宇佐しじみ さん プロフィール

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宇佐しじみさん: 田口線の残影
ハンドル名宇佐しじみ さん
ブログタイトル田口線の残影
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/vanillamood826
サイト紹介文愛知県奥三河地方を走っていた豊橋鉄道田口線に関するblogです。
自由文それと、以下の復刻リクエストに御投票頂けると有難いです。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=51154
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供95回 / 299日(平均2.2回/週) - 参加 2012/06/14 21:05

宇佐しじみ さんのブログ記事

  • 昭和28年、或る日の飯田線快速電車
  • 飯田駅にて、天竜峡への新婚旅行と思しきカップルと、富士身延鉄道からの社型クハニ7200富士身延ではクハユニ300形だった。編成を組む相方は分からない。全線直通快速電車同士が飯田駅で離合、8月10日撮影こちらは三河川合駅か、浦川駅か中部天竜駅こちらは中部天竜駅クハ47021豊橋駅へ進入するクハ47021+モハ50 昭和27年10月24日豊橋機関区にてクハ18 [続きを読む]
  • 三信鐵道全通記念寫眞帖より 工事中の三県境付近
  • 遠信国境の河内川橋梁工事中 このリアル感!80年以上前の写真とは到底思えません。グーグル・マップ35.216584, 137.840597上山トンネルから見た同橋梁、長野県側から望む三信鉄道トンネルの特徴の一つが、トンネルポータル上の笠石の存在で、これは原則全てにあります。飯田線になってから、多数が路線付け替えや改修工事により見られなくなりましたが、この笠石の件は稿を改め述べます。但し、この岩盤をくり抜いた河内山トンネ [続きを読む]
  • 拙blog記事100件記念号 区切りはやはり田峰駅
  • いつの間にか拙blog記事が100件に到達そんな訳で区切りの記事はGoogleの画像検索に何故か反映されない初号記事の再掲他です。廃線後の昭和51年頃撮影下は昭和42年8月15日撮影 場内信号機が既に使用停止されており、電車が進入しているのに停止現示こちらは昭和41年撮影 場内信号機は稼働している本長篠行なのにサボが清崎行のままである廃線後、モ14はこの写真の電車の反対側の番線、ちょうど同じ辺りに留められていた。再掲 昭和3 [続きを読む]
  • 三河海老駅
  • あつまりんて新城にて三河海老駅付近の写真が紹介されております。http://good446.dosugoi.net/c31803.htmlkobayakawa様が『場内信号機の場所を唯一把握していない』と仰っていた滝上寄りの場所で、恐らく場内信号機に極近い場所ではなかろうかと推定されます。この駅跡はバイパスにより面影は跡形もなくなるであろうと思われます。田口鉄道開業当時の記念写真と思われる後年の増築後こちら側は場所を把握出来ている巣山川橋梁の場 [続きを読む]
  • 戦前/常光画/鳥瞰図/鉄道/三信鉄道(株)パンフレットご紹介⑥ 鳥瞰図とその他
  • 横長で少々見にくいかもしれぬが、パンフレットの常光画鳥瞰図を披露します。ご覧のように、中間の大部分が未開通です。その他の写真はかねてから紹介してきた天竜峡の写真が殆どなので、それらは割愛しますが、どう見てもまだ子どもな伊那節おどり、踊り子の写真もあります。その他、時刻表等当時は天竜峡から門島までの枝線的路線とは云え、電車が僅か6往復しかありません。泰阜ダムへの工事資材輸送列車の方が、営業収入の大部 [続きを読む]
  • 多客時二両連結の飯田線〜田口線直通列車 長篠城にて
  • 周知の通り、いつの頃からか飯田線に乗り入れて、豊橋まで直通していた田口線モハ30形密連を装備し、制御器もCS系に換え、当初クハ5500を牽く単独列車だったが(この列車写真は見たことありません)後には国鉄運転士が社型電車の運転を嫌った為か、必ず国電の後部に併結されるようになったとのこと。(この写真は多数あります)https://blogs.yahoo.co.jp/vanillamood826/15135506.html多客時には二両連結も実施されていたと言いま [続きを読む]
