hallelujah-nakayama さん プロフィール

  •  
hallelujah-nakayamaさん: クリスチャン生活
ハンドル名hallelujah-nakayama さん
ブログタイトルクリスチャン生活
ブログURLhttp://hallelujah-nakayama.blogspot.jp/
サイト紹介文男性の看護師です。 聖霊のお導きにより、 クリスチャン生活が 始まりました。
自由文わたくしは、
罪深い自分の十字架を
じぶんで背負います。
そして、
主イエス・キリストが、
この罪深いわたくしの罪を背負い、
十字架にかかり、
墓に葬られ、
三日目に復活した、
神の御子であり、
救い主であると信じます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供88回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2012/09/16 20:44

hallelujah-nakayama さんのブログ記事

  • 人は何の為に生きるのか?人生の目的は何?この問いに対する答えは、聖書の中では単純明解です。神様が人を作ったのだから、人は神さまの為になるように出来ているのです。 [続きを読む]
  • 幸せって何かを考えた時、イエス様が、「あぁ、いま幸せだなー。」って思うことをやろうと思うんだ。うん・・それが僕の幸せになる。自分にとってのね。それを命だけでやろうと思うんだ。だって、イエス様は僕たちの為に、命がけになったんだよ。命をかけるほどに、やんなきゃいけなかった事だったんだよ。それが十字架にかかる事。僕らの罪の象徴だよ、あれは。本当は僕らが十字架にかかるべきだったんだ。だけど人類右代表でイエ [続きを読む]
  • 離婚と再婚について
  • 同じお悩みをもつ独身の男女のみなさん、中年クリスチャンの私から聖書福音のメッセージを送ります!聖書では離婚は罪であると言われ、相手が死別でもしない限り離婚も再婚もできずにドロドロの人生を歩むことになってしまわないよう、本当はイエス様はなんと言いたかったのか、一緒に考察をしていきましょう。私は13年前に離婚しました。というか離婚を同意せざるを得ない状況であったわけです。さて世の中には経済的な理由、あ [続きを読む]
  • 選ばれた民に伝えられたのは「すべての民のための神」
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりエサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。(創世記36章1節)ここにはエサウつまりエドムの系図が羅列されている。しかし彼はすでに神の救いの歴史からはずれている。なのになぜ、神の言葉なる聖書に記されているのであろうか?その理由は、聖書に記されている神は全世界・全宇宙の神であるということ。イスラエルは神の救いの御業(みわざ)遂行の為に召された僕(しもべ)にすぎない [続きを読む]
  • 神様は愛で出来ている
  • 神なんかいない!わたしが成し遂げた。と、あなたは言う神さまがつくられた大地を踏みしめ神さまがつくられた大気を吸って神さまがつくられた陽光を浴びて神さまがつくられたあなたは叫ぶ「神なんかいない!」そんなあなたを神さまは抱きしめていますなぜなら神さまは愛で出来ているからです神さまの差し出すものは愛です。なぜなら神さまのご性質は愛だからです。だから神さまの差し出すものは愛しか出てこないのです。 [続きを読む]
  • 聖書が語る三つのビジョン
  • 神のビジョン −聖書の語る三大ポイント−高原剛一郎https://www.youtube.com/watch?v=ax7EF6zgKOw&t=1011sご注意)以下の文面は作者の承諾を得ずに自分の学びのため勝手に書き起こしたものです。本物はリンクを すれば視聴することができます。ぜひお勧めします。――――――――――――――――――――皆さんに紹介したい聖書というのは、神のあたまのなかにあるビジョンが描かれている本です。この聖書の中には、神 [続きを読む]
  • キリストを突き動かした神の愛  高原剛一郎
  • キリストを突き動かした神の愛  高原剛一郎https://www.youtube.com/watch?v=nmsfpiPsrS8ご注意)以下の文面は作者の承諾を得ずに、自分の学びのために勝手に書き起こしたものです。そのつもりでお読みくだされば幸いです。本物はリンクを すれば視聴することができます。ぜひお勧めします。――――――――――――――――――――人生の目的とは何だろう?辛いことがあっても生きていかねばならない理由って何だろう? [続きを読む]
  • 新たな装いで主にぬかずく
