kanototori さん プロフィール

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kanototoriさん: 看藝累記
ハンドル名kanototori さん
ブログタイトル看藝累記
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/kanototori/
サイト紹介文広島市を中心に、地名を集めて街角の写真とともに関連付けながら積み累ねていくブログ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供363回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2011/10/08 00:40

kanototori さんのブログ記事

  • [文字][地名]「祇園大橋」
  • 祇園大橋は国道183号*1が通る54号の旧道。 橋の真ん中を境に北が安佐南区、南が西区。境の位置の上流側に大きな文字で「祇園大橋」と表示されている。 ここは太田川放水路堤防上の道路に直結する「河川管理用道路」で、国道両脇の歩道は別途設けられている。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080920/1221925564 [続きを読む]
  • [風物]放水路の内側
  • 堤防の向こうには既設の水門があり、河川敷内の遊歩道の一部が橋となって新安川を跨いでいる。 放水路のすぐ上流側には「祇園大橋」。祇園大橋北詰の陸橋からは河川敷を見下ろせる。祇園大橋から下流の山手橋まで、両岸の河川敷は「放水路グランド」で、祇園大橋近くにはグラウンドゴルフ場が2箇所ある。 といったことは、河川敷の用途が示してある「太田川河川敷グランドマップ」に載っていた。表記は「グランド」が優勢。 河 [続きを読む]
  • [風物][路傍]消防団車庫の前
  • 既設の排水機場の側には消防団の車庫がある。西には新安川を渡る土手橋があり、東には放水路の堤防下の細い道路があり、車両の出入りはそのどちらかの道を通ることになる。 排水機場の壁に「川の管理に支障となりますので駐車はご遠慮ください」との注意書きがある。川の管理はもちろん消防にも関わる多機能な場所となっている。 [続きを読む]
  • [風物]既存の排水ポンプ
  • 新安川を跨ぐ形でポンプゲートや除塵機が設けられたのは新しいことで、それ以前からも東岸に排水ポンプが設置されていた。 橋のたもとから既設建物を見ると外壁に説明板がある。新しい設備がもたらす効果を図解している。 [続きを読む]
  • [風物]新安川の除塵機
  • ポンプゲートのすぐ上流側に橋があり、橋のさらに上手に除塵機がある。 緑井の企業による機械で、下記ページに工事事例の一つとして紹介されている。 大和エンジニヤリング|工事事例 「除塵機」そのものの説明は広島県下水道公社のサイト内にもあり、向洋の浄化センターポンプ棟で大きめのゴミを取り除く役目を負う。 太田川東部浄化センター ポンプ棟-公益財団法人 広島県下水道公社 [続きを読む]
  • [建築]排水ポンプ増設
  • 新安川排水樋門が太田川放水路堤防に設けられた後、平成22年の新安川流域の床上浸水を受けて排水ポンプが増設された。 新安川排水機場の運用を開始しました - 広島県ホームページ 堤防上の歩道から見えるのは四角く白い建物に銀のダクトと非常階段。 [続きを読む]
  • [風物]説明板諸相:新安川の樋門
  • 府中町の川は猿猴川に注ぎ(元は直接海へ)、長束や三滝の川は太田川放水路に注ぐ(元は山手川)。本流や海の水が小河川に逆流すると流域の平地に浸水する羽目になる。 それを防ぐ樋門や護岸が整備されてから随分経つので、その設備や表示が古びて見える。 安川の旧流路下流は「新安川」*1。「新安川排水樋門」の説明板によると平成3年10月完成。国土交通省の後に続く組織名は消え、「河川情報システム」のアドレスが案内されるなど [続きを読む]
