黒田裕樹 さん プロフィール

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黒田裕樹さん: 黒田裕樹の歴史講座
ハンドル名黒田裕樹 さん
ブログタイトル黒田裕樹の歴史講座
ブログURLhttp://rocky96.blog10.fc2.com/
サイト紹介文受験対策にも万全!現役高校教師による「分かりやすくて楽しい」歴史ブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供389回 / 365日(平均7.5回/週) - 参加 2012/08/07 01:21

黒田裕樹 さんのブログ記事

  • 第59回「黒田裕樹の歴史講座」東京講演の報告と大阪講演のお知らせ
  • 3月12日に行いました第59回黒田裕樹の歴史講座「東條英機」(東京講演)には、東京では前回(第58回)の過去最高を更新する30名の皆様がご参加くださり、大盛況となりました。今回の講演は、単に東條英機元首相の生涯のみを振り返るのではなく、当時の世界情勢など、我が国が置かれた状況を詳しく紹介することによって、人物の理解から主観を排除するものとなっており、参加者の皆様からは大変好評でした。次回(3月25日)は大阪講 [続きを読む]
  • 外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 その3
  • この当時、我が国における朝鮮半島の統治が、開始から21年しか経っていないにもかかわらず、マッコイは欧米列強による過酷な植民地支配の実情に比べて、我が国の朝鮮半島の統治を絶賛したのです。我が国が結果として朝鮮半島の独立を奪い、半島の人々の自尊心を傷つけた事実は厳粛(げんしゅく)に受け止めるにしても、朝鮮における我が国の統治手段は、当時の外国から見ても素晴らしいものであったこともまた事実なのです。こうし [続きを読む]
  • 外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 その2
  • 「我々は、朝鮮という所は大体満州の延長であるから、相変わらず匪賊(ひぞく、集団をなして略奪や暴行などを行う盗賊のこと。政府に敵対する集団を意味することもある)が横行し、産業も振るわず、赤土色の禿山(はげやま)の下で民衆は懶惰(らんだ、面倒くさがって怠けること)の生活を送っているとばかり思っていた」。「しかるに、列車が一度鴨緑江(おうりょくこう、中国と朝鮮の国境を流れる川)の鉄橋を越ゆるや、車窓に隠 [続きを読む]
  • 外国が絶賛した我が国の朝鮮統治 その1
  • さて、昭和6(1931)年に満州事変が起こった後、当時の中華民国(ちゅうかみんこく)の訴えによって、国際連盟(こくさいれんめい)がリットン調査団を組織し、翌昭和7(1932)年に満州へと派遣しました。同年6月の終わり頃、調査団は朝鮮半島を通過して日本に向かったのですが、その途中で京城に着いた調査団が朝鮮総督府を訪問した際、アメリカ代表のマッコイ少将が宇垣一成(うがきかずしげ)朝鮮総督に対して述べた感想が、外 [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その7
  • これらのうち、外国大使の一時帰国は、一時的に外交を断絶させることを意味する大使の「召還(しょうかん)」に次ぐ厳しい措置であり、日本政府の強い抗議の姿勢がうかがえます。安倍首相も「韓国に誠意を示してもらわねばならない」と放送番組で述べており、一時帰国させた駐韓日本大使の「無期限待機」の可能性も指摘されています。しかし、一方の韓国側は、日本の対抗措置を「遺憾(いかん)」と表明したのみならず、慰安婦像の [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その6
  • しかし、韓国政府が「適切な解決」に向けた努力を約束した、在韓国日本大使館前の「慰安婦像」の撤去については、国会での朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾訴追案(だんがいそついあん)可決などによる政治の混乱もあって、一向に進展しませんでした。それどころか、2016(平成28)年末に、韓国・釜山(プサン)の日本総領事館前に、新たに慰安婦像が設置されてしまったという異常事態を受けて、日本政府は、平成29(2017)年1月6 [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その5
  • ところで、日韓両国における「賠償問題」は、先述のとおり、昭和40(1965)年に結ばれた日韓基本条約とそれに伴う協定等で、すべて解決済みとしていましたが、この協定等は、あくまでも二国間の話であり、開示されることはありませんでした。そのため、条約締結後も、例えば「慰安婦問題」などによって、これまでに両国間で何度も「謝罪と賠償」が蒸し返されてきたのですが、この際にも密約や紳士協定が結ばれたのみであり、国際公 [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その4
