小さなイギンジャ さん プロフィール

  •  
小さなイギンジャさん: 小さなイギンジャのブログ
ハンドル名小さなイギンジャ さん
ブログタイトル小さなイギンジャのブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/tennnorappanooto/
サイト紹介文聖書の御言葉のブログです
自由文聖書の解釈はたくさんあります。

しかし、神様も聖書もひとつです。

今までだれも考えも、知ることもできなかった
御言葉をご紹介します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供130回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2012/07/01 23:41

小さなイギンジャ さんのブログ記事

  • 祈ることを忘れず、感謝の気持ちを持つ。
  • 当たり前のことのようだけど自分の中で、一番守れてない2つのこと ① 祈り ② 感謝の気持ち 忙しくても、気持ちが落ち込んでいても、いつ、どこにいても祈りと感謝の気持ちは忘れてはいけない。 [続きを読む]
  • みことばを聞くことの大切さ
  • みことばは神様のことばである。 これを忘れてしまえば、神様のみことばをいくらたくさん聞いたとしても意味がなくなる。 神様のみことばは、人のことばとは異なり、 人の中で生きて働く力がある。 イエス様が、私のことばは霊であり、いのちである(ヨハネ6:63)。と言われたみことばの様に、人を生かすのも神様のことばであるのだ。 霊が飢え乾き、心が渇望しているときこそ、みことばに [続きを読む]
  • 信仰はあきらめるものではなく、乗り越えるのもである。
  • どんな状況に陥っても、信仰を捨ててはいけない。 信仰を捨てたその時こそ、神様が自分から離れてしまうときなのだ。 信仰がいくら辛く、自分の思い通りにいかない道だとしても、それが生きる道であるならば、ひと時の快楽を選ばずに、神様の道を歩むべきである。 信仰はあきらめるものではなく、乗り越えるのもだから、行くべき道も初めから一つしかなかったんだ。 だからこそ、自分の中の基準をしっか [続きを読む]
  • 信仰をしっかりと持つために必要なもの
  • 信仰をしっかりと持つために必要なのはまず、物事の判断基準を正しく持つことだ。 判断基準は人によって異なるが、神様を信じる者にとっては違う。 神様を信じる者にとって、神様は絶対であるべきだし、判断基準も自分ではなく神様になる。 また、その神様についても、自分の考えで空想するのではなく、ちゃんと聖書の中の神様を基準にして考えなければならない。 なぜならば、神はことばであるからだ。 [続きを読む]
  • みことばの力を知ること
  • みことばをなくして、信仰はできない。みことばこそ、神様であるからだ。 みことばがなくてもいいのならば、神様抜きに信仰してもいいということになる。 それではもはや、信仰以前の問題になってしまう。 もちろん、人間的な交流も大切だが、前提になければならないのがみことばなのだ。 まずは、みことばの力を知り、信じることではないかと思う。 自分の中でどう、みことばを生かすかは、その人 [続きを読む]
  • 世の心づかいや富や快楽によって信仰をなくすこと
  • ルカ8章14節の御言葉いばらの地に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを危機はしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。 信仰をするうえで、妨げになるものは多い。しかし、どんな時も神様をベストに考えることを忘れていなければ、どんな試練にも勝てると信じている!! [続きを読む]
  • さりげない思いやりから愛はうまれる
  • 人の心は、大きなことよりも 小さなことの方に感動をすることが多い気がする。心温まる経験の話を聞くと 思いがけない優しさとか親切だとか、 ふとしたことに人の心は揺さぶられ 感動したという話が多い。 誰かに、どう思われたくてやる親切とかじゃなくて 普段から当たり前のように行う愛ある習慣が時に 人の心に明かりを灯す役割をすることもあるということだ。 ク [続きを読む]
  • 新天地教会での聖書の学びと伝道
  • 新天地教会での聖書の学びと伝道 今、新天地教会で一番、力を入れているのは伝道ではないかと思います。 しかし、新天地教会でのよく誤解されているのは 新天地教会では一般の教会員を対象にし、既成教会に入り込んで、無理やり引き取るような卑怯な真似をしている  なんて話ですが、実際はこんなことは行っておらずほとんどが、自ら聖書を学びたいと願う人々が多い のが新天地教会での伝道の特 [続きを読む]
  • 新天地教会での聖書勉強
  • 新天地教会での聖書勉強 とても、うれしいことがありました。親しい、無神論者だった友達が聖書の学びをしたいと自分の方に連絡をくれたのです。 信仰とか神様の存在はよく分からないが宗教についてしりたいことがあり、その中でキリスト教に親しみを感じたそうです。 理由はとにかく、自分のところに連絡を入れてくれたことそして、心から救いたいと思っていた友人に貴重な神様の御言葉を伝える機会を [続きを読む]
  • 久しぶりのブログ更新
  • ここ何日か教会の仕事が忙しく、ブログの更新ができませんでした。久しぶりのブログ更新。なんだか新鮮な気持ちと反省の気持ちが入り混じっています。 ここ何日かを振り返りながら、神様の仕事に感謝し さらに、前進できる自分でありたいです。 [続きを読む]
  • 新天地教会にあって他の教会にはないもの
  • 新天地教会にあって他の教会にはないもの 今日は神様へ礼拝を捧げる主日だ。 礼拝を捧げるたびに感じるのは、新天地教会に来れたことの感謝の気持ちである。 礼拝は神様に捧げるものであり、けして自己満足で終わらせるものではない。 それまで、礼拝の意味も知らなかった自分にとって、新天地教会で捧げる 心から神様を敬う姿勢はとても新鮮だし、それまでの自分を思い出すと 本当に恥ずかし [続きを読む]
