kotenji さん プロフィール

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kotenjiさん: Kotenjiのブログ
ハンドル名kotenji さん
ブログタイトルKotenjiのブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/kotenjidai
サイト紹介文後天時代の本当の意味と価値を理解し、ふさわしい生き方をしたい。正午定着、影のない時代と言われているが
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供27回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2012/02/07 10:07

kotenji さんのブログ記事

  • 鍋の底の悟り
  • 誰かの言うことなすことを正しいと思うと書き、誰かの言うことなすことを間違っていると思うと書けば、「あなたは『誰々派』だ」と規定されるような文化の中では、真実を追求したいという本意がそのとおりに現れず、伝わらない限界があるのは仕方ないことかもしれません。つまり、自分なりに真実を追求していると思っている行動が、「自分は誰々派である」という「枠入れ宣言」にすり替えられて受け取られてしまうので。まことに不 [続きを読む]
  • 「免職」「除名」は、真理に従う道か、似非真理に従う道か?
  • フィリピンの行事に参加したカープのリーダーが罷免されたということで、罷免に抗議する手紙がブログに出ていましたが、罷免の理由について、以下のように述べています。 (引用開始) 私を免職にする理由を要約すると以下の通りです。● 顯進様の大会に参加した私の行動が、真の父母様の願いに反するものである。● CARPの責任者という位置を離れた行動である。● スタッフや学生に混乱をもたらす行為である。● お父様は「真の父 [続きを読む]
  • 続き−自分の頭で考える重要性−カープリーダーの手紙を読んで
  • 古いメンバーであればあるほど、ゲリラ時代のすり替えられた「似非真理」に対する執着が強く、その逆に、若いメンバーは、本当の、心が納得する真理に対し、よりオープンかもしれません。フィリピンの行事に参加されたカープリーダーの手紙を読みながら、この方のように、まだ良心が死んでいない食口はたくさんいるはずだと思いました。 実りによって真実を確認するのは、一般の世間の人がそうであるだけでなく、食口も同じだと思 [続きを読む]
  • 続き−ゲリラ時代を越えて
  • 続きですが、しばらくの間、おそらく尊い真理ではない「何か別のもの」を維持するために、前回書いたような真理から真理を装ったものへの微妙なすり替えが、信徒の良心のレーダーに捕捉されない状況下で着々と行われていったのではないかと思います。しかし、いわば、そのような「ゲリラ戦術」的なものを継続して「理想世界」に向かおうというような時代はもう過ぎたのではないでしょうか。 過去はどうあれ、今の時代を迎えた以上 [続きを読む]
  • 続き−なぜ「負の遺産」が幅を利かせるようになったのか
  • 続きですが、なぜ「真の愛の実践」と相反する内容であるにも関わらず「負の遺産」が幅を利かせているのかという問題ですが、答えは簡単かもしれません。 一つは食口が受けてきた教育の内容の問題です。たとえば信仰の生活においては、神様を何よりも愛し、大切にし、優先するということが奨励されます。神様のみ言葉、神様との約束、神様とともに生きる生活、等々を自分よりも大事なものとして扱う、これを「信仰基台」とよんでい [続きを読む]
  • 続き−血統による救いの価値と負の遺産の克服
  • 先日も書きましたが、この「血統」は目に見えるものではないので、「血統」による救いの価値というものが世の中の一般の人に理解できる道があるとすれば、その血統の実りを通してでないと難しいと思われます。普通「食口」と言われる人々は、それなりの実りを見て「食口」という道を選択したと思いますが、歩んでいく中で、神の血統の実りとは思われないものを目にするようになり、その結果として、血統による救いの価値自体を疑う [続きを読む]
  • 続き−カルトで終わるか全人類に益を与える運動となるか
