hitorima さん プロフィール

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hitorimaさん: どこかへ行きたい〜旅に関するあれこれ。ちょい鉄〜
ハンドル名hitorima さん
ブログタイトルどこかへ行きたい〜旅に関するあれこれ。ちょい鉄〜
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/hitorima/
サイト紹介文主な移動手段は公共交通機関と徒歩。 一人旅にこだわる貧乏トラベラーです。 愛知県在住、50代、男性。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供184回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2012/04/25 11:16

hitorima さんのブログ記事

  • 身の丈にあった展示に好感が持てる碧南海浜水族館〜2017.06.11(2)〜
  • 碧南市は何かと水に縁の深い町です。市の西側が衣浦湾に面し、東には矢作川が流れ、油ヶ淵という湖沼も抱えています。市立の碧南海浜水族館もこうした地域性に根ざして設立され、展示のみならず自然保護や調査研究にも力を入れているとのことです。もぎりのおねいさんに尋ねたところ、写真撮影はノープロブレムとのこと(ただし、一部の水槽ではフラッシュ禁止)。お言葉に甘えて撮りまくってきました。順路にしたがって進むと、最 [続きを読む]
  • 尾張七福神巡りの途中で祖父江砂丘発見!?〜2017.06.03(2)〜
  • 七福神巡りという風習は江戸時代に始まりました。神仏混淆なんでもあり!みたいな顔ぶれですが、わかりやすい現世利益を訴求しているのが庶民受けする理由なのでしょう。四国巡礼ほど大げさではなく、手軽に回れてそれなりの達成感が得られることもあって、今なお根強い人気を保っています。最近訪問した寺院では、名古屋市南区の笠覆寺(りゅうふくじ)がなごや七福神、豊川市の三明寺(さんみょうじ)が三河七福神の霊場になって [続きを読む]
  • 吉良さんの町を歩けば、最後の最後まで赤馬尽くし〜2017.05.28(4)〜
  • この日は三つのお寺を回りました。西福寺と金蓮寺が鎌倉時代までさかのぼる古刹であるのに対し、華蔵寺が創建されたのは1600年(慶長5年)のこと。歴史の古さでは多少見劣りしますが、禅寺らしい落ち着きがあり、どこか取りすました雰囲気も感じます。たくさんのウォーカーがたむろしているにもかかわらず、不思議と騒がしさはありません。さほど広くない境内をひと巡りしたら、ゴールの上横須賀駅に向かいます。本堂の向かって左 [続きを読む]
  • 吉良上野介って本当にイヤなヤツ?〜2017.05.28(3)〜
  • 暦の上ではとっくに夏に入っているのですが、5月も下旬になると、身をもってそれを実感させられます。近年は早い時期から最高気温が30度に達することも珍しくなくなりました。この日は文句なしの上天気で、気温もぐんぐん上昇。名古屋では最高気温が25度を超える夏日になりました。それでも、梅雨が明けてからのうだるような蒸し暑さとは肌ざわりが違います。田んぼや畑が多くてさえぎるものがないせいか、風もよく通ります。紫外 [続きを読む]
  • 知られざる国宝はびっくりするぐらい敷居が低かった!〜2017.05.28(2)〜
  • 旧吉良町が“吉良三人衆”としてプッシュしていたのが、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさまたはよしなか)、吉良の仁吉、そして20世紀の文豪・尾崎士郎です。西尾市と合併してからもその流れは続き、西尾市観光協会のホームページでは地域ゆかりの歴史的人物として紹介されています。尾崎士郎は幡豆郡横須賀村出身の小説家で、代表作は自らの経験を踏まえた長編小説『人生劇場』。上野介や仁吉にも強い親近感を抱いてい [続きを読む]
  • 再び各務原の市街地に戻り、ゴールの新加納宿へ〜2017.05.21(4)〜
  • 近現代の航空宇宙産業、農業用水を利用した遊歩道、古墳や城跡の残る里山を巡ってきたこの日の名鉄ハイキングも、残り3分の1となりました。最後に旧中山道を歩き、少しだけ街道気分を味わいます。江戸から来た旅人が山また山の木曽路を抜けて濃尾平野に下り、ほっとひと息つくのがこのあたり。各務原市でいえば市内東端の鵜沼(うぬま)に宿場が置かれていましたが、次は現在の岐阜市にあった加納(かのう)宿まで約17kmも宿場があ [続きを読む]
  • 近代以降急激に姿を変えた各務野でいにしえをしのぶ〜2017.05.21(3)〜
