niceminato さん プロフィール

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niceminatoさん: ITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと
ハンドル名niceminato さん
ブログタイトルITSELF この世界で知っておくべきたった一つのこと
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/niceminato
サイト紹介文非二元。ノンデュアリティー。悟り。これらの言葉が指すものに興味がある方へ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2012/01/21 12:49

niceminato さんのブログ記事

  • Decide
  • 実 験漠然とした不安について*朝起きた時や何かに没頭しているという状況が終わって気づきそのものとして存在している時などに何の心当たりもない原因不明の漠然とした不安を感じることがあるかもしれない今回はその不安についての実験をシェア1. まずはその「不安」という感覚に気づく2. その原因があるか記憶を辿ってみる3. その原因に心当たりがないことを確認する4. 今度は意識して「不安」をつかみに行く5. リセット6. 次は [続きを読む]
  • 雑記10
  • 交差点の信号が赤に変わりゆっくりと車が止まる。車内から漏れてくるジャジーな音が辺りに響く。横断歩道を一斉に歩き始める人々。その中で先頭集団から一歩抜け出した男性に目が止まる。背筋をピンと伸ばししっかりと前を見据えほとんど腕を振らずにかなり大きなストライドで 跳ねるように歩く長身の青年。突然彼を見た犬が吠える。すごい勢いで吠えまくる。大丈夫よ、怖くないからねと頭を撫でる飼主を振り切りさらに吠える。も [続きを読む]
  • Pilgrim
  • 何かどこかに、たとえば街路樹脇の雑草に太陽の光が差していることに気づくことに特別な感想のようなものは求められない。ただそれだけのこと過ぎてただそれだけという表現すら準備されることもない。ただそれは全てを完全に表現している。どう表現しているのかという疑問のタネは遠い記憶の蜃気楼としてその存在を赦され愛される。フローリングに落ちている小さなパンくずもあぁドミニカトロピカルパラダイス飲み終わっちゃったな [続きを読む]
  • 「私は在る」という呪い
  • 私は在る、という最もシンプルな感覚は個人にとって唯一の駆け込み寺であると同時に"個人史上"最も難解な呪いであるとも言える。もちろん思考や身体への自己同一化の緩和、さらには自己という架空のエリア指定が設定されていることに気づくためには出来るだけそこにいた方がいい。だけど、もし「そろそろここから出たいんだけど出口が分からなくなってしまったよ」というのならそれが呪いであることに気づくしかない。「今」や「こ [続きを読む]
  • きつね
  • 「何かするべき事はあるのか?」というもっともな問いは「何もするべき事はない。」というもっともな答えと同時に存在するしかないとは思いますが逆にそんな「問いと答え」にすら興味(魅力)が薄れたときにあえて「何かしよう」と無理に求めてみるという実験のシェアをさせて頂きます。おそらく「もうお腹いっぱいの満足状態からの別腹でスウィーツを食べたさらにその直後にA5ランクお肉食べ放題のお店を探そうよ」と言われた時と [続きを読む]
  • We see,
  • おはようございます。本日7月26日はあれやこれやとせわしなく動く心の完全な無力さと絶対的な美しさを感じてみる日らしいです。たしか「山の日」のようなものだとは聞いています。とにかくそういう日ならせっかくだから感じてみます?笑 [続きを読む]
  • ある、ない、という観念
  • 口を閉じればこうやって文章を書くという動きのそんな始まりの一滴が何食わぬ顔で通り過ぎて行くのを見送ることが起こりますその一滴はこれからどんな川の流れに合流するのか考えもせずただ地形に沿ってその姿を表現し始めますそれは例外なくどんな動きにもあてはまり非二元性という観念に見合うような何らかの認識を求めるという動きも純粋にただそうであるように振る舞います全ての動きが等しく非二元性そのものでしかないがゆえ [続きを読む]
  • 「在る」という観念の崩壊について
  • 実験*「ただ在る」という存在そのものの中で「自分」という自我感覚を感じてみると「在る」という感覚が静寂そのものであることと同様に「自分」という感覚も静寂そのものであるということが見えてくると思いますそしてさらに「今」という感覚が思考による観念であるということと同様に「ただ在る」という感覚も思考による観念であるということが見えてくると「個人」が踏みしめることの出来る土地はリアリティーを失い分離という [続きを読む]
  • 3650泊 3651日(準新作)
  • ともすれば珈琲を淹れて小説でも読んでしまうように思考はいつでも自身にとって最適な観念を仮想構築し世界をより世界らしく保つことに成功している。それは驚くほど自動的で コントロールや選択肢という概念に血が通ってくる頃にはすでに上映が終わりDVD化してレンタルされている。しかし「表現」という現象はこの文章のように起こりそれは当然観念を必要とする。例えば「今」という観念。この今という最適解的な表現も二元的世界 [続きを読む]
  • 有無と弄人
  • 「全ては意識である」が故に「意識」は存在しない「全ては今である」が故に「今」は存在しない「全ては自分である」が故に「自分」は存在しない意識、今、過去、未来、自分、あなた、世界、生活、楽しみ、こんにちは、といういとおしき思いはただ遊ぶ文章を書く身体、文章を読む身体、おやつを食べる身体、寝むる身体、オールOKと言う余白すら無いオールOKitselfと言う余白すら無いitselfいうなれば有無と弄人 [続きを読む]
  • もしも「今」がなかったら
