fujiken さん プロフィール

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fujikenさん: 長州より発信
ハンドル名fujiken さん
ブログタイトル長州より発信
ブログURLhttp://kfujiken2.exblog.jp/
サイト紹介文山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
自由文三方を海に囲まれた本州最西端の地・山口県の在住です。
一期一会の出会いを大切にし、お付き合いを願っております。
歴史が好きで、美術館・城下町等を歩き回っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供72回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2012/02/19 09:51

fujiken さんのブログ記事

  • 万葉の森の大賀ハス
  • 万葉の森茶室前の池には、縄文時代に咲いていたという「大賀ハス=古代ハス」が、約2,000株育っています。見物できる場所からハスが咲く場所まで1〜2メートルほど距離があります。そのため手で触れたり、間近で見ることができません。また周囲は木々に囲まれているので、景観は悪くありませんが開放感はあまり感じない。大賀ハスは、昭和26年千葉県の検見川遺跡で発見された種子を栽培し、開花に成功したもので、発見者の大賀一 [続きを読む]
  • 今から99年前に徳山湾でおこった悲劇をご存知でしょうか?
  • 1918年(大正7年)7月12日、徳山湾に浮かぶ仙島の近くで、戦艦「河内(かわち)」の乗組員621人の尊い命が奪われた悲しい出来事がありました。慰霊祭のある仙島には、福川の高州漁港から船で行くため、一般市民は容易に参加することが難しく、毎年30〜40人の参加者で行われます。慰霊祭に参加した人だけで語り継ぐことが難しいと共に、顕彰会や保存会もなく、あまり知られていない出来事です。大津島の回天記念館、周防大島町の陸奥記 [続きを読む]
  • 旧山陽道の門前宿場町・下松市花岡の史跡
  • 【花岡勘場跡】萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていた。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたという。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡がこの地方の政治文化の中心であり、交通の要所であったことがうかがえる。花岡八幡宮に奉納された絵馬に描かれていたものだそうです。絵図の左側が御茶屋、右上が勘場、右下が御番所 [続きを読む]
  • 「忍びの国」
  • 久々歴史時代劇と思い「忍びの国」を観て来ました。史実に基づいた天正伊賀の乱(伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆との二度に渡る戦いの総称)を題材とした小説を映画化したのには違いありません!3Dを駆使したアクションや格闘のシーンは迫力ありましたが、「映画 怪物くん」の主演・嵐の大野智さんが演じているからと言うの訳ではありませんが、まんがチックな、アニメチックな映像が多かったです。天正伊賀の乱が時代を [続きを読む]
  • 天才棋士・藤井聡太四段
  • 将棋の公式戦で一度も負けずに歴代最多の連勝記録に並んでいた中学3年生の藤井聡太四段が、26日、東京で行われた増田康宏四段との第30期 竜王戦決勝トーナメント の対局に勝ち、連勝を「29」に伸ばしました。藤井四段は連勝記録を30年ぶりに更新し、プロ1年目にして歴代単独1位となりました。記録抜かれた神谷八段は「天才が実力で抜いた」とコメントしており、師匠の杉本昌隆七段は「大舞台で29連勝は驚がく」とコメン [続きを読む]
  • 東大寺別院阿弥陀寺 あじさいまつり
  • 東大寺別院阿弥陀寺は、東大寺再建のため周防国へ西下した俊乗房重源上人が、後白河法皇の現世安穏を祈って、文治3年(1187)に建てた古刹。阿弥陀寺境内には80種類4,000株の紫陽花が植樹されているそうです。林寛孝住職曰く、アジサイの花の色は七変化することから、花ことばは「移り気」と言われていますが、仏の世界観からアジサイを眺めると、アジサイは私たちに「人生は無常である」ことを教えてくれているのではないでしょう [続きを読む]
  • 山口・サビエル記念聖堂と防府・英雲荘のウオッチング パート2
