sk5132 さん プロフィール

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sk5132さん: 『清流』 無明橋 - 中高年の子守歌 - 太平洋を越えて
ハンドル名sk5132 さん
ブログタイトル『清流』 無明橋 - 中高年の子守歌 - 太平洋を越えて
ブログURLhttp://ameblo.jp/sk5132/
サイト紹介文週に1度の新聞に折り込まれた、読者だより『清流』 今回のサブタイトルは「無明橋 Ⅲ」
自由文2011年夏、カナダ・アメリカ旅行記ーー ヴァージニア州に住む友人夫婦に誘われ、バンクーバー、カナディアン・ロッキー、ナイアガラ、ヴァージニアと気ままに旅した13日間の旅行記
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供51回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2011/09/20 16:50

sk5132 さんのブログ記事

  • 無明橋 Ⅲ 004、 木 浦 1
  •  今年もまたお盆がやって来た。長男にとって、お盆は何かと忙しい。福岡市内の建設現場で設計の仕事をしている2人の弟が、「正月に帰らなかったので」と、連れ立って帰って来た。帰って来れば、豊富な海の幸を肴(さかな)に飲むのが何よりの楽しみになっている。お互いに還暦を超してしまったせいか、飲めば、過ぎた昔の想い出話に時間の経つのも忘れてのめり込んでしまうのだが、今年は、「今の仕事をいつまで続けられるか」 [続きを読む]
  • 無明橋 Ⅲ 003、 ブラック 3
  •  「無明橋」というタイトルで、節(章)の見出しが「ブラック」、それで書いている中身も暗い話ときて、「読むほどに気が滅入ってしまう」という声が聞こえてきそうだが…、「無明橋」のⅠ、Ⅱと同じように、橋を渡った先に待っている明るく開けた世界を楽しみに、気長に付き合いをしていただきたい。 ところで、モノを作る仕事と違って、ヒトを育てる教育という仕事は、教職の専門性や経験、熱意を要する難しさの反面、希望と [続きを読む]
  • 無明橋 Ⅲ 002、 ブラック 2
  •  学校の先生たちの仕事が「ブラック」なっている。勝手な思い込みでそう言っているのではない。どこの県、あるいはどこの市町村でもいい、小・中学校の先生たちに、「あなたは、自分の仕事をブラックだと思いますか」と問うたとして、7、8割の先生方は、「そう思います」とか、「それに近いと思います」と答えるのではないか。先生方のブラックな勤務実態は、小・中学校だけではない。高校とても、過酷な勤務状況は変わらない [続きを読む]
  • 無明橋 Ⅲ 001、 ブラック 1
  •  長い読者の方なら新しいタイトルを見て、「ほーっ、何年ぶりかな」 と、驚かれるかも知れない。同時に、「今また、どうして無明橋を?」と首を傾(かし)げられそうだが、まずはその辺りから書き始めることにしたい。 最初に「無明橋」を書き始めたのはかれこれ20年余り前のことで、1998年3月から2000年7月まで、難しさを増していた学校教育や家庭の子育てについて、「見通しが持てずに苦悩する読者に考えるヒン [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 202、段々畑の四季 (夏) 51
  •  「段々畑の四季」を書き始めて丸一年が経過した。これで段々畑を舞台にして、少年期に体験した四季折々の出来事を一通り書き終えたことになり、「段々畑の四季」も今回で終わりである。「段々畑の四季」を終わりにするだけでなく、200回を超えて書き続けた「中高年の子守唄」についても、ここで区切りをつけたいと考えている。 「中高年の子守唄」は、2013(平成25)年7月7日から書き始めたので、4年の歳月をかけ [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 201、段々畑の四季 (夏) 50
  •  時間(とき)の流れは、年齢を重ねるごとに速く感じるようになる――、これは、果たして本当か。考えたところでどうなる問題でもないが…、段々畑に縛りつけられていた少年時代の日々は、いろんなことを首を長くし、指折り数えて待った。「待つ」と、時間は長く感じられるものである。 夏休みを待ち、正月を待ち、時計の針を見ながら休み時間を待ち、はたまたスイカやトウモロコシが熟れるのをまだかまだかと待った。冬の夕暮 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 200、段々畑の四季 (夏) 49
  •  早いもので今年も半分が過ぎて、月めくりの暦が7月に替えられた。人の気持ちとは関係なく、容赦なく過ぎて行く「時間(とき)」を嘆いても仕方ないが、「夏休みが待ち遠しい」などと思っていた少年時代のように、時間にはゆったりと流れて欲しいものだ。 人は年を重ねるに連れて時間の経過を速く感じるようになる、とよくいう。「清流」にもたびたび書いてきたが、「退職後は悠々自適、ゆったりした時間の流れの中で、自分の [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 199、段々畑の四季 (夏) 48
