km45 さん プロフィール

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km45さん: 歴史と中国
ハンドル名km45 さん
ブログタイトル歴史と中国
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/kanazawa4512
サイト紹介文中国(特に成都市)記事および日本史関係記事を載せます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供33回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2012/11/24 15:23

km45 さんのブログ記事

  • 馬場の赤門―歴史雑感〔34〕―
  • 横浜市鶴見区馬場2-23に所在する馬場の赤門(澤野家長屋門)は天領東寺尾・北寺尾・西寺尾・馬場4か村の総代名主澤野家が安政年間(1851年頃)に建てたものです。1991年に横浜市指定史跡となっています。最寄りバス停は横浜市営バス西寺尾建功寺前・臨港バス東高校入口です。東北に徒歩約300mです。写真1は、T字路に立つ右から見た赤門です。赤門の由来は紅殻柄で門を塗ることを許されたため、門が赤色をしていることからです [続きを読む]
  • 鎌倉時代武家料理
  • 2017年7月3日(日)昼、鎌倉で開かれた会で振舞われた鎌倉時代武家料理を復元したものです。上段の器に入った料理は右より「山の幸」(鹿肉の炙り・明日葉浸し)、「楚割」(鮭とば・床節・梅干し・燻海老)、「膾」(鯛昆布〆・鰺奈れずし)です。下段の皿に入ったのは「調味」で右からひしお・酢味噌・天塩です。そして左の盛ったのが「飯」の発芽玄米ご飯です。さらに、食事途上で、「茹物」(冬瓜・長芋・茄子)と「羹物」( [続きを読む]
  • 城願寺土肥氏墓―歴史雑感〔33〕―
  • 2017年6月15日(木)午前、JR湯河原駅の北側の山麓に位置する城願寺(神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252)に土肥氏墓を訪れました。本寺は土肥氏祖の土肥実平の創建と伝え、土肥氏歴代の墓が残されています。土肥氏は、桓武平氏良文流後裔で、相模国西部に勢力を扶植した中村氏族嫡流中村宗平の次男実平が土肥郷(湯河原町)を名字の地とした武士です。北接した早川庄(小田原市早川)をも所領化して、箱根山外輪山南麓を勢力圏と [続きを読む]
  • 南方長城―中国雑感〔30〕―
  • 一、天門山 二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城 25日(火)午前の観光は南方長城です。本長城は明の万暦年間(1573〜1620年)に建設が開始されて、北は湘西古丈県の喜鵲営から南は貴州銅仁境内の鳳凰県黄会営までの全長190kmに、苗族などの少数民族対策として築かれたものです。現在は鳳凰県沱江鎮の [続きを読む]
  • 鳳凰古城ー中国雑感〔29〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城24日(月)午前、張家界から鳳凰へ高速道路経由で移動です。昼食後、午後は鳳凰古城観光です。鳳凰古城は湖南省湘西土家族苗族自治州鳳凰県沱江鎮、州都吉首市から南52kmの距離にあります。本古城は明嘉靖35年(1556)に創建されてから約400年余の歴史 [続きを読む]
  • 武陵源索渓峪・黄龍洞―中国雑感〔28〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城23日(日)午後の観光は武陵源索渓峪・黄龍洞です。黄龍洞は武陵源区から東に約7kmの距離にあり、総延長7.5kmもある鍾乳洞です。写真1は、洞に入ってすぐの所にある双門迎賓です。ご覧のような人一人が通れる空間が2つあることから名付けられました [続きを読む]
  • 武陵源索渓峪・十里画廊―中国雑感〔27〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城23日(日)午前の次の観光は武陵源風景名勝区の索渓峪自然保護区の十里画廊景区です。金鞭渓〜専用バスでまず移動します。徒歩道もありますが、モノレール軌道のトロッコ電車で観光です。往路は右側の席だったので、景勝が撮れず。終点までは眺めるだけ [続きを読む]
  • 武陵源索渓峪・金鞭渓―中国雑感〔26〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城23日(日)午前最初の観光は武陵源風景名勝区の索渓峪自然保護区の金鞭渓景区です。本景区最下流の水繞四門まで専用バスで移動してから、前日の観光が三条からと異なり、渓谷を徒歩となります。写真1は、しばらく行ったところの石峰群です。写真2は、 [続きを読む]