  • [風物]川に挟まれた樋門
  • 八幡川と榎川の間に一基、榎川と府中大川の間に一基、白い樋門の口が開いていたり閉じていたり。 府中大川のすぐ隣の樋門は経免の耕地に使われた水路の出口にあたる。耕地や水路の見えない今では、他の河川と並んで「四水流」と書かれた頃の姿を想像しにくい。 大正15年の水害で「字経免耕地全部海と化し」という被害を受けた後、府中大川と経免水路と榎川の間の堤防を取り払って一本の幅広の川にするという大改修がなされた。 [続きを読む]
  • [路傍][本]昭和橋のあった道
  • 現在の県道272号は「新昭和橋」で八幡川を渡る。 府中大川の土手上を県道が通っていた頃は「昭和橋」が八幡川河口にあった。さきの参拝記で、参詣道の石碑を過ぎた後で通った所。 此橋こそ前に述べた河川大改造の際、八幡川の水路を埋め立てたる爲、之が水を此の橋下をくゞらせて、府中大川に浸がす新に出来た鐡筋コンクリートの斜過の橋である。 昭和7年の『藝州府中荘誌』時点での一番最近の大事件は大洪水であったから、それ [続きを読む]
  • [石碑石塔]土手の上の参詣道
  • 府中大橋の東岸川上に立つ「多家神社参詣道」の石碑は、参詣道の入口を示すとともに、旧山陽道の国道から分岐した県道の入口を示すものでもある。 前掲「縣社多家神社参拝記」にも、乗合自動車からも文字よく見えたようで石碑の寸法と合わせて紹介されている。 (略)直ちに左に曲りて川堤を進めば、誰曾廼森多家神社に至る、此の間縣道なりと聴く橋の南側、折れ曲りの角に幅一尺、高六尺許りの石柱に、多家神社参詣道と肉太に刻さ [続きを読む]
  • [地名]府中大川の合流点
  • 榎川と八幡川がほぼ同じ地点で府中大川*1に合流するのが、下流の府中大橋から見える。 大正15年の洪水復旧によって現在の流路に整備された。それ以前は『藝州府中荘誌』掲載図版の天保年間の「府中大川古圖」に描かれるような四水路が土手で区切られて並んで流れていた。図版の解説は 大川、榎木川、八幡川、経免水路の四水流が往還土橋(今の府中大橋)を潜つて広島湾に流入する状を表したる天保年間の古圖面 との名を挙げる。 [続きを読む]
  • [地名][動物]八幡川の曲折
  • 府中町内を東から西へ流れる八幡川は途中、浜田の恵比須神社近くで北へ向きを変え、入川橋で再度西へ向く。入川橋は交差点の下が川の曲がり角なので橋というよりも短い暗渠。 恵比須神社では南の暗渠から別の水路を合わせている。普段の水量は少なく細い川幅の一部は土砂が溜まって動植物のすみかになる。 之れ又常に流水なく、川床耕地より高く、洪水、堤壁を破れば耕地、人畜に大被害を及ぼす状態なり、此の川も大正十 [続きを読む]
  • [地名][文字]河口は経免
  • 榎川と府中大川が合流するところ(体育館や図書館など)は住居表示上は「本町」で、旧来の字名は「経免」。町の中心部になったために別の地名に置き換わってしまった。寺社名と異なり、橋名の元になった地名が現存するもしないもないが、橋という点を手掛かりに面としての「経免」を想像するという順序。 榎川最南端の橋が「経免橋」で、すぐそばで府中大川に架かる「経免大橋」。 歩道の上の道しるべには「経面」と表示されてい [続きを読む]
  • [地名]神社近くの橋たち
  • 榎川を上流の水分峡へと辿る道はいつも川の左側に沿っている。 所々に小さな橋が向かいの家々に通じる。 多くはコンクリートの低い欄干か、ガードレールの白い欄干が橋の名を見せるなか、やや大きい「総社橋」はやや新しい欄干を構える。 川下に多家神社や長福寺があり、上流に水分神社や道隆寺があるだけでなく、その中間にも総社・大歳・新宮が近かったため、その名を冠する橋もある。いずれも合併などで現存せず。 [続きを読む]