  • さて、平成27(2015)年のいわゆる「日韓合意」に関する、日本側、あるいは韓国側が発表した合意文書を精読すれば、合意に関する様々な内容が分かるようになっています。例えば、日本側の1.のポイントは、慰安婦問題に関する「強制連行を認めていない」ということです。「軍が関与していた」のは事実であり、そこで「売春行為」が行われていたのも事実です。これ以上でも以下でもありません。次に、2.のポイントは、これまでも日 [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その3
  • 韓国:尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については、これまで、両国局長協議等において、集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、韓国政府として、以下を申し述べる。1.韓国政府は、日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し、日本政府が上記2.で表明した措置が着実に実施されるとの前提で、今回の発表により、日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されること [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その2
  • 記者会見による合意文書の詳細は以下のとおりです。日本:岸田文雄(きしだふみお)外務大臣日韓間の慰安婦問題については、これまで、両国局長協議等において、集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、日本政府として、以下を申し述べる。1.慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大 [続きを読む]
  • 慰安婦問題の「日韓合意」について その1
  • ところで、現代の我が国と韓国との間で論議を呼んでいるものの一つに、最初に述べたとおり、韓国側や一部の日本人がしきりに主張している、いわゆる「従軍慰安婦問題」があります。歴史教科書の中には「日本軍が朝鮮人などの女性を強制的に集め、慰安婦として働かせた」と書かれているものがありますが、確かに朝鮮人の慰安婦が存在したのは事実であるものの、彼女らを日本軍が強制連行したという証拠は一切存在しません。にもかか [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その7
  • なお、日韓基本条約において、日本政府は「北朝鮮を含めた」朝鮮半島の人々への直接的な個人補償をする提案をしました。その後の協議によって、結局は韓国政府が補償を受け取って分配することになりましたが、実際には、それらの補償は韓国の経済発展のために使用されました。さらに、条約の締結によって、日韓両国は「北朝鮮を含むすべての戦後補償は完全に解決した」ということになっていますが、現在においても、様々な手段を通 [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その6
  • さて、我が国は昭和20(1945)年に終戦を迎えましたが、その後の朝鮮半島の動きはどうなったのでしょうか。終戦時に朝鮮半島に残していた約53億ドル(現在の価値で約15兆円)にものぼる民間資産は、すべて朝鮮側によって没収されました。それだけではなく、戦後の昭和40(1965)年に結ばれた日韓基本条約によって、我が国は無償あるいは有償の資金8億ドル以上(当時の1ドルは360円であり、また当時の韓国の予算は約3.5億ドルでした [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その5
  • また、戦局の悪化に伴って、朝鮮半島においても徴兵制が実施されたのは事実ですが、その前提として、志願兵の募集倍率の高さがあったことを忘れてはいけません。朝鮮半島では昭和13(1938)年に志願兵の募集が始まりましたが、定員の7倍以上の応募がありました。その後も驚くべき高倍率が続いて志願者が殺到し、昭和17(1942)年には62.4倍にも達しました。高倍率の背景には、一部の下級官吏(かんり)による説得があったとされて [続きを読む]
  • 第59回「黒田裕樹の歴史講座」(東京&大阪講演)のお知らせ
  • いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、ブログ開設8周年記念講演となる次回(第59回)は「東條英機」と題し、波乱に満ちた元首相の生涯をたどりながら、近現代史の真実に迫ります。 ( で拡大されます)講座に参加をご希望の皆様(特に東京講演においては関東在住の方々)は、ブログ右下の「メールフォーム」を活用のうえ事前にご連絡 [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その4
  • さて、戦時下の朝鮮半島において、一般的な歴史教科書では「太平洋戦争において日本の戦局が悪化すると、数十万人の朝鮮人を日本本土に強制連行し、鉱山や土木工事現場などで無理やり働かせた」という記述がみられることが多いようですが、これらは本当のことなのでしょうか。確かに朝鮮半島や台湾の人々が、日本各地の炭鉱や工場で働いたことは事実ですが、それらは昭和14(1939)年7月に制定された国民徴用令(こくみんちょうよ [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その3
