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大江戸百花繚乱 https://blog.goo.ne.jp/tadious

知っていそうで知らない江戸時代の雑学等を幕末を中心に書いています。

木村謙之介
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2012/05/13

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  • 古式泳法

    弊著「慶応三年の水練侍」は江戸時代にもバタフライに似た泳ぎはあったのではないか、という前提のもとに執筆しました。日本の古式泳法というと、非常にゆっくりした泳ぎを想像する方が多いと思います。たしかに日本の泳法は武具を付けて泳ぐことを前提としていることや、泳ぎ切ったあと疲れてしまっていては戦いにならないので、体力の消耗を防ぐ観点から、ゆったりした泳ぎが多いのは事実です。また、敵から攻められることも想定しているので前方が見えるように顔を上げて泳ぐのが基本です。しかしながら、堀を泳いで敵を攻めようとした場合など、ゆっくり泳いでいたのでは城内の敵から攻められ、すぐに死んでしまいます。日本泳法であっても速く泳がなければならない時があるのです。日本は島国だけあって、泳法の流派は百花繚乱、それこそ百を超える流派があったと...古式泳法

  • 札付きの悪とは?

    「札付きの悪」の札付きというのは、何のことだかよく分からない。その前に、「札付きの悪」の意味のおさらい。岩波国語辞典によると、「札付き=札(正札)がついていること。転じて、悪い定評があること。そういう人または物」とある。言葉の意味は分かるが、「札付き」の札が何だか分からない。前回も参考にした「絵で見て納得!時代劇のウソ・ホント」(遊子館)笹間良彦著に詳しい解説があった。結論から言うと、この場合の札とは付箋のようなものだ。以下に同書からの内容を書いてみたい。江戸時代は連座制だったので、一家の誰が罪を犯しても、罰は家族全員に及んだ。そこで、子供が罪を犯す恐れがありそうな場合は、前もって親子の縁を切って、勘当したという書類を町人に届けた。町役人から書類を受け取った名主は町奉行所に届けて決済を受けた。江戸時代、町...札付きの悪とは?

  • 水戸黄門のお銀の職業って?

    水戸黄門に出てくるかげろうお銀。由美かおるが演じ、人気を博したキャラクターである。お銀は、くノ一なのだが、普段は鳥追女の恰好をしている。鳥追女?よく分からない職業ではないだろうか?鳥追いというのは、元来、小正月(1月15日)に行う農耕行事だ。小学館の「ビジュアルワイド江戸時代館」によると、鳥追いは田畑の害鳥を追い払う行事。小正月に棒で地面をたたいたり、唄や音曲で鳥を追い払ったりして、豊作を祈った。とある。では、鳥追女はどうだろう。遊子館「絵で見て納得!時代劇のウソ・ホント」(笹間良彦)から引用する。鳥追女は、普段は質素な姿で菅笠をかぶり、新年(正月一日から十五日まで)のみ衣服を新しくし、菅笠から編笠にかえて三味線を弾き、清元や富本、常磐津、長唄、新内などをうたいながら門付けした女太夫と称する女芸人である。...水戸黄門のお銀の職業って?

  • フタスぺ2023 ~本日まで開催

    電子書籍半額セールの「フタスぺ2023」。いよいよ今日までです。若き日の十返舎一九を描いた「あすなろ道中事件帖1~3」も出品しております。よろしくお願いいたします。フタスぺ!2023小説フェアフタスぺ2023~本日まで開催

  • 川上貞奴と各務原~各務原歴史民俗資料館

    かがみはら百科+「川上貞奴と各務原」各務原歴史民俗資料館(令和4年1月29日発行)川上貞奴は、日本で最初の近代女優と言われた女性だ。本名は、小山貞。明治4年(1871年)両替商を営む小山久次郎の12番目の子どもとしてうまれた。その後、実家の没落に伴い、日本橋葦町(よしちょう)の芸者置屋の浜田屋の女将・可免(かめ)の養女となる。すでに人気芸者となっていた貞は、16歳のときに「奴」を名乗るようになる。このときの後ろ盾は初代総理大臣の伊藤博文らであった。23歳になった貞奴は、オッペケペー節で一世を風靡した新派劇の創始者・川上音二郎と結婚。芸者の世界から離れる。音二郎の一座は、アメリカやイギリス、フランスへ公演に行く。海外での公演で、男性が女性役を演じるのは気味悪がられたため、貞奴は「仕方なく」女優となった。ピカ...川上貞奴と各務原~各務原歴史民俗資料館

