命とは何かを身をもって体験できた貴重な時だったようだ。一方、講座の準備や原稿作成もあって、のんびりしつつもこの期間の後半は人間の嫌な面の思索もした。恩師から「殺人の人類史」(コリン・ウィルソン、デイモン・ウィルソン著青土社松田和也著2016年)を紹介されて読み始めたり。ちょうどウクライナ戦争も忘れてしまうようなイスラエルの戦争、さらに日本の政治の貧しさを実感する報道もいくつかあり、若いころから営業や福祉、教育といった分野を経験し...良き新年を産む!(9/10縄文世界を感じる時)

  • 縄文カレンダーとストーンサークル (8/10 縄文世界を感じる時)

    小林達雄氏の縄文カレンダーを一つの知識として知ったのはもう10年くらい前である。私は少年時代に天文少年であった側面があり、縄文時代の遺跡で一番最初に興味を持ったのはストーンサークルであった。家の近くに田端遺跡があり、冬至に正確に丹沢山系の最高峰である蛭ケ岳に入日が落ちることを知り冬至になるとそわそわするようになった。確かに、縄文時代の特に後期くらいになると特別の施設をつかって祭儀をすることが多くなってきており、天文の知識もそれ以前の時代とくらべ充実してきたのだと思う。しかし、縄文人を馬鹿にしてはいけない。高度の動植物に関する知識から得られる情報はどうだったのか。私の家の近くには多摩動物公園がある。私はU先生の生き甲斐の心理学を学び、その中でロジャースの人格形成論を学んでいたこともあり、多摩動物園に通った時...縄文カレンダーとストーンサークル(8/10縄文世界を感じる時)

  • レジリエンスは五感を意識することから・・・(7/10 縄文世界を感じる時)

    東日本大震災の時に「想定外」という言葉を覚えたが、それ以降「想定外」のことが頻発し当たり前になったのか、今では死語のようになっている。そして、このまさかにも負けず生き抜く力というのだろうか、訳しにくいレジリエンスという言葉をよく聴くようになった。一万年以上続いた縄文時代。この時代のことは随分わかってきてはいるがまだまだよくわからないことが多い。それは縄文時代が文字を持たなかった文化であることにも原因があろう。しかし一万年の中には喜界カルデラの大噴火などわれわれが経験したことのないような超災害もあったが、脈々と文化は続いた。そして、そのいくつかは今でも引き継がれている。狩猟採取文化ではあるが高度の狩猟採取文化であり、その生きる知恵は素晴らしいものであったようだ。先日、ゴリラの研究家としても有名な山極壽一先生...レジリエンスは五感を意識することから・・・(7/10縄文世界を感じる時)

  • 恥の文化の寅さん・・・(6/10 縄文世界を感じる時)

    小学校の2年の夏。私はアラスカの小学校に突然転校した。学校に父が付き添ってくれたが、学級に入れば英語の全く話せない私は黙っているだけ。そんな私に担任の女教師は色紙を見せて何色かと問う。英語は全くわからないのでもちろん黙っていた。しかし、悲しそうな眼をするので、私のできる唯一のこと。日本語で話すことを決心した。わからない日本語に失望するかと思っていたので、自分の発した日本語はうつろに聞こえた。しかし、次の瞬間、先生は明るい顔になり、クラスの皆に日本語をはなす私をうれしそうに紹介してくれた。なんという優しい女教師を感動したが、今になって考えると文化の差といえるかもしれない。日本には独特の文化がある。甘えの構造、侘び寂び、・・・その中に恥の文化がある。同じようにできないことを恥るというのだろうか。皆が英語で話せ...恥の文化の寅さん・・・(6/10縄文世界を感じる時)

  • 自然が生み出す美! (5/10 縄文世界を感じる時)

    少年のころ雪が降った次の朝だったか、庭石などに積もった雪をぼんやり見ていた時に、父親が珍しく雪景色を見ながら、自然の美しさだけでなく蔭に潜む不思議な法則の話をしていた。人間は自然から学ぶ・・そのころはぼんやりと分かったつもりであった。しかし、今頃になって自然の真善美というのだろうか。父親が話していた意味がよく分かるようになってきた。人間のこざかしいロゴスを越える自然。それをとらえずして何なのだろう。先日、考古造形研究所の森山哲和氏のアーティストとしての年縞や貝塚の標本、そしてイタリアのパエジナストーンを見学する機会を得た。自然が作る美しい夕焼けや壮大な景色、五感で味わえる現象は日々刻々変わっていくが、湖の底にたまった年輪のような年縞などはそれこそ物凄い様々なことを例えば1m程度の幅で1000年くらいを表現...自然が生み出す美!(5/10縄文世界を感じる時)

  • 縄文人の修行・・・(4/10 縄文世界を感じる時)

    人生を豊かに生きるためには次の3つの自問自答が大事であると、比較宗教学や比較文化論をベースにした生き甲斐の心理学のU先生から教わった。①自分は何のために生きているか?②生き甲斐はなにか?③自分の身体、生育史、魂を大事にしているか?それを学びつづけ23年経ってしまったが、やっと人はどのようにそれを追求しているのか気になるようになってきた。そして、それは私のライフワークともいえる縄文時代の祖先にも。日本の社会は欧米と比べても実に特異である。一言でいえば和の社会なのだろう。欧米の個人主義とはどうも違うようである。私が小学校2年のときにアラスカで約1年暮らしたがその文化の違いは言葉の壁以上であった。同じことをしても日本で怒られ、アラスカで褒められる。その反対もいくつか。日本もこの数十年制度などが欧米化し、その軋み...縄文人の修行・・・(4/10縄文世界を感じる時)

  • 大栗川にも秋がそろそろ・・・(3/10 縄文世界を感じる時)

    この夏は酷暑もあり日中に散歩することもなく今まできてしまったが、知人が最近涼しくなり散歩をしたが感動した・・というお話を聞き今日は夕方久しぶりに近くを散策した。何と秋の気配がたっぷり。ニラの花が咲き誇り(残念ながらニラに来る蝶には会えず)、大栗川のほとりは風も心地よく心がうきうきする。鴨もいつものようにいたが、今日は光の方を見てなにやら思案中。最近、つくづく思うことに、他者に教えようということの虚しさだ。人生のある時期にそれを学習したのに、愚かにもその教訓を忘れて繰り返す。そんなところに出会った鴨ちゃん。次の言葉は身に染みる。「教育とは子供を教えることではない、自分を高めることだ。そうすれば子供たちも君たちを手本に自己を高めようとするだろう。それが教育だ。」井上ひさし「聖母の道化師」中公文庫12Pラサール...大栗川にも秋がそろそろ・・・(3/10縄文世界を感じる時)

  • 人は考えた通りの人間になる・・・(2/10 縄文世界を感じる時)

    心理学のU先生からよく言われたことに、「人は考えた通りの人間になる」というヒンズー教の教えがあった。そして、このヒンズー教の教えと似た他の伝統宗教の言葉もあったりするので、真面目に検討すべき言葉のようだ。U先生のその言葉を始めに聞いて驚いたのはもう20年くらいまえであったが、今その言葉をしみじみ振り返り味わってみると、何とも不思議な気持ちになる。自分なりに考えると当たっているのである。もちろん当時考えたことで成しえなかった目標のようなものも少なくないが、その目標をそのまま行けば結構悲惨なことになったのではと思う。逆に当時はちょっとした挫折だったかもしれないが、形を変えて本当の想いに近づいているのでは・・・と都合良い方に考えて納得したりする。夏目漱石が、若いころ建築家を志し東大の建築科を専攻しようとしたこと...人は考えた通りの人間になる・・・(2/10縄文世界を感じる時)

  • ダイエットのために散歩する・・へん?(1/10 縄文世界を感じる時③)

    コロナ禍の時期を経て体重が5kg増えてしまい運動をしなければと、夕方に大栗川を散歩。夏の夕日は北西側で、蛭ケ岳を意識して川の護岸工事をしたと言われる大栗川の景色はここ一つだ。しかし、鴨さんは元気に餌を探している。縄文時代のハイヌヴェレ型の宗教を考えているせいで、生命体について関係することに注意がいく。先日も縄文友達から福岡伸一氏の動的平衡のことについて聞かされていて、8月末に閉店まじかの本屋さんで「生物と無生物のあいだ」(講談社新書)をかなり安価に購入した。16,17年前に購入して一度読んだのだが処分してしまった本だった。「生命とは動的平衡のある流れである。」(167Pより)私は一応管理工学という外から見ると文科系なのか理科系なのかよく分からない学問(本来理科系)を大学時代専攻したので、理科系の熱力学など...ダイエットのために散歩する・・へん?(1/10縄文世界を感じる時③)

  • 想いでの奈良坂のクスノキから・・(縄文世界を感じるとき② 10/10)

    もう5年経つが、「奈良坂に行くなら、奈良豆比古神社(ならつひこじんじゃ)に行ったら・・」そんなKさんのアドバイスで、般若寺の近くの奈良豆比古神社に寄った。初めは巨木の存在を全く知らないで来たのだが、天然記念物のクスノキを見た時の感動は忘れられない。夕方近くで誰もいない巨木の周辺は普通の空気と違い、なんともいえない優しく神聖な空気に覆われていたようだ。その前年、山陰の三瓶小豆原埋没林を見て縄文小説を一部書き換えたが(2017年)、同じような縄文時代の情景をイメージできる木が目の前にあったのだ。日本人が神聖な仏像を木で作るのが主流になった理由が分かったようだった。木の文化の源流に触れたのかもしれない。大木というのは世界で昔から神聖視されている。何故なのかよくわからなかったが、M.エリアーデの本を再読していたら...想いでの奈良坂のクスノキから・・(縄文世界を感じるとき②10/10)

  • 真夏の読書は糸川英夫さん?から・・・(縄文世界を感じるとき② 9/10)

    散歩がてら近くの古本屋さんをよく利用するのだが、先日寄ったらなんと8月いっぱいで閉店とのこと。この地に引っ越ししてから20年近くお世話になった本屋さんだけになんとも残念。本が売れなくなり、コロナの影響そして物価高。厳しい時代である。ささやかな本屋さんへのお礼にでもと本を選ぶ。選んだのは糸川英夫氏の「日本創成論」(講談社1990)。先月だろうか国分寺に用事があって行ったときに早稲田実業の前に糸川英夫さんの記念碑を見たのが遠因だったかもしれない。そして、パラパラと目次を読んで買うことを決めた。第一章がナルキッソスの話(人類の歴史は自己愛の問題の歴史ともいえる)、第二章が科学者の話(ハイゼンベルクをはじめ主世界的な科学者の寄っているもの)、第三章が日本に必要な第3のポイントについて(これは哲学というか宗教という...真夏の読書は糸川英夫さん?から・・・(縄文世界を感じるとき②9/10)

  • この暑い夏にラッキーなこと (縄文世界を感じるとき② 8/10)

    この一か月はコロナの前に戻ったように、友人や知人と会食したり旅行をしたりお酒をのんだりした。そして、この世にありながら天国の気分を何度も味わったようだ。日常の中に永遠性を感じることも結構あるんだと嬉しかった。これは古今東西の哲学や宗教の中で地味に語られていることであると思うが、意外に知られていないことである。このことに関連して・・・このところ八王子市の宮田遺跡の子抱き土偶について随分時間を使ったようだ。縄文時代の土偶であるが母子像を描いた土偶(神像というべきかもしれないが)で、無償の愛というのだろか、何かこころを動かされ気になって何年もたった。発掘された宮田遺跡にも何回か足を運んだりしたが、集中して情報収集したことはなかった。そして今回資料を集めたり専門家にお聴きしたりし、この土偶は何のために作られ、どの...この暑い夏にラッキーなこと(縄文世界を感じるとき②8/10)

  • こころの自由を得るーーー今も縄文時代も (縄文世界を感じるとき② 7/10)

