ケミ さん プロフィール

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ケミさん: 今日の動画
ハンドル名ケミ さん
ブログタイトル今日の動画
ブログURLhttp://kyonodouga.sblo.jp/
サイト紹介文積もり積もったビデオの山。そこから拾った懐かしい画像を紹介します。もちろん、今日撮った画像も!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2012/11/01 21:10

ケミ さんのブログ記事

  • ジンキニスキー vs ルーテーズ
  • ジンキニスキー1966年1月7日、セントルイスのキール・オーディトリアムでルー・テーズを破り第45代NWA世界ヘビー級王者となる。団体として全盛期にあった際のAWA世界ヘビー級王座とNWA世界ヘビー級王座の双方を獲得したのは偉大な記録である。1967年には王者として日本プロレスに登場、ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦(NWA王座は懸けていない)。8月14日に大阪球場で行われた一戦は、双方65分間闘い抜 [続きを読む]
  • ディックマードック vs ビルロビンソン
  • ビルロビンソンジムの師範代である兄弟子のビリー・ジョイスのコーチのもとトレーニングを積んだ後、ヨーロピアン・トーナメント優勝を経て1959年に19歳でプロデビュー(1958年6月デビュー説もある)。以後、イギリスのジョイント・プロモーションズを活動拠点に、1960年代は欧州各国からインドや中東、さらには南米まで、世界中のリングに上がった。1965年6月12日にはヨーロピアン・ヘビー級王座、1967年1月18日にはブリティッシ [続きを読む]
  • ミルマスカラス vs ジプシージョー
  • ミル・マスカラスが全日本プロレスなどで防衛戦を行っていたIWA世界ヘビー級王座は、1975年にマスカラスが初代王者となったアメリカ北東部の独立団体・IWAのタイトルを団体崩壊後もマスカラスが保持していたもので、国際プロレスとは何の関係もない[6]。同団体はシカゴ・ホワイトソックスのオーナーでもあったエディ・アインホーンをスポンサーに、NWFのプロモーターだったペドロ・マルティネスが運営に関わり、ジョニー・パワーズ [続きを読む]
  • ラッシャー木村 vs ジプシージョー
  • ジプシージョー試合中は椅子などの備品や会場設備を散々に壊していたため、国際プロレスは会場側への弁償に追われていた。当時の取締役総務部長であった鈴木利夫は「あいつが来ると経費がかさんで困る」とボヤいていたという。全日本プロレスも、彼の参加するシリーズには各会場への弁償金を別予算で組んでいたというが、ジャイアント馬場はジョーについて、小柄ながらも激しい気迫とプロ根性を持ったレスラーであり、その頑丈な体 [続きを読む]
  • ブルータスビーフケーキ vs マサ斉藤
  • ブルータスビーフケーキ1980年にホーガンが新日本プロレスに登場して常連外国人となると、1982年8月にホーガンの弟として、エド・レスリーの名義で新日本に初来日。新日本プロレスはレスリーをホーガンとの「兄弟タッグ」で売り出そうとしたが、レスリーがタッグ結成を拒否し、ホーガンとのマッチメイクを希望したためお蔵入りとなる(拒否の理由は、「自分は兄ホーガンを倒すためにレスラーになったから」というものだった。実際 [続きを読む]
  • ティトサンタナ vs ディノブラボー
  • ティトサンタナ元WWFタッグ王者、元WWFインターコンチネンタル王者(それぞれ2回に渡って獲得)。1980年代から1990年代前半にかけてのWWF(現・WWE)では、スピーディーでクリーンなレスリングを身上とした甘いマスクのベビーフェイスとして女性の観客からの声援を集めた。1位クラチャイダム 黒生姜 黒しょうが 黒ウコン【送料無料…レビュー(392)9,720円2位即効 精力剤 帝源 最高評価のレビュー 精力 媚薬レビュー(8)7,980円3 [続きを読む]
  • ジャン五鶴田 vs 天龍源一郎
  • 天龍源一郎1981年2月7日、ノースカロライナ州グリーンズボロにてミスター・フジと組み、デューイ・ロバートソン&ジョージ・ウェルズを破ってNWAミッドアトランティック・タッグ王座を獲得。タイトル初戴冠を果たした。帰国後の同年7月30日、来日中止となったディック・スレーターの代打としてビル・ロビンソンのパートナーに起用され、馬場・鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座へ挑戦したことを契機に飛躍のきっかけ [続きを読む]
  • 天龍源一郎・阿修羅原 vs タイガーマスク・高野俊二
