ダイヤモンド☆トナカイ さん プロフィール

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ダイヤモンド☆トナカイさん: 鉄道全線完全制覇の旅
ハンドル名ダイヤモンド☆トナカイ さん
ブログタイトル鉄道全線完全制覇の旅
ブログURLhttp://4190koawazay.blog.fc2.com/
サイト紹介文昭和から平成へ・・・全線制覇の旅紀行!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供78回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2012/03/24 16:13

ダイヤモンド☆トナカイ さんのブログ記事

  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅④
  • 姫路で40分近く待ち時間があった。せっかくだからと播但線の飾磨港線を乗りたいと時刻表を計画段階で見ていたが、朝1本、夕方1本しか列車設定がなく、こちらも乗りつぶし泣かせの路線であった。というより播但線とは全く性質が違い、しかも山陽電気鉄道とほぼ並走しているため利用者はそう多くない。しかも気動車の単行がコトコト走る記憶であったので尚更乗車意欲をそそられる。結局制覇できないまま現在を迎えてしまい勿体無 [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅③
  • 「ムーンライト」とは違った夜行列車の旅となる大垣夜行を体験した私であるが、やはり現在の形である「全席指定」の方が一般的には伝わりやすいかも知れない。であるが、このアナログ的な大垣夜行もまたいい味を出していたと思う。なぜならそれは普段は「東海」など、急行列車でしか乗れない165系の運用であったから何となく得した気分になるからだ。などとカッコいい事言いながら、実は当時かなりの苦痛や苦戦をしていたかも知れ [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅②
  • さて、東京から「大垣夜行」で西を目指す私は、相模線・西寒川駅の最終列車で東京に向かった。茅ヶ崎で東海道線にのりかえ東京に行くのであるが、当時は散々上野などに特急列車などの撮影に行っていたため勝手は知っている。であるが、それは日曜の朝、上り列車に乗るという風景しか知らないため、夜に乗る東海道線の上り列車が何気に新鮮であった。通勤時間帯的に言えば、夜の上りは逆方向のためある意味国鉄(当時)に貢献してい [続きを読む]
  • 1983年春、東京から西鹿児島まで普通列車の旅①
  • いよいよ「18」シーズン真っ盛りとなった。私も「18」フリークとして季節柄、過去の「18」の旅を紹介してみようと思いPCに向かった。今回は東京からはるばる九州向かった時の旅であるが、既に紹介している1983年春の旅の中で登場する旅で、当時私は東京から普通列車のみで西鹿児島まで行ってしまった。当時は中学2年〜3年へのステップアップの時であった。乗車券は・・・もちろん「青春18」であった。当時、廃止情報 [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ⑥ 鷹泊
  • 生まれて初めてこの地を訪れた。国鉄時代は常に収支係数ワースト常連の深名線に、いつか訪問してみたいと思っていたが、とうとう実現しないまま今日まで至ってしまった。そして今回、2017年6月にその思いを果たせたわけであるが、当然ながら既に現役ではないどころか、レールは既になく、面影すらない場所もある。だが、意外にも路盤や駅設備が現在でも残っている場所も少なくなく、廃止されてから20年以上経過した現在でも [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ⑤ 大樹
  • 国鉄時代の駅名標はmassi1様のご協力のお写真である。今回の旅ではmassi1様のブログ「プラットホームの旅」の国鉄時代を参考参考にしながらの旅であったので、比較しながらの旅が大変楽しかった印象だ。既に廃止されてしまった広尾線は帯広から広尾までの路線であったが、広尾から先、えりも経由で日高本線の様似まで繋がる「予定線」があった。開通していたら恐らく特急列車が設定されていた事であろう。そして今回紹介する大樹は [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ④ 飛行場前