  • (続きです)始めに戻って、一つのカルトで終わるか、全人類に益を与える運動となるかの分岐点はどこにあるかということですが、一つのポイントは、この「血統」という問題をどのように扱うかという点にあると思います。この「血統」という内容は、統一運動の内部では、個人から世界に至るすべての問題を解決する最も重要なポイントとして理解されていますが、この内容について、狭い集団の中でしか理解できないような示し方しかで [続きを読む]
  • 続きーまず「血統」について
  • さて、「神の血統」という問題ですが、まず、「神の血統」に「メシヤ」という使命を担って生まれた文先生という方は、一般的な見方で見れば、普通の家の普通の子供として生まれたわけですが、成長していく中で、なんらかのきっかけで自分の血統的アイデンティティーを自覚するようになり、誰かから教えられたり命令されたからではなく、あくまでも自分の意志により真理を求め、実践し、周囲の多くの困難や誘惑を克服しながら「真の [続きを読む]
  • カルトで終わるか有益な運動となるかの分岐点
  • いわゆる「同じ釜の飯を食った」皆様に聞いてみたいのですが。この「統一運動」として始まった運動が、一つの矮小なカルト(その集団内の人々だけに通じる特殊な教義と実践の体系を持つが、最終的にはその内容をそのまま全人類が信じ、受け入れることを夢想)として存続することをよしとするならば話は別ですが、この運動が、当初の意図の通り、全人類に益を与える運動となることを本当に願うならば、自分が今まで信じてきた内容、 [続きを読む]
  • 人間を絶対とした場合の問題点(前回の続き)
  • 人間を絶対視すると何が問題か。一つはこういうことがあると思います。 人間は表面に見える言行の背後に、それぞれ事情というものがあります。私にも(人知れぬ)事情があるけれども、他の人にもそれぞれの(人知れぬ)事情があるものです。ところが、ある人が、「私の事情は重要だが、人の事情は重要でない」と考え始めると必ず問題が起こります。これは宗教紛争を例に挙げるまでもなく、夫婦や親子の関係を含め、日常的な些 [続きを読む]
  • 焼き払うべき「毒麦」は何か?
  • 私の考えでは、絶対なものがあるとすれば、それは神様だろうということであり、その神様以外のものを絶対としようとすれば、必ずどこかで無理が生じてくるものだと思います。しかし、そうやって無理が生じてきた時というのが重要であり、そこで謙虚に(良心の言うとおり)無理なものは無理と認めて、無理でない道を求めるならば、宇宙の道理にかなう道へと修正されるものではないかと思います。 そこのところを、あるものが絶 [続きを読む]
  • いわゆる「伝統」について
  • 世の中に「伝統」と呼ばれるものはたくさんありますが、長い歴史を生き残ってきた古い「伝統」というものは、基本的には「よいもの」であったからこそ生き残ってこられたのであり、一般的に言って、そこには、様々な相違を超えて、何らかの美しい心とその心の表現である美しい形があるように思います。いわゆる「統一家の伝統」について最近考えさせられていますが、統一運動の歴史がすべて予定どおりに順調に運んでおれば、今頃は [続きを読む]
  • 今こそ毒麦が焼かれる時ー神山先生の聖和に関連し(一部追加修正あり)
  • ここ数年の間、我が運動の中で、この人は「何側」、あの人は「誰側」、という表現がよく使われるようになりましたが、歪んだ文化の中で長年培われた頭の構造が変わらない限り、「何側」に行こうと「誰側」に行こうとたいした変わりはないということを自覚すべきだと思います。歪んだ文化の中に長くいた分だけ、その頭の構造が歪んだものになっている現実あるいは少なくともその可能性を各自が自覚する必要があると思います。 [続きを読む]
  • 神山先生の聖和を迎え、一食口としてひとこと
  • 神山先生、本当に神様から愛された方だと思います。様々なメッセージや言動を通し、一貫した真実さと真摯さを持たれ、神様と文先生を愛して一途に生きて来られた人生は、決して誰も汚すことのできない、永遠の宝であると思います。 聖和ぎりぎりまで、身を削りながらみ言葉を語り続け、お母様を心配し、教会の行く道を案じ続けられたその純粋で貴重な心が、神様の心を動かし、その聖和を通して、まさに神様がなそうとされた方 [続きを読む]
  • 歪んだ選民意識と真実追求のバランス…現状打開のためのつぶやき
  • 全体を眺めると、文夫人を中心とする教会側、サ教会、顕進会長支持の人々が、それぞれ異なった主張をして別れているように見えるのですが、私なりに精一杯客観的にいろいろな言い分、提示された事実関係などを比較しながら検討してみた現時点での結論としては、誰が一番まともなことを言い、まともなことを実践しているかという判断をくだすのはある意味ではとても簡単だろうということです。(因みに私は顕進会長が一番まともなこ [続きを読む]