  • 紀伊国屋書店 フタスぺ2023開催中

    紀伊国屋書店のウエブサイトで今年も双葉社のフタスぺが始まっています。2月26日までの限定で、対象のタイトルが半額となっています。弊著の「あすなろ道中事件帖」も「悪女のゆめ」「銀色の猫」「新月の夜」の三部作が半額の対象となっております。この小説は若き日の十返舎一九を描いたものです。一九の幼少期は、自ら話をほとんどしなかったのでよくわかっていないのですが、早い時期に小田切土佐守直年の下に仕えています。土佐守は、大坂町奉行を経て、町奉行に就任するのですが、大坂にいる時期に一九は材木商に入り婿して、武士の身分を捨てています。しかし、戯作家になる夢は断ちがたく、ひとり江戸に修行に出ます。その後、蔦屋重三郎の食客となり、戯作の絵などを描くようになるのですが、それまでの一九は無職で収入もなかったので、町奉行に出世した土...紀伊国屋書店フタスぺ2023開催中

  • 馬のいた風景~南部馬

    郷土資料館や博物館に行くと、「いつか使うかもしれない」と思って、必ずといっていいほど資料集を買ってしまう。しかし、ほとんどが本棚の肥やしとなっている。これではいけない。ランダムに抜き出し、備忘録的に面白いな、と思った点をブログに書いていきたい。まずは、もりおか歴史文化館の「あの日あの時の盛岡4馬のいた風景」(平成26年10月26日発行)。「南部駒」「南部馬」としられた南部藩の名産である馬は、南部地方が「糠部郡(ぬかのぶぐん)」と呼ばれた時代から「糠部駿馬」と呼ばれ、知られていた。平安貴族にとって、良馬の獲得は権力や財力を示すものであった。藤原氏二代藤原基衡(もとひら)は京の仏師・運慶に五十疋の糠部駿馬を送った。時代は下って江戸時代になると、南部藩による馬は「野馬(のま」、民有の馬は「里馬(さとうま)」に分...馬のいた風景~南部馬

  • 国定忠治とお旦那博奕打ち

    笹沢佐保が「天保・国定忠治録」で面白いことを書いている。国定忠治は「いわゆる、お旦那博奕打ちである。このお旦那博奕うちは、親分になる者が多かった」お旦那博奕打ちとは言うまでもなく、実家が金持ちだということだ。「清水次郎長、笹川の繁蔵、加島屋長次郎、国定忠治、みなお旦那博奕打ちである」その理由として、「一つには子どものころから生きることに苦労して来た無宿人とは違って、どことなくおっとりしたところがある点だった。狡猾さがなく、万事に大まかである。それが親分肌ということになって、人望を集めるのであった」また、「第二に、なまじ育ちのいい者がその気になると、まったく向こう見ずになるということだった。小さいときから虐げられて、人の顔色を窺うというところがない。怖いものしらずであった。それが、たいへんな度胸になるのであった」...国定忠治とお旦那博奕打ち

  • 新年のご挨拶

    新年あけましておめでとうございます。昨年はコロナに振り回された一年ですが、今年は平和な年となるように祈るばかりです。個人的には、昨年は思うようにならないことばかり多かった年でしたが、今年は勝負の一年だと思って、日々精進していこうと思っております。今日は虎ノ門にある金毘羅神宮に初詣でに行ってまいりました。毎年、この場に来ると背筋が伸びる思いがします。改めて一日も無駄にはできない、と決意を新たにした次第です。どうか、本年も応援のほど、よろしくお願い申し上げます。木村忠啓↓よろしかったら、クリックお願いいたします!人気ブログランキングへ新年のご挨拶