  • 各務原台地は各務野(かがみの)とも呼ばれます。稲作中心に発展してきたこの国の農業にとって、水が得づらい台地は利用価値の低い土地でした。江戸時代になると土木技術が発達し、より高い場所から水を引っ張ってくることも不可能ではなくなります。しかし、そもそも各務原台地は農耕に適さない土壌だったこともあるのか、そこまでの努力が払われることはありませんでした。江戸時代までは、文字どおり野原が一面に広がっていたよ [続きを読む]
  • 実物大プラモデルに見えてきた懐かしの三式戦闘機・飛燕〜2017.05.21(2)〜
  • 飛行機との縁をウリにしている町は全国にいくつかあります。空港のお膝元はたいていそうですし、関東の方は日本における航空機発祥の地である所沢を思い浮かべるかも知れません。農耕に使える水が乏しく土壌もやせていた各務原台地は、長らく利用価値のない荒野として放置されていました。そこに目をつけたのが明治時代の軍部で、最初は陸軍の演習場、次いで飛行場が開設されました。1918年(大正7年)に所沢から飛行戦隊の一部が [続きを読む]
  • 再び祝祭モードにリセット、美濃路を巡行するヤマにも遭遇〜2017.05.14(4)〜
  • 多少雲が浮かんでいるものの、日が高くなるにつれて気温が上がってきました。しかし、カラッとした晴天で、蒸し暑さはありません。汗をかいても片っ端から蒸発してしまう感じです。これこそこの時期本来の陽気でしょう。ウォーキング終盤は、交通規制が敷かれてお祭り一色に塗り込められた大垣の町を右往左往します。榊ヤマを擁する竹島町に大垣宿の本陣がありました。改築・改修を重ね、現在は美濃路大垣宿本陣跡として一般公開さ [続きを読む]
  • コース終盤、もうひと山越えて名鉄の縄張りに復帰〜2017.05.06(4)〜
  • 1年半前に参加したウォーキング(名鉄のハイキングとJR東海のさわやかウォーキングの共催)は桶狭間の戦いをフィーチャーしたコースで、名鉄の中京競馬場前駅からJRの大高駅まで踏破しました。今回は、逆に大高駅から名鉄を目指して北上します。このあたりでは2〜3km離れて名鉄とJRが並走していますが、その間に横たわるのが大高緑地です。愛知県営の広大な緑地公園が丘陵地帯に広がっています。つまり、最後にちょっとした [続きを読む]
  • 台地を下り、いにしえの塩田地帯を南下、呑み助のオアシスへ〜2017.05.06(3)〜
  • 笠覆寺の正門は本堂の正面にあって南を向いている山門だと思うのですが、鉄道駅からの参道に続く西門が事実上のメインエントランスになっています。この日も西門から出るコース設定でした。西門の直前を横切る道路が江戸時代の東海道です。江戸方面から来ると、笠寺台地に上がって笠覆寺の前を通過し、いったん谷に降ります。再び少し登ったあたりが東海道屈指の宿場町であるとともに熱田神宮の門前町でもあった宮(みや)の宿場で [続きを読む]
  • 岡崎市の花・藤が盛りを迎えた春風駘蕩の岡崎城〜2017.05.03(5)〜
  • 岡崎市の人口は約38万人。愛知県内では、名古屋から大きく離された二番手グループの一角です。平成の大合併で額田郡額田町を編入しましたが、周辺町村をごっそり飲み込んだ豊田市に少し水をあけられました。しかし、西三河の中心都市と聞かれれば、今でも岡崎の名前を挙げる愛知県民が多いのではないでしょうか。歴史が古いだけでなく、自動車関連をはじめとする製造業も集積しており、(豊田市ほどではないものの)財政状況も悪く [続きを読む]
  • 家康の願いに家光の思いが重なる伊賀八幡宮〜2017.05.03(4)〜
  • コースタイトルのとおり、伊賀八幡宮は徳川将軍家と極めつけにゆかりの深い神社です。家康その人も、大きないくさの前にはここで戦勝を祈願したと伝わっています。江戸時代には600石あまりの社領を与えられ、手厚く保護されました。現在の社殿は家康や孫の家光が造営したもので、その後も幕命による修理・修復が行われてきました。戦災を免れたこともあって、重要文化財クラスの建築が多く残っています。石の鳥居、神橋(石橋)、 [続きを読む]
  • ほんの一時期、家康を牽制する町になった岡崎〜2017.05.03(2)〜
  • この日のコース距離は約7.5kmと短めです。矢作川左岸の平野部を歩くため、アップダウンもほとんどありません。歩き通すだけなら2時間もかからないでしょう。当然のごとく、初心者向けに分類されていました。しかし、そこは家康のふるさと・岡崎です。歴史を感じさせる見どころには事欠きません。じっくり見学しながら歩を進めます。伝馬通りの2本北側を東西に走る道路沿いには石材加工業者が集積し、石屋町(いしやまち)通りと呼 [続きを読む]