  • 誰が悪いのかよりも何が悪いのか
  • 誰がよくて誰は悪いという話ではなく、何がよく何が悪かったのかという観点から過去を振り返ったときに、今後のことも考えてはっきりさせておいたほうがいいと私が思う第一の点は、歪んだ選民意識という問題です。 つまり、自分は選ばれた者(立場)なので、自分は絶対的に正しく、その自分に反する者はどんな説明をつけたとしても、絶対的に間違っている、という独善的思い込み、前提、決めつけです。誰であろうと、このよう [続きを読む]
  • 誰が正しいかよりも何によって判断するのか
  • 最近顕進会長が自然の中でどのように「精誠を捧げ」ているのかという話を人から聞きながら、誰が正しい誰が間違っているという争いの次元ではなく、誰にとっても、やはり、神様に対し常に祈りながら、つまり、対話、相談報告しながら行動することの重要性、また、嘘のない自然の中のように、嘘をつかず、率直に生きることの重要性を感じさせられました。文先生も含めて、神様からの責任を任せられたと自覚した人物が、その神様と真 [続きを読む]
  • 神山先生の存在の重みを思いつつ
  • 神山先生は何といっても文先生に特殊な形で非常に近く侍る機会を持たれた(少なくともダンベリーと麗州という特殊な二か所で)稀有な方です。私は行ったことがないので想像でしか言えませんが、刑務所という特殊な場所で同じ部屋で生活を一年近くともにすれば、人間の生きざまで隠しきれるものが何があるでしょうか。そういう付き合いをされた方です。そういう極限状況における人間同士の理解は、見せかけの繕ったものが通用しない [続きを読む]
  • 「選民意識」の罠について(未来に向かって)
  • 自分も含め「統一運動」に関わった人に共通するのが、強い「選民意識」ではないかと思います。もちろんこれは俗に理解されているような民族優越主義や特権階級的な意味ではなく、むしろ歴史の運命を左右するような重い責任を帯びた群れの一人という意識というような意味ですが、ただ、そこから出てくるものが、そういう個人を超えた責任からくる「誇り」や「特別意識」、下手をすれば「傲慢」や「上から目線」、「独善」、また、責 [続きを読む]
  • 先生が大切に思われたものを大切にしたい
  • 悲しいことに、同じ「食口」という名を持った人々が、いろいろなグループに分かれ対立しているような状況にあることは否定できませんが、しかし、「食口」という名が示すように、私たちは一つの家族として、ある一つのものを何よりも大事にする人々であると私は信じます。たとえ世の中から今はどんなに誤解され反対を受けたとしても、いずれは必ず理解してくれる時がくると信じて、その大切なものを守ろうとしてきた人々であったと [続きを読む]
  • 文先生は普通の人間か特殊な人間か?
  • 文先生という方は、普通の人間としての側面(アダムも普通の人間であったと思います)と普通でない側面(たとえば、神秘的な側面、霊界との関わり方、メシヤとして、復帰摂理に関連した神様からの直接の指示や啓示、インスピレーションを受けるという側面)の両面を持っておられたと思います。もしも原理でいう「人間始祖の堕落」がなかったならば、アダムは普通の人間として生き、アダムの家庭も世界も普通の家庭、普通の世界とな [続きを読む]
  • 鞍馬事件(続き)「言い訳」を見抜く必要!
  • 前回、「少なくとも真実らしいものはどこかに見えていないのか」と真剣に良心に正直に求めれば、何かがはっきりとしてくるかもしれない、と書きましたが、その場合… 「良心」の敵は誰か?それは「言い訳」だと思います。ですので、今は「良心の声」と「言い訳」を横に並べて、客観的に比較しながら、自分の頭で真剣に考えるべき時になっていると思います。たとえば:「良心」曰く:ここに真実がありそうだ。いや、ここにくらい真 [続きを読む]
  • 鞍馬事件は神業か?
  • 被害者の鞍馬天狗さんには悪いですが、この事件の背後にはひょっとしたら神様がいるかもしれないと思ったわけです。今や後天時代、正午定着、影のない時代、すべての隠れていたものが表に現れる時代だと言います。何が正しく何が間違っているかが誰にもわかる形で明らかに現れてくる時代。統一教会(家庭連合)ブログ村を訪問する人々にもいろいろな種類はあると思いますが、おそらく一貫しているのは、統一共同体に起こっている事 [続きを読む]