  • 駿河遊侠伝 ~ 子母澤寛のすごさ

    変わったペンネームだと思っていたが、子母澤寛の「子母澤」は住んでいた世田谷区の地名から採ったそうだ。その子母澤寛の「駿河遊侠伝」を読んだ。正編、続編の2冊構成だ。最初は読みにくいなあ、と思いながら読み進めたのだが、まるで本当に見てきたような描写にいつしか引き込まれていった。子母澤寛は、明治25年生まれ。小説を書くようになってからも、江戸時代を生きた人は何人も存命していた。その人々に取材して「古老曰く」という描写で当時のことを詳しく聞いているのだから、かなりリアリティがある。この「駿河遊侠伝」は清水の次郎長のことを描いた小説だ。言うまでもなく、清水の次郎長はやくざだ。だから、いろいろ悪く言う人もいる。私自身、次郎長は明治以降は、「官」の側に行ったのだから、利権ももらえるし、悪いことをしなくてもよくなったのだ、くら...駿河遊侠伝~子母澤寛のすごさ

  • 戦場とペンダント

    「空母いぶき」という映画を観ました。主演は西島秀俊さんと佐々木蔵之介さん。架空の「東亜連邦」という国が日本の初島を占領し、戦争行為を仕掛けてくるという設定です。この行為を空母いぶきを主艦とする自衛隊が防衛するというシナリオになっています。専守防衛というのがキーワードになっていて、自衛隊員のじりじりとした緊迫感が伝わってきます。限られた予算の中で作られたであろう戦闘シーンもなかなか迫力があります。映画のレビューを見てみると、賛のほうが多いものの、賛否両論となっています。その中で、個人的に思うことは、この映画は「娯楽映画」なのであるという点です。リアリティさがあったとしても、それはあくまでも「リアリティっぱさ」です。テレビの時代劇でバッタバッタ主人公が相手を切り斃しても、文句を言う人はいないと思います。悪人がいきな...戦場とペンダント

  • 浜チョク ~ 激安お取り寄せ海産物

    浜チョクという海産物お取り寄せのサイトを見つけた。価格が安い。おまけに送料が無料である。クール宅急便なんて、1500円くらいかかることも多いのだけれど、それでも無料。さっそく、この中から三重県の浦村かき(生食用)殻つきを頼んでみた。価格は2000円。価格が価格だけに、量が少ないのかなあ、と思っていたのだが、届いてびっくり。発泡スチロール容器にびっしり入っている。生でも食べられるのだけれど、多食するには加熱したほうが安心なので、土なべで蒸し焼きにする。さすがに鮮度は抜群。説明書です。アマゾンで見ると、最安でも20個3480円。今回頼んだカキは20個以上入って、2000円。どうしてかなあ、と思っていると、この事業には水産省の補助事業資金が投入されているようだ。道理で安いわけだ。しかし、その補助事業が2月25日で打ち...浜チョク~激安お取り寄せ海産物

  • 飛脚の話②~速さ

    「上方・下方抜状早遅調」という書類がある。早飛脚の時刻表ともいうべきものである。下記の早遅調は、江戸~京を三日で行くという、超特急便の写真だ。この書類により、江戸の飛脚がどれくらいの速さで走っていたかが分かる。結論から言うと、驚くほど遅い。表の見方を下記に記す。①起点②現在の地名③距離(km)④所要時間⑤平均速度(km/H)⑥江戸からの累計距離(km)⑦三日のうちの何日目か⑧江戸を0時:00分に出発した場合の各起点の通過時刻⑨⑧から計算した所要時間⑩⑧⑨から割り出した平均速度⑪④と⑩との差以上である。⑤と⑩を見ると、飛脚のスピードが分かる。ただ、釈然としない点も残る。たとえば、大井川に3:36に着くとあるが、こんな時間では川を渡してもらえはしない。渡しは明け六つからと決まっているわけだから、六時に渡ったとすれば...飛脚の話②~速さ

  • 飛脚の話①~飛脚の日数と代金

    江戸時代の飛脚制度はなかなか複雑なのだが、その中で町人も武士も利用できるものとそうでないものとあった。それはさておき、通常の飛脚便には、①並便②早便③仕立早便の三つがあった。それぞれの便について見てみたい。①並便江戸~京は、15日が目途とされたが、規定日数は定められていない。遅いと三十日も掛かる場合もあった。遅延の主な理由としては、荷物が込み合ったときに起こる問屋場での馬の不足(馬支)、増水等による川留め(川支)などがある。また、馬を継ぎ立てて行く(通常5~6頭)ため、その継立がうまくいかないのも遅延の原因となった。飛脚便の料金は、現代と同様、内容物の重さや酒類で大きく異なる。また、距離によっても違った。手紙一通を江戸から京や大坂へ送る場合を見ると、銭三十文とある。かけそばが十六文とすると、そば二杯分の値段であ...飛脚の話①~飛脚の日数と代金