  • 阿修羅原天龍との初シングル戦で30分引き分けに終わった後、原は「ゴングが鳴る前から真っ白になり、試合が終わったときはラグビーイングランド代表戦終了後と同じ感覚だった」と思ったという。グレート小鹿は全日本プロレス時代の印象について、「国際プロレスから移籍した当初は孤独な印象があり目立たない男だったが、天龍同盟を結成してからグッとよくなった」と語った他、2015年11月の天龍引退興行に於いて龍原砲復活計画があ [続きを読む]
  • ブレットハート vs アニマル浜口
  • アニマル浜口現役時代のトレードマークはターザン風のワンショルダー、国際時代は一色、新日本移籍以降は赤・青ツートンカラーのタイツ。得意技はダイビング・エルボー・ドロップ、ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ、エアプレーン・スピン。ネックブリーカーは本家のジャイアント馬場からも褒められた。エアプレーン・スピンはアンドレ・ザ・ジャイアントを回すのが現役当時の夢であった。また長州力と維新軍団としてタッ [続きを読む]
  • ブレットハート vs 高野俊二
  • 高野俊二1981年12月8日、新日本プロレス・蔵前国技館での新倉史祐戦でデビュー。豪快な勝利で将来のエースを予感させた。翌1982年初め、協栄ボクシングジムより新日本プロレスへ日本人初のボクシング世界ヘビー級王者を誕生させる計画が持ち込まれ、候補として高野がピックアップされた。その後当時WBA世界ライトフライ級王者だった渡嘉敷勝男とハワイでトレーニングを開始するが、毒入りオレンジ事件の余波でプランは中止。プロレ [続きを読む]
  • テリーファンク vs ディックマードック
  • テリーファンク日本において絶大なベビーフェイス人気を博していた同時期、本国アメリカではレッドネックのワイルドさを強調したラフファイト主体のヒールとして活躍。ロサンゼルスではチャボ・ゲレロ、フロリダではダスティ・ローデス、テネシーではジェリー・ローラー、サンアントニオではワフー・マクダニエルなど、各地のヒーローと流血の抗争を繰り広げ、業界誌の不人気部門(すなわち悪党人気部門)では常に上位にランキング [続きを読む]
  • マークルーイン vs テリーファンク
  • マークルーイン日本には1973年3月、全日本プロレスの『第1回 チャンピオン・カーニバル』にPWF南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初来日。4月21日の福井での決勝戦でジャイアント馬場に敗れたものの、準優勝の戦績を残し、実績に違わぬ活躍を見せた(チャンピオン・カーニバルには1974年の第2回大会と1975年の第3回大会にも参加し、3年連続で出場している)。その後も全日本の常連外国人選手となり、1982年1月まで計9回来日し [続きを読む]
  • 猪木vs藤波 アクシデント! 猪木 vs アンドレザジャイアントへ
  • アンドレザジャイアントマネージャーを務めたアーノルド・スコーランによるとかなりのアイデアマンで、日本で大巨人伝説がマンネリ化し始めて来た頃、レスラー以外の人間を襲撃するというアイデアを自ら猪木に提案した。その際に襲撃されたのは気心の知れたレフェリーのミスター高橋やリングアナウンサーの田中秀和ら新日プロのスタッフであり、決してファンや一般人には手を出さなかった。ただし、花道以外の通路から不意を突く形 [続きを読む]
  • 長州力 vs カートヘニング
  • カートヘニング投げ技・大技はほとんど使用せず、基本的な打撃技と関節技だけで試合を構成してしまうプロレス史上屈指の試合巧者。また受身の技術も高く評価され、ミスター・パーフェクトの名は伊達ではなかった。そのためプロレスの手本的存在として高くリスペクトを受け、ヘニングの試合を観戦してプロレスを勉強する若手選手も多かった。試合スタイルと同様、入場時に常に右手に持っていた白タオルは、バディ・ロジャースからニ [続きを読む]
  • リックフレアー vs デビットフォンエリック
  • デビットフォンエリックデビッドは1984年1月に次のNWA世界ヘビー級王者に推挙され、4月にベルトを巻くことが決定していたが、実際に王座を獲得する前に死去した。リック・フレアーは自著『To Be The Man』の中で、デビッドがチャンピオンとなっていれば長期政権を築くことができたであろうと記述している。同年5月6日、デビッドの弟ケリー・フォン・エリックはテキサス・スタジアムでフレアーを破りNWA世界王座を獲得した。これは [続きを読む]
  • リックフレアー vs テリーゴディ
  • テリーゴディ1983年8月に全日本プロレスに初来日。日本でのテリー・ファンク引退試合でのザ・ファンクスの対戦相手として、スタン・ハンセンのパートナーに起用された(テリー・ファンクは後に現役復帰)。翌年にはフリーバーズでの来日も実現したが、ゴディのみ全日本の常連となる。デビュー間もない頃に教えを受けたルー・テーズ直伝のパワーボムをフィニッシュ・ホールドとして頭角を現す。テリー・ゴディのパワーボムは技を決 [続きを読む]