    厳しい時は、だれでも何かに囚われたりし、心が不自由になりがちである。そのときに間違った決断をしたり、大事な人間関係を損ねたりいろいろだ。しかし、人間にはそんな時を乗り越えるように、心の自由が得られる仕組みがある。それを上手につかったり、あるいは不思議なことに何となくその仕組みが発動したり。U先生の生き甲斐の心理学を学ぶと、フロイトの14の防衛機制(抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償)を学ぶ。この防衛機制がこころを自由にするための働きである。防衛機制というと抑圧とか補償とか反動規制・・名称の印象も一つの要因かもしれないがネガティブにとらえがち(もちろんネガティブに働くこともある)で、それを理解しうまくつかって生き甲斐を達成するなどポジティブに...こころの自由を得るーーー今も縄文時代も(縄文世界を感じるとき②7/10)

  • 夏至の休みも終わるころ・・(縄文世界を感じるとき② 6/10)

    中学2年生のときに、知人のおばさんから新約聖書をいただいた。さっそく開いて読み始めたが、マタイによる福音書のはじめは・・・「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを・・・」。なんという本だとすぐに閉じてしまったものだ。あれから60年近くたち。この6月の夏至前後は久しぶりに私の実家や妻の実家がある広島・岡山方面の旅をしたり、縄文関係も古ケルトの展示とか中南米美術館を訪れたりもした。それに合わせるように、普段は気になっていたものの読めなかった本を読んだりした。その一つが中沢新一氏の「レンマ学」。仏教の華厳の話、南方熊楠の話、フロイトやユングの話、そしてパウリやハイゼンベルクの話、数字の話・・。ちょうどU先生の「生き甲斐の心理学」の人間論というか魂論も縄文の寄稿の関係で調べていたので、熱くなって読ませていた...夏至の休みも終わるころ・・(縄文世界を感じるとき②6/10)

  • 大木に触れて・・命の連鎖をのんびり考える(縄文世界を感じるとき② 5/10)

    植物の寿命は動物の20倍とかで、5000年くらい生きる木もあるようである。そんなことを「植物はなぜ5000年も生きるのか」(鈴木英治著講談社ブルーブックス2002年)を読みつつ考えてみた。木の種類によっても寿命は違うようであるが、この多摩でよく見る杉やヒノキも数千年の寿命があり、銀杏やブナなども500年くらい生きそうである。ただ、木の場合生きている細胞の寿命は30年くらいともいわれ、すでに死んだ細胞をうまく使いながら命をつないでいるというのが実態のようである。しかし、大木を見たり触れたりするのは気持ちが良いものである。年をとってくると知人が亡くなったりし、人の命の儚さを感じるが、例えば身近で幼い頃から知っている大木がどうどうと今でも立っているのを眺めたりするとほっとする。アイデンティティは生きる上で大事だ...大木に触れて・・命の連鎖をのんびり考える(縄文世界を感じるとき②5/10)

  • forget me not (縄文世界を感じるとき② 4/10)

    記憶というのは実に不思議である。先日66年くらい忘れられず、時々思い出していた記憶の意味をやっと理解し、そしてなんと表現したらよいか、記憶の奥の奥にある何かに触れて涙を流す貴重な経験をした。そんなことがあって、忘れなぐさを見ると。中世の騎士の亡くなる直前に恋人に残した、本人が意図しなかったかもしれない、わすれな草の意味がわかったように思った。それはブルーでどこにでもあるような花なのだろう。でも奥で意外に光り輝く。全ての記憶はどこか罪のフレーバが漂う。しかしその奥にゆるしの空間が輝いていいる。しかしこの世ではブルーでしか表現できない。この領域は心理学の領域ではなく、宗教の領域というか魂の領域なのではと思う。U先生から教えていただいた魂の定義は「愛そのもので死んで身体から離れる生命体」。これはキリスト教文化圏...forgetmenot(縄文世界を感じるとき②4/10)

  • こころの支え・・今も縄文時代も (縄文世界を感じるとき② 3/10)

    人それぞれ難問を抱えているが、それを乗り越えていくにはまず心理学の用語を使うと、アイデンティティの統合が大事だということがある。難問といってもいろいろあるが、一番の難問といえば多分自分の生死の問題だと思う。名誉もお金も死という難問の前には、おそらく不安の解決からは程遠いだろう。裸一つで生まれそして一人で死んでいくのが人間だ。神仏や魂をどうとらえるか、哲学・宗教といった世界。理論だけでなく無意識を含んだ信仰の世界をどう捉えるかだ。私の生き甲斐の心理学の師であるU先生は、学生時代のアイデンティティに関わるU先生の師のイメージ療法についてDVD「元気で生きる」の21番目の「草原の大木」(YouTubeでも見られる)の中で語られている。詳しくはこのブログの左のメニューから「元気で生きる」を検索していただき見ていた...こころの支え・・今も縄文時代も(縄文世界を感じるとき②3/10)

  • 難問をどう越えて行くか・・・(縄文世界を感じるとき② 2/10)

    スーダンからの日本人の脱出の状況などが報道されると、どこか他人事ではあるけど、人の存在の危うさ、ありようにふと気が付かされたりする。我々の日常でも問題が次々にやってきて、それに対し対応していく。しかし、時にかつて宿題にしていたような問題が、突然別の形で現れ難問となり、立ちはだかってくることがある。当然だが困り果てていると、前回の「旅」の話ではないが、自分の殻というか自己概念がちょっとしたことから崩れ、新しい世界が開けることがある。こうした現象を100年くらいの歴史はないものの現代の心理学は捉え公式化している。カール・ロジャースの人格形成論などがそうだ。これは国際会議などでも使われホモサピエンス共通の非常に普遍性が高いものとされているようだが、私は気楽な小説家なのでそれを縄文時代にも当てはめて妄想してしまう...難問をどう越えて行くか・・・(縄文世界を感じるとき②2/10)

  • 旅で大事なことを見つける (縄文世界を感じるとき② 1/10)

    日常的な生活からちょっと離れる旅をしたことで、大きな気づきを得て人生が開けるという経験は多くの方が経験することのようだ。この大きな変化をもたらす旅について考えたのだが、まず、温かく迎えてくれる何かがある。それは愛とか慈愛に満ちた何か。旅の峠の茶屋とか何かそんな感じだ。さらに、旅であるので日常的な過去の悩みや将来の不安といったことを棚上げしているということもあるのだろう。もう一つ大事なことは、日常的でないということで旅にはある種の鋭い注意力が必要となる。それは、五感体感が敏感になることでもあり、普段つかわない脳の働きもあるのだと思う。これも大事。さて、先日は久しぶりに妻の退職記念もかねて山梨や信州の小旅行をしてきた。ちょうど桃の花や桜の花が見ごろのころで良い思い出となった。ところで、この小旅行は一つの妄想か...旅で大事なことを見つける(縄文世界を感じるとき②1/10)

  • 縄文人は座禅や瞑想をしたのだろうか? (縄文世界を感じるとき 10/10)

    縄文時代の住居址で敷石住居址ほど考えさせられるものはない。縄文中期の後半くらいから1000年くらいそうした住居を祖先は作るのだが、これは一体何のためであったのだろうか。いろいろな説があるが、ここひとつ説得力に欠けるように思う。ただ、何か意図があったことは心理学的に考えても確かであろう。さて、U先生の生き甲斐の心理学の勉強をしていると、よくアイデンティティの統合という専門用語が出てくる。普通、人は生きるためにある種の鎧を身に着けるものだ。しかし、大きな変化などではその鎧が自らを変化させる点で阻害要因になってしまう。個人の場合もそうだが集団でも結構同じようなことがおこる。ある技術で独占的な立場にあった企業が、その技術を根本的に凌駕するような世の流れの中で、次の技術をうまく取り入れられず倒産してしまうことは多々...縄文人は座禅や瞑想をしたのだろうか?(縄文世界を感じるとき10/10)

  • カレンダー・・今も縄文時代も(縄文世界を感じるとき 9/10)

    縄文カレンダーは小林達雄氏により提唱され、かつてはそんなものがあるのかと驚いたが、ネットで縄文カレンダーなるものを調べてみるといろいろあり感心する。これは私たち現代人が考古学などの知恵から作った縄文人のカレンダーであるが、当の縄文人はどのようなカレンダーを意識し使っていたのだろうか。狩猟採取の縄文人は農耕ではないのでカレンダーなどなくても大丈夫かのような印象があったが、実際は畑作もあるし狩猟や漁労も季節性があるので、カレンダーの重要性は私たちと変わらなかったと思う。もちろん形態は日めくりカレンダーに置き換わるある種のモノだったかもしれないし、同時代のその道に長けた専門家からくる狼煙のような合図だったかもしれない。縄文人の生活。今と違って、例えば何百種類の植物を食べるだけでなくいろいろ利用していたり、もちろ...カレンダー・・今も縄文時代も(縄文世界を感じるとき9/10)

  • 発掘現場の地層と心の地層・・ (縄文世界を感じるとき 8/10)

    私は父が土建屋であったこともあり、現場という言葉に何か心が躍るところがある。何というか魑魅魍魎も突然出没することもある緊張感ある現場。しかし何かロマンが隠れていたり、義理人情があったりも。そして、この7-8年熱中している考古学の領域の現場。発掘現場に対するあこがれがあり、移植ごてを握ってみたいとか、そんな衝動が蠢いていた。それが不思議なご縁でほんのちょっとかもしれないが実現した。まあ、若くないのにここまで体験できることは実にありがたいことである。掘るじいじ・・・「掘る女」という映画の名作があったが。そして、地層をリアルに見たりして五感で味わうことができた。地層。層というだけであってだいたい境が目視できる。そして、そこにはドラマがあるようだ。自然の力で流入した土。人工的に誰かが掘ったりした跡・・そしてつくづ...発掘現場の地層と心の地層・・(縄文世界を感じるとき8/10)

  • 柚木東の大銀杏あたり・・縄文人の行動の軌跡(7/10 縄文世界を感じる時)

    もう20年前以上になるが、八王子市に引っ越しし柚木東市民センターの近くにそびえていた大銀杏(イチョウ)を初めて見た時は驚いた、樹齢500年、昔神明社という小さな社があり、多摩ニュータウンの造成の関係で引っ越しした際、伐採されそうになったともいわれる。この大木の位置から北が高幡不動方面であるが、多摩川の支流である大栗川が流れているのが見える。100年前くらいの古い地図で見ると大栗川は正に蛇行している。きっと縄文人は蛇行から川と蛇を重ねて思い描いたと思う。南は多摩センター方面(数分やや傾斜を上り、数分歩くと松ケ谷駅)でやはり多摩川の支流の乞田川が流れている。大イチョウはちょうど丘陵の頂上付近(南斜面)にあるだ。今は住居も多く、東京のベットタウンの一翼を担いできた場所であり、この近くにあったはずの遺跡もすでに改...柚木東の大銀杏あたり・・縄文人の行動の軌跡(7/10縄文世界を感じる時)

  • 稽古やリスキリング・・縄文時代からの大切なやりかた・・(縄文世界を感じるとき 6/10)

    この数十年。マニュアル的な世界やリ・スキリングが日本でも随分広がったように思う。ファミリーレストランの標準化されたスマートなサービス。昔は何となく憧れたものだった。しかし一概に言えないかもしれないが、例えば仕事や学びを身に着けるといったとき、これを読んでね・・で終わるようなありかたは果たして良いのだろうか。昔は、背中を見て覚えよとか、先輩から盗めなどという言葉が代表するように、不親切な時代だった。そんな中で、マニュアル的な世界は親切で有難いと思ったものだ。しかし、そういった世界が開かれるなかで私は生き甲斐の心理学をU先生から学んだり、今はさらに縄文について学んでいる。写真の土器づくりも一つだが稽古やリ・スキリング、学習について考えてみた。マニュアル。ここでは一つの象徴としてお話する。決してマニュアルが悪い...稽古やリスキリング・・縄文時代からの大切なやりかた・・(縄文世界を感じるとき6/10)

  • 縄文時代を、「思考・感情・行動」の視点で観る (縄文世界を感じるとき 5/10)

