元島根県民 さん プロフィール

  •  
元島根県民さん: 元島根県民のお部屋
ハンドル名元島根県民 さん
ブログタイトル元島根県民のお部屋
ブログURLhttp://okigoka.blog.fc2.com/
サイト紹介文島根県を中心とした建物や街並み、近代化遺産と、路面モジュール、Nストラクチャーの製作など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2011/09/24 11:30

元島根県民 さんのブログ記事

  • 山常楼(安来市安来町)
  • 胃腸炎がつらい・・・。安来駅すぐ近く、国道9号線沿いに存在感を発揮する山常楼の建物です。山常楼さんは江戸末期から続く歴史のある料亭です。現在の建物は昭和9年に改築されたものとのことです。玄関部分。和風建築の様々なエッセンスがまじりあい、素敵な雰囲気です。大名屋敷の玄関のような雰囲気です。宝形屋根がよいアクセントになっています。平成26年12月に登録有形文化財になりました。画像右に見える土蔵も文化財指定、 [続きを読む]
  • 旧郷田郵便取扱所(江津市江津町)
  • 江津の「江津本町」は、かつては舟運で栄た町であり、現在も当時の名残をとどめる豪壮な商家など石州瓦の古い町並みが残っています。近代以降も、江津の中心としての地位を守り、今回紹介する旧郷田郵便取扱所(旧江津郵便局)や江津町役場などの近代建築も建てられ、現在に伝わっています。冒頭の旧郵便局と町並み、駒繋石のある水路の組み合わせ画像は、津和野の「鯉の泳ぐ水路+武家屋敷長屋」に匹敵する、島根県に代表的な定番 [続きを読む]
  • 安来節紀念碑(安来市安来町)
  • 安来市の安来公園に立つ「安来節紀念碑」は、安来節の隆興を記念した記念碑で、昭和7年5月に竣工、同月15日に除幕式を行っています。近代建築の一つとしてよいのではないかと思われます正面には「安来節紀念碑」の文字が金属板で設置されています。鉾のようにも見える塔頂部の装飾。側面の碑の由来文、賛同者の氏名などのプレートが残されています。あまり解像度の高い画像がなく、詳細が確認できません。(失敗!取り直しに行かな [続きを読む]
  • 旧制松江高等学校外国人官舎(島根大学旧奥谷宿舎)その2
  • 以前ご紹介した旧制松江高等学校(淞高)の外国人官舎は、大正13年の建築で、当初は独語講師用(1号官舎)・英語講師用(2号官舎)と、二棟の官舎が双子のように並んでいたとのことです。建築当時の新聞記事などが残っていないか調べようと思ったのですが、国会図書館に所蔵している松陽新報、山陰新聞は、なぜか大正期の分がごっそり抜け落ちており、調べようがないことがわかりました。残念。代わりにと言っては何ですが、昭和12 [続きを読む]
  • 島根県内における農業倉庫の型式の分布
  • 島根県内には、戦前から戦後にかけて産業組合や農協によって建設された倉庫(以下農業倉庫)が複数残されています。特に戦前に建設された(と思われるものも含む)倉庫はいわゆる「土蔵」の型式がとられています。この「土蔵」ですが、島根県内の土蔵は、本体の上に木組みをして屋根を別に置いている、「置き屋根」式の土蔵が出雲地域を中心に目立ちます。農業倉庫における「土蔵」でも、この「置き屋根」の型式をとっているものが [続きを読む]
  • 国道54号沿線に残る戦前の橋【その12・坂本橋】
  • 坂本橋は正確には国道54号に架かる橋ではありません。三刀屋町乙加宮で54号線から分かれて三刀屋町中野方面へ向かう、県道51号線(出雲奥出雲線)の橋です。が、54号線から10mも離れていないところにありますので、本カテゴリにてご紹介するものであります。画像で橋の向こう、軽自動車が走っているところが54号線、右手の小屋は「坂本橋」バス停の待合室です。坂本橋の停留所名は省営雲芸線時代にもその名があり、相当歴史の古い [続きを読む]
  • 千住神社神輿倉(足立区千住宮元町)
  • 千住神社はその創建が平安時代までさかのぼることのできる、足立区でも最も歴史のある神社の一つです。歴史の古い神社ですが、昭和20年4月の空襲により、本殿をはじめとして神社の主要な建物は悉く灰燼に帰しました。しかし、一棟だけ焼け残った建物があるのです。そう、これからご紹介する神輿倉です。。。ということで千住神社の神輿倉です。昭和5年築としているサイトがありました。 国土地理院webより 国土地 [続きを読む]
  • 大宮聖愛教会(さいたま市大宮区)