  • 武陵源天子山―中国雑感〔25〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓 六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城22日(土)午後の観光は武陵源風景名勝区の天子山景区です。張家界界景区の天下第一橋先の袁家寨で昼食後、専用バスで移動してきました。賀龍公園を過ぎて天子閣の先にある御筆峰が最初の観光地です。写真1は、西側に位置するこの全景です。写真2は [続きを読む]
  • 武陵源袁家界―中国雑感〔24〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城22日(土)午前の観光は武陵源風景名勝区の袁家界景区です。遅れると混雑するというので、7時半に出発しました。ホテルから徒歩距離の武陵源門票站から専用バスで百龍天梯下站下車です。写真1は、2002年に運行界開始した運行高度326mを66秒で上る百 [続きを読む]
  • 武陵源索渓峪・宝峰湖―中国雑感〔23〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城21日(金)午後は宝峰湖観光です。宝峰湖は世界自然遺産の武陵源風景名勝区の索渓峪自然保護区に位置します。ここの観光は船です。写真1は、「宝峰湖」石碑と渡船場です。ここから乗船します。写真2は、前を行く船を写し込んだものです。写真3は、山 [続きを読む]
  • 天門山―中国雑感〔22〕―
  • 一、天門山二、武陵源索渓峪・宝峰湖三、武陵源袁家界四、武陵源天子山五、武陵源索渓峪・金鞭渓六、武陵源索渓峪・十里画廊七、武陵源索渓峪・黄龍洞八、鳳凰古城九、南方長城クラブツーリズム主催「武陵源と圧倒の天門山 幻想の美しき鳳凰古城 絶景めぐり7日間」(2017年4月20日〔木〕〜26日〔水〕)で、中国に行ってきました。本ツァーの基本旅程は、20日(木)午後成田発上海着(東方航空) 夜上海発張家界着(上海航空) [続きを読む]
  • 太尾堤緑道の桜
  • 2017年4月6日(金)、太尾堤緑道の桜を見に行きました。以下の写真をご覧になられば分かるように、満開には少し早く7分咲きです。付けたりとして、足を伸ばした新横浜堤の桜もお見せします。フォトアルバム「太尾堤緑道の桜」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngshqN61uE9CMy_bqzgです。(2017.04.07) [続きを読む]
  • 源義経が6男とは―歴史雑感〔32〕―
  • 源義経は「九郎判官」として知られているように、義朝の9男であり、このことは『尊卑分脉』第四篇に、義平・朝長・?朝・義門・希義・範頼・全成・円成・義経の順に記載されていることからも確かめられます。ところが、『吾妻鏡』文治5年閏4月30日条の奥州平泉の衣川舘に藤原泰衡勢の襲撃を受けて自害した記事で、その官暦冒頭に「左馬頭義朝々臣六男」と記載されています。ここでは義朝の6男とされているのです。『吾妻鏡』治 [続きを読む]
  • 町田市の鎌倉道址―歴史雑感〔31〕―
  • 2017年3月18日(土)、武蔵野文化協会主催の「町田の鎌倉道(上ツ道)を歩く」に参加しました。そこで、町田市の鎌倉道上ツ道址を紹介します。写真1は、七国山の鎌倉道上ツ道址です。左見える石碑には「七国山鎌倉街道の碑」と刻しています。この石碑の道手前には「鎌倉井戸」(1.5m地下に円筒形の直径70cmの井戸が原型のまま現存)で、地上に井桁を再現して保存している。ここへは神奈川中央交通バスの町田駅前発野津田車庫行 [続きを読む]
  • 横浜市馬場花木園の梅
  • 2017年2月24日(金)午前、横浜市馬場花木園(横浜市鶴見区馬場2−20−1)の梅を見に行きました。それほどの本数はありませんが、梅園となっています。最寄りのバス停は、横浜市営バスの西寺尾建功寺前(38系統横浜駅西口・鶴見駅西口、41系統新横浜駅前・鶴見駅西口)と隣接した臨港バスの東高校入口(鶴01系統菊名駅前・鶴見駅西口)で、徒歩約8分です。以下に梅の写真をお見せします。横浜市馬場花木園の公式サイトはhttp [続きを読む]
  • 白河小峰城―歴史雑感〔30〕―
  • 2017年2月17日(金)、白河小峰城に行ってきました。本城は14世紀中期(南北時代)に結城親朝が築城したと伝えています。現在の城址は、江戸時代に入り、1627年(寛永4)に白河藩初代藩主となった丹羽長重が1632年(寛永9)まで約4年を費やし大改修したものです。本丸・竹之丸・二之丸・三之丸と梯郭式平山城となっています。本丸・竹之丸・二之丸を中心とした16万3千?が史跡となっています。三之丸は現JR東北本線白河駅の南 [続きを読む]
