saburoo5 さん プロフィール

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saburoo5さん: 三郎の理屈
ハンドル名saburoo5 さん
ブログタイトル三郎の理屈
ブログURLhttp://saburoo5.blogspot.com/
サイト紹介文saburoo5のコラムです
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2011/07/28 14:10

saburoo5 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 無題詩
  • がんばらねばがんばろうでも、がんばれなかったがんばらねば、がんばろうまた、がんばれなかったそのくりかえしいつもそのくりかえしでもそのくりかえしを馬鹿にしないでじっと見守っている人もいるぞ [続きを読む]
  • きょうは、悲しいお話です。 だいぶ前の話になりますが、三郎の家で飼っていた愛猫が毒殺されたことがあります。玄関の前に来て力つきて泡を吹いて死んでおりました。誰が殺ったかは、証拠がないので言えませんが、だいたいの経過は見えてきそうです。 ある、お金持ちさんの屋敷に、それは高価な盆栽がありました。 その盆栽に団子虫さんやゲジゲジさんがやってきました。 そうすると、それを追って百足さんやクモさんがやってき [続きを読む]
  • 公開と非公開
  • 言葉を音で伝えると、何かで録音をしないかぎり、その言葉は消えてしまう。文字で書くと、記録として残る。しかし、日記や手紙のように自分だけに閉まっている限りでは他者には、その存在は無いに等しい。ゆえに、「公開した」または「公開された」場合においてはじめて、その存在が確認されるものだと思う。コラムニストやエッセイストが自分のコラムやエッセイを公開したとき書かれたものとして存在しはじめるのである。 コラム [続きを読む]
  • 見下す構造Ⅴ
  • 私は「Calm Agoraの会」という社会問題をテーマにした話し合いの会を少人数で開いているが、そこでは皆の前で絶対、言ってはならないことがある。それは「あなたは勉強不足です」という発言である。それは禁句である。それを言う人は、この会には必要ない。そういう人は、必ず他でもそのような発言を常套手段にしている人である。その裏には「何も知らないくせに」という人を見下した本音が隠れている。 Calm Agoraの会では子供が [続きを読む]
  • 見下す構造Ⅳ
  • 前回で、人の心の中は、本心は、本音は、その当人が言わない限り解らないと述べたが、「いや、そんなことはない、見たら雰囲気でわかる」という人もいると思う。だが、本当にそうであろうか。であるならば、あなたは超能力者であって、そういう人には私の理屈は通らない。 推定無罪という言葉もある。どんなに状況証拠を集めても当人の自白が無い限り、絶対そうであるとは断定できない。ましてや、普通の人々が推量で人を指すのは [続きを読む]
  • 見下す構造Ⅲ
  • 「差別はしないが区別はする」というような詭弁をよく聞く。人と接して、本当にそんなことができるだろうか。できる、できているとはっきり言える人は私の理屈は通らない。自分は、はっきり言ってできそうもない。なぜなら自分には感情も好き嫌いも、他人とは違う価値観もある人間だからだ。 卑近な例かもしれないが、温泉の露店風呂があって若い美しい女性が、その風呂に入っているとする。多分、自分はそれを見たらうれしくなる [続きを読む]
  • 見下す構造Ⅱ
  • どんな社会になっても上下の人間関係は無くならないと思う。なぜかというと、知っている人間と知らない人間、できる人間とできない人間との差は無くならないからである。 「無知な人、できない人というような低俗な層の人は、努力しないからだ」「我々は人一倍努力して今の地位を獲得しているのだ、自己責任だ」という人は、きっと上にいる人達だろう。しかし、そうは言ってもやはり現実の社会には無知な人間、低俗な人間の層はこ [続きを読む]
  • 見下す構造
  • 敗戦以降、現代では自由とか平等とか人権とかが日本でも一般的になっているが、敗戦前までは上層と下層の縦社会だったと思う。上層は下層にいる人びとを支配する側、命令する側で、下層はそれに対して服従する側である。その時分は上層が下層を見下していても、それは当然の社会で、それに対して下層にいる者は不服があっても我慢でそれに対処する仕方をしていた。 しかし、現代でも、そのような風習というか慣習のようなものが今 [続きを読む]
  • 人工の社会システム
  • 友人に「君は、いつも何に怒っているの?」と尋ねられることがある。実は、私は「人工の社会システム」というものに対して敵意を抱いている。私は、ずっと前から、この人工の社会システムというものに牙を向けてきたのだ。 友人には人工の社会システムなどに腹を立てている奴は変人だ、と思われているかもしれないが、人に腹を立てることが普通で当たり前のことなのだろうか?しかし、私は変人かもしれないが人工の社会システムは [続きを読む]
  • 驚きと感動(三)
  • 「驚きと感動」というものは自分だけのものである。他の人には、それがどんなものであるか見えないし解らない。自分と同じように感じているのかという実証もできない。でも、みんなに備わっている能力なので不思議である。この自分だけの「驚きと感動」があるからこそ、思うことも、考えることも、そして行動も表現も皆、違う。金子みすずの「みんな、ちがっていい」という言葉は素敵だと思う。でも、「みんな、ちがっていい」とい [続きを読む]
  • 驚きと感動(二)
  • 「驚きと感動」や「優しさ(人情)」という感情を客観的に解明しようとして脳神経外科とか心療内科というような精神医学や認知心理学のような精神科学が発達したのだが、しかし、「驚きと感動」や「優しさ(人情)」というような感情は主観である。客観的な主観なんて存在しない。主観は一回性のものである。昨日の「驚きと感動」は、きょうの「驚きと感動」とは違う。Aさんに対するやさしさと、Bさんに対するやさしさは違うはず [続きを読む]
  • 驚きと感動
  • やさしい人は「驚きと感動」を大切にしている人だと思う。一見、「やさしさ(人情)」と「驚きと感動」は関係ないと思えるかもしれないが、自分の周囲に存在するものに「驚きと感動」がないと、やさしさ(人情)は起らない。 「驚きと感動」と対をなすものは「慣れ」である。人は慣れてしまうと機械的になってしまう。子育てにしても、植物を育てるにも、ものづくりするにも、そこには「驚きと感動」がある。仕事にしても「〜しな [続きを読む]
  • 主権在民
  • 「日本の国の議員政治家は、国を動かしているのは自分たちで、国民は何も分かっていないと、さらに余計なことは国民に知らせなくていいとさえ考えてしまう議員政治家もいる。また、逆に国民も、政治は議員政治家に任せておけばいいと投げ出してしまっている。しかし、この国をどうしようかを考える、決めるのは国民の方で、議員政治家はそれを実現させるために働くだけの人々であると私は思う、だから私は政治家に希有壮大な志など [続きを読む]
  • 芸術とエロス
  • 私が肉体的に元気なころの話です。ある其歌人と親しくなって、時々、一緒に飲んだことがあります。その人は、結構、高知では有名な歌人です。高齢者のおじいですが。ある日、二人のゆきつけの居酒屋のママさんが困っていました。ママさんとある常連さん(この人もじじい)と店を休日にして北海道へ旅行へ行ったそうです。其歌人は、そのことを後で聞いて焼きもちを焼いて、店に来なくなったと嘆いていました。私は、この話しをママ [続きを読む]
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