niceminato さん プロフィール

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niceminatoさん: ITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと
ハンドル名niceminato さん
ブログタイトルITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/niceminato
サイト紹介文非二元。ノンデュアリティー。悟り。これらの言葉が指すものに興味がある方へ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2012/01/21 12:49

niceminato さんのブログ記事

  • We see,
  • おはようございます。本日7月26日はあれやこれやとせわしなく動く心の完全な無力さと絶対的な美しさを感じてみる日らしいです。たしか「山の日」のようなものだとは聞いています。とにかくそういう日ならせっかくだから感じてみます?笑 [続きを読む]
  • ある、ない、という観念
  • 口を閉じればこうやって文章を書くという動きのそんな始まりの一滴が何食わぬ顔で通り過ぎて行くのを見送ることが起こりますその一滴はこれからどんな川の流れに合流するのか考えもせずただ地形に沿ってその姿を表現し始めますそれは例外なくどんな動きにもあてはまり非二元性という観念に見合うような何らかの認識を求めるという動きも純粋にただそうであるように振る舞います全ての動きが等しく非二元性そのものでしかないがゆえ [続きを読む]
  • 「在る」という観念の崩壊について
  • 実験*「ただ在る」という存在そのものの中で「自分」という自我感覚を感じてみると「在る」という感覚が静寂そのものであることと同様に「自分」という感覚も静寂そのものであるということが見えてくると思いますそしてさらに「今」という感覚が思考による観念であるということと同様に「ただ在る」という感覚も思考による観念であるということが見えてくると「個人」が踏みしめることの出来る土地はリアリティーを失い分離という [続きを読む]
  • 3650泊 3651日(準新作)
  • ともすれば珈琲を淹れて小説でも読んでしまうように思考はいつでも自身にとって最適な観念を仮想構築し世界をより世界らしく保つことに成功している。それは驚くほど自動的で コントロールや選択肢という概念に血が通ってくる頃にはすでに上映が終わりDVD化してレンタルされている。しかし「表現」という現象はこの文章のように起こりそれは当然観念を必要とする。例えば「今」という観念。この今という最適解的な表現も二元的世界 [続きを読む]
  • 有無と弄人
  • 「全ては意識である」が故に「意識」は存在しない「全ては今である」が故に「今」は存在しない「全ては自分である」が故に「自分」は存在しない意識、今、過去、未来、自分、あなた、世界、生活、楽しみ、こんにちは、といういとおしき思いはただ遊ぶ文章を書く身体、文章を読む身体、おやつを食べる身体、寝むる身体、オールOKと言う余白すら無いオールOKitselfと言う余白すら無いitselfいうなれば有無と弄人 [続きを読む]
  • もしも「今」がなかったら
  • 車の音、笑い声、空調の音、何かの音、どこかで音が鳴っている。まずは「 どこかで音が鳴っている 」という認識についての確認。「どこかで」という場合この身体がある地点を中心(主体)に設定して同時に「どこか」という客体を設定している必要がある。次にどこかではなく全ての音が「 今、ここで鳴っている 」という認識についての確認。「ここで」という場合その認識それ自体をある地点を中心(主体)に設定して(それがあらゆ [続きを読む]
  • スペースもない
  • 結局のところ思考や感情に同一化することが可能なのは「わたし」という思考のみそしてその「わたし」という思考はどの角度からジ〜っと眺めても所有者や責任者の見つからない「わたし」という思考ということは__ということ。* [続きを読む]
  • 坐記
  • 境地や状態を指差したあらゆる固定観念はそれがどんなに素晴らしくてもそれに同一化し出すとご存知のとおりいずれまた次のより素晴らしい観念を求める実験としていまこれが最高の観念だというお気に入りをじっくりと味わい尽くしたらあえてそれ以上の観念を求めてみると面白いそして固定観念に見切りをつけ(つけざるを得ない)境界線が不確かなこの気づき意識そのもの不確定そのものでしかありえない距離ゼロのこれに(これが)心 [続きを読む]
  • とは誰か
  • 在るに余白は無い気づきそのものである在るそのものには特定の何かという特区を正式採用するモチベーションはないもちろん仮想の特区から何かを徐々に取り除こうとしてもよいし一度に取り除こうとしてもよいただそもそも特区は仮想であり取り除くべき特区という公式は成り立たない何がどこにあっても何を消しても何にも何の影響も無い完全性そのものが満ちただそのように在る特区とは誰かこの問いはラマナの「私とは誰か」という問 [続きを読む]
  • アンドプレミアム
  • よく晴れた日曜の朝。公園の椅子で珈琲を飲んでいると少し太ったネコが話しかけてきた。「 思ったよりいい天気だね 」もちろん男は驚いたが、とっさに「そうですね」と言って珈琲を一口飲んだ。頭の中は真っ白だ。ネコはゆったりとした動きで男の隣にちょこんと座り、毛繕いを始めた。白と薄い茶色が入り混じった美しい毛並みだった。毛繕いはのんびりと丁寧に行われ、男は固まったまま目の前の植物たちや走り去るランナーたちを茫 [続きを読む]
  • みなもと
  • 久しぶりにこのブログの投稿ボタンが押され、これからこの下に何かが書かれようとしている(あるいは書こうとしている)動きが認識された。その動きの源(みなもと)のようなものはきっと何かどこかにあったんだろうがそれに特に興味は起こっていないようだ。今のところは。まさしくおかしな描写だし読みにくいがパッと見たところ今日はそのくらいの源しか持ち合わせていないようなので、とろサーモン久保田の「続行!」のように続 [続きを読む]
