kurou さん プロフィール

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kurouさん: kurouのブログ
ハンドル名kurou さん
ブログタイトルkurouのブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/namu-hatiman/
サイト紹介文歴史と散歩の記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供730回 / 365日(平均14.0回/週) - 参加 2011/07/28 17:57

kurou さんのブログ記事

  • 頼朝大敗〜討死した佐奈田与一義忠〜
  • 1180年(治承4年)8月23日、石橋山に布陣した源頼朝。しかし、翌未明には敗北が決定的となりました。頼朝の命により先陣を務めたのは佐奈田与一義忠。三浦一族の岡崎義実の嫡男。真田の地を領していました。伝説によると・・・与一は大庭景親の弟俣野景久と戦います。いったんは、景久を組み伏せた義忠でしたが、刀を抜くことが出来ず、景久を助けに来た長尾定景に討たれてしまいました。石橋山古戦場には与一を祀る佐奈田 [続きを読む]
  • 石橋山の敗北〜源頼朝の挙兵〜
  • 『吾妻鏡』によると・・・1180年(治承4年)8月23日夕方、以仁王の令旨を旗に掲げた源頼朝軍300騎が石橋山に布陣します。天候は雨。一方、平家方は大庭景親、俣野景久らをはじめとする3000騎です。石橋山と谷を一つ隔てて布陣しました。頼朝の背後には、伊東祐親が300騎を従えて布陣していました。晩になって、頼朝が最も頼みとしていた三浦一族が酒匂川に到着します。(しかし、折からの雨で三浦軍は酒匂川を渡 [続きを読む]
  • 鎌倉二十四地蔵
  • 鎌倉にも24カ所の地蔵尊巡礼があります。地蔵尊の伝説を学びながら巡ると面白い旅ができるかと思います。一つだけ横須賀になりますが、ここの地蔵尊は源頼朝が信仰した日金地蔵。鎌倉の松源寺にありましたが、明治の神仏分離で松源寺が廃されて、横須賀の東漸寺に移されていったのだといいます。近くには頼朝が信頼した三浦氏の衣笠城址もあります。夏の終わりに。・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくな [続きを読む]
  • 熱海:大湯の湯前神社
  • 熱海の温泉街に鎮座する湯前神社。湯前神社のある大湯は走り湯とともに熱海温泉の源泉。大湯をみた源実朝は「都より巽にあたり出湯あり名は吾妻路の熱海といふ」と詠んだのだといいます。・・・・・・・・・・・農地・農業の情報! [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場
  • 鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場は1197年(文治3年)に造営されました。源頼朝はこの年に始まった放生会で流鏑馬を奉納しています。これが現在の鶴岡八幡宮例大祭の始まり。流鏑馬馬場の馬場本には、頼朝が母由良御前の供養ののために建てた五重塔がありましたが、1191年(建久2年)の大火で焼失しています。小笠原流流鏑馬・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくない!農地・農業の情報! [続きを読む]
  • 夏の鎌倉大仏
  • かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな鎌倉大仏http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136kotokuin.htm今日から長谷の灯かり。鎌倉大仏もライトアップされます。夏の終わりに。・・・・・・・・・・・地域農業を担う農業法人 [続きを読む]
  • 伊豆山神社の紅白の龍と熱海温泉