  • 新作「虹かかる」のお知らせ

    今回は4月15日に発売される弊著「虹かかる」の宣伝です。舞台は常陸国・麻生新庄家一万石。時は、天保年間。老中・水野忠邦が推進する天保の改革下で鳥居耀蔵が権力を振るっていたころの話です。主人公は元水戸藩士の飛田忠矢。若気の至りで、浪人に身をやつし、爪に火を点すような暮らしを続けるなかで、妻が病を得て鬼籍に入ってしまいます。その妻の遺言で骨を水戸領である大津浜に散骨に行く途中、見栄からついた嘘で、新庄家から声を掛けられます。新庄家といっても、ほとんどが留守にしており、数人しか残っていませんでした。新庄家の先頭に立つのは、見かけだけは立派だけれども、剣を振るえなくなった「山槍」とあだ名された藩士。敵は鳥居耀蔵の影をちらつかせた怪しげな浪人衆。ふたりは援軍を外に求めることに。向井半蔵という頼りになる老武士を味方にひきい...新作「虹かかる」のお知らせ

  • 将軍の賽

    「将軍の賽(さい)」という古典落語がある。yotubeで動画があるかどうか調べてみたが、なかった。無理もない話だ。落語では時事ネタを扱っている作品もあるが、この「将軍の賽」もそのひとつだからだ。内容は、幕末近く、江戸城に登城した大名が手持ち無沙汰のあまり、サイコロ(賽子)博打を始めた。その現場を将軍に見とがめられた大名たちは、将軍が世知に疎いことを利用して、その場を逃れようとする。サイコロなるものを見たことがない将軍に、「それは何か」と問われた井伊掃部頭は、「東西南北天地陰陽をかたどった宝物だ」と答える。さらに、「一の目は何を意味するのだ」と尋ねられ、「将軍家をかたどった」と井伊は答える。以下、「裏の六の意味するところは」「六十四州」「四は」「四天王の酒井、榊原、井伊、本多」「三つは」「清水、田安、一橋の御三卿...将軍の賽

  • 人の身体は、ひとつの会社だ

    人って会社のようなものなのかもしれないと思うようになった。たとえば、胃袋部門というのがあって、頭脳部門があって、肝臓部門があって、筋肉部門があるような。ストレスがあって、頭脳部門は解消のためにどんどんお酒を飲め、と命じる。割りを食うのは、肝臓部門だ。頭脳部門の勝手な判断により残業で、やりきれないよなあ、と思うだろう。予算の問題もある。稼ぎ以上に経費を使ってしまったら、赤字になり、末は倒産だ。肝臓の処理能力以上に、頭脳が酒を飲ませてしまったら、赤字経営となる。個人において倒産は死である。食べ物も一緒だ。どんどん好きなだけ食べていれば、胃袋部門にしわ寄せがくる。もうやってられないよなあ、と胃袋部門のボイコットを食らえば、身体には大きなダメージが残る。昔の人は五臓六腑と言ったが、この十一部門がたがいにハッピーであるよ...人の身体は、ひとつの会社だ

  • 尼崎城と赤十字社

    尼崎城はもっとも新しく建造された城である。エディオン(旧社名ミドリ電化)の創業者である安保詮(あぼあきら)氏の10億円という巨額の資金協力を得て、平成30年に建造された。江戸時代の城主を見ると、後に大垣藩主となる戸田氏、後に郡上八幡藩主となる青山氏に続き、十四(あるいは十八とも)松平と呼ばれる三河国、徳川ゆかりの桜井松平氏が幕末まで城主を勤めた。興味深いのは最後の城主となった松平忠興である。忠興は、佐野常民や大給恒(松平乗謨)らが提案した博愛者(のちの赤十字社)の設立に賛同し、松平乗承(三州西尾)、松平信平(丹波亀山)らともに協力している。ときは、明治十年(1877年)、西南の役が勃発した年である。博愛社の設立は最初からすんなりといったわけではない。「敵味方の差別なく救済する」という理念には、政府内部でも抵抗の...尼崎城と赤十字社

