cocoro さん プロフィール

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cocoroさん: 愛し愛されるココロケアレッスン♪
ハンドル名cocoro さん
ブログタイトル愛し愛されるココロケアレッスン♪
ブログURLhttps://ameblo.jp/cocoromail/
サイト紹介文自分と仲良く幸せにいきるための、上手なココロやアタマ(思考)への接し方をお伝えしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供80回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2012/05/30 17:29

cocoro さんのブログ記事

  • それは本当ではないけれど
  • コトバの中にはなにもない外もないから中もないだから、その表現はホントではないけれど表現としてこの二元的世界観においてしっくり きたり伝わる ことがあるすべては詩であるなにかを忠実に表現したり指し示すことができない失敗コトバ遊び かんじるココロケア あまのこころ http://cocoronowa.jimdo.com/ [続きを読む]
  • コトバにできるものすべて
  • そうみえる そうかんじる そうおもう 名前がつけられるもの 説明できるもの 語ることができるもの 、、、、コトバにできるものすべてコトバでコーティングされているコトバにできない唯一無二無二なる一 かんじるココロケア あまのこころ http://cocoronowa.jimdo.com/ [続きを読む]
  • コトバの中にはなにもない。
  • コトバの中にはなにもない なにも見つけることはできない 左と右 良し悪し 正誤 あれこれ どのように解釈しどのように振り分けてみても つかめるもの 所有できもの わかるもの理解できるものなにもない さまざまな別々の名前がついているそれ そのすべての名前を 愛 に差し換えてみよう たったひとつ 愛 がある かんじるココロケア あまのこころ http://cocoronowa.jimdo.com/ [続きを読む]
  • 退屈で遊び始める。
  • 退屈な子ネコが 目の前のものに ちょっかいを出し始める 人間が “なにかをしよう” と動き出す衝動もこんなかんじなのでしょうね ちょっかい 世界にちょっかいを出す いまのこれに名前をつけ意味をつけてルールをつけてゲームをしている。 そうやって意識が遊んでる。 かんじるココロケア あまのこころ http://cocoronowa.jimdo.com/ [続きを読む]
  • 悟っている、悟っていないという物語。
  • 気づいている、気づいていない わかっている、わかっていない 悟っている、悟っていない それも 物語 の中のお話。 なにかに到達するための道具とするならそれは失敗するか、失望するだろう。 それを為すことで、幸せになりたいそれを為すことで、特別でありたいそれを為すことで、なにかから逃れたい それを望む者の不在 そこには誰もおらずはじめから生じたこともない それを為す者、気づく者の不在だから。 かんじるコ [続きを読む]
  • 陰陽でないもの。
  • 思考は、陰陽/ネガティブポジティブのどちらか。 愛 という言葉で表現しようとしているもの祈り という言葉で表現しようとしているもの許し という言葉で表現しようとしているもの真我 という言葉で表現しようとしているもの それらの表現によって表現しようとしても、しきれない、どちらでもないもの。 陰陽でもないものは、言葉では語れず、思考の範疇では捉えられない 説明=言語化することは不可能だから。 そのニュアン [続きを読む]
  • それも、それも、“自分”も、概念です。
  • それも、それも、それも、そして“自分”も 概念。 たとえば 自分という概念に「思考」が組み合わさると 思考+自分 その思考は自分のものと解釈され「 わたしは、考えている 」という体験にみえる。 感情+自分 で その感情は自分のものと解釈され「 わたしは、こうかんじている 」という体験にみえる。 悲しみ+自分怒り+自分痛み+自分食べる+自分走る+自分 ぜんぶ、すべてが、この方程式のバリエーションです。 [続きを読む]
  • 劣るという恐れ。
  • 劣るのは怖いから、優れていたい。 優位性、損得、優劣、勝ち負け劣るという恐れ。 負けたくない勝ちたいは “生き残りたい” 非二元的には 「 生き残りたいって、誰が?」 という問いであり、「生き残りたい」と一体化している自分の不在 どちらをリアルにかんじているか。 リアルにかんじているほうを生きている。 そう思うほうを、生きている。 かんじるココロケア あまのこころ http://cocoronowa.jimdo.com/ [続きを読む]
  • 自分のものにせず流す、忘れる。
  • 思考や感情、目の前の事象を握りしめない、ほおっておく、手放す というのは 回転寿司のレーンに流れてくるお皿を、取らずに、ただ眺めている、、、 というのと似ている。 それもこれも起きるんだけど、自分のものにせず流す、忘れる。 役に立たないと意味がない(存在意義を欲している)場合、どーしても“自分の手柄“”が必要だし、それとセットで、自分を責める(価値があるないという判断による自己ジャッジ)というの [続きを読む]
  • “自分”とは、noという感覚、yesという感覚
  • “自分”とは、noという感覚、yesという感覚、様々な知覚を自分のものとして取り入れていった結果、総称。 性格とは、頻繁に一体化しているムードのこと。親の性格に似るのは、だからだ。 よく浮かぶ思考や感情、感覚があったら、眺めてみる。 ああ、これが頻繁に一体化しているものかあーこれを“自分のもの”だと取り込んでいたのか、、、と。 ただ、これがあるだけ、ただそれだけなのに、これを“自分のもの”として解釈を積 [続きを読む]
