元島根県民 さん プロフィール

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元島根県民さん: 元島根県民のお部屋
ハンドル名元島根県民 さん
ブログタイトル元島根県民のお部屋
ブログURLhttp://okigoka.blog.fc2.com/
サイト紹介文島根県を中心とした建物や街並み、近代化遺産と、路面モジュール、Nストラクチャーの製作など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2011/09/24 11:30

元島根県民 さんのブログ記事

  • 旧白鳥村信用組合倉庫(市原市大久保)
  • 模型仲間とともに小湊鉄道の「里山トロッコ」を楽しんでおりましたところ、上総大久保駅を出たところで車窓に気になる物件を見つけました。JAの支店とその倉庫といった風情ですが、すでに看板をはずされ、ATMも動いていなさそうな雰囲気です。事務所棟の隣には農業倉庫。手前は新しい増築風ですが、その奥には昔ながらの倉庫のようです。注目すべきは倉庫の「鉢巻」の部分に書かれている文字です。一部不鮮明ですが「保証責任 [続きを読む]
  • 津森医院(松江市本庄町)その2
  • だいぶ前にご紹介した、松江市本庄町の津森医院について補足です。津森医院の築年代について、島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストでは昭和元年、文化庁のデータベースでは昭和初期としてあります。大正天皇が崩御された大正15年12月25日をもって昭和に改元されていますから、昭和元年は12月25日から12月31日までのわずかの期間しかなかったことになります。ということで、津森医院は本当に昭和になってから建てられた建 [続きを読む]
  • 旧本郷青年倶楽部(大田市温泉津町湯里)
  • 以前ご紹介した旧湯里村役場前の通りを海方向へ、歩いていくと、こんな建物に出会いました。民家にしては大柄で何となく明治〜大正期の小学校の講堂にも見える建物です。気になる建物でしたが、旧湯里村の歴史を記した「ふるさとアルバム」という資料に、昭和初期に「本郷青年倶楽部」として建てられたものという記述がありました。映画を上映したり、会合などに使われたとありました。「青年倶楽部」というくらいですから、主に地 [続きを読む]
  • 母里小学校校門(安来市伯太町西母里)
  • 旧伯太町の母里小学校の校門です。「郷土母里」によれば、昭和3年に建立されたものとのことです。なかなかオシャレなデザインです。上述の「郷土母里」によれば、「人造石洗出し工法により仕上げられている」とありました。校舎はすっかり建て替えられていますが、校門は昔のままの姿で残されています。【撮影】 平成26年9月【参考文献】郷土母里第2輯 平成16年 母里公民館・ 母里郷土誌編纂委員会 [続きを読む]
  • 来原岩樋の水門上屋(出雲市大津町来原)
  • 来原岩樋は元禄年間、斐伊川から高瀬川への取水口として築かれた水門設備です。出雲今市の街中を通る高瀬川は出雲平野を潤すための農業用水として大梶七兵衛によって開削されました。当初の斐伊川からの取水口は木で作られていたそうですが、これが洪水などで破損する恐れがあった為、岩樋(つまりトンネル)を掘って取水口を新たに設けたものです(岩盤を掘り抜いて導水することで、岩盤が天然の堤防としての役割を果たして取水口 [続きを読む]
  • 国道54号線沿線に残る戦前の橋【その14・下津原橋】
  • 「国道54号沿線に残る戦前の橋」シリーズ、その14は下津原橋です。陸地測量部「木次」昭和7年より前回の井羅原橋と下津原橋の位置関係を示します。旧道は井羅原橋で三刀屋川を渡り、しばらくは川沿いに、三刀屋の手前の殿河内地区まで来て下津原橋で再び川をまたいでいました。国土地理院WEBより現在の国道54号線は旧道の北側にトンネルと橋とでショートカット。下津原橋前後の道は生活道路として残りました。下津原橋の全景。 [続きを読む]
  • 旧安来銀行その2(安来市安来町港町)
  • 以前ご紹介した、初代*安来銀行の建物について、新しい資料が見つかりましたのでご紹介します。*安来銀行の設立は明治29年なので、当該建物の建設以前に、安来銀行として使用されていた建物があるわけですが、面倒なので本稿では便宜的に「初代」とします。よって、大正4年築の煉瓦の銀行は「二代目」と呼称します。「安来町全景(其一)」とキャプションのついている古絵葉書です。この左に其二が続くようになっていて、十神山側 [続きを読む]
  • 旧吉田信用購買販売利用組合事務所(雲南市吉田町)