    2023年になってから「生き甲斐の心理学」の勉強会を3回開催したが、加速する縄文活動?のために話題も知らずしらず縄文にのめり込むこと・・・(笑)。ところで、縄文の世界も今私たちが置かれている世界に似ていて、例えば日常の「思考・感情・行動」の流れが人生を決めていくことは同じだと思う。縄文時代の人々の思考や感情の多くは文字がなかったので殆ど分からないが、多くの行動の軌跡は遺物や遺跡の中に残されている。そして、例えばかつてノーベル平和賞の候補となった心理学者カール・ロジャース(1902~1987)の人格形成論、「19の命題」は遺伝子的には殆ど現代人と変わらない縄文人に応用してもおかしくないと思う。「19の命題」は文化の違いを乗り越える現象学を基盤とした理論であり、今では心理学の分野だけでなく、国際政治や経済など...縄文時代を、「思考・感情・行動」の視点で観る(縄文世界を感じるとき5/10)

  • 漂泊の縄文人・・・ (4/10 縄文世界を感じるとき)

    怒涛のような年末年始であった。3年間のコロナ禍で「忘年会や新年会はダメ」から解放されたためかもしれないが、身体は老年でもこころは永遠の青年といった方々からの大きな影響だった。魅力的なお話の中で出てきた資料や本はたくさんありどんどん宿題がたまっていくようで、それが有難い怒涛だったかもしれない。その中で考え続けたのは日本人の心とは何かだ・・・日本人論は高度経済成長時代からバブルがはじけるまでよく話題になったようである。①もののあはれ②穢れと禊③恥の文化④甘えの構造⑤わび・さび⑥幽玄・・・。こうしたことは最近は余り聞かなくなった。それは現代においてこうした日本文化を意識化することは当たり前になったことかもしれない。かつては海外旅行をするときだけ、あるいは海外で生活をするときだけ必要だったかもしれないが、情報社会...漂泊の縄文人・・・(4/10縄文世界を感じるとき)

  • クリスマスの抱負・・・(縄文世界を感じるとき 3/10)

    のんびりと老後は縄文小説でもと昨年までは思っていたが、今年の大きな変化でその縄文小説も大きく変更しなければと思うようになってしまった。ウクライナーロシアの戦争が意味するものは何かとても気になるようになった。私は戦争を知らない子供たちで、自分の今を考えるうえで太平洋戦争後からしか考えない癖が身についていた。さらにベルリンの壁が崩れてから、戦争は他人ごとにように何か見ていた気がする。ところが、今回の戦争は1980年代以前に時計をもどしたようだ。ものごころがついて祖父が吸っていたタバコの灰皿としての焼夷弾の蓋。小学校の頃のキューバ危機の何となく嫌な雰囲気。母の戦争嫌いとカトリックの信仰。学生時代の紛争・・・。災害とかコロナとかいろいろあったが、今回の世界的な緊張は平和ボケだった私にとっては、のんびり寝ていたとこ...クリスマスの抱負・・・(縄文世界を感じるとき3/10)

  • 冬至は希望なのだろう・・・(縄文世界を感じるとき 2/10)

    冬至を祝う。この伝統は世界各地に伝承されているようだ。日本や中国などは正月として、イスラム圏やキリスト教圏も当然祝う。太陽の光が弱まり夜が長く長くなる。朝眼が覚めてしばらくすると3時すぎになると夕焼けが東京でもまぶしく感じたりする。また、紅葉も東京でも進み景色は冬に。特に今年はコロナも3年目となり、政治も信じられないようなロシアの侵攻。さらに、国内の政治も安倍元首相の死と混乱。秋にかけては皆既月食やサッカーなど明るい話題もあったものの、何かと不安感の強い一年であったようだ。そんな12月。縄文を感じる日々が増えたようだ。知識面では生き甲斐の心理学で長年おつきあいしてきた白鳳時代の持統天皇の研究家でもあった吉野裕子さんの著書を通じて、縄文時代だけでなく日本の文化を五行陰陽説をとおして再認識できたこと。不思議な...冬至は希望なのだろう・・・(縄文世界を感じるとき2/10)

  • 古道を歩き冬至を想う (縄文世界を感じるとき 1/10)

    先日、誘われて多摩川水系・大栗川の源流に近い鑓水から古道を通り多摩境の田端遺跡あたりまで歩いた。この道あたりを縄文時代の人、弥生時代の人、戦国時代の人、江戸時代の人も歩いたと思うと何とも不思議な感じであった。今年は縄文を感じる経験をいろいろさせていただいたが(考古学の体験など)、古道をたどること(専門のガイドが必要)も立派な縄文体験の一つだとつくづく思った。次の写真は鑓水から多摩境までの風景。町田街道の古道まで経験した。さて、クリスマスも近づき、13日ごろからお正月の準備も本格化する。今年は12月22日が冬至で田端遺跡にもまた行こうかと考えている。冬至の太陽が丹沢の最高峰である蛭ケ岳(蛇のとぐろのような三角形の山頂)に落ちるのが目撃できる田端遺跡。その日に例えば私が歩いた道(あたりかな)を通って峠を越え田...古道を歩き冬至を想う(縄文世界を感じるとき1/10)

  • 縄文時代の専門家集団の人間関係と宗教 (10/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    日本の浮世絵・工芸や能などの芸術、かつての製造等の技術、漆の技術は世界に認められる分野だが、こうした専門家集団の原型はひょっとしたら縄文時代まで遡るのではと思う。縄文中期の造形美豊かな土器は有名だが縄文後期・晩期のより蓄積された専門家集団の技と思える土器や土偶なども思わず凄いと言ってしまう時も。こうした専門家集団はどのように育まれてきたのだろうか。そんなことを最近よく考える。これは今の世の中の様々な現象を見ていて気になるところでもある。良きにせよ悪きにせよかつては終身雇用とかで、人間関係は今より濃密で長期にわたっていたように思う。労働者の流動性はいい部分もないことはないが、専門技術という意味でどうなのだろうか。師が弟子に教える。姑が嫁に教える。まあいろいろあるが、その関係は決して今はやりのサービス思想では...縄文時代の専門家集団の人間関係と宗教(10/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 縄文文化人のこころの癒しの体系・・(9/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    近くの由木東市民センターの前の大イチョウが黄葉真っ盛りになるころは、いつもクリスマスや年末が近づくころで、何となくこれまでの人生を振り返ったり、これからのことに想いを馳せたりする。特に今年は何か人生の転機の年のようで、このところいろいろ想い描いている。20年以上U先生に就いて学んできた「生き甲斐の心理学」。いつの間にかNPO法人の理事として活動をしてきたが、本免許で一段落したこともあり、理事を退任し軸足を縄文の方に向けた年だった。外資系企業でのサラリーマン生活も上司・同僚に恵まれ充実していたが、そのあとの二十数年はU先生や勉強仲間に恵まれ、サラリーマン時代には考えもしなかった福祉や教育事業などの経験を沢山させていただいた。そして、6年前に論文書きの派生で創作した縄文小説が、次の新たな課題を私に与えてくれた...縄文文化人のこころの癒しの体系・・(9/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 隣の異文化が幸をもたらす・・縄文研究もそうだろうな (8/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    学校を卒業してサラリーマンになった私は、しばらくして関西に赴任してコンピュータ(価格はそれなりに高いが高度な専門知識もいらないような機種)の営業をした。今思うとその時の経験は大いに役にたったように思う。欧米で仕事をすると、オリエントの人は何を考えているか分からないというようなことを時々聞く。儒教文化の影響なのか風土の影響なのだろうかよく分からないが、特に仕事などで感情を外に表さないのが気持ちが悪いらしい。確かにオフィシャルな場合はそうかもしれない。日本人の感情の表出についてはつまらないことなので、これからは変わって行く必要もあるかもしれない。しかし、遺伝子の多様性はヨーロッパ内での多様性より勝るといわれる日本列島。ちょっと隣の文化圏が結構違ったり、仕事でも様々な業界(私は、運が良いのか官公庁、研究機関、教...隣の異文化が幸をもたらす・・縄文研究もそうだろうな(8/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 白か黒か玉虫色か・・縄文時代の論争から学ぶ (7/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    写真は一昨年に行った北海道洞爺湖に近い入江貝塚。縄文時代の実態はまだ謎に包まれているが、縄文後期初頭にポリオに罹ってから10年以上殆ど寝たきり状態だったと思われる女性の人骨が見つかった。通常は西向きに埋葬されているのに、この女性は東向きに埋葬されていたという。それは何を意味していたのだろうか。人の行動にはかならず何等かの意図があると思われるので、通常の大人が行くあの世とは違う世界。一番考えられるのは東なので生まれなおしなのだろうか。こうした発見や話題は縄文時代にも福祉思想があったのではとか、戦争のない社会だったとか、階層のない社会だったなどの諸説をムードとして押して縄文ブームの一翼を担っているように思う。その真偽は学者の方にお任せするとしても、縄文時代の宗教のあり方を考慮した縄文小説を書く立場からも眼を離...白か黒か玉虫色か・・縄文時代の論争から学ぶ(7/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 皆既月蝕の感動と縄文人 (6/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    嫌なことが多いこの世だが、先日の皆既月蝕は久しぶりに楽しい経験だった。赤い皆既月蝕の月も心に残ったが、皆既月蝕が終わって光始めた細い月も実に素敵だった。普段であれば見ることのない月の諸相を短時間で垣間見る。こんな月もあったのかとこころから感動した。人そのものは縄文時代も現代人もさほど変わってないと思うが、生活の中での月の位置づけはずいぶん違っていたと思われるので、同じ皆既月蝕を見ても縄文人は違う印象を持ったかもしれない。記紀を見ても月の神様はツキヨミ、月読みと命名されている。これは月が暦と非常に関係深いものと古代の人が認識していたことを意味するのだと思う。先日教えてもらったのだが、旧約聖書の詩編104-19にも「主は月を造って季節を定められた」とある。さらに暦というのも我々は何か数式のような理性的なものと...皆既月蝕の感動と縄文人(6/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 五感の取説・・・縄文を楽しむためにも (5/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    五感・体感は人生を豊かにするために大切であるが、自分の人生経験からしても、その取扱いはには気を付けなければならないと思う。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚が五感であるが、それだけだと何かが足りない。最近気づいたことに土器に触れるということがある。4000年前の土器に触れても、かつてはさほど感動しなかった。たぶん、私にとってそれは単なる物体だったのだろう。そして触覚は単なるセンサーであるにすぎなかった。しかし、この5-6年の間に土器づくりのまねごとをしたり、土器片を洗浄したり、接合したりするちょっとした経験をしたりして、私の知の部分が潜在意識も含め変わったのだろう。土器に触れるときの知覚が変わってきて、感動するようになってきた。自分の腑に落ちた知が五感に影響を与え、知覚が変わる。一方、私は縄文小説を書く上で一つ...五感の取説・・・縄文を楽しむためにも(5/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 感じ方は同じか・・現代人と縄文人 (4/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    のんびりと家の近くの大栗川周散策散策すると、その時々に何かを感じたりする。そんなこと五感から感情などが到来するように思ったりするが、よく考えると意識、無意識の自分のなにがしの考えが五感にまつわりついて感情が湧いていることに気づく。その考えが意識されているときは分かりやすい。賞味期限のラベルを見てから品物を見ると、期限切れだったりすると何かまずそうに感じたりするのも頷ける。しかし無意識が働いていることはわかりにくい。初対面の印象などがそれだ。それなりの印象があったりするが、その理由がなんだかわからないことも多い。そこまで考えることもないかもしれないが。さて、この2週間、縄文時代の講座の関係でずっと縄文関係の写真や資料を引っ張り返し縄文漬けになっていた。幼い頃にアラスカに1年滞在した経験があったが、その時のこ...感じ方は同じか・・現代人と縄文人(4/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • わくわくする勉強は・・・ (3/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    世の中には食べるための勉強というのもあるが、自分が本当にわくわくする勉強はどうなのだろうか。人それぞれだと思うが、私は小学生くらいから自分は何だろうかと妄想したりしたが、高校1年の時に優しかった祖父が亡くなる時に感じた何か温かい魂のイメージに興味をもつようになった。そんなことから、よくわからないものの自分の中に宿る西欧流にいうと愛そのものの魂に関することに興味をもつようになったのかもしれない。仕事という切り口では営業職、福祉、教育と後で考えると人間に関わる職種が好きだったし、学問という意味では文学、宗教、比較文化、縄文文化に関わる考古学や民族学等にも興味を持った。数学や芸術にも興味を持ったが、それも魂ということから考えると何故興味を持ったかが少し見えてくる。写真は大湯遺跡に行ったときの写真。いわゆる日時計...わくわくする勉強は・・・(3/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 知的好奇心が世界を変える・・縄文小説のすすめ!(2/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    最近、小学校の同窓会などに3年ぶりに出かけたりできるようになり、旧交を温めることも多くなったようである。古希を過ぎ世の中も何か世紀末のようで、なんとなく夢を持ちにくく、親密感を持つこともすくなく、孫の世代に何を残せるかと罪悪感が湧いたりしたが、思いがけない趣味や仕事、時間の使い方をご教授いただいたりすると、不思議に元気になるものである。「知」は前回の等価変換創造理論の青虫‐蝶の変化ではないが、自分の世界を劇的に変える力がある。希望を与え、生き甲斐を与え、時には自分の眠っていた個性を活性化させてくれたりする。私は2016年に縄文小説なるものを上梓した。実際は2013年くらいから縄文時代に興味を持っていたが、縄文小説を書く中で多くの生き甲斐を頂いたようである。自費出版で知名度もない私であったが、小説が縁でいろ...知的好奇心が世界を変える・・縄文小説のすすめ!(2/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 青虫が蝶に変わる・・個人の心や文化も劇的に変わる?(1/10 生き甲斐の心理学と縄文)