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりあなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい。(創世記35章2節)ヤコブはシケムの地に祭壇をたてて、これをエル・エロヘ・イスラエルと名付け、イスラエルの神こそ神であることを告白した。しかしこの地で彼は思わぬ事件に出くわし、追われる身となった。これが娘ディナにまつわる忌まわしい事件である。ヤコブは神の声を聞く。神はベテルに上り、そこに祭壇を築け [続きを読む]
  • 主を賛美しよう
  • 主よ 主よと主を求めますが・・・病気を治してください癒してください大学に合格させてください結婚させてくださいとか主の恵みと平安をとか祈り求めますが・・・もっともっとほんとは大変重要なことがあるのです。主を信じ祝福を受けたのですから主が良くしてくださるのは当然ですもうすでに恵みを送ってくださっていますだからそれを終生追い求めるのはやめにしてもっとするべきことをしましょうイエス様のことをもっと深く知る [続きを読む]
  • 慎み深く、かつ大胆に
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりデナはその地の女たちに会おうと出かけて行った。(創世記34章1節)私たちの生活は人間という言葉が示すように、人との交わりなくしては成り立たない。しかしレカブ人たちはカナンの地に住みながら、信仰の純粋性を守る為に、異教のカナン人との交わりを絶ち、荒野をさまよう生活をしていた。彼らはカナンの地を神から与えられたものとして受け取るべきであったのに、世から逃れることだけを考 [続きを読む]
  • 大切なことは「静まってあなたこそ神である」と主に向かって告白すること
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりそこに祭壇を建てて、これをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。(創世記33章20節) ヤコブはエサウが四百人を率いてくるのを見たとき、非常な恐れを感じた。一方で単純素朴な兄エサウは弟ヤコブを認めるや、走り迎え、彼を抱き、泣いて喜んだ。 ヤコブの心は穏やかでなかったのだが、これは兄エサウを騙したこともあるが、それ以上に、「お前の国へ帰り、お前の親族に行け、私はお前を恵 [続きを読む]
  • 主に捧げるための贄
  • とうとう、イスラム国の攻撃目標が、具体的に「クリスチャン」になってしまった。いや・・・むしろ、だからこそ主に捧げる贄としての意味を持つのではなかろうか。神は悪をも使われて、私を試されます。生きやすい道と、狭く険しい道・・・私には、わたし自身が主に捧げるための贄であったと証しする時が来るのでしょう、きっと。それとも使徒ペテロのときがそうであったように、キリストを知らないとでも言い張るというのでしょう [続きを読む]
  • 古い自分からの解放
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりあなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。(創世記32章28節)イスラエルとは「神勝ちたもう」という意味だそうだ。ヤコブとは「押しのける」という意味だそうで、確かにヤコブは兄を押しのけ、叔父を押しのけた狡猾な人物であった。彼は自分のためにすべてを押しのけ、今や多くの富を得ることができた。しかし今や彼は故郷を前にし、兄との再会をひかえて「大いに恐れ、苦 [続きを読む]
  • 神の語りかけに従順であるということ
  • ちいろば先生「旧約一日1章」より主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい」(創世記31章3節) アブラハムには行きなさいと命じられ、ヤコブには帰りなさいと語られた。神はいつも、その人に向かって語られるかたなのである。また、ガリラヤの漁夫シモンに「ついてきなさい」と言われた主が、お共をしたいと願い出たゲネサレの人に向かって「あなたの家族のもとに帰って・・・」(マルコ5章 [続きを読む]
  • 理由なき神の愛
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりこの人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだ、ろばを持つようになった。(創世記30章43節) 旧約においては、女性が子供に恵まれ、男性がその事業に繁栄することをもって、神の祝福のしるしとしている。しかしレアとラケルが競い合って夫ヤコブの子を産もうと卑劣な手段を用いたり、ヤコブのラバンに対する狡猾な手段をみるにつけ、彼らはまったく神に愛された人物としてふ [続きを読む]
  • あなたは本当にわたしの骨肉です