  • 旧吉田村の中心である吉田の町はメインストリートのなだらかな坂の通りに沿って、田部家の土蔵群をはじめとした歴史的な街並みが形成されており、たたら製鉄でにぎわった近世・近代の面影を現在に伝えています。今回ご紹介する「旧吉田信用購買販売利用組合事務所」は、そんな歴史的な街並みの一角にあって洋風の意匠が町並みに彩をそえる素敵な近代建築です。この建物は、昭和6年*に吉田村の産業組合の事務所として建てられたもの [続きを読む]
  • 村上家資料館(海士町大字海士)
  • 海士町の旧海士村役場裏手に、隠岐の豪族村上家の資料を公開している、「村上家資料館」があります。村上家は中世からの隠岐の豪族で、隠岐に御配流となられた後鳥羽上皇のお世話をしたことでも有名な歴史のある家柄です。村上家資料館の建物は、もとの村上家のお屋敷であり、平成21年から平成25年にかけて復元整備を行い平成26年に資料館として再活用されることになりました。同年の第23回しまね景観賞では公共建築物部門の奨励 [続きを読む]
  • 朝山医院(安来市広瀬町)
  • 広瀬町の歴史的な街並みの中に、洋風な医院建築が残されています。朝山医院の建物で、島根県近代化遺産リストによれば昭和7〜8年の築との事です。建具は新しくなっていますが、きれいにペンキが塗られた現役の医院です。門柱もクラシカルで昔ながらの医院らしい風情です。建物の左手にはこのような張り出し部分があります。レントゲン室でしょうか?【撮影】平成26年9月【参考文献】「島根の近代化遺産」  平成14年 島根県教育 [続きを読む]
  • 旧久木小学校校門(出雲市斐川町福富)
  • 斐川町の「原鹿の豪農屋敷(旧江角邸)」の向かいに、古い門柱が2基保存されています。デザインからして戦前のものと思われます。向かって右側の門柱。ボロボロですが「郡」とか「久木」といった文字が読み取れます。「簸川郡久木村立小学校」と記されていたのでしょうか。上記のことや位置からして、昭和45年までこの地にあった久木小学校の校門と思われます。久木小学校は昭和45年までこの地にあった小学校で、現在は直江小学校 [続きを読む]
  • 国士館大学大講堂(世田谷区世田谷)
  • 国士館大学の構内、近代的な校舎が立ち並ぶ中で異彩を放つ、大正8年築の「大講堂」の建物です。寺院風・純和風なこの建物は大正6年に青山の地に創立した国士舘が大正8年に、世田谷の当地に移転した際に講堂として建設された建物です。完成当初はまさに講堂として、この建物内で講義が行われたそうで、頭山満や中野正剛といった錚々たる人物がこの講堂で講演に立ったそうです。昭和20年5月の空襲(山の手空襲か)で隣接校舎は罹災し [続きを読む]
  • 吉田橋(安来市飯島町)
  • 松江方面から国道9号線の旧道を安来に向けて走りますと、安来の市街に入る直前でこの橋を渡ることになります。コンクリートの欄干を持つ、歴史を感じさせる橋です(画像は安来側から撮影しています)。(参謀本部昭和9年「米子」より)戦前の地図で見るとこの位置です。西にはこれも戦前架橋で現役の飯梨橋、飯梨橋を渡ると以前ご紹介した赤江村役場のマークも確認できます。(国土地理院WEBより)現在の国道9号線(桃色の道) [続きを読む]
  • 大森の羅漢町橋(大田市大森町)その2
  • 以前ご紹介した大森の「羅漢町橋」は、架橋年も明確になっていない謎多き橋なのです。島根県の近代化遺産の集大成ともいえる、「島根県近代化遺産総合調査報告書」にあっても、羅漢町橋に解説のページを割いてはいるものの、架橋年に関しては一切触れられておらず、どうにもこうにも「資料がない。」ということが推察されます。せんだってヤフーオークションで、羅漢町橋が写された絵葉書を落札しましたので、これをもとに羅漢町橋 [続きを読む]
  • 旧赤江村役場その2(安来市赤江町)
  • 以前ご紹介した、安来市赤江町の旧赤江村役場について、建物が建設された当時の新聞などから、情報を整理してみたいと思います。昭和3年12月12日付松陽新報「満山錦を飾るけふの赤江の賑ひ」「飯梨川畔に甍並べて落成した村役場と信組事務所」新聞記事中に建物に関する具体的な記述はありませんが、新築は「御大典」を記念したものと記されています。昭和3年は昭和天皇のご即位の大礼が京都で行われた年であり、「御大典」の記念と [続きを読む]
  • 御便殿その2(浜田市)
  • 以前ご紹介した浜田市の「御便殿」について、浜田市のHP資料と、山陰行啓を記録した資料、「行啓記念春日の光」(明治40年)から、情報を整理したいと思います。【建設の経緯、設計者など】御便殿は明治39年10月に起工し、翌40年5月に竣工しました。浜田市の資料(「浜田市役所HP『浜田城』歴史の散歩道その11」)や、「行啓記念春日の光」によれば、御便殿は、旧浜田藩主である、松平子爵が浜田営造株式会社に建築を依頼し [続きを読む]