  • 神様を信じていない友人に神様の話をした。
  • 神様を信じていない友人に「神様について」の話をした。 友人は、目に見えないものは信じないのだと軽く笑ったがありがたいことに、自分の話を最後まで聞いてくれた。 神様は確かに、目で見ることはできない。しかし、信仰人ならば、その存在を心で感じ、信じているはずだ。 神様は、目で確認することはできなくても、心で確信することができる。 ローマ書1章20節にはこう書いてある [続きを読む]
  • 聖書の学びを経て、修了式を迎える
  • 今日は、待ちに待った新天地イエス教証拠幕屋聖殿での修了式があります。実は、僕の友人も今日、修了します。 聖書の学びを経て、試験に合格した人たちが今日、やっと新天地教会の信徒としてスタートをするのです。 ただ単純な動機で、新天地教会に通いたくても、この過程がなければ新天地教会に来ることはできません。 口では信じていると告白しても、その人に行いがなければ死んだ信仰であるといわれた御言 [続きを読む]
  • 神様の義とは何か?
  • 神様の義とは何か? ローマ1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。 ローマ3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。 ローマ10:3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。 第二コリント5:21 神は、罪を [続きを読む]
  • キリスト教であることを恥じない勇気
  • 日本は確かに宗教に対する認識が、低いために キリスト教に関しても誤解を受けることがたくさんあるが、それら誤解は、間違った認識によるものだから自分が信じた神様の真理を最後まで信じ続けることが大切だと思った。 キリスト教に関した誤解を解くためにも、正しい聖書の知識が必要だし伝えるときも、間違って理解しないように、心掛けることが大切だ。 それは、新天地教会に対する批判に対しても同 [続きを読む]
  • カルト問題の第一人者のスキャンダル問題を受けて思ったこと
  • 韓国でカルト問題の第一人者と言われる人物のスキャンダルが問題になっている。 内心、やっぱりと言いたいところだけれども、 カルトかどうかを、人の考えで判断する罪の大きさを 改めて感じる事件だと思う。 カルト問題の一番の被害者は、インチキ牧師の言いなりになった家族たち。 自分の子どもが、親が、なんとか普通になってほしいとおもう一心で家族は巨額な額を教会に支払うが、結局、なんの [続きを読む]
  • 私はあわれみは好むがいけにえは好まない。
  • マタイ12章7節からのみことばです。 『私はあわれみを好むがいけにえは好まない。』 ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。 パリサイ人たちは、イエス様の弟子たちを見て、安息日にしてはならないことをしたと非難をしましたが、 実際は、安息日に神聖を犯しても罪にならないことが律法にかかれてあり、これは罪にはなら [続きを読む]
  • 神様の御前でへりくだり、心優しい信仰人
  • すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたをやすませてあげます。 わたしは、心優しく、へりくだっているからあなたがたも、わたしのくびきを負って わたしから学びなさい。 そうすれば、たましいに安らぎがきます。 マタイ11章28〜29節 アーメン。イエス様のみことばに感謝します。 世に疲れた [続きを読む]
  • 誰かの親切を素直に受け入れる心
  • 誰かに親切にすることは、小さな勇気のいることだ。 お年寄りに席をゆずったり、ベビーカーを押している子連れのお母さんに気遣いをしたり、人として当たり前のことのようなことだとしてもいざ、助けようとする小さな勇気がいる。 もし、その助けを必要しないにせよ、大切なのは気遣う心だと思うから、躊躇せずに助けられるのはすごいことだと思う。 昨日、教会の帰り道に荷物を多く持っていたのだが、かっ [続きを読む]
  • クリスチャンにおすすめしたい習慣
  • 朝起きて、まず祈りから一日を始める習慣は信仰人ならば誰もにおすすめしたい習慣だ。 一日の始まりを祈りから始めることで神様に対する感謝の気持ちが高まり、温かい気持ちを持つことができる。 今日も一日、神様の恵みの中で神様の御心にそった一日を過ごせるように。全ての人の心に神様のともしびが灯され神様の愛を感じることができるように。必要なみことば、必要な思いを伝えることができるように神様、どうか導 [続きを読む]
  • 自分を愛せないものは、他人を愛することも難しいのか
  • 普段、人を愛する事よりも、憎んだりする事の方が多い。 これは人間の本性のはずではないのに、人を愛するよりも憎む方が楽なのは、それだけ自分の中に悪が多い証拠である。 神様は人類を愛され、何よりも愛の大切を教えられ聖書を通し、みことばを通し、信仰を通してその愛の偉大さを悟って学んだはずなのに 未だに、愛することが難しく、人を簡単に憎むことができる自分が赦せない。 その悩みを祈り続けて [続きを読む]
  • 人を愛することはうぬぼれではない。
  • 少し、優しくできるからって、自分は正しい人なのかもしれないと勘違いしてはならない。 誰かに親切でいられるのも、自分が余裕のある時だからじゃないか。 本当に、親切な人は、時と場合、その相手が誰であっても 優しくすることができる。 その人に必要な言葉をかけてあげることができ、 裏と表の顔もない。 人を疑わずに、自分の利益を考えず、ただ、善だけを考える人。 自分とは、 [続きを読む]