やぶからす さん プロフィール

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やぶからすさん: 緑の谷・赤い谷
ハンドル名やぶからす さん
ブログタイトル緑の谷・赤い谷
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/yabukarasu
サイト紹介文山家育ちの少年がふるさと恋しや恋しや・・・と、お散歩写真など。(旧猿と熊のあいだに)
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供42回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2012/01/23 16:24

やぶからす さんのブログ記事

  • 「鉱山野郎」のうた、再び。
  • 昭和30年代から日鉄鉱業の鉱員の間で、長く愛唱歌として歌い続けられてきた「鉱山野郎」の歌とは、いったいどのようなメロディーであったのか、ずっと気になっていたのですが、日鉄鉱業の採用サイトで歌詞付きで流れているとの情報をいただき、早速いってみました。歌手は女性で、とても哀愁を感じる歌であり歌い方です。山崎ハコ風です。元歌と一番の歌詞は同じで、二番以降は全く違います。採用サイトに流れる歌ですから、それ [続きを読む]
  • あな恐ろしや「おこっへの窟」
  • 「ほら穴」「洞窟」・・・、山の少年は大好きである。覗かずにはいられない。恐る恐る、こわごわと・・・、首を突っ込み、やがてそっと体を入れ。闇に慣れない目には、薄ぼんやりと闇が奥深く続くようにも見えます。大概これらの穴の中には、宝物の箱があったり、あるいは妖怪や大蛇が住んでいます。図書室の絵本でも、大人の昔語りでもそうです。だから覗かずにはいられないのです。恐怖、おののき・・・、それらは少年の心に沸い [続きを読む]
  • 日鉄社宅の変遷_再考
  • 資料を整理しているうちに、一番古いと思われる日鉄赤谷鉱業所社宅の写真が出てきた。これは昭和二十四年発行の日鉄鉱業株式会社「創立十年史」に掲載されていた写真で、撮影年代としては終戦後直ぐか、あるいはその少し前かもしれない。この数年後の写真と比べると、社宅の棟数がかなり多い。最初は時代が逆かと思ったが、よく観察するとそうでもないようだ。社宅の外れの右奥を見ると開墾途中の感じもあって、伐採されていない樹 [続きを読む]
  • バンザイと万歳橋_再考
  • 旧赤谷小学校の裏手を流れる加治川に、上赤谷と滝谷新田を結ぶ「万歳橋」という名の橋が架かっている。以前このブログで、その「万歳橋」という名の謂れについてあれこれ考えて、結局歩いて渡る程度の橋が車が渡れる橋に改修された時に、その名が付いたのではないかといい加減な結論を出してしまったが、その後故郷の先輩から「赤谷村史」(初版発行:明治33年4月、編集:阿部豊多)の写しを頂いて、それを読んでいるうちに「万 [続きを読む]
  • 東赤谷2017冬景色_2
  • 日鉄社宅の存在を示すものは何もなくなりましたが、迎えてくれる山々は変わりません。焼峰や・・・、蒜場山や俎倉山も・・・。辺りを見渡せば一面の雪野原で、何も残っていないことを考えれば、いっそこの方がスッキリとして、雪の下にはあるいはかつての社宅が眠っているのではないだろうか・・・?、という幻想に陥るのです。山神様の上の方にあった鉄塔もよく見えます。静かに眠っています。東赤谷駅の桜も・・・、かつての我が [続きを読む]
  • 東赤谷2017冬景色_1
  • 平成29年2月、角瓶28号さんの冬の便りから・・・「東赤谷冬景色」その1。赤谷小学校を左に見て進みます。集落を抜けるとすぐ「景勝清水」左に目を転ずれば赤谷三山が一望です。左に折れれば「朴名橋」発電所の手前、左に曲がれば滝谷の集落。「ようこそ加治川渓谷」の表示が気になるところ、「飯豊川渓谷」としてほしい。観月橋の橋脚。社宅の遺構はこれくらい・・・。正面に蒜場山と俎倉山が見えてきます。かつての東赤谷駅前 [続きを読む]
  • チッソ・リン酸・カリ・愛情
  • ちょっと気恥ずかしい思いもするが、花には愛情という肥料が必要なのだと、この頃つくづく思う。そんな事は、とうに知っていたという方も多いと思うが、私も何と無くは感じていて、ただ歳を重ねてくると、窒素・リン酸・カリウムだけでは、どうも説明しきれない事象が起きてくる。父が新潟の鉱山会社を定年退職し、この地に移り住むとき、大切に育てていた石楠花を一株持ってきた。それは毎年に大輪の美しいピンクの花を咲かせてい [続きを読む]