  • 大宮駅西口にこのような教会がありました。 大宮聖愛教会という教会です。教会のHPによると、昭和9年築、大宮で初めての鉄筋コンクリート建築だそうです。 教会の壁にツタの枝が絡まっておりますので、夏場はモジャモジャでしょう。観察をするのは冬場がよさそうです。 玄関部分。そごうなど大きな建物が多い大宮駅の西口に、このような貴重な近代建築が残っているとは知りませんでした。【撮影】平成28年12月 [続きを読む]
  • 隠岐中山隧道周辺の道路の変遷について
  • 前回まで初代中山隧道、二代目中山隧道と、二世代のトンネルについてご紹介しました。 この回では中山隧道にまつわるルートの変遷について、古地図等を用いて整理しておきたいと思います。 旧西郷町側から見た五箇トンネルです。手前右の坂道は初代・二代目中山隧道に通じる旧道です。 【初代中山隧道ができるまでの道路はどこを通っていたのか?】 明治28年に車道である「北方道」が全通していますが、 [続きを読む]
  • 一畑電鉄の貨車ト60
  • 真岡鉄道の真岡駅に一畑電鉄の貨車が保存されています。 Wikipedia他の資料によれば、もともとは大社宮島鉄道(後の一畑電鉄立久恵線)で使用されていたそうです。昭和10年に日本車両で製造され、大社宮島鉄道で使用されていましたが、昭和40年に立久恵線が廃止になってから北松江線に転属し、平成23年頃までバラスト散布などに使用されていました。 なぜ真岡に?と思ったのですが、平成23年に一畑電鉄が競売を行って、 [続きを読む]
  • 浜田高校の門柱(浜田市黒川町)
  • 浜田高校に古い門柱が残されています。これは、旧制浜田高等女学校の校門だったものです。 浜田高等女学校は明治33年創立、明治35年に洋風新校舎へ移転(現浜田警察署敷地)しており、この際、現在浜田高校に残る門柱も作られたものと思われます。 当該校舎は戦後浜田市立第二中学校となり、昭和46年の中学校移転まで使われました。校舎解体の際に、門柱は浜田高校、袖門柱(背の低いほう)は原井町に移転した第二中の門 [続きを読む]
  • 国道54号沿線に残る戦前の橋 【その11・船津橋】
  • 「国道54号沿線に残る戦前の橋」シリーズ、その11は船津橋です。(参謀本部「木次」昭和7年より)前回の霞橋との位置関係は図の通りです。(国土地理院ウオッチ図より)現在の地図。掛合町多根地区ではうねうねとする三刀屋川に対し、旧道は川に沿ってカーブが続きますが、現国道は橋とトンネルでショートカットしています。おかげで旧道が良く残る区間となっています。 船津橋の全景です。橋の幅は広く、二車線分弱くらいで [続きを読む]
  • ディズニーランドへ行ってきました
  • 三連休初日、ディズニーランドへ出かけてきました。 効率よくアトラクションを巡るためには、オープン時の挙動が大切であると、早起きして始発電車を目指しましたが、最寄り駅に着いたら電車、まさかの運休。予定より30分以上もロスしてしまいました。京葉線への乗り換えは有楽町からの裏技?を使いました。 ディズニーランドには7時ちょうどに到着。前回は「シー」限定のチケットにもかかわらずディズニーランドで並ん [続きを読む]
  • 国道54号沿線に残る戦前の橋 【その10・霞橋】
  • 国道54号線沿線の古い橋のその10は、霞橋です。 国土地理院ウオッチ図より 霞橋は雲南市、旧掛合町多根の旧道に架かる橋です。多根地区では三刀屋川が西に大きく蛇行しており、元の国道54号線もこの三刀屋川に沿っていました。 戦後の国道改良工事によって、多根トンネルが作られ、国道がショートカットすることとなったため、多根地区の道は拡幅されることなく旧道となり、結果、霞橋も架橋当時のまま残され [続きを読む]
  • 国道54号線沿線に残る戦前の橋 【その9・松尾橋】
  • 国道54号シリーズその9は旧松尾橋です。並行して平成8年架橋の松尾橋が架っており、現在は橋として現役を退いているように見えます。しかし、決して通行止めになっているわけではなく、ブログ主もレンタカーで橋を渡ることが出来ました。 この橋は島根県教育委員会の「島根県の近代化遺産」に記載がなく、正式な橋名、架橋年は不明です。隣の現橋が「松尾橋」を名乗っているので、おそらく古い橋ももともとは松尾橋だったの [続きを読む]
  • 線路端のコンクリート小屋
  • 京浜東北線の北行電車に乗っていると、大森の手前でちらっと通り過ぎる古そうな小屋。気になっていたので連休中に見に行ってきました。 大森駅から歩いて物件を探します。難航するかと思いましたが、線路沿いに歩いていたら踏切から簡単に見つけることが出来ました。 ついに近くから観察することが出来ました。フェンス越しに撮影した小屋の姿。大森側から蒲田方面を眺めた画像です。よくみるとうっすらと「工」という文 [続きを読む]