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりそこでヤコブは、すべての事をラバンに話した。(創世記29章13節) ヤコブは父をだまし、兄を裏切り、その怒りを逃れて、はるばるハランの地にある叔父の家にたどり着いたのである。彼はこれから叔父の好意を美しい娘ラケルの関心を得なければならない。そのようなときに、彼は「すべての事をラバンに話した」のである。何一つ隠さず、狡猾さを秘めた自分の本当の姿をすべてさらけ出したので [続きを読む]
  • 何よりも大切なことは「すぐ」ということ
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりヤコブは朝はやく起きて・・・(創世記28章18節) 信仰とは、神の語りかけを信じて生きることである。どんなことよりも神の言葉を確かとして生きることである。「わたしは道であり、真理であり、命である」との主の宣言を「アーメン」と受け入れることである。 しかしヤコブにとって天涯孤独のルズの野は決して天の門、神の家とは思われなかったように、私たちにとっても、神の言葉は決して [続きを読む]
  • 誰もが祝福されるとは限らない
  • ちいろば先生「旧約一日一章」より「父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」(創世記27章38節) ヤコブは母の狡猾な陰謀の手先となって、父からその祝福をだましとる。兄エサウはそれを知り、心ひそかに弟の抹殺を計画する。このような相克こそ実は私たちの生きている現実である。現実をふまえた信仰でなければ、それは単なる理想主義である。聖書の中にこうしたリアルな物語 [続きを読む]
  • 大事なことはきのうも、きょうも、あすも変わらない
  • ちいろば先生「旧約一日一章」より彼らは言った、「われわれは主があなたと共におられるのを、はっきり見ました」(創世記26章28節) ペリシテ人の王アビメレク一行はベエルシバのイサクのところに来ていた。彼らはイサクを憎み、イサクを追い出した人たちである。彼らは主がイサクと共におられ祝福されるのを見て、神に適することができないことを悟り、和睦を申し出たのである。まことにイサクは戦わずして、主にあって勝利 [続きを読む]
  • 祈りの力
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりイサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。(創世記25章21節) 神の約束を待つ者にと言って、まことに一日は千年にまさる思いである。どこまでも神の約束を信じ待つことができるか否か、信仰はその戦いである。あのアブラハムにして神を待ち抜くことができなかった。彼は妻のすすめを受け、はしためハガルによってその子を見ようとしたのである。それほど神を待つという [続きを読む]
  • すべてを捨てて、従いまつらん
  • 日曜礼拝 8月7日米村牧師説教より平和をつくるものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5章9節) 平和を《つくるもの》は幸いである、と言われたのである。平和を愛好するものとは書かれていない。《つくるもの》になるには、命を捧げることである。 戦地に赴いた日本兵、300万人もの戦争に捧げた人々がいた。そうでなければ、こんなに長い平和はこなかったのかもしれない。日本が戦後に [続きを読む]
  • ただ主の助けによって始められること
  • ちいろば先生「旧約一日一章」より主は、み使いをあなたの前につかわされるであろう。(創世記24章7節) アブラハムが僕に、息子イサクの嫁探しを命じた地は、わたしの国すなわちアラム・ナハライムであり、そこはカナンのような痩せた土地ではなく、豊穣の地、メソポタミア文化の都として後世まで名を残した地である。そんな所から息子の嫁探しをして、このような田舎の地に嫁候補を連れてきなさいと言われたのであるから、僕 [続きを読む]
  • 喜べ、今が恵みの時である
  • ちいろば先生「旧約一日一章」よりサラの一生は百二十七年であった。「創世記23章1節」 私たちは、サラのあまりにも人間的な姿にふれ、ほんとうにこれが信仰の母なのかと疑いたくなる。彼女は自分に子供がないことを憂えて下女ハガルを夫に与え、その女が子を孕むやいなや、嫉妬に燃えて彼女につらくあたり、その後自分にも子供が与えられると、下女の子と遊ぶことを快しとせず、夫をそそのかして、あわれな母と子を追い出す。 [続きを読む]
  • 神ご自身の手で十字架にかける痛み
  • ちいろば先生「新約一日一章」よりこの幼な子のように自分を低くする者が・・・(マタイ18章4節) 現実の子供は無欲どころか貪欲で、しかも純真無垢であるとは到底思えない。イエスがここで言おうとしているのは、子供が純真であるかどうかではなく、小さい者になるということである。 いっさいのものを捨てて従っている弟子たちにもなお欠けたものがあった。それが自分を低くするということであった。これは私たち信仰生活を [続きを読む]