  • 藤沢周平展に行く
  • 藤沢周平の小説には、ちらほらと赤谷のことが出てきたりして、また小説自体も好きなのでよく読みました。中でも「密謀」は、上杉景勝の新発田攻めが書いてあり、五十公野城や赤谷城の話が出てくるのでとても興味深く読んだことを覚えています。その藤沢周平の没後20周年記念ということで、「藤沢周平展」を開催している日本橋三越にブラブラと行ってきました。自筆原稿の展示も幾つかあって、書き出しからスムーズに一気呵成に書 [続きを読む]
  • 松の内明けてとろとろ
  • 正月になると、普段の日々より故郷について思いを巡らせることが多くなるような気がします。そんな時にふと頭をよ切ったのは、望郷の念というのは時間と居住場所に大いに左右されるのではないかと言うことです。「そんなことは当たり前で分かっていることだわい!!」と、おっしゃる方もいると思いますが、私には何かとても腑に落ちるものがあったのです。今年は私が故郷を離れてちょうど50年になります。離れた直後のホームシック [続きを読む]
  • ふるさとの心知る便り
  • 同郷のそれも同じ社宅育ちの人から便りをもらうのは嬉しいものだ。その人は雪解けの頃が一番印象に残っていると言う。「真っ赤な椿」「こぶし」「ショウジョウバカマ」が夢に出てくると言う。私も、この3つの花は鮮やかに瞼の裏に焼き付いている。雪残る裏山に春一番真っ先に匂うが如く咲き乱れるコブシ、その麓を縫って曲がりくねりながら続く杣道の脇に咲く真っ赤な椿、山に向かって斜面を歩けば雪解け跡の匂い立つ土と枯れ葉の [続きを読む]
  • 掃除しながら思うこと
  • 現在の子供のポケットは、そうそう簡単に穴が空くことはないのだろうな。両のポケットには、お行儀良くティッシュとハンカチ・・・、他に入っているとすれば、妖怪メダルにDSのソフトくらいか・・・。これではなかなか穴は空かない。見てみろ!。俺たちの頃のポケットには、釘に肥後之守に角メンコに石にビー玉に針金に・・・他に諸々パンパンだ。破れないわけがない。その穴からポロポロ・・・、時には大切な小遣いを落としてガッ [続きを読む]
  • 箱庭からの旅立ち
  • 時折、当ブログを見てくださる人の中に、東赤谷の日鉄社宅出身の方がいらして、お便りをくださる方がいる。この度訪れてくださった方はEさんと言って、日鉄社宅という集落はそこの出身者でしか分からない独特の場所であったと言います。まさにその通りで、あの狭い山間の河岸段丘の台座の上で、人々が生活するに必要なものがコンパクトにぎゅっと詰め込まれたような、まるで箱庭のような所でした。しかし、そう思うのは今になって [続きを読む]
  • 2016 東赤谷錦秋
  • あえて撮影場所は記しませんが、この地に縁のある方は、かつて目に染み込んだ風景ではないでしょうか。私たちの住まいしていた故郷は、今年も錦秋の季節を迎えました。色とりどりに美しい景色は、かの地に生まれ育った幸せを、改めてしみじみと思い起こさせます。2016年11月9日2016年11月13日写真提供:角瓶28号さん [続きを読む]
  • いとしの砂利道
  • 現在は舗装されていない道を探す方が大変であるが、昭和の30年代頃はあらかたが砂利道であった。私の通った赤谷中学校までも大小の石が顔を出し、かつまた大小の水溜まりが点在する1里近くもある砂利道が続いていた。雪のある5ヶ月余りは当然のことながら、2年生の頃までは通年徒歩での通学であり、3年生あたりになって自転車通学が許されるようになった。とにかく赤谷線の脇を通る道はひどいもので、自転車のタイヤは頻繁にパン [続きを読む]
  • わが谷は緑なりき
  • 「わが谷は緑なりき」という映画がある。その映画を初めて観たのは、確か故郷からこの地に出てきて最初の年であったと思う。それまで生きてきた環境とは殆んど全てが違う生活の中で、馴染めず孤立感に苛まれていた時に出会ったのが、この映画であった。19世紀末のイギリス・ウエールズ地方の炭鉱町が舞台で、そこに働く家族を少年ヒューの目を通して描いたジョン・フォード監督作品の映画である。もう、どこでどう観たのか忘れて [続きを読む]
  • かくれんぼ、しようかなぁ
  • 本ブログは今や週刊誌から月刊誌、いやいや下手をしたら季刊誌になろうかという兆候さえ見せております。色々と当時の写真や資料を探索しているのでありますが、連絡を取ると既に亡くなられた方も多く、またせっかく頂いた資料も著作権やプライバシーの関係で掲載できないものもあり、正直なところ少々気持ちが萎えております。このブログの趣旨から、何でもかんでも載せるというわけには参らず、どうか更新が滞りがちになることを [続きを読む]