    先週、22年学んだ「生き甲斐の心理学」で節目の合宿勉強会があり、しみじみとU先生や学友との出会いに感謝するとともに、これからの縄文小説への学びの糧について思索した。さて、その一つには人生が大きく変わる時のこころの仕組みに関する事があると思う。人間は成長する過程で身体が蛇のように脱皮したり、昆虫のように完全変態することはない。しかし、心の面では全く違う人生が開かれるような大きな変化があるように思う。四面楚歌でもう駄目かと思うような時にふととか、悄然としているときに思いがけずとか、ちょっとした出会いや情報に接して、信じることをとおして何かが変わり出す。身体が変身するわけではないが、「知覚や意識」が変わり、「五感と体感」が変わり、今まで嫌でたまらなかったことが好きでたまらなくなったり、反対に親しんでいたある種の...青虫が蝶に変わる・・個人の心や文化も劇的に変わる?(1/10生き甲斐の心理学と縄文)

  • 慈眼、邪眼:きょうはちょっと持統天皇 (10/10 心理学の世界と縄文)

    縄文大好きの私であるが、この二日間は1300年前の持統天皇のことについてずっと考えていた。もともと「生き甲斐の心理学」の関係で10年間も持統天皇のことを研究していたこともある。写真は吉野。かつて持統天皇も頻繁に訪れた吉野宮の近くだ。宮廷詩人の柿本人麻呂も持統天皇を称える本当に美しい長歌を残している。持統天皇は飛鳥時代の女帝で夫の天武天皇の時代から孫の元明天皇の時代まで政治的に数々の影響力を残された。律令制の確立、藤原京造営、記紀だけでなく万葉集の編纂にも深く関与された。そして宗教についても仏教だけでなく伊勢神宮の遷宮を確立したとも言われる。これだけの偉業を成した女性天皇。それも傀儡ではなく実力者としてだ。恐らく世界的に見ても傑出した政治家だったと思う。さて、持統天皇は縄文時代研究にも関係がないとは言えない...慈眼、邪眼:きょうはちょっと持統天皇(10/10心理学の世界と縄文)

  • 縄文の宗教とオニャンコポン・・(9/10

    オニャンコポンとはアフリカのアカン族の至高神だそうで、以前U先生から教えて頂いた神様である。一度聞いたら忘れられず、古希を過ぎても覚えている。さて、人間というのは周りの文化の影響をものすごく受ける。これは私が小学生低学年のころに身をもって体験したことで、同じようなことをやっても日本では怒られ、アラスカでは褒められたりした。そして、文化は宗教の影響をものすごく受ける。極端かもしれないが文化=宗教といってもよいかもしれないと最近思っている。縄文時代を舞台にした小説を今書いているが、そんなことでどのような宗教を当時信じていたかは極めて重要である。しかも今でもそうだが宗教は時々刻々変化するものである。しかも大きく変化することもある(といっても数百年の単位だろうが)。それがうまく捉えられるか。縄文時代の宗教。土器や...縄文の宗教とオニャンコポン・・(9/10

  • 縄文時代のゆるしの神・・・(8/10 心理学の世界と縄文)

    日本にはキリスト教の十字架の贖罪のような強烈なゆるしの思想がないように感じる時があるが、よく考えてみれば「穢れと禊ぎ」といった、もう確実に文化の一部になったかたちでのゆるしの思想が存在するのだと思う。奈良のお水とり、地元でも大国魂神社のくらやみ祭りは品川で海水を取るところから始まる。伊勢神宮の五十鈴川。奈良の室生寺や長谷寺。千手観音を何故か思い出したりもする。穢れを洗い清める。もっと昔の縄文時代のゆるしはどうだったか。当然あるに違いないが、よく分からないできた。しかし縄文中期の図像に関する文献を教えて貰い読んでいると、何となく浮かんでくる。水に関する神、千手観音の原型といった神ではなかったかと妄想している。記紀が出来た7世紀のころは政治的な課題のもと神のゆるしはどうも薄弱になったように感じてならない。本来...縄文時代のゆるしの神・・・(8/10心理学の世界と縄文)

  • 情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ (7/10 心理学の世界と縄文)

    人間にとって理性は大事ではあるが、感情もそれに劣らず大事である。そして、感情・喜怒哀楽の世界と切っても切れないのが視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚といった五感。さらに五感は不思議なことに真善美の世界とも深く繋がるようだ・・・さて、その大事な五感であるが、縄文時代の文化に親しんでいる私は、豊かな縄文時代の土器に触れたり遺跡に行ったりする中で、彼らの五感の確かさに感動することが多々ある。彼らの温もりを5000年とかの時の流れを越えて感じることすらある。そんな経験の中から、私達は五感の使い方で本当に健全なのかと時々気になるようになってきた。特に、自分の五感からよりも与えられた情報を大切にしすぎているのでは、と。美術展や音楽会に行っても、絵画や楽曲より先に説明書きやプログラムに触れ、それは良いかもしれないが、過度とな...情報過多は五感の力を弱める?・・・縄文から学ぶ(7/10心理学の世界と縄文)

  • 神仏と親密になる・・今も縄文時代も (6/10 心理学の世界と縄文)

    まだ、銀杏が色づく季節ではないが、真っ黄色な銀杏を見ると、校庭の大銀杏が黄葉し美しかった高校生の時の幸せ感を思い出す。入学し、校風に触れ秋には文化祭などを堪能したりした。祖父も同じ高校に通っていたこともあり入学を喜んでくれたが、美しい秋が過ぎ冬になると老衰で亡くなった。それから卒業までの2年間は良い意味でも悪い意味でも激動の時期だった。当時は学生運動の盛んな時であり、高校でもバリケードが築かれたり、ロックアウトが長期間行われた。高校の印象はあの幸せ感から手のひら返しで、冷たい無力感となってしまった。あれから、半世紀がたつがこの出来事は、私の場合はアイデンティティの問題にも影響したようだ。その一つとし、高校に入ったころは信じていた神仏との関係が変わった。神仏(人によっては哲学)は人のバックボーンして大事なの...神仏と親密になる・・今も縄文時代も(6/10心理学の世界と縄文)

  • 親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10 心理学の世界と縄文)

    「生き甲斐の心理学」を20年くらい学んできたが、私と貴方の関係のしかたに過去の心の傷というか、そういったことが原因となり親密になりそうになると避けたりする現象を学んだ。関係は、親子、友人、男女、神仏・・・いろいろあるように思う。また、心の傷?となるような過去の出来事と背後の感情・・疑惑感、罪悪感、劣等感・・もある。年をとってからの傷は、年齢を重ねるうちに思い出して簡単に大人の解釈で、「それも自分の成長の糧になったな」などと思い返したりするが、幼いころのことは、無意識の中で残るものも多いと思う。しかし、記憶に上るものの中には無理のない範囲でのんびり自分と対話をする中で、幼いころに缶詰のように当時の解釈で固定化されイメージを解放することも出来るようであった。今思い出しているのは劣等感に関するものであるが、劣等...親密になるのを恐れるのは・・今も縄文時代も(5/10心理学の世界と縄文)

  • 天国や極楽のイメージは大事・・今も縄文時代も(4/10 心理学の世界と縄文)

    死のイメージ・・これは信じる宗教や信条、あるいは文化によってかなり違うと思う。最近の経験だがFacebookを私はやっているが、時々訃報が届くことがある。その時Facebookではイイネ、超イイネ、かなしいね、などいろいろ感情をクリックして伝えることができるが、例えば米国の方と、日本人とかを比較すると、日本では考えられないかもしれないが、米国の方は訃報に超イイネで応答する方も結構いらっしゃる。さらに、最近は自分も経験あるがペットの死ということもある。私も幼い頃から愛犬など何回か亡くしたが、一人一人捉え方が違うと思うが時には、人間以上にショックで引きずったりする。ペットと死後会えるだろうか。さて、そんな中、恩師U先生から昔紹介された、「天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド」(アンソニー・...天国や極楽のイメージは大事・・今も縄文時代も(4/10心理学の世界と縄文)

  • 美しい怒りを胸に納める・・今も縄文時代も (3/10 心理学の世界と縄文)

    「怒り」について考えている。特に神聖ともいえる怒り。私はカトリックなのであるが、美しい仏像など日本の宗教芸術を見るのが好きだ。穏やかのお顔の仏像もあるが怒る仏像もある。どこだったか奈良のお寺で曼荼羅図を見たが、その時たとえ怒りであっても、その感情の裏には神聖なものがあるように思った。純粋な怒りは美しいのではないだろうか。表面的な体裁を繕った言い訳がましい怒りなど、私を含めた凡人にある怒りと一線を画した怒り。魂(欧米では愛想のもので死ぬと身体から離れる生命体というような定義が多い)の怒りともいえるような。また、怒りの中には何とも言えぬ自己愛の臭いがするような不健全な怒りもある。今の用の中、どうも美しい怒りが何か隠れてしまい、どうも変な怒りが横行するようにも感じる。アンガーマネジメントという言葉があるが、どこ...美しい怒りを胸に納める・・今も縄文時代も(3/10心理学の世界と縄文)

  • 危機を面白おかしく乗り越える・・今も縄文時代も (2/10 心理学の世界と縄文)

    若い頃の写真だが、当時「カタストロフィーの理論」が流行ったことを思い出した。今の社会もそうだが、或日突然に何かが起こり危機がやってくる。それを数学的に研究したものであるが、その難しい理論はともかく、危機とは何かと考えることは大事なことだったと思う。社会の問題も人間の問題に似ているところがあるが、ある種の大きな問題に対して目をつぶることから始まる。自分の頭で考えない。雰囲気で流される。そして或日大変なこと(決壊と仮に呼ぼう)が起こってくる。話を人間に絞ってみよう。自分の人生を考えると、決壊?の一歩手前で気がついて助かったこともあるし、決壊が始まりかけて気がついたこともある。まあ、何とか生き抜いてきたのは、どのような知恵や働きがあったのだろうか。写真のような青春時代は、のんびりと夏休みを沢山の従兄弟と楽しみな...危機を面白おかしく乗り越える・・今も縄文時代も(2/10心理学の世界と縄文)

  • 問題に振り回されない・・今も縄文時代も (1/10 心理学の世界と縄文)