  • すべてが愛されたい子供
  • 内なる小さな子供をほっておかないことだ。 すべてが愛されたい子供。 一目置かれたい、認めてもらいた、愛されたい。 批判や否定ですら、気付いてもらいたい、わかってもらいたい、= 愛されたい で出来ている。 嫌うことでそこから離れるのも手段なのだけど、それは一時避難のようなものであって、避ける=分離では解消はされないのだよね。 なんどもなんども繰り返しながら、そのタイミングがきたとき、許す。 それによっ [続きを読む]
  • 思考というグーとパー
  • わかった!となったときの高揚感は、わかった!という瞬間に、その思考が外れた解放感。グーからパー、思考と思考の隙間。 その思考が外れた、というより、思考の領域から解放されているとき、思考と一体化していないとき“ なにもない/なにものでもない ” リラックス方法として、グーーっと力をいれてそこから脱力するという方法があるけれど、考えるという緊張状態から、それがわかった!瞬間、考えることを手放しパーになる [続きを読む]
  • まっさらな眼差し
  • ワンコはいつもの見慣れた風景に対しても「なんだろう?」という先入観のないまっさらな眼差しをむけるのだけど、それって「わからないまま」だからだとおもう。 逆に、人間はいろいろな「わかった」を所有したことで表裏一体の自由と不自由を手に入れたわけだけど、その荷を軽くするのが「わかっている」ことからの解放非二元視点への回帰。 わたし・自分 と呼んでいるものわたし・自分 と認識されているもの 思考を含めた [続きを読む]
  • 生という機能が “自分” をやっている
  • 感情という“機能”なのだとおもった。 怒る、喜ぶ、悲しむ、興奮する、、、という機能 それによって、その自我/肉体の生を保っている 一見、いびつにみえる感情もなんらかの自我のバランスを保つために必要な表現/機能であり生きるために必要なので、そうしている。 そうおもったとき、そこに生身の人間という存在感はかんじられず、 全体的な生 という存在のほうが強くかんじられる。 生という機能が “自分” をやってい [続きを読む]
  • 愛する。
  • 《 誰もが愛されたい、愛を感じたいと思っています ところがあなた方は、自分が愛されていると感じるためには自分以外の誰かが奇跡のごとく現れ、どうしようもなくあなたを愛してしまう、というふうにならなければと信じています そこで、“この誰かさん”を探しながら一生を送るわけです。》 バーソロミュー “この誰かさん”を外に探すこと、そして“この誰かさん”に自分でなろうとすることも、たぶんおんなじこと。 「自 [続きを読む]
  • 正そうとしなければ、そこに間違いはないよ。
  • なのだけれど、、、 二元的には「オールOK」というのは道理に合わなかったりする 善悪・正誤・右左・上下という視点 があるから。 こちらを善としたとき、必ずその反対が悪となりそれを正しいとするなら、必ずその反対は間違いとなるから。 「オールOK」を成立させるためには、二元的な表現でいうと < すべてはひとつ > という視点が必要になってくる。 ぜんぶおんなじ  唯一無二 オールOK(すべてがそのままでいいんだ) [続きを読む]
  • 呼吸
  • “ 最初の呼吸は全体によってなされる そして、もし最初の呼吸が全体によってなされるのだとしたら ほかのあらゆることも あなたの行為ではあり得ない もし自分で息をしていると思ったら 道を踏みはずしているのだ そしてこの誤ったステップのために 自我が生まれる 自我とは蓄積した無知のことだ 呼吸という最初の行為が あなたと<全体>とを橋渡しする あなたを<全体>とひとつにする そして、それにひき続くすべては あな [続きを読む]
  • 擬人化すると、こんなかんじ。
  • 擬人化すると、こんなかんじ。 それはいつも静かにかわらず聴いてくれている。兄弟喧嘩がはじまっても、どちらが良い悪いとか仲裁することもなく、ただ見守っている。 目をさますと、それにずーっと抱きかかえられていたことに気づく。一瞬足りとも離れることなく、ずーっと。 悟りというのは、“自分”とよばれているものとの一体化よりも、そっちとの一体化のほうがリアルである状態といえるかも。 存在そのものを、その素 [続きを読む]
  • 自分、とよんでいるマインドの動き
  • 思考・マインドもの一部なのだけれど、 通常意識というのは思考とのつながりに偏りすぎていて、それと一体化し、それを<自分>だと思い込み、それ以外の<わたし>との隔たりをつくって、「これだけが自分」だと思い込んでいる。 実際は<自分、とよんでいるマインドの動き>は<在る=わたし=これ>のほんの一部でしかない。 コアなアイデンティティ(一体化の核・元締めになっている思考・マインド)というのがあって、その思 [続きを読む]
  • エンパスと非二元
  • エンパスというのは、 他人との境界線が曖昧で、どれが自分でどこまでが相手のものなのかの区別がぼんやり曖昧なために、 自分がそうしたいのか、相手がそうしたいのを汲み取って「そうしたい」とおもっているのかがわからなかったり 他者の気持ちやその場のムード(空気感)と自分自身のそれとの区別がしずらかったり、 誰かの感情的なものや身体的な痛みというのを自分のことのように感じるというようなことは、 私の場合、あと [続きを読む]
  • 一元=許し
  • 批判や指摘というのは他人事/わたしではないものへの対応で、 「これはわたしではない」 と見なしているからこそできることで、最大限の隔たりが生じている分離状態から生じる現象。 だから、平穏ではない状態と心境がそこにはある。 その批判を通して、なにが見えてきたか? その批判を通して、どんな自分がみえてきた? 「これは“わたし”だ」と気付いた瞬間、 許せなかったり拒んでいたものに対して、心が開くというか、 [続きを読む]