kikyoukarukaya2 さん プロフィール

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kikyoukarukaya2さん: 頼子のブログ(みずのおもてから)
ハンドル名kikyoukarukaya2 さん
ブログタイトル頼子のブログ(みずのおもてから)
ブログURLhttp://yorikonoburogu.seesaa.net/
サイト紹介文限りある命を輝いて生きた娘の話てす。もう二十年。でもまだ昨日のことのよう。幸せだった出会いの事です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供13回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2012/07/25 23:13

kikyoukarukaya2 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 小説『雪菜の話』のこと
  • 検索、ご訪問くださいました方、有難うございました。このブログには、創作のものはふさわしくないのではと思うところがありまして、「カテゴリ**」に分けて非表示にしておりました。その後お尋ね下さる方がいらっしゃいまして、いつかはと思っておりました。このたび、再度、表示させて頂きました。改めまして、内容は、一つの小説(自作)からの引用で、天国に旅立った雪菜という幼い少女と、ある青年医師の話です。 [続きを読む]
  • ボランティアを始めて(2)
  • 誰かと別れるとき、もうこれが最後と思うのではなく、またいつでも会おうと思えば会える、と思ってさりげない別れをするのがいいですね。たとえその人と会うのがその時が最後になったとしても。今日そんなことを思いながら、この方とは今日が最後だ、と思うお別れをしてきました。私と同年代の方で男性でした。親しくお話をするようになったのは40日くらい前からだったと思います。病院で、私がいつも顔を出す病室で、毎日、寝た [続きを読む]
  • ボランティアを始めて
  • 病院のターミナル病棟のボランティアを始めて一か月になります。この働きに加わって、自分の生きる目的が定まったように感じています。病名の告知が一般的になった現在、また訪問介護などの医療制度が充実している今は、末期の患者さんが病院で過ごされる期間は短いことを最初に聞いていましたが、本当に別れは早く来て寂しさを感じるのですが、その一期一会を豊かなものにできた事を感謝しようと思っています。医療従事者の患者さ [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』1
  •  須藤健介は田代いずみの死に影響されて医師の道を歩んだ。 いずみが中学二年の冬に病気になった時、その事実は誰にも知らされていなかった。 何か重い病気になりどこかの病院に入院しているといううわさがあったがはっきりしたことは誰にも分からなかった。募る不安と焦燥感の数ヶ月の後、突然いずみの死が伝えられた。 いずみが骨髄性の白血病であったことを友人たちはその時初めて知った。 須藤はその衝撃から容易に立ち直 [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』2
  •  父親の友人が病院の関係者でもあるY市のA病院に、須藤は研修医として勤めていた。そこで彼は脳腫瘍を患う雪菜という少女に会った。 四歳で発病した彼女は、これまで大学病院で治療を受け何度かの手術を繰り返してきた。だがもう回復は望めず、家族の強い希望で系列でもあるこの病院に転院してきたのだった。経過観察と苦痛への緩和処置がここでの主な医療行為だった。 須藤は雪菜に初めて会った時、その姿がかつてのいずみの [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』3
  •   ある日、須藤が雪菜の病室に行った時、雪菜は何かいらだった様子でわめきながら、母親に枕や本を投げつけていた。そして思いつく限りの酷い言葉で母親を痛めつけていた。「あれあれ、今日はどうしたのかな」と言いながら須藤が雪菜のベッドのそばに行くと、雪菜は一瞬ひるんで須藤と母親を交互に見た。そしてわあっと声を上げて泣き出した。 聞くと母親が雪菜が頼んだゼリーでなく違うものを買ってきたと言って怒っているのだ [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』4
  •  それからの雪菜は見違えるように素直な子どもになった、と須藤は思う。 病状が安定している時「はーい」という澄んだ声が病室に響いた。そしてみんなに上げると言ってその似 顔絵を描いたり、切り紙細工の人形や花や動物などを作り画用紙に貼り付け風景画を作ったりした。 まるで挑戦するように不自由な視力で雪菜はそれを続けた。雪菜はこうした面でも非凡な才能を見せた。 体調が悪い時でも、以前のように不機嫌になること [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』5
  •  須藤はある時、自分が医者になったわけを雪菜に話した。「先生が子どものころいずみちゃんていう女の子がいてね、その子はとっても頭が良くていい子だったんだ。でも病気で天国に行っちゃったの。そのころ先生は毎日のようにその子の夢を見てた。自分がお医者さんになって、その子の病気が治る薬を発明して、それをその子のところへもって行く夢なんだよ。「いずみちゃん、もう大丈夫だよ病気治る薬、僕が発明したからね」ってそ [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』6