    毎日様々な問題が持ち上がる。特に最近は気象や疫病、物価、政治など身近な問題が頻発し、その影響もあってストレス(理想と現実のギャップ)にまみれる日もある。そんな中、いろいろな問題とどう取り組み、かつ心の健全性を保つかは重要な問題だと思う。まず、どう取り組むかだが、自分の背骨にあたる基本的な考え方(アイデンティティ)が重要で、しっかりしていればブレず、また枝葉末節な問題から逃れることもできる。これは①何のために生きているか②生き甲斐は何か③自分の身体、心(生育史)、魂(宗教の領域)を大切にしているか。という問いかけの三つと関係があるようだ。のんきに妄想するなと言われそうだが、忙しい(心を亡くすが忙しい)時ほど重要な気がする。特に今の時代は変に科学尊重の時代で宗教など時代遅れといった風潮があるが、私はそれはどう...問題に振り回されない・・今も縄文時代も(1/10心理学の世界と縄文)

  • 初恋と個性・・今も縄文時代も (10/10 縄文を五感で探る)

    生き甲斐の心理学を学び愛の原型を学ぶ。愛の原型は良いにしろ悪いにせよ人生に大いに影響をあた得ることは確かなようだ。愛の原型の経験は身近な家族とのやりとりであったり、時には自然や神仏といったものだったりいろいろだが、初恋の経験はちょっと特別な何かなのではないかと思う。つらつら独断と偏見で考えると、初恋の人は私は小学生から中校生くらいの時期で、対象は一人とは限らないようだ。そして、その大きな特徴は人生全般に影響するような<直感的な何か>を含む経験だったように最近になって思うようになってきた。年をとることで過去の経験がより客観的・肯定的に捉えられるようになるということと関係しているのかもしれない。初恋も人と人との関わりが基本であるので、楽しい部分もあるが苦々しい部分もある。そうした年をとってから複雑な湧き起こる...初恋と個性・・今も縄文時代も(10/10縄文を五感で探る)

  • 縄文時代の敷石住居の意味は? (9/10 縄文を五感で探る)

    縄文時代の展示でよく見られる柄鏡形敷石住居。縄文中期の後半から後期の前半ごろまでの1000年間くらい見られる現象とも言える。配石遺構などまで考えると、もっと長い期間の現象かもしれない。何故、このよ住居を列島の祖先達は作ってきたのか。これに対していろいろな説があるが、未だに納得できる回答は見つからない。さて、私は学生時代に実験心理学の卒論を書いたり、この20年くらい前からU先生に習い、比較宗教学や比較文化論のベースがある臨床心理学系の勉強をしてきた。その中でいろいろ役に立つ理論を学んだが、カール・ロジャースの心理学は有名な来談者中心のカウンセリングとして広く知られているが、現象学的なアプローチをとり心理学以外の分野にも影響を与えたとされる「パースナリティ理論の19の命題」はとても役にたっている。たった19の...縄文時代の敷石住居の意味は?(9/10縄文を五感で探る)

  • 縄文の旅の楽しみ「道の駅」やスーパー (8/10 縄文を五感で楽しむ)

    縄文の旅では「道の駅」やスーパーには必ず寄ることにしている。今回も広島県の帝釈峡遺跡群の南に位置する広島県の世羅町の「道の駅」に。地元でも人気の道の駅で、第二駐車場があり、昼過ぎに行くと売り切れが続出ということで午前中に行った。コメが湧水をつかっているのか美味しいとのこと、また卵も絶品とのこと。確かにコメと卵関係は沢山積んであり売れていることがよくわかる。世羅のコメを炊いて卵かけご飯を食べるなど・・・。私は、セラバーガーと世羅コーヒーも昼食用に購入。後で縄文の旅で食べさせていただいたがなかなか美味しかった。そのほか、猪や鹿肉(ペット用の肉まで)、アライグマだったかの皮製品なども売られていて何かタイムスリップしたよう。このほか地元で食べられている野菜、豆、キノコ・・これも地方地方特色があって見るだけで楽しい...縄文の旅の楽しみ「道の駅」やスーパー(8/10縄文を五感で楽しむ)

  • 人間嫌いの縄文人?きっと人間好き (7/10 縄文を五感で探る)

    50年ぶりに広島県の帝釈峡に行った。50年前は友人とキャンプを楽しむためだったが、今回は帝釈峡遺跡群を学ぶために現地の庄原市歴史博物館である時悠館を友人と見学するためだった。時の移り変わりと人生の不思議さを味わった。50年前の私は「これから」という可能性に燃えた若者だったが何となく人間嫌い。今は年をとったので「そろそろ」というように先が見えているが、こころは結構自由であり人間嫌いではない。さて、写真は時悠館のそばで撮った桔梗。桔梗の花は自宅のベランダでも咲いているが自然に溶け込んだ帝釈峡の桔梗は格別に美しかった。また時悠館で見た五弁(五つの突起)の縄文後期の土器を見たばかりでもあり、この桔梗はしっかりと記憶に焼き付いてしまった(とは言え今は忘れるが)。縄文人も桔梗を愛し五弁の土器を作ったのだろうか?ネット...人間嫌いの縄文人?きっと人間好き(7/10縄文を五感で探る)

  • 縄文が生き甲斐になるとき?五感をとおして何かが・・(6/10 縄文を五感で探る)

    写真は何処にでもありそうな東京の郊外の公園。しかし縄文時代に嵌まりこの公園周辺に遺跡があることを知り、さらに発掘調査報告書を読んでからは、以前と全く違うように感じるようになった。公園には犬の散歩をする男性。近くの花壇の世話をするご婦人・・・いろいろな方が通り過ぎるが、今ここの風景だけでなく、例えば10,000年前ご先祖さまが家族で竪穴住居で食事をしていたり、3500年前の縄文後期人がトーテムポールを作っていたり、高台から南西の山の端にちょこっと顔を出している蛭ヶ岳に感動する人々、そんなことをふと妄想するようになった。人が、毛虫から蝶のように大きく変身するのは、五感体感で何かを知覚してからだと思う。それは表面的な身体や生育史のレベルではなく、こころの奥の魂で感じた時。普段はいきるための鎧で覆われている奥の奥...縄文が生き甲斐になるとき?五感をとおして何かが・・(6/10縄文を五感で探る)

  • 男性、女性を直視する縄文時代の宗教とは? (5/10 縄文を五感で探る)

    私が縄文時代にのめり込んだきっかけの一つは、多摩境の田端環状積石遺構(ストーンサークルとして有名)の見学会に行ったことであるが、縄文晩期まで700年使われたその遺構には縄文中期のものと思われる石棒(男性の象徴とも言える)の破片や土偶(女性を象徴)があったりした。それからずっと縄文の宗教祭儀に興味を持ち情報収集してきたが、例えば調布市の縄文晩期の下布田遺跡にも中期や後期の石棒だけでなく石皿、凹み石(女性の象徴とも思える)も祭儀に使われている。こうしたことから単純化をゆるしていただくとすれば、縄文時代の宗教の底に性のイメージが深く関わっていると考えてもよさそうである。石棒の出現は前期まで遡れそうなので、それは2000年とか3000年続くようなのである(石棒や後期の石刀は違うなど細かい議論はあると思うが)。とこ...男性、女性を直視する縄文時代の宗教とは?(5/10縄文を五感で探る)

  • 真善美が広げてくれる自由な世界・・今も縄文も (4/10 縄文を五感で探る)

    人は生涯を通して「思い込み」と共に暮らす存在のようだ。私が「生き甲斐の心理学」を学ぶようになったのも、6歳の時のある事件とその解釈(思い込み)と関係があるように今となっては考えるのだが、その時の「思い込み」は何と50年たってから解放された。これは一つの事例だが、多分私はまだ多くの「思い込み」を持ち、生涯を終えるに違いない。さて、最近私は大栗川の下流域(聖蹟桜ヶ丘周辺)を良く散歩するようになった。この下流域に私は40年前ごろから20年近く暮らしていた。しかし、当時は縄文時代に興味は殆どなく、大栗川の下流域も交通公園や市民プールで楽しんだりするくらいだった。ところで、この20年くらいだが、東京の下町の川の歴史の面白さに気が付き、ある時隅田川で水上バスを楽しんだ。その時私は不思議な感覚を持った。例えば勝鬨橋であ...真善美が広げてくれる自由な世界・・今も縄文も(4/10縄文を五感で探る)

  • 座禅をしていた縄文人がいたか・・柔軟に変化をする(3/10 五感で縄文を探る)

    U先生の「生き甲斐の心理学」を学んで20年くらい経つが、U先生のご紹介もあって10年位前から太極拳・気功をA先生から学んでいる。私は身体を動かすことは幼い頃は好きだったが、時々思いついたように1年くらい、ジョギングにこったりすることはあっても、大人になってからは全く続かなかった。しかし、太極拳・気功はA先生のご指導のすばらしさもあり、ずっと続けることができている。続けられたのは、体調がよくなったとか、楽しい時間とかいくつの理由があるが、もう一つ大事なことがあることに気づいた。それは自分の身体性の不思議な世界に触れられるということだ。昔、友達と有名なお寺で短時間であったが座禅を体験させていただいたことがあった。その時の自分の内部に沈潜する体験にも似ているように思う。呼吸を整える事もあるのだと思うが、朝から晩...座禅をしていた縄文人がいたか・・柔軟に変化をする(3/10五感で縄文を探る)

  • 縄文人の愛のイメージ・・(2/10 五感で縄文を探る)

    比較文化論や比較宗教学の影響を受けたU先生の「生き甲斐の心理学」の愛の定義は(その人が心の中で愛を感じたものを愛とする)である。「生き甲斐の心理学」は臨床心理系でもあるので当然の定義だと思うが、アガペーとか慈愛など定義や意味をを学んだことがあったので、なにか拍子抜けのところがあった。しかし、いくら高邁な定義であったとしてもその人がなにも感じなければ論外なので、この定義は価値あるものと納得している。さて、人それぞれが自分が思っている愛。それは生育史上の愛の原型(幼児期や少年少女期などで作られる)から導かれるような愛であるが、ここでは愛のイメージと呼んでみよう。勿論、定義から、それは人それぞれ異なるということがわかる。例えば、私が幼いころは野球が流行っていて、父と時々楽しいキャッチボールをし、またラジオやテレ...縄文人の愛のイメージ・・(2/10五感で縄文を探る)

  • 他者との違いを楽しむ縄文の世界(1/10 縄文を五感で探る)

    人を愛し愛されるノウハウは個人の幼い頃の生育史に縛られやすい傾向があるので、自分だけでなく他者の世界を柔軟に知れば、だいぶ世界は広がり心の世界は豊かになると思う。大事な人とのかかわりあいで、意見の相違など「違い」とどう付き合って行くかが大事なようだ。普通は「違い」に遭遇すると愛の孤独を感じ、心を開くというより閉じる方向に行きやすい。つまり防衛機制を働かせ自他肯定のスタンスが崩れやすい。このときにうまく間をとったりしながら傾聴モードに切り替えて、相手の愛の原型を探ったり、こちらの愛の原型に関する思いを語ったり出来ると良いのだが。とはいえ、なかなかそうはいかない。好転する時を待つことも大事だと思う。その時に、日常生活を五感体感でイキイキと真善美に触れつつ過ごすということがとても大事な気がする。今の世の中はマス...他者との違いを楽しむ縄文の世界(1/10縄文を五感で探る)

  • 希望は最後の切り札・・今も縄文時代も (10/10 五感と縄文)