  •  1泊2日、ときに2泊3日のホームステイで、我が家にやって来る海外の留学生と交流しながら、「日本人が失った大切なものが、彼(彼女)らの中にある」という思いをしている、と前号の終わりに書いた。 APUに在学する世界各国の留学生をホームステイで受け入れながら10年余が経過し、この間、延(のべ)50人を超える留学生と交流してきた。その経験のいくつかは「清流」にも書いてきたが、20歳前後の世界の若者たち [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 198、段々畑の四季 (夏) 47
  •  これも異常気象なのやら、梅雨とは名ばかりの雨のない日が続いている。山梨付近の番匠川は、数か所で流れが消え、橋がなくても渡れるような状況になっているが、田植えの最盛期を迎えて気になる天気である。 水不足で田植えに支障が出る…、同じような心配は、蒲江の段々畑でも起こっていた。少年時代を振り返って、梅雨の雨不足で麦刈りの後の芋の苗植えに苦労させられる、ということが二度ほどあった。その苦労については、 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 197、段々畑の四季 (夏) 46
  •  九州全域で梅雨入りが発表され、今年も 雨の季節がやってきた。先日、日曜版の読者に会って、「いよいよ田植えが始まるなあ」と声をかけると、「(川の)水が少ねえき、田植えの準備が出来(でけ)んのよ」と答えてくれた。梅雨入りしたものの天気予報を見ていると、本格的な雨季に入るのはまだ先のようだが…、どうなのであろう。 梅雨入り前後のこの時期、段々畑では、麦刈りが終わって、段畑の地鋤き、 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 196、段々畑の四季 (夏) 45
  •  春(初夏)と秋の2回、収穫や苗植えなど農作業の繁忙期に3日間学校を休みにして、子どもたちに仕事を手伝わせる――、今ではとても考えられないことだが、当時を振り返ってみれば、どこの家庭でも、子どもたちはそれぞれに家族の一員として、親の指図を受けながら、朝早くから夕方遅くまでよく働いていたものだと思う。手伝いが楽しいとか、仕事が面白いなどと思ったことはないが、さりとて手伝いを放って逃げ出すようなこと [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 195、段々畑の四季 (夏) 44
  •  麦の色づく段々畑の石垣の巣穴で、ヒタキの仲間に似た野鳥の雛(ひな)4羽が巣立ちを迎えようとしている。一羽をもらい受けて?飼育する鳥かごの用意は出来たが…、問題は、「エサをどうするか」である。 かつてホオジロを飼育していたおいさんに、「メジロと同じエサでいいと思うが、ときどきゃ虫を捕まえてやった方がいい」と教わって、飼育に見通しを持つことが出来た。 その日が近づいて――、それで、この先がどうなっ [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 194、段々畑の四季 (夏) 43
  •  色も大きさもスズメによく似たヒタキの仲間と思われる小鳥が、段々畑の石垣の巣穴で4羽の雛を育てている。「毛が生えそろって巣立ちが近づいたら、4羽のうちの一羽を捕まえて自分で飼うんだ」と、そう思って鳥かごを用意し、縄や藁を使って巣床も拵えて巣立ちが近づくのを待った。 当時の集落では、毎年時期が来ると、何人もの小学生や中学生が野鳥の雛の飼育に挑戦していた。雛を捕まえるのが簡単なのは、家々の軒先の瓦の [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 193、段々畑の四季 (夏) 42
  •  うんざりするような茶摘みが終わると、山々を新緑に染め上げた若葉も青葉へと色合いを深め、段々畑では、ほどなく収穫期を迎える麦が、強まった日差しを浴びながら日毎に黄色味を増して、季節は晩春から初夏へと抜けてゆく。 色付く麦の中に分け入るような仕事はないが、段々畑では、子ども(男児)の好奇心をくすぐる興味深い生命のドラマが始まっていた。随分前にも書いたが、晩春から初夏にかけた里山や段々畑の周辺では、 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 192、段々畑の四季 (春) 41
  •  段々畑のそこここに植えられた古い茶株の新芽が伸びる。その新芽を収穫する「茶摘み」は、毎年のことながら5月の連休と決まっていた。 5月の連休と言っても、昭和30年代当時は、5月4日が祝日(「みどりの日」)になっておらず、また、祝日が日曜日と重なっても月曜日を振り替え休みにしていなかったために、いわゆる「飛び石連休」が普通であった。飛び石連休であれ休みが多いことには変わりなく、4月末から5月上旬に [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 191、段々畑の四季 (春) 40
  •  動物の出産については、ウサギやネコ、ニワトリ、ツバメ、カエル等々、子どもながらに何度も遭遇してきた。しかし、大型動物はヤギが初めてで、小学5年の春から中学3年の春まで、おふくろさんの側でいろいろ経験し手助けをしてきた。学校が授業日だったりして、出産に立ち会ったのは2度ほどだが、子ヤギの誕生は、他の小動物とは比較にならない身震いするほどの感動だったことを覚えている。 子ヤギが生まれるというそのと [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 190、段々畑の四季 (春) 39