  • 英雲荘の概略は、前回の投稿【萩毛利藩の防府に存在する休憩・宿泊所だった英雲荘 (三田尻御茶屋)】で、説明していますのでご覧下さい。 (アンダーラインに前回の投稿ページがリンクされています。)今回は珍しい廊下の襖戸や、大観楼棟の2階にある2部屋を説明します。英雲荘について少し触れましょう!!!英雲荘(三田尻御茶屋)とは、1654年に、毛利萩藩の2代藩主・毛利綱廣によって藩の公館「三田尻御茶屋」が建て [続きを読む]
  • 「前川の乱」は官邸と文科省のけんか
  • 前川の乱は、前文科省事務次官・前川喜平氏が「総理のご意向」などと書かれた文書は、私自らが、担当課から説明を受けた際に示されたと証言したことに端を発しますが・・・この勇気ある告発は、官邸の謀略への反発だと推察します。天下り問題で、官邸のパフォーマンスに利用されたという思いがある。つまり、前川前次官は悪の権化のように扱われ、自主退職を強要されたわけだ。この程度のことで懲戒免職なんてことは絶対にないのが [続きを読む]
  • 虹ケ浜海岸にそびえる流木ゴジラ
  • 今朝  YAHOO!ニュースの “さよなら「流木ゴジラ」自主撤去へ” の記事を読み、早速行って来ました。海岸近くの社会福祉法人に勤める重山さんが1カ月ほどかけて漂着した流木を拾い集め、組み立てた。現在は未完成で、全身に木ぎれをはり付け、夏までに完成させる予定だった。漂着ゴミや流木が押し寄せる海岸で、「若い人たちに海岸美化に関心を持ってもらおう」と制作を続けたそうです。だが、5メートルもの高さがあるゴジラ [続きを読む]
  • 意外と知られていないであろう小烏神社(こからすじんじゃ)
  • 防府市を車で散策していると、聞き慣れない神社の小さな看板が目に留まりました。車を止め読んでみると興味をそそられる内容ではないですか?車道から神社は見えるのだが、入口が分からない!!!暫く周囲をうろうろしていたら、住宅地の狭い路地道を見つけました。そこを入っていくと参道がありました。土地の人でないと知らない道ですね〜江戸時代の三田尻(防府)は、長州藩の要衝として重視されたことがうかがわれます。当時の [続きを読む]
  • 河野養哲と越氏塾
  • 文教の地・三田尻(現 防府)に、貞享3年(1686年)萩の明倫館ができる約30年前に河野養哲が三田尻に越氏塾(えっしじゅく)を創設した。己の名利を捨て、人材教育にその生涯をかけた、まさに山口県教育の原点とでも言うべきものである。養哲の死後、越氏塾は三田尻宰判の公費でまかなわれる学校となり、その後数度の統廃合ののち、元治元年(1864年)には三田尻講習堂という塾名となった。明治5年(1872年)建物はそ [続きを読む]
  • 藤の大木・一貫野の藤
  • 一昨日山口市仁保の「一貫野の藤」に行きました。シーズン中は県内からだけでなく、県外からも多くの人が訪れ、特にカメラマンの方にとっては絶好の撮影スポット。おそらく人気の秘密は、藤の下を流れる水の流れを一緒に見れるからでしょう。滝とまでは言えませんが渓流と藤・・・このコラボは他に例えようのない美しさがあります。苦言を一言言わせて頂きますと・・・藤は花後に実ができます。実を付けたままにしておくと栄養がそ [続きを読む]
  • 華浦病院・医学校跡
  • 現在、趣味の地方史研究の一環で、「防長二州における医学教育」というテーマで色々調査・撮影・ 編集を進めている最中なんですが、山口県の医学教育の中核的存在であった華浦病院・医学校跡を見つけ撮影して来ました。山口県立華浦病院・医学校跡(松原児童公園)説明碑 の拡大です。華浦医学校の様子山口大学医学部の防長医学史からお借りして来ました「華浦医学校校舎・生徒写真」です。1874年(明治7年)、現在の防府市松 [続きを読む]
  • 虹の鯉のぼりプロジェクト
  • 光市の山口県スポーツ交流村・スポーツジムで運動の帰りに、虹ヶ浜が大変賑やかそうなので寄ってみました。GWということで人も多いが、なんと!鯉のぼりの団体さんです。 「虹の鯉のぼりプロジェクト」が開催されていたんです。東日本大震災を忘れない為、そして津波の犠牲となった子どもたちへの鎮魂の思いを込めたプロジェクト。2013年、地元の浅江中学校の生徒が「シンサイミライ交流会」に参加したことのご縁で賛同した「青 [続きを読む]
  • “ ぶらり! 花めぐり” 
  • 一昨日好天に誘われて、光市・浅江神社のシャクナゲ苑と冠山総合公園のぼたん園を 花めぐりして来ました。浅江神社の北側に駐車場があるため、丘の斜面に広がるシャクナゲ苑から登りました。約45種、850本余りのシャクナゲがあると言われていますが、そんなに数があるかなぁ〜満開の時期は終わってしまったらしく大輪の美しい花は、残念ながら落下しています。冠山総合公園は梅園で有名ですが、他にも薔薇、牡丹、菖蒲と四季 [続きを読む]