    先日の旅ほど素敵な縄文時代の文化に親しんだことはなかった。国宝級の土器や土偶、石棒などを博物館で楽しませていただいたが、東京ではなかなか味わえない、縄文の雰囲気の溢れる遺跡公園や景観を五感で味合わせていただいたことは至福の時だった。津南町の石落とし縄文時代は氷河期のころまで遡れるが、その一万年以上の縄文時代は私たちの列島の祖先に様々な災難をもたらせたのだと思う。その中にあって、すべての縄文人は生きそして死に私たちに命のバトンタッチをしてくれたのだと思う。そして、その遺物をじっくり見たりしていると、今この近くに縄文人が現存するようなリアルさを感じてしまう。人間は、死に対して実に無力である。身体は簡単に滅んでしまう。しかし、祖先たちは死に対しても絶望せず希望を持ち続けた。今回の旅では夥しい数の土器(氷河期のこ...希望は最後の切り札・・今も縄文時代も(10/10五感と縄文)

  • 愛の原型を意識すると愛の多様性に気がつく・・今も縄文時代も (五感と縄文)

    一家団欒で家でご馳走を食べるのと、一家で外食を楽しむのとどちらが嬉しいか?私は外食も勿論好きだが、父の影響か家でご馳走を食べるほうだった。ところが妻は外食が特にお好きのようだった。他者との愛し愛される幼い頃の経験は原型となって、その人の人生を左右するという理論がある。それを踏襲すると、私のそれは家でご馳走を皆で楽しむという愛の原型があるようだし、妻の場合はどうも外食を家族で楽しむという原型があるようだった。この場合、愛の原型のことを知らないと、夫婦間のちょっとした深層意識のずれは、微妙な問題になったりする。外食に愛を感じる人は家でのご馳走はここ一つ喜べないし、場合によれば煩わしくは感じるかも知れない。人それぞれの愛の原型を意識すると、例えば私が外食は良いものだと思うようになり(教育されたのかもしれないが)...愛の原型を意識すると愛の多様性に気がつく・・今も縄文時代も(五感と縄文)

  • コツコツと旅する人生・・今も縄文時代も (8/10 五感と縄文)

    縄文小説を書くために最近学生時代に読んだ「悲しき熱帯」を納戸の書棚から引っ張り出して、それこそ40~50年ぶりに読んだ。昔読んだ本は、良かったとかつまらなかったという感想の記憶は微かに残っているものの、内容はすっかり忘れているのもおかしい(笑)。そして、ところとどころ読み直すともう一つ気づくことがある。かつては抵抗なく読め好印象だったのに、今読むと抵抗感を感じたり、印象がかなり変わってしまっていたり。その一番の原因は、自分の哲学というかアイデンティティがいつのまにか変わったこと、現実吟味力も学生のそれと違っていること、防衛機制の使い方も変化しているということかもしれない。心理学の用語ではわかりにくいかもしれない。平たく言えば個人が成長したとか、年輪を積んだとか、個性的になったとか、そういう領域のことなのだ...コツコツと旅する人生・・今も縄文時代も(8/10五感と縄文)

  • 五感の癒やしのショッピングモール・祭りで元気に・・今も縄文時代も(7/10 五感と縄文)

    先日、府中に久しぶりに行った。府中と言えば五月の連休の時の「くらやみ祭り」だ。コロナで久しく行われていないようだが、大国魂神社と府中の森博物館を見学し「くらやみ祭り」を思い出し考えさせられた。さて、U先生の生き甲斐の心理学を20年以上学ぶことで心の健康についていろいろ学ばせていただいたが、その中の最大のものは「解釈が変わると世界が変わる」ということであった。誰でも、思い出したくもない幼い頃のことがあったりする。確かに過去の出来事があり、それが心の傷となることがある。その出来事が、自分でも気づかないうちに、無意識的に日常の出来事に重なりネガティブな影響を与えているようなのだ。それは、出来事自体の問題で変わらないものと思いがちだが、実は出来事の解釈の仕方に問題があり、解釈が変わることでオセロゲームで黒が白に変...五感の癒やしのショッピングモール・祭りで元気に・・今も縄文時代も(7/10五感と縄文)

  • 「好き」を大事にして暮らす・・今も縄文時代も (6/10 五感と縄文)

    大栗川が多摩川に合流する地点に久しぶりに行った。聖跡桜ヶ丘の駅からずっと川沿いの道を東に歩くと到達する。そばには交通公園があったり、バードウォッチング用の施設があったりする。右手(南)の大栗川の向こう岸は崖となっていて、その上には先日訪れた向ヶ岡遺跡などがある。左手(北)の多摩川の向岸は府中市の中河原。ずっと奥には大國霊神社や昔の武蔵国の中心地がある。この場所は好きな場所で、多摩に住むようになってから良く自転車で行ったものだ。昔は市営プールも近くにあり夏になると頻繁に子供とも行ったものだ。その後引っ越しして八王子市に住むようになり縁が遠くなったが、近くまで来ることは何回かあったものの、じっくり味わうのは久しぶり(20年くらい?)で、時の移り変わりを実感した。この年になると時間が経つのが早く感じられ浦島太郎...「好き」を大事にして暮らす・・今も縄文時代も(6/10五感と縄文)

  • 沈黙は金、雄弁は銀の意味・・・今も縄文時代も (5/10 五感と縄文)

    私の縄文小説の原点は7歳の時にアラスカで見たトーテムポールだったかもしれない。両親と妹とシトカの公園を散策していたときに、そびえ立つような古くて塗料が剥がれているトーテムポールの前で一人佇んでいた。恐らく数分のことだったと思うが、静寂の中で見る不思議な造形物は恐ろしい仁王様のようではなく、やさしく微笑んでいるようで、そこでうっとりと包まれるような感覚であった。やがて母が遠くから私を呼んでその場を離れたのだが、その時の不思議な心地よさはなんだったのだろうか。(船内1958年)静寂の中で恐怖を感じるのではなく、優しいまなざしを感じる。これはトーテム信仰とか何とかと言う前に、魂というか信仰というか、人間が長い間に培ってきた世界の把握の仕方の一つの現象なのだと思う。静寂の中で優しいまなざしを感じる体験は、それから...沈黙は金、雄弁は銀の意味・・・今も縄文時代も(5/10五感と縄文)

  • お引越し‥今も縄文時代も自立心 (4/10 五感と縄文)

    私は自慢ではないが若いときは沢山引っ越しをしたほうだ。10回を軽く超えている。ただ、有難いことに年をとってからは落ち着いて縄文遺跡が身近な土地に20年以上住み着いている。ところで縄文時代。私たちが歴史で学んだのは主に弥生時代からで三千年くらいの歴史だが、縄文時代は軽く一万年であり、私たちの祖先が生きた時代であることは間違いないが、その時代のことは殆ど知られていない。今でこそマスメディアで頻繁に取り上げられるようになり、科学技術や発掘の成果でいろいろなことが分かるようになってきたが、それでも有史時代と比べると格段に分かっていないことが多い。その一つに、よく取り上げられる5500年くらい前から4500年ころまで続いた縄文時代の最盛期(環状集落や火炎式土器、水煙紋土器など)とも言われている縄文中期。その中期が終...お引越し‥今も縄文時代も自立心(4/10五感と縄文)

  • 人に言えない秘密を解放する、今も縄文時代も (3/10 五感と縄文)

    コロナ禍で久しく映画を観てなかったが、誘われて映画館に行き伊能忠敬の死を題材にした「大河への道」を鑑賞した。なかなか良い映画で満足し、終わってから運動不足もあったので、のんびり大栗川沿いに歩いて家路についた。途中No.72や446の縄文時代の大遺跡のそばを通ったが、不思議なことに一匹のアオサギが私に沿うように少し飛んではまた休んだりし、何か私と心を通わようとしているようだった。映画は人の死に関する大きな秘密保持を題材にしていたが、私たちの日常も人にはあまり言いたくない小さな秘密を持つことは多い。年をとると知人の死に心を痛めることが若い頃と比べると各段に多くなる。私の年代だと同世代の死も増えてくるようで、身近になった死は結構こたえるものである。昔と違い葬儀も家族葬が中心で、さらにこのコロナ禍で輪をかけて簡略...人に言えない秘密を解放する、今も縄文時代も(3/10五感と縄文)

  • 縄文人の観ていたもの・・見えるものと観えるもの(2/10 五感と縄文)

    昨日6月5日はキリスト教(カトリック)の聖霊降臨の主日であった。殆どの日本人は三位一体と言う言葉は知っていてもその一つの聖霊については殆ど知らないようだ。しかし、聖霊は少なくとも私にとっては人生を変えるほど重要な存在であり5年前に縄文小説を上梓するときに、プロローグで書かせていただいたように縄文小説を書くきっかけにもなっている。さて、今日は縄文人が当時実際に観ていた世界についていろいろ考えている。視覚を通じて見ていたものはいろいろな方法で類推できるものがある。例えば空の天体についてはかなり分かる。5000年前の夜空をシミュレーションできるので、当時の夜空を眺めることすらできる。殆どの星座や惑星の配置は余り変わらないが歳差運動により北極星がトゥバンに変ったり北斗七星が時計のように回ったりも。そして、今のよう...縄文人の観ていたもの・・見えるものと観えるもの(2/10五感と縄文)

  • 縄文遺跡をゾウさんで発見できるか?(1/10 五感と縄文)

    梅雨も近くなり雨が降ることも多くなった。先週も旅行の朝は土砂降りだった。そんな中でも、私は少し変で雨の臭いを意識して嗅ぐ。以前ブログに書いたと思うが、幼い頃のことを瞬間的に思い出し、何か心が自由に軽くなるからだ。もちろん、雨の臭いはバラの香りのように、それ自体が香しいわけではない。湿気を含んだ雑多な臭い。しかし、それでも私には不思議なプラスの効果をもたらす。小学生のように傘を飛行機に見立てて小走りしたくなるような。調べてみると人間の嗅覚は動物の中では余り良いほうではないらしい。犬の嗅覚は有名で誰でも知っているようだが、猪や豚も嗅覚は犬と同じくらい鋭いようだ。先日も、動物映画の中で土の中にいる昆虫を見つけることができることを知った。なお動物の中では一番嗅覚が鋭いのはゾウらしい。先日多摩動物公園ではゾウは見学...縄文遺跡をゾウさんで発見できるか?(1/10五感と縄文)

  • 縄文時代の取材・小旅行 (10/10 五感と喜怒哀楽 )

    縄文時代の話となると、現代との相違点に話題が集まりがちだが、10,000年以上の列島の縄文時代は確かに多様ではあるが共通点も沢山ある。共通点の一つは現代人と同じような認知機能を持つ縄文人の存在。かつては進歩史観のような見方で原始的な人間等のイメージを私ももっていたが、脳科学やDNA等の科学の進歩で、文化の性格が違っていても人間そのものは同じと考えて差し支えないようだ。周りの愛に育まれ厳しい世界を生き抜き、そして身体は死んでいく人生。何の為に生きるのかを問い続けることは縄文時代も今も変わらないのだろう。それから、自然をはじめとする環境も共通点が多い。10,000年以上つづく縄文時代なので、気候も16,000年前の草創期などは氷河期。そして、縄文前期の7000年前ころは逆に2-3度高く、縄文海進のピークであったよう...縄文時代の取材・小旅行(10/10五感と喜怒哀楽)

  • 夜空を読む縄文人・・知覚も変わり喜怒哀楽も変わる (9/10 五感と喜怒哀楽)

    日本の環状列石/ストーンサークルの研究から、冬至や春分などにそこに集まって祭儀をしていたということが分かってきた。そのこともあるのだろう、冬至の日になると例えば田端環状積石遺跡にはたくさんの人が集まる。冬至が何日かを確かめ時計を見つつカメラを持ってなどして出かける。しかし、縄文時代の人々は、当然気の利いたカレンダーもなければ時計もなかったろう。どうして皆で集まり祭儀をしていたのだろうか?直ぐに太陽信仰とか祖先崇拝といったふうに私も含めて分かったようなことを言う人が多いが、もっとも基本的なこと。どのように集まったかについて、彼らのカレンダーがどうだったのか、どのように重要な集まりについて意思疎通していたのか殆ど話題にもならない。しかしこうした基本的なことに思いを馳せずして、縄文人の宗教などについて語れるのだろうか...夜空を読む縄文人・・知覚も変わり喜怒哀楽も変わる(9/10五感と喜怒哀楽)