  • 歳の差

    幕末の立役者の年代がとても若かったとはよく聞く話だ。しかし、これは主として薩長を中心とした雄藩の話であって、幕軍のほうは結構年配者も多かった。戦況が討幕派に完全に有利となり、新政府が成立した後、旧幕府の官僚の中には、薩長の若者に卑屈な態度を取る者も多かったと聞く。五十近い者が二十代の若者にへいこらしているのは、見た目のいいものではない。そう思っていたのだが、過去も現代も、組織において年齢が決定的になることはあまりないようだ。江戸時代においては家格というものがあり、自分が五十歳であろうと家格が遥か上の者であれば、相手がたとえ十代であろうと敬語を使う。極端な話、相手が世継ぎであれば、幼少であろうと神様扱いだ。現代においても、オーナー系の会社であれば、社長ジュニアは暗黙の了解に守られている。江戸時代は、相手が年下であ...歳の差

  • 新刊「十返舎一九あすなろ道中事件帖・新月の夜」発売

    「十返舎一九あすなろ道中事件帖・新月の夜」が去る4月11日に双葉文庫から発売となりました。内容は下記の通りです。戯作者としての手応えを感じ始めた貞一は、十手捌きでも勘を取り戻しつつあった。そんな中、馴染みの蕎麦屋の主・伝兵衛が殺されるのを目撃する。伝兵衛を斬ったのは狐面を被った凄腕の男。しかし、狐面は貞一の前で、突然消失した。消失の謎も解けないうちに、今度は伝兵衛の妻のお初が主人の殺害を依頼したと自訴して出てきた。夫婦間のすれ違いと愛情を描いたシリーズ最終巻。かなり頑張って書いたつもりでおります。よろしくお願いいたします。お買い求めは下記からもできます。双葉文庫4月の新刊↓よろしかったら、クリックお願いいたします!人気ブログランキングへにほんブログ村新刊「十返舎一九あすなろ道中事件帖・新月の夜」発売

  • 慶応三年の水練侍

    来る12月7日、㈱朝日新聞出版社から弊著書が発売となります。内容は江戸時代の水泳に関するものです。江戸時代版、スポ根もの、とも言えます。常識から考えると、江戸時代に近代水泳に近い泳ぎがあったのは、あり得ないと思う人もいらっしゃるでしょうが、四方を海で囲まれた日本は水泳に対する関心がかなり高かったと言えます。今回、僕が提示した泳法等は荒唐無稽のようですが、決してあり得ないことではないと思っています。ぜひ、一回手に取ってご覧になっていただければ幸いです。https://www.amazon.co.jp/dp/4022514388/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1480514819&sr=8-1&keywords=%E6%85%B6%E5%BF%9C%E4%B8%89%E5%B9%B4↓よろしかったら...慶応三年の水練侍

  • 中山道の道幅に驚く

    東海道五十三次が陽の道だとすると、中山道六十九次は陰の道である。東海道にある大井川の渡しや七里の渡しのような川や海の難所はない代わりに、木曽の険しい山々や、冬には厳しい寒さが待ち受けていた。現在、岐阜県にある中津川は、江戸から数えて四十五番目の宿駅である。町並みには卯建(うだつ)の上がる商家が並び、商都としても栄えた場所で、今の景観からも往時が忍ばれる。その中津川の中山道の途中に、非常に細い道がある。今はほんのわずかに残っているだけで、気を付けないと見落としてしまうが、この細い道も紛れもない中山道であった。中津川の本陣のあったあたりの道は、かつての道をなかなか忠実に再現している。道は何回か直角に曲がっているが(枡形)、これは外部から中心部が見渡すことができないようにとの意図から為された工夫である。前述の細い道も...中山道の道幅に驚く