  • 雑記Q
  • 絶対的永遠の不確定そのもの。それは、どんなふうにいじくってもはたまた無抵抗でも絶対的に永遠に不確定。「今、ここで、気づいているわ」というその基準(確定)も絶対的に不確定。不確定と確定ごっこはこれでおしまい。在ると無いごっこもこれでおしまい笑* [続きを読む]
  • 雑記8
  • ただただ座っている坐っているそんな身体が認識されたとして静寂が 沈黙が隅々まで場を支配したとして中心がその立場を無くし珈琲の残り香に明け渡されたとして- [続きを読む]
  • 雑記7
  • *無常私という感覚も刻一刻と変化する私という思考も刻一刻と変化する身体の周りの空気身体の中の細胞も刻一刻と変化する気づき 観照意識 存在 これ呼ぶことが出来るものも 出来ないものも刻一刻と変化するさっきまで私と呼んでいた 感覚 はもう別物になっているいままさに私だと思っている 感覚 はもう別物になっている* [続きを読む]
  • 雑記6
  • *探求というそういう動きそういう思考自体にただただ寄り添うその寄り添いが消化されると探求それ自体も全体性そのものだったと気づかれることになるこれは穴を掘ってまた埋めるようなことにも見えるが雨や光や風と同じ自然のものでしかない意識が意識を探し求めるように自由に自然に* [続きを読む]
  • 雑記5
  • *自我の昇華とビーフジャーキーの消化は同じもので私という感覚のShow化も同じものほとんど同じというよりも全く同じものでオールOKと言うための余白が無いほどのオールOK* [続きを読む]
  • 雑記4
  • *この気づいている意識(気づきそのもの)に私(個人)という感覚を「見られる」という完全に受身で精妙な認識それは「私という観念」の特別性を消し去ることがある* [続きを読む]
  • 雑記3
  • *ノンデュアリティーという観念と共存する、・何かを求めているような感覚・今まで探求と呼んできた落ち着きのないような感覚・非二元性と呼ばれるものを知ろうとする動きこれらような何だか分からないけど「不足」しているような感覚に「分離や探求」というような名前を付けずにネーミング保留のままでただその感覚の「様子」を見守る。その感覚に対して「人見知り」せずにオープンにその自由を尊重し、一切触ろうとせずにただ素 [続きを読む]
  • 雑記2
  • *例えばテーブルの上にある花瓶に意識が止まるこの時止まったのは花瓶と呼んでいる固定化された独自の認識と意識と呼んでいる固定化された独自の認識の双方である意識とは全ての認識と非認識を含むこれそのもので何一つそこから抜けることは出来ないなぜなら抜けるという固定化された独自の観念も当然それに含まれるため* [続きを読む]
  • 雑記1
  • 何であれ「対象」に働きかけようとするその動きの始まりはとてもスムーズで自然でそれはちょうど雪の結晶が目撃された時のような驚きと諦めというフィルターが感動を写し出すそのオートマチックであるがゆえの美しさは人間(思考と身体)という生き物を見つけるための手掛りになりと同時にオートマチック以外という概念を無効とする世界と私との距離を測っていた物差しは私を連れて姿をくらましたが玩具の物差しならすぐに現れる空 [続きを読む]
  • 少しゆれる
  • で、静かにするというその様が(前回のつづきです)空気の中にひっそりと身を潜めて辺りをうかがう「私」という観念の陰影を僅かに炙り出すことになるかもしれないという、そういう遊びです。上手く遊べば「私」が微かに揺らした空気の本性である無条件の優しさ(明渡し)のようなものが「私」の気配を無効にしてくれるかもしれません。だからどうってことではありません笑)沖縄でも今日は寒いです。あったかくどうぞ。* [続きを読む]
  • いちばん
  • 今日はおそらくテンションが大きく上下しないであろう静かな「遊び」のご紹介です。【 対象見つけ 】上り慣れた階段を素直に上っていく身体と、それを認識している意識と、昨日の記憶の断面。街角で何かをインタビューされて「恥ずかしいです」と言い終わった後のおじさんの顔。この文章を書いている人間の顔。この文章を書いている生き物の気配。こんなふうに何でもいいので対象を見つけ出してみます。見つけた対象には特に何かを [続きを読む]
  • ことの成り行き
  • ふと我に帰る、言いますが「気づき」は「結局どこに帰ったのか?」をこのへんで一旦はっきりさせておこうという確認。よろしければご一緒にどうぞ〜*まずは「気づきの本拠地」はどこなのか予測します。あちこちにフォーカスが移っても自動的に戻ってくる言わば「気づきのホーム」の特定を試みます。頭の中心なのか、後頭部の辺りなのかおでこの辺りなのか、胸の辺りなのか、もちろん「何となくこの辺りかな〜」で充分です。それで [続きを読む]
  • ブュッフェのようにいくらでも
  • どうしても思考は意識と呼ばれる「これそのもの」を解明しにかかるようです。これはもう本能であり性分であり思考の自然な姿としか言いようがありません。ですので思考がきちんと満足するまで、お腹いっぱいになってリバースするまで非二元・ノンデュアリティについての観念をたっぷりと頂きます。そうすると「もうしばらくは見たくないな〜 しかし食べたな〜」と言ってくれます。でも、少しするとショッパイのを食べたら甘いのが [続きを読む]
  • 実相
  • ああだこうだと考えている。そして、思い出したようにその「考える」という行為の最終目的を自問する。 でも「自分」という虚構の、より素敵な虚構のためにせっせと考えるのも悪くないんじゃないか。三郎は、そういう避難場所をすぐに用意してしまう自分を小さく責め、フレンチプレスで抽出されたコーヒーをカップに注いだ。アールグレイのようなエチオピア豆の香りは空間を支配し「とは言えどんな思考も誰のものでものない」とい [続きを読む]