  • 終わらないかくれんぼ
  • 「お〜い」と声を抑えて呼んでみれば、「う〜ん」と間のびした声が返ってくる。もう、弟と二人でどれくらいの時間を隠れているのだろう。一時間以上は経っているような気はするけど、もっと長いかもしれないし、短いかもしれない。二人で駅の倉庫にもぐり込んだ。弟は少し離れたところで、荒ムシロを被っている。私はガワガワとした帆布の陰に隠れている。コンクリートの床は鉄鉱石の青黒い粉で汚れていて、開け離れた扉から差し込 [続きを読む]
  • さぐり探られ出てきたものは・・・。
  • 孫にチョコエッグなるものを買わされた。チョコレートでできた殻を割ると、中にキャラクター玩具が入っているらしい。割ってみるまでは何が出てくるかわからない。孫は「また同じやつだ!!」と嘆いている。子供はこのような何が出てくるか分からない式のものが大好きだ。そういえば私の子供の頃にも、こんな感じのものがあったなぁ。確か「さぐり」と呼んでいたような気がする。新聞紙でできた袋の中に、これまた新聞紙に包まれた [続きを読む]
  • 台風一過の夜空を見上げて思うこと
  • 台風9号がひと暴れして、やっと去っていった。新潟在郷時の台風と言って思い出すのは、やはり伊勢湾台風のことだろう。昭和34年9月26日に潮岬付近に上陸した台風15号は、その夜には新潟の山里の我が集落にもやってきた。当時、我が一家が住んでいた社宅は、高台のいちばん端っこにあったものだから、もろに強い風を受け、安普請の長屋の壁は風の強弱の呼吸に合わせて膨らんだり凹んだりという有様だった。最初のうちは家族 [続きを読む]
  • 童心かえる映画タイトル
  • このところの映画館の上映タイトルが楽しい。「ジャングルブック」だの「ターザン」だの・・・、今日は「真田十勇士」なんてものまで見つけた。これらのタイトル・・・、わが心にわずかに残っている幼心をくすぐるのである。遊びましたとも・・・「アーアア〜」と木から垂れ下がった蔓にしがみついてね。チンパンジーのチータもおりました(弟)。広場では猿飛佐助が走り回りますが、私はどちらかというと霧隠才蔵の方が良かった。 [続きを読む]
  • 人も歩けば何かに当たる
  • 「右か左かの席にお座りください」と誘なわれて入った店内は、しかし私たち夫婦にとっては、ただの暗闇にしか見えなかった。朝、行くあても決めず車で家を出た私たちは、3時間ほど走った後、とある神社の境内に車を止めた。そこから参道を歩き出したは良いが、夏の日盛りの石畳の道は、体の火照りを僅かでも休ませる木陰もなく、私たちは喉への潤いを求めて、路地を覗き覗き歩いていた。その時に「café」という見過ごして通り過 [続きを読む]
  • 梅雨明けの越後は浅草岳へ・・・。
  • 梅雨明け直後の越後は「浅草岳」へ行ってまいりました。途中撤退も含めて、これが4度目の登山になるのですが大好きな山の一つになっています。とにかくこの山、いろんな表情を持った山です。優しくもあり、荒々しくもあり、登るたびに魅力を後に引きずられる思いがする山です。残念なことに遠望はききませんでしたが、なんとまぁ遅咲きのヒメサユリが残っていてくれました。これだけでも老体を担ぎ上げた甲斐があったというもので [続きを読む]
  • 日鉄赤谷鉱山「簀立沢鉱区」
  • 3枚の写真、場所は大まかに「簀立沢鉱区」とは分かるのだが、撮影地点が分からない。グータラとではあるが情報を集めて1年以上・・・、あまり遅くなると寄せて頂いた方に申し訳ない。ので、この辺で諦めて掲載します。■真っ暗な坑道から出てくると、お日様はきっとありがたく幸せを感じさせるものだったのではないでしょうか。3人の笑顔に酷な作業のあとは微塵も感じられません。私の父も「簀立沢鉱区」が仕事場でしたから、き [続きを読む]
  • 冒険少年の行く末
  • 少年の頃、いっとき探検ものや冒険ものにはまってしまった時期がある。おそらく当時読んでいたマンガ雑誌「少年」や「冒険王」の影響が大きかったのかもしれない。ボーイスカウトに憧れ、海洋少年団に憧れ、雑誌付属の手帳を持っては手旗信号やモールス信号を真似たり、山中での方位の確かめ方や追跡の仕方に火の熾し方などなど・・・盛んにやっていたように思う。しかし悲しいかな、我が故郷は山の中・・・、ボーイスカウトにも海 [続きを読む]