  • 国道54号線沿線に残る戦前の橋 【その8・金原橋】
  • 久しぶりの国道54号シリーズ、その8は旧金原橋です。 ※「金原」は「かなはら」ではなく「かなんばら」と読むようです。(国土地理院ウオッチ図より一部転載加筆)その7で紹介した平岩橋からだいぶ離れてしまいました。掛谷の中心を抜け、道の駅「掛谷の里」の手前、三刀屋川にかかる橋です。 参謀本部 木次(昭和7年)より引用戦前の地図ではこのような感じです。平岩橋と金原橋の間、掛合町の入り口には「掛 [続きを読む]
  • 有福温泉の共同浴場について(その2)
  • 前回は、有福温泉に存在する(した)共同浴場について、それぞれ古絵葉書等をもとにして変遷を整理してみました。 今回は明治から平成至る迄で、共同浴場の数がどのように変化していったのか、整理しておきたいと思います(今回も文字ばかりでつまらないですョ)。 【有福温泉の共同浴場の変遷】 各種資料、HPより有福温泉の共同浴場の変遷をまとめてみました。 ①明治21年の皇国地誌では、浴場が6あると記 [続きを読む]
  • 旧日本銀行松江支店(松江市殿町)
  • 島根県内の代表的な近代建築の一つである、旧日本銀行松江支店です。日本銀行の支店が松江にできたのは大正7年、当時の建物は木造レンガの洋風建築でしたが、軟弱地故地下金庫が沈下、やむなく昭和13年に長野宇平治設計により現在の建物に改築されました。昭和56年に日銀松江支店は母衣町に移転。島根県が借り受けて分庁舎となりました。平成8年に松江市に所有がうつり、平成12年にカラコロ工房として再デビューします。カラコロ工 [続きを読む]
  • 有福温泉の共同浴場について(その1)
  • 御前湯の歴史を調べる上で、地方誌などを確認してきましたが、近代の有副温泉がどのように変わってきたかということをまとめて記述している資料を見つけることが出来ず、かなり消化不良な感じになっています。ここでは、各種資料の断片的な記録から、明治以降の有福温泉の共同浴場の変遷について、ブログ主なりにまとめてみようと思います。※本稿の下のほうに、参考にした資料の引用部分を転記してあります。※画像について過去の [続きを読む]
  • 出雲大社彰古館(出雲市大社町)その2
  • 以前、出雲大社境内の「彰古館」をご紹介したのは平成24年のことで、ブログ創成期ということもあり、読み返してみますと情報が今一つといった感じなので改めてご紹介したいと思います。大正3年3月9日付松陽新報よりこの建物は大正3年に、出雲大社の「宝物館」として建設されたものです。大正3年3月の松陽新報に「新築の大社宝物館」というキャプション付きで、建物の写真が掲載されていました。写真のみの掲載で、詳細記事 [続きを読む]
  • 伊毘志橋(雲南市三刀屋町多久和)(その2)
  • 以前ご紹介した「伊毘志橋」の補足です。前回は「松陽新報社」の記事から橋の存在を知り、現存を確認しました。同じ時期の「山陰新聞」の記事で新しい事実が分かりました。山陰新聞(昭和11年8月12日付)より「旧松江大橋の擬宝珠を附けた伊毘志橋」「飯石神社の参道を飾る十日竣工渡初め式」県立三刀屋、飯石線の飯石神社参道の伊毘志橋は総工費二千四百六十五円を投じ、去る五月末着手しこの程竣工したが延長10米、幅員4米5 [続きを読む]
  • 小豆島に行ってきました(その2)
  • 小豆島旅行2日目(その2)です。小豆島は醤油の名産地でもあるのだそうで、島内には醤油蔵が数多くありました。こちらは大正時代建築のマルキン醤油。大変見ごたえのある近代化遺産です。二十四の瞳の分教場に行く途中には、レンガの醤油蔵もありました。大石先生(高峰秀子)が落とし穴に落ちたロケ地から撮影した上掲の醤油工場です。小豆島観光の最後は岬の分教場でした。セットとして作られたものですが、雰囲気抜群。近くに [続きを読む]
  • 小豆島に行ってきました(その1)
  • 卒業後地元に戻ったメンバーを訪ねようと、大学サークルの有志で小豆島に遊びに行ってきました。金曜夜、サンライズ瀬戸に乗り込み出発です。この日のサンライズは出雲、瀬戸ともに満席。シングルは非常に快適、ぐっすり眠り岡山で目覚めました。7時半頃高松に到着しました。国鉄時代に製造された121系とサンライズのツーショット。駅近くのうどん屋で肉うどんを食べました。このあともう2件、うどん屋を巡ってから小豆島行きのフ [続きを読む]