  • グレッグガニア・ジムブランゼル vs アドリアンアドニス・ジェシーヴェンチュラ
  • ジェシーヴェンチュラ1979年、地元ミネアポリスに本拠地を置くAWAでアドリアン・アドニスとのタッグチーム、イースト・ウエスト・コネクション(East-West Connection)を結成、ヒールとして大ブレイクを果たす。1980年7月20日にはバーン・ガニア&マッドドッグ・バションからAWA世界タッグ王座を奪取し、以降、グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル、ポール・エラリング&スティーブ・オルソノスキー、ザ・クラッシャー&バロン・フォ [続きを読む]
  • ケビンフォンエリック vs リックフレアー
  • ケビンフォンエリック「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(次男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)である。現役選手時代は空中技を得意とするベビーフェイスとして、フォン・エリック・ファミリーでは唯一シュ−ズを履かず素足でファイトしていた。2012年には長男ロス・フォン・エリック、二男マーシャル・フォン・エリックがプロレスリング・ノアへ入団し、プロレスラーとしてデビューしている。また、これ [続きを読む]
  • ダスティーローデス vs キラーカーン
  • ダスティーローデス1979年10月には新日本プロレスに初参戦し、11月1日に札幌中島スポーツセンターにてアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。ローデスと新日本プロレスとのスタイルの違いを懸念する声もあったが、WWFとの提携が軌道に乗り新日本のアメリカン・プロレス色が強くなっていた時期でもあり、アメリカ同様に日本でもファンの支持を獲得、以降も新日本の常連外国人となり、平成に入るまで来日を続けた。アメリカでの活 [続きを読む]
  • トニーアトラス vs キラーカーン
  • キラーカーンの得意技ダイビング・ニー・ドロップ主なフィニッシュホールド。ランニング式とトップロープからのダイビング式の両方を得意とした。奇声をあげながら跳び下りる様からアルバトロス殺法と呼ばれた。モンゴリアン・チョップ同じく奇声を上げながら両手により首元を狙うチョップ攻撃。近年では天山広吉などに継承されている。1位【送料無料】Hiprex-α(ハイプレックスアルファ)  サプ…レビュー(0)5,980円2位【送料無 [続きを読む]
  • ジャンボ鶴田 vs グレッグガニアその3
  • AWA世界ヘビー1960年AWA創立。同年5月、AWAが当時NWA世界ヘビー級王者であったパット・オコーナーを初代AWA世界ヘビー級王者と認定(記録上は、オコーナーのNWA王座獲得日である1959年1月9日)、オコーナーをAWA・NWA統一世界王者とする。そして、AWAは王者であるオコーナーにバーン・ガニアとの指名試合を勧告、90日以内にガニアとの試合を行わない場合はAWA王座の剥奪をすると通達。しかし、オコーナー側はガニアとの指名試合 [続きを読む]
  • ジャンボ鶴田 vs グレッグガニアその2
  • ジャンボ鶴田1984年、入場曲を「J」に変更。2月23日に蔵前国技館で、AWA王者のニック・ボックウィンクルに挑戦。「バックドロップ・ホールド」によって勝利し、当時日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を獲得、念願の世界奪取を達成した。AWA王座獲得後、同王座をリック・マーテルに敗れるまで、前王者ニック・ボックウィンクルをはじめ、ブラックジャック・ランザ、ビル・ロビンソン、ジム・ブランゼル、グレッグ・ガニア、ブ [続きを読む]
  • ジャンボ鶴田 vs グレッグガニアその1
  • グレッグガニア1982年5月、AWA世界タッグ王者チームとしてブランゼルと共に全日本プロレスに参戦。6月8日に蔵前国技館にてリッキー・スティムボート&大仁田厚を相手に防衛戦を行っている。王座陥落後の1984年4月にもブランゼルとのハイ・フライヤーズで全日本に再来日し、PWF世界タッグ王座の決定リーグ戦に出場した。このときの来日では、ジャンボ鶴田(同年2月にニック・ボックウィンクルを破り戴冠)のAWA世界ヘビー級王座にも [続きを読む]
  • ヘラクレスヘルナンデス vs ディノブラボー
  • ヘラクレスヘルナンデスギリシア神話の英雄 "ヘーラクレース" の英語名であるハーキュリーズをリングネームに冠し、その名に違わぬ筋肉隆々のパワーファイターとして活躍した。日本ではヘラクレス・ヘルナンデスの呼称および表記で知られている。1位クラチャイダム 黒生姜 黒しょうが 黒ウコン【送料無料…レビュー(386)9,720円2位【リニューアル版】 高濃度黒ウコンカプセル(お徳用2ヶ…レビュー(265)1,798円3位【初回購入者50 [続きを読む]