  • しかしながら、いくら植民地化とは全く異なる方式だったとはいえ、我が国が朝鮮半島を併合することによって、朝鮮半島の人々の自尊心が傷つけられたことに変わりはありません。その結果、宿命ともいえる独立運動が起きた時期もありました。大正8(1919)年、アメリカのウィルソン大統領の民族自決(=各民族が自らの意志によってその帰属や政治組織あるいは政治的運命を決定し他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利のこ [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その2
  • さて、朝鮮半島で小学校を増やした際に、我が国は李氏朝鮮時代に作られたハングル文字を半島全土へ普及させましたが、同時に広めようとした日本語は、朝鮮の人口全体のわずか16%に留まりました。歴史教科書を中心に「日本は朝鮮人から朝鮮語を奪った」という主張がよくなされているようですが、事実は全く逆なのです。また、同じように「朝鮮人から名前を奪った」とされる、いわゆる「創氏改名(そうしかいめい)」ですが、これも [続きを読む]
  • 朝鮮半島の統治における数々の真実 その1
  • では次に、我が国が朝鮮半島に対して搾取(さくしゅ、生産手段を持たない直接生産者を必要労働時間以上に働かせ、そこから発生する生産物をタダで取得すること)してきたかどうかに関する事実を検証してみましょう。植民地化するということは、当然朝鮮半島の資産を我が国が奪ってきたはずなのですが、併合される直前の保護国の時代では、当時の費用で1億円(現在の価値で約3兆円)を我が国が支援しています。我が国は併合の段階で [続きを読む]
  • 一般的な植民地支配の厳しい現実 その3
  • では、西欧諸国やアメリカによって行われた、プランテーションや奴隷制度に代表される一方的な植民地支配に対して、我が国は日韓併合後に朝鮮半島をどのように統治したのでしょうか。こういう場合、一番分かりやすいのは国内における総人口の違いを調査することです。なぜなら、もし我が国が朝鮮半島を植民地化して朝鮮の人々を強制的に労働させているのであれば、結果として人口が減少するのが当然だからです。日韓併合後に我が国 [続きを読む]
  • 一般的な植民地支配の厳しい現実 その2
  • 植民地とは、一般的に「ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従う地域のこと」を意味しますが、これが世界中で広く行われるようになったのは、いわゆる「大航海時代」以降に西欧諸国が海外に乗り出し、アフリカやアメリカ大陸を中心に先住民への侵略を始めてからでした。西欧諸国はアフリカやアメリカ、あるいはアジアの各地域の先住民を従わせて植民地化すると、本国の経済力を高めるために [続きを読む]
  • 一般的な植民地支配の厳しい現実 その1
  • これまで述べてきたように、日韓併合に至るまでの歴史は、我が国と朝鮮との関係のみならず、東アジアを中心とする世界各国の様々な思惑が複雑にからみ合っており、どの国が悪いと単純に決めつけられるような問題ではありません。にもかかわらず、一般的な歴史教科書には、日韓併合やその後の歴史について以下のように書かれていることが多いのが現状です。「1910(明治43)年、日本は韓国(=大韓帝国)に対して併合を強要し、朝鮮 [続きを読む]
  • 併合を決定づけた「運命の銃弾」 その5
  • 安重根による伊藤博文の暗殺という大事件は、我が国の世論を激怒させたのみならず、韓国を震撼(しんかん)させました。日本による報復行為を恐れた韓国政府や国民の反応は、韓国内の最大の政治結社であった一進会(いっしんかい)が日韓合併の声明書を出したこともあって、次第に併合へと傾くようになりました。しかし、我が国は併合に対してあくまで慎重でした。日韓併合が国際関係にどのような影響をもたらすのかを見極める必要 [続きを読む]
  • 併合を決定づけた「運命の銃弾」 その4
  • 明治42(1909)年10月26日、伊藤博文はロシアの外務大臣と会う目的で訪れた満州(まんしゅう)のハルビン駅で、韓国人の民族運動家であった安重根(あんじゅうこん)にピストルで撃たれて殺されました。熱心な愛国家であったとされる安重根からしてみれば、初代統監として韓国を保護国化した伊藤の罪は重く、また伊藤こそが韓国を併合しようとしている首謀者だと考えたのかもしれません。しかし、伊藤が韓国人によって殺されるとい [続きを読む]
  • 併合を決定づけた「運命の銃弾」 その3
  • 伊藤としては、韓国の独立国としてのプライドを守るために、近代的な政権が誕生するまでは外交権と軍事権のみを預かり、その後に主権を回復させる考えだったのです。教育者であるとともに植民地政策に明るかった新渡戸稲造(にとべいなぞう)が、韓国の植民地化に関する計画を伊藤に持参した際にも、伊藤は「植民地にしない」と一蹴(いっしゅう)したうえで、韓国人による韓国の統治の必要性を、時間をかけて新渡戸に説明したとい [続きを読む]