  • 伊豆山神社は、古来、伊豆山権現・走湯権現とも称され、源頼朝や北条政子が崇敬した社。1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆国で挙兵して相模国へ進軍するとき、北条政子は伊豆山権現に匿ってもらいました。紅白の龍走湯山縁起によると・・・尾は箱根芦ノ湖に、頭が伊豆山の地底にあって、温泉の湧くところは、龍の両眼、耳、鼻、口なのだと伝えられています。また、赤は母親、白は父親を表し、夫婦和合、家内安泰、縁結びの象徴 [続きを読む]
  • 熱海:来宮神社の大楠
  • 来宮神社の大楠は本州一の巨樹といわれ、健康長寿・心願成就の御神木。幹を1週すると寿命が1年延命し、心に願いを秘めながら1周すると願い事が叶うのだという。来宮神社http://www8.plala.or.jp/bosatsu/atami-kinomiya.html・・・・・・・・・・・地域農業を担う農業法人 [続きを読む]
  • 今日は玉縄首塚まつり
  • 玉縄首塚は、1526年(大永6年)、安房の里見実堯が鎌倉を襲撃した際の戦死者の首が葬られた所。毎年8月には、首塚を供養する「玉縄首塚まつり」が行われています。今年は8月19日(土)。※柏尾川の対岸にはたくさんの露店が出ます。夏の終わりに。・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくない!地域農業を担う農業法人 [続きを読む]
  • 三嶋大社
  • 東海随一の神格だったという三嶋大社。源頼朝が挙兵の日に選んだ8月17日は三嶋大社の祭礼の日でした。今日でも8月15日から17日は例大祭(三嶋大まつり)。多くの参拝者で盛り上がります。三嶋大社http://www8.plala.or.jp/bosatsu/misima-taisha.htm・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくない!地域農業を担う農業法人 [続きを読む]
  • 鎌倉五山とは・・・
  • 五山とは禅宗寺院の格式を表したもの。鎌倉時代に北条氏によって導入されました。最初の五山は、 壽福寺建仁寺(京都)建長寺円覚寺浄智寺だったものと考えられます。鎌倉幕府滅亡後は、後醍醐天皇、足利尊氏、足利義詮がそれぞれ五山を制定します。そして、最終的な五山が制定されたのは足利義満のとき。義満は、鎌倉五山と京五山を定め、五山の上に南禅寺を置いて最も格式の高い寺としました。鎌倉五山は・・・第一位 建長寺第 [続きを読む]
  • 源頼朝に期待した坂東武士
  • 坂東武士は何故伊豆国に流されていた源頼朝を担ぎ上げたのか・・・。武士というと・・・「鎧兜を身に着け、腰に刀を差し、弓を弾く武力集団」のように考えてしまうかもしれませんが、当時の武士は農民です。坂東武士の領地は、自分やその先祖が開発した農地。その領地を守るためにはリーダーが必要でした。リーダーには貴種性も必要だったのでしょう。頼朝は清和源氏の一流・河内源氏の嫡流。坂東武士が頼朝に期待したことは「所領 [続きを読む]
  • 『吾妻鏡』でみる源頼朝の山木館襲撃
  • 1180年(治承4年)8月17日、源頼朝挙兵!。1160年(永暦元年)3月11日、伊豆国の蛭ヶ小島に流されてから約20年後のことでした。頼朝の標的は伊豆国の目代・山木兼隆。『吾妻鏡』によると・・・攻めるに当たって北条時政は・・・「今日は三島大社の祭礼。多くの参詣者がいるので牛鍬大通を行くと疑われるので、蛭島通を行くべき」と進言します。しかし、頼朝は・・・「大切な事業(源氏再興の挙兵)の最初のことな [続きを読む]
  • 今日は源頼朝が挙兵した日。
  • 1180年(治承4年)8月17日晩、源頼朝は伊豆国の目代・山木兼隆の館を攻めさせます。まず、佐々木定綱、経高、高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。このとき、経高の放った鏑矢が、平氏を征伐するための最初の矢でした。その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。頼朝は「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、その火がなかなか見えないので、留守をしていた加藤景廉、 [続きを読む]
  • 似ている3つの寺院〜平等院・無量光院・永福寺〜