  • アスファルト

    久しぶりにいい映画を観た。フランス映画の「アスファルト」。監督は、サミエル・ベンシェトリ。「歌え!ジャニス・ジョップリンのように」の監督である。「ジャニス」でも奇妙なサミエル・ワールドが展開されていたが、「アスファルト」でもその世界は健在だ。コメディなのだが、イギリス的なブラックジョークではなく、ほのぼのとした笑い。団地の屋上にいきなりNASAの宇宙船が不時着する不条理さは、サミエル・ワールドでないとさばき切れない。サミエルにかかれば、NASAの宇宙飛行士もエリートではなく、ただの人間。キャスティングも魅力的。宇宙飛行士役にマイケル・ピット。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」でトミー・ノーシス役を演じた「あの」俳優である。高校生役は、ジュール・ペンシェトリ。監督の息子だ。母親のマリー・トランティニアンは鬼...アスファルト

  • さくら咲く ~ 嘉門達夫

    替え歌メドレーで有名な嘉門達夫は、イロモノっぽく見られることの多いシンガーだが、バラードには驚くほどよい曲がある。「さくら咲く」もそのひとつ。この歌を初めて聴いたのは、名古屋の栄歌フェスタだった。たしか二年前だ。そのとき、私自身も自分の「さくら」を咲かせたいと思った。それから二年。やっと、自分の「さくら」を咲かせることができた。具体的な報告は後日になるが、スタートラインに立つことができた。これからは、いままでにもまして精進しなければならないと、気を引き締めているところだ。嘉門達夫「さくら咲く」↓よろしかったら、クリックお願いいたします!人気ブログランキングへにほんブログ村さくら咲く~嘉門達夫

  • 参勤交代の人数

    参勤交代については、広く知られているようでいて、その実、あまり知られていない部分が多い。「超高速!参勤交代」によると、参勤交代とは、全国の大名を定期的に江戸に出仕させる事により、藩の財政に負担を与え、幕府への叛乱をおさえる制度である。と端的に述べている。つづいて、参勤交代は武家諸法度の実質的な第一条として掲げられており、参府を渋ったり、遅れたりする大名は厳しく処断された。とある。実際、多くの人が参勤交代に持つイメージもこのようなものであろう。しかし、武家諸法度で述べられているのは、下記の文言である。大名小名江戸の交代相定るところなり。毎年夏四月中、参勤を致すべし。従者の員数、近年甚だ多し。且は国郡の費、且は人民の労(つかれ)なり。向後(きょうこう)その相応を以てこれを減少すべし。山本博文氏も、参勤交代は大名の経...参勤交代の人数

  • 足を洗うの語源

    「足を洗う」の語源としては、「修行僧が外の修業から寺に帰ったあと、足をあらって世俗の垢を落とす行為」から来ているとの説明が多い。間違ってはいないと思うのだが、江戸時代の人々が「足を洗う」の語からまっさきに頭に思い浮かべたのは、仏教ではなく、「足洗い儀式」のことだった。遊郭を出る遊女も、出る際に「足洗い儀式」を行ったが、これも僧を真似ていたのではない。では、本当の「足洗い儀式」は何かと言うと、人別帳から帳外(人別帳から名前を外されること)となっていた者が、再び人別帳に名前を載せてもらい、常人に戻る際に行う際に行う儀式である。復帰を希望する無宿者の親類縁者は、乞食頭の車善七に願い出て、町奉行所に人別帳への再記載届けを出してもらう。もちろん、けっこうな金は掛かる。所定の金額は決められていなかったが、そうやすやす納めら...足を洗うの語源

  • 抜き身の刀を持って走るとき

    笹間良彦氏の「時代劇のウソ・ホント」という本を読んでいる。面白い。常識は往々にして忘れ去られる。当時の人からすれば当たり前過ぎるほど、当たり前だと思っていたことは、意外に記録に残っておらず、後世になると分からなくなる場合も多い。そんな行為のうちのひとつとして、「抜き身の刀を持ちながら走る」といった場面がある。時代劇で主人公が複数の刺客から襲われ、逃げるシーンがある。刺客は抜き身の刀を普通に持って走り回り、「いたか?」「どこにも、おらぬ」「逃げ足の速い奴だ」などという会話が交わされるのだが、笹間氏は、これらの持ち方は「デタラメ」だという。刀を立てたり、前に出して走れば、味方に当たるかもしれないし、切っ先を下げて走れば、自分の足を切る恐れがあるからだ。切っ先が後ろになるようにして、右肩に担ぐのが正解だ。しかも水平に...抜き身の刀を持って走るとき

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