  • こちらの駅名標は現役時代。「プラットホームの旅」の管理人様よりご協力いただいた。天北線にあった飛行場前「駅」は、国鉄時代は仮乗降場であった。いわゆる全国版の時刻表には載らない駅なので、その存在を知る者は地元の方かレールファンがほとんどを占めていた事であろう。私も北海道初上陸前にはわざわざ通販で「道内時刻表」を取り寄せたものだ。それは1982年〜1983年の頃だったと思うが、常に夏休みには北海道行き [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ③ 山軽
  • 現役時代の駅名標は、お馴染み「プラットホームの旅」の管理人でいらっしゃる「massi1」様似ご協力頂いた。天北線・・・若いレールファンはご存知ないか実感がないのが現状であろう。天北線とは1989年に廃止された国鉄〜JRの路線であるが、私は何度も北海道路線を制覇しようと思っていた時にネックになっていた路線でもあった。稚内側では天北線と宗谷本線の接続が良いとは言えず、特に稚内発の夜行列車「利尻」に間に合うよう [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ② 万字炭山
  • 本当に鉄道の歴史があったのであろうか・・・完全に外界から隔離され「秘境」という名のカテゴリーではくくれない恐怖を感じた。万字炭山とは、かつて室蘭本線の志文から枝分かれし万字炭山に至る、言わば炭鉱路線である「万字線」の終点駅である。現役時代は、旅客列車は全て岩見沢発着であった記憶だが、実はここに来る前に旧・万字駅にも寄った(その模様は後日紹介します)。志文から万字線方面へ車で向かうとだんだんと幅員が [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ①大狩部
  • まずは厳しい現実を皆様に報告しなければならない。既に日高本線の現状は各メディアから報告あるように、災害により鵡川〜様似間が不通になり代行バスで対応している。が、JR北海道が最近発表した事項では、同区間の復旧断念を示す内容であった。つまり代行バスが代行でなくなってしまう事を示唆していることになる。大変残念であるが、復旧する費用や、仮に復旧したとしても今後また同じ災害を受けないと言い切れない沿線風景で [続きを読む]
  • 蝦夷からアイヌへ〜SASURAIの旅
  • 今回紹介する旅は、実はおととい帰宅したばかりのホヤホヤの旅である。行き先は北海道。一部の人には紹介していたが、今回の北海道は日高本線、室蘭本線の苫小牧〜岩見沢間、留萌本線、宗谷本線を、また、廃止路線として広尾線、万字線、幌内線、深名線、天北線などを訪問した。正直言ってかなりのハードスケジュールの中、意外に自身の思っていた以上にすんなりと計画が実行され、ある意味パーフェクトな予定の組み方であった。た [続きを読む]
  • 三段峡への挑戦⑥ 安野
  • 実は、安野という駅自体を今回の訪問でその存在を知った。ご紹介の旅が決定した時に、当然ながら訪問先をピックアップする。そのプロセスの中で、現役時代は地味だった駅も廃線になればこうして存在感をアピールしてくるのだ。だから過去の現役時代の姿が光ってくる・・・逆に言うと何とも皮肉な話だ。って、私が勝手に思っているだけであるが・・・というより、やはりこの安野は現役時代に訪問してみたかった。もちろんできなかっ [続きを読む]
  • 三段峡への挑戦⑤ 安芸飯室
  • (現役時代の駅名標。写真は「プラットホームの旅」より。そう、国鉄時代の貴重な写真だ!)以前に可部線の駅訪問に関してはいくつか紹介したが、まだ紹介していない訪問先があるのでいくつか紹介してみたい。まずは安芸飯室であるが、現在でも駅舎やホームがしっかりと残っている。ウィキによると、駅舎はカフェが営業しているらしいが、私の訪問時はそのような印象は記憶が薄い。何か公民館的な雰囲気で使われているような印象で [続きを読む]
  • 相模線「ヘビー・ローテーション」⑧