  • 戦前の鳳来寺駅と電車の写真
  • 戦前の田口鉄道の写真で現存するものは極めて少ないのですが、不鮮明ながら、その内1枚を発見しました。駅舎二階に右書きで『鳳來食堂』と看板が出ており、撮影年代は以前紹介した絵葉書と同じ頃と思われます。(昭和9年頃か)後年設置される『鳳来寺参詣口』の看板がまだありません。当時モハ36・37は電3形101・102と称していた筈で、まだ自連装備である事が見て取れます。この下の写真より数年後でしょう。 [続きを読む]
  • 三信鐵道建設概要と写真との相違について謎が解ける!
  • 拙ブログで何回も書いた飯田線の佐久間ダム水没区間。ここまで何回も記事にするのは、何よりも資料が少なく謎が多い事、これに尽きます。その謎さ故に、興味をそそられるのと、目を皿のようにして、くまなく資料を紐解いてゆけば、まだまだ新たな発見の余地を残していると思うからです。いわゆる、美味しいネタが残っているという訳です。さて、かねてからどうしても腑に落ちなかったのは、白神駅下流の橋梁の数が、写真と資料とで [続きを読む]
  • 田口線の残影
  • 明治初年以来、我が国における鉄道の果たした役割は筆舌に尽くし難いが、筆者在住の東三河はもとより、北遠や南信地域まで多大な影響を及ぼした飯田線並びに、その枝線的存在であった田口線にまつわる話を色々と書いてゆきます。Since 2012 4 14 [続きを読む]
  • 臼井茂信氏撮影の三信鐵道時代の写真
  • 過去記事でも数点取り上げていますが、数少ない戦前の鉄道写真趣味人である臼井茂信氏撮影、三信鉄道の写真があります。いずれも昭和15〜16年撮影一枚目は鉄道ピクトリアル昭和29年3月号記事にも使われた写真です。(小林宇一郎著、飯田線-買収国電を探る-12)落石事故で廃車になる前のデニ201牽引貨物列車。三信三輪(東栄)〜出馬、奥山川橋梁にて写真裏には左方、三河川合〜右方、三河三輪と色々間違った表記がなされていました [続きを読む]
  • 田口線の残影
  • 明治初年以来、我が国における鉄道の果たした役割は筆舌に尽くし難いが、筆者在住の東三河はもとより、北遠や南信地域まで多大な影響を及ぼした飯田線並びに、その枝線的存在であった田口線、その他にまつわる話を色々と書いてゆきます。Since 2012 4 14 [続きを読む]
  • 絵葉書の残影⑲ 飯田線の前身、豊川鉄道経営の長山遊園地
  • 豊川鉄道が経営していた長山遊園地の絵葉書があります。初代豊川駅を移築した休憩所園内より本宮山を望む女神の噴水園内の賑わい長山遊園地についてWikipediaより長山遊園地(ながやまゆうえんち)は、かつて豊川鉄道が経営していた遊園地である。愛知県宝飯郡一宮村上長山(現・豊川市上長山)にあった。現在のJR飯田線の一部にあたる豊橋駅・大海駅間を運営していた私鉄・豊川鉄道が、集客事業の一環として同鉄道線長山駅近くに [続きを読む]
  • 田口線廃線跡散策、その7 滝上駅ほか
  • その後は稲目トンネルを抜けて滝上駅跡へ枯れ草が山になっており、ホーム跡から海老トンネルが全く見えなくなっています。滝上〜三河海老の廃線跡は桜並木で、これからが楽しめる季節だったのですが、通行止めになってしまったのは極めて残念です。そして、もう一度河津桜の道に戻ってみました。午前中よりも賑わっています。その後は、本長篠より金指方面を巡りながら帰路につきました。長文にお付き合い下さり、有難うございまし [続きを読む]
  • 田口線廃線跡散策、その6 清崎トンネル群探索 プチ山行が
  • 三河田口駅跡から来た道を戻り、清崎から県道に合流。そのまま進んで清嶺トンネルを抜けた所で左折、路地に駐車して下車します。こちらの読者の方はご存知でしょうが、第三〜第一清崎トンネルが、この辺りに存在するからです。2000年に、当時付き合いのあった名古屋在住の鉄友を、ここに案内し、水に浸かった第三清崎トンネルを見せたところ、びっくり仰天していました。今でこそ第三清崎トンネルは、そこそこ知られていますが、当 [続きを読む]