  • 夜空を読む縄文人・・知覚も変わり喜怒哀楽も変わる (9/10 五感と喜怒哀楽)

    日本の環状列石/ストーンサークルの研究から、冬至や春分などにそこに集まって祭儀をしていたということが分かってきた。そのこともあるのだろう、冬至の日になると例えば田端環状積石遺跡にはたくさんの人が集まる。冬至が何日かを確かめ時計を見つつカメラを持ってなどして出かける。しかし、縄文時代の人々は、当然気の利いたカレンダーもなければ時計もなかったろう。どうして皆で集まり祭儀をしていたのだろうか?直ぐに太陽信仰とか祖先崇拝といったふうに私も含めて分かったようなことを言う人が多いが、もっとも基本的なこと。どのように集まったかについて、彼らのカレンダーがどうだったのか、どのように重要な集まりについて意思疎通していたのか殆ど話題にもならない。しかしこうした基本的なことに思いを馳せずして、縄文人の宗教などについて語れるのだろうか...夜空を読む縄文人・・知覚も変わり喜怒哀楽も変わる(9/10五感と喜怒哀楽)

  • 自分のアキレス腱を意識し偉そうに生きる (8/10 五感と喜怒哀楽)

    一日に一回、自分の心の流れを意識するのは自分の傾向を知り対策をとる上で大事なようだ。こころの流れ、何があって何をして・・どういう風に思ったり感じたりしたか。特に感じたところが大事か?河の流れのように、喜怒哀楽が激しくとも変に滞留することなく流れているのは良いが、何かに固執し始め、時にはそれをで泥沼にに陥いっていく。生き甲斐の心理学を学び、その原因のいくつかは解決できたものの、アキレス腱のようにある知覚が作動し始めると危なくなることに気づいてきた。皆様は如何だろうか。不信感、疑惑・恥辱、罪悪感、劣等感、・・・まずは危ない感情を知るところから。こうしたときの自分の行動のパターン、五感・体感を意識してみると、原因は分からなくても(多分無意識の問題)自分のアキレス腱(としての感情の種類)が分かってくる。これは大事なとこ...自分のアキレス腱を意識し偉そうに生きる(8/10五感と喜怒哀楽)

  • 五感で魂を感じる時 (7/10 五感と喜怒哀楽)

    美しいものを観て、美しいと感じるのは何故だろうか。昨日も矢車草のブルーの花を見ながらそう思った。これは哲学的なテーマなようで、自分の肉体を越えた魂とか神仏とか、そういう存在を予感させるテーマでもある。人間が単なる物理的な有機物から成り立つのはわかるが、それだけに終わらず、生育史からなる心をもった存在。さらに魂(伝統的な魂の定義の一つとして、愛そのものであり死んで身体から離脱する生命体がある)を持った存在とされる方も少なくない。昨日は久しぶりに娘の家で10年以上飼い続けているワンちゃんにあい、昔は結構あつかいにくかったが、今は老犬となって静かに成されるままというワンちゃんを抱かせてもらった。その温もりを感じつつ、手足の肉球の手触りを感じつつ魂を感じたようである。同じ地球に住む生命に肉体以上の何かを感じるのは不思議...五感で魂を感じる時(7/10五感と喜怒哀楽)

  • ことばの起源を考えながら五感の世界を考える (6/10 五感と喜怒哀楽)

    2017年に縄文小説第一作を書いたときもそうだったが、縄文時代の事ばっかり調べて思索していると、ワームホールを抜けたように数学や物理学、あるいは語学の世界など一見関係のない世界に飛び込むことがある。創造力と五感は切ってもきれない関係があるが、特に視覚と聴覚はことばや文字を媒介して多彩な世界をもたらすようだ。面白おかしい真善美の世界ももたらすが、どうしようもない反対の世界ももたらす。私にとって面白おかしい真善美の世界とは、自己肯定だけでなく他者肯定をも含む世界で、何となく感謝の気持ちが湧く世界だ。自他肯定の傲慢でもなく卑屈でも無い状態をつくるのは結構難しい。少なくとも意識していないと人はすぐ傲慢になったり卑屈になったりする。自戒を込めて思う。そして、自他肯定の世界は自然治癒力を増加させ、危機管理能力を高める。これ...ことばの起源を考えながら五感の世界を考える(6/10五感と喜怒哀楽)

  • 匂いが分からなくなるマスク生活。雨の匂いが世界を変える?(4/10 五感と喜怒哀楽)

    五感の中で嗅覚だけが直接大脳辺縁系に入るという。視覚も聴覚も最初は大脳皮質。このため嗅覚にはプルースト効果というか、過去の思い出を突然思い出したりする特別ない性格があるようだ。幼いころの実家の裏庭には沈丁花、ドクダミ・・匂いが忘れられない花が咲いていたものだ。それから、今日もそうだったが雨の匂いといった環境を知らせる匂いもある。雨の日は小学校の登下校の時に傘をさすが、それが飛行機の操縦桿のようで、傘をさして妄想して小走りするのが好きだった。なので、雨の日は本来不自由なのだが、どこか楽しいイメージが私の中にはある。以上は私の場合だが、皆様も同じような匂いへの拘りというか過去を呼び覚ます匂いがあるのだと思う。そして、難しい課題の中で過去や未来にこころが奪われているときに、ふと思いがけず今ここの匂いで違う気分になれる...匂いが分からなくなるマスク生活。雨の匂いが世界を変える?(4/10五感と喜怒哀楽)

  • 立夏に上野に眼の保養に・・・美術館や博物館で観る (4/10 五感と喜怒哀楽)

    ホモサピエンスの視覚は他の動植物と比較すると決して優れたものではない。ミツバチのように4原色を感知できず3原色しかできないのは、哺乳類として長い期間夜の生活をしすぎたのかもしれない。脊椎動物としても本来あった頭頂眼も退化し、カナヘビやヤツメウナギのように三つめの眼があるわけではない。まあ、松果体としてホルモンを司る機能は残っているけど。しかし、この視覚。現代においては科学技術のお陰で、デジタル化の恩恵もたくさんあり視覚によって、表面的には多くの恩恵を受けているようだ。視覚で美しい数式を見たり、古典を読んだり、そして絵画や彫刻の美に触れたり、はたまた何千前の祖先の芸術に触れる。そんなことを考えていたら、この連休に急に上野に行きたくなった。「生き甲斐の心理学」をU先生から学ぶようになってからは、美術館や博物館ではな...立夏に上野に眼の保養に・・・美術館や博物館で観る(4/10五感と喜怒哀楽)

  • 文字のない縄文時代、さらに言葉のない時代へ (3/10 五感と喜怒哀楽)

    縄文小説を2017年に書いてから文字や言葉についてさらに関心を持つようになった。勿論20年前に「生き甲斐の心理学」を学び初めてから、言語療法としてのカウンセリングも学んできているので、それなりに関心はあった。縄文時代は無文字文化である。私達は文字を持つことで持たない文化より進歩したと学んで来たように思う。しかし中島敦の文字禍を読んだりしてから、人にとって文字を持つことには良い面もあるが悪い面もあったことを確信した。さらに、最近はアイヌの女性が、本音で言葉を使うと悪い神様が悪さをする・・といったようなテレビで発言をされていたことを契機に、言葉のもつ危うさについても気になるようになった。昨日は奥多摩に仲間達と散策をした。都会の喧噪も静かなバックグラウンドミュージックもない空間。知人と小鳥さえ鳴かないのかしらと話し合...文字のない縄文時代、さらに言葉のない時代へ(3/10五感と喜怒哀楽)

  • はじまりはじまりの五月 (2/10 五感と喜怒哀楽)

    昨日はNPOの総会で長年務めた理事を正式に退任するっことになった。「生き甲斐の心理学」の講師活動はこれからも続けるので大きな変化ではないかもしれないが、「縄文」に軸足を移し新たな人生のフェーズに移ったように思う。今までのご厚情、ご支援に深く感謝するとともに、これからも世のため人のためになる活動に結びつけたい。さて、花粉症になってから、五月の連休は特別な意味を持つようになってきた。毎年連休が始まる頃に檜の花粉も収まり、晴れて春を楽しめる季節になるのだ。新しい始まりを実感するのがこの五月、ゴールデンウィーク。この時期は自分の中の心の奥で何かが発芽するようだ。「生き甲斐の心理学」や「縄文小説」は大木のようであるが、裏の部分で何かがうずうずして好奇心とともに発芽する。「宇宙や自然科学」への関心。音楽や言語への関心。神仏...はじまりはじまりの五月(2/10五感と喜怒哀楽)

  • 小旅行で感情の流れをつくり面白おかしく・・(1/10 五感と喜怒哀楽)

    群馬に縄文・小旅行をしてきたが、そのお陰で人生が面白い方向に展開し始めたようだ。生き甲斐の心理学を学ぶと感情に関心を持つようになる。感情はあることに関するスポット的なものもあるが、一日の感情の流れといった把握の仕方もある。今回は流れに焦点を当てよう。一日の感情の流れを一日に一回意識するようにすると、たとえば、一日が何となくパターン化しいつも怒っていたり悲しんでいたりと感情の流れがマンネリ化していたり、滞っていることに気づいたりする。私も反省すると、この半年間どういうわけかいつのまにかダラダラと過ごすようになっていたようだ。そこで、連休前に群馬県に小旅行をした。群馬県立歴史博物館、茅野(かやの)遺跡周辺、埋蔵文化財センター見学、安中市周辺探索。オンラインでも知的好奇心は満たされたりするが、限定された視覚、聴覚の世...小旅行で感情の流れをつくり面白おかしく・・(1/10五感と喜怒哀楽)

  • 自分の怒りとの付き愛かた・・(10/10 感情と付き合う)

    多摩センターから多摩モノレール沿いに松が谷、そして大栗川を渡って日野方面に向かう道は好きな散歩道である。今の季節も雑草も含めていろいろな花が咲いていて、思わず歩みを止め写真を撮る。そして、花とおなじように自分の多様な感情のことに思いを馳せる。自分のアイデンティティがある程度定まっていると、自分の感情との付き合い方も上手になってくる。傾聴のポイントの一つに共感があるが、これは共感の一般的な解釈とちょっと違う。よく言われるのが賛同ではなく、その立場であるならそういうなるのも分かる、というような相手の立場に立った理解を伴っての共感だ。いろいろな自分の感情に出合っても拒否したり逃げたりしないで共感する(感情に共感するとは変かな?)感情は情動的な側面もあり、怒りなどは自分の中にある種の行動を誘発するような面がある。怒って...自分の怒りとの付き愛かた・・(10/10感情と付き合う)

  • 畏れと自由な心・・今も縄文時代も(9/10 感情と付き合う)

    疫病や戦争、身近な出来事、何かの節目と思えるようなこと、いろいろあるが、何かに固執しこころの自由が奪われ、一日を暗い感情の中で過ごしてしまう。こうした時に自分の心の自由は大丈夫かと自問自答する。ああ、何か変だなと思った時に自分の正中線を確認することは大事だ。今年の復活祭は私にとってとても思い出深いものになった。春は死と再生の季節。反省すると私は自分の生命というか神仏に対しゆるす神仏のイメージが強すぎたように思う。聖ベルナンドの「雅歌について」を味読しているのだが、神を畏れることを今年は大いに学んだようだ。いろいろな事を恐れこころの自由を奪われそうになるとき、神を畏れ、身を正すなり祈りを深める。すると不思議に心の自由が得られる。「縄文」と「生き甲斐の心理学」は私のメインテーマであり続けているが、少年時代に好きだっ...畏れと自由な心・・今も縄文時代も(9/10感情と付き合う)

  • 月と闇、死と再生の季節・・今も縄文時代も (8/10 感情と付き合う)