  • 相模線のかなり「過去」を紹介したい。今回は寒川町にある「寒川文書館」にて資料を提供していただいた。私も知らない世界に、圧倒されっ放しであった。この章は「寒川駅」に拘ってみよう。なお、無記名のモノクロ画像は「K.T」さん所蔵のもので、ご本人から寒川文書館を通して許可をいただいた。御協力くださった皆様にこの場を借りてお礼を申し上げるとともに感謝いたします。「相模鉄道」として茅ヶ崎〜寒川間開通当時の寒川駅 [続きを読む]
  • 時よ、お前は③ 下津井
  • 下津井電鉄の終点・下津井は、特に漁港としてその名を知られ瀬戸内海の豊富な海の幸を我々に提供してくれる。特に下津井で取れる「たこ」は独特の弾力があり、スーパーなどで見られるアフリカ方面のたことは全く異なる食感を出す。地元はもちろん、岡山市内などにも下津井たこを楽しめる飲食店が多く、その絶対なる信頼度は実に大きい。そんな地を終点とした下津井電鉄は廃止された現在でも「地元密着」を肌で感じる事ができる。児 [続きを読む]
  • 時よ、お前は② 鷲羽山
  • 下津井電鉄の廃線跡で一番気になっていた駅が鷲羽山であった。この駅から見下ろす瀬戸内海は絶景で、などと私が解説を入れなくても周知の事実であろうが、鷲羽と言えばかつて新大阪〜宇野で運転されていた急行列車の愛称であったのは懐かしい。ほぼ夜行列車であったが、新大阪を夜の時間帯に出発して宇野につくのがなんと3時台である!そこから連絡船に乗り換えて高松へ向かうのだから実に体力のいる移動手段だ。そう、まだ瀬戸大 [続きを読む]
  • 時よ、お前は① 児島
  • (JR児島駅。高架駅の典型的な設計の印象で、それこそ新幹線の単独駅か鳥取、静岡のそれにそっくり!)かつて、岡山県に他の鉄道路線と接続しないナローゲージの鉄道路線があった。それは下津井電鉄線といい、JR本四備讃線の児島付近に始発駅があった児島より、漁港で有名な下津井を結ぶ路線であった。私が物心着いた頃には既にこの児島〜下津井の区間での運転であったが、それ以前には児島より先茶屋町までの区間があった。現在茶 [続きを読む]
  • 同和鉱業片上鉄道に接近してみた③ 苦木
  • 同和鉱業片上鉄道はほとんどの廃線跡がサイクリングロードに変身しているが、私はレンタカー訪問のためサイクリングロードを体験できなかった。そこで途中駅で保存状態の良い苦木を訪問してみた。だが、やはり私のように遠方からはるばるやってくる訪問者にとってはかなりの事前調査をしておかないとその位置関係が把握できないと思い、私もその例に習いしっかりと自己所有のポータブルカーナビにインプットしてからの訪問となった [続きを読む]
  • 同和鉱業片上鉄道に接近してみた② 吉ケ原(後編)
  • 前回は吉ケ原の駅を紹介したが、この章では保存車両を紹介してみよう。同和鉱業の歴史がひと目でわかると同時に懐かしさを感じる事が出来る。というより、こうした鉄道の歴史に触れるという事は「鉱山」「石炭」など、かつて日本を反映させた歴史にも触れることになろう。こうした歴史があって現在があるという事を思うと実に感慨深い気持ちである。かつて日本の経済を支えた勇者たちをとくとご覧いただきたい。吉ケ原付近から撮影 [続きを読む]
  • 同和鉱業片上鉄道へ接近してみた① 吉ケ原(前編)
  • 同和鉱業と言えば、かつては秋田県にある小坂製錬がその名を名乗っていたのは周知の通りであるが、岡山県にも同じ同和鉱業を名乗る鉄道会社があった。それは片上鉄道である。もちろん周知の事実であるが、レールファンからすればかなり興味を引く車両などがひしめいていたので、私からすれば現役時代に訪問できた方が実に羨ましい限りである。そして今回私が訪問したのは事前調査により吉ケ原が一番保存状態が良いという事で早速調 [続きを読む]
  • 姿なき挑戦者⑰ カシオペア(後編)
  • さて、計画段階から函館より上りのカシオペアに乗車することが決定していて計画段階から札幌より乗りたかった自分を納得させるよう、函館ではカシオペアに乗車する前に湯の川温泉でひとっ風呂浴びる予定を組んだ。カシオペアではシャワーしかないため湯の川を選んだわけであるが、というより、私が1978年に初めて「富士」に乗車したときは、寝台特急でシャワーを浴びるなんてこと夢のまた夢であった時代だったため、この「シャ [続きを読む]