  •  須藤が雪菜に最後に会ったのは亡くなる前日の朝だった。彼はその日夜勤を明けた。 雪菜は数日前から個室に移されていた。 仕事の引継ぎを終えて着替えに行く前に雪菜の部屋を覗くと、彼女はベッドに横たわったままうつらうつらしていた。すでに痛みへの緩和処置がとられているのだ。 用事があって帰宅していた母親からはさっき雪菜の病状を問い合わせる電話があって、こちらへ向かっていますとのことだった。  窓の外を見る [続きを読む]
  • 小説『雪菜の話』終
  •  休み明けに須藤が再び勤務についた時、雪菜のいた病室に入院していたのは脳梗塞で重態になった高齢の男性患者だった。 激しい頭痛がしていたのを一日我慢してしまったという。翌日救急車で搬送されたが、小脳に出血が見られ回復の見込みは薄いという診断が下されていた。 搬送された時患者にはまだ意識があったが今はもうなくなっていて、やはり高齢の妻が不安げに付き添っていた。 消灯時間を過ぎたころ「痰が喉に絡んで父さ [続きを読む]
  • 大雪のその後
  • 前回の記事を書いた後、各地に大雪の被害がたくさん出て、『雪見に行く』といった言葉が豪雪に苦しむ方々にとっては心無い表現ではなかったかと気になりました。取り消しか、何かお詫びのようなことを書こうかと思いながら、適切な言葉も見つからず日々が過ぎました。今年は比較的暖冬であったようですが、雪国に住む方々にとっては、雪かきや屋根の雪下ろしなど大変な冬であったと思います。亡くなられた方もたくさんおられて、そ [続きを読む]
  • 年末年始に思うこと
  • しばらくぶりにこのブログを開いてみました。長い間更新できませんでしたのに、お訪ね下さる方がいらっしゃることに恐縮しております。昨年の暮れから新年にかけて、夫が風邪をこじらせ、大みそかはずっと自室で休んでいました。私はお正月の用意を心ばかりして、自分も疲れていたので久しぶりに、紅白歌合戦を一人こたつに入って見ながら、24年前、体が弱っていた頼子と一緒に歌合戦を見たときのことを思い出していました。頼子 [続きを読む]
  • 23年後の告別式
  • 21日の夜、以前お世話になっていた教会の姉妹から、前任者牧師ご夫妻の婦人牧師が19日に亡くなられたという電話を受けました。告別式が22日だという知らせ。スマホのSMSで訃報と前夜式の日時を知らせたけど、来られなかったね、と言われました。SMS、実は携帯も持たなかった私がスマホを持つことになったのですが、何もかも見よう見まねで、電話にもやっと出られるようになったところだったのです。それでSMSの合図 [続きを読む]
  • 『彼女の心に悩みがあるのだから』
  • 聖書の中には亡くなった人のよみがえなどいくつもの奇跡の話か出てきます。旧約聖書の列王記Ⅱの中に、預言者エリシャが、女性の亡くなった子供をよみがえらせるという話があります。その女性、シュネムの女が、カルメル山にエリシャを訪ねてくるのを遠くから見たエリシャは、若い者ゲハジに言います。「ごらん、あのシュネムの女があそこに来ている。さあ、走って行き、彼女を迎え『あなたは無事ですか、あなたのご主人は無事です [続きを読む]
  • 残された人のそれぞれ
  • 夫には4人の兄弟姉妹とその家族、私には3人の兄弟姉妹とその家族がいますが、数年前までそれぞれの配偶者の一人もかけることなく健在でした。5年前、私の兄が脳こうそくを患い、一時は危ぶまれたものの奇跡的に命を取り留めましたが、その兄を看病していた義姉が3年半前、突然の心臓病で亡くなりました。とてもつらそうにしていた様子で、無理をしていたのだと義姉には申し訳ない思いでいっぱいでした。その半年後、今度は夫の [続きを読む]
  • 山形マット事件のこと
  • 9日のNHKのニュース番組で、1993年に起きた山形マット事件のことを報じていました。『この事件を覚えているでしょうか』と。山形マット事件は私には忘れられない事件です。頼子が闘病を始めたばかりのころ、ニュースでこの事件のことを知りました。親子で話し合った記憶があります。前途を絶たれてしまった若い命があったことも衝撃でしたが、その事件の真相解明があまり進まず、うやむやにされてしまうような印象を受けた [続きを読む]
  • 志賀留蔵さんのこと
  • 相撲界の北の湖理事長さんの訃報を知ったころ、1993年、家族で最後に行ったキャンプ場までの道案内をしてくださった志賀留蔵さんが、8月に亡くなられていたお知らせをご遺族から頂きました。101歳でした。最後にお目にかかったのは昨年4月。100歳のお誕生を3月に迎えられた直後で、もうすぐお祝いの会を持たれるというころでした。その時留蔵さんが長く地域の中にあって多くの良き働きをなされ、尽力してこられたこと [続きを読む]
  • 新年のご挨拶を申し上げます。
  • 新年のご挨拶を申し上げます。 昨年二月、ちょっとしたアクシデントから、四十数年ぶりに車を持たない選択をしました。 持たないことの気安さと、不便さが相殺される感じでさほど不自由とも思わず暮らしていましたが、車に搭載されていたオーディオには心が残り、三年前に動かなくなっていて、(もとは性能のよかった)SONY製XPパソコンを、もう一台のパソコンに訊きながら数日かけて立ち上げ、思い出のテープやLPレコー [続きを読む]
  • 八月が過ぎました……
  • 厳しい暑さが続いた夏でしたが、急に秋の気配が漂う昨今です。ブログの更新がおぼつかないまま9月を迎えてしまいました。昨年、私たちきょうだいが子どもの頃お世話になった方が亡くなり、この春にはずっと心の友と思えた年配の方が亡くなり、6月には兄を見送りました。……いずれも人生の齢を重ねた人たちですから、子どもだった頼子や、人生の道半ばで生涯を閉じた方々の早すぎる死とは違いますけれど、やはり別れというものは [続きを読む]
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