  • 平等院鳳凰堂平等院鳳凰堂は、1053年(天喜元年)に関白藤原頼通によって建立されました。中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の4棟からなる建築物でいずれも国宝に指定されています。無量光院無量光院は奥州平泉にあった寺院。藤原秀衡が悉く平等院鳳凰堂を模して創建した寺院だっと伝えられています。永福寺永福寺は鎌倉にあった寺院。源頼朝が奥州平泉の寺院を模して創建しました。中心となる本堂は、中尊寺・ [続きを読む]
  • 今日は青蓮寺の鎖大師が開帳されます。
  • 今日は、青蓮寺の本尊・木造弘法大師坐像が開帳されます。鎌倉独特の裸形彫刻で絹の衣を纏っています。手足が動くように作られていることから「鎖大師」と呼ばれるようになったのだそうです。夏の終わりに。・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくない!地域農業を担う農業法人 [続きを読む]
  • 鎌倉:杉本寺の十一面観音
  • 杉本寺は坂東観音巡礼1番。本尊は、行基・慈覚・恵心の三体の十一面観音像。源頼朝は、三尊を内陣に安置させて秘仏とし、内陣前に運慶作の十一面観音像を寄進したのだと伝えられています。行基作の観音さまは、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれていました。大覚禅師(蘭渓道隆)が祈願して収まったようですが、その際に、袈裟で観音さまを覆ったことから「覆面観音」とも呼ばれたそうです。杉本 [続きを読む]
  • 鎌倉安養院の千手観音
  • 安養院は坂東観音巡礼第3番。札所本尊は千手観音。源頼朝に仕えた田代信綱の観音像を胎内に納めた仏像であることから「田代観音」と呼ばれています。その胎内の観音像・・・京都・清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を伝えた僧として知られる東大寺の奝然(ちょうねん)が宋から持ち帰ったものなのだとか・・・夏の終わりに。・・・・・・・・・・・農業に運送業があっても・・・おかしくない!農地・農業の情報! [続きを読む]
  • 鎌倉:長谷寺の十一面観音
  • 観音堂長谷寺は坂東観音巡礼第4番。本尊は十一面観音像。開山の徳道の願いによって、クスノキの霊木から彫り上げられた二体のうちの一体。一体は奈良の長谷寺に安置されましたが、もう一体は有縁の地で人々を救うようにと、行基によって海に投げ入れられたのだといいます。かきがら稲荷海を漂う観音像は「かきがら」の導きで、三浦半島の長井の浦に流れ着いたのだとか。それが観音堂の十一面観音像。長谷寺http://www8.plala.or.j [続きを読む]
  • 玉縄首塚〜鎌倉:合戦の跡〜
  • 玉縄首塚は、安房の里見実堯が鎌倉を襲撃した際の戦死者の首が葬られた所。1526年(大永6年)、里見実堯は軍船数百で鎌倉の海岸に押し寄せ、由比ヶ浜や材木座海岸から上陸。鎌倉市中で北条氏綱との激戦が繰り広げられました。このとき鶴岡八幡宮も炎上しています。実堯は源氏。『里見代々記』によれば、鶴岡八幡宮が燃えたのを「不吉なり」として退却したのだといいます。毎年8月に行われる「玉縄首塚まつり」。今年は8月1 [続きを読む]
  • 疾風!北畠顕家
  • 1337年(建武4年)、足利尊氏から京を奪還するため、陸奥から西上してきた北畠顕家は、朝夷奈切通を突破して鎌倉に入り、斯波家長の守る杉本城を落として鎌倉を攻略した。杉本寺観音堂前の五輪塔群は、北畠顕家の鎌倉攻めによって戦死した者の供養塔といわれている。北畠顕家は『神皇正統記』で知られる北畠親房の子。旗印は「風林火山」だったと言われている。杉本寺http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page042sugimoto.htm夏 [続きを読む]
  • ホオズキ
  • お盆の飾り物の一つホオズキ。迎え火の提灯。参考までに、浅草寺のホオズキ市は源頼朝の伝説が起源なのだとか・・・調べてみると面白そうです。上の写真は東慶寺のホオズキ。夏の終わりに。・・・・・・・・・・・地域農業を担う農業法人 [続きを読む]