  • 蘭学を梅田幽斎に学んだ大村益次郎
  • 三田尻は江戸、京都、大阪、長崎に並ぶ西洋医学の先進地と言われている。三田尻には能美洞庵、佐伯玄厚、南部伯民、 荒瀬桑陽など多くの蘭学の大家がいました。梅田幽斎は文化六年(1809)江戸で生まれ、坪井信道のもとで蘭方医学を学び、宍戸丹後の臣下の医家として、三十四歳の時に三田尻新道に開業、同時に塾を開きました。塾の名前は盥流亭(かんりゅうてい)、沈流亭と称していました。梅田幽斎は学識も相当あり、又、才 [続きを読む]
  • 珍しい写真が手に入りました。
  • 薩摩藩のそうそうたる顔ぶれの藩士が写っています。佐世保の鎮守府に勤めていた人が持っていたそうですが、人を介してお借りしました。この写真が本物なのか、偽装されたものなのかは分かりません!!!著作・発行者は名越佳次郎と記名があり、シールも貼ってあります。下記でご紹介致します「フルベッキ群像写真」と撮影した人は別ですが、幕末の志士で著名人を一堂に会して、撮影している点がよく類似しています。「十六先生之肖 [続きを読む]
  • 錦帯橋散策
  • 4月8日の早朝から霧雨が降る中を、昼近くになったら晴れることを期待して、車で国道2号線を東に向かって走り、高森を過ぎ岩国に入ると前方に春霞(はるがすみ)がかかり、山あいは見えにくい状態でした。桜見物が目的だが、見物客が多く駐車場の確保に苦労することを覚悟し、毎年見ている花見より視点を変え、錦帯橋の展望に重点を置き歩きました。画像を すると大きな画像になります。吉香公園の堀に面して立つ錦雲閣は [続きを読む]
  • 幕末 下松に天才の医者がいた !
  • 大阪・適塾の5代目塾頭になった男飯 田 柔 平 (いいだ じゅうへい)◆ 飯田柔平の横顔 飯田家は、下松市元町山口銀行前のおおたや衣料店の所に家があり、代々医者であった。天保末に西豊井の蘭医・飯田元敬の長男として生まれた。17歳のころ。弟秀輔と当時蘭学・医学で一世を風靡した、大阪の緒方洪庵が創設した適塾に入門し、若くして塾頭(5代目)に抜擢され、全塾生を統括すると共に教授にも当っていた。 その後更に、 [続きを読む]
  • 四熊家住宅主屋&診療棟
  • 四熊家は、徳山藩領周防富田(現在 周南市土井)に16世紀から続く旧家で、宝暦の頃から「見学堂」という私塾を開設し、広く医学生を集め、嘉永の頃まで続きました。主屋は、江戸時代初期から医業を受け継いだ旧家の主屋で、桁行8間半、梁間5間半、2階建てで、屋根は寄棟造、茅葺で、周囲に桟瓦葺の庇を巡らせています。県下でも数少ない大規模な茅葺屋根を残す民家で、裏山を背負って建つ姿は、地域を代表する歴史的景観を形成 [続きを読む]
  • 「鮎川義介〜日本産業の近代化に尽力した山口ゆかりの偉人」
  • 山口市大内出身で日産コンツェルン創始者・鮎川義介(1880〜1967年)を紹介する企画展が、没後50年の節目を記念し、菜香亭で開催されています。鮎川義介を簡単に紹介すると、1928年久原鉱業(久原房之助創立)を譲り受け日本産業と改称し、これを持株会社として形成した最大の新興コンェルンの創始者で、1937年には傘下に日本鉱業・日立製作所・日産自動車など有力重工業企業以下直系・傍系150社を擁した企業を創った人です。「重 [続きを読む]
  • 道路を走る高速鉄道車両見学イベント
  • 昨日英国向け高速鉄道車両の昼間陸送イベントが開催された。(株)日立製作所笠戸事業所が製造している英国向け高速鉄道車両は、下松第2埠頭から船で英国に出荷されており、同社から埠頭までは車道を使って陸上輸送(陸送)されています。通常交通量の少ない夜間に行われている「陸送」を日中に行うのが今回のイベントでした。どの位の観客が居たのだろう??? 1万人は居たのかなぁ〜と思っていましたが、今朝のテレビニュースを [続きを読む]
  • 何年振りかなぁ〜 冠梅園と冠天満宮散策
  • 場所や樹により開花の差がありますが、見頃ではないですかね〜梅の里(冠梅園)には100種、約2000本の梅の木があります。丘陵を上りきると、冠山総合公園内が見渡せ、光市街地、瀬戸内海も展望できる。 眺めはとても良い場所なんだけど、高い場所なだけに日が陰るとかなりの寒い!!冠梅園と冠天満宮は赤い橋で繋がっています冠天満宮は旧国道188号に面して大きな鳥居・広場があり、そこから石段を登っていきます。元々は、光井の [続きを読む]