  • 大塚・歳勝土遺跡―歴史雑感〔29〕―
  • 2017年2月10日(金)、大塚・歳勝土遺跡公園に行ってきました。本公園は、弥生時代中期の環濠集落遺跡である大塚遺跡と方形周溝墓の歳勝土遺跡を含んで、これらを保存するためにも一帯を横浜市が公園化したものです。最寄り駅は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅で東に徒歩約8分です。道路を挟んで西に横浜市立歴史博物館があります。本遺跡遺物も展示されています。本公園は南北を谷に挟まれた東西に広がる丘陵上にあり [続きを読む]
  • 春節の横濱媽祖廟
  • 2017年1月28日(土)は旧暦元旦です。すなわち中国の春節です。そこで、横浜中華街に出かけてみました。世代が変わったのか、ここも日本化しており、かつてのような春節らしさはあまり見かけず、いつもの週末のようでした。それでも、春節らしさを見せていたのは「天后宮」横濱媽祖廟(開港150周年の2006年3月に落慶開廟)でした。福建省の林氏娘は神通力を発揮して尊敬されて、28歳で天に召されて神となったとされて、死後海の [続きを読む]
  • 兜塚古墳―歴史雑感〔28〕―
  • 2017年1月24日(火)午前、兜塚古墳址に行ってきました。本古墳址は横浜市鶴見区駒岡3-40に所在し、県道140号の南側に位置し、東に上末吉小学校に隣接しています。最寄りの停留所は上末吉小学校(綱島駅鶴見駅・綱島駅川崎駅西口)です。本古墳地は古来兜塚と呼ばれていました。というのは、長禄元年(1457)に太田道灌が支城地の調査ため、加瀬の台(川崎市幸区)を候補地として一夜を過ごした時、道灌の兜を鷲が奪って、本地に [続きを読む]
  • 総持寺初詣
  • 曹洞宗大本山総持寺に初詣に行きました。この写真をお目にかけます。写真1は、三門です。2階に「謹賀新年」の幕が見えます。写真2は、仏殿(大雄宝殿)です。堂内に入るため、一応整理の行列を作りますが、込んでないので直ぐ入れました。最後の写真3は、堂内です。(2017.01.01) [続きを読む]
  • 2016年度記事目次
  • 丙申年を終わるに当たって、2016年度(1〜12月)記事目次を掲載します。なお、前回までは「『歴史と中国』http://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(上)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』http://kanazawa45.wordpress.com/記事目次(下)」(2011年10月21日付)、「『歴史と中国』2010年度記事目次」(2011年10月22日付)、「2011年度記事目次」(2011年12月31日付)、「2012年度記事目次」(2012年12月31日付)、「20 [続きを読む]
  • 横浜市開港記念会館―歴史雑感〔27〕―
  • 2016年12月23日(金)、横浜市開港記念会館(神奈川県横浜市中区本町1-6)に行ってきました。本会館は1914(大正3)年9月に着工され、1917(大正6)年7月1日に開港記念日に合わせて開館しました。関東大震災で被害を受けましたが、その後の補修で今日まで横浜の近代建築の一つとして保存・利用されてきました。そして、1989(平成元)年9月2日に重要文化財に指定されました。本会館は建築面積1536.93m?・延床面積4426m?、 [続きを読む]
  • 2017年の中国の祝日―中国雑感〔21〕―
  • 明年の祝日(休日)に関して、2016年12月1日、国務院の通知「国務院弁公庁関于2016年部分節假日安排的通知」が国務院公式サイトにアップされ公表されました。国務院の通知原文は次のページです。http://www.gov.cn/zhengce/content/2016-12/01/content_5141603.htmまた、カレンダー表示(「図解:国務院弁公庁関于2016年部分節假日安排的通知」)は、http://www.gov.cn/xinwen/2016-12/01/content_5141612.htmです。これによる明 [続きを読む]
  • 紅葉の箱根登山鉄道早川橋梁
  • 2016年11月30日(水)午前、箱根塔ノ沢温泉の先にある箱根登山鉄道早川橋梁(出山鉄橋)に行きました。その時の写真をお見せします。写真1は、下ってきたモハ2形の2両編成です。写真2は、3000形「アレグラ号」を先頭に上ってきたものです。まだ紅葉は満開ではありませんが、色づいています。(2016.12.01) [続きを読む]