  • 車の音、笑い声、空調の音、何かの音、どこかで音が鳴っている。まずは「 どこかで音が鳴っている 」という認識についての確認。「どこかで」という場合この身体がある地点を中心(主体)に設定して同時に「どこか」という客体を設定している必要がある。次にどこかではなく全ての音が「 今、ここで鳴っている 」という認識についての確認。「ここで」という場合その認識それ自体をある地点を中心(主体)に設定して(それがあらゆ [続きを読む]
  • スペースもない
  • 結局のところ思考や感情に同一化することが可能なのは「わたし」という思考のみそしてその「わたし」という思考はどの角度からジ〜っと眺めても所有者や責任者の見つからない「わたし」という思考ということは__ということ。* [続きを読む]
  • 坐記
  • 境地や状態を指差したあらゆる固定観念はそれがどんなに素晴らしくてもそれに同一化し出すとご存知のとおりいずれまた次のより素晴らしい観念を求める実験としていまこれが最高の観念だというお気に入りをじっくりと味わい尽くしたらあえてそれ以上の観念を求めてみると面白いそして固定観念に見切りをつけ(つけざるを得ない)境界線が不確かなこの気づき意識そのもの不確定そのものでしかありえない距離ゼロのこれに(これが)心 [続きを読む]
  • とは誰か
  • 在るに余白は無い気づきそのものである在るそのものには特定の何かという特区を正式採用するモチベーションはないもちろん仮想の特区から何かを徐々に取り除こうとしてもよいし一度に取り除こうとしてもよいただそもそも特区は仮想であり取り除くべき特区という公式は成り立たない何がどこにあっても何を消しても何にも何の影響も無い完全性そのものが満ちただそのように在る特区とは誰かこの問いはラマナの「私とは誰か」という問 [続きを読む]
  • アンドプレミアム
  • よく晴れた日曜の朝。公園の椅子で珈琲を飲んでいると少し太ったネコが話しかけてきた。「 思ったよりいい天気だね 」もちろん男は驚いたが、とっさに「そうですね」と言って珈琲を一口飲んだ。頭の中は真っ白だ。ネコはゆったりとした動きで男の隣にちょこんと座り、毛繕いを始めた。白と薄い茶色が入り混じった美しい毛並みだった。毛繕いはのんびりと丁寧に行われ、男は固まったまま目の前の植物たちや走り去るランナーたちを茫 [続きを読む]
  • みなもと
  • 久しぶりにこのブログの投稿ボタンが押され、これからこの下に何かが書かれようとしている(あるいは書こうとしている)動きが認識された。その動きの源(みなもと)のようなものはきっと何かどこかにあったんだろうがそれに特に興味は起こっていないようだ。今のところは。まさしくおかしな描写だし読みにくいがパッと見たところ今日はそのくらいの源しか持ち合わせていないようなので、とろサーモン久保田の「続行!」のように続 [続きを読む]
  • 雑記Q
  • 絶対的永遠の不確定そのもの。それは、どんなふうにいじくってもはたまた無抵抗でも絶対的に永遠に不確定。「今、ここで、気づいているわ」というその基準(確定)も絶対的に不確定。不確定と確定ごっこはこれでおしまい。在ると無いごっこもこれでおしまい笑* [続きを読む]
  • 雑記8
  • ただただ座っている坐っているそんな身体が認識されたとして静寂が 沈黙が隅々まで場を支配したとして中心がその立場を無くし珈琲の残り香に明け渡されたとして- [続きを読む]
  • 雑記7
  • *無常私という感覚も刻一刻と変化する私という思考も刻一刻と変化する身体の周りの空気身体の中の細胞も刻一刻と変化する気づき 観照意識 存在 これ呼ぶことが出来るものも 出来ないものも刻一刻と変化するさっきまで私と呼んでいた 感覚 はもう別物になっているいままさに私だと思っている 感覚 はもう別物になっている* [続きを読む]
  • 雑記6
  • *探求というそういう動きそういう思考自体にただただ寄り添うその寄り添いが消化されると探求それ自体も全体性そのものだったと気づかれることになるこれは穴を掘ってまた埋めるようなことにも見えるが雨や光や風と同じ自然のものでしかない意識が意識を探し求めるように自由に自然に* [続きを読む]
  • 雑記5
  • *自我の昇華とビーフジャーキーの消化は同じもので私という感覚のShow化も同じものほとんど同じというよりも全く同じものでオールOKと言うための余白が無いほどのオールOK* [続きを読む]
  • 雑記4
  • *この気づいている意識(気づきそのもの)に私(個人)という感覚を「見られる」という完全に受身で精妙な認識それは「私という観念」の特別性を消し去ることがある* [続きを読む]
  • 雑記3
  • *ノンデュアリティーという観念と共存する、・何かを求めているような感覚・今まで探求と呼んできた落ち着きのないような感覚・非二元性と呼ばれるものを知ろうとする動きこれらような何だか分からないけど「不足」しているような感覚に「分離や探求」というような名前を付けずにネーミング保留のままでただその感覚の「様子」を見守る。その感覚に対して「人見知り」せずにオープンにその自由を尊重し、一切触ろうとせずにただ素 [続きを読む]
  • 雑記2
  • *例えばテーブルの上にある花瓶に意識が止まるこの時止まったのは花瓶と呼んでいる固定化された独自の認識と意識と呼んでいる固定化された独自の認識の双方である意識とは全ての認識と非認識を含むこれそのもので何一つそこから抜けることは出来ないなぜなら抜けるという固定化された独自の観念も当然それに含まれるため* [続きを読む]
  • 雑記1
  • 何であれ「対象」に働きかけようとするその動きの始まりはとてもスムーズで自然でそれはちょうど雪の結晶が目撃された時のような驚きと諦めというフィルターが感動を写し出すそのオートマチックであるがゆえの美しさは人間(思考と身体)という生き物を見つけるための手掛りになりと同時にオートマチック以外という概念を無効とする世界と私との距離を測っていた物差しは私を連れて姿をくらましたが玩具の物差しならすぐに現れる空 [続きを読む]