    3.11で電力制限があったころ。照明が十分でない中央高速を走ったが、闇のもつ怖さが印象的だった。現代では普段は昼だけでなく夜も十分明るいし、暗くてもスマホなどもあるので闇の持つ怖さは意識に登りにくいようだ。そして、闇を照らす月の光。皆さんはどのような月の思い出をお持ちなのだろうか。人それぞれだと思うが。私の年代だと、幼いころ家族皆で満月を見て、兎が餅をついているなどと楽しんだ思い出があるかもしれない。10年くらい前に秋に友人と河原で月見で一杯を楽しんだことがあったが、幼いころのそんな思いでと重なって至福の時でもあった。きっと私の愛の原型の一つなのだろう。さて、古代、あるいは縄文時代では月は闇を照らす光くらいの意味だけだったのだろうか。縄文土器の図像について井戸尻考古館の資料「井戸尻第9集」を読んでいると、縄文人...月と闇、死と再生の季節・・今も縄文時代も(8/10感情と付き合う)

  • 晴れた春の日の縄文・散策・・魂の散歩 (7/10 感情と付き合う)

    嫌なことが多い世の中ではあるが、晴れた春の日の縄文・散策で一昨日は平安感を取り戻した。多摩センターの埋蔵文化財センターでCTスキャンの写真付きの多摩のヴィーナス、翠(みどり)輝くヒスイの大珠、黒曜石の勾玉、土器のムラから出土した制作中の土器と器台をじっくり拝見。多摩の縄文人の熱い想いを実感したのちは、縄文時代の多摩の植生を再現したという縄文の森を散策。入口にある堀之内の敷石住居跡を再現したという竪穴式住居を体感した。敷石住居跡は祭儀を行われる特別な場所という説もあるが、そもそも縄文時代の竪穴式住居は特殊な用途の住居であったという説も最近お聴きした。そんなこともあり、敷石住居跡は聖なる空間だったと今回確信したのが収穫であった。敷石住居。4000年前前後に盛行した住居であるが、この縄文の村(TN57遺跡)にも検出さ...晴れた春の日の縄文・散策・・魂の散歩(7/10感情と付き合う)

  • 春になり新しくなった自分の感情に出会う (6/10 感情と付き合う)

    春になって、入学式が行われたり新年度で新しい仕事に就いたりするお話を良くお聴きする。新しい環境になる。こうした時期に湧きおこる感情はいつもと異なることも多いのではないだろうか。若いころ、私はコンピュータの営業を大阪で経験した。そして様々な業界(学校、研究所、大企業、中小企業、病院、官公庁・・)を訪問したりした。そして、各業界の独特の文化のなかで働く方々が何かを無意識に信じ、見えなくなっているもの、逆に見えるようになっているもの、あるいは常識というのだろうかをいろいろ感じたものだ。これは、海外と日本、関東と関西といった文化の違いにも言えたり。あるいは信仰の世界などにも濃淡はあるが通じるのだと思う。新しい環境になるということは、大なり小なり、信じる対象や深さが変化するのではないだろうか。そして、新しい環境に入ること...春になり新しくなった自分の感情に出会う(6/10感情と付き合う)

  • 「私とあなた」から始める広がる感情世界・・今も縄文時代も (5/10 感情と付き合う)

    学校でも職場でもきちっと教えてくれない感情のこと。どうしたら理解が深まるか。「生き甲斐の心理学」で学んだことは今でも新鮮であるが、その中の一つに感情を抽象的に扱わないということがある。まずは「私とあなた」という具体的な関係を設定する。あなたは大切な人(親子、配偶者、友人、仕事仲間・・)であることもあれば、神仏ということもあるかもしれない。Aさんと一緒にひと時を過ごす。その中で様々な感情が湧き起こる。原初感情という基本的な感情においても「好き」とか「嫌い」とか正反対の感情も次々湧きおこることもあるだろう。大人になっても人は湧きおこった感情に驚くことがあり(倫理道徳に反するような感情)、時に抑圧したりもするが、まずはどんな感情でも大切な意味があると考えどっしりとその感情を受け入れ、意味を考えることが大切である。湧き...「私とあなた」から始める広がる感情世界・・今も縄文時代も(5/10感情と付き合う)

  • 冷血な人の泣きどころ‥今も縄文時代も防衛機制は大事 (4/10 感情と付き合う)

    某国のウクライナ侵攻を指揮する人、10000年間以上戦争の道具を作らなかったとされる縄文人。何が違うのだろうか?それを考えると100年以上前にフロイトが発見したといわれる心の防衛機制が浮かんでくる。U先生の「生き甲斐の心理学」には14の防衛機制が紹介されているが、その中の知性化という防衛機制。現代人が好む防衛機制の一つだと思うが、一見理論的で説得力がありなかなかだと思うが、テキストにも指摘されているが、不思議な弱点がある。知性化ばかりしていると、人から信頼されないという現象がでてくる。知性化は生の感情の表出を恐れるという特徴がある、感情抑制をベースにした防衛機制なのだろう。そして細かいところでは論理的で正しいのかもしれないが、大きなところで間違えやすい。人の秘密などの人権にかかわるところとか、共通善というのだろ...冷血な人の泣きどころ‥今も縄文時代も防衛機制は大事(4/10感情と付き合う)

  • 川と桜と人・・現代人も縄文人も (3/10 感情と付き合う)

    3月の終わりごろから4月の今に至るまで、多摩周辺の川辺をよく歩いた。写真の乞田川(多摩川水系)や近くの大栗川(多摩川水系)をはじめ、その上流の太田川や分水嶺を超えた町田市や相模原方面の境川。多摩市方面に南下すれば鶴見川や恩田川。いずれも神奈川県への川である。多摩川を越えて東の武蔵野台地の府中で花見をしたり、国立市の矢川、谷保天満宮周辺も散策した。大栗川が上流で太田川に分かれる堀之内駅近く。多摩境駅から境川に。近くには(右の方角)田端遺跡。田端遺跡。右奥の丘陵の向こうには太田川との分水嶺がある。田端環状積石遺跡なずな遺跡のそばの恩田川矢川に近いたちかわ郷土文化館の南養寺遺跡敷石住居跡展示矢川のほとりの滝乃川学園周辺も散策した。府中の森周辺での花見も楽しんだ。昨日は高幡不動から程久保川を遡る。多摩動物公園の近くを流...川と桜と人・・現代人も縄文人も(3/10感情と付き合う)

  • 節目の時を迎えて(2/10 感情と付き合う)

    コロナ禍で2年以上休止しているボランティア仲間と昨日は昼食をたのしんだ。体調を崩していた友人とも再会し美しい桜も楽しむことができた。仲間というと、職場や学生時代が共通だったり共通点があることが多いが、この仲間はボランティアの仲間なのでそうでもない。敢えて言えば一国一城の主のような独立心の高い人の集まりのようである。ほどよい自己主張もあり、といって皆思いやる心は十分。自分は自分というか個を確立している人(私はどうかわからないが)は不思議なことに他者への配慮もしっかりしている。爽やかな人間関係は嬉しい。さて、今日で令和3年度が終わる。そして、私の人生にとっても脱皮のタイミング。縄文小説はこれからのライフワーク。それ以外の仕事は時が来たらいつでも辞める決心がついた。縄文小説は地元というか地域との関係が深い。そして、2...節目の時を迎えて(2/10感情と付き合う)

  • 気分が落ち込んだ時‥今も縄文時代も(1/10 感情と付き合う)

    東京も桜が満開になり、こころなしか皆うきうきしているように思う。しかし、今年に入ってからはコロナ禍、ウクライナ、物価高など大変なことが続いた。知人から苦労している方のお話も時々お聴きする。そんな中で、怒りの感情に支配されたり、あるいは愛の孤独感に支配されたりする人も少なくないようだ。しかし一方で、冗談のひとつも言いながら、たんたんと自分のペースで活動を続ける方もいらっしゃる。意外に人それぞれのようだ。私はこの春はNPOで「生き甲斐の心理学」を教えている関係から、自然体を一緒に学んだりフロイトの防衛機制を学んだりした。感情を大切にしつつも感情に振り回されず、他人に迷惑をかけず自他肯定の道を歩むことを意識してきた。とはいえ、日常生活の中では感情をコントロールしイキイキと生きることは決して簡単ではないようだ。さて、こ...気分が落ち込んだ時‥今も縄文時代も(1/10感情と付き合う)

  • 悔いのない人生を送るには・・・(10/10 愛の孤独から)

    悔いのない人生とはどういうものか。有名な宗教家や詩人などの辞世の言葉/句を調べたりし、この数日いろいろ楽しんでいる。「悔いのない人生とは」と聴いて、人は私も含めてちょっと無理ではといったような反応を示すが。次の2つがひっかかるのだろうか。一つは、過去の失敗などを思い出し、そういった過去が消えないのだから、これから先も悔いのない人生などないという印象。たしかに過去は変えられないかもしれない。しかし生き甲斐の心理学で学んだことに、考え方が変われば世界が変わるということがある。過去の事実は変えられなくても大いに解釈は変えられるのだ。例えば、青年時代に親や祖父の影響もあり私は建築家になろうと思っていた。それが、受験に失敗したことをきっかけに別の可能性を自分で調べ、具体化していくきっかけとなった。そしてA先生に出会いその...悔いのない人生を送るには・・・(10/10愛の孤独から)

  • 縄文人を生き甲斐の心理学で読み解いていく小説・・ (9/10 愛の孤独から)

    今から11年前ごろだったか、よく多摩動物公園に通った時期があった。このシマウマについても思い出がある。アンディというシマウマは見に行くたびに激しく怒っていた。その後子供ができて激しく怒る様は観ることがなくなった。生き物は複雑な存在のように見えるが、周りからの現象に反応して意外にも単純な一つの反応をする。それはどのような意図が隠れているのか・・・そんな心理学者のカール・ロジャースの人格形成論(この場合は命題3)を研究するためだった。この命題3は動物でも当てはまるようだったが、自分の人生の中で大いに役立った。知識は力なのである。福祉の仕事をするときに、よくわからない行動をされている方に恐怖を抱くのではなく、その隠れた意図を見抜く力が付いて対応が上手になったりもした。この命題3は複雑な人間関係の中でもストレスから救っ...縄文人を生き甲斐の心理学で読み解いていく小説・・(9/10愛の孤独から)

  • 感情の意味を考える訓練 (8/10 愛の孤独から)

    感情というのは、自分という謎の存在に根をはった何かである。へたな理性よりよっぽど深い。生き甲斐の心理学を20年以上U先生から学ぶ中(勉強の仕方はもちろん濃淡があり、馬齢かもしれないが(笑))で、感情の深さと尊さを大いに学んだようである。それ以前の私は感情は余計なものくらいと考えてところがある。しかしこの勉強で、感情の意味を考えることは人生を豊かにいきるために大事なことのようだ。暗い感情・・不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱を感じたら、その意味を深く肯定的に考えることで、世界を変えることができる。明るい感情・・平安感などをその場で終わらせずに、アイデンティティの統合、防衛機制のコントロール、現実吟味力をきちっと保つことで、幸福感や統御感にまで育てることができる。そして、感情を学ぶことは不思議な訓練でもある。感情を学...感情の意味を考える訓練(8/10愛の孤独から)

  • 温かい交流の中での幸福感・・今も縄文時代も(7/10 愛の孤独から)

    コロナ禍もある程度収まり、3月も終わりに差し掛かる今、仲間で散策したり花見をする機会が増えてきたようだ。先日も春の国立市を散策したが、谷保天満宮にも寄った。そこの狛犬は写真のように赤ちゃんの狛犬が親に抱かれているような温かいお姿で、春の日にふさわしく温かい気分になった。私たちは幸福感を生まれてからいろいろな味わうが、一人よりも親しい方と共に感じる幸福感のほうがより豊かに感じられないだろうか。親しい方とは、他者であるが、親しい人もあるが生き物(ペット)であったり神仏であったりすることもあるだろう。その神仏も例えばキリスト教の神は三位一体の神であり、父と子と聖霊の交流が一つの特徴。交流と愛との深い関係をほのめかしてもいる。さて、この狛犬だが縄文のことをずっと考えている私なので、勝坂式土器(約5000年前ころ)によく...温かい交流の中での幸福感・・今も縄文時代も(7/10愛の孤独から)

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