  •  仕事の関係で、今年も市内中心部の中学校と小学校の入学式に出席し、初々しい新入生感慨深気な保護者の姿に接することができた。 今年の入学式で印象的だったのは、校長先生の式辞や来賓の祝辞に、「校庭の桜も、皆さんの入学をお祝いするかのように満開に咲いています」 という文言が挿入されていたことである。ソメイヨシノは、例年3月下旬に満開を迎え、4月初めの春祭りにはかなり散って、入学式の頃ともなれば葉桜とい [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 189、段々畑の四季 (春) 38
  •  宿題のない春休みは、子どもたちにとって極楽みたいな2週間であった。が、それは農作業など無縁な子どもたちの思いであって、「もし段々畑がなかったら…」と、どれほど思ったか知れない。 子どもながらに腰の痛くなる種芋の植え付けが終わって、次におふくろさんが手伝いを求めたのはクロンボ抜きだった。「クロンボ抜き」と聞いて、「何?それは」と問い返されそうだが、おふくろさんにとって、子どもの手を借りずには片付 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 188、段々畑の四季 (春) 37
  •  春夏秋冬の四季を、それぞれさらに細かく六つに分けた「二十四節気」。東南アジアの留学生にはどうにも理解し難いようだ。例えば「春」について、初春、早春、仲春、孟春、晩春…といった言葉で区分すれば、幾分なりとも理解できるが、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨と、自然現象に合わせた言葉で区分しているので、「うーん、全然分かりません」 と、お手上げ状態になってしまうのだ。日本に来てまだ日も浅い留学生に、 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 187、段々畑の四季 (春) 36
  •  冬の眠りから醒めかけた山々に、開花を始めたヤマザクラがほの白く浮き出るようになった。季節が大きく前へ進んだことを象徴するヤマザクラの開花を、だれに言うとなく喜んだ昔が懐かしく想い出される。 暖房設備など整っていなかった少年時代、子どもたちは、厳しい冬の寒さをどうやって乗り越えるか、それぞれにいろいろと知恵を働かせていた。囲炉裏や炭炬燵に火をおこして暖をとれば、それがいちばん手っ取り早いが、木炭 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 186、段々畑の四季 (春) 35
  •  先週のことである。長い付き合いになる日曜版読者のSさんが、「『清流』を読んで想い出したけんど、昔の子どもたちは本当によう学校に花を持って行きよったんなあ」 と、声をかけてくれた。「昔と違うて、今はどこの家庭にもいっぱい花があるんじゃけど、学校に花を持って行く姿を見らんごとなった」と応じると、「古きよき時代じゃった」 と、遠く過ぎ去った少年時代を懐かしむように言う。花屋(フラワーショップ)などな [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 185、段々畑の四季 (春) 34
  •  2月の半ば過ぎから少しずつ開花を始めていたボケが、3月に入って開花の速度を速め、「どうかな?」と2本のコブシに目を移せば、こっちもいつの間にやら開花が進んでいる。白モクレンのつぼみも大きく膨らんで、庭の花木たちは、北寄りの風が吹いて寒さがぶり返しても、後戻りすることのない春の到来を告げている。 以前にも書いたが、少年時代を想い起せば確かな春の到来は、「手足の指や耳たぶのシモヤケに苦しめられる季 [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 184、段々畑の四季 (春) 33
  •  菜の花は、周囲に花の少ない早春に強い存在感を示す花だが、可哀そうなのは目立つわりに花としての評価が低いことだ。園芸品種の花ではなく、「菜種油を搾(しぼ)るために栽培された花」という意識が災いしているのかも知れないが、実際のところ花瓶に挿して鑑賞したいと思うような花でもない。ありふれた花であるが故に希少価値を感じないし、気品を欠く野暮ったい匂いも好きになれないようだ。 以前にも書いたが、今の子ど [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 183、段々畑の四季 (冬) 32
  •  時代の流れに取り残されていくような辺鄙(へんぴ)な集落。貧しくともさして不自由しない衣食住に満足していれば、いたって安穏な人々の暮らしなのだが…、十年一日のごとく変わり映えのしない生活に耐えきれない思いをしていたのは子どもたちだった。変化に乏しい日々の暮らしの中で、蒲江中心部の東光寺で催される八日薬師祭は、子どもたちの好奇心に応える数少ないチャンスであった。「広い世界、違う世界を見てみたい」  [続きを読む]
  • 中高年の子守唄 182、段々畑の四季 (冬) 31
  •  陸の孤島と侮蔑的に呼ばれても、「本当にその通り」とうなずいてしまうほどに閉鎖的な集落の中で、子どもたちは、八日薬師祭への参詣を小旅行にでも出かけるような気分で楽しみにしていた。「見飽きた景色や、変化に乏しい日々の暮らしから抜け出したい」という衝動や、「違う世界を見てみたい」という好奇心が八日薬師祭へと駆り立てているのだが、子どもたちの願いを叶えさせるためには、乗り越えねばならない大きな障壁が立 [続きを読む]