  • [地名]御衣尾の川
  • 榎川は多家神社のすぐ東の龍仙寺北麓で山田川と合流する。 現在は、『藝州府中荘誌』に云う「御衣尾川、山田川の落合より、經免樋門迄約十五町の間を稱す」という区切り方ではなく、上流の水分峡まで含めて「榎川」と呼ぶ。 橋の名にかろうじて「御衣尾橋」がある。 [続きを読む]
  • [地名][本]榎川の名
  • 『藝州府中荘誌』の「第一章 地誌 六、河川」には五つの河川名が項目となっている。一括りにすると府中大川とその支流にあたるが、御衣尾川と山田川が合流して以降を「榎川」と呼ぶので、府中大川に合流する川は二本。 榎川についての説明は語源の考察と堤防の規模と水害の履歴に充てられる。 榎川 榎木川、埃之川、江之川等稱す、榎木川の名は、誰曾廼森の麓、此の川に添ふて榎樹多くあり、神武大武*1御留蹕の際も、此の木に [続きを読む]
  • [文字]埃宮橋親柱
  • 埃宮橋は後からアスファルトが敷かれたのだろう、親柱の根元が埋まり気味に低くなっている。 榎川右岸の川下側に漢字で「埃宮橋」とあり、川上側がひらがな。 「え」ははっきり見えないが多分「えのみやはし」で、「の」は「能」の変体仮名の方。 [続きを読む]
  • [地名]埃宮橋
  • 昭和5年「縣社多家神社参拝記」*1中の文化橋の記述のあと、乗合自動車は多家神社の麓に到着する。 左向ひの土堤に村役場、及び埃宮橋右は目的地誰曾廼森多家神社である、自動車は此の所のに有る待合所でぴたりと止る 古めかしい欄干を残す「埃宮橋」は車道専用となり隣に歩道橋が付け足されていて、こちらの鉄管の欄干もまた古びてきている。 頭上には横断歩道橋が榎川と県道を跨ぐ。標識に示される「府中町役場」は榎川と [続きを読む]
  • [風物][本]土手の上の掲揚台
  • 榎川土手の北は府中小学校が隣接する。 校門から土手に上がる大階段の頂上真ん中に国旗掲揚台が設けられている。地元企業による建設で昭和42年10月竣工。 沿革:府中町立府中小学校 同校の沿革にはとくに載っていない。同年同月の出来事に「給食教育全国表彰を受賞」がある。 同年表にある「昭和3/1 本町経免に校舎を新築する」が現在地での活動の始まりとなる。『藝州府中荘誌』(昭和7年)の「第三章 教化  第二節  [続きを読む]
  • [風物]榎川土手
  • 文化橋から川上へまっすぐ行くと多家神社と資料館が川を挟む。 川の両側の土手は、右岸が松などの並ぶ遊歩道で左岸が県道。前掲の参拝記も松を記すが県道が今ほど広くないので両岸に木が並ぶ。 それらの土手を清掃するは付近の小学校区の公衆衛生推進委員会。 [続きを読む]
  • [本][地名]昔の文化橋
  • 菅原守編『藝州府中荘誌』に載る「縣社多家神社参拝記」は昭和5年の多家神社境内の様子*1だけでなく、広島駅からの乗合自動車の車中から見える様子も記されている。 榎川に架かる文化橋は多家神社の川下に位置するので、榎川沿いの県道の左手に見えることになる。 水害前は僅に幅二尺許りの板橋であつたが、昭和三年十一月、小學校が此の橋を渡つて東北約一町の所に移轉改築せられ、堂々たる校舎が縣下稀を誇る様になつて、幅 [続きを読む]
  • [路傍][地名]文化橋バス停
  • 府中町を南北に貫く都市計画道路は「鶴江鹿籠線」。コミュニティバスの南北の移動は県道とこの道路を主な経路としている。 府中小学校の南でこの道路は「文化橋」を渡る。設置されたバス停標識は桃山のように街路樹の痕跡上にあるが、そのアスファルトの上に大きめのプランターが置かれているので、やはり殺風景と思われがちなのか。 そんなバス停まわりだが、歩道の改良工事があるようで、向かいの歩道のようにアスファルト以 [続きを読む]