  • 旧簸川銀行本店その3(出雲市今市町)
  • その2に引き続き、出雲市の「旧簸川銀行本店」について、資料をもとに考察を加えたいと思います。<落成式を伝える山陰新聞>現在残る建物が建築された当時の新聞記事に、建物に関する記載がないか、下記のような記事をみつけました。山陰新聞大正9年2月17日「簸川銀行落成式」簸川郡今市町簸川銀行は昨年末竣工と共に移転せるが来る二十一日午後一時より簸川郡会議事堂に於いて落成式を挙行する由いかがなものでしょうか、注目す [続きを読む]
  • 六郷水門近くの近代建築(大田区南六郷)
  • 六郷水門の近くに気になる建物を見つけました。増改築の激しい建物ですが、立派な玄関が、ただものではない雰囲気を漂わせています。車寄せ上部に「常盤軒」の切り文字が据えられています。調べてみると、仕出し弁当や、ケータリング事業をおこなっている、常盤軒フーズの工場ということが分かりました。とにかく玄関が立派です。この建物がどのような歴史を持っているのか、大田区誌などをいろいろ調べてみましたが、よくわかりま [続きを読む]
  • 旧簸川銀行本店その2(出雲市今市町)
  • 以前ご紹介した出雲市の「旧簸川銀行本店」について、その後、新たな資料も増えましたので、少し考察を加えたいと思います。<新築記念絵葉書からの考察>ヤフーオークションで、簸川銀行本店新築記念の絵葉書を手に入れました。当該の絵葉書には、新店舗・旧店舗の写真のほか、当時の今市町の地図があしらわれています。地図には新店舗、旧店舗それぞれの位置や、町内の官公庁等の主要施設の位置も記載されて、当時の出雲今市の町 [続きを読む]
  • 国道54号線沿線に残る戦前の橋【その13・井羅原橋】
  • 「国道54号沿線に残る戦前の橋」シリーズ、その13は井羅原橋です。現在、井羅原橋の下流側に新井羅原橋が架かっておりますので、古い橋が架かっているのをご覧になった方も多いのではないかと思います。井羅原橋は中間橋脚を3つもつ、4径間のRC桁橋で、橋の長さは、国道54号線沿線の戦前架橋の橋の中では、おそらく、三刀屋橋に次ぐ長さと思われます。(昭和7年陸地測量部地図より)前回の坂本橋と井羅原橋の位置を、古地図に示 [続きを読む]
  • 出雲横田駅(奥出雲町横田)
  • 出雲横田駅は木次線の要衝、駅舎は開業当初以来の木造駅舎です。昭和8年11月20日付山陰新聞木次線の出雲三成〜八川間は、昭和9年11月開業しました。開業に伴い設置された駅は亀嵩、出雲横田、八川の三駅で、いずれの駅舎も現在まで開業当初の姿を残しています。新聞記事に掲載された開業区間の駅写真、上より、出雲横田駅、亀嵩駅、八川駅です。すでに八川駅はご紹介していますが、亀嵩駅も玄関の位置が左右逆なだけで、八川駅とほ [続きを読む]
  • 石見横田駅(益田市神田町)
  • 山口線の石見横田駅は、ごらんのとおりの素敵な木造駅舎が残っています。島根県教育委員会の「島根の近代化遺産」リストによれば、大正12年の築とのことです。山口線が津和野駅から石見益田駅まで延伸されたのが大正12年の4月ですから、開業当初の駅が残されていることになります。駅正面から。程よく修復されており、美しい姿を保っています。ホーム側からの姿。構内踏切より益田駅方面を臨みます。駅前広場のタクシー会社事務所 [続きを読む]
  • 海潮の歯科医院(雲南市大東町)
  • 旧大東町の海潮でこんな素敵なお医者さんを見つけました。古風な門柱に洋館、典型的な戦前のお医者様です。完全な洋館ではなく、何となく和風のテイストも漂います。アーチな玄関庇が楽しい感じです。近くにはこのような建物も。駐在所でしょうか?【撮影】平成29年4月 [続きを読む]
  • 旧島根師範学校正門門柱(松江市西川津町)
  • 久しぶりに島根大学構内を散策していたら、妙なものを発見しました。教育学部の玄関の向かいにある茂みの中です。これは何でしょうか?門の一部のようにも見えます。大学構内ということもあって、大学の前身にあたる学校に関連するものではないか・・・。と、帰京してから島根大学のサイトなどから古写真を確認してみました。島根大学のサイトより、こちらの写真をご覧ください。かつて外中原町に所在した旧島根師範学校の正門門柱 [続きを読む]
  • 旧浦郷警察署その2(西ノ島町浦郷)
  • 以前ご紹介した、旧浦郷警察署の建物ですが、松陽新報に昭和8年の新築落成の記事がありましたのでご紹介します。昭和8年10月15日付松陽新報よりこちらが新築当時の浦郷警察署の写真です。現在の姿と比べますと、・屋根上にドーマー窓がある・建物手前の増築部がなく、円を描く庇がある・門柱が確認できるなどの違いがある事が分かります。つまり、現在までにだいぶ改変されている。ということです。建物の